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54、練習。
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女は最近練習している事が有った。
今までは特に気にした事は無い。そもそも必要を感じた事が無い。
仕事では一切の必要は無かったし、むしろやらない方が上手く行く事も多く有る。
必要が無かったが故に、だからこそ練習をしている事が有った。
「笑顔とはどうやるのだったか・・・?」
笑顔の練習をしようと、鏡の前の自分に鋭い眼光を向ける女の姿がそこにあった。
ただし上手く行かな過ぎて、最早笑顔とは何だったのかとすら思い始めているが。
「・・・まったく、私は今更何をやっているのだろうな」
鏡に映る自分を見つめ、深い溜め息を吐く。
笑顔以外の表情は何でも出来るというのに、綺麗に笑う事だけが出来ない。
蔑む様な笑いならすぐ出来るが、それは見ている自分も苛つく程の表情だ。
女がしたい笑顔はその類ではない。偶に出来ている、優しい笑みを自力でやりたいのだ。
自分の表情が硬くなる癖を知っている。知っているが今まで直してこなかった。
それでも嬉しそうに笑顔を見せる少女に、少しでも笑顔を見せたいと思ったらしい。
別に今まで自分の表情など気にした事は無かった。気にする意味を感じなかった。
笑顔など、優しい笑顔などをする様な事は、やる意味が無かったから。
鏡の前に居る鉄の女は、今まで笑う必要など無かったのだ。
だが、意味が出来てしまった。あの子に見せたいと思ってしまった。
一緒に撮った写真の、笑えていない笑顔を嬉しそうに見つめる少女に。
ちゃんと、笑顔を見せてやりたいと。
だが、そんな想いは上手く働かない。
長年培って来た表情の硬さは、どうにも本人の言う事を聞く気は無い様だ。
その原因に心当たりのある女は、また深く大きな溜め息を吐いた。
「・・・幸せ、か」
以前男に言われた事を思い出して小さく呟く。
別に自分が不幸だなどとは思わない。むしろ幸せな部類だと思っている。
職が有り、それも自由の利く仕事で、給金も悪くない。
上司は気に食わなければ殴っていい相手だし、後輩達も気楽な相手だ。
女は心からそう思っている。それは紛れもない本心だ。
だが、それでも、心の中に腫れてしこりになっている物が、確かに在る。
女はある頃から自分が笑わなくなった事を覚えている。
男のおかげでそれなりに人間性を取り戻したとは思う。
それでも、昔の様に笑う事は出来なくなっていたと、その頃の事を思い返す。
「嫌な事を思い出させてくれる・・・違うな、忘れられないんだ。あいつも、私も」
暗く重い感情を吐き出す様に、呪いでも吐き出す様に呟く女。
お互い思い出したい訳じゃ無いのだろう。だが忘れる事が出来ないのだと。
それでも笑える男に、あんな事が有っても普通に笑える弟は強いなと、女は自嘲気味に笑う。
自分は笑えなかった。笑えないからこそ今更こんなつまらない事で悩んでいるのだと。
「結局、私は未だに甘えているんだろうな」
笑わなくなった日から、自分が自分でなくなった日から、女は男に頼る事を止めた。
弟に甘える事をせず、全てを自力でこなせる様にと生きて来た。
血の繋がりの全てを抹消し、自分の人生を一度殺し、呪いが暴走しても迷惑をかけぬ様に。
その気持ちが今の女を作り上げており、今の男との関係を作り上げている。
ただ、それは間違いなのではないかと、女は最近良く思う様になっていた。
少女が来てからの毎日は、自分の心が本当に驚くほど平穏だと感じている。
きっと最初は仲間意識だったのだろう。けど、この気持ちはそれだけでは有りえない。
あの子が可愛い。愛おしい。守りたい。
少女を想う気持ちが膨らむほど、女は自分の心が穏やかになっている事を自覚している。
そしてきっと、それは男の思う通りなのだと、そう感じているのだ。
女は無意識の甘えを男に向け、男はそれを自然に返しているのだと。
「お節介焼きめ」
本当にお節介が過ぎると、苦笑しながら感謝半分呆れ半分で呟く。
だからこそ、そんな想いに応えたいからこそ、自分は少女ともっと上手く接したい。
勿論少女がそんな事を気にしていないのは解っている。こんな物は自己満足だ。
それでもきっと、笑顔を向ければ少女が喜ぶ事だけは間違いない。
「そんなに必死に鏡見ても皺はどうしようもないぞ。年増なんだから諦めろよ」
「人が感傷に耽っている時に、本当に腹の立つタイミングで来ますね、この男は。そんな事だから空気も読めず、女心も読めず、良い人で終わるんですよ」
「何つーことを言いやがる。俺はそんな悲しい対応された事なんてねえよ。てめえこそ向こうからお断りされただろう。別にお前が言い寄った訳でもないのに」
「あらあらそれこそおかしな事を言いますね。あれは言い寄られたから殴り飛ばした結果そう言われただけですよ」
そして訪れる沈黙。からの盛大な打撃音に遅れて、いつも通りどしゃっと崩れる男。
女は崩れ落ちる男を見て溜め息を吐き――――その口元が少し、笑みを浮かべている事には気がついていなかった。
今までは特に気にした事は無い。そもそも必要を感じた事が無い。
仕事では一切の必要は無かったし、むしろやらない方が上手く行く事も多く有る。
必要が無かったが故に、だからこそ練習をしている事が有った。
「笑顔とはどうやるのだったか・・・?」
笑顔の練習をしようと、鏡の前の自分に鋭い眼光を向ける女の姿がそこにあった。
ただし上手く行かな過ぎて、最早笑顔とは何だったのかとすら思い始めているが。
「・・・まったく、私は今更何をやっているのだろうな」
鏡に映る自分を見つめ、深い溜め息を吐く。
笑顔以外の表情は何でも出来るというのに、綺麗に笑う事だけが出来ない。
蔑む様な笑いならすぐ出来るが、それは見ている自分も苛つく程の表情だ。
女がしたい笑顔はその類ではない。偶に出来ている、優しい笑みを自力でやりたいのだ。
自分の表情が硬くなる癖を知っている。知っているが今まで直してこなかった。
それでも嬉しそうに笑顔を見せる少女に、少しでも笑顔を見せたいと思ったらしい。
別に今まで自分の表情など気にした事は無かった。気にする意味を感じなかった。
笑顔など、優しい笑顔などをする様な事は、やる意味が無かったから。
鏡の前に居る鉄の女は、今まで笑う必要など無かったのだ。
だが、意味が出来てしまった。あの子に見せたいと思ってしまった。
一緒に撮った写真の、笑えていない笑顔を嬉しそうに見つめる少女に。
ちゃんと、笑顔を見せてやりたいと。
だが、そんな想いは上手く働かない。
長年培って来た表情の硬さは、どうにも本人の言う事を聞く気は無い様だ。
その原因に心当たりのある女は、また深く大きな溜め息を吐いた。
「・・・幸せ、か」
以前男に言われた事を思い出して小さく呟く。
別に自分が不幸だなどとは思わない。むしろ幸せな部類だと思っている。
職が有り、それも自由の利く仕事で、給金も悪くない。
上司は気に食わなければ殴っていい相手だし、後輩達も気楽な相手だ。
女は心からそう思っている。それは紛れもない本心だ。
だが、それでも、心の中に腫れてしこりになっている物が、確かに在る。
女はある頃から自分が笑わなくなった事を覚えている。
男のおかげでそれなりに人間性を取り戻したとは思う。
それでも、昔の様に笑う事は出来なくなっていたと、その頃の事を思い返す。
「嫌な事を思い出させてくれる・・・違うな、忘れられないんだ。あいつも、私も」
暗く重い感情を吐き出す様に、呪いでも吐き出す様に呟く女。
お互い思い出したい訳じゃ無いのだろう。だが忘れる事が出来ないのだと。
それでも笑える男に、あんな事が有っても普通に笑える弟は強いなと、女は自嘲気味に笑う。
自分は笑えなかった。笑えないからこそ今更こんなつまらない事で悩んでいるのだと。
「結局、私は未だに甘えているんだろうな」
笑わなくなった日から、自分が自分でなくなった日から、女は男に頼る事を止めた。
弟に甘える事をせず、全てを自力でこなせる様にと生きて来た。
血の繋がりの全てを抹消し、自分の人生を一度殺し、呪いが暴走しても迷惑をかけぬ様に。
その気持ちが今の女を作り上げており、今の男との関係を作り上げている。
ただ、それは間違いなのではないかと、女は最近良く思う様になっていた。
少女が来てからの毎日は、自分の心が本当に驚くほど平穏だと感じている。
きっと最初は仲間意識だったのだろう。けど、この気持ちはそれだけでは有りえない。
あの子が可愛い。愛おしい。守りたい。
少女を想う気持ちが膨らむほど、女は自分の心が穏やかになっている事を自覚している。
そしてきっと、それは男の思う通りなのだと、そう感じているのだ。
女は無意識の甘えを男に向け、男はそれを自然に返しているのだと。
「お節介焼きめ」
本当にお節介が過ぎると、苦笑しながら感謝半分呆れ半分で呟く。
だからこそ、そんな想いに応えたいからこそ、自分は少女ともっと上手く接したい。
勿論少女がそんな事を気にしていないのは解っている。こんな物は自己満足だ。
それでもきっと、笑顔を向ければ少女が喜ぶ事だけは間違いない。
「そんなに必死に鏡見ても皺はどうしようもないぞ。年増なんだから諦めろよ」
「人が感傷に耽っている時に、本当に腹の立つタイミングで来ますね、この男は。そんな事だから空気も読めず、女心も読めず、良い人で終わるんですよ」
「何つーことを言いやがる。俺はそんな悲しい対応された事なんてねえよ。てめえこそ向こうからお断りされただろう。別にお前が言い寄った訳でもないのに」
「あらあらそれこそおかしな事を言いますね。あれは言い寄られたから殴り飛ばした結果そう言われただけですよ」
そして訪れる沈黙。からの盛大な打撃音に遅れて、いつも通りどしゃっと崩れる男。
女は崩れ落ちる男を見て溜め息を吐き――――その口元が少し、笑みを浮かべている事には気がついていなかった。
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