遷都決戦~京都VS東京~

右京之介

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遷都決戦~京都VS東京~  「後編」

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~前編からのつづき~

数日後、高辻知子副知事は京都の洛北にある寺の前でたたずんでいた。紺色のスーツ姿で手には小さなバッグを持っている。
小さな林に囲まれた、山門が今にも崩れそうな古寺である。立派な樹木も数本立っているが、手入れがされておらず、枝葉が伸び放題のため、山門から見渡す境内は薄暗い。
しかし、廃寺ではない。物好きな住職が一人でこの寺を守っているという。といっても、まともに掃除もされていないようで、境内には落ち葉が散ったままの状態で放置してあり、石畳もあちこちが割れて、伽藍も傾き、倒れそうになっている。
こんなお寺にも檀家が存在するのだろうか。墓地はなさそうだし、隣接する駐車場や幼稚園などもないため、副業の収入はなさそうだ。どうやって収入を得ているのかは分からない。
高辻は山門を見上げた。
長年雨風にさらされていたためか、木製の板に書かれている寺の名前はほとんど読めなくなっている。せめて寺の名前が分かるように、扁額を新しくすべきだと思うのだが、新調する資金がないのかもしれない。
誰も訪れる人がいなさそうだが、住職は霞を食べて生きているわけではなかろう。もしかしたら、寺の敷地のどこかに田畑を持っていて、自給自足の生活をしているのかもしれない。
まさか、人を喰らうような妖怪は出てこないだろう。
高辻は山門を見上げたまま、赤い眼鏡を右手でグイッと引き上げて気合を入れると、思い切って、不気味な寺の中へと足を踏み入れた。

山門を抜けて、数か所石畳がめくれ上がっている参道を、何か飛び出して来ないかと左右を警戒しながら早足で歩き、ようやく本堂の前に来た。
電気はついていて、人が住んでいる感はある。無人ということはなさそうだ。事前に調べた限りでは、第何代目かの住職がいるはずだ。
中を覗くと薄暗い中に、紺色の作務衣を着た太り気味の僧が背を向けて寝転がっていた。本尊の前だというのに長々と寝そべっている。バチは当たらないのか?
すぐそばで小さな火鉢が燃えている。寒くはないのだろうかと思ったが、よく見ると作務衣の下には黒いとっくりのセーターを着込んでいるようだ。太い首を包んでいるのが見える。
気配を感じてか、こちらに顔だけを向けて、「ああ?」と言った。何の用かと訊いているらしい。昼寝を邪魔されて機嫌が悪いのか、もともとグータラなのか。髪は剃っているが髭を生やしていた。これでも住職のようだ。妖怪じゃなくてよかった。いや、妖怪と変わらないか。
しかし、こちらの人相を確認すると、
「これはこれは副知事さんじゃないですか。どうされたのかな?」
意外と人懐っこい笑顔で訊いてきた。面識はないが、新聞に載った写真か議会のテレビ中継でも見て、トレードマークである赤い眼鏡をかけたこの顔を知っていたのだろう。
「狩部寺のご住職さんですね?」高辻は念のために訊いてみる。
「そうでござる」寝ころんだまま答える。
「相談があって参りました」
「ほう、京都府ナンバー2である副知事がこんな山奥の寂れた寺の、こんな年老いた坊主に何の用かな? 最初に言っておくが、見ての通り、金はないぞ。ヒマはあるがな」
 先ほどから、寝そべったままの格好で話している。
「お金の無心や寄付の依頼ではありません。――まずは、ご本堂に上がらせてもらってもよろしいですか? それともここは女人禁制ですか?」
「そんな堅いことは言わんでもよい。老若男女、犬でも猫でもイタチでも出入りは自由。たとえ犯罪者でもかまわんよ」
「犯罪者を泊めて、かくまうのですか?」
「そうです。――隙を見て警察に通報するがね。通報は国民の義務じゃからの」

 副知事は赤いハイヒールをそろえて、薄暗い本堂に上がる。正面には小さな仏像が安置されていて、果物のお供え物が少し置いてあり、お線香の香りが漂っている。ということは、住職としての最低限のお勤めはしているのだろう。
火鉢がつけてあるとはいえ、かなり寒い。古い本堂とはいえ、昔からの建物だ。天井は高く、かなり広い。小さな火鉢で建物全体を温めるのは不可能だろう。
それに拭き掃除をしていないのか、床は埃っぽい。数歩、歩いただけなのに、足の裏は真っ黒になっていることだろう。
ああ、せっかく新しいストッキングを履いてきたのになあ。
住職は客人が上がり込んできたため、さすがに、よっこらしょと言って重そうな体を起こし、茶でも出すかなと言って、のそっと立ち上がった。いいえ、おかまいなくと言ったが、住職は聞かずに大きな体を揺すって、ドカドカと奥に入って行った。
あの体型なら寒くないのかもしれないわね。

 古びたぺしゃんこの座布団に座って向かい合った二人がお互いにお茶を一口飲んだところで、高辻副知事が汚れて、埃だらけになって寒々としている本堂の中を見渡して言った。
「ご住職、金は欲しくありませんか?」
「はあ? 副知事殿、わしはこう見えても坊主ですよ。金銭欲、食欲、性欲、名誉欲、権力欲の五大欲望を始めとする欲は大敵なんですよ。何のために髪を剃り上げ、出家したと思うておられるのか。面と向かって欲の話なんぞしてもらうのはご法度です。さっさとここから立ち去っていただきたい!」大きな声が本堂に響く。
「――えっ!?」
「……などと他の坊主に言われて、ここに来たのであろう」
「あっ、いえ、違います。このお寺が初めてで、お願いするのもご住職が初めてです」
「ほう、これは面妖な。では、話を聞かせていただきましょうか」
「えっ、よろしいのですか? 只今、ご法度と言われた欲に関するお話ですけど……」
 高辻は一瞬何を言われたのか分からなかったが、すぐに冷静さを取り戻した。
「かまわんよ。見ての通りの破戒僧だ。金なら欲しい。いくらでも欲しいわ。喉から手が出るほどにな。はっはっは」
 住職は副知事を騙すのに成功してうれしいのか、大きな口を開けて笑った。

 副知事はまずこの話が大原知事を始めとする京都府の幹部連中との話し合いの上で決定したことを告げ、自分が知事から全権を委ねられて、ここに参上したことを説明した。
そして、その内容とは……。
高辻は赤い眼鏡を右手でグイッと引き上げながら言った。
「ご住職の力で東京都知事を呪い殺していただきたい」
 赤い眼鏡の奥の目は住職の目を捉えて離さない。

 これにはさすがの破戒僧も驚いた。
先ほどの話に出てきた犯罪者ならともかく、この方の職業は副知事である。性別は女性である。職業や性別で人を差別してはいけないが、大人しそうで、気品のある、常識もあるであろうご婦人の口から人殺しの話が出てくるとは、思いもよらなかったからだ。
 まさか、わしをからかっておるのか?
 さっきは副知事をからかったが、意趣返しをされておるのか?
 しかし、赤眼鏡の奥の目は真剣じゃのう。
 いったいどういうことかの?
「これが謝礼の金です」
高辻はバッグから小さな風呂敷包みを取り出した。風呂敷を解くと、中からプラスチックのケースが出てきた。そのフタを開けると、金がぎゅうぎゅうに詰めてあった。
「これはどうなされたのですか?」住職が驚いて訊く。
こんなに大量の金を見たことがなかったからである。
「金閣寺から削り取ってきました」
「なんと! それは金閣寺側の了承を得ておられるのかな?」
「いいえ。私が勝手に削りました」
「いやいや、まあ、しかし……」さすがの破戒僧も動揺を隠せない。目が本堂の中を泳ぐ。
「心配ご無用です」副知事は冷静に説明を始める。「誰にも見つからず、あちこちの壁や柱や手すりから少しずつ削りましたし、削った跡には金色の色紙をちぎって糊で貼っておきました。パッと見ただけでは分かりません。それに、金閣寺の金箔は全部で二十キロほどありますから、少しくらい減っても平気です」
「いやいや、副知事が平気でも……。平気というのは副知事の主観であって……」住職は言葉に詰まる。「あのう、ちょっと副知事殿、あなたは正気でござるか?」
女泥棒が破戒僧に殺人の依頼に来たというのか?
どう考えてもおかしい。こんなことが許されるのなら、神も仏も無いではないか。
「副知事殿。気持ちを落ち着かせるため、酒でも飲むかね? 自家製のうまいどぶろくがあるのだが……」
 そうか、どぶろくを作って売ってるのか。
それで生活してるのかと高辻は得心がいったが、
「いいえ、私は常に正気です。それに下戸です」と言って、大量の金箔を固めた金の塊が詰まったプラスチックケースを、埃だらけの床にツツッーと滑らせて、住職の目の前に持って来る。
「ご住職。どうぞ、お納めください。私が危険を顧みず、金閣寺からかっぱらって来た金塊です」
 住職は狼狽しながら思う。
この光景はわしの好きな時代劇で見たことがあるぞ。
ならば、わしは……。
「悪代官になった気分じゃ」
 住職は高辻と向かい合いながらも、目の前にある金塊の入ったケースをチラチラ見ている。そして、頭の中で皮算用をしている。
自家製のどぶろくを近所の人たちに売ることで糊口をしのいでいる身からすると、非常に魅力的な金塊である。これだけあればいろいろなことに使える。雨漏りも直せる。灯篭も新調できる。石屋を呼んで石畳の交換もしてもらえる。植木屋を呼んで、生い茂った木も伐採してもらえる。秋口から溜まっている落葉の清掃も頼める。金相場などとは無縁のため、いくらの価値があるのか分からないが、思い切って、新しい仏像を彫ってもらこともできよう。
おそらく、金塊は本物だろう。まさか副知事殿とあろうお方がウソを吐くはずはなかろう。わしをたぶらかしたところで一円にもならんからな。本当に金閣寺から削り取ってきた金に違いない。ちょっと触って、確かめたい気もするが、いや、どうせならケースごと手に持って、重さを確かめたい気もするが、はしたないからやめておこう。これでも坊主だ。
住職の頭の中は混乱している。
こんな生臭坊主に、京都府の重鎮が突然高価な手土産を持参して来て、いったい何を要求しているのか、まだはっきりしないからだ。それに破戒僧と言えども、少しばかりの良心は残っている。
具体的な内容を訊いてから、返事をすることにするか。それが一番現実的だ。
「副知事殿。返事を致す前に、一つお尋ねしたい。都知事を呪い殺せだの、金塊を納めろだのと、そんな恐ろしい頼み事をなぜこんな生臭坊主の元へ持って来られたのかな?」
 住職は赤眼鏡の奥の鋭い目を見つめた。

 高辻副知事は京都の各地に存在するたくさんのお寺の何らかの力を借りて、東京を追い詰めようと考えた。東京を追い込むには、もはやお寺の力しか残ってなかったからである。
そのためには資金が必要だったのだが、幾度もの大作戦を決行したため、もはや京都府の予算は尽きかけようとしていた。
そこで、高辻はさんざん頭を巡らせて、どこからか強奪するしかないと結論付けたのである。
さて、どこから奪い取るか? 
まさか、銀行強盗はできない。詐欺なんかをやってる時間はない。株の運用もしかり。
ならば、お寺の力を借りようとしているのだから、資金もお寺からもらったらいいのではないかと、突然ひらめいたのである。おそらく仏のご加護があったに違いないと確信した。
では、どこのお寺にするか? どこがお金を持っていそうか?
真っ先に思い浮かんだのは、雪の中でキラキラと輝く金閣寺の姿だった。
その日、文房具屋で大量の金色の色紙と糊を購入すると、高辻は単身、金閣寺に観光客を装って入り込み、一日がかりで金を剥がしやすい場所を見つけ出し、誰も見ていないタイミングを見計らって、十分ともいえる金を調達したのである。
なんといっても金閣寺の金箔は紫外線による劣化を防ぐため、普通の金箔の約5倍の厚さなのである。かなりの価値になるはずである。
あれから数日間経過しているが、何らニュースになってないところから、金閣寺の関係者も金が剥がされたことに、まだ気づいてないのだろう。
もっとも、すぐに分かるような場所からではなく、こんな所にも金が塗られているのかというような場所からいただいて来たのである。よほどマニアックな観光客でないと目を付けない場所である。気付いてなくて当然である。しかも、上からは金色の色紙を貼り付けて、カムフラージュしてあるのだから、すぐには見つからないはずだ。
もしかしたら、金閣寺全体の金箔の貼り替え工事が行われる日まで見つからないかもしれない。その日が来る頃、私はもうこの世にはいないだろう。完全犯罪の成立である。
この非合法行為も大原知事を始めとするメンバー全員の了承を得ている。当初、このアイデアを提案したときには、驚かれ、反対もされたのだが、もはや、首都奪還のためなら平気で法律を破るところまで、京都は追い込まれていたため、このやり方しかないと結論付けられたのである。
我々の代で何とか首都奪回という悲願を達成したいと、メンバーの誰もが願っていた。
そして、その願いを充分に受け止めた高辻が、京都の神社仏閣についていろいろと調べていくうちに、この古寺の存在と恐るべき念力の存在を知ったのである。

 高辻は赤眼鏡の奥に光る目で、住職の目を、穴よ開けとばかりに凝視する。
「この狩部寺には代々伝わる奇妙なお経があると聞いています。そのお経は人を呪い殺せるくらいの力を有していると。そして現在、そのお経が読めるのはご住職だけだと……」
「ちょっと待ってください!」住職が驚いて腰を浮かそうとする。「それは一子相伝であり、そのお経は門外不出の秘術のはず! どこでお知りになられたのか!?」
「児童図書館で調べました」副知事は平然と言う。
「うーん、最近の子供は恐ろしい」住職は呆れて腰を下ろす。
「引き受けてくださいますよね」当然の如く言う。
「それは……、その……」言葉に詰まる。
「何が問題ですか?」平然と訊く。
「確かに、その奇妙なお経はこの寺に存在します。そして、そのお経の恐ろしさは代々、伝え聞いております。嘘も隠しもしません。しかし、実際に効果があるのかは分かりません。伝聞に過ぎないからです。なにぶん、いついつにだれだれを呪い殺しましたなどと寺の記録には残せません。ゆえに、住職である私にも詳しくは分からないのです」
住職は打って変わって真剣に説明してくれる。本尊の前で寝そべって、「ああ?」と言っていた人物と同じ人物とは思えない。
「児童図書館で調べましたところでは、念が強いお坊さんが読むと効果を発揮するお経だということでしたが」
「そんなことまで分かってますのか!」住職の目が見開く。
「はい。失礼ですが、ご住職にはかなりの金銭欲がおありのようです。その欲望は念力に通じるのではないでしょうか? 欲が強いと念も強いのではないでしょうか?」
高辻は痛い所を突いて来る。
「うむむむ。――確かに、私の念は強いと思います。しかし、念力で人が殺せるかというと、それは保証できません。そのお経はそういった類のお経だとの言い伝えはありますが、今の世の中に通用しますかどうか」
「いいえ、やっていただきます。京都府知事の命令とお受け取りください。金閣寺からこれだけの金箔を削り取ったのですから、もう後には引けません。それとも、金が足りませんか?」今度は高辻が腰を浮かせ、赤眼鏡を指でずり上げながら、迫って来る。
「いやいや、そういうわけでは……」住職は高辻の攻撃を避けようと身を反らす。
「ご住職はこの私にもっと金を削って来いとおっしゃるのですか? 金閣寺が閣寺になるまで金を削れとおっしゃるのですか? それとも銀閣寺の銀までご入用ですか? 銀閣寺が閣寺になるまで銀を削れとおっしゃるのですか?」
 高辻副知事はついに立ち上がった。仁王像のように住職を見下ろす。恐ろしい形相だ。
「いやいや、そう言う意味ではなく……」住職はしだいに後退りする。
 高辻はあと一歩で住職が落とせると読んだ。
 自分の地位をひけらかしたくないが、致し方ない。これも京都の未来のためだ。
「ご住職! 私は大原知事から全権委任された天下の副知事ですよ!」
 本堂に響き渡るほどの声で叫び、目の前に身分証明書をかざした。
 後退りしていた住職が止まった。
「いやいや、身分を疑っていたわけではござらん。わしの目の前で揺れている身分証明書を仕舞ってくだされ。――結果が出なければ、私の命が危ないのではないか。そういう心配が頭をよぎったもので……」
 住職は目前で仁王立ちをしている、仁王よりも怖そうな副知事を見上げた。
ああ、わしはきっとこの女に殺される。そこまでやる女だ。金閣寺から金を強奪した女だ。生臭坊主の一人や二人を殺すことくらいは屁の河童だろう。大原知事から全権委任されているとうことは組織ぐるみの犯罪だ。わしの死は世間に隠蔽されるだろう。
住職であるわしがこの寺で頓死したら、誰がお経を読んでくれるのだ?
お経も読まれることもなく、その辺に埋められてしまうのか。
確かに寺には死体を埋める場所がたくさんあるぞ。
死体が埋まってても警察は驚かんぞ。
 ふたたび腰を下ろして、正座をした高辻が静かに告げる。
「ご住職のお命ですか? それは大丈夫です」
高辻が元のやさしげな表情に戻ったのを認めて、住職が座ったまま、そっと近づいて来た。汚い床の上を行って戻って来たのだから、作務衣のお尻は真っ黒だろう。
「ご住職のお命も、このお寺の存続も大原知事の名において保証いたします。将来、ご住職にはまた何かをお願いするときが来るかもしれませんから、廃寺にするわけにはいきません」きっぱりと約束してくれる。
「できれば、これが最初で最後のお願いとしていただきたいが……」
お尻が真っ黒の住職は涙目で訴えた。
いつしか、火鉢の火が消えそうにまで小さくなっていた。

 住職は金箔が詰まって金塊と化したズシリと重いプラスチックケースを手に立ち上がった。ずっと目の前に置かれたきりで、お預けをくらっていたものだ。
おお、たしかに重い。こりゃ本物だ。この重さを全身で感じてみたかったのよ。
しだいにニヤケてくる顔を隠すように、蜘蛛の巣の張った染みだらけの天井を見上げた。
 まずは大きな車を買おうかな。アメリカ車がいいかなあ。いや、イタリア車かな。
 先ほどは金塊を灯篭や石畳や樹木など、寺のために使おうとしていたのだが、いざ、こうして現実味を帯びてくると、どうしても自分のことに使いたくなる。
 坊主として捨てたはずの欲望がこんなに残っておったとは、自分でも驚きじゃ。
欲望を前にすると、人間は賢明にも愚かにもなるものじゃ。――ああ、わしは愚かじゃ。
しかし、ここまで来ると、バチなんぞ何も怖くはないわ。
仏に会っては仏を殺しと言うではないか。深い意味があったはずじゃが、はて忘れてしもうたわい。――それよりも金塊の使い道じゃ。
「ご住職?」高辻が呼んでいる。
焼肉が喰いたいなあ。寿司もいいなあ。フグにするかなあ。いつもどぶろくだから、たまには高級ワインを飲みたいなあ。
住職の妄想が止まらない。
「ご住職?」まだ呼んでいる。
 海外旅行もいいなあ。やっぱり、ハワイだな。憧れのハワイ航路だ。歌は好きだし、映画も見たし、美空ひばりはよかったなあ。
「ご住職?」しつこく呼んでいる。
ハワイの民族舞踊は何と言ったか? 美しいお嬢さんと一緒に踊ってみたいものだなあ。さっそく練習しないとなあ。あの舞踊の名前は……? そうだ。フラダンスだ!
「ご住職?」
「はい?」
「やれますね?」
「フラダンスの練習はやれますよ!」
 住職は両手で金塊を持って、お尻をフリフリした。
 お尻からハラハラと埃が落ちた。
 坊主としての誇りはすでに落ちていた。

 某月某日。陽が落ちた狩部寺の境内。
樹木は整えられ、落葉はきれいになくなり、掃き清められ、立派な護摩壇が設置されている。
ちゃんと法衣をまとった住職が、炎が昇る護摩壇の前に座っている。問題のお経は隠すことなく、経堂の棚に置いてあった。盗んだところで大した価値はない。本当に効果があるのかどうかも分らないのだから。
しかし、副知事はやれという。謝礼もたんまりといただいた。
前日まで住職はこの恐ろしいお経を読む練習を何度も重ねて来た。破戒僧にしては真面目である。さらに真面目なことに法衣は新しく新調されており、髭も剃ってツルツルの顔になっていた。当然ながらこの日まで断酒を行っている。
――正真正銘の本物の坊主である。
 遠くから高辻がその様子を写そうと、カメラをかまえている。あまりの住職の変わりように驚きながら。――やればできるね、住職。
住職はチラッと目を向ける。
副知事はわしのことが信用できないというのか?
まあ、信用できないだろうな。信用する方がおかしいわい。
さて、この難解なお経だが……。
 呪い殺せと言われても、効果なんかあるわけない。人なんか殺したら成仏できん。虫一匹も殺さないようにする。それが仏教だ。せいぜい、ちょっとしたバチが当たる程度だろう。それに、いつしか尾ひれや背びれが付いて人を殺せるお経となったに違いない。
しかし、形だけでもちゃんとやっておこう。やって効果がなかったとしても、わしのせいではない。お経のせいだ。恐ろしいお経だと代々伝えて来た住職のせいだ。そう言って副知事には言い訳をしよう。お布施は山ほど戴いた。もちろん、効果がなかったと難癖をつけられても、びた一文返さん。そういう約束をして、このご祈祷に保険をかけておいた。 
そもそもこんなお経を信じる副知事にも責任がある。お経を読む側から言うことではないが。
この寒い中、難解なお経を読むのは困難なことだ。寒くて口が回らんし、護摩壇から上がる煙が目に染みるし、咳き込むし、おまけに腹も減る。
しかし、この後には外車が待っている。焼肉が待っている。ワインが待っている。ハワイが待っている。それに、フラダンスが待っている。♪アロハオエ~。
辛い時には、その先の楽しいことを想像するのが一番だ。
そういう教えを元に修行をしてきたのだ。
たぶん、このお経の中には書いてない事だろうが。
「よっしゃ、やるかー!」住職は体中に気合を入れた。
 その大きな声は護摩壇の炎を揺らし、境内に響き渡り、高辻を感動させた。
五大欲望なんぞクソ喰らえじゃあ!
こちとら、年季の入った破戒僧よ!
見ておれ、仏どもよ!

護摩壇の炎が最大限に燃え上がった。住職はその恐ろしいお経を読み上げるとともに、東京都知事と首都死守特別室のメンバーの名前が書かれた護摩木を次々と炎の中に放り込みはじめた。
パチパチと燃える護摩木の音と、住職の厳かな読経の声と、高辻が写すカメラのシャッターの音が狭い境内で混ざり合う。
護摩木を焼き尽くす大量の火の粉と煙が、まるで踊るように、暗い空へと舞い上がって行く。
 高辻副知事はカメラをかまえたまま、炎の熱気と煙を避けつつ、声を張り上げている住職の後ろに回り込んだ。擦り切れそうな紺色の作務衣を着ていた住職だったが、今は豪華な金襴の袈裟を身にまとい、闇夜にくっきりと、その姿を浮かび上がらせている。
その背中をファインダー越しに見た副知事は、なんと頼もしい住職なんだろうと見直す。果てしなき欲望から発する住職の強烈な念力に賭けたのは間違いでなかった。
門外不出の秘術であるお経は本物だったに違いない。
きっと恐ろしい結果となって現れるだろう。
首都奪回メンバーにいい報告ができる。――高辻副知事はそう確信した。

 住職の上げるお経が境内に朗々と響く。その声に反応したかのように木々が揺れる。
炎は最高点にまで到達し、護摩木が炭化し、最後にポンと爆ぜる。
遠くから高辻が見つめている。
 住職自身は半信半疑のようだったが、このお経はきっと効果がある。 
 これで東京都知事も首都死守特別室のメンバーも呪い殺すことができる。
 指導者がいなくなった東京はもぬけの殻も同然だ。
 すべての都道府県からの信用は失墜し、東京は地に落ちる。
 このとき、這い上るのは京都だ。
そして、首都が京都に戻る。長年の悲願が成就する。
 高辻副知事はファインダーを覗いたままニタリと笑った。

 ナムナム、ナムナム、ナムナム……。
ナムナム、ナムナム、ナムナム……。
ナムナム、ナムナム、ナムナム……。
 やがて、お経は止んだ。
護摩壇の炎は消えた。
煙がくすぶっているだけとなった。
騒いでいた木々も静かになった。
境内はふたたび闇と静寂に包まれた。
高辻知子副知事は帰り道で見つけた公衆電話から大原知事に電話をかけた。
「只今、“お経ナムナム大作戦”が無事に終了いたしました」

 京都が今まで東京に仕掛けた大作戦は以下の七つであった。
“買い占めウハウハ大作戦”、 “風船ビラぷかぷか大作戦”、“生ゴミ放置クサクサ大作戦”、
“停電まっくらくら大作戦”、“投書カキカキ大作戦”、“女性議員イチャイチャ大作戦”、そして、神仏も思わず逃げ出す“お経ナムナム大作戦”である。

 それから、一週間が経過した。
東京の渋谷知事は存命であった。
数日前、京都の高辻副知事から渋谷知事宛てに数枚の写真が送られてきた。首都死守特別室のメンバー表を送ったことに対する意趣返しだと分かったが、写真の意味が分からない。
何やら寺の境内で護摩壇を設け、護摩木を焚いている。
――いったい何を祈っているのか?
その答えは昨日になって判明した。首都死守特別室のメンバー十人のうち、五人が体調不良で入院したからだ。幸い命に別状はないが、祈祷内容は想像できた。
――呪っていたのである。
 渋谷知事は首都死守特別室の解散を命じ、しばらく様子を見ることにした。これ以上、東京都のブレーンに被害者を出すわけにはいかなかったからであり、呪術まで駆使してくる古都京都があまりにも不気味だったからである。
知事自身も少なからず恐怖を覚えた。中年期を越えたとはいえ、体力には自信がある。いきなりかかってこられたとしても、四、五人くらいの相手はできる。しかし、それはあくまでも相手が見えているからだ。呪術などという見えない敵にどう立ち向かえばいいのか?  
その答えは出ない。
京都に意識を向けていると、突然、胸に痛みを感じはじめた。
まさか、この私にまで……?
手に持っていたご祈祷の写真が床に散らばった。
渋谷は胸を押さえながら天井を見上げた。
知事室の高い天井がグルグルと回っていた。

その後、京都からも東京からも何かを仕掛けることはなく、お互い様子見の状態が続いた。
京都と東京はどちらも疲弊していたため、この休戦状態はお互いに歓迎であった。
しかし、この休戦は長く続いた。
お互いの知事も副知事も職員たちも二代変わるくらいに長く……。

~そして、月日は流れた~

六十年後の二〇二二年。
京都府と東京都の戦いはまだ続いていた。
それは応仁の乱の十一年間よりもはるかに長かった。

“首都奪回特別室”と呼ばれている部屋に八人が集まっていた。
「只今から第千八百十二回首都奪回会議を行います」
 議長役の京都府副知事の高辻アヤカがあえてマイクを使わず、小さな声で宣言をした。これは京都府庁の中でもごく一部の人間しか知らされていない極秘会議であり、部外者に聞かれてはならないからである。
場所は四条河原町を上がり西に入ったところにある駄菓子屋の奥にある部屋である。まさか、こんなところで京都の、いや、日本の明日を決定するような重大な会議が行われていようとは誰も思わないだろう。そこが盲点である。それでも念のため、小型の防犯カメラがあちこちに設置されている。
以前は知事室の奥にあったのだが、京都府庁を建て替えたときに、こちらへ移転された。当然ながら、この部屋の存在を知る職員は少なく、ごく一部の人間しか知らされていない。敵を欺くにはまず味方からというわけである。
何の変哲もない駄菓子屋はカムフラージュである。店番をしているおばあさんは京都府庁とは何の関係もなく、詳しい事情は教えてない。つまり、おばあさんを拷問にかけても何の情報も出てこないということである。会議のたびに膨大な量の駄菓子を買うことで、この部屋と会議のことを誰にも話さない約束になっていた。
顔中シワだらけのおばあさんはちゃんと約束を守って、今日もニコニコしながら、お小遣いを握りしめながらやって来る子供たちの相手をしている。
出席者は京都府知事の大原大地。副知事の高辻アヤカ。京都市長の寺町浩一郎。助役の姉小路舞の幹部職員が四名。及び、京都府庁から選抜された北山、錦、出水、日暮の男性職員が四名。合計八名が京都へ首都を奪回するために選ばれた少数精鋭メンバーであった。

「続いて次の議題に移ります。前回の会議で日本の首都について、若い人の話が聞きたいという意見が出ました。そこで今回は学生さんを二人呼んでおります。――どうぞお入りください」
高辻アヤカ副知事が外に向けて声をかけた。
 二人の女子高校生が何も遠慮することなく、ずかずかと部屋に入って来た。二人とも茶髪で、ブレザーの制服を着ていて、小さなぬいぐるみを付けたカバンを持っている。背格好は似ているが姉妹ではないらしい。
「今回、貴重なご意見を提供していただく、高校生の大宮陽菜さんと川端美咲さんをお招きいたしました。どうぞ、こちらにお座りくださいませ」と高辻アヤカ副知事が空いている二つの席をすすめる。「座ったままでけっこうですので、簡単な自己紹介からお願いいたします。その後は忌憚のない意見を述べてください」
 高辻は、女子高生相手にちょっと堅すぎたかと思ったが、そのままスルーする。

 二人は顔を見合わせて順番を決めたらしく、一人の子が発言する。
「大宮陽菜です。清水寺高校三年生です。よろしくお願いします」と軽く頭を下げる。
出席者も全員軽く頭を下げる。
「私の意見ですけど、日本の首都ですか? そんなの、どこでもいいと思います」
首都奪回メンバーが固まる。顔はひきつる。一部はズッコケる。
我に返った府庁職員の北山があわててとりなす。
「いや、しかし、もともと京都が首都だったわけですから……」
「えっ、そうなんですか!?」陽菜は驚いて、隣の美咲を見る。「知ってた?」
「知らん」
「ヤバくね」
「超ヤバいね」
「ずっと東京だと思ってた」
「昔の首都は富士山だと思ってた」
 北山は気を取り直して訊いてみる。
「日本史の授業で習ってませんか? 今はどの時代を学んでますか?」
「縄文時代です。土偶は超かわいいですけど、土器は汚いです。触りたくないです。来週からは弥生時代に突入します。あっ、友達に弥生って子がいます。八月生まれだったかなあ」
「おそらく三月だと思いますよ。弥生時代でしたら、まだ首都は出てきませんね」ふたたび気を取り直す。「ほら、京都には天皇様のお住まいだった京都御所もあるでしょう?」
「御所? 天皇様のお住まい? えー、行ったことないです。大きめの公園だと思ってました。――ねえ、美咲」
「そうそう、私も。デカい公園にしては、なんでブランコとかジェットコースターがないのだろうって、子供の頃から思ってました。長年の謎が今、解決しました」
「あのね、キミたち」北山は戸惑いながら質問を続ける。「京都には名所旧跡がたくさんあるでしょう?」
「えー、面倒くさいので行きたくないです。ねえ、美咲」
「そうそう、超かったるい」
首都奪回メンバー全員が予想外の展開に驚いている。
北山はがんばって続ける。手を握り締めて、怒りを沈めている。
「ほら、京都には伝統ある文化もありますからね」
「文化って、たとえば何ですか?」
「着物とかね」
「着物ですか? 着るのが超大変そう。でも成人式には着たいです。それと結婚式にも着たいです」
「そうでしょう、そうでしょう」北山はうれしそうだ。
「でも、着るのは一生のうち二回だけで、レンタルで十分です」
 北山はがっかりする。だが、くじけない。
「食文化はいかがですか。京都のお茶やお漬物はおいしいですよ」
「それって、映えますか?」
「バエますか?」
「スマホでキレイな写真が撮れるかどうかです」
「あー、はいはい、お茶もお漬物もキレイですよ。普段はどういうものを食べてますか?」
「マクドとミスドと駄菓子です。あっ、表の駄菓子屋さんはうちらの行きつけです。かわいいおばあちゃんが一人でやってます。うちはカリカリ梅が好きです」
 それは知ってる。おばあちゃんは我々の協力者だ。
「そうですか。――では、もう一人の方の意見を聞かせてくれますか?」
 北山はこれ以上、大宮陽菜と話しても時間の無駄だと思い、もう一人の子に尋ねることにした。他のメンバーもホッとした様子だ。

 川端美咲が「よろしくお願いします」と頭を下げる。
「同じく清水寺高校三年生です。私も陽菜と同じで、日本の首都はどこでもいいと思います」
 また北山はがっかりする。またメンバーは呆れ返る。
 もしかしたら、さっきの大宮陽菜と変わらないのか?
 親しい友人同士だから、その可能性は高い。
今度は少し違う角度から聞いてみることにする。
「これから先、どうなるかは分かりませんが、もしも京都が首都になったら、これまで以上に外国の方が来られるから、しっかり英語の勉強をしておかなければなりませんよ。――川端美咲さん、いかがでしょうか?」
「英語ですか? 別にいらないと思いますが」川端がブスッと答える。
「えっ? しかしね、外国人に道を訊かれるかもしれないし」驚く北山。
「今どき、どこの国の人でも旅行するときはGPS機能が付いて、地図アプリが入ったスマホを持ってるから、道なんか訊かれませんよ」当然のように答える。
「いや、その。道じゃなくても、何か話しかけられるかもしれませんよ」焦る北山。
「AI翻訳機がありますよ。めっちゃ性能はいいのに、安いですよ。――ねえ、陽菜」
「そう。三万円も出せばいいのが買えますよ」おじさん、何も分かってないねという顔をする。
「ちょっと性能は落ちるけど、スマホアプリもあるし」美咲が追い打ちをかける。
「しかし、国際化された社会が来ると言われてますからね」それでも北山は負けない。
「あっ、それは私のおばあちゃんが言ってました!」美咲が答える。
「そうでしょう、そうでしょう」北山うれしそう。
「六十年前に先生からそんな社会が来るって言われたけど、全然来ないって、おばあちゃんがぼやいてました。だから、もう来ないんじゃないですか。なんすか、国際化された社会って」
「……」北山は声も出ない。メンバーも無言を貫く。
 期待した川端美咲も、大宮陽菜と同じような生徒だったからだ。

 その後もいくつかの質問にテキトーに答えた後、二人の女子高生はお礼の図書カードを受け取り、ありがとうございましたと返事だけは丁寧に言って、さっさと帰って行った。
二人は駄菓子屋の奥から、おばあちゃんに挨拶をしてから表に出た。この店にはよく来るから、顔なじみのおばあちゃんだった。でも、今日は何も買わないで出てくる。
「何なの、今のオヤジたちの話。わけ、分かんないし」陽菜が美咲にボヤく。
「ほんと、首都がどうのこうのって、マジ分かんないね」美咲も同調する。
「どこでもいいじゃん、日本の首都なんて」
「琵琶湖を首都にしてくれたら近くていいよ」
「だよね。水遊びもできるし。――でも、なんでおばあちゃんの駄菓子屋の奥に会議室があるわけ?」
「分かんない。おばあちゃんもあの年で何かと大変だね」
 二人は歩きながら、もらった図書カードを見る。
「美咲、このカードどうする?」
「本なんか読まないから金券ショップで換金する」
「じゃあ、うちもそうする」
 図書カードを近くの金券ショップで換金した後、二人はマクドに入って行った。
「うちはビッグマックとテリヤキとポテトのLとコーラのL」
「あんた、臨時収入が入ったからって、喰い過ぎなんだけど」
「疲れた後はお腹が減るの。あーあ、オッサンとオバハンの相手は超疲れるわ」
「そう言われたら、うちもお腹が減って来た。頭を使うとお腹が減るね。もうこんな面倒なこと、マジ勘弁なんですけど。――すいませーん、チーズバーガーを一個追加してください」

 二人の女子高生の意見を聞き、愕然とした首都奪回メンバーたちはバツが悪そうに、各自に貸与されているタブレットを操作している。誰も口を開こうとしない。
 てっきり、日本の首都は東京ではなく京都がいいです。皆さん、がんばってくださいくらいは言われるものだと期待していたのだが、思いっきり肩透かしを食らい、足が滑って、転んだついでに頭を打ったようなものだ。
 図書カード二枚分の代金が無駄になってしまった。あの分では、どこかの金券ショップで現金と交換して、ファストフード店で何か食べてるのではと誰もが思っていた。
大原大地京都府知事が銀縁メガネを外し、指で眉間をほぐしながら、口を開いた。
「いやあ、参りましたね。最近の若い子はあんなもんかね?」
 やり込められた府庁職員の北山が答える。
「さあ、あんなもんですかねえ。私の娘はもう少し大きいですから、まだ、まともですけど。錦さんのお子さんも女の子じゃなかったかな?」
「うちの娘は生後六か月ですから、まだしゃべりませんので。出水さんのお子さんは?」
「うちは息子ですけど、話してくれただけいいですよ。うちはしゃべりませんからね。日暮さんの家はどうですか?」出水が訊く。
「うちの子もしゃべりませんよ。男の子はダメですな。誰に似たのですかねえ。私も妻もよくしゃべるのですがねえ。思春期になると黙ったままですよ。まあ、友人とは話すんでしょうけどね。うちに帰ったら、ブスッとしてますよ。ほとんど自分の部屋にこもって、ゲームをピコピコとやってます。それに……」日暮の話は脱線して行く。
大原知事が強引に割り込んで来る。 
「若い人の意見はあくまでも参考です。あの二人の意見がすべてではありません。残念ながら、反対意見もあるということです。私たちメンバーは東京から首都を取り返します。その命題は変わりません。実現できるまでとことんやり抜くのみです。歴代の知事が成し得なかったことを、私の代で実現するのです。そして、それを後世にまで残していくのです。
しかし、私一人の力ではどうしようもありません。そのために、皆さんの本来の仕事を中断してでも、こうやって集まってもらっているのです。首都奪回計画はこれからも滞りなく進めていきましょう。――高辻副知事、“新・買い占めウハウハ大作戦”の経過はどうですか?」

 今から約六十年前に行われた“買い占めウハウハ大作戦”だったが、莫大な経費がかかったにもかかわらず、日本から首都である東京の存在そのものを薄れさせるという広大な目的とは程遠い結果となったという。
いまだにその名残が京都府庁の地下倉庫の中で眠っている。タイトルに「東京」と名の付く歌のレコードや書籍やガイドブックなどが埃を被ったまま眠っているのである。試しに、何枚かのレコードをリサイクルショップに持って行ってみると、レトロブームとかで、かなりの値段で買い取ってくれた。それでは、売れる物は全部売ろうということになり、職員が手分けして、走り回った結果、倉庫の中は少しだけスペースができるくらいになった。
一度に売りに行くと怪しまれるので、少しずついくつかの店へ持って行き、ネットのリサイクルショップも活用しながら売りさばいている。しかし、元々の在庫量が半端ないので、全部を売り切るのはまだまだ先の話だ。もちろん、売却した代金は首都奪回計画の予算として計上され、新たなる作戦の経費として使われる予定だ。
中には「東京」と名の付く食べ物も、なぜか残されたままだった。「東京佃煮」である。まだ食べられるのではないかと開封してみたが、カラカラに干からびていた。六十年前の佃煮だから仕方がない。乾燥もするだろう。お茶をかければ元に戻るのではとの意見も出されたが、お腹をこわしそうだったので、もったいないが廃棄処分とされた。
“買い占めウハウハ大作戦”の決行は現在のメンバーたちが生まれる前の話だが、そのときのデータはすべて、手元にあるタブレットに入っていて、どういう作戦だったのか、どういう結果になったのかは各自が把握していた。

高辻副知事がメンバーに“新・買い占めウハウハ大作戦“の途中経過の報告をする。
「同志によるSNSやツイッターや掲示板などでの拡散はかなりの効果をあげています。“東京”と名の付く製品の不買運動があちこちで起きていると、ネット上では話題になっています」
 今やそういう時代である。府職員が買い占めるために手分けをして、せっせとあちこちのレコード店や書店を回る時代ではなく、ネットを活用し、居ながらにして、作戦を実行する時代となっている。
六十年間という時の流れは、人だけでなく、いろいろなものを変えた。
「ほう、話題になっていますか。それはいい傾向ですね。このまま継続していきましょう。同志たちにも、引き続き発破をかけてください」
 副知事の説明に大原知事も満足そうだ。
「結果が見えてくると、やる気も出てくるでしょうからね」

 ここにいる京都府庁の八名の職員以外にも、京都への首都移転を望んでいる人たちが少なからず存在する。彼らのことは同志とだけ呼び、その素性が明らかにされないように万全の注意が払われている。同志はPCやスマホを活用し、四六時中、東京と名の付く製品を買わないようにと、発信を続けているのである。
当然、彼ら自身にも機密順守を求めている。彼らからこの八名の精鋭メンバーにまでたどり着かれたら、首都奪回計画は破たんするからである。京都府庁内に存在する首都奪回特別室はあくまでも非公式の組織であり、その存在は六十年間以上に渡って、内部にも外部にも秘匿とされているのである。

 “新・買い占めウハウハ大作戦”の経過に歓喜した大原知事は満足そうな表情を浮かべ、新たな作戦の決行を高らかに宣言した。
「すぐに第二第三の矢を放ちます。“新・風船ビラぷかぷか大作戦”及び“新・生ゴミ放置クサクサ大作戦”のダブル攻撃で行きましょう!」
「おお、ダブルか!」「目にモノ見せてやろうや!」「待ってろよ、東京!」
 メンバーたちは大いに沸いた。 
六十年、作戦の決行は“矢”に例えられ、第二の矢、第三の矢を放つという表現が使わ
れていたことが分かっている。それを踏襲して、大原知事も矢を放つという言葉を使っている。奇しくも、ある首相が経済政策を“三本の矢”に例えていた。
六十年前に京都と東京の間で首都をめぐって、壮絶な戦いがあったことを、この首相はどこかで耳にして、この表現を使い始めたのかもしれない。

 約六十年前、この二つの作戦はそれぞれ風船と軽トラを使って実行されたが、今回はドローンを使う。今はそういう時代だ。
“風船ビラぷかぷか大作戦”については、前回、偏西風に乗せたビラ付き風船が東京へたどり着けず、多くは静岡の茶畑や神奈川の相模湾に不時着したという。
“新・風船ビラぷかぷか大作戦”では、東京都と神奈川の境から小型ドローンを多数飛ばすという思わず鳥肌が立つような恐ろしい大作戦だ。
また、“生ゴミ放置クサクサ大作戦”は多摩川の川岸から偏西風に乗せて流した生ゴミのニオイを、ウナギ屋のうちわと撮影用の巨大扇風機で跳ね返されたという苦い経験がある。
“新・生ゴミ放置クサクサ大作戦”には取扱いに苦労する生ゴミは使わない予定だ。回覧板を使っての生ゴミの回収は手間がかかるし、ニオイもきつく、かさばり、運搬も大変だからである。喜ぶのはタダで生ゴミを持って行ってもらった家庭と、生ゴミに集るカラスとハエくらいのものだ。
「何か生ゴミに代わる物はないかな?」大原知事がメンバーを見渡す。
「くさやはどうでしょう?」「ドリアンも強烈ですよ」「しかし、両方とも結構な値段がしますよ」「では、安く買える納豆とか?」「古い靴下は?」「ネコのウンコは?」「あれは強烈だ」「集めるのが大変ですよ」「回覧板に、お宅のネコのウンコを保存しておいてください。後に職員が回収に参りますとは書けないからね」「ネコのウンコを集める言い訳が思い付かないね」「ネコのギョウ虫検査は変だし」
なかなか意見がまとまらない中、助役の姉小路舞が提案した。
「あの臭くて丸くて茶色い胃腸薬はどうでしょうか?」
「ああ、あれなら私も時々お世話になっているよ」腸が弱い大原知事が思わず、頷いた。「あのニオイは強烈ですね。しかも、小さくてかさばらない。――皆さんはどう思うかな?」
「ああ、いいですな」「私も賛成です」他のメンバーも同調する。
「よしっ、みんな、京都府下のドラッグストアと個人薬局に出向いて、あの胃腸薬を買えるだけ買って来てください。――領収書も忘れないように」
 生まれつき、病弱で色も白く、お公家さんのような風貌の知事は子供の頃から、あの胃腸薬が手放せない。今朝も食後に飲んでから出社した。
いつもそばに置いてある常備薬だというのに、作戦へ用いることに気づかなかったとは不覚であった。灯台下暗しとはこのことだな。
知事は作戦の目途がついたところで、ニヤリと笑った。
「東京め、この大作戦のために京都が二百機のドローンを秘密裏に納入していたとは夢にも思わんだろう。今に見ておれ。吠え面をかかせてやるわ」
 ドローンの納入業者にも口止めはしてあった。もちろん、ドローンを東京への攻撃に使うとは言ってなかった。

一方の東京都知事室。
フロリダ産マホガニーの机の上に二本の長い足が投げ出されている。机の隅には高級ウナギ店の大きな重箱が置かれている。普通の重箱ではない。おせち料理に使う三段になっている豪華な重箱である。その中にびっしりとウナギが敷き詰められていたが、すでに中はカラである。肝焼きも肝吸いも食べ尽している。
歴代の知事が使っている高級机に、黒色の高級スーツを着た長身の男が、高級腕時計をして、座っていた。欧米人のように顔の彫りは深く、整髪料でテカテカに光った髪をオールバックにしている。
渋谷拓馬東京都知事である。ウナギを平らげたのはこの男である。
右手でウナギの骨を持って齧りながら、左手にはドローンに付いていたビラを持っている。小笠原副知事が持参したものだ。先発と思われる一機目のドローンが落として行ったらしい。
ビラにはワープロ文字でこう書かれていた。

日本の首都は京都です。断じて東京ではありません。東京は首都という地位を京都から無理やり奪い取ったのです。そもそも、東京都を首都と定める法令はありません。また、天皇による遷都の詔書は発行されていません。歴史があるのは京都です。文化があるのは京都です。芸術があるのは京都です。品があるのは京都です。民度が高いのも京都です。今こそ日本の首都を京都へ戻しましょう!

「京都へ戻しましょうだと? 日本の首都は東京だ。今さらなにを……」
そうつぶやくと、ビラを丸めて、ゴミ箱に投げ入れた。バスケットボール元日本代表のキャプテンであり、野球にも精通しており、五メートル先からでもゴミ箱に入れることができる。身長は二メートルを越す大男だが、横幅はそんなにない。
このスポーツ経歴とこの体型は祖父譲りである。つまり隔世遺伝である。ちなみに、祖父は二代前の東京都知事であり、ビラを持って来た小笠原副知事の祖父は二代前の東京都副知事である。奇しくも、かつての知事と副知事の孫同士が現在の知事と副知事を務めているのである。
「どうせ、東京都製品の不買運動も奴らのせいであろうよ。せこい京都人の考えそうなことだ。不買運動といっても、東京都の関連グッズがいくつあると思ってんだ。はした金のようなみみっちい資金で買い占めても、何ら影響はないわ。返って、普段売れないような商品や売れ残った商品が売れて、街の商店街は大喜びよ。大原知事の青白いバカ顔が思い浮かんでくるわ。せっせと準備する高辻副知事の赤眼鏡顔もな。ふん、それにしても、この令和の時代にセンスのズレた赤眼鏡とはな」
 高辻アヤカ副知事の赤い眼鏡は、同じく副知事だった祖母高辻知子の形見であるらしい。
 奴の祖母高辻知子京都府副知事には、私の祖父渋谷卓男東京都知事もさんざん手こずったと聞いている。女だてらに汚い仕事も引き受けていたらしい。
 名も無き高辻家が、名門の渋谷家に盾突くとは忌々しい一族だ。
「令和の時代になっても手放さないとなれば、あの赤眼鏡は祖母から譲り受けた形見をお守りとして使っているか、勝負眼鏡にしているのかもしれんな。まあ、いつか粉々に砕いてやるわ」
 渋谷拓馬東京都知事は残ったウナギの骨を口の中に放り込むと、強靭な奥歯でガリガリと音を立てて噛み砕いた。
「この骨のように、粉々にな」

 大原京都府知事の祖父は二代前の京都府知事であり、高辻京都副知事の祖母は二代前の京都府副知事であった。
六十年前の京都府と東京都の対立は、世襲制によって、四名の孫同士に引き継がれていた。
さらに、京都には寺町徳人京都市長の孫である寺町浩一郎と、京都市助役姉小路洋子の孫である姉小路舞も勤務していた。
令和の時代になり、役者たちが京都VS東京の最終決着をつけるために、ふたたび集結していたのである。――運命と呼ぶしかない。

 渋谷東京都知事はウナギの骨で汚れた手をウェットティッシュで拭うと、先ほどから、黙って面前に立っている副知事に尋ねた。
「小笠原副知事。京都からドローンは全部で何機くらい飛んで来るのか?」
「えーと、少々お待ちください」そんなことを訊かれるとは思ってなかった小笠原は焦る。
「――遅い! なぜ、そんな肝心なことを把握しないまま、のこのこと報告に来るのか!」
「すいません」副知事はタブレットを稼働させる。「――分かりました。報告によりますと、先発は一機ですが、後にも続いて来ます。おそらく全部で百機くらいはいるかと……」
「おそらくとは何だ? 百機くらいとは何だ? 正確な数字は分からんのか!?」
「すいません」ふたたびタブレットを見るが、現場の担当者も正確な数は調べてないらしい。「詳細は調査中で、今の段階では分かりかねます」小笠原は思わず、下を向く。
「ふん、分かりかねますか。正確にドローンが何機飛来してくるのかが分からないと、こちらも反撃の計画が立てられないではないか。――では、東京都のドローンの保有数は?」
「それは……、確か……、五百機ほどです」
「ほど……か。――すべてを飛ばして、京都の百機にぶつけろ。相撃ちでかまわん。すべてを撃ち落とせ。それと回収した檄文が書かれたビラは、できるだけ都民の目に触れないようにして、一枚残らず、焼却処分とせよ」
「はい。かしこまりました」小笠原はタブレットを小脇に抱えて知事室を出て行った。
 渋谷知事と小笠原副知事との仲は険悪である。何事も急ぐ知事と、何事も慎重な副知事。あまりにも細かい知事とおおざっぱな副知事。性格が違い過ぎるのが原因の一つである。
お互いの欠点をうまく補えばいいのだが、二人して頑固なため、力を合わせて、事に当たるようにはいかない。しかし、パワーバランスは知事の方がはるかに上である。
こうして副知事は長い間、知事によるパワハラを受け続けていた。
それは祖父の時代から続いていた。
これが後に、大きな対立へと成長していくことになる。
 
東京都と神奈川県の境を流れる多摩川の土手は六十年前、“生ゴミ放置クサクサ大作戦”が行われた場所である。そのときの名残で、一部の川岸だけが白い大理石でできていた。神奈川が京都に生ゴミのニオイが取れないと難癖をつけ、賠償金とは他に川岸補修工事代金としてふんだくり、敷き詰めたものだ。当初は真っ白に輝いていた石も、長年の歳月を経て、黒ずんできている。
そして六十年後。同じ場所で“新・風船ビラぷかぷか大作戦”と“新・生ゴミ放置クサクサ大作戦”が行われる。――運命としか言いようがない。

京都は水素ガスを詰めた風船に代わって、ビラを付けたドローンを百機飛ばした。
これが“新・風船ビラぷかぷか大作戦”である。
続けて、臭くて丸くて茶色い胃腸薬を搭載したドローンを百機飛ばした。これが“新・生ゴミ放置クサクサ大作戦”である。
二百機のドローン出動!
誰しも失禁するほどの恐怖におののくダブル攻撃であった。
操縦するのは京都府庁の北山、錦、出水、日暮の職員四名である。この日のためにドローン教室へ通い、特訓を受けてきたのだ。
「六十年前、諸先輩方は六百個の風船を偏西風に乗せて、失敗したらしいからな、このドローン隊でカタキを討ってやろうじゃないか。因縁のこの場所で積年の恨みを晴らしてやるぜ」北山が決意を新たにする。
「おう、今こそ京都人の底力を見せてやるぜ!」錦が片手を振り上げる。
「ドローン研修の成果を見せてやろうや!」出水も続く。「追試を受けてやっと合格したんだけどな」
「ちゃんと飛んで行ってくれよ、我らがドローン隊!」日暮が祈るように叫ぶ。
 四名は血走った目でコントローラーを掴んでいた。
 ドローンがうまく飛び立って、故障なく全機が安定した飛行を始めたところで、四名は二百機のドローン隊を追尾するため、堤防に停めてあったワゴン車へ乗り込んだ。
行先は東京都内だ。 
 運転席には京都市長の寺町。助手席には助役の姉小路が乗り込んでいた。
「では、行きましょうか」寺町市長が自ら運転してくれる。色白で小柄な市長だが、これは同じく市長だった祖父譲りらしい。
「移動しながらの操縦は大丈夫ですか?」姉小路助役が北山に訊いてくる。ひっつめ髪にしているが、これも同じく助役をしていた祖母の髪型をまねているらしい。
「都内に入ると、要所要所で我々の同志が待機しています。そこで操縦を交代します。それまで一機も墜落させることなく、うまく繋いでいきます」北山は自信ありげに答える。
 六名を乗せたワゴン車がドローン隊を追って、都内に入って行く。
 やがて、都内上空は二百機のドローンで覆い隠された。

 渋谷東京都知事はイライラしながら、葉巻をガシガシと噛んでいた。副知事からの報告が遅いからだ。京都が飛ばした百機くらいのドローンが東京に向かっていると聞いた。
その後はどうなったのか? 
すべて相撃ちでかまわないと言っておいたのだが、一機残らず、撃ち落としたのか? 
檄文が書かれたビラは一枚残らず回収できたのか?
イラついた知事がついに葉巻を噛み切ったとき、やっと知事が持つスマホが鳴った。
口の中の葉巻の破片を高級じゅうたんが敷かれた床に吐き出す。
「小笠原です」
「遅い! あれからどうなったんだ、副知事!」
「先発のドローン百機はすべて相撃ちをして撃墜をしました。搭載していたビラの回収は進んでます。しかし、京都からのドローン隊がさらに百機くらい増えました」
「何だと。増えるという報告は受けておらんぞ!」知事ががなり立てる。
「いや、その現場の人間も想定外でして。京都があんなにたくさんのドローンを保有しているとは思ってませんで……」
「今のドローンの動きは?」話をさえぎる。
「都内上空を覆い、臭くて丸くて茶色い胃腸薬を投棄され、街中に悪臭が漂いはじめました」
「何だそれは!? 檄文ビラだけじゃないのか!? ならば、まだ無傷のドローンを選んで、その百機くらいにぶつけろ。臭くて丸くて茶色い胃腸薬とやらは回収して保管せよ。――都内の被害状況はどうだ?」
「ドローンに驚いてドブに落ち、獣医さんに運ばれた犬が一匹」
「犬はいい。人的被害を訊いてるんだ」
「警察と消防に入ってる情報によりますと、ドローンの大群を撮影しようと、スマホを上空に向けていて、お互いぶつかってケガをしたバカップルが一組。火星人の襲来と見間違えて、腰を抜かしたジイさんが一名。近くを飛んでいたドローンを布団叩きで叩き落そうとして、物干し台から自分が落ちてしまい、ケガをしたバアさんが一名。人が四名と犬一匹ですが、いずれも軽傷です」
「大事に至らなくてよかったな。引き続き、情報収集に努めてくれ。――以上だ」
 ふん、何が百機くらい増えましただ。正確な数字を把握しておくようにと言ったばかりではないか。注意しようと思ったが、時間の無駄なのでやめておいた。早く優秀な後釜を探さないとな。
それにしても、ドローンが合計二百機か。なかなか揃えたものだな。それでも、東京が有する五百機の半分以下だ。
京都め、まさか東京が五百機も保有しているとは思わんだろう。こんなときのために準備を整えていたのだ。常に危機意識を持つことは大切なことだ。これで祖父の恨みも少しは晴れるだろう。――といっても、まだこれからが本番だがな。
 
 二代前の都知事であった祖父の渋谷卓男は六十年前、非業の死を遂げた。当日の朝まで元気だったのに、知事室で急死していたのだ。
ちょうど今、知事が立ってるあたりだ。毛先の長い高級じゅうたんに顔を埋めて死んでいたという。苦悶の表情を浮かべ、手には一枚の写真を握り締めていた。それはどこかの寺の境内で護摩壇を設け、護摩木を焚いている写真だった。
なぜ、知事はそんな写真を持っていたのか?
その答えはすぐに判明した。当時の首都死守特別室のメンバーである東京エリート大学の教授十人のうち、五人が体調不良で入院していたからだ。幸い命に別状はなかったが、祈祷内容は想像できた。
――呪っていたのである。
何者かが強烈な念を飛ばして、知事を呪い殺し、教授たちを病で倒したのだ。
写真に写っている背景などを解析した結果、すぐにどこの寺かが判明した。
狩部寺という潰れそうな寺だった。急いでその寺に向かうも、住職はハワイで客死して
いた。客死したのは、都知事が亡くなってすぐの時間だった。
仏教の布教を名目にハワイへ着いたばかりの住職が、空港に出迎えたダンサーとフラダンスを踊っているとき、ぎっくり腰になり転倒。後頭部を強打して、首にかけられた花のレイと腰ミノを付けたまま亡くなったのである。
飛ばされた念を、都知事が死に際に住職へと送り返して、同士討ちになったのではとウワサされたが、何の証拠もなく、うやむやになってしまっていた。
しかし、そのときの恨みは孫である現知事に引き継がれていた。
渋谷知事は机の引き出しから新しい葉巻を取り出して口にくわえた。
 
 寺町市長をはじめとする六名は都内で同志へのドローン操縦の引継ぎを終え、多摩川まで戻って来ている。これから高速を飛ばして、京都へ帰る予定だ。
大理石で敷き詰められた川岸に六名は立っていた。六十年前、東京都との決戦が行われた場所だ。四台の軽トラで乗り付けた先輩職員の四名が数百人と戦い、敗れ去った地だ。
そのときの名残はこの黒ずんだ大理石のみとなり、ここでそんな戦いが行われたという史実は、現地の人の記憶からも消えようとしている。むろん、石碑などは建立されてない。
六名は大理石の上に立って、手を合わせている。
 どうか、東京の信頼を失墜させ、京都に首都が移転できますように。
 皆さんの悲願だった首都遷都が一刻も早く成就できますように。
 志半ばでこの世を去って行った諸先輩方、どうぞ私たちにお力をお貸しください。
 六名の祈りは十分間ほど続いた。

京都市内の某所。駄菓子屋の奥にある首都奪回特別室では大原知事と高辻副知事が、都内に潜伏している同志から届く結果報告を待っていた。
大原知事のスマホが鳴った。
「“新・風船ビラぷかぷか大作戦”を決行したドローン百機はすべて壊滅しました。檄文ビラもすべて焼却されました」
「どういうことですか!?」大原知事が驚く。
「東京は京都と同じ百機のドローンを飛ばして来て、一機残らず体当たりしてきました。結果、すべてが撃墜されました。地上で待機していた連中がビラを回収して、焼却施設に運んだようです。そのため、都民はほとんどビラを目にしてないようです」
「……そうか。ご苦労だった」
 知事が電話を切って、うなだれているところに、また違う同志から電話がかかってきた。
「“新・生ゴミ放置クサクサ大作戦”を決行したドローン百機は、東京都内に出現した同じく百機のドローンに体当たりされて全滅しました。臭くて丸くて茶色い胃腸薬はすべて回収されました」
「回収とはどういうことですか?」またもや驚く。
「地上で待機していた連中がマスクをしながら、道路に散らばった胃腸薬を一粒残らず回収していきました。かなりの人数が動員されていたため、その行動は素早く、あのニオイが都内に充満することは、ほとんどありませんでした」
「人海戦術ですか。やられましたね。人口が多いことだけが東京の取柄ですからね」
 もはや、知事の口からは皮肉くらいしか出て来ない。
万全を期した作戦であったはずが、東京はそれを上回っていたということか。
あまりにも行動が早すぎる。有事の際の情報網が整えられているからだろう。
 それにしても、東京はあれを回収して何をしようというのか。
 二つ続けての失敗に、知事は低い天井を見上げた。
 表の駄菓子屋から子供たちの喜ぶ声が聞こえてきた。

 その後、東京都に回収された臭くて丸くて茶色い胃腸薬は包装し直して、無償で各戸に配布され、おかげでたくさんの都民の胃腸が良くなったという。
 死にかけていたスズメが、回収し忘れた一粒をついばんで、元気に飛び去ったという報告も届いていた。あの丸薬が鳥にも効果があるのか、たまたまなのかは定かではない。
都庁にはお礼に言いに来た訪問者が列をなし、都知事あてには感謝のメールや電話や手紙が殺到しているらしい。
あの強烈なニオイの被害より、健康の喜びの方が優ったということだろう。
報告を受けた京都は、それを喜んでいいのか、悔しがるべきなのか、よく分からなかった。

高辻アヤカ副知事がトレードマークの赤い眼鏡を指でクイッと持ち上げる。
「大原知事。失敗した作戦はわずか二つに過ぎません。ここで気落ちしていてはいけません。私たちにはまだまだ作戦が残ってます。おそらく、東京は勝利に酔っていることでしょう。その隙を突きましょう。今がチャンスですよ。新しい作戦の発動をお願いします」
 知事は、副知事の赤眼鏡の奥でランランと輝く瞳を見つめた。
――そうだ。そうだったな。
首都奪回メンバーのトップである私が気落ちしてはいけない。
 気を取り直した大原知事は、
「報告によると、どうやら二つの作戦は失敗したようです。しかし、ここで立ち止まらずに行きましょう。ここに、“新・停電まっくらくら大作戦”と“新・投書カキカキ大作戦”を同時に繰り出して、東京を失意のどん底に叩き落しましょう!」と高らかに宣言した。
 さらなる作戦のダブル攻撃であったが、今、首都奪回特別室には知事と副知事しかいなかった。他の六名は高速でこちらに向かっている。
 目の前で宣言された副知事は戸惑っているが、知事たるものはこうでなくてはいけない。新たな作戦のダブル攻撃の発動を聞けば、メンバーの士気も上がることだろう。
 大原知事と高辻副知事という京都府庁のツートップがこの場にいるが、二人とも自分の地位には固執していない。京都への首都奪還が叶えば、いつでも下りるつもりでいる。
 今後の道筋さえ整えば、今の地位は後進に譲り、残りのサラリーマン人生はのんびりと過ごして行きたいとさえ思っている。
 いかに東京を追い詰めるか。結果はこれからだ。
 ツートップはいったん首都奪回特別室を出て、府庁に戻ることにした。東京と違って、こちらは他の職員には秘密裏に行動している。首都奪回の計画とは別に本来の仕事も抱えているのだ。そちらの仕事もこなしていかなければならない。知事と副知事が抱える仕事は膨大なものだ。
 帰りに駄菓子屋で大量の駄菓子を買い込んだ。と言っても、たいした金額にはならないが、いつも首都奪回特別室をカモフラージュしてくれているためのお礼と口止め料の代わりだ。
いつも、優しいおばあちゃんが一人で店番をしている。
「おやおや、知事さんと副知事さん、お揃いで。いつもありがとね」
「いや、こちらこそ、お世話になっております」
 知事はおばあちゃんへ丁寧に挨拶をした。そして、ふと思った。
 このおばあちゃんにも訊いてみよう。
「おばあちゃんは日本の首都をどこにすればいいと思いますか?」
高辻と二人で、大量に買った山のような駄菓子をエコバッグに詰め込みながら尋ねる。
「首都? そりゃあんた、ここ決まってるがな」足を床にドンと付ける。「京都やんか」
「やっぱり、おばあちゃんもそう思いますか」大原も高辻も思わず微笑む。
 おばあちゃんの仕草が面白かったのと、首都は京都だと断言してくれたからである。
 ああ、ここにも味方がいてくれた。
「そらそうや。今も首都は京都やで。首都が東京やなんて、東京の人間が勝手に言うてるだけやんか。天皇はんもそのうち帰ってきはるやろ。――あっ、そうや。あんたたち、政治家なんやから政治力でなんとかならんのか? 首都を京都に戻すようにできんのか?」
「それは今やって……」高辻が口を滑らせるが、
「いや、私たちもそうありたいと思ってまして」大原が誤魔化す。
 おばあちゃんの演説はつづく。
「私は東京の人間は好かん。気取ってるさかいな。首都は、うちらみたいな謙虚な人間がようさんいてはる京都に置くべきやと思うわ。府庁には、寺町市長とか姉小路助役とか、仕事ができる人がいてはるやろ。そういう人と組んで、京都のワンチームで東京に立ち向かったらエエねん」
「それは今やって……」高辻がまた口を滑らせるが、
「おばあちゃん、ワンチームですか。それはエエ考えですね」大原が割り込む。「もし正式に首都が京都に戻って来たら、おばあちゃんはうれしいですか?」
「そらそうやで。戻って来た日にゃ、ここにある駄菓子を全部食べ放題にしてあげるで」
「それはすごい!」またもや、大原と高辻が思わず微笑む。
「ただし、府庁の職員さん限定。しかも一日限定や。アンタら駄菓子が好きそうやから、すぐに完売になるやろうけどね」
 いつも駄菓子をたくさん買って帰るので、職員は駄菓子が大好きだと思っているようだ。もちろん、ここで買った駄菓子は捨てることなく、知事からのお茶菓子の差し入れとして、府庁内で配られていた。
 二人は山盛りの駄菓子を買って府庁に戻って行った。
 いつもは控えめなおばあちゃんが首都の話になると、やたら饒舌になったことに二人は驚いていた。そして、京都府民の誰もが首都京都という願望を潜在的に抱いていると確信した。
「あのおばあちゃんが生きているうちに、首都移転を実現してあげたいね」
知事が歩きながら言う。
「ぜひとも! 駄菓子食べ放題を経験してみたいですから」
副知事がうれしそうに答えた。

 一方、東京都知事室。
 フロリダ産マホガニーの机の上には、都民に臭くて丸くて茶色い胃腸薬を無料配布したことによるお礼の手紙が山積みになっていた。すべて渋谷都知事宛てだった。
 都内ではドローン同士の激突により、破片が散乱し、火災が起き、ケガ人も出ていたが、この無償の行為により、東京都への信頼は、都知事への信頼とともに、瞬く間に回復した。
 人間、何かをタダでもらうとうれしいものである。特に律儀な年配者からの感謝が絶えない。これで次の選挙も安泰だろう。
しかし、渋谷知事はこんなことでは喜んでいないし、油断もしていない。さらに気を引き締めようとしている。
葉巻を片手に、パソコンの前に陣取って、過去のデータを調べていた。
「忌々しい京都め、ビラ風船作戦に続いて異臭作戦か。――ならば、次はこれか」
渋谷知事はすぐに小笠原副知事を呼び出して指示を与えた。
「東京都内とその周辺の県の変電所。及び都内の新聞社と雑誌社と出版社に連絡しろ」
 知事はそれらの会社に伝える内容を副知事に詳しく説明し、同時にその内容を京都へメールするように伝えた。
「えっ、京都に教えてやるのですか?」副知事は訳が分からない。「敵にこちらの手の内を見せてもいいのですか?」
「ああ、かまわん。東京には余裕があるところを見せてやれ。向こうも経費が節減できていいだろう」知事はニヤッと笑った。

 京都は六十年前の恨みを晴らすかのように、次々と作戦を仕掛けてくる。それは今年、京都と東京の知事選が同時に行われ、六十年前のそれぞれの知事と副知事の四名の孫が、偶然にも新知事と新副知事に選出されたからである。
たまたま四名が立候補したと思われているが、もしかしたら、どちらかの知事が立候補したのを見て、対抗するために、もう片方も立候補したのかもしれない。そんなウワサを報道するマスコミもあった。しかしそれは、偶然が重なったよりも、その方がセンセーショナルで、ニュースになるため、マスコミが創作したものだとの見方もある。
ネットの時代は、保存されている過去の情報やニュースもすぐに検索できる。
六十年前の京都と東京の戦いを知る国民はまだまだ多く、ニュース・バリューがある。
 これは偶然の組み合わせなのか? それとも祖父母の敵討ちが関係しているのか?
いずれにせよ、当人たちが口をつぐんでいるのだから、真相は分からない。
ただ、六十年後に再開された京都と東京の戦いの決着はまだ付きそうにない。

しかし、渋谷東京都知事は六十年前の恨みを、今年中に決着をつけて、あくまでも首都は東京であり、これからも東京であり続けるということを、日本はおろか、世界にもアピールしようと思っていた。こんなことをいつまでもズルズルと続けていられない。時間と経費を浪費しつづけるわけにはいかない。ゴールはこちらで決めてやる。今年いっぱいだ。
短気な都知事の考えそうなことであった。
新任の京都府知事と副知事は、このたびの都知事の当選と着任を狙っていたものか分からないが、好機ととらえ、一方的に宣戦布告したようである。
しかし、それはあくまでも、二都の問題であり、ほとんどの国民はまだ戦いが始まったことに気づいていない。都内上空に出現したドローンの発進元が京都だとは気づいていないからだ。
 渋谷知事は焦らずに、じっとチャンスを待っている。ちまちまと仕掛けてくる京都に対して防戦一方になっているが、チャンス到来とあらば、一気に片を付けるつもりでいる。
まずは次に繰り出してくるであろう作戦に対して先手を打っておいた。

「大原知事。渋谷知事から直接メールが届きました。そちらのパソコンに転送します」
高辻アヤカ副知事が声を震わせながら言ってきた。その声からして、よくない内容のメールだろうと大原は思った。悪いことが起きるのではないかという勘は当たるものである。
渋谷知事からのメールには、京都からのハッカーが、東京都内と周辺の変電所のネットワークに侵入しないように、システム防御を強化するよう指示し、都内の新聞社と雑誌社と出版社へ、東京を批判する投稿メールが来ても掲載しないように指示したと書いてあった。
 大原知事はこちらの作戦がまんまと読まれていたことに愕然として、メンバー全員と同志たちに緊急メールを一斉配信した。
“新・停電まっくらくら大作戦と新・投書カキカキ大作戦は中止します”
 渋谷知事、なかなかやるじゃないか。どうせ、過去のデータを分析したのだろう。
 苦笑いした大原知事は眉間を指でグッと押さえた。

 渋谷知事は大原知事がどんな顔をしてメールを読んでいるのか、想像するだけで笑えてきた。高辻副知事も顔面蒼白で、おなじみの赤眼鏡はずり落ちていることだろう。
おそらく、京都は六十年前のように近隣の変電所を襲い、電車を停止させ、東京に乗り入れをさせないという作戦を立てていたはずだ。あるいは都内を直接ブラックアウトにするかもしれない。
しかし、前回のように変電所を直接襲うのではリスクが大きすぎる。今ではセキュリティーも万全で、防犯カメラにも映り、たとえ遺留品がトイレに放り込まれて、ウンコまみれになっていたとしても、DNA鑑定ができる可能性はある。
また変電所も大規模なものになり、今や職員は二十人を越える。六十年前の十倍だ。これでは襲えないはずだ。
ならばネットだ。六十年前には考えられなかっただろうが、それしかない。ネットワークに侵入して、停電を引き起こすという作戦だっただろう。それを見越して、システムを強化しておくように指示をしておいた。
また、東京を批判する投書は六十年前のような葉書や手紙は少なく、メインはメールだと見抜き、新聞社と雑誌社と出版社に警告を発しておいた。
二つの指示は、都知事からの直接の命令のため、関係者の行動は早かった。変電所のネットワークは強化され、東京を批判した手紙やメールは掲載することなく、各マスコミ社内で無視することに決定したという。

これで京都もいろいろと手間が省けただろう。ハッカーを高給で雇う必要はなくなったし、東京を批判する手紙やメールを作成し、送り付ける必要もなくなった。
大原知事は、東京に作戦を読まれていたことに、ショックを受けているに違いない。東京にはどれだけ余裕があるのだと驚き、呆れているに違いない。
しかし、何のことはない、京都は六十年前と同じことをやっているに過ぎない。ただ、作戦を行うツールが風船からドローンへ、手紙からメールへと代わっただけで、仕掛けてくる順番さえ同じなので、渋谷知事はおかしくて仕方がない。
京都の人間は単純だ。単細胞だ。我々東京人と違ってな。

「さて、次の作戦は……?」
渋谷知事は職員に内緒で吸っている葉巻を机の奥にしまい、代わりにウナギの骨をくわえながら、パソコンを操作している。
都庁舎内の喫煙所はすべて閉鎖され、全面禁煙となっていた。喫煙者としては肩身が狭く、どうしても口が寂しいのだが、知事という立場上、常に葉巻を吸うわけにはいかず、ましてや、電子タバコなどといったものは使う気になれず、代わりにウナギの骨をくわえている。
そういえば、祖父もウナギが好きで、知事室に出前を届けさせて、よく食べていたという。
こんな奇妙な性癖も祖父譲りだと言うのか。
知事がこうして感慨にふけっているうち、マズイことに気づいた。
「副知事! 議会終了後の女性議員たちの行動を把握しておいてくれ!」
あわてて指示を出す。
知事室の隅の方で待機していた副知事がのんびり返事をする。
「今日は女性議員だけで何やら集まりがあると言ってましたけど。今流行りの女子会というヤツじゃないですかね」
「なに! どこでだ?」
「いや、そこまでは聞いてませんが」
「議員の行動くらい把握しておかんか!」
「いや、プライベートまで管理できませんので……」
「つべこべ言わず、すぐに連絡を取れ!」
「えーと、どの議員に連絡すればいいですか?」
「全員だ!――優先順位は、まず独身女性議員からだ!」
 都知事は手の中でウナギの骨をバキバキと粉砕した。
 
東京都議会の女性議員十名が議会終了後、一軒の居酒屋へ入って行った。待っていたのは、ちょうど同じ人数である十名のイケメンたちだ。女子会ではなく合コンである。
一方、居酒屋の周辺ではスマホやデジカメを持った男たちが潜んでいる。合コンが始まり次第、数人は客を装って、店内に潜入する手筈だ。
“新・女性議員イチャイチャ大作戦”のはじまりである。
六十年前はハンサムな俳優を使っての甘味処へのエスコートだったが、今回は出会い系サイトから誘って開催した飲み会のオフコン、つまりは居酒屋合コンである。もちろん、ヤラセであり、今回も若手イケメン俳優に少なからずの謝礼を渡して、“さくら“を依頼している。
「みなさんは議員にしておくのはもったいないくらい美しいですね」
「街ですれ違ったらモデルさんだと思いますよ」
「うーん、俺の嫁が女性議員か。いいなあ。想像するだけでウキウキしてきますよ」
 イケメンが歯の浮くようなセリフを次々に投げかけてくる。さすが俳優である。何ら照れることなく、おばちゃん議員相手にスラスラと、アドリブで甘いセリフが出てくる。
普段、若いイケメンとは縁のない女性議員たちはメロメロである。そもそも職場で見かける議員はオッサンばかりで、若いイケメンなんか存在しないのである。
「みなさんはどんなお仕事をされてるのですか?」という議員の質問にも、イケメン軍団は淀みなく答えることができる。仕事についての質問は必ずしてくると読んでいたからだ。つまり、想定内だからだ。
そのために、弁護士とか医者とかIT関連といった、女性が魅力的に思える職業に就いているという設定にしてある。まちがっても学生だとか、就活中だと言ってはならない。以後、相手にされなくなるからだ。女性議員に似合った社会的地位の高い男性でなければならない。
いろいろな職業を演じるのはお手の物だ。何と言っても俳優である。この日のためにちゃんとその職業についての勉強はしてきているし、業界の最新情報も頭にインプットしてある。簡単な質問ならスラスラ答えることができるし、答えに窮する専門的な質問なら、演技力を駆使して、うまくスルーすることができる。
弁護士を演じる男が、十人の女性議員全員を順番に見渡しながら自己紹介をする。
「最近はTVでCMもやってますから、弁護士の仕事も多忙でして、居酒屋は二か月ぶりですよ。ワインはいつも家で飲んでますけどね。ワインセラーですか? もちろん、三、四台ほどありますよ」
 医者を演じる男が続く。
「私は皮膚科なんですけど、きゅうりパックとにんじんパックとだいこんパックのどれが一番効果あるのかを臨床実験しているところです。結果が判明しましたら連絡しますよ。私はきゅうりと睨んでますけどね」
 IT関連の男も負けてはいられない。
「IT関連といいましても、私は主にアメリカと取引しておりまして、明日はニューヨークに行きます。海外出張は今月、五回目です。マイレージは貯まりまくって、溢れんばかりのパンパンですよ」
 ウソばっかりである。ウソも大きな声で相手の目を見ながら堂々としゃべると本当のように聞こえる。
“さくら”には売れてない役者を揃えた。顔バレしたら台無しだからだ。あまり売れてなくてもプロの俳優である。演技の基本はできている。素人を騙すのは簡単だ。女性議員たちは酔いも手伝って、信じられないことに、彼らのウソ話を丸ごと信じた。
 話が遅くまではずみ、いい具合に酔ったところで解散となったが、深追いはしない。イケメンたちは請われるままに連絡先を教えたが、当然デタラメであった。
逆ハニートラップにまんまと引っかかった女性議員たちは、いい気分のまま居酒屋を後にした。店内で隠し撮りをされ、外でも張り込まれて、写真をカシャカシャ撮られていたとも知らずに。

 翌朝、渋谷知事宛てにイケメンを相手にして、腑抜けた顔をする女性議員十名の写メが送られてきた。店内でビールを飲んでいる写真や赤ら顔で店を出たところの写真だ。おそらく、マスコミにも送り付けているだろう。
都知事は京都の新たなる罠に気づき、手分けをして女性議員たちに連絡を入れさせたが、間に合わなかったのである。連絡がついたとき、楽しい宴はすでに終わっていた。
東京は、新たな作戦にまんまと引っかかってしまったのである。“変電所”と“投稿”という二つの作戦を見抜いて、安心し切っていたところをうまく突かれた。余裕を見せていたつもりが、油断をしていたことになる。
知事と副知事を始めとする幹部だけ気を付けていればいい訳ではない。しかし、都議会議員は百二十七名いる。末端の議員にまで目は届かない。ましてや、女性議員のプライベートまで細かく管理しようものなら、セクハラだのパワハラだのとうるさい。京都はここを狙い撃ちして来たのである。
それでも、都知事は今回写真を撮られた女性議員十名全員を一週間の自宅謹慎処分とした。軽い処分だと思ったが、全員いっぺんに追放するわけにはいかない。議会は混乱するし、そもそも女性議員が多いことも東京都のウリの一つだったからだ。
そのスキャンダルは六十年前と同じように、マスコミによって、面白おかしく報道された。マスコミのやじ馬体質は六十年前となんら変わりがない。
盗撮された十名分の写真は連日、テレビのワイドショーに取り上げられて、スタジオのコメンテーターを大いに盛り上げた。
しかし、渋谷知事は我慢をしていた。我慢の限界はまだ先だ。
京都へ総攻撃をかける時期はもう少し先にしようと思っていた。
それまで怒りを充分に溜め込んでやる。一気にぶちまけてやるために。
知事は新たにウナギの骨を口に放り込むと、怒りに任せて、ガリガリと噛み砕いた。そのまま吐き出してやろうと思ったが、やめておいた。以前吐き出したことで、汚れた高級絨毯の清掃が大変だと分かったからだ。
それに、ここは祖父が落命した場所でもある。今さらながら、汚してはいけないと思い直した。
知事は細かくなったウナギの骨をグッと飲み込んだ。
あまりおいしいものではなかった。
これも京都のせいだ。
そう思うことにして、冷静さを取り戻した。

一方、大原知事の元には東京の同志から連絡が入っていた。
「“新・女性議員イチャイチャ大作戦”、成功しました! 十人の女性議員のマヌケ面の写メを知事に送り付けてやりましたよ! もちろん、写真週刊誌にも写真を添付して告発メールを送りました」
「おお、ご苦労さん。ゆっくり休んでください」
 府知事は電話を切ると、集まっているメンバーに“新・女性議員イチャイチャ大作戦”成功の報告をした。
「おそらく、女性議員たちは何らかの処分を受け、東京都の信頼は失うだろう。六十年前に成功した“イチャイチャ大作戦”がまたもや成功するとは、東京の女性議員は男性に飢えておるのかね?」
 メンバーから失笑が漏れる。
「なんでしたら、三回目を仕掛けてみようかね」
「それはいいアイデアですね」姉小路助役が笑いながら言う。
「助役は大丈夫ですか? 引っかかったりしませんか?」出水が軽口を叩く。
「私は既婚者ですよ。そもそも合コンなんかには行きませんよ」
「ホントですかー?」北山もからかう。
「はい。夫だけを愛してます」真面目な顔で答える。
作戦成功の声を受けて、メンバーたちからは歓喜の声が上がった。
“新・停電まっくらくら大作戦”と“新・投書カキカキ大作戦”が失敗に終わった矢先の成功だったため、うれしさもひとしおであった。いくつかの冗談も飛び交うくらい首都奪回特別室の雰囲気もよくなっていた。

「さて、みなさん」大原知事は笑顔で話し始める。
知事の笑顔をメンバーは久しぶりに見た気がする。
「六十年前に行った作戦をそれぞれパワーアップして行ってみましたが、東京に読まれてしまっています。というか、渋谷知事に読まれてしまっているのでしょう。相変わらず、勘が鋭く、手ごわい相手です。今回の作戦成功もギリギリで成功といったところでしょう。しかし、ここで手を緩めずに畳みかけましょう。高辻副知事、“新・お経ナムナム大作戦”はどうなっているかな?」
 高辻は赤眼鏡をクイッと引き上げて説明を始める。気合が入っている証拠だ。祖母譲りの仕草である。
「以前、“お経ナムナム大作戦”を行った狩部寺ですが、ご住職がハワイの空港で亡くなって以降、後継者もいなかったようで、すでに廃寺となっていて、誰も近寄りません。あの時に読まれたと言われている呪いのお経の行方も分かりません。そもそもあのお経は念力が強い住職が読んでこそ、効果が現れると言われています。ですので、住職はいらっしゃらない、お経も行方不明となった今では、また違う方法で相手を呪い殺す必要があります」
 高辻は恐ろしいことを平然と話す。メンバーは副知事が何を言い出すのかと、固唾を呑んで聞いている。
「私が狩部寺を訪れたとき、なんだか不気味な妖気を感じました。普段、霊感などない私がです」
「ほう、それは怖いね」知事が顔を歪める。
「それを利用しない手はありません。荒れ果てた境内を歩いてみましたら、樹木が伸び放題で手入れがされてない薄暗い林がありました。私はこの場所に目を付けました。妖気らしきものが漂っていたからです。そこで、渋谷都知事の名前を書いた藁人形を百体用意し、高級焼肉で買収した生臭坊主三名を雇い、丑の刻に参らせて、ここに茂ってる木々に百本の五寸釘でガンガン打ち付けております」
赤眼鏡の奥の目が光る。
 これが“新・お経ナムナム大作戦”の正体である。
「藁人形と五寸釘の百セットなんか、どうやって手に入れたのですか?」知事が問う。
「アマゾンで買いました」高辻はふたたび赤い眼鏡を右手でグイッと引き上げた。
「ほう、今どきはネット上で何でも売ってるものだねえ。しかし、時代が変わっても、タタリとか呪いとか霊力なんかは変わらないものだ。令和の時代になっても丑の刻参りですからねえ」
 メンバーたちは頷く。タタリや呪いは恐ろしい。六十年前の出来事を聞いていたからだ。
六十年前、東京に設立された首都死守特別室のメンバー十人のうち、五人が謎の体調不良で入院し、当時の渋谷知事が知事室で急死し、同じ頃、狩部寺の住職がハワイで死んでいたという奇妙な話だ。都市伝説なんかではなく、本当にあった話だ。
五人の大学教授が急遽入院することになり、都知事が知事室で人知れず死んでいたことは東京都史にも、その年の不可解な出来事として、記載されている。
だから、高辻副知事が狩部寺の妖気を感じて、渋谷知事を呪い殺す作戦を始めていると聞いても、メンバー全員は笑いもしないし、疑いもしない。
逆に何らの異変が起きるものだと期待している。
大原知事が続ける。
「さて、“新・お経ナムナム大作戦”をもって、六十年前に諸先輩方が行ったすべての作戦のトレースは終了しました。必ずしもうまく行ったわけではありません。しかし、東京に少なからず打撃を与えたのは確かです。先輩方の意志を継いだ私たちは挫けることなく、首都奪回という夢に向けて新たなスタートを切りましょう」
 よし、やりましょう。――誰かが気合を入れる。
「これからは皆さんから持ち寄った三つの新しい作戦を決行いたします。それも一気に行いましょう。ダブル攻撃を上回るトリプル攻撃です。それぞれの提案者にはすでに動いてもらっています。――まず、姉小路助役が提案した“京都マラソンオイッチニ大作戦”の進捗状況はどうですか?」
「はい、マラソン申込者全員の名簿を入手し、連絡をして、こちらに来てもらうことになりました」ひっつめ髪の助役が力強く答える。
「――おおっ!」全員から拍手が沸く。
「いや、ご苦労さん。短期間でよくやってくれました。経費は足りましたか?」
「はい、何とかやりくりをいたしました」
「では、次に出水くん。“祇園祭コンチキチン大作戦”の方はどうかね?」
「はい、すべて組み込むことに成功しました!」出水も自信ありげに答える。
「――おおっ!」ふたたび全員から拍手と歓声が沸く。
「こちらの経費も予算内に収まりました!」問われる前に答える。
「そうか、ご苦労さん。寺町市長の“包囲グルグル大作戦”はどうですか?」
「こちらも首尾よく進んでおります。もちろん、誰一人として気づいておりません」市長はいつものように静かに落ち着いて返事をする。
「おお、そうですか。これらの大作戦は東京に気づかれないよう実行することが最も肝心なことですからね。――みんな、ご苦労さん。では、お経ナムナムを加えた四つのオリジナル大作戦で一気に畳みかけましょう。トリプル攻撃に一つを加えるとクアドラプル攻撃になりますかな」
 同時に四つの大作戦を実行するのは初めてだ。しかもオリジナルとくれば、さすがの東京も予想はつかないだろう。あらかじめ対策を取ることは不可能だ。
 東京は今度こそ、大打撃を受けるに違いない。
 メンバーは興奮を隠し切れないようだ。
大原知事も笑いをこらえている。
 体がデカくて威張りくさってる渋谷知事と、知事とはソリが合わないとウワサの小笠原副知事が揃ってアタフタしている姿が目に浮かんできたからである。
 もう諦めて、日本の首都を京都へ渡すがいい。いや、戻すがいい。
渋谷知事よ、それが日本の本来の姿なのだよ。
日本国民もそれを望んでいるのだよ。

 東京都知事室に小笠原副知事がノックの応答も待たずに駆け込んできた。
「渋谷知事、大変です!」顔面が蒼白だ。
「副知事、もっと静かにできないかね」
ウナギの骨をくわえたまま、机の上に足を投げ出している知事が睨みつける。オールバックにしている髪がきれいに整えられ、光っていた。知事室には微かに整髪料の香りが漂っている。
どうやら、先ほどまで髪の手入れをしていたようだが、机の上には数枚の書類しかない。実務能力にも優れている都知事は決裁書類を瞬く間に仕上げていくからだ。適当にハンコを押しているわけではなく、ちゃんと内容を把握した上で適切な判断を瞬時に下す。
「なにぶん、急用なものですから」正面に副知事がのそっと立つ。「よくない知らせが3つございます」
「どうせ京都関連だろう。では、ワースト3から順番に聞かせてもらおうか」
 知事は机の上から足を下した。ウナギの骨はくわえたままだ。
 副知事は大きく深呼吸をしてから報告する。
「パンパカパーン、まずはワースト3からの発表です!」
「そんなパフォーマンスはいらない。さっさと言え!」
「すいません。まず、東京マラソンの参加者が一人になりました」
「はあ?」知事の口の端にウナギの骨がぶら下がる。
「エントリーしていた三万人以上のランナーが一人を除いてすべてキャンセルして、京都マラソンに参加することになったようです」
 東京マラソンとは2007年に始まった東京都内で行われるマラソン大会のことである。京都マラソンとは2012年に始まった京都市内で行われるマラソン大会のことである。
 いずれも莫大な経済効果が見込まれ、名所旧跡の近くを走り、テレビ中継もされるため、全国に地元の魅力をPRする絶好の機会となっている。
「都庁の職員も何人かエントリーしていたはずだぞ」
「彼らも次々とキャンセルをしたようです」
「なぜ、そんな簡単に寝返るんだ!?」
「それが、京都マラソンに乗り換えると、京都までの交通費も宿泊費も出してくれて、お土産に生八橋の詰め合わせと京都タワーのプラモデルまでくれるというので、全員が京都観光も兼ねて、京都マラソンへと参加を変えたようです。どうやら京都は東京マラソンの申込者の名簿を入手して、全員にコンタクトを取ったようです」
「一人を除いてすべてキャンセルと言ったが、その一人とは誰だ」
「渋谷知事です」
「ああ、私か」
「知事も京都マラソンに乗り換えということで……」
「バカ者! 私は一人でも走るぞ!」
「京都タワーのプラモデルは?」
「いらぬ! 東京マラソンは全国にテレビ中継される。知事自らが走って東京の良さをPRしてくる。それが東京のトップとしての務めだ。京都府知事にはできないだろう。あんな青びょうたんが10キロも走れるわけなかろう」
「渋谷知事はフルマラソンの参加です」
「いや、私は10キロにエントリーしたはずだ」
「私が間違えて登録しました」
「はあ? お前はマラソンの申し込みもまともにできないのか。――まあいい。出場しようじゃないか。フルマラソンの方がテレビに映ってる時間が長いからな」
「では、知事がお1人で参加する東京マラソンを開催いたしますが、1万人の市民ボランティアがサポートします」
「そんなに必要か?」
「給水もありますし、吹奏楽の応援もありますし、屋台村もオープンしますので」 
「SPと二人で走るから、そんなものはいらぬわ」
「市民ボランティアのエントリーは済んでおりますが」
「全員に電話してキャンセルしてもらえ」
「1万人にですか? 一斉メールでいいのではありませんか?」
「ダメだ。こっちの都合で断るんだ。メールなんて失礼だろ。一人一人に電話をかけて謝罪するんだ。罰として、京都マラソンに乗り換えた職員に電話をかけさせろ」
 こうして東京マラソンを大混乱に陥れた。
これこそが、韋駄天もあわてて逃げ出す“京都マラソンオイッチニ大作戦”の全貌であった。

「ワースト2は何だ?」知事は気を取り直して訊く。
「江戸三大祭であります神田祭、山王祭、深川祭が中止となり、日本三大祭であります京都の祇園祭に組み込まれました」
「はあ?」またもや、知事の口の端にウナギの骨がぶら下がる。
「七月に京都で四つの祭りをまとめてやるようです。何分、日本三大祭の一つですから、世界中からも注目されて、たくさんの見物客も集まりますし、マスコミへの露出も多いということで、江戸三大祭の各実行員会が了承したようです」
「東京の祭だというのに、テレビや新聞で取り上げてもらいたいため、京都の祇園祭と一緒にやるというのか?」
「それともう一つ。江戸三大祭りから祇園祭りに参加すると、祇園の舞妓さんとツーショットで写真が撮れるという豪華特典が付いてくるそうです」
「女性議員といい、東京の人間はスケベばっかりだな。――東京の夏祭はどうなるんだ?」
「はい。町内の盆踊りだけになります」
「わびしいな、夏なのに」
「そうですな、夏ですのに」
「今年の盆踊りは例年になく派手に行うように、都内のすべての町に回覧板で通達せよ」
これこそが、泣く子も踊る“祇園祭コンチキチン大作戦”であった。

知事はふたたび気を取り直して訊く。
「ワースト1は何だ?」
「文化庁が乗っ取られました」
「はあ?」しつこく、知事の口の端にウナギの骨がぶら下がる。
かつて東京都にあった文化庁だが、今は京都府へ移転している。東京一極集中を是正するためである。
京都に移転したのは、文化財が豊かで、伝統的な文化が蓄積されており、文化財を活用した観光が強化でき、地方文化の多様性の確保につながるといった、いかにも官僚が考え出しそうな、ややこしい理由がある。
「建物を京都の同志とやら約五十人に取り囲まれているようですが、文化庁の職員はそのことに気づいていないようです」
「つまり、人質に取られているということか?」
「そうなります」
「建物の周りを囲まれたら、窓から見ると、分かりそうなものだが」
「職員は皆さん、真面目に仕事をなさっているようで、いつも机に齧り付いていて、ぼんやりと窓から外を見ている人はいないということです」
「仕事熱心なあまり、気づかないというのか」
「窓から下々の人間を見下ろして、悦に入ってる誰かさんとは違うようです」
「私のことじゃないか。――では、なぜ人質に取られていることが分かったのか?」
「守衛さんから都庁にSOSの電話があったそうです。文化庁職員を建物から一歩でも外へ出すと、半日間だけ自宅待機処分にすると脅されたそうです」
「スケールが大きいのか小さいのか分からんな」
これこそが、泣く子も目を回す“包囲グルグル大作戦”であった。

 渋谷知事は腕を組んで、副知事を睨みつける。口の端にぶら下がっていたウナギの骨はすでに口の中へ戻している。
「資金源は何だ? これだけの作戦を実行しようと思えば、莫大な資金を必要とするはずだ。それも表立った資金ではなく、いわば裏金だ。東京マラソンの参加者や江戸三大祭の実行員会への謝礼はかなりの金額になるだろうし、京都の同志とやらもボランティアで動いてないだろう。何からの見返りを与えているはずだ。京都にそんな資金はないはずだぞ」
「そのことですが、私も不思議に思って、調べさせました。ウワサに過ぎませんが、金閣寺の金を削り取って換金しているそうです」
「何だと! ならば、今の金閣寺は金が剥がれて、ハゲハゲになっているのか?」
「それが、剥がした上から金色の色紙を貼り付けて、分からなくしてあるそうです」
「あいつら世界文化遺産を何だと思ってるんだ!」知事が立ち上がる。「東京が大人しくしていたら、調子に乗りやがって。――ウウッ……」
突然、知事が長身を折りたたむように胸を押さえてうずくまった。
口から細かく砕かれたウナギの骨が吐き出されて、高級絨毯に散乱する。
たちまち、顔面が蒼白になった。
「知事、どうされましたか!?」副知事が駆け寄る。
「どうやら、良くない知らせのワースト4らしい。京都め、私に呪いをかけてきやがった」
 これこそが、泣く子もさらに泣く“新・お経ナムナム大作戦”の恐るべき成果であった。

 副知事があわてて持ってきたコップ一杯の水を飲み干すと、片膝をついていた知事はヨロヨロと立ち上がり、鋭い眼光で高い天井を見上げた。右手で心臓付近を押さえている。
「小笠原副知事よ。私は大丈夫だ。間違っても救急車なんぞ呼ぶではない。東京都知事が救急搬送されたとなると、何ともなくても、悪いウワサが立つからな。いつなんどきでも、都知事は強くあらねばならない。東京が日本の中心であり、日本の首都だからだ。首都を奪回されてはならぬ。死守しなければならぬ。たとえ、相手が見えない敵であってもだ。――いったん私を一人にしてくれるか」
「いや、しかし、そのお体では……」
副知事は狼狽するが、知事は天井を見上げたまま、黙って左手でドアを指さす。
「はっ、分かりました。私は副知事室で待機してますので、終わりましたら、お呼びください」
 副知事はあわてて知事室から廊下に出ると、重厚なドアをゆっくりと閉めた。

 副知事は廊下にたたずみ、たった今、閉めたばかりのドアを見つめながら思う。
 “終わりましたら”と口走ってしまったが、今から何が始まり、何が終わるのか分からない。
知事は呪いをかけてきたと言った。だから何かをやるのではと、とっさに思ったに過ぎない。長年、知事のそばで仕えているが、いまだに分からないことだらけだ。しかし、やられっぱなしということはありえない。
その呪いを消すのだろうか? どうやって? 魔術や魔法でも使うのか?
考えても分からないことだが、あの知事なら何らかの方法を用いて、京都へやり返すだろう。祖父の二の舞にはならないはずだ。このまま高級絨毯の上で呪い殺されることはなかろう。しかし、知事室からは物音一つ聞こえて来ない。
副知事はしばらく廊下で待ったあと、隣の副知事室へ向かった。

 渋谷知事は知事室の真ん中で、目を閉じて、足を踏ん張り、両手を頭上に突き上げ、何やら呪文のような言葉をつぶやきだした。胸の痛みのためか、懸命に歯を食いしばっている。
二メートル越えの長身が立つ様は、室の中心に針葉樹がそそり立っているようだ。
その針葉樹は採光窓から差し込む数本の陽光を浴びて、輝いている。
外から光を受けているのだが、まるで、体中からオーラを発しているように見える。
その奇妙な体勢のまま、静かに時が過ぎる。
知事室では小さく囁かれる呪文の言葉だけが聞こえる。
――やがて、二十分ほどが経過した。
知事の目がカッと開かれた。
蒼白だった顔に生気が戻り、胸の苦しみは消えているようだ。
知事は何事もなかったかのように、マホガニーの机に戻り、副知事を呼び出すと、新たな指示を出しはじめた。
副知事は知事の普段と変わらない顔の表情を見て、何かが終わったと思った。
それが何かは分からないし、訊こうとは思わないが、成功したに違いないと確信した。
この瞬間、知事に呪いをかけていた生臭坊主三名が狩部寺の林の中で昏倒し、渋谷知事の名前が書かれた百体の藁人形が、木に打ち付けられたまま、すべて燃え上がっていた。
知事が跳ね返した呪いの念を、まともに受けたためである。

 渋谷知事は打って出る決心をした。ここまで京都に愚弄されて黙っている方がおかしい。奴らは限界を越えて来た。遠慮なく鉄槌を下してやろう。今年の末日を待つ必要はない。
つい先ほどは身の危険を感じた。呪いの念を数倍にして跳ね返せるという生まれながらの特異な体質を備えていなければ、京都に殺されていたかもしれない。
そして、その場合は病死と判断されていただろう。呪い殺されたのだから、傷跡などないし、知事室には知事一人だけだった。そのことは副知事が証言してくれるだろう。現実には密室殺人など存在しない。つまり、祖父と同じ殺され方をするところだったのだ。
もはや、京都を許すわけにはいかない。こちらから堂々と仕掛けてやる。
これは祖父の弔い合戦の意味でもあるのだ。

 副知事は目の前に直立不動で立っている。
「小笠原副知事よ、私はそろそろ我慢の限界だ。たった今、この命まで取られようとしたのだからな」
 それをどうやって回避したのだろうか。副知事には分からない。
「京都へ総攻撃をかける! お前ももう耐える必要はない。東京の力を見せてやろう。完膚亡きままに京都を叩きつぶしてやろうや」知事が高々と吠える。
「知事、いよいよですか!?」副知事も興奮している。「この日が来るのを待ってましたよ」
「ああ、お前にもずいぶんと待たせたな。――京都へ手紙を書くから準備をしてくれ」
「手紙と言いますのはメールのことですか?」
「いや、紙の手紙だ。筆と墨と硯を頼む」
「メールではいけませんか?」
「大事な話だ。メールごときでは務まらん。書き終えた手紙は小包にして、京都府庁の大原知事宛てに、速達の配達証明付きの書留の代金着払いで送ってくれ」

 おばあちゃんの駄菓子屋の奥にひっそりとある首都奪回特別室。
大原知事を始めとするメンバー全員は四つの大作戦=クアドラプル攻撃が順調に進んでいることを祝って、和菓子と宇治茶で和風宴会を行っていた。勤務中なので酒類は厳禁である。
そこへ速達の配達証明付きの書留の代金着払いの小包が大原知事宛てに届いた。渋谷知事からである。府庁に届いたものを寺町市長が持って来たものだ。着払いのため、府庁では仕方なく配達員に送料を支払ったという。せこい東京のせこい嫌がらせである。
「あの知事は体が大きいのに、やることは小さいな」
知事がボヤきながら、小包を開けてみると巻物が入っていた。
メンバー全員が取り囲む。
「知事、大丈夫ですか?」高辻副知事が訊く。「いきなり爆発するとか……」
 メンバー全員が一歩後退する。
「そうですね。東京は何を仕掛けてくるか分かりませんからね」と言いながら、巻物に耳を当てて、しばらく音を聞いている。時限爆弾のタイマーの音を聞いているのだ。
 しかし、デジタルなら音はしないはずだ。
 メンバー全員がさらに一歩後退する。
「――どうやら何も起きませんね」
大原知事が巻物のヒモをほどき、伸ばしてみると墨で書かれた手紙であった。
なかなかの達筆であり、渋谷知事のサインがある。
「なんですか、この前時代的な手紙は?」
メンバー全員が二歩前進する。
ふたたび知事を取り囲む。

大原知事は眉間にシワを寄せて食い入るように読んでいる。他のメンバーたちは知事が読み終わるのを周りで静かに待っている。大げさに送り付けてきたところからして、東京からの宣戦布告だということは容易に想像できた。今まではほとんど防戦一方であった東京だが、四つの大作戦を喰らって、反撃に出てくるというのだろう。
やがて、読み終えた知事はゆっくりと巻物を元通りに巻き始めた。何か重大な決意を固めたような表情をしている。
やがて、虚空を見つめたまま目を閉じた。
「知事……」高辻副知事がみんなを代表して手紙の内容を問う。「何が書かれているのですか?」
 しばらく目を閉じていた知事だったが、すべてを振り切ったように目を開けた。
「――果たし状です」
「今どき、果たし状ですか。時代劇の見過ぎではないですか。いったい、どういった内容ですか?」
「渋谷知事は私とサシで勝負がしたいと言ってきました。知事対知事、一対一の勝負。つまりは、京都VS東京の代理戦争ということです」
 全員が想定外の内容に沈黙してしまう。
 今までは大掛かりな大作戦を繰り出して来た。それは莫大な費用を使い、首都奪回メンバーが力を合わせて行ってきた、京都対大阪のいわば団体戦だ。
しかし、今度は知事対知事の個人戦になる。
メンバーは渋谷都知事の風貌を思い浮かべた。祖父譲りの二メートルを越す大男だ。
 一方、目の前にいる大原知事は、祖父譲りの色白でお公家さんのような顔立ちだ。
 ――勝てるわけない。体格差がありすぎる。
 ボクシングなら絶対に組まれない組み合わせだ。
 それに渋谷知事は子供の頃から、剣道や柔道をはじめ、いろいろな武術を習得し、有する段を合わせると清水寺の階段を越えると言われている。清水寺の階段は五百二十段あるため、大げさに語られているのだろうが、それほど強いということだろう。
 大原知事はというと運動経験はなく、学生時代は園芸部と演芸部を兼ねて、草花の世話と古典落語をやっていたという。見た目も経験も弱そうなのである。
 いったい、どうすればいいのか?
 メンバーは思い悩む。
他に対決する方法はないのか?
おそらく、将棋や囲碁なら勝てるかもしれない。
演芸大会でも勝てるだろう。
しかし、それなら忘年会の出し物になってしまう。
ならば、この果たし状にどう返事をすればいいのか。
代案を書いて、送り返せばいいのか?
首都奪回特別室に静かな時が流れる。
和菓子は乾き、宇治茶は冷めてしまっていた。

 やがて寺町市長が代表して、重い口を開いた。市長の色白の顔が青白くなっている。市長自身もどうしたらいいのか分からなくなっているのだ。
「大原知事。サシの勝負とやらを、お受けになられるのでしょうか?」
 きっと断るに違いないと思いつつ、訊いてみる。
「もちろん受けます」部屋内がざわめく。「六十年前から続いているこの争いに、そろそろ決着を付けようと思っていました。果たし状はむしろ、願ったり叶ったりといったところです。ですから、文化庁を取り囲んでいる同志に連絡をして、建物包囲の解除をお願いします。私がこの争いの幕を下ろしますから、もはや、人質などは不要です」
「日時はいつでしょうか?」寺町は恐る恐る訊く。
「六月の一日。午後十二時。場所は関ケ原です」
 関ケ原……?
思いもよらない地名に誰もが不思議がるが、知事は話を続ける。
「関西でもなく、関東でもない公平な場所を選んできたのでしょう。今から四百二十二年前に大きな合戦があった地です。今回の戦いに相応しい場所と言えるでしょう。みなさんは私のことを気遣っておられることでしょう。勝ち目のない戦いをどう立ち向かうのかと心配されていることでしょう。ですが、私は逃げも隠れもしません。京都府のトップとして、府知事として、首都奪回の悲願を達成するために、渋谷都知事との一騎打ちの申し出を堂々と受けましょう。――寺町市長、京都タワーを用意してください!」
大原知事の大音声に首都奪回特別室が揺れた。

 六月一日。午後十二時。関ケ原古戦場。快晴。微風だが湿度高し。
ここは西軍八万余、東軍十万余の勢力が激突した場である。
そして、四百二十二年後、この地で日本の首都の所在をめぐった戦いが行われようとしている。
京都の首都奪回メンバーと東京の首都死守特別室メンバーが取り囲む中で、大原知事と渋谷知事が距離を取って向かい合っていた。
百七十センチに満たない大原と二メートルを越える渋谷。
離れていても体格差は歴然だ。はたして勝負になるのかと誰もが思っている。
大原知事は右手に京都タワーを持ち、渋谷知事は右手に東京タワーを持っている。
行司役は地元岐阜県の長良知事である。行司装束を身にまとい、手に軍配を持っている。
関西にも関東にも属さない中立の東海地方からの選出である。

二人の間に立つ長良が双方を交互に見ながら宣言する。
「行司はわたくし長良岐阜県知事が務めます。ルールはいたって簡単。倒れて動けなくなった方が負けです。命のあるなしは関係ありません。生きていても動けなければ負けです。トドメを刺すかどうかは、そのときの勝者しだいです。万一、命がなくなっても心配ご無用です。たっぷりと生命保険をかけております。保険料は京都府様と東京都様から、関ケ原古戦場の使用料をいただきましたので、その中から支払いをいたしました。つまり、勝った方は名誉と首都が、負けた方は死んでも莫大な保険金が受け取れます。ですから、どっちに転んでも、何からのメリットがあり、大損することはありません。周りで応援をなさっている皆様は手出しや助太刀をしてはいけません。あくまでも一対一の戦いです。声での応援は可能ですが、トランペットなどの鳴り物は近隣にお住まいの方々のご迷惑になりますのでお控えください。ジェット風船も禁止です。では、京都府と東京都の意地とプライドを賭けて、思う存分に戦ってください。――ここに、京都府対東京都の最終決着戦の開催を宣言いたします!」
 
晴天の下、長良知事の宣言が声高らかになされ、軍配が返ると、双方はお互いに礼をしてから、果し合いの作法通り、それぞれが古式ゆかしく名乗り合った。
「やあやあ、我こそは京都府知事大原大地である!」
「やあやあ、我こそは東京都知事渋谷拓馬である!」
 大原知事は京都らしく着物姿である。渋谷知事は黒いスーツ姿である。
「大原知事、着物が似合いますね」渋谷が余裕を見せて、声をかける。「自前ですか?」
「東映太秦映画村から拝借してきたものです」大原も余裕を見せて答える。
「ほう、あそこならいろいろな衣装が揃ってますからね」
「はい、衣装以外にもいろいろな小道具が揃っております。――渋谷知事の高級そうなスーツは自前ですか?」
「賄賂でもらったスーツお仕立て券で買った自前のものです。ちなみに英国製です」
「いい生地だと思ったら、英国製ですか。その長身にお似合いですな」
「それはどうも。――いざ、参ろうか!」
「おおぅ!」
 二人の知事がそれぞれのタワーを頭上に掲げた。
 ここに、令和時代の関ケ原の戦いが始まった。

 京都と東京のどちらを日本の首都とするのかという命題に加えて、二人には祖父の敵討ちという大義名分もあった。その答えは数時間後に判明しているはずだ。
 大原知事が京都タワーを中段にかまえた。渋谷知事は東京タワーを上段にかまえる。
大原知事のパワーを受けて京都タワーが赤く光り出す。
東京タワーも渋谷知事のパワーを吸収して赤く変色した。
双方ともに、政治家として知事として、最も脂の乗り切った時期であり、力が漲っていた。
周りで応援する京都の首都奪回メンバーと、東京の首都死守特別室メンバーも、その始まりを黙って見守っている。
京都の首都奪回メンバーである高辻アヤカ副知事はかつて副知事を務めていた祖母である高辻知子の小さな遺影を胸に抱えている。もちろん、今日も祖母の形見である赤い眼鏡をかけていた。
隣に立つ助役の姉小路舞は、同じく助役をしていた祖母姉小路洋子の髪型であるひっつめ髪をまねている。ともに祖母を尊敬し、祖母の後を追いかけて、京都府庁に就職した。
一方、東京の首都死守特別室メンバー十名は六十年前から一新されていた。当時のメンバーはすべて鬼籍に入っている。令和時代の新メンバーも全員が日本の最高峰である東京エリート大学の教授たちであった。
 目の前で東京タワーをかまえている渋谷知事は普段と変わらず、力が漲っているようで、全身から気力があふれ出ているように感じる。
 あんなに元気そうだということは、呪いが効いてないということだ。つまり、“新・お経ナムナム大作戦”が失敗に終わったということか……。
 ナムナム大作戦を仕掛けた高辻副知事は悔しがるが、狩部寺の林の中で、渋谷知事を呪い殺そうとしていた三人の生臭坊主が逆に念力を返されて、絶命し、打ち付けていた百体の藁人形が樹木ごと炎上したことをまだ知らない。
今や、焼け落ちた林の中は悪臭が漂い、三人の坊主の焼死体と百本の五寸釘が不気味に転がっているだけだった。

先に動いたのは大原知事だった。たちまち距離を詰め、中段から上段に振りかぶると、渋谷知事の頭上を目指して京都タワーを振り下ろした。渋谷知事は冷静にこれをかわし、大原の胴に向けて東京タワーを横にして斬り込んだ。
それは大原の腹を掠めて、小さな傷を作ったが、すかさず体勢を整えて、もう一度、頭上を目指して振り下ろす。渋谷はそれを東京タワーで受け止めた。
白色の京都タワーと赤色の東京タワーがぶつかり合って、オレンジ色の火花を散らす。
その瞬間、双方は後方に飛び下がって距離を取り、かまえ直した。
両方の応援席から声援と拍手が巻き起こる。体格差が心配されたが、両者は互角の戦いを演じているからだ。ただ、京都勢は大原知事の腹の傷を心配している。
ふたたび二人の知事が最初と同じ距離で向かい合った。お互いに相手の双眸を見つめたまま、タワーをかまえ、静かに呼吸を整えている。その間は沈黙が続く。
周囲を取り巻いている首都奪回メンバーと首都死守特別室メンバーたちは、お互いに鋭い視線を飛ばしながらも、声援や拍手をやめて、無言で成り行きを見つめている。
長良岐阜県知事も汗ばんだ手に軍配を握り締めながら、この沈黙を動かずに見守っていた。

今度は渋谷が先に動いた。東京タワーで突きを繰り出して来たのだ。大原は横っ飛びでタワーを避けたが、先ほど受けた腹の傷の痛みで動きが鈍っていた。
渋谷はすかさずそれを見抜いた。器用にも間髪入れずに突きの連続攻撃を仕掛けてきた。押されて後ろに下がる大原。
しかし、渋谷にもしだいに疲れが見えてきた。二メートルを越す体格である。それを維持するスタミナの消耗も激しいのだろう。
今度は大原が渋谷の動きが鈍ったことをたちまち見抜いた。体重の軽い体で大きく飛び上がると、真っ赤に光る京都タワーを渋谷の頭を狙って叩きつけた。
渋谷はすんでのところで東京タワーを横にして受け止めたが、それは大原知事の全体重がかかっていた。軽量とはいえ衝撃は大きく、東京タワーは火花を散らし、真ん中から、くの字に曲がって、赤い光も消滅した。
渋谷はひん曲がった東京タワーを地面に叩きつけると「小笠原副知事!」と叫んだ。
 戦いを見守る輪の中から副知事が出てきて、何かを知事に向かって投げつけた。
――東京スカイツリーであった。

新たな武器の登場に驚いた大原だったが、渋谷が宙を飛んで来るスカイツリーを受け止める瞬間を狙って、京都タワーで、ガラ空きになって隙ができている胸に突きを入れた。渋谷は右手でスカイツリーを掴んだが、左胸をグサリと突かれ、血しぶきが噴き出した。
大原は左胸から京都タワーの先端を引き抜くと、東京タワーの突き攻撃のお返しだとばかりに、ふたたび胸を狙って連続した突き攻撃を仕掛けた。
渋谷はスカイツリーを操って防ごうとするが、胸の傷が深いらしく、体の動きが鈍り、ついには地面に片膝をついた。虚ろな目で見上げるが、動ける気配はない。
――今だ!
大原はトドメとばかりに渋谷の頭部を狙って京都タワーを繰り出した。
「――もらったぁ!」大原の声が関ケ原に響く。
 誰もが勝負あったと思った。
 ――ガシッ!
その瞬間、何者かが京都タワーを受け止めた。
渋谷の前に一人の男が立っていた。
「キミは神奈川県の川崎知事!」大原が叫ぶ。
 京都タワーを受け止めたのは横浜ランドマークタワーである。
「横浜の高級テーラーでスーツを仕立てていたら遅くなりました」
 オーダーメイドスーツ姿の川崎がニタっと笑う。
 この隙に渋谷は胸を押さえたまま、ゆっくり立ち上がった。
 あわてて距離を取った大原に向かって、ニタリと笑う。
 私は来週、東京マラソンに出場しなきゃならない。ここでくたばるわけにはいかない。
 副知事の事務ミスで10キロからフルマラソンの参加になってしまったからな。
 しかも、京都の陰険な企みにより、私一人での参加になってしまったのだよ。

この状況を見て大原は渋谷を非難する。
「渋谷知事! これはどういうことですか。副知事による武器の補充に、隣県からの助っ人の登場。私と一対一のサシで勝負するのではなかったのですか?」
 川崎知事と並んで立つ渋谷は左胸から血を流しながら、またもや大原に向けて、ニタリと笑う。
「悪く思わないでくれ。私は東京を守るためなら何でもする」
 京都の応援席からもヤジが飛ぶ。
「行司さん。長良知事!」大原が叫ぶ。「これはルール違反でしょう」
 長良岐阜県知事が駆け寄って来て、大原の全身をつま先から頭の先まで見渡す。次に渋谷の元へ走り、同じく全身をくまなく観察する。
「渋谷知事の方がダメージは大きいため、ハンデとして、東京側の武器の補充と助っ人を許可いたします」長良はそうジャッジして軍配を高々と振り上げた。
「おかしいでしょ!」
京都の応援席から寺町市長の叫び声が聞こえたかと思うと、血相を変えて、走って来た。
大原と向かい合う。
「大原知事、ここは私が助太刀をいたします!」
 同じく市長だった祖父譲りの色白で小柄な体で胸を張る。
「いや、待ってください、寺町市長……」大原が絶句する。
 私もひ弱だが、市長はさらに輪を掛けて弱々しいじゃないですかと言おうとしたが、やさしい大原は言葉を飲み込む。しかし、寺町は戦う気が十分だ。
「知事! 私はこう見えても、毎週日曜日には近所のお年寄りとゲートボールで汗を流してます。体力と集中力には自信があります。こんなこともあろうかと、武器として五重塔を持参して来ております。どうか助太刀の許可をお願いします!」頭を下げてくる。
「ほう、東寺の五重塔ですか。世界遺産ですね。それは頼もしい。しかし市長、お気持ちはうれしいが……」それでは足手まといになりますという言葉もグッと飲み込んだ。「神奈川県の川崎知事の助太刀は想定内です」
「えっ、そうなのですか!?」驚いて大原の顔を伺う。
「はい。そもそも神奈川は東京の味方です。東京から京都へ遷都されると、人の流れも変わり、地価も下落し、神奈川が日本の首都の隣にくっ付いているという経済効果も薄れ、ステイタスも何もなくなってしまいます。それだけは避けたいでしょう。ここまではちゃんと読んでました。――ですので、市長、安心して見物していてください」
「どうするおつもりですか?」不安げに訊く。
「目には目をです」今度は大原がニタリと笑う。「応援席へ戻って、仲間たちに、私は大丈夫だから、手出しは無用とお伝えください」
すぐに寺町が駆け出す。その背中に向かって、大原はつぶやく。
「五重塔は万が一のことがあったときに使ってください。私の墓標として……」
その隙を狙って、渋谷は新しく手にしたスカイツリーで斬り付けてきた。
 大原はあわてて数歩後退したが、腰のあたりを斬られた。
「おのれ、不意打ちをかけるとは、どこまでも卑怯な奴よ!」
東京タワーと東京スカイツリーとでは大きさが違う。大原は目測を誤ったのである。
しまったと思ったのも束の間、続けて、川崎がランドマークタワーを振り下ろしてきて叫ぶ。
「アンタの祖父は神奈川にビラ風船と生ゴミをまき散らしてくれたのだよ!」
「何を言いなさる。おたくの祖父からは多額の損害賠償金を請求された。大理石を敷き詰めた川岸を見たことがあろう。あれはわれわれ京都府民の血税からできているのだよ」
「あんなもの、今となっては黒ずんで、ただの汚い石だ」
「神奈川がこまめな清掃を怠るからであろう。ちゃんと掃除をしていれば、今も輝いているはずである。神奈川の怠慢を京都のせいにしてもらっては困りますな」
大原は二人の知事を相手に戦いながら、気丈にも言い返しているが、スカイツリーとランドマークタワーの同時攻撃を防ぎながらなので、しだいに後退していく。
そのとき、四百二十二年前の関ケ原の合戦で敗走した西軍が残していったカブトにつまずいた。
京都タワーをかまえたまま、尻もちをつく大原。
――しまった! 足元を見てなかったか。
ここぞとばかりに二人の知事が襲いかかった。
タワーを横にして防ごうとするが間に合わない。
――万事休すか! と思われたとき、京都側にも助っ人が現れた。
――ガシッ! ガシッ!
「大原はん、助太刀するでぇ!」現れたのは松村大阪府知事である。
スカイツリーとランドマークタワーを受け止めたのは、大阪が誇る展望塔、通天閣であった。
「ちょっと待った! 松村知事だけにエエ格好はさせないぜ! 我こそは兵庫県知事の豊岡である! 右手に持つは神戸ポートタワーだ!」
 京都側は大原知事に二人の助っ人を加えて、たちまち三人になった。
大原と松村は和服姿だが、豊岡はスーツ姿である。
 スカイツリーを跳ね返されて、唖然としていた渋谷が我に返って叫ぶ。
「三人とは卑怯だぞ、関西勢!」
 松村府知事がすぐに言い返す。
「卑怯とはどの口が言うとるんじゃ! ルールを破ったのはそっちが先やんけ、アホ!   エリート面しやがって! お前らはどんだけ偉いんじゃ! 東京の大ボケ野郎!」
大阪は日頃の恨みを晴らすかのように、ここぞとばかり罵詈雑言を浴びせる。

 京都府と東京都が関ケ原で一戦まみえるという情報は極秘にされていたはずだったが、いつしか全国知事会に漏れ、お互いに助っ人が駆けつけるという異常な事態になっていた。
 おそらく、渋谷知事は川崎知事に協力を要請するだろうと予想していた大原知事は、近隣の松村知事と豊岡知事に助太刀をお願いしていた。
両県ともに、京都へ首都が戻れば恩恵を受けるため、二つ返事で引き受けてくれた。
そして、この作戦はズバリ的中して、東京側を大いに焦らせた。
「大原の奴め、大阪と兵庫を呼んでいたとはな。我らの作戦を読んでおったか。なかなかやるのう。――だが、勝負はまだこれからだ」
 渋谷は不敵な笑みを浮かべる。人数的に不利なはずが余裕を見せている。
 そんな敵将の表情を大原はしっかりと見つめていた。
「渋谷知事はまだ何かを隠しているようだな。だが、こちらもこれからだ」
 気合を入れて、京都タワーをかまえ直す。
「松村知事、豊岡知事、しっかり頼んまっせ!」
「任せといてや!」「やったるで!」
二人からは力強い返事が返ってきた。

「はーけよい、残った! 残った!」行司の長良知事が仕切り直す。
関西の三人の知事対関東の二人の知事の関ケ原の決戦がふたたび始まった。
 京都タワーと東京スカイツリーがぶつかり合う。
横浜ランドマークタワーの両側から、通天閣と神戸ポートタワーが襲いかかる。
金属音が響き合い、火花が飛び、塗装が剥げ落ち、タワーの壁面にヒビが入り、ガラスが割れ、細かな装飾品が飛び散る。
首都を賭けた、京都府と東京都との戦いが、地域同士の戦いとなり、周りで応援している首都奪回メンバーと首都死守特別室メンバーの声援も激しくなって行く。

「観念しやがれ、関東者がー!」
――ガシャーン!
緑色に輝く大阪通天閣が横浜ランドマークタワーの六十九階の展望フロア“スカイガーデン”を粉砕した。ガラス片があたりに飛び散る。
「どんなもんじゃーい!」松村大阪府知事が雄叫びを上げる。「思い知ったか、神奈川! お前らは所詮、東京のコバンザメや! 東京がおらんかったら、何もできん魚類じゃ!」
「くそ。われらのランドマークタワーが……」川崎神奈川県知事が悔し気な表情で後退して行く。
 押される関東勢の二人。押す関西勢の三人。
 地面にはガラス片や金属片、プラスチック片、コンクリート片などが散乱して、キラキラと輝いている一方で、あちこちにおびただしい血の跡が見られる。
やがて、関ケ原の広範囲に渡って血の臭いが漂い始めた。まるで、四百二十二年前の関ケ原の合戦の時のように、生臭い空気が古戦場を包み込む。
双方五人の知事の中で、ケガを負ってない者はいない。短時間で満身創痍と化している。
しかし、首都奪回の戦いは始まったばかりだ。

上層部を壊されて、鉄筋がむき出しになっている横浜ランドマークタワーを振り回しながら、川崎が悲痛な叫びを上げる。
「渋谷知事、我ら二人では分が悪いです! 何とかなりませんか!?」
 高級スーツをズタズタにされた渋谷が叫ぶ。
「心配するな、手は打ってある。あれを見ろ!」
 一人の男がタワーをかついで、ドカドカと走ってくる。
真っ白なつなぎの戦闘服に身を包み、頭にハチマキを巻いた、見るからにヤンキー男だ。
「皆の衆、待たせたな! 俺こそは茨城県知事の笠間だぜぇ。そして、これを見ろ。茨城県が誇る、大洗マリンタワーだ! 海の町大洗を一望できるんだぜ。どうだ、驚いたか。すげぇだろ!」
「……?」
「……?」
「……?」
「まあ、皆の衆が知らなくても無理はない。俺も子供の頃、一度行っただけだからな。――渋谷知事、川崎知事、加勢するぜぇ! 茨城が来たからにはもう大丈夫だ。元暴走族総長の底力を見せてやるぜぇ!」
 渋谷は遅れてやって来た笠間に右手をかざして、敬礼を送った。
「期待してるぜ、ヤンキー知事!」

 京都、大阪、兵庫の三人の知事対東京、神奈川、茨城の三人の知事。
ふたたび同じ人数での戦いとなった。
行司役の長良岐阜県知事は軍配を持つ右手を汗でビチョビチョにしながらも、ホッとして成り行きを見つめている。あまりに一方的ないくさとなりつつあったからだ。茨城がやって来たことで、双方の戦力は同じになった。ここから仕切り直しだ。
応援のために周囲を取り巻く人々はしだいに人数が増えている。助っ人が加わったことで、京都府と東京都以外の地域からも応援団が駆けつけてきたからだ。
もはや、首都をめぐっての京都府と東京都の関ケ原での戦いは極秘でもなんでもなく、全国の知事の知るところとなっていた。――ネット社会の賜物である。
これが京都と東京の戦いに、どう影響を及ぼすのであろうか?

「はーけよい、残った! 残った!」行司の長良知事の声が関ケ原に響く。
兵庫が誇る神戸ポートタワーはスリムなパイプ構造である。激しく打ち付けているうちに、そのパイプにヒビが入りはじめた。そこへ骨太の横浜ランドマークタワーが襲いかかる。展望フロア“スカイガーデン”が破壊されたとはいえ、まだその重厚感は健在である。
兵庫はたちまち神奈川に押される。
京都タワーの上部の展望台は激しい戦闘により、半壊し、赤い光も消えかかり、通天閣の屋外展望台は弾け飛んでしまっていて、発する色は緑から赤へと変わった。通天閣全体のダメージが大きく、これ以上の損傷は危険だという警告の色だ。
仕切り直しのいくさでは、先ほどとは違って、関西勢が押されて来てるのが目に見えている。各タワーの破損状況を見るまでもない。三人の知事の足元もふらついている。
「ちょっと大原はん! 正味の話、この状況は非常にマズイでっせ!」
通天閣を両手で持った松村が、大洗マリンタワーからの攻撃をかわしながら叫ぶ。
「怒るぞ、しまいに! ヤンキー知事の分際で生意気だぞ」茨城県知事の笠間を睨みつけるが、着物の背中の部分が数ヶ所裂けて、うっすらと血が滲んでいる。
「松村知事、ここは何とか耐えてください!」
大原も京都タワーで東京スカイツリーに突きを繰り出しながら叫ぶ。
こちらも腹と腰から血が滲んできているのが見える。
映画村から借りて来た着物が真っ赤に染まっている。
「大原知事!」豊岡知事が今にも折れそうな神戸ポートタワーを振り回し、横浜ランドマークタワーを蹴散らしながら、呼びかける。「実はもう一人、助っ人を呼んでます!」
「それはどなたですか!?」
「三重県知事です!」
「もはや、こちらは限界です。まだ到着しませんか!?」大原が悲痛な声をあげる。
「それが、三重県は関西地方に入るのかどうかで悩んでいるようです。もしかしたら東海地方じゃないか、あるいは北陸地方じゃないか、もしかしたら甲信越地方かもしれない、陸の孤島じゃないのかと危惧されていて、京都勢への参戦には躊躇されているようです」
「なんですって! 関西系のテレビの天気予報の地図には三重県が載ってます。だから、ちゃんと関西地方に入ります。三重県もれっきとした関西の仲間だと伝えてください。期待して待ってますからと伝えてください!」大原の悲鳴のような声が関ケ原に響く。
「分かりました! ――大原知事、松村知事、もう少しの辛抱を!」
 豊岡知事は敵の攻撃をヒビだらけの神戸ポートタワーでかわしながら、器用にも三重県知事宛てに片手でSOSメールを打つ。

 横浜ランドマークタワーと大洗マリンタワーは重厚なため、それを操っている川崎知事と笠間知事にも疲れが見えてきた。
川崎知事はオーダーメイドの高級スーツの太ももの部分を斬られながらも、横浜ランドマークタワーを振りかざし、笠間知事は真っ白のつなぎの戦闘服をボロボロにされながらも、大洗マリンタワーをブンブン振り回している。
渋谷は胸から血を流しながらも、一番の大物であるスカイツリーを叩きつけるようにして、関西勢へ襲いかかっている。
関東の知事はみんな疲れてはいるが、それぞれの武器であるタワーはまだ損傷が少なく、十分に機能しているのだ。
 渋谷がスカイツリーを振り上げて大原に迫って行く。同じ関西の大阪と兵庫には目もくれない。あくまでも、狙うは京都だ。首都を狙っているのは京都だからだ。他の二県はおこぼれに預かろうとしているに過ぎない。
それは大原も同じだ。同じ関東の神奈川や茨城は他の二人にまかせて、東京を仕留めにかかる。東京から首都を奪回するためだ。他の二県が加勢にやって来たのは、首都を関西に奪われたくないからだ。今まで通り、おこぼれに預かりたいだけだ。
その点、渋谷と大原はお互いの思いは一致している。

スカイツリーの先端にあるゲイン塔と呼ばれるアンテナはすでに折れ曲がっているが、本体はまっすぐに伸びている。高強度鋼管という、鉄骨よりも約二倍強い鉄を使用しているため、そう簡単に曲がらないのである。
大原は間合いを測り、長く伸びてくるスカイツリーを、京都タワーの胴体部分で受け止めるが、手が痺れて、ずり落としそうになる。
思わずよろけたその瞬間を渋谷は見逃さなかった。
いったん手元に引き寄せたツリーを両手に持って上段にかまえ、一直線に大原の頭部を狙う。大原は京都タワーを持ち直すだけで精一杯で、頭を守っている暇はない。
「大原さん、避けてください!」豊岡が悲痛な叫び声をあげる。
「アカン。間に合わへん!」松村は思わず、目をつぶる。
スカイツリーが大原の脳天を直撃する寸前、何かが飛んできて、渋谷の右手の甲に突き刺さった。
渋谷は何が起きたか分からず、スカイツリーを離して、痛みが走る右手を見る。
――そこには手裏剣が刺さっていた。
「みなさん、お待たせー!」
 ピンクの忍び装束を着たくノ一が立っていた。
「三重県知事松阪さくら参上!」
「おお、さくら嬢、早かったなあ」豊岡がうれしそうに出迎える。
「はい、忍者走りで来ましたから!――関西の仲間、三重県。忍者のふるさと、三重県。伊勢エビがおいしい、三重県。志摩スペイン村と鈴鹿サーキットがお出迎えしてくれる、三重県。全国最年少知事。若干三十歳。お肌の曲がり角がちょっぴり過ぎた、松阪さくらが来ましたから、もう安心ですよー!」
 そう言って、くノ一知事は右手で四日市港ポートビルを持ち上げようとしたが、重すぎてやめた。代わりにフトコロからクサリ鎌を取り出して、ビュンビュン振り回す。
「ウリャー!」

 渋谷は右手に突き刺さった手裏剣を抜いて投げ捨てる。
――カラン。
手の甲から血が流れ出す。
「おのれ、ちょこざいなガキが! もう少しで大原の奴を仕留めることができたのに、遷都決戦の決着がついたというのに、まんまと邪魔をしやがって」
 知らん顔をしてクサリ鎌を頭上で振り回しているピンク装束の松阪さくら知事を睨みつける。
体勢を整えた大原が横からくノ一知事を頼もしそうに見つめてるが、奴の体は限界に近いだろう。痛みからか、体がガタガタ震えているのが見える。
「向こうは四人。こちらは三人。これでまた京都勢が一人多いというわけか……」
「渋谷知事、ご安心ください!」川崎がランドマークタワーを手に駆け寄る。「こちらももう一人助っ人を呼んでおります!」
「おお、そうか。――どこだ?」あたりを見渡す。
「それがまだ到着していないようで……」

 関東勢の三人が戦闘態勢を整えた。渋谷の目は大原を捉える。狙いはボス格の京都府知事で変わらない。かなりダメージを受けているようで、お公家さんのような上品な顔からは血の気が引いていて、体はふらついている。かけていた銀縁メガネはどこかに飛んで行ったようだ。
東映太秦映画村から拝借してきたという着物はあちこちが傷だらけで、ヨレヨレになって、穴も開いている。特に東京スカイツリーで斬りつけられた腰のあたりの破れは大きく、流れ出た血が凝固してこびりついている。
「あれでは映画村の衣装部さんに叱られるだろうな。買取になるかもしれんな」渋谷はいらぬ心配をする。「しかし、あいつさえ倒せば、残りの知事の戦闘意欲は下がるはずだ。うまく行けば、こちらに付かせることもできる。たった一人では、到底勝ち目はない。応援をしている連中がいるが、あんな奴らはただの雑魚に過ぎない。この東京スカイツリーを一振りするだけで、すっ飛んで行くだろう」
渋谷は松阪知事に手裏剣で傷つけられた左手に、用意しておいた包帯を巻きつけて、気合を入れ直す。すぐに血が滲んできたが、気にせずに放っておく。そのうち凝固するだろう。
自慢のオールバックは乱れ、前髪が垂れてきている。髪からは整髪料が抜けて、ツヤもなく、バサバサになっている。仕立てた高級スーツはズタボロだ。京都タワーで突かれた左胸の出血は何とか止まっているが、ダメージは大きい。幸いなことに心臓には届いてない。
京都府知事、東京都知事。双方がもはや満身創痍で疲れ切っている。
渋谷は大原から目を離さずに考える。
大原は私がやるとして、大原以外の三人の知事には、他の二人の知事でかかって行ってもらうしかない。三対二だが任せるしかない。こちらは大原の相手をするだけで精一杯だ。
大原め、あんなヒョロヒョロなのに、ここまでやるとは思わなかったわ。
敵ながらアッパレといったところだ。
渋谷は傷だらけの手で東京スカイツリーを持ち直す。
さて、次はどう繰り出してやるか。
そう考えていたところに一人の男が駆け込んできた。
「いやあ、遅くなりましたー。栃木県知事の鬼怒川です」右手に宇都宮タワーを持っている。
「遅かったじゃないか!」川崎が文句を言う。
「ノルマのギョウザを食べてたもので……」
「何だ、それは?」
「宇都宮市のギョウザの消費量が宮崎市に負けてしまったためのノルマです。一日三十個食べるという公約を掲げて知事に当選したものですから」
「おお、公約を守るとは政治家のカガミじゃないか」川崎が感心する。「しかし、餃子日本一は浜松市じゃなかったのか?」
「それが今回は宮崎市なんです。前回の三位から上がってきました」
渋谷がわめくように言う。「餃子の話なんか後にしろ! 今はいくさの真っ只中だぞ。それよりも、鬼怒川知事。遅れて来た分、しっかり戦ってくれ」
 そもそも、栃木が遅れて来たのが悪い。
おかげで、三重のくノ一知事に先を越された。
女性知事に手裏剣で手を突き刺されて、まだ気が立っているのだ。
「よしっ、これで四人対四人だ。相手の一人は若い女だが油断はするな。伊賀流か甲賀流か知らんが、忍術を使いやがるぞ!」

 渋谷知事が東京スカイツリーを手に関西勢へ突っ込んで行く。その後を、川崎知事がランドマークタワーを手に続く。笠間知事は大洗マリンタワーをかまえ、鬼怒川知事は宇都宮タワーでかかって行く。

大原知事は京都タワーを手に関東勢に突っ込んで行く。松村知事は通天閣で、豊岡知事は神戸ポートタワーで、松阪知事はクサリ鎌で戦いに挑んで行く。

周りで見ていた京都の首都奪回メンバーが大きな声で応援をしていたのだが、東京の首都死守特別室メンバーの中の二人の大男に睨まれて、しだいに声が小さくなっていく。
おそらく都知事のボディガードだろう。京都御室仁和寺の門の両脇に立つ仁王像のような二人組がにらみを利かせているのである。
そんな雰囲気を打ち消すように、寺町市長が声を張り上げた。
「みんな、あんなデカい奴らは気にするな! 関西の四人の知事を応援するんだ!」
 メンバーの中でひときわ小柄な市長が大声を出して、みんなを鼓舞した。市長の意気込みに全員が答えるよう、応援を再開した。
その大きな声はしっかり四人の知事の耳に届いている。
 あと少しだ。あと少しで決着がつく。首都が決まる。日本が変わる。京都が世界に誇れる首都に返り咲く。――みんなはそう信じて、応援を続ける。

関西勢と関東勢の最終決戦が始まった。
ここまで来ると意地とプライドと勢いでの戦いである。
京都と東京の二人の知事だけが、日本の首都を取り合って戦っている。残りの六人の知事は加勢に来たのだが、相手の知事を倒すことに夢中となり、首都のことなど、すっかり頭の中から消えている。首都をどこに置くかなんて、もはや考えていない。
ならば、日本の首都なんかどこでもいいと言い放った茶髪の女子高生二人組が正しかったのか?
いや、そんなことはどうでもいい。今は相手に勝つことだけを考えている。
勝った後のことは、そのときに考えることにする。負けたらどうなるのかは分からない。京都か東京か、どちらかに付くことになるだろう。
当事者でさえ、何のために戦っているのかよく分からない戦いが続いて行く。
取り巻いている応援団は、互いに負けじと声援を送る。
ひときわ大きな声を出しているのは、仁王像のような都知事の二人のボディガードだ。
仁王のあまりの騒がしさに、魂魄この世にとどまりて、いまだに成仏できていなかった戦国時代の武士の霊が眠りから覚め、東軍、西軍入り乱れ、手を取り合って踊り出す。もっとも盛り上がっているのは足軽の集団か?
四百二十二年ぶりに関ケ原の古戦場は熱くなっていた。

笠間知事が関ケ原を駆けながら雄叫びをあげる。
「俺たちは北関東リベンジャーズだ!」
 並走する鬼怒川知事が疑問を呈する。
「二人しかいないべ」
「気にするな、人生は数じゃない」
「じゃあ、何だ?」
「俺に難しいことを問うな」
「別に難しいわけじないだろ」
 二人が内輪もめをしている所へ、忍者走りで忍び寄った松阪知事はクサリ鎌で大洗マリンタワーと宇都宮タワーをまとめてからめ取った。
「ヤッホー、捕獲に成功ー!」ピンク装束で大喜びする。
笠間と鬼怒川の二人がタワーを持ったまま身動きが取れなくなったところで、すかさず手裏剣が連続して放たれた。
「それっ、これを受けてみなさい!」松阪の手が目に見えないほどの速さで動く。
「わっ、危ないじゃないか!」笠間が大洗マリンタワーから手を離し、転がりながら避ける。
 手裏剣がグサッ、グサッ、グサッと地面に突き刺さる。ちょうど笠間が立っていた所だ。抜群のコントロールを目の当たりにして、背中に寒気が走る。
「このアマ~」鬼怒川も転がって避けるが、ちょうど目先に落ちていた石を拾い、力一杯投げつける。
 松阪はトントントンと三回連続バク転をして、楽々と石を避けた。
「へん、どんなもんだい!」腕を組んでどや顔で睨み付ける。
「すげぇ~、本物の忍者みたいだ。――才能ありです!」鬼怒川が感心するが、
「バカ野郎、敵をほめるな!」と笠間に叱られる。
 二人がタワーにからまったクサリをほどいているところを、松阪は容赦なく攻撃してくる。
 ――プシュッ、プシュッ、プシュッ。
あわてて避けるが、二人にバク転などできるわけない。体のあちこちに激痛が走り、ふたたび地面をゴロゴロと転げまわる。
「イテテ……」
「何だ、今度の忍術は?」
 起き上がって、お互いの体を見てみると、
「笠間知事、大丈夫か。何かがたくさん刺さってるぞ!」
「鬼怒川知事の体もたんへんなことになってるぞ!」
 二人の体中にたくさんの矢が刺さっていた。
松阪を見ると、何やら細長い筒を掲げて、笑い転げている。
――吹き矢だった。
「おいおい、毒は塗ってないだろうな」
「勘弁してくれよ、くノ一さんよ~」
 松阪の本物の忍者のような連続攻撃を受けて、二人の知事は泣きそうになりながら、抱き合っている。二人とも恐怖で足が内股になっていた。
「こらっ、そこの抱き合う田舎知事!」渋谷都知事から檄が飛ぶ。「二人とも、たかだか女一人に何を手こずってるんだ!」
「すいません」笠間茨城県知事が謝る。
「私もすいません」鬼怒川栃木県知事が謝る。
 やっぱり、魅力度ランキングが下位の茨城県と栃木県はダメだな。
助っ人は千葉県に頼めばよかったか……。
 都知事は東京スカイツリーを肩にかついだまま、天を仰いで嘆く。

 二人は刺さった矢を一つ一つ叩き落とした。自分で届かない背中の箇所はお互いに取ってあげた。吹き矢の数は五十本を越えていた。これじゃ痛いはずだ。
「あらあら、仲がよろしいこと」松阪が吹き矢の筒で自分の肩をトントン叩きながら茶化す。
 油断しているところを狙って、鬼怒川が東京タワーを小さくしたような宇都宮タワーで、松阪にかかって行った。
不意を突かれた松阪は足元をすくわれる。
「わっ、ヤバい!」
タワーの先端でピンクの忍者装束の足の部分が切り裂かれた。
「おおっ! キレイな太腿だっぺ!」笠間が興奮する。
「やりやがったな、セクハラ知事が!」松阪は毒づきながらも、懐から布を取り出し、足に巻きつけて応急処置をする。その間に、二人の知事が迫って行く。
松阪の手から何かが投げつけられて、あたりが白煙に包まれた。――煙幕である。
かまわず、煙の中を二人は突き進むが、足の裏に痛みを感じて、またまた転がった。
多数のまきびしが撒いてあった。
「イテテ……」
「いっぱい刺さっちゃったよう」
 それでも何とか立ち上がり、松阪と向かい合う。
「あの女、もう武器は持ってないだろう!」笠間は松阪の体を舐め回すように観察する。
「ああ、見た感じは丸腰だな」鬼怒川も同意する。
 チャンスとばかりに二人で襲いかかるが、大きな声で話していたため、松阪には丸聞こえだった。特に茨城県人は地声がデカい。
「残念ながら、まだまだ武器は持ってるよ。はい。どーぞー」
松阪の右手が振られて、何かが飛んで来た。
 あわてて立ち止まる二人。
「何が、どーぞーだ。この野郎!」
近くで破裂音がした。
「わっ、ピストルで撃たれた!」笠間は尻もちを付く。
 しかし、それは足元で鳴っていた。
 ――パン、パン。
「何だ、ただの爆竹じゃねえかよ」鬼怒川は余裕を見せるが、次から次へと飛んで来る。
「わっ!」「わっ!」
 二人は足をバタバタさせながら爆竹から逃げる。
二人して、足がもつれてまた転ぶ。
今日はよく転がる二人の知事であった。

 豊岡が松阪さくらの助太刀に駆けつけるも、武器とする神戸ポートタワーはパイプが折れて、もはや使えなくなっていた。
ふと見ると、松阪が持参したが、重くて持ち上げられなかった四日市港ポートビルが置いてあるではないか。
「さくら嬢、この四日市港ポートビルを貸してくれ!」豊岡が叫ぶ。
「はい。どーぞー」松阪から応答がある。「ご自由にお使いくださいませ」

笠間と鬼怒川が四つん這いのまま、松阪の爆竹から逃げていると、二人の目の前に二本の足が見えた。
「おお、この高級そうな生地のスーツは神奈川の川崎知事!」
 笠間が顔を上げると、
「はい、不正解です!」
「お前は兵庫の豊岡知事じゃねえか!」
「残念ながら、このスーツは横浜の高級テーラーではなくて、神戸の高級テーラーで仕立てたものだ。関東と一緒にしてもらったら困るぜ」
「どこの店だって変わりはしない……」
 二人は豊岡がかまえている武器を見て、驚愕する。
タワーではなく、大きなビルだ。くノ一知事が持参した四日市港ポートビルだった。
 あわてて回れ右で逃げようとしたところを、その巨大なビルでぶん殴られて、二人は仲良くすっ飛んで行った。
三重県にはタワーと呼べる物がない。やむを得ず、松阪はこの四日市港ポートビルを持って来たのだが、それが功を奏したようだ。
それ見ていた松阪は大喜びして、ピョンピョン跳ねている。
「こんな物も持って来たよ」
くノ一知事は胸元から筒を取り出して、火を付けた。
それは上空に打ち上がり、赤い大輪の花を咲かせた。
打ち上げ花火だった。
青い空をバックにしては、あまり目立たなかったが、関ケ原中に大きな音が響き、みんなは驚いて、空を見上げた。
「松阪はん、やり過ぎでっせ」豊岡も空を見上げながら呆れる。「三重は地味な県だけど、やることは伊勢エビくらい派手でんな」

 川崎が横浜ランドマークタワーを両手に持って振り回して来るのに対し、松村は通天閣で躍りかかる。しかし、展望台がある高層階はほとんど破壊されており、ランドマークタワーに比べるとスリムな本体はひん曲がっている。
 そして、ランドマークタワーとぶつかり合うたびに、火花を散らし、しだいに崩壊していく。いつも胴体に映し出されている電機会社のネオンサインは、度重なる衝撃を受けて消えてしまっている。
 松村は通天閣の上から下まで見渡した。警告の印である赤色に染まったままだ。
こいつががどこまで耐えられるのか分からん。そやけど、刺し違えても横浜ランドマークタワーをやっつけたる。
通天閣よ。ボロボロにしてしもて堪忍な。もう少しだけ辛抱してくれ。
わざわざ大阪から飛んで来たんや。タダでは帰らんで。
関東者に、なにわのド根性を見せたるわ。
「川崎はん、わしはまだまだやでぇー。覚悟せんかい!」
「松村さん、さすが大阪の人間、元気だけはいいですな。横浜のランドマークタワーも、高級テーラーで特注したこのスーツも限界に近いようです。そろそろ決着をつけますよ」
「言うてくれるやないか。そやけど、こっちも負けへん……」
 そのとき、赤色の通天閣が点滅を始めた。
――ピコン、ピコン、ピコン。
松村は焦った声を出す。
「あかん、あかん、あと三分間で通天閣がバラバラになりよる」
 ほんなら、これが最後の一撃じゃ。
「よーし、行くでー!」
松村は自分自身に気合を入れて、地を蹴ると、通天閣を川崎の頭上へ、思いっきり打ち込んでいった。突然の攻撃に、大きすぎるランドマークタワーを持て余した川崎は一瞬、避けるのが遅れた。
―—ガツッ!
川崎の側頭部に通天閣がめり込んだ。
通天閣の残っていたガラス部分がすべて割れて、吹き飛んだ。
白目をむき、横浜ランドマークタワーを抱えたまま、ゆっくり崩れ落ちる川崎……。
「どや! 横浜がなんぼのもんじゃーい! 通天閣にはビリケンさんが住んどるんや。負けるわけないやろ。――何? 関東人はビリケンさんを知らんか? ほな、説明しよう!   
頭がとんがって、目が吊りあがってる子供の姿をしてる幸運の神さんや。足の裏を撫でると幸せになるんや。以上、ウィキペディアじゃー!」
動きを止めたことで、通天閣は点滅から点灯に戻り、バラバラになるのを免れた。
危ないとこやったなあ。
松村は戦友である通天閣に頬ずりをした。すりすり。

大原の持つ京都タワーは、渋谷の東京スカイツリーと何度も激突を繰り返すうちに、すでに傷だらけになっており、白い塗装があちこち剥げ落ちている。
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――ガッ!
そのとき、渋谷は頭部に大きな衝撃を受けた。
全身に痛みが走り、思わず片膝をつくが、かろうじてスカイツリーは離さない。
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目の前には京都タワーをかまえて立つ大原がいるし、助太刀に来た松村、豊岡、松阪の関西勢知事もいる。関東勢の川崎、笠間、鬼怒川の姿も見える。
自分を含めて、八人の知事が全員揃っている。
「新たな助っ人が来やがったのか!?」
体が痺れて硬直している渋谷は目玉だけを動かして上に向ける。
見えたのは頭部に食い込む赤い鉄筋だった。
――東京タワーか!
戦いの序盤でくの字に折れ曲がり、放棄した東京タワーで後ろから頭を強打された。
「関ケ原の戦いには裏切りが付き物というわけか、小笠原!」
 渋谷知事が頭からタワーをはずし、全身の力を振り絞って立ち上がり、振り向いたところには、小笠原副知事がニヤニヤ笑いながら立っていた。
肩に折れ曲がった東京タワーをかついでユラユラ揺すっている。
べったりと付いているのは渋谷の血だ。
「謀反というわけか……?」ヨロヨロと立ち上がった渋谷が問う。
「これまでの数々のパワハラの恨み、忘れずにいられようか」副知事が睨む。「私の祖父の代から副知事は都知事により、馬車馬のようにこき使われ、虐げられてきた。都知事を恨んだまま死んで行った祖父に代わって、成敗してやる日を虎視眈々と狙っておった。やっと、その日が来た。時代を越えたこの恨み、この機会に晴らしてくれるわ!」
小笠原は、くの字の東京タワーで襲いかかってくる。
それを渋谷はスカイツリーで受け止める。
東京タワーVS東京スカイツリー。
東京都内の新旧の塔がぶつかり合う。
――ガリッ!
大きな音がして、派手な火花が噴出する。
突然、東京都知事と東京都副知事の戦いが始まった。

唖然とするのは今まで東京都知事の相手をしていた大原京都府知事である。
敵である自分を放ったらかしにして、何を始めるというのか?
京都タワーを抱えて呆然と立ちすくむ。
遠くで戦っていた関西勢も動きを止める。
「これはおもろい。東京は仲間割れかいな」松村大阪府知事はうれしそうだ。
「よしっ、がんばれー」豊岡兵庫県知事はどちらかを応援しはじめる。
「やっぱり、願うは相打ちだね」ピンク装束の松阪三重県知事はクールだ。
 行司役の長良岐阜県知事は軍配を手に持ったままオロオロしている。
 双方の応援席もどうしたらいいのか分からず、沈黙を続けている。都知事の二人のボディガードは、当然ながら知事を応援するのだが、迷っているのか、遠慮しているのか、声が小さく、何を言っているのか聞き取れない。副知事にも日頃からお世話になっているからだ。義理に熱い仁王たちである。

 関東の三人の知事も突っ立ったままだ。
「俺たちはどうすればいいの?」
「全然分からない」
鬼怒川栃木県知事と笠間茨城県知事は泣きそうだ。
「おい、ボヤボヤするな! 関西勢に隙ができているぞ!」
ふらつきながら立ち上がった川崎神奈川県知事が気合を入れて、二人を鼓舞する。
「奴らはのんびり見物している。今がチャンスだ。不意打ちをかけるぞ!」
 川崎が横浜ランドマークタワーをかついで走り出す。
「おう! 行くべ!」
「おう! やるべ!」
 鬼怒川と笠間もそれぞれ宇都宮タワーと大洗マリンタワーを肩にかついで後へ続く。
 三人が関西勢に突っ込んで行き、ふたたび六人は睨み合った。そこへ対戦相手が不在となった大原知事も駆けつける。

「おーい!」そのとき、遠くから声がした。
 周りで声援を送っていた京都の首都奪回メンバーと東京の首都死守特別室メンバーたち及び各県の応援団の人垣が、モーゼが海を割ったようにさっと二つに分かれ、その間を一人の男が走ってくる。
「おーい!」
仁王像のような都知事のボディガード二人組が、行く手を阻止しようと両手を広げるが、その脇をうまくすり抜けた。
「おーい!」その男はモーゼではなく、有田和歌山県知事だった。
「みなさん、待ってくださーい!」
「おお、これは和歌山の。どうなされた?」大原が戦いの手を止めて訊く。
「太平洋から大船団が日本列島に近づいております!」
「何! それはどこの船だ!?」渋谷も驚いて訊く。
「青、白、赤の三色国旗。フランスです。船首に立つはフランス大統領! 右手にエッフェル塔を持っています!」

 関ケ原が騒然とする。
いったん戦闘を止めた各府県の知事を始め、応援席も静かなままだ。
みんなの気持ちは同じだった。
大船団だって!? それはどれくらいの規模なのか?
フランスだって? いったいどうすればいいのか?
国家同士の戦いなら、それは戦争ではないのか。
みんなは情報を持って来た有田知事を見つめるが、有田もこれからどうすればいいのか、途方に暮れている。顔が有田ミカンのように赤く染まる。
 そのとき、ふたたび人垣が割れた。
人々の間を一人の老人が杖を突きながら、ゆっくりと歩いて来る。和服姿だ。
その老人を見て、八人の知事と一人の副知事、行司までもが直立不動になった。応援席も総立ちとなり、静まり返る。
老人は低い声で話しかけてきた。
「渋谷拓馬東京都知事よ」
「はっ!」渋谷さえも背筋を伸ばす。            
 つづいて、老人は大原京都府知事を見る。
「大地よ」
「はい。お爺様!」
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「しかし、御大。我々はもはや……」渋谷が苦しげに言う。
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「ああ、分かっておる」大原幸三は渋谷の発言を途中で止めた。「先ほど連絡をしておいた。四十七都道府県すべての知事が、ここ関ケ原古戦場に集結する。――渋谷都知事よ、大原府知事よ、力を合わせて指揮を執りなさい」
 関ケ原に湿気を含まないカラッとした一陣の風が吹いた。

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ミステリー
僕は、総務の黒川さんが好きだ。 話も合うし、お酒の趣味も合う。 彼女のことを、もっと知りたい。 ・・・どうして、いつも長袖なんだ? ・僕(北野) 昏寧堂出版の中途社員。 経営企画室のサブリーダー。 30代、うかうかしていられないなと思っている ・黒川さん 昏寧堂出版の中途社員。 総務部のアイドル。 ギリギリ20代だが、思うところはある。 ・水樹 昏寧堂出版のプロパー社員。 社内をちょこまか動き回っており、何をするのが仕事なのかわからない。 僕と同い年だが、女性社員の熱い視線を集めている。 ・プロの人 その道のプロの人。 どこからともなく現れる有識者。 弊社のセキュリティはどうなってるんだ?

広くて狭いQの上で

白川ちさと
ミステリー
ーーあなたに私の学園の全てを遺贈します。   私立慈従学園 坂東和泉  若狭透は大家族の長男で、毎日のように家事に追われている。  そんな中、向井巧という強面の青年が訪れて来た。彼は坂東理事長の遺言を透に届けに来たのだ。手紙には学園長と縁もゆかりもない透に学園を相続させると書かれていた――。  四人の学生が理事長の遺した謎を解いていく、謎解き青春ミステリー。

かれん

青木ぬかり
ミステリー
 「これ……いったい何が目的なの?」  18歳の女の子が大学の危機に立ち向かう物語です。 ※とても長いため、本編とは別に前半のあらすじ「忙しい人のためのかれん」を公開してますので、ぜひ。

勿忘草 ~記憶の呪い~

夢華彩音
ミステリー
私、安積織絵はとある学校に転入してくる。 実は彼女には記憶がない。その失われた記憶を取り戻すために手がかりを探していくのだが… 織絵が記憶をたどるほど複雑で悲しい出来事が待っているのだった。 勿忘草(ワスレナグサ)シリーズ第1弾 <挿絵 : パラソルさんに描いて頂きました> 《面白いと感じてくださったら是非お気に入り登録 又はコメントしてくださると嬉しいです。今後の励みになります》

この欠け落ちた匣庭の中で 終章―Dream of miniature garden―

至堂文斗
ミステリー
ーーこれが、匣の中だったんだ。 二〇一八年の夏。廃墟となった満生台を訪れたのは二人の若者。 彼らもまた、かつてGHOSTの研究によって運命を弄ばれた者たちだった。 信号領域の研究が展開され、そして壊れたニュータウン。終焉を迎えた現実と、終焉を拒絶する仮想。 歪なる領域に足を踏み入れる二人は、果たして何か一つでも、その世界に救いを与えることが出来るだろうか。 幻想、幻影、エンケージ。 魂魄、領域、人類の進化。 802部隊、九命会、レッドアイ・オペレーション……。 さあ、あの光の先へと進んでいこう。たとえもう二度と時計の針が巻き戻らないとしても。 私たちの駆け抜けたあの日々は確かに満ち足りていたと、懐かしめるようになるはずだから。

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