1 / 1
俺はムササビじゃない
しおりを挟む
「俺はムササビじゃない」
右京之介
おばあちゃんの家には四畳半の部屋があった。
この山小屋の大きさもそのくらいだろう。
今から二時間前、俺は犯罪者になった。
帰宅途中の若いサラリーマンを背後から石で殴り付けて、金を奪い、ここまで逃げてきたのだ。顔は見られてない。かなり大きな石だったから、おそらく死んでると思う。
いや、もしかしたら、生きてるかもしれない。
だが、生きていたとしても、大ケガをして、頭を包帯でグルグル巻きにされているはずだ。
金に困っていたとはいえ、自分でもヒドいことをしたと思う。しかし、あんな所に、どうぞこれで殴ってやってくださいとばかりに、大きな石が落ちていたことも悪い。
つまり、事件の責任は俺と石ころの半分半分だ。
俺は金を奪うとすぐにこの街を出る予定だった。だが、我ながら、予想以上にデカい事件を起こしたため、気が動転して、あちこち歩き回ったあげく、山の中に逃げ込んだ。
ちょうどいい具合に小さな山小屋があった。おそらく猟師の休憩小屋だろう。中にはシーツが一枚丸めて置いてあるだけだった。今夜はここに泊まることにしよう。
もう外は薄暗い。山狩りするには遅すぎるだろう。といっても、小さな街だ。そんなにたくさんの捜査員も動員できないはずだ。
明日の早朝、山を下りて、さっさと隣町まで逃げてやる。
俺は逃げる途中、自販機で買ったペットボトルのお茶を口にしただけだ。こんな山小屋に逃げ込むとは思わなかったので、食料は買ってない。腹が減って来たが、一晩だから我慢することにして、さっき財布から奪ったお札を数えてみる。
――四万円か。
最近はキャッシュレスが多くて、現金の持ち合わせは少ない。四万円でもいいことにしよう。明日の朝は奮発して、牛うなぎ丼のメガ盛りでも喰うとするか。
翌朝、目を覚ましていると、俺は宙に浮いていた。いや、正確には山小屋が宙に浮いていた。おそらく、地上二十メートル。飛び降りるのは無理だ。
山小屋の中央の床から五十センチほどの一本の太い竹が突き出ていた。こいつが山小屋を持上げて、宙に浮かせているらしい。不安定なツリーハウスみたいだ。
ツリーハウスと言えば、あいみょんが出演している発泡酒のCMに出てきたなぁ。撮影場所は京都なんだよなぁ。行ってみたいなぁなどと、のんきなことを考えている場合ではない。
この奇妙な状況について考えないといけない。
一晩でこんなに成長する竹があるのか?
山小屋を持上げる力がある竹なんか存在するのか?
だが、俺が山小屋ごと浮かんでいるのは事実だ。
窓から飛び降りれないとなると、山小屋ごと下げてやる。
俺はドスンドスンと跳ねた。俺の体重は百キロを越えている。竹は下から上まで幹の太さは同じくらいだろう。だから、山小屋がズルズルと下がってくれないかと期待する。
――ドスン、ドスン。
しばらく飛び跳ねたが下がりそうもない。竹の節に引っかかっているのか、ビクともしない。上下に揺すってもダメなら左右に揺すろう。
俺はわずか四畳半の山小屋の中を走り回った。プロレスラーがロープを利用してリング上を走り回るようにドタバタと走った。
――グワン、グワン。
たった一本の竹の先端で支えられている山小屋は揺れた。だが、下がってくれない。
俺はついにバランスを崩して倒れ込んだ。後頭部をしたたかに打ち付けたが、大事には至らなかった。危ないところだった。この状況で死んだら密室殺人が成立する。
山小屋の揺れは治まったが、俺の息切れと空腹は治まらない。
どうやってここから脱出しようかと頭を悩ませているが、山小屋は浮いても、アイデアは浮かばない。
山小屋はポツンと一軒建っていて、周りの木までは遠い。窓から飛び移るなんてできない。俺はムササビじゃない。モモンガでもない。
山奥のため、スマホの電波は入らないし、大声を上げても森の中じゃ誰にも届かない。フクロウには届くだろうが、奴らじゃ助けてくれない。あたりを燃やせば誰かが気づくだろうが、俺はヘルシー志向の非喫煙者だ。ライターやマッチは持ってない。
隅に丸めてあったシーツを広げてみる。一辺が二メートルくらいの正方形をしている。シーツの四隅を持って、パラシュートのようにフワフワ飛べないか?
無理だ。俺は体重百キロ越えだ。ジブリアニメでも無理な設定だ。
では、ロープが作れないか?
シーツを細く割いて、俺がぶら下がっても大丈夫なくらいの太さに束ねてみたが、出来上がったのは三メートルくらいのものだった。おそらく、ここは地上二十メートル。三メートルをかせいでも、残り十七メートルは落下する。地面に落ち葉が堆積しているが、俺の体重で俺は死ぬかもしれない。自重死だ。みっともない。
では、いったん窓からぶら下がり、勢いをつけて、小屋の真下に伸びている竹に飛び移って、スルスルと地面まで下りるのはどうか?
――できるわけない。
何度も言うが、俺は体重百キロ越えだ。
そんな器用なことができるのなら、今頃、消防士になって、みんなから感謝される人生を送っている。
体を動かすと腹が減るので寝転んで天井を見上げる。しばらく無い知恵を絞っているとき、山小屋がズズッと一気に持ち上がった。竹がさらに成長したのだ。高さは二十メートルから二十五メートルにはなっただろう。山小屋の床から突き出ている竹の先は五十センチほどで変わらない。つまり、竹の先端じゃなく、根っ子の部分が伸びてるんだ。
新種の竹なのか、何かの異常なのか知らないが、なんでこんな急に伸びるんだ?
シャリシャリシャリ…。
俺はいつの間にか眠っていたのだが、この音で目が覚めた。音は山小屋の中からする。俺はグラグラする山小屋の中を探し回り、音源を見つけた。
竹滅虫が竹を喰っていた。
「でかした!」
俺はこの小さなオレンジ色の虫に希望を見つけた。この虫は竹をものすごい勢いで喰う。竹にとっては最悪最凶の害虫だ。つぎつぎに喰っては、つぎつぎにフンをまき散らす。竹藪を瞬く間に更地にしてしまう。すでに竹の一部の表面は削られて、床にフンが積っている。虫が喰っているのは、床から突き出た竹の根元の部分だ。ちょうど床と接触している。このまま喰っていけば、山小屋はバランスを失って落ちるはずだ。
シャリシャリシャリ…。
「よしっ。がんばれ、竹滅虫!」
俺は生まれて初めて昆虫に声援を送り、残り少ないペットボトルのお茶をキャップに入れて、傍らに置いてあげた。
「粗茶でございます。これでも飲んでくつろいでください。健康に良いカテキンも入ってます」
俺がすべてを竹滅虫に任せて窓から下を見渡していたとき、シャリシャリ音が消えた。
急いで竹の元へ行くと、竹滅虫が仰向けに転がっていた。
「ウソだろ。俺の希望が…」
俺は小さなオレンジ色の竹滅虫を指でつまみ上げた。
グシャリとつぶれた。
「これは!? ――抜け殻だ!」
希望がつながった。
竹滅虫は脱皮していたのだ。
そして、ふたたびシャリシャリ音が始まった。
今までよりも大きく、力強い咀嚼音が複数聞こえる。
俺は竹の裏に回った。竹滅虫が七匹に増えていた。
「おお、お父さんとお母さんと子供が五匹か! こんな少子化の世の中に子供が五匹なんて、少子化担当大臣に成り代わって、御礼を申し上げよう。――虫のご家族、ありがとう!」
竹滅虫ファミリーのお陰で、竹の先端が食べられて、山小屋が傾き出した。
ここに来て二日が経っている。もうお茶もほとんどない。そろそろ限界だ。
だが、このペースで竹滅虫ががんばってくれれば助かる。もう少しだ。
「頼みましたよ、竹滅虫一家の皆様! 俺の人生は皆様にかかってますから!」
俺は生まれて初めて昆虫に土下座をして、手を合わせ、命を委ねた。
山小屋は完全に傾き、俺はいつでも脱出できるように、窓のそばでスタンバイしている。おそらく、高さは三十メートルにはなっている。山小屋ごと落下しても、バラバラになって、中にいる俺は助かるか分からない。だが、これに賭けるしかない。他に方法はないんだ。
引き裂いたシーツを頭と体に巻いて、クッション代わりにする。何もないよりかマシだ。ミイラ男のようになったが、かまうものか。フクロウ以外に誰も見てないだろう。
ポケットから、奪った四万円を取り出した。
山小屋の宿泊費とシーツ使用料として、二万円をここに置いておく。
――俺は太っ腹だ。人を殴って奪った金だが。
残りの二万円をポケットに戻す。
「これで牛うなぎ丼をメガ盛で喰ってやる! 絶対に生き延びてやる!」
山小屋はもはやグラグラだが、竹滅虫一家のシャリシャリ音は止まらない。
ここに来て、恐怖が襲ってくる。
俺は本当に助かるのか?
枯葉が堆積しているとはいえ、このまま落ちたら死んでしまうかもしれない。
こんな山の中で、一人寂しく死にたくない。
茶色い枯葉に埋もれて、くたばりたくない。
でも、やるしかない。
何とか、かすり傷くらいで済まないものか。
何とか、奇跡は起きないものか。
こんなときは、どういう“おまじない”をあげればいいんだ?
――ああそうだ! あれがあった。
俺は根っからの悪人だ。
ダークサイドの人間だ。
社会に迷惑ばかりかけている。
生きる価値はないかもしれない。
それでも言いたい。
「フォースと共にあれ!」
山小屋が傾き、落下を始めた。
「へえ、あの辺りです」
一人の老人が三人の警官を連れて山を登って来た。強盗事件があって、犯人が山に逃げ込んだかもしれないと言われたため、道案内をしてきたのである。
「この山で夜露をしのげるとしたら、猟師小屋しかありませんので」
「そこには何が置いてあるのですか?」警官が訊く。
「いや、何もないです。ちょっくら休憩する程度の小さい山小屋ですから。――それよりも、金を奪われたお方は死んじまったのですか?」
「頭を殴られたのですが、命に別状はありません。頭は包帯でグルグル巻きですけどね」
「そうですか。そいつはよかった。――あれ…?」
老人が立ち止まった。
「どうされました?」
「山小屋がバラバラになっとる」
山小屋の屋根やら扉などの残骸が、枯葉の上に散乱していた。竹は竹滅虫一家が完食して跡形もないが、警官たちには知る由もない。
「クマが壊したのですかね」警官が尋ねるが、
「いや、この辺にクマはおらん。おるとしたらイノシシだが、イノシシにこんな力はない。近頃は台風も来とらんし、土砂が崩れたわけでもないし、何だろうかねえ」
老人にもこの惨事は理解できないらしい。
残骸を捜索していた警官が何枚かに裂かれたシーツを見つけた。
「ご老人、これに見覚えは?」
「シーツは山小屋の中に置いてあったが、なんでビリビリに破れとるんじゃ?」
さらに別の警官が見つけた。
「これを見てください」
木の板の上に一万円札が二枚落ちている。
「奴が奪ったのは四万円だ。残り二万円があるかもしれない。探してくれ」
その後、警官は老人も含めて四人で、山小屋の残骸を一つずつめくり、積っている枯葉の下まで探してみたが、何も見つからなかった。
「せっかく奪ったお金を置いて行くわけはないから、ここに潜伏していたんじゃないだろう。この二万円の意味は分からんが、他の場所を捜索することにするか」
そう結論付けると、警官たちは老人とともに山を後にした。
二万円は拾得物として、老人が警察に届けることになった。
ボクは牛丼屋で朝定食を食べていた。
隣の席では、体の大きな男が牛うなぎ丼のメガ盛をすごい勢いで食べている。
もう何日も食べてないような感じだ。
テーブルの上に二万円を置き、なぜか、背中にたくさん枯葉を付けている。
枯葉男がボクに話しかけてきた。
「兄さんはフォースを信じるかい?」
急になんだよ、この人。
ボクは言ってやった。
「フォースなんてものがあったら、こんな目に遭いませんよ」
かぶっていた帽子を取って見せた。
頭が包帯でグルグル巻きにされていた。
「何者かに後ろから大きな石で殴られて、四万円も盗られました」
(了)
右京之介
おばあちゃんの家には四畳半の部屋があった。
この山小屋の大きさもそのくらいだろう。
今から二時間前、俺は犯罪者になった。
帰宅途中の若いサラリーマンを背後から石で殴り付けて、金を奪い、ここまで逃げてきたのだ。顔は見られてない。かなり大きな石だったから、おそらく死んでると思う。
いや、もしかしたら、生きてるかもしれない。
だが、生きていたとしても、大ケガをして、頭を包帯でグルグル巻きにされているはずだ。
金に困っていたとはいえ、自分でもヒドいことをしたと思う。しかし、あんな所に、どうぞこれで殴ってやってくださいとばかりに、大きな石が落ちていたことも悪い。
つまり、事件の責任は俺と石ころの半分半分だ。
俺は金を奪うとすぐにこの街を出る予定だった。だが、我ながら、予想以上にデカい事件を起こしたため、気が動転して、あちこち歩き回ったあげく、山の中に逃げ込んだ。
ちょうどいい具合に小さな山小屋があった。おそらく猟師の休憩小屋だろう。中にはシーツが一枚丸めて置いてあるだけだった。今夜はここに泊まることにしよう。
もう外は薄暗い。山狩りするには遅すぎるだろう。といっても、小さな街だ。そんなにたくさんの捜査員も動員できないはずだ。
明日の早朝、山を下りて、さっさと隣町まで逃げてやる。
俺は逃げる途中、自販機で買ったペットボトルのお茶を口にしただけだ。こんな山小屋に逃げ込むとは思わなかったので、食料は買ってない。腹が減って来たが、一晩だから我慢することにして、さっき財布から奪ったお札を数えてみる。
――四万円か。
最近はキャッシュレスが多くて、現金の持ち合わせは少ない。四万円でもいいことにしよう。明日の朝は奮発して、牛うなぎ丼のメガ盛りでも喰うとするか。
翌朝、目を覚ましていると、俺は宙に浮いていた。いや、正確には山小屋が宙に浮いていた。おそらく、地上二十メートル。飛び降りるのは無理だ。
山小屋の中央の床から五十センチほどの一本の太い竹が突き出ていた。こいつが山小屋を持上げて、宙に浮かせているらしい。不安定なツリーハウスみたいだ。
ツリーハウスと言えば、あいみょんが出演している発泡酒のCMに出てきたなぁ。撮影場所は京都なんだよなぁ。行ってみたいなぁなどと、のんきなことを考えている場合ではない。
この奇妙な状況について考えないといけない。
一晩でこんなに成長する竹があるのか?
山小屋を持上げる力がある竹なんか存在するのか?
だが、俺が山小屋ごと浮かんでいるのは事実だ。
窓から飛び降りれないとなると、山小屋ごと下げてやる。
俺はドスンドスンと跳ねた。俺の体重は百キロを越えている。竹は下から上まで幹の太さは同じくらいだろう。だから、山小屋がズルズルと下がってくれないかと期待する。
――ドスン、ドスン。
しばらく飛び跳ねたが下がりそうもない。竹の節に引っかかっているのか、ビクともしない。上下に揺すってもダメなら左右に揺すろう。
俺はわずか四畳半の山小屋の中を走り回った。プロレスラーがロープを利用してリング上を走り回るようにドタバタと走った。
――グワン、グワン。
たった一本の竹の先端で支えられている山小屋は揺れた。だが、下がってくれない。
俺はついにバランスを崩して倒れ込んだ。後頭部をしたたかに打ち付けたが、大事には至らなかった。危ないところだった。この状況で死んだら密室殺人が成立する。
山小屋の揺れは治まったが、俺の息切れと空腹は治まらない。
どうやってここから脱出しようかと頭を悩ませているが、山小屋は浮いても、アイデアは浮かばない。
山小屋はポツンと一軒建っていて、周りの木までは遠い。窓から飛び移るなんてできない。俺はムササビじゃない。モモンガでもない。
山奥のため、スマホの電波は入らないし、大声を上げても森の中じゃ誰にも届かない。フクロウには届くだろうが、奴らじゃ助けてくれない。あたりを燃やせば誰かが気づくだろうが、俺はヘルシー志向の非喫煙者だ。ライターやマッチは持ってない。
隅に丸めてあったシーツを広げてみる。一辺が二メートルくらいの正方形をしている。シーツの四隅を持って、パラシュートのようにフワフワ飛べないか?
無理だ。俺は体重百キロ越えだ。ジブリアニメでも無理な設定だ。
では、ロープが作れないか?
シーツを細く割いて、俺がぶら下がっても大丈夫なくらいの太さに束ねてみたが、出来上がったのは三メートルくらいのものだった。おそらく、ここは地上二十メートル。三メートルをかせいでも、残り十七メートルは落下する。地面に落ち葉が堆積しているが、俺の体重で俺は死ぬかもしれない。自重死だ。みっともない。
では、いったん窓からぶら下がり、勢いをつけて、小屋の真下に伸びている竹に飛び移って、スルスルと地面まで下りるのはどうか?
――できるわけない。
何度も言うが、俺は体重百キロ越えだ。
そんな器用なことができるのなら、今頃、消防士になって、みんなから感謝される人生を送っている。
体を動かすと腹が減るので寝転んで天井を見上げる。しばらく無い知恵を絞っているとき、山小屋がズズッと一気に持ち上がった。竹がさらに成長したのだ。高さは二十メートルから二十五メートルにはなっただろう。山小屋の床から突き出ている竹の先は五十センチほどで変わらない。つまり、竹の先端じゃなく、根っ子の部分が伸びてるんだ。
新種の竹なのか、何かの異常なのか知らないが、なんでこんな急に伸びるんだ?
シャリシャリシャリ…。
俺はいつの間にか眠っていたのだが、この音で目が覚めた。音は山小屋の中からする。俺はグラグラする山小屋の中を探し回り、音源を見つけた。
竹滅虫が竹を喰っていた。
「でかした!」
俺はこの小さなオレンジ色の虫に希望を見つけた。この虫は竹をものすごい勢いで喰う。竹にとっては最悪最凶の害虫だ。つぎつぎに喰っては、つぎつぎにフンをまき散らす。竹藪を瞬く間に更地にしてしまう。すでに竹の一部の表面は削られて、床にフンが積っている。虫が喰っているのは、床から突き出た竹の根元の部分だ。ちょうど床と接触している。このまま喰っていけば、山小屋はバランスを失って落ちるはずだ。
シャリシャリシャリ…。
「よしっ。がんばれ、竹滅虫!」
俺は生まれて初めて昆虫に声援を送り、残り少ないペットボトルのお茶をキャップに入れて、傍らに置いてあげた。
「粗茶でございます。これでも飲んでくつろいでください。健康に良いカテキンも入ってます」
俺がすべてを竹滅虫に任せて窓から下を見渡していたとき、シャリシャリ音が消えた。
急いで竹の元へ行くと、竹滅虫が仰向けに転がっていた。
「ウソだろ。俺の希望が…」
俺は小さなオレンジ色の竹滅虫を指でつまみ上げた。
グシャリとつぶれた。
「これは!? ――抜け殻だ!」
希望がつながった。
竹滅虫は脱皮していたのだ。
そして、ふたたびシャリシャリ音が始まった。
今までよりも大きく、力強い咀嚼音が複数聞こえる。
俺は竹の裏に回った。竹滅虫が七匹に増えていた。
「おお、お父さんとお母さんと子供が五匹か! こんな少子化の世の中に子供が五匹なんて、少子化担当大臣に成り代わって、御礼を申し上げよう。――虫のご家族、ありがとう!」
竹滅虫ファミリーのお陰で、竹の先端が食べられて、山小屋が傾き出した。
ここに来て二日が経っている。もうお茶もほとんどない。そろそろ限界だ。
だが、このペースで竹滅虫ががんばってくれれば助かる。もう少しだ。
「頼みましたよ、竹滅虫一家の皆様! 俺の人生は皆様にかかってますから!」
俺は生まれて初めて昆虫に土下座をして、手を合わせ、命を委ねた。
山小屋は完全に傾き、俺はいつでも脱出できるように、窓のそばでスタンバイしている。おそらく、高さは三十メートルにはなっている。山小屋ごと落下しても、バラバラになって、中にいる俺は助かるか分からない。だが、これに賭けるしかない。他に方法はないんだ。
引き裂いたシーツを頭と体に巻いて、クッション代わりにする。何もないよりかマシだ。ミイラ男のようになったが、かまうものか。フクロウ以外に誰も見てないだろう。
ポケットから、奪った四万円を取り出した。
山小屋の宿泊費とシーツ使用料として、二万円をここに置いておく。
――俺は太っ腹だ。人を殴って奪った金だが。
残りの二万円をポケットに戻す。
「これで牛うなぎ丼をメガ盛で喰ってやる! 絶対に生き延びてやる!」
山小屋はもはやグラグラだが、竹滅虫一家のシャリシャリ音は止まらない。
ここに来て、恐怖が襲ってくる。
俺は本当に助かるのか?
枯葉が堆積しているとはいえ、このまま落ちたら死んでしまうかもしれない。
こんな山の中で、一人寂しく死にたくない。
茶色い枯葉に埋もれて、くたばりたくない。
でも、やるしかない。
何とか、かすり傷くらいで済まないものか。
何とか、奇跡は起きないものか。
こんなときは、どういう“おまじない”をあげればいいんだ?
――ああそうだ! あれがあった。
俺は根っからの悪人だ。
ダークサイドの人間だ。
社会に迷惑ばかりかけている。
生きる価値はないかもしれない。
それでも言いたい。
「フォースと共にあれ!」
山小屋が傾き、落下を始めた。
「へえ、あの辺りです」
一人の老人が三人の警官を連れて山を登って来た。強盗事件があって、犯人が山に逃げ込んだかもしれないと言われたため、道案内をしてきたのである。
「この山で夜露をしのげるとしたら、猟師小屋しかありませんので」
「そこには何が置いてあるのですか?」警官が訊く。
「いや、何もないです。ちょっくら休憩する程度の小さい山小屋ですから。――それよりも、金を奪われたお方は死んじまったのですか?」
「頭を殴られたのですが、命に別状はありません。頭は包帯でグルグル巻きですけどね」
「そうですか。そいつはよかった。――あれ…?」
老人が立ち止まった。
「どうされました?」
「山小屋がバラバラになっとる」
山小屋の屋根やら扉などの残骸が、枯葉の上に散乱していた。竹は竹滅虫一家が完食して跡形もないが、警官たちには知る由もない。
「クマが壊したのですかね」警官が尋ねるが、
「いや、この辺にクマはおらん。おるとしたらイノシシだが、イノシシにこんな力はない。近頃は台風も来とらんし、土砂が崩れたわけでもないし、何だろうかねえ」
老人にもこの惨事は理解できないらしい。
残骸を捜索していた警官が何枚かに裂かれたシーツを見つけた。
「ご老人、これに見覚えは?」
「シーツは山小屋の中に置いてあったが、なんでビリビリに破れとるんじゃ?」
さらに別の警官が見つけた。
「これを見てください」
木の板の上に一万円札が二枚落ちている。
「奴が奪ったのは四万円だ。残り二万円があるかもしれない。探してくれ」
その後、警官は老人も含めて四人で、山小屋の残骸を一つずつめくり、積っている枯葉の下まで探してみたが、何も見つからなかった。
「せっかく奪ったお金を置いて行くわけはないから、ここに潜伏していたんじゃないだろう。この二万円の意味は分からんが、他の場所を捜索することにするか」
そう結論付けると、警官たちは老人とともに山を後にした。
二万円は拾得物として、老人が警察に届けることになった。
ボクは牛丼屋で朝定食を食べていた。
隣の席では、体の大きな男が牛うなぎ丼のメガ盛をすごい勢いで食べている。
もう何日も食べてないような感じだ。
テーブルの上に二万円を置き、なぜか、背中にたくさん枯葉を付けている。
枯葉男がボクに話しかけてきた。
「兄さんはフォースを信じるかい?」
急になんだよ、この人。
ボクは言ってやった。
「フォースなんてものがあったら、こんな目に遭いませんよ」
かぶっていた帽子を取って見せた。
頭が包帯でグルグル巻きにされていた。
「何者かに後ろから大きな石で殴られて、四万円も盗られました」
(了)
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
1
この作品は感想を受け付けておりません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる