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抱いて抱えて
しおりを挟む朝、まだ眠気も疲れも残っている状態で目が覚める。
カーテンはもう開いているようで、太陽光が真っ直ぐ入って来るが寝起きの目には些か鬱陶しい。
それに体を起こそうにも、ものすごく痛い。
……昨日の夜、久しぶりで激しくしちゃったからか。
「はぁ」と仕方なく息を吐いて、ベットに寝転がったままゴロンと横を向く。
そして、気づく。
昨日は隣に居たはずの彼はもうそこには居なかった。
でも、確かにさっきまではそこにはいたようで少し沈んだままのマットレスと彼がよく吸う煙草の甘い匂いがまだ漂っていた。
鼻をスンッと鳴らす。
……ホント甘ったるいな、これ。
バニラのような匂いが鼻を突くたびにげんなりしてくる。
ホント何でこれが好きなんだろう……まぁ、いいや。
流石にそろそろ起きねばと思いながら、のそのそと体を動かし起こす。
体が動かすと至る所からポキポキとなって凄く痛い。
だが、その痛みを感じるたびに今日が休みで良かったと本当に思う。
ベットを降り、のびーっと体を伸ばし、深呼吸をしたところでやっと目覚めた気がする。
太陽光は温かいが気温はまだまだ寒いため、傍に置いていたガウンを羽織る。
……取り敢えず、ベッドのシーツでも洗いますかね。
起きて初っ端やる事がこれかと、我ながら苦笑したくなるがこればっかりはどうしようもない。
そう思いながら、ベットの方へ振り向いたところで彼の寝ていた側に置いていた小さなテーブルに何か置いてあるのを見つける。
消したばかりの煙草が置いてある灰皿と机の間にメモ用紙が挿んであった。
「朝から仕事だからもう出る。今日もありがとう」
相変わらず、短いメッセージ。
……いや、これ以上書きようが無いか。
いつも通りの殴り書きかのような汚い字も相まって何だか面白い。
一通り楽しんだところで、くしゃっと握りつぶしてゴミ箱に投げる。
よしっ、入った。
一人だが心の中で小さくガッツポーズをして、やろうと思っていた作業を始める。
それにしても……ホント私たちの関係ってよく分からない。
『恋人』なのか『セフレ』なのか。
私は『恋人』だと思っているが、もしかしたら彼は私とはただの『セフレ』だと思っているかもしれない。
一緒にお出かけだってする、映画だって見る、ご飯だって食べる。
だが、二人の時間の大半はシテ過ごす。
私は彼と遊ぶ時間に重きを置き、彼は私を抱く時間に重きを置いてる。
……正直な話、ただそれだけの事。
それだけの事なのにどっちを取るかで私たちの関係性を表す言葉は変わる。
まったく……面倒臭いものだ。
まぁ、そこで思い切って本人に確認してみるのも良いが、彼はそこについてはのらりくらり躱すからより面倒臭い。
普段は「可愛い」とか「好き」とか軽く言うくせに。
そんな面倒臭い彼と付き合って、そろそろ1年。
「今日も」という事は「次も」ある。
小さくても、言葉の綾でもそんな事実に、ベットから剥がしたシーツを洗濯機に入れながら私は今日も安心する。
********
「ねぇ、美穂。今日終わったら一緒に飲み行かない?」
デスクワークで痛くなった腰を擦りながらコンビニで買ったサラダとおにぎりを頬張る、そんな昼休み。
そろそろ、ちゃんと椅子に置くクッションとかを買った方が良いだろうなとのんびり考えていると、同期の葵がそう声を掛けてきた。
「別に良いけど……行くのはいつものお店?」
「そうそう、あの駅前の所ね。確かにいつも行ってるけどあそこは――」
「財布に優しく、お腹は満足……だっけ?」
「ふふふっ、良くお分かりで!」
上機嫌に笑みを零しながら、葵は隣に座る。
多分お湯を入れたばかりのカップのスープパスタも同時に。
「それにしても急にどうしたの?」
「うーん、別に何かあった訳じゃないけど、最近一緒に飲んでないなって思ってね」
「あー、言われてみたら確かに」
「それに、ここ1,2カ月結構忙しかったし、そのご褒美も兼ねて」
……ここ数か月は本当に忙しかった。
その所為で彼とも全然会えなかったし。
「良いね、行こう行こう」
「よっし、決まり!じゃあ、予約は私の方でやっとくから」
「うん、よろしく」
「あとは今日、残業をしなくても済むように頑張らないとね」
「私は多分大丈夫だけど、葵は大丈夫なの?」
「何で?」
「何でって……残業で遅くなっても、私待たないからね」
「えー、美穂、ひどーい!」
そんな事を言い合っていると、丁度、葵がカップのスープパスタ用に掛けていたタイマーが鳴った。
どうやら3分経ったらしい。
お互い昼食をモグモグ食べ話しながら、残りの昼休みを過ごすのだった。
********
『カンパーイ!』
カチンッというグラスの当たる小気味良い音と共にそんな声がこの居酒屋の店内に響く。
生憎、周りも飲み会ムードのようで気にも留めて無いようだが。
グラス一杯に注がれたビールを半分ぐらい一気に飲み干す。
この場に一人でも男の人がいたら一口で済ましていただろうが、ここには同期で友人の葵しかいない。
それなら、楽しんだ方が良いし、そっちの方が美味しい。
「おー、良い飲みっぷりだ!」
私のそんな姿を見て、向かいに座る葵も嬉しそうに枝豆をつまむ。
グラスをトンッと置き、私も微笑みながら頼んでおいた焼き鳥を一口食べる。
「それにしても、残業をしないで済んで良かったね」
「でしょ?私もやれば出来るんだよ」
「そこで誇らないのよ。それが普通だからこれからも続けてください」
「ちぇっ、少しは褒めてくれたっていいじゃない」
「はいはい、偉い偉い。……これで良い?」
「ふふっ、許そう!」
葵はこれでまだ素面なのだから面白い。
思わず「もう酔ってる?」と聞きたくなる。
「で、最近どうなの?」
「どうって?仕事は相変わらず順調だよ」
「違う違う、そうじゃなくて……彼氏くんとの話だよ!」
「あ、すいません、ビールもう一杯お願いします」
「ちょっと聞いてるの!」
「聞いてるよ。聞いてるからこそだよ」
さっき来た唐揚げをつまみながら、私は言い捨てる。
正直、私と彼との関係をちゃんと話すと色々面倒臭いから『恋人』として説明している。
だからこそ、こういう時はめんどくさがったツケが回って来る。
……ホント、私たちの関係って面倒臭い。
「もー、誤魔化さないでよ。何か進展とか無いの?ってか、そもそも最近会ってんの?」
「会ってるよ。何なら、先週会ったし」
「おっ、そうなんだ。会ってどうだった?」
「どうって……まぁ、凄く良かったよ」
「……良かった?何が?」
「えっ……あ、いや、前から見たかった映画も見れて良かったし、楽しかったから」
「あー、なるほどね……やっぱり聞くんじゃなかったな」
「……えっ?」
「羨ましいし、何か悔しくなってくる」
聞いてきたくせに少しムスッとした様子で唐揚げを頬張る葵。
そんな嫉妬をしてくる彼女に何だか罪悪感が湧いてきた私は「あはは……」と誤魔化すように軽く笑い、グラスに残っていたビールを飲み干す。
そして、またもう一杯ビールを頼む。
……今日は何だか酔いが速く回りそうな気がするな。
まだ始まったばかりの飲み会の雰囲気とお酒に飲まれてしまいそうだ。
********
……何だか、体が僅かに揺れている。
さっきまで居酒屋に居たはずなのに……意識も何だか虚ろだ。
今、どういう状況なのか確認するために目を開けようとしたその時、先に耳に情報が届いた。
これは……鼻歌……?
それも彼が好きな洋楽の奴……
……どうして。
そこで私は気づいた。
今、私は彼におんぶされているのだと。
後ろからだから彼の顔は見えない。
だけど、若干音の外れている鼻歌と彼の好きな煙草の甘い匂いが染みついたコートがそれを示している。
あと、いつも私を愛してくれるこの大きな背中も。
抱えられている背中に頬擦りをしながら、温かみを実感する。
コートに頬擦りしているからか煙草の甘い匂いも同時に鼻を突く。
嗅ぐたびにげんなりするほど嫌いな匂いなのに、やっぱり好きだ。
嫌いなのに好き。
何だか彼はずるい気がする。
「あっ、起きた?おはよう」
「……何で」
「電話、もらったの。美穂が酔いつぶれたから向かいに来て欲しいってあの同期の葵って人から」
彼はそう言う。
葵にはちゃんと謝っておかなくちゃ。
「前も同じようなことがあったからまただけど」
「なるほどね……」
「それにしても、体調大丈夫?気分悪くない?」
「うん、大丈夫……来てくれてありがと……」
「ハハッ、可愛い美穂の為ならどこにいても駆けつけるよ」
ほら、やっぱり彼はずるい。
でも、そんなずるい彼が好きな私もきっと『馬鹿』なんだろうな。
……むしろ、彼を好きでいられるのであれば私はまだ『馬鹿』のままでも良い。
少しドヤッとしてそうな彼の背中に顔を押し付けながら、私はそう考える。
そんな、ずるくて馬鹿な私たちを照らすのはとても綺麗な満月だった。
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