後藤家の日常

混乱と判断

「んぐっ、んぅ、むうんんん！」

声にならない呻き声が、自分の口から洩れているのだと認識するのに少し時間がかかった。
呼吸が上手く出来ず、酸素が足りないと頭がぼやけていくのを感じる。

息を吸うと隙間を埋める様に完全に蓋をされ、生暖かい何かがぬるっと入って来た。
それは自分の口内をこれでもかというほど侵略し、堪能するかの様に蠢く。
俺の頬を、歯を、歯茎を、そして舌を求める様に絡みつき、味わう様に這い回るのを感じる。

驚いて反射的に暴れる俺を押し倒し、押さえつけて更に求める。
俺の全てを吸い尽くすかのように唇を求められている。

「ん、ちゅ、れる、ちゅる」

目の前にいる女の子が、それをやっている。
俺の唾液すら吸い上げる様に、俺の口の全てを堪能する様に。
押し倒され、がっちりと後頭部を抑えられ、背中にも手が回って完全に押さえつけられている。
そうしてまで、明ちゃんが一心不乱に俺の口内を蹂躙している。

体格差から理解はしていたが、押さえつけられると敵わない。
根本的に腕力も彼女が上で、力で引きはがす事も出来そうにない。

いや、そもそも自分は本気でそんな事をしようと考えているのだろうか。
もし自分が本気ならこれぐらいどうとでもなるはずだ。
たとえ彼女が俺より大きくても、力が強くても、本気で嫌なら引きはがせるはずだ。
けど俺はそれを良しとは思っていない。

そう思うと、意味のない抵抗をしている事に気が付いた。
俺が彼女の求める物を理解していなかった事を今更理解した。
彼女の言葉が、今までの明ちゃんの言葉の意味が、どういう意味だったのかを。
そして臆病な俺と違い、彼女は勇気をもって踏み出したのだと。

『好きです』

今まで彼女は何度も好意を伝えてくれていたんだ。
あの好きの意味は、俺が望む好きと同じものだったんだ。
この行為は言葉の意味を証明する為にやっている様な物だ。

いささか強引だし色々と飛ばし過ぎな気がしなくもないが、それぐらいしないと気が付けないと思われたのだろう。
事実そこまでやられてやっと気が付いた大馬鹿だ。言い訳のしようも無い。

彼女の気持ちに気が付くと、求められている事は心地よく思えた。
ついさっきまで完全に混乱し、対応出来なかった事を謝る様に彼女を抱きしめる。
俺は小さくて彼女の体を包めないのが悔しいが、少しは気持ちが伝わるだろう。

それで彼女が落ち着いたら、自分の臆病さを謝った上で自分の気持ちも伝えよう。
そう、思ったけど、彼女の反応は俺の思った通りにはならなかった。

「んっ、じゅっ、じゅる、んむ、れろ、んんっ」

彼女は更に俺を求めた。まるで今まではまだ気遣っていたかの様に。
息をすると自分の物では無い匂いが脳を刺激し、尚の事意識がぼやけて来る。
彼女の息遣いと体温が余りに生々しくて、経験した事のない感覚が自身を支配し始めている。
まるで彼女と一つになっているかの様な錯覚を覚えながら、俺は彼女が落ち着くまで甘い痺れに囚われ逃げる事は叶わなかった。