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遷都決戦~京都VS東京~ 「前編」
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「遷都決戦~京都VS東京~」 前編
右京之介
“首都奪回特別室”と呼ばれている部屋に八人が集まっていた。
「只今から第六回首都奪回会議を行います」
議長役である京都府副知事の高辻知子があえてマイクを使わず、小さな声で宣言をした。
これは京都府庁の中でもごく一部の人間しか知らされていない極秘会議であり、部外者に
は一言も聞かれてはならないからである。廊下を行き来している職員にも聞かれてはいけ
ないため、開催に当たっては毎回細心の注意が払われていた。
ここは知事室の奥にひっそりと存在する小さな特別室である。この部屋の存在も一部の
人間しか知らされていない。ほとんど人が寄り付かないような倉庫スペースだったのだが、会議ができるように机と椅子が運び込まれていた。
部屋に入るためのドアには、ただの壁に見えるような細工を施し、一見しただけでは分からないように隠されていた。
それでも念を入れて、廊下に出るためのドアと特別室に通じるドア付近にはさり気なく人を立たせ、会議中に人が来たときには、追い返すことになっている。さらに知事の机の上にある黒電話のそばにも人を待機させていた。もし極秘会議の途中に電話がかかってきても、重要な会議の最中だとして、知事には取り次がないように決められていた。
出席者は京都府知事の大原幸三。議長役も兼ねている副知事の高辻知子。京都市長の寺町徳人。助役の姉小路洋子という幹部職員の四人に加え、京都府庁の中から選抜された五条、白川、醒ヶ井、黒門という男性職員が四人。――合計八人である。
知事以外の七人は普段それぞれの仕事を持っているのだが、その仕事とは別に知事から直接の特命を帯びていた。
彼らを選抜したのは大原知事自身である。極秘に身辺調査を進め、面接を繰り返し、決定したのである。ゆえに知事にも任命責任がある。もしも計画が失敗したならば、彼らとともに知事も何らかの責任を負うつもりであり、各人にもそのように伝えてあった。
任命されたメンバーも知事のこの捨て身の決意をしっかりと受け止め、七名全員が一蓮托生の覚悟で任務を引き受けることにした。
知事からの特命の内容は、家族にさえも決して漏らしてはいけない極秘事項であり、七名は任務へ就くにあたり、誓約書を書かされた。誓約を反故した場合には、解雇処分を受けるとともに、家族も親戚一族も全員が京都府外へ追放されるという恐ろしい掟になっていた。
彼らこそは、東京から京都へと首都を奪回するために選ばれた特別メンバーであった。
高辻副知事が赤い眼鏡を右手でグイッと引き上げながら報告を行う。
「まず、先月から決行しております“買い占めウハウハ大作戦”ですが、経過はあまりよろしくありません。相当な経費をかけた割には、目に見える結果が出てないということです。残りの予算も少なくなっており、これ以上の作戦継続は難しいのではないかと判断いたします」
「高辻副知事の報告の通りです」大原知事が話を引き継ぐ。「残念ですが、本日付けをもって、“買い占めウハウハ大作戦”はいったん中止といたします。秘密裏に捻り出した予算も底を突きかけております。来期の予算編成まで、何とか工夫を重ねて、残金を持たせなければなりません。状況はそこまで逼迫してます。ただし、あくまでもいったん中止であり、また再開するという可能性は残しておきます。こんなことで、我々の長年の悲願を諦めるわけにはいきません」
知事は鋭い目で七名の精鋭メンバーを見渡した。
“買い占めウハウハ大作戦”とは、日本から「東京」と名の付く商品を片端から買い占め、国民の目に留まらないようにして、東京の存在そのものを薄れさせるという広大な作戦であった。
メンバーたちは、東京の人間が聞けば、その作戦の恐ろしさに身を凍らせるに違いない、そして、その恐怖は関東全域にも及んで行くと確信していた。
具体的には「東京」と名の付くレコード、書籍、貴金属、化粧品、衣料品、食べ物、贈答品、お土産などを京都府の特別予算で買い占めるという気の遠くなるような作戦である。
レコード店の店頭から「東京音頭」や「東京ナイト・クラブ」「東京ブギウギ」「東京ラプソディー」といった歌謡曲が消えたのはそのせいであり、書店から東京のガイドブックが消えて、他の地域のものと差し替えられたのも、その作戦の成果である。
また、東京ダイヤモンド、東京香水、東京スカート、東京佃煮、東京ハム、東京名物ひよ子饅頭も店頭で見かけなくなったのは、京都府の予算で買い占めたからである。
さらに、テレビやラジオから東京と名の付く番組や音楽が流れ出したら、すぐにチャンネルを変えるか、スイッチを切るよう京都府下の各家庭には回覧板で通告がなされていた。
京都府民から東京への憧れや親しみを排除するための戦略であった。
しかし、この通告の発信元が京都府庁だということは伏せられていた。知事をリーダーとする首都奪回特別メンバーが陰で暗躍していることを、敵である東京に知られてはいけないからである。あくまでも、京都府民の間から自然発生的に首都奪回の運動が沸き上がって来たように見せかけていた。これも作戦に含まれていることである。
そのため、後に編纂される京都府史のこの時期の事柄を見ても、たった一行、「この頃、京都府下において、首都奪回の機運が高まった」としか書かれていない。
“買い占めウハウハ大作戦”には莫大な資金を必要としたため、残念ながら志半ばで潰えてしまい、京都府庁の地下倉庫には、レコードや書籍など大量の東京関連の物品が残された。
だが、皮肉なことに、品不足が逆に話題となり、タイトルに「東京」と名の付く歌謡曲がヒットチャートの上位を占め、東京のガイドブックや東京を舞台とした小説がベストセラーになるという珍妙な現象が起き、全国の音楽ファンや読書家には不思議がられ、結局は東京が注目されることになってしまった。
国民から東京の存在を薄れさせて、首都を京都へ取り戻そうとした“買い占めウハウハ大作戦”であったが、京都にとっては逆効果になり、弊害でしかなかったのである。
これでは知事の眼光が鋭くなるのも仕方あるまい。
しかし、東京はいずれ、京都の不穏な空気を察し、首都奪回特別メンバーの存在に気付
くに違いないと知事は読んでいる。そこで、東京が気付いたときには、国民の気持ちがすでに首都遷都に傾いて、もはや取り返しがつかないという状況にまで持って行っておきたい。
そのためには、失敗した“買い占めウハウハ大作戦”に続く第二の矢、第三の矢を放
つ必要があった。そして、その準備はメンバーの間で着々と進められていた。
「続いて次の議題に移ります」高辻副知事が冷静に続ける。「前回の会議で日本の首都移転について、若い人の話が聞きたいという意見が出ました。そこで今回は学生さんをお二人お呼びしております」
ドアに向かって歩いて行くと、顔だけ外へ出して、二人を呼び入れる。
「どうぞお入りくださいませ」
二人の女子中学生がおずおずと部屋に入って来た。二人ともおさげ髪のセーラー服姿で、手にはカバンを持っている。学校帰りのようだ。背格好が似ているが姉妹ではないらしい。
「そちらにお座りくださいませ」高辻副知事が空いている二つの席をすすめる。「まずは簡単な自己紹介からお願いいたします。その後は忌憚のない意見を述べてくださいませ」
二人とも緊張した面持ちを向ける。
高辻副知事は幼い女学生相手に言い方が少し堅すぎたかと思い、
「狭い部屋でごめんなさいね。座ったままでいいから、何でも自由に言ってくださいね。今日はそのために来てもらったのですからね。誰も怒りはしませんから安心してね」とニコニコしながら付け足した。赤い眼鏡の奥の目がやさしくなった。
他のメンバーも女学生をリラックスさせてあげようと、笑顔でウンウン頷いてあげた。
二人は顔を見合わせてから、順番を決めたらしく、言われた通り、座ったまま発言を始めた。
「大宮恵子と申します。清水寺中学三年生でございます。今回はお招きいただきましてありがとうございます」丁寧に頭を下げる。出席者も自分の娘のような学生に頭を下げる。
「では、私の忌憚のない意見を述べさせていただきます。日本の首都ですが、私も京都がよろしいかと存じます。と言いますのも、もともと京都が都だったわけですから、それを幕末のドサクサに紛れて東京に移してしまったのはおかしいと思います。天皇様がお引越しをされる際に、京都の人たちは猛反対をされたと伺っております。すぐに帰って来られると言われて、当時の人たちは納得されたそうですが、いつになっても戻って来られません。天皇様のお住まいであります京都御所は、いつ戻って来られてもよろしいように、いつもちゃんときれいに整備されております。私は先祖代々、京都御所のそばに住んでおります。緑溢れる、静かで、品のある、それはそれは、天皇様のお住まいにふさわしい魅力的な所でございます。他にも金閣寺、銀閣寺、清水寺、二条城と歴史的建造物が京都には多数ございます」
メンバーはそれぞれの名所旧跡を頭に思い浮かべる。
「一方、東京の名所と言いましたら何処でございましょうか。皇居となっております江戸城でしょうか。東京タワーでしょうか。他には……? すぐには思いつきませんわ。それだけ、魅力に欠けるということではないでしょうか。魅力のない都市が首都になっては世界の恥ですわ。各国首脳も訪れる機会がたくさんあるわけですから、魅力乏しき東京ではなく、魅力溢れる京都であるべきだと思います。ですので、ぜひ皆様のお力で首都を東京から京都へ返していただきたいと、私は心より願っております。――私からは以上でございます」
年端も行かないかわいい中学生に皆様のお力と言われて、知事を始め、全員が満更でもないという顔をする。若い人の期待がひしひしと伝わって来たからである。
“買い占めウハウハ大作戦”がうまくいってないだけに、嬉しさもひとしおであった。
大宮恵子はぺこりと頭を下げて、もう一人の女学生と交代した。
「川端美代子と申します」こちらも座ったまま、丁寧に頭を下げる。「大宮さんと同じく清水寺中学三年生でございます。今回はお招きいただきましてありがとうございます。私も大宮さんと同じ意見で、日本の首都は京都がよろしいかと存じます。私が生まれ育ったということもありますが、地理的条件にしても京都が良いと思います。と申しますのも、京都は大都市大阪と隣接しており、近くに港町神戸もございます。何かと便利です。その点、東京の周辺と申しますと、埼玉、栃木、茨城という魅力に欠ける田舎の地方県ばかりです。それに京都の方がずいぶんと歴史がございます。急に開拓が始められて、あわてて埋め立てられた安普請の東京とは一味も、二味も違います。やはり、首都には歴史の重みも必要と考えております。それは外国の方々にも興味をお持ちいただくほどの素晴らしい歴史であるべきだと思います。歴史に加えて、食文化はいかがでしょうか。京都にはお茶やお漬物や和菓子をはじめとして、たくさんの名物がございます。伏見のお酒も有名です。と言いましても、私は未成年でまだ飲めませんが」
メンバーから笑いが漏れる。
「一方、東京はどうでしょうか。すぐに思いつく名物はございますか? 私はございません。いったい、東京都民は毎日、何をお召し上がりになっているのでしょうか? 私の好物と言いますと和食です。京都と言えば和食ではないでしょうか。江戸時代からございます聖護院かぶらの千枚漬けなどはとてもおいしゅうございます。そのまま食べてもよし。お茶漬けにしてもよし。私はお漬物があれば、ご飯は何杯でもいただけますわ。他にも京都にはおいしいものが……」
大宮恵子は、食いしん坊で食べ物の話を始めたら止まらなくなる川端美代子の袖を隣からこっそりと引っ張る。美代子も引っ張られた意味に気づく。
「あらあら、ごめんあそばせ」我に返る美代子。さっと顔を赤らめ、すぐに食べ物から話題を変えた。「今回、この極秘会議に招かれるにあたりまして、私はそれとなく、同級生に聞いて参りました。すると、全員が首都は京都が良いと申しておりました。聞くまでもないことでございました。ですので、私も京都が首都であることを願います。おそらく、東京以外に住む若い方々は皆様、そう思われているのではないでしょうか。私からは以上でございます」
そう締めくくると川端美代子は一同に向かって一礼した。大宮恵子ももう一度頭を下げた。中学生にしては随分と礼儀正しい二人に、出席者たちは恐縮して深々と頭を下げた。
「川端さん、大宮さん、お二人とも貴重なご意見をありがとうございました」高辻副知事はお礼を述べた後、特別室を見渡して言った。「皆様、せっかくの機会ですから、お二人に何か質問がございましたら、ご遠慮なくどうぞ」
一人の女性が挙手をした。京都市助役の姉小路洋子である。髪をひっつめにしている。
「若い人の中にも首都待望論があると分かり、安心いたしました。京都が首都になりますと、教科書の記述変更などが行われます。お勉強に支障が出ることはございませんか?」
川端美代子がすかさず答えた。
「私たち京都の学生にとっては、まったく心配ございません。京都が首都になることで、ますます地元愛が溢れ出し、ますます京都が好きになると思います。つまり、勉強もはかどるということです。むしろ、教科書や地図を作っている会社が大変だと思いますわ。それと、国会議員の皆様は国会が召集されるたびに、京都へ来なければなりませんから、大変ではないでしょうか?」
女学生から逆にやり返されて、メンバーの間から笑い声が漏れる。
つづいて、京都府職員の五条が質問した。
「京都が日本の首都になったとして、お二人は何かやりたいことがありますか?」
この質問には大宮恵子、川端美代子の順で答えてくれた。
「私は京都の伝統ある文化を日本中はおろか、世界の人々にまで発信していきたいと思っております。たとえば、着物、西陣織、京扇子、京仏具、清水焼、祇園祭などでございます」
「私は京都の食文化を発信していきたいと思います。たとえば、宇治茶、たけのこ、栗、まつたけ。それに、ナス、ゴボウ、カブ、などの京野菜。特に九条ネギは甘くて風味がございますわ。それと、京都といえば、私も大好きなパンですわ。京都はパンの消費が多いのですが、地元民以外にはあまり知られておりません。私がぜひ全国の人々に知らせてあげたいと思っております。他にもタコ焼きにお好み焼きなどの粉物。あっ、そうですわ。私は餡子が大好物でして、大判焼きに今川焼――ああ、同じでしたわね。つぶあんでもこしあんでもおまんじゅうには目がございません。おまんじゅうとお茶は最高の組み合わせと思っておりますわ。それに……」
食べ物の話が止まらなくなり、またもや、途中で大宮恵子に袖をこっそりと引っ張られて、川端は赤面しながら話を終えた。
つづいて、京都府職員の醒ヶ井が質問した。
「東京から京都へ首都を変えようと、我々は日夜、粉骨砕身しているところですが、あなた方自身は何か変わりたいことがありますか?」
「はい」大宮恵子が挙手する。「日本の首都としてこれまで以上に外国人の方が来られると思います。そのために今からしっかり英語の勉強をしておきたいと思っております。将来は英語を使ったお仕事に就きたいとも考えております」
「ほう、そうですか。それは素晴らしい」
川端美代子もつづけて発言する。
「私も英語には興味を持っております。これから国際化された社会が来ると言われているからです。コンピューターが発達し、世界各国の垣根が低くなり、交流が深まると考えられております」
「ほう、そんな世の中になりますか?」
「はい。そのために、私も今からしっかり英語を身につけておきたいと思っております」
「いやあ、これは頼もしい。あなたたちのような若者がたくさんいれば京都はずっと安泰ですな。いや、京都どころか日本が安泰ですなあ」
醒ヶ井は満足げに頷いた。他のメンバーもうれしそうな顔をした。
二人の女学生は恥ずかしそうにうつむいた。
質問がいったん途切れたところで、和服姿の年配の男が挙手をした。細身で黒い眼鏡をかけ、髪を七三に分けている。色白でお公家さんのように上品な顔立ちだ。
「京都府知事の大原幸三です。お若いお二人の意見を聞きまして、さらなる力が沸いてきました。京都への首都奪回は必ず達成いたしますよ。それは京都の人間の間で、代々引き継がれていた長年の夢ですからね。そのために、ご覧の通りの京都府庁の精鋭を集めておりますから、どうぞ期待してお待ちください」
大原知事は実際にお公家さんの血を引いている由緒ある人物であり、代々京都府知事を務めているという家系の出である。京都の大原一族といえば、日本史の教科書にも出てくる有名な家柄なので、全国的にも知られているだろう。
「それはいつ頃までにできそうでしょうか?」大宮恵子が逆に知事へ質問をする。
「具体的な日にちまでは申し上げられませんが、早急に叶えたいと願ってます」知事は真っすぐに二人を見つめながら答える。「その日が来るまで、京都の学生さんたちにはしっかりと勉学に勤しんでいただきいと思っております。本日は貴重なお時間をありがとうございました」
最後に突然、鋭い目を二人へ向けて来た。
「本日ここで見聞きした事柄はくれぐれも内密でお願いしたい」
たとえ中学生であっても、この首都奪回メンバー及び首都奪回特別室の存在を第三者に漏洩してもらったら困る。家族にも言わないように釘を刺しておく。そのために、二人には少なくない謝礼を支払うことになっていた。当然、そのお金は家の人に見つからないようにと言ってある。
「こんな貴重な場に呼んでいただきまして、誠にありがとうございました。お約束通り、秘密は厳守いたします」大宮が約束をすると、
「私たちも京都に首都が戻る日が来るのを楽しみに待っております。それまで勉強を怠らないように致します」川端も誓いを新たにした。
二人は丁寧に最後の挨拶をすると、無事に大変な役目を果たせたと安堵したのか、ほっとした表情を浮かべて、足取りも軽やかに特別室を出て行った。
外で待機していた職員が二人に現金で謝礼を渡して、受領のサインを受け取ると、京都府庁の出入口まで送って行った。
そして、廊下を歩きながら、最後にもう一度、しつこいようですが、この会議のことは極秘にするようにと言い含めておいた。
日本の首都が京都から東京へ遷都されたのは、一八六八年九月のことである。それ以降、何とか首都を奪回できないものかという熱い思いが、京都府民の間には今日に至るまでくすぶり続けている。
その思いを最も重く受け止めていたのは、言うまでもなく政治家の面々であった。東京に気を使って、表立っての公約には掲げていないが、京都府民からの陳情は後を絶たない。そんな思いを受け止めて、京都府知事の肝いりで極秘に組織されたのが首都奪回特別室であった。
東京の考えを探るために、他の府庁職員には内緒で首都奪回担当メンバーは出張を繰り返し、首都移転の報告書を取りまとめた。
その結果分かったことは、東京の人間は首都を京都へ戻すことなど、これっぽっちも考えていないということであった。それゆえに、上京して、それとなく首都についての話を持ち出した担当メンバーは、政治家や財界人をはじめとする関係者に、ことごとく鼻で笑われて帰って来た。
予想されていたこととはいえ、京都府大原知事はあまりにも非情な仕打ちに対して、怒り心頭に発し、これ以上、かたくなな東京人とは話し合う余地はないと判断して、首都を取り戻す作戦に打って出る決心をしたのである。
ただし、これには膨大な時間と費用を必要とする。また、東京サイドに作戦が漏れてはいけない。そのため、知事に忠誠が誓える人材と、裏帳簿で予算をやりくりできる人材を選抜していた。
大原知事が全員を見渡した。
「みなさん、若い人たちの意見を聞いたでありましょう。京都府下在住の老若男女の世論はわれわれの味方です。もはや、東京に何も遠慮をすることはありません。前回の会議で寺町市長から提案があった“風船ビラぷかぷか大作戦”を許可しようと思います」
首都奪回特別室がどよめいた。
「ありがとうございます」寺町徳人市長が深々と頭を下げる。
大原知事と同じくらい色白だが、かなり小柄である。
“風船ビラぷかぷか大作戦”とは、水素ガスで膨らませたビニール製の風船に、東京を糾弾するビラを吊るして飛ばすという、思わず顔面も引き攣るとても恐ろしい作戦だ。太平洋戦争末期に日本陸軍がアメリカ本土に向けて飛ばした風船爆弾にヒントを得ている。
“買い占めウハウハ大作戦”が失敗したため、つづけて放たれる第二の矢である。
“買い占めウハウハ大作戦”にはゴールが見えないという欠陥があった。東京関連商品をどこまで買い占めれば成果が出るのか、いつになれば東京の存在そのものが薄れるのか、やってみないと分からなかったのだ。そのために注ぎ込む費用もいくらかかるのか、予想もつかず、予算のやり繰りに苦労しながら、ただ漠然と突き進んだだけに終わってしまった。
しかし、今度の“風船ビラぷかぷか大作戦”は風船を飛ばし、後は結果を待てばいいというものだ。予算も風船代と水素ガス代くらいで済む。“ウハウハ”に比べれば格安だ。
発案者の寺町市長も他のメンバーたちも揃って、期待が膨らむのも無理はない。
そして今、大原知事から決行許可が下りたのだ。特別室は歓喜に沸いた。
「放球する日時は三日後の午後十一時。場所は西京極球場であります」
いつもは穏やかな知事の目がカッと見開いた。
メンバーたちは知事の並々ならぬ決意を目の当たりにして、興奮が隠し切れなかった。
冬季になると日本の上空一万m付近を時速二百から三百kmで偏西風が吹いている。その風に乗せて、ビラを吊り下げた風船を東京へ向けて飛ばすという大作戦である。
直接東京に着かなくても周辺の県に落下してもかまわない。それを読んだ人々が、東京は首都に相応しくない。やはり、首都は京都へ移転すべきだと思ってくれればいいのである。
そして、その世論は大きくなり、やがて日本中に広がると期待されていた。
西京極球場では冬だというのに熱心な野球ファンによる草野球大会が行われていた。だが、午後十一時となると昼間の喧騒は消え、薄い闇に包まれている。あたりに人影はない。
ときどきプロ野球の試合も行われる球場であったが、周りにある民家はまばらで、夜になると近くを歩いてる人も少ない。作戦を決行するには絶好の場所であった。この場所に決めたのも作戦の発案者の寺町市長である。
わずかな月明りが数人の人影を浮かび上がらせている。“風船ビラぷかぷか大作戦”を担当する五条、白川、醒ヶ井、黒門の四人の職員がすでに集まっていて、水素ガスを注入する業者も二人来ている。もちろん、業者にはかん口令が敷かれていて、通常の代金の他に口止め料としてかなりの金額を上乗せして渡してある。もし、情報を漏らしたら、今後は京都府の仕事をいっさい回さないと伝えてあった。
職員たちは手分けをして、軽自動車から風船が入った箱を下していく。業者も重いガスボンベをゆっくりと地面に下す。
五条、白川の二人は見張り役として球場の入り口周辺へと向かった。夜になると人通りも少ない地域だが、誰が見ているか分からない。知事の許可を得ているとはいえ、ここに来て面倒は起こしたくないからだ。
天気予報通り、強い風が東へと吹いていて、グラウンドの上を数枚の枯葉が絡みつきながら舞っている。この風に期待して、知事はこの日を選んだ。何らかのハプニングが起きて延長することは想定していない。相手は自然現象だ。次の機会はいつやって来るか分からない。
「では、お願いします」
醒ヶ井が業者に合図を送った。業者が水素ガスボンベを解錠する。
ガスを注入した風船の口を醒ヶ井が手際よく結び、黒門がビラを素早く結び付けて、次々と空に放していく。
赤、青、黄、白、いろいろな色の風船が暗い空に舞い上がる。しばらく飛び上がると、空にはたくさんのカラフルな点々が出現した。昼間ならかなり目立ち、近所の人たちもやってくるだろうが、この時間には見渡す限り、誰も歩いていない。
ビラを付けた直径約三十センチの風船を六百個放球する予定だ。
水素ガスとともに首都奪回特別室の期待が詰まった六百個だ。
いったん上昇した風船の大群は偏西風に乗り、東へと進路を変えた。
東には日本の首都東京が待っている。
ビラの文面は以下の通りであった。
日本の首都は京都です。断じて東京ではありません。東京は首都という地位を京都から無理やり奪い取ったのです。そもそも東京都を首都と定める法令はありません。また、天皇による遷都の詔書は発行されていません。歴史があるのは京都です。文化があるのは京都です。芸術があるのは京都です。品があるのは京都です。今こそ日本の首都を京都へ戻しましょう!
筆跡が判別できないように、一文字ずつ定規を使って書いたという苦労の塊のような作品であり、これを六百枚、せっせと複写したのである。
二時間かけて六百個のビラ付き風船を放球した。業者は近所の人たちに見つからないようにそっと帰り、見張りに行っていた五条、白川もこっそり戻って来た。
五人の職員はもはや風船が見えなくなっていた空を感慨深げに見上げた。
「無事に飛んで行ってや」
「偏西風さんよ、いつまでも吹いててや」
「俺たちの希望を乗せた六百個の風船よ、しっかり頼むでェ!」
希望を乗せた風船が夜空を流れて行く。
上空には心地良い風が吹いていた。ビラをぶら下げた六百個の風船の大群が西から東へと向かっている。深夜に遥か上空を飛んでいるため、まだ誰にも気づかれていない。
赤色の風船が黄色い風船に言った。
赤「今からどこ行くねん?」
黄「東に向かって飛んでるけどな。どこやろ?」
他の色の風船も会話に割り込んできた。
青「なんや、東京らしいで」
白「えっ、東京!? いっぺん行きたかったんや」
赤「あんたはミーハーやなあ」
白「ええやんか。東京タワー見たいねん」
ピンク「うちは上野動物園に行きたいなあ」
赤「キミもミーハーやな」
ピンク「南極ペンギンが見たいねん」
緑「ところで、ボクらの下には何がぶら下がってんねん?」
黄「なんか、檄文らしいで」
緑「えらい、物騒やな」
白「ボクらは文字通り、檄を飛ばしてるわけか」
黄「そういうこっちゃ! プカプカとな。首都を京都に戻せと書いてあるらしいわ」
紫「首都か……。そんなもん、どこでもエエわ」
オレンジ「ボクはきれいな空気があったらエエな」
赤「東京の空気はどうなんやろ、キレイかな?」
緑「京都よりも緑は少なそうやな」
白「ボクは京都がいいな」
ピンク「うちも京都がいいわ。周山の方は空気がキレイやし」
黄「やっぱり風船にとっては、おいしい空気が一番や!」
六百個の風船が東へ東へと飛んで行く。幸いなことに、萎んだり割れたりした風船はない。飛行機に絡むこともなく、鳥に突っつかれることもなく、電線に引っ掛かることもなく、今のところは無事に任務を果たしている。
赤「ここはどの辺り? なんだか早くない?」
赤風船が心配したのも無理はない。夜が明ける頃になって、前方を飛ぶたくさんの風船が萎みだし、次々と降下を始めたからだ。
青「確かに、東京へ着くにしては早すぎるね」
白「東京タワーは見えないね」
ピンク「上野動物園も見えないね」
紫「あっ、あそこに茶畑が見える」
黄「ミカン畑も見えるで」
白「ウナギの養殖場もあるよ」
緑「あっ、富士山だ!」
ピンク「あらら、ここはどう見ても静岡だわ」
風船一同「かんべんしてよー」
早朝、知事室の内線電話が鳴った。大原知事が電話に出る。
「おはようございます。寺町です」
「おはよう、寺町市長。こんな早くからどうしたのかね?」
「それが、静岡の大井川知事から電話が入ってまして、要件を伺うと申したのですが、直接知事と話がしたいということです。――今、そちらに回します」
なに、静岡県知事!?
なんだか、市長の声も沈んでるな。相手の機嫌が悪いのかもしれないな。
大原知事は少し嫌な予感がした。
「大原知事、おはようございます。静岡の大井川です」
「おはようございます、大井川知事。ご無沙汰しております。こんな朝早くから何か?」
「実はですね。うちの県の茶畑に妙なものが舞い降りてまして…」
――と聞いた瞬間、大原知事は“風船ビラぷかぷか大作戦”が失敗したことを悟った。
鳥の大群に突っつかれたのか? それとも風船が小さ過ぎて萎んだのか?
「大切な茶畑に多数の風船が落ちておるのですよ」
これは困った。ここはとぼけて、ごまかす作戦に出るしかない。
「はて、何でしょうか? 風船を新しいお茶の栽培方法にでも使用するのかな?」
「それが、茶畑だけでなく、ミカン畑にも落ちておるのですよ」
「ほう、ミカンの栽培にも必要ですか」
「ウナギの養殖場にも浮いておるんですよ」
「ウナギのエサにしては妙ですなあ」
「いいえ。どう考えても風船は栽培や養殖とは無関係だと思いますが」
「メリー・ポピンズが団体で静岡へ飛んで来ましたか?」
「メリー・ポピンズは風船じゃなくて傘だと思いますが」
「そうでしたかな。では、風船のセールスマンが売れなくて放置したのではないかな? ほら、配達が面倒だと言って、郵便物を畑に投棄する不届きな郵便配達人もおりますからな」
言い訳にしてはちょっと苦しいが、これくらいしか思いつかない。
「それが、妙なビラが付いておるのですよ」核心をついて来た。
「ほう。それはどのような?」動揺するわけにはいかない。
「日本の首都を東京から京都へ戻せといった内容なんですがね」
ここまでくると開き直るしかない。
「ほう、誰が考えたのか、私はまったく初耳ですが、それはいいアイデアですなあ。――大井川知事はどう思われますかな?」逆に質問をしてごまかす。
「えっ? まあ、それは私も以前から感じておったことでして。何分、東京は威張りくさっておりますからな。私たち静岡なんかは田舎者扱いされて、完全に下に見ておりますよ。そのくせ、浜名湖のウナギは大好物ときている。調子のいい連中ですよ。その点、京都は大原知事を始めとして、上品なお方が多いですからな。日本の首都は京都がいいのではないかと、私も常々思っておりました」
「いやいや、私もその意見には大いに賛成ですなあ。首都を京都に戻せという議論が巻き起こりましたときには、ぜひ静岡にもお力添えをいただきたいものです」
その後も、わざとグダグダ話しかけているうちに、大井川知事は忙しいからと電話を切ってしまった。知事の朝が忙しいことは身をもって知っている。だから、わざと話を長引かせていたのである。あまりの長電話に嫌気が差してしまったのだろう。
こうやって、向こうから電話を切らすように仕向けたのである。こちらからあわてて切ってしまうと、犯人であることがバレるかもしれないからだ。
“風船ビラぷかぷか大作戦”は失敗したが、電話ごまかし作戦は成功であった。
大原知事は静岡の大井川知事に電話を切られて安堵した。
受話器を置いて、天井を見上げる。
いやあ、よかった。何とかウヤムヤにできた。静岡といえば京都と東京の間だ。今の話からすると、静岡は京都側に付いてくれそうだ。
それにしても、風船が東京まで飛んで行かなくて、静岡に落ちてしまうとはな。風が緩かったのか、水素ガスが少なかったのか、風船の耐性が弱かったのか、検証してみないといけないなあ。
しかし、あの風船からこの首都奪回特別室までたどり着くのは無理だろう。風船はどこでも手に入る市販の物だし、檄文は定規を使って書かれているため、人物の特定は不可能だからだ。
まあ、静岡県知事にはこの作戦がバレなかったようなので、良しとするか。
ホッとしていたところに、ふたたび寺町市長から内線が入った。
「今度は神奈川の川崎知事から電話が入っております」
市長の緊張した声からして、昨夜の作戦がうまくいかなかったことが分かったのだろう。
それにしても、川崎知事からも探りの電話が来るとはな。
神奈川県内にも落下したのかもれんなあ。昨夜の風の読みを間違えたのかもしれん。後
ほど、メンバーで反省会を開くとするかな。
「大原知事、おはようございます、神奈川の川崎です」
「おはようございます、大原です。こんな早くからどうされたかな?」
風船の件だと分かっていたが、またもや、とぼけて、電話ごまかし作戦を決行する。
「実は相模湾に妙な物が浮遊しておりましてな」
「妙な物? ほう、それは一体どのような?」
「手繰り寄せてみますと、これが風船なんですな。しかも、何百とある」
「ほほう、メリー・ポピンズが飛んできたのではないかな?」
「メリー? ――何ですかそれは?」
「いや、こちらの話……」
川崎知事はメリー・ポピンズを知らんらしい。
「新しく考え出された漁法に使うのではないかな?」
「風船をウキの代わりに使うとでもおっしゃる?」
「ブイの代わりとか、救命具の代わりにも使えそうですが」
「それがですな。妙なビラが付いとるんですな」
やはり、バレてるようだ。
「妙なビラとな? ほう、それはどんな?」それでもとぼける。
「なんでも、首都を東京から京都へ戻せと書いてありますな」
「ほうほう、川崎知事はどうお考えかな?」
「そりゃ、東京のままでいいでしょうな。うちからも近いですからな」
うーん、こいつは東京派か。
「京都となるとかなり遠いですからな。ご存じの通り、私ももう年ですし、あまり遠出したくないんですわ。それよりも、このビラは京都から飛ばしたんじゃないですか?」
うわっ、ズバリ来たか。ここは強気で行こう。
「ほう、京都から飛ばしたという証拠でもございますかな?」
「風船が西から飛んできたという目撃情報が多数ございます」
「西と言いましても、大阪かもしれませんぞ」
ええい、大阪のせいにしてやれ!
「大阪人はえげつないでっせ。銭さえ払えば何でもやりよる。風船くらいなんぼでも飛ばしよりまっせ」
「それならば、ビラには首都を大阪へと書くでしょう。これには日本の首都を京都へ戻しましょうと書いてありますよ」
「そうですか……」
あかん、バレてしもたわ。そやけど、認めるわけにはいかへん。とことんとぼけたるわ。
「何という不届き者か!」わざと声を荒げる。「我々の京都に責任を転嫁し、愚弄すると
は! そんなことを許すことはできません! 絶対に犯人を見つけ出しますよ! ビラと
やらの現物をこの目で確かめるために、今からそちらへ行きますよ!」
「いやいや大原知事、落ち着いてください!」川崎知事は悲鳴のような声をあげる。「とりあえず、現物は郵便でお送りしますよ」
普段は温厚な大原知事が怒り出したから驚いたに違いない。
「ああ、そうですか」うまく引っかかったわい。「犯人を捕まえられないのは残念ですが、川崎知事のお言葉に甘えることといたしましょうか」
「それがいいでしょうな」
よかった。納得してくれた。
ああ、危ない、危ない。
では、今から神奈川県までお越しくださいと言われたらどうしようかと思ったわ。これで行かなくてもよくなった。
京都から神奈川の交通費もバカにならない。首都奪回のための予算は内密に組んであるが限りがある。今後の作戦のためにも、お金の節約はしなければならない。たとえそれが、京都と神奈川の往復の交通費であってもだ。
まさか、こんな小学生の学芸会のような臭い芝居が通用するとは、今度の知事会で川崎知事の顔を見た瞬間、吹き出しそうだ。そのときは自分の太ももをツネって耐えるしかないな。
静岡県知事を味方に付けたとはいえ、“風船ビラぷかぷか大作戦”は成功しなかった。
しかし、ここで立ち止まってはいけない。京都人は簡単にあきらめない。京都をここまで大きく育てた政治家の間で、代々受け継がれてきた、首都奪回という長年の夢をあきらめてはいけない。
こんなときのために、まだまだいくつもの大作戦が用意してあるのだ。
すぐに第七回首都奪回会議が開催された。
議長役はいつもの通り、高辻知子副知事である。
「大原知事からの報告によりますと、ビラ付き風船は東京まで到達しませんでした。原因は今のところ不明です。大半は静岡県内に落下してしまいましたが、一部は神奈川県にまで届いてました。両県知事の元には落下した風船の情報が入っております。静岡の大井川知事は好意的でしたが、神奈川の川崎知事は疑っていたようです。しかし、テレビで報道されたこともあって、両県の多くの県民があのビラを目にしたようです。京都府民の首都移転への情熱と、首都としての東京の不適合さが、他の都道府県民の間に少しずつでも浸透していけばいいと考えております。つまり、“風船ビラぷかぷか大作戦”は大成功とまでは申し上げられませんが、ある一定の成果は上がったものと、大原知事も含めて認識しているしだいでございます」ここで高辻は赤い眼鏡を右手でグイッと引き上げて、気合を入れた。「大原知事から次なる作戦の許可が下りました。決定した作戦は“生ゴミ放置クサクサ大作戦”です。名付け親は知事ご自身です。――絶対に成功させましょう!」
“買い占めウハウハ大作戦”と“風船ビラぷかぷか大作戦”、二つの大作戦は続けて成功しなかったが、新たな大作戦の決定を受けて、首都奪回特別室には、ふたたび活気が戻って来た。
一方、東京都知事室では……。
フロリダ産マホガニーの机の上に二本の長い足が投げ出されている。机の隅には高級寿司店の大きな鮨桶が置かれている。出前で知事室に届いたものだ。おそらく五十貫は入っていたと思われる寿司は食べ尽されていて、少しだけガリが残っているだけである。
出前は高級寿司か高級ウナギと決めている。
黒色の高級そうなスーツを身に付けた長身の男が座っていた。欧米人のように顔の彫りは深く、整髪料でテカテカに光った髪をオールバックにしている。
渋谷卓男東京都知事である。
寿司を平らげたのはこの男である。右手にガリを持って齧りながら、左手には赤い風船に付いていたビラを持っている。
“今こそ首都を京都へ戻しましょう”
赤い風船は神奈川県の職員が先ほど都庁まで届けてくれたものだ。相模湾に漂っていたという。川崎知事とは普段から懇意にしているため、こういった事態にはすぐに対応してくれる。
「ふん。笑わせてくれるぜ。日本の首都は東京に決まっておろう。今さらなにを……」
男はそうつぶやくと、風船からビラを外すと、クシャクシャに丸めて、傍らのゴミ箱に向け、手首のスナップを利かせて放った。
ビラは見事に入った。当然である。この男、昔はバスケットボール元日本代表のキャプテンであり、野球も得意としていたからだ。
五メートル離れていてもゴミ箱に入れることができる。身長は二メートルを越す大男だが、横幅はそんなにはない。電信柱のような体型である。
ガリまですべて食べ終えた男は両足を机から下すと、ガリの味が少し残っている指をペロリと舐め、引き出しから葉巻を取り出して口にくわえた。
目の前には赤い風船が浮いている。水素ガスが抜けかかっているため、天井高くまで上がらないで、中途半端に知事室内でプカプカ浮いているのである。
神奈川の職員はよくこんなものを手に持ってやって来たものだ。現状維持を心掛けたため、空気は抜かずに持参したと言った。いい年をした男がスーツを着て、赤い風船を手にしながら、都庁の廊下を歩いていたら変に思われただろうに。
渋谷都知事は赤い風船を処分しようと、胸のポケットから18金の高級万年筆を取り出して、キャップを口でくわえて外した。風船をペン先で突き刺して割ってから、丸めてゴミ箱へ投げてやろうと考えたからである。
だが、渋谷が風船を掴んでペン先を向けたとき、
「へえ、ここが東京か……」
赤い風船から声がした。
「――何!?」
滅多なことで動じない渋谷が思わず中腰になり、驚愕して顔色を変える。
「風船がしゃべりやがった!」
驚きはしたが、手から赤い風船を話さなかったのはさすがだ。
何か声が出る仕組みがしてあると思い、くまなく調べてみたが、ただのゴム風船である。
「大原知事の野郎、変な小細工をしやがって」
渋谷は窓際に行くと、あわてて窓を開けて、汚物を投げ捨てるように、空へ向けて風船を放った。風船に、何か呪いでもかけられていたら気味が悪いと考えたからだ。
「千年の都とは言ったもので、京都は何をやってくるか分からないところがある。あいつらは呪術や怨霊や式神や鬼までも使いやがる」
怖いもの知らずの渋谷でも鬼神は恐ろしい。
赤い風船はヨタヨタとしながらも、ゆっくりと東京の空へと昇って行く。
萎みかけていた風船がしだいに膨らみ始めたからだ。
「何と!」それを見た渋谷は絶句する。「夢か幻か……」
やがて、元の大きさに戻った風船は都庁からどんどん遠ざかって行く。
「さてさて、これからどこへ飛んで行こうかな」
赤い風船はうれしそうに独り言をしゃべったが、もはや渋谷の耳には届いてなかった。
「さっきの風船は何だったんだ。気味が悪い」
もう一度窓から外を眺めてみるが、風船は見当たらない。
「どこかに落ちたのだろう」無理に自分を納得させる。
世の中は時として、計り知れないことも起きる。そういうことだ。
赤い風船はいまだ都内上空を自由に飛び続けていることも知らず、都知事は気を取り直すと、ドカッと机に腰かけて、ふたたび二本の長い足を投げ出し、沈思にふけった。
風船にビラを付けて飛ばすとは、戦時中の風船爆弾を参考にしやがったのだろうが、そんなにうまくいくわけないだろ。どうせ、京都が飛ばして来た物だろう。こんな陰湿なことをするのは京都しかいない。東京にまで到達せず、失速して静岡と神奈川に落ちるとは情けない限りだ。
大原知事の青白いバカ顔が思い浮かんでくるわ。
せっせと準備する赤眼鏡をかけた高辻副知事の不細工な顔もな。
それにしても、風船を偏西風に乗せるとは、安上がりでよいわ。ケチな京都人らしい。
――ふん、偏西風か……。
渋谷知事はしばらく虚空を見上げていた。高い天井に偏西風が吹いているかの如く、ずっと睨みつけている。しかし、吐き出された煙は真っすぐ上って行く。室内は無風状態だ。
細い指に挟まれた葉巻がチリチリと燃えていくが、今度は手に持ったまま、吸い込もうとしない。静かに沈思黙考がつづく。
やがて、都知事は内線電話を手に取った。
「小笠原副知事か。渋谷だ。関東ウナギ組合の組合長と東京撮影所の所長に連絡を取ってくれ」
“生ゴミ放置クサクサ大作戦”とは“買い占めウハウハ大作戦”、“風船ビラぷかぷか大作戦”に続く第三の矢として採用された大作戦である。
京都府庁周辺の百軒の家に生ゴミを捨てずに保管しておくようにと、回覧板が回されたのは一週間前のことであった。今日はその期限であり、首都奪回メンバーが各家庭を訪問して生ゴミの回収を進めている。名目上は、京都府による生ゴミの内訳の調査である。
「どの家庭も野菜の切れ端が多いですね」とか、
「魚の骨は食べられませんからね」とか、
「肉の脂身は体によくありませんからね」とか、
いい加減なことを言いながら五条、白川、醒ヶ井、黒門の四人の男性職員が生ゴミを集めて回る。そのため、何かを疑う者はなく、逆に処分する手間が省けたと言って、有り難がってくれている。
百軒の家すべてから回収を終えた四人は生ゴミを、この日のために用意した普段は使われていない会議室に持ち寄った。
たちまち、あたりに悪臭が漂う。大量の生ゴミを一週間ほど放置すると、たとえ冬でもこうなる。あわてて換気扇を回してみたが、ニオイは抜けず、しばらくこの会議室には入れないだろう。
大原知事がニオイに顔をしかめながら、
「みなさん、ご苦労様でした。さっそくですが、生ゴミ放置クサクサ大作戦は今夜決行します」と宣言すると、五条、白川、醒ヶ井、黒門の四人を見渡し、大変だが頼みましたよと順番に肩を叩いて回った。
生ゴミの回収は彼らが行ったが、作戦の決行も彼らの担当であった。
その日の夕方。生ゴミを搭載した四台の軽トラが京都府庁の裏口に並んだ。荷台には生ゴミが山のように積まれているが、ニオイが漏れないようにビニールがかぶせてあり、さらに、中身が見えないようにブルーシートがかけてあった。
行先は神奈川と東京の境を流れる多摩川である。
神奈川県側の川の土手に大量の生ゴミを放棄し、そのニオイを偏西風に乗せて東京に流して、都内を悪臭で満たし、首都としてのイメージダウンを図るという血も凍るような恐るべき大作戦であった。
高辻副知事が火打石をカチッカチッと鳴らしながら声をかけた。
「では、行ってらっしゃいませ。四人の皆様の成功を祈っております」
火花が高辻の赤眼鏡のレンズに映る。
時代劇でよく見かけるシーンであり、芝居がかったようにも見えるが、火打石から飛び出るいくつもの火花が四人には頼もしく思え、新たなる闘志がみなぎって来た。
四台の軽トラは、知事を筆頭とする府庁の四人の幹部に見送られながら、他の職員に見つからないように、こっそりと裏口から出て行った。
京都からは一般道をひたすら走り、現地に到着するのは夜中の予定だった。
午前三時。多摩川の土手に約五十メートルの間隔をおいて四台の軽トラが並んだ。エンジンはかけたままだが、ライトは消してある。周りには街灯などがなく、闇に包まれているため、この時間に近くを歩いている人がいたとしても、見つかることはないだろう。
それぞれ車の後部は川に向けてある。
周りには何も遮蔽物がないため、かなり強い風が吹いている。予定通りである。
白川が車を降りて、合図の懐中電灯を振り回した。他の三人も車から降りて、荷台のブルーシートを外し、ニオイ避けのビニールを剥がす。
たちまちあたりに悪臭が漂い始めた。密閉されていた生ゴミが運搬中、さらに熟成されたようだ。未舗装のデコボコ道を走ったため、中身が程よくかき混ぜられて、程よく粘着も出てきたことも要因だろう。
次に白川は懐中電灯を三回点滅させた。生ゴミを投棄するようにという合図だ。
四人は運転席に戻り、生ゴミ満載の荷台を川の方へ傾け始めた。
ズルズル、ズルズル、ネトネト、ネトネト、グチャグチャ、ベチョベチョ。
百軒の家から集めた大量の生ゴミが土手の上を多摩川へと滑り落ちていく。岸はかなりの幅があるため、ゴミが川の中に入って行くことはない。すべて川岸にモッコリと留まってくれる。これも作戦のうちだ。こうなるように下見をして、ゴミの量も計算してあったのだ。
どこでカラスが鳴いた。夜中だというのに、ニオイを嗅ぎつけて、さっそく飛んできたのかもしれない。
予想通り、風は東に向かって吹いてくれている。思わず吐きそうになる生ゴミのニオイが風に乗って多摩川を越え、しだいに東京方面へ流れて行く。
「よしっ、うまくいった!」
白川はこぶしを握り締めた。他の三人も喜んでいることだろう。
荷台を元の位置に戻すと窓を開けて、後ろを向くと、悪臭に顔をしかめながら、しばらく様子をうかがっていた。
先ほど声だけが聞こえたカラスの姿が薄っすらと見えた。
一羽のカラスが悪臭を追って、東京方面へと飛んで行く。それを見つけた白川は上機嫌だ。
「闇夜にカラスというが、月の明かりがあれば、意外と見えるものだな。――だが、キミが追ってるのはニオイだけだぞ。生ゴミの本体は向こうじゃなくて、こっちの土手にあるよ、カラスちゃん」
カラスが東へ向かって飛んでいることでも、作戦が成功したことが確信できたので、懐中電灯をもう一度振って、撤退するという合図を三人に送ることにした。
だが、そのとき白川は異変に気づいた。
窓から顔を突き出し、鼻をクンクンさせて確認する。
東京方面に流れているはずのニオイがさっきより強烈になっている。
さらに、飛んで行ったはずのカラスが戻って来た。
空気が流れていないのか? 滞留しているのか?
「おかしい。東京へ風が吹いているはずなのに、なぜニオイが濃くなるのか?」
白川は車を降りた。他の三人も遠くからその姿を見て下車した。
同じく悪臭を感じて、異変に気づいた三人が白川の元へ駆け寄ってくる。
「これはどうなってるんだ?」黒門が白川を問い詰める。
「俺たちは手筈通りにやったぞ」五条も続く。
「おい、あれを見ろ!」醒ヶ井が川向うを指さした。
向こう岸で何か白い物がヒラヒラと動いている。それは左右数百メートルに及ぶ。月明かりの元、四人は目を凝らして対岸を見つめた。
――たくさんの人間が並んで何かを振っていた。
「うちわだ……」白川がつぶやく。
「――なんと。偏西風に乗せた生ゴミのニオイをうちわで仰いで、こちらに送り返しているというのか!?」黒門が東京のあまりの奇抜な戦法に呆れ返る。
しかし、ニオイはあたりに充満し始めている。効果が表れているということだ。
「そんなことが可能なのか?」五条が驚いて白川に訊く。「この川幅だぞ」
多摩川の川幅は四百から五百メートルはある。
「いや、待て。あのうちわをよく見てみろ。何と書かれているかだ」
白川に言われて、三人はたくさんの人が振り続けているうちわを一つずつ確かめた。そこには、“うなよし”とか“うな丸”とか“うな松”などと書かれていた。
「あのうちわを振っているのは、ウナギ屋の職人たちだ」
「なるほど」五条が感心する。「うちわの使い方がうまいわけだ」
職人は日頃からウナギを焼く際にうちわを使っている。渋谷都知事はうちわを使うことに手慣れた数百人のウナギ職人を都内から掻き集めて、多摩川の土手に集結させた。そして、偏西風に乗って川を越えてきた生ゴミのニオイを、みんなで仰いで送り返しているのである。京都の四人が驚くのも無理はない、恐ろしい作戦であった。
「ということは……」黒門がつぶやく。「東京はこちらの作戦を読んでいたのか!?」
「おそらくな」白川が言う。「渋谷知事の野郎、やるじゃないか」
白川は強がるが、顔は引き攣り、心は敗北感に覆われて、折れそうになっていた。
対岸をウナギ職人が埋め尽くしている。その中に旗を掲げる者が現れた。大きな旗が風にバサバサと揺れている。
月明りに照らされた旗に描かれているのは、中心にある太陽から六方向に光を発している様子を表した東京都の紋章である。
その旗の元にひときわ大きな人影が現れた。黒っぽいロングコートを羽織っている。身長が二メートルを越える渋谷知事である。傍らには遠目で見ても屈強だと分かる人物が二人従っている。ボディガード役の神田と神保である。しかし、渋谷はボディガードが必要なのかと思うほど、大きく、そして強そうだ。
「野郎、出てきやがったな!」醒ヶ井が叫ぶ。
遠くからも見ても、その影は都知事だと分かった。
渋谷知事は用意された大型パイプ椅子にどっかりと腰をかけて、腕を組んだ。
「渋谷の奴、旗本を従えた戦国武将を気取りやがって。あそこで高みの見物というわけか」
黒門が吐き捨てるように言う。
「まあ、そう言うな。ノッポ野郎にはやらせておけばいい」白川が取りなす。「それよりも、みんなよく聞け。確かにウナギ職人はうちわで仰ぐことに慣れている。しかしな、あいつらも人間だ。いずれ手が疲れてくるはずだ。そもそも手練れた職人の中に若者はいない。見てみろ。みんなベテランの年配者ばかりだろう。それに、どうやら偏西風は止みそうにない。今は押されてはいるが、生ごみのニオイは再び東京に向かうはずだ。年老いた人間が大自然に勝てるわけがない。時間の問題だ。――まあ、見ていろ」
白川が言ったように、いったん濃くなった生ゴミのニオイがしだいに薄れていく。
「どうだ。また偏西風が押しはじめただろ」
対岸のうちわ部隊はしだいに疲れだした。右手で仰いでいたのに左手に持ち替える職人、両手で仰ぐ職人、中には手がだるくなって仰ぐことを止めてしまった職人もいる。
「渋谷知事、まだやりますか?」「腕が持ちません!」「勘弁してください!」
あちこちからウナギ職人の叫びが聞こえる。
「小さいウナギを仰ぐのと、大きな多摩川を仰ぐのとでは、疲労度が違いすぎます」
冬だというのに、職人が頭に巻いた鉢巻や手拭いに汗が滲みだしている。
「明日からの仕事に支障が出てしまいます」「もう限界です!」
ウナギ職人の悲鳴は対岸にも届く。
「ざまあみろ!」四人の首都奪回メンバーは大喜びである。
そのとき、こちらへ戻って来て上空を旋回していたカラスがまた東京方面へ飛んで行く。
「おお、カラスちゃんもニオイに釣られて、向こうへ飛んで行くぞ」
「あっちへ行ったり、こっちへ行ったり、カラスちゃんも大変な夜だな」
喜んだ白川は軽トラのクラクションをブォンブォンと連打している。
その痛がらせの音は都知事の耳にも届いていた。
しかし、その表情には余裕が感じられた。
ふたたび押し返した生ゴミの強烈なニオイは、神奈川県との都県境にある多摩川上空から偏西風に乗って、都の中心部へと流れ込んでいくだろう。悪臭が漂う日本の首都東京。これで東京のイメージダウンは免れない。喜ぶのはご馳走がやってきたと勘違いするカラスと野良猫くらいのものである。
「勝負あったな。みんなご苦労さん」白川がねぎらいの言葉をかける。
そのとき、対岸では渋谷知事が組んでいた腕をほどき、ゆっくりと立ち上がった。両脇に立つボディガードよりも頭一つ大きい姿が闇に映える。
その姿は対岸からも十分に確認できた。
「やっこさん、いよいよ撤収かね」五条がうれしそうに言う。
「俺が鳴らしたクラクションも聞こえて、頭に来ていることだろうよ」白川も喜んでいる。
暗闇の中にすくっと立った大きな影が右手を上げた。
渋谷知事の合図を受けて、三台の大きな照明器具が設置された。
スイッチが入り、対岸を照らす。白川たち四人と軽トラ四台が闇に浮かび上がる。
さらに、土手の上に数人の人影が現れたかと思うと、巨大な黒い装置を川岸へガラガラと下し始めた。全部で四台あるようだ。
「――何だ、あれは?」
ライトを当てられた四人は眩しそうに手をかざしながら、奇妙な四台の装置を見つめる。
やがて、四台のそれは等間隔に並べられて、エンジンが始動した。
ブウウーーン。ブウウーーン。ブウウーーン。
川岸にまでエンジン音が鳴り響く。
「巨大な扇風機だ……」四人は愕然とする。
大型照明器具によって浮かび上がった四台の軽トラと、河原に放棄された生ゴミの山に向けて、四台の扇風機によって人工的に作られた強風が容赦なく襲い掛かる。
さらに、まだ動けるウナギ職人がうちわで仰ぎ続けている。
機械と人力でのダブルの攻撃だ。
押し返したはずの生ゴミのニオイがまた押し返されてきた。
「ウソだろ」白川が凍り付く。
四人の体をふたたび生ゴミの悪臭が包み込む。
自分たちが放ったブーメランが戻って来て、胸にグサッと突き刺さったようなものだ。
ふたたび大型パイプ椅子に腰を下ろして、腕を組んだ渋谷知事は笑いが止まらない。自分の勘を元に立てた作戦がズバリ適中したからだ。二人のボディガードも仕事を忘れてニタニタしている。
「古びた軽トラのクラクションを鳴らして喜んでいたようだが、今頃は後悔しているだろうよ」知事は対岸を指差す。「見てみろ、突っ立ったまま動けないらしい」照明に浮かぶ四人の姿をあざ笑う。
京都は偏西風に乗せてビラ付き風船を飛ばして来た。
次に来るのは何かと渋谷は考えた。
まだ偏西風は吹いている。京都がこれを活用しない手はない。京都から東京までの輸送料がタダになるのだからな。しみったれの京都人はまた風を使って仕掛けて来る。
では、風に乗るものとは何か?
たとえば、ガスのようなものではないかと睨んだ。ただし、体に大きな害を与えるものであってはならない。死者や重傷者が出ようものなら、逆に非難されるからである。最悪の場合は刑務所行きである。
ならば、ちょっとした損害を与えるものか? 風評被害をもたらすものか?
浮遊してくる物質は何でもかまわない。何が飛んできたとしても、送り返すだけだ。具体的に何かは分からないが、送り返すことができるほどの軽い物に違いない。
そこで、関東ウナギ組合の組合長と東京撮影所の所長に連絡をして、うちわの扱いに慣れているウナギ職人を百人ほど借り受け、映画やドラマの撮影に使う大型照明を三台と巨大扇風機を四台用意してもらったのである。
ガスではなく、生ゴミが発する悪臭だったとは思いもよらなかった。京都にしてはよく考えたものだ。あれだけの生ゴミをどうやって集めたのかは分からんが、深夜にはるばる多摩川までゴミを運搬して来たとはご苦労なことだ。
知事のニヤニヤは止まらない。
「渋谷知事、奴らが逃げるようですが、追いかけましょうか?」ボディガードの神田が尋ねる。
「なんでしたら、捕まえてきますが」神保もお伺いを立てる。
「いや、そこまでは無用だ。京都の人間だとは分かっておる。逃げて行く背中に向けて石でも投げておけ。こんなこともあろうかと、東京撮影所の所長にはカタパルトも用意してもらっておる」
カタパルトとは投石機のことである。かつて映画の撮影で使用したものを持って来てもらったのだが、ちゃんと使える。射程は数百メートルあり、多摩川の対岸にも届く。これもすでに実験済みである。
京都の敗因は渋谷都知事の直感力と、怠らない万全の準備にあったと言えよう。
京都の四人は作戦が失敗したことが分かると、生ゴミを放置したまま、あわてて軽トラのエンジンをかけて逃げ出した。幸いなことに追いかけてくる者はいなかったが、対岸からビュンビュンと石が飛んできて、何発かは車を直撃した。
なぜ、川を越えて石が飛ばせるのか不思議に思ったが、車を止めて対岸を確かめている余裕はない。
四台の軽トラは、それでも後ろを気にしながら、未舗装のデコボコ道を疾走した。生ゴミを下した分、車体は軽くなっている。
途中で電話ボックスを見つけて、白川は大原知事に“生ゴミ放置クサクサ大作戦”が失敗に終わったことを報告した。
軽トラが逃げる様子を、立ち上がった渋谷知事がロングコートの裾をひるがえしながら見つめていた。横に従っているボディガードの神田が訊いた。
「放置された生ゴミはどうしましょう? 持ち帰って焼却いたしますか?」
「そのままでよい。どうせ、川向うは神奈川県だ」
「それにしても、逃げ足の速い連中でしたな」神保が言う。
「ああ、小物は逃げ足が速い。あれでよく首都奪還なんぞを企むものだ」
「身の程知らずとはこのことでしょうな」
渋谷は小さくなっていく四台の軽トラに向かって吠えた。
「京都よ、首都が欲しければ、力づくでも奪い取ればよかろう。東京は逃げも隠れせぬ。いかなる道府県に妨害されようと、これからも永遠に日本の首都であり続けてやるわ」
渋谷知事はふたたび右手を上げた。全員撤収の合図だった。関東ウナギ組合の組合長と東京撮影所の所長には、ねぎらいの意味を込めて、個別に手を振ってやった。この二人にはかなりの謝礼金が渡ることになっている。当然、原資は都民の税金だった。
やがて、夜が明け、対岸に残された生ゴミに陽がさして来た。
やっと生ゴミの在りかを見つけたカラスがゴミ袋を突っつき、それを見た仲間のカラスも舞い降りて、さらにたくさんのハエもやって来た。離れたところからは野良猫の親子も様子をうかがっていた。
多摩川の神奈川県側の川岸は彼らのモーニング・タイムで大混雑していた。
京都府庁で第八回首都奪回会議が開催された。会議はいつもの特別室で行われ、出席者はいつもの八名のメンバーである。“生ゴミ放置クサクサ大作戦”の失敗はすでに全員が共有していた。
京都市助役の姉小路洋子が大原知事に訊いた。
「東京都からクレームの電話は入っておりませんか?」
「いや、何も入ってません。しかし、“買い占めウハウハ大作戦”も“風船ビラぷかぷか大作戦”も“生ゴミ放置クサクサ大作戦”も京都の仕業だと気づいているでしょうね」
「それでも何も言ってこないという真意は何でしょうか?」
「余裕があるところを見せたいのでしょう。どうやら、渋谷知事が生ゴミ放置クサクサ大作戦を見破っていた形跡もあるからね」
「それはいかなる方法で見破ったとお考えですか?」
「偏西風を利用して、ビラ風船を飛ばしたからね。ならば、次に何を飛ばしてくるかと考えたのでしょう。そこで、東京と神奈川の都県境で準備をして、我々が来るのを待ち構えていたというわけだね。もしかしたら、四台の軽トラは東京に尾行されていたのかもしれないね」
高辻知子副知事がつづけて訊いた。
「見破られているのなら、もう偏西風は使えませんね。いったん、作戦はいったん休止いたしますか?」
「いや、休まずに続けて行きましょう。こうなると、どちらかが倒れるまでの持久戦です」
「――となりますと、次の作戦はいかがいたしましょうか?」
大原知事は黒門に目を止めた。
「黒門くんが提案した作戦はどうかな?」
「はい、さっそく準備をいたします」黒門が不気味な笑顔を浮かべながら答える。
「準備期間はどのくらいかかるかな?」
「一週間もいただければよろしいかと」
「やはり、それくらいはかかるのか……」
「はい、“風船ビラぷかぷか大作戦”や“生ゴミ放置クサクサ大作戦”とはスケールが違いますから、それくらいはかかります」
「いいでしょう。では、黒門くん、頼みましたよ。みんなも十分に協力するように」
作戦の失敗を受けて、暗い雰囲気で始まった首都奪回会議だったが、新たな作戦が決まり、活気を取り戻した。数ある作戦はまだ始まったばかりだ。
一方、東京の渋谷知事は知事室で小笠原副知事と話していた。
知事はいつものようにだらしなく、マホガニーの机の上に二本の長い足を投げ出しているが、副知事は目の前に直立不動で立ったままだ。
しかし、京都が仕掛けて来た“生ゴミ放置クサクサ大作戦”に完全勝利したため、二人とも機嫌がいい。苦労して準備を整えた甲斐があったというものだ。
「京都はこれからどう出ると思うかね?」知事が葉巻を片手に訊く。
「もう、偏西風は使わないでしょうな」副知事が答える。
「二度続けて失敗したため、懲りたというのか?」
「おそらく、そうでしょう。それに知事が生ゴミ作戦を予想していたことにショックを受けていることでしょうな。続けて偏西風を利用しようと企んでも、知事に見破られると考えていると思います」知事の勘は冴えている。「それに、偏西風がうまい具合に吹くとは限りませんから」
「いつまでも自然を利用するというのは難しいだろうな。――ウナギ職人と撮影所長には?」
「はい。謝礼金はたんまりと渡しておきました。深夜割増が含まれておりますので、かなりの金額です。もちろん、口止め料という意味も含まれております。我々が京都と首都をめぐって対立をしていることは、まだ都民には伏せておきたいですから」
「分かった。それでいい」
「それと神奈川の川崎知事から生ゴミ放置の件でクレームの電話がありました。どうやら、夜が明けてからですが、何人かの目撃者がいたようです」
「何と答えたのか?」
「文句は京都に言うようにと答えました。我々東京も神奈川と同じく、被害者だと説明しておきました」
「よかろう。実際、そうだからな。ニオイは追い返したが完全ではなかった。都内にはかすかに悪臭が漂っておった。確かに被害者だ。――さて、風じゃないとしたら、次は何で来るかだな」
「それはまだ分かりかねますが、私としては知事の身が心配です。念のため、ボディガードの人数を増やしましょうか?」
「いや、それには及ばん。ボディガードは神田と神保の二人で十分だ。京都に私を直接襲うような度胸はないだろう。暗殺が横行していた幕末じゃあるまいし。もし、やってきたとしても、私がこの手で返り討ちにしてやるまでのことよ」
渋谷知事は葉巻を灰皿に置くと、両手の骨をポキポキと鳴らした。
副知事も渋谷の強さと怖さを知っているため、これ以上の気遣いはやめることにした。
その後、神奈川から京都へ莫大な金額の損害賠償金の請求がなされた。それは、多摩川の川岸に放置されたままになってる生ゴミの撤去である。どうやら、雑食のカラスも食べないような生ゴミも多数混入していたようだ。
さらに、ゴミの焼却代と、ニオイがいつまでもなくならないと難癖を付けられての消臭代金と、東京の川岸から多摩川を越えて飛んで来た多数の石ころの撤去。おまけに、ドサクサに紛れて、川岸補修工事代金まで巻き上げられた。石ころがぶつかって、少し傷が付いただけで、他にはどこも損壊した部分はないにもかかわらずだ。
あらためて偵察に行った白川によると、多摩川沿いにはたくさんの大型重機が集結していて、大規模な工事が行われていたという。京都府民が納めた税金でだ。
これには常に温厚な大原知事も怒りを露わにした。
「調子に乗りやがったヤクザ者めが」川崎知事のズル賢そうな顔が思い浮かぶ。「難癖を付けて、必要以上の賠償金をせしめやがったか。神奈川なんぞ、所詮は東京にくっついている太鼓持ちか腰巾着に過ぎぬ。いや、そんないいものではない。寄生虫だ。ウニョウニョと動き回る寄生虫がお似合いだ。首都を奪還した暁には、東京もろとも、神奈川にも目にモノ見せてやるわ!」
黒い眼鏡を外して、知事は叫んだ。その声は知事室中に響き渡った。
お公家さんのような上品な顔立ちが大きく歪んだ。
二週間後、多摩川沿いの工事が終わった。全長138キロの川岸のうちで、その部分だけが真新しく、なんと白い大理石でできていた。神奈川県民はそれを見て不思議がり、ちょっとした名所になっていた。
中にはなぜ貴重な税金をこんな贅沢なことに使うのかと、知事宛てにクレームを入れてくる県民もいたが、川崎知事はこれらが京都府民の税金により作られたとは言えず、はぐらかすのに苦労をしていた。
結局、台風シーズンに備えて、多摩川の氾濫防止のため、国から臨時の予算が交付されたとか何とかと言って誤魔化した。クレームを入れて来た人物も国が動いたんじゃしょうがない、散歩コースがピカピカになったからいいかと諦めてくれたようだ。
“生ゴミ放置クサクサ大作戦”をまんまと見破り、京都を退散させてから一週間後の早朝。東京都知事室の内線が鳴った。
「小笠原です。早朝から失礼します。緊急です」緊迫した声が聞こえてきた。
「どうした副知事」知事は冷静に答える。
「東京に向かっていたはずの数本の特急列車が手前の駅で止まって、都内に入れなくなっているという報告が届いております」
「どういうことだ?」
「東京行の上り列車が、それぞれ横浜、大宮、土浦で止まっています」
「ケガ人はいるのか?」
「いいえ。ケガ人や病人の報告はありませんし、事故の報告もありません。しかし、かなりの乗客に影響を及ぼすと思われます」
「原因は何だ?」
「駅のホームの蛍光灯が消えて、エスカレーターも停止していることからして、広範囲に渡って、停電していると思われます」
「停電? また、京都が仕掛けてきやがったのか?」
「どうでしょうか。まだ、はっきりとした証拠は掴んでませんが」
「いや、その可能性は高い。偏西風の次は電気を利用したのだろう。神奈川、埼玉、茨城の各変電所にあずま電力の社員を行かせろ」都知事の判断は素早い。「それと、他に都庁から職員を選抜して、なるべく大人数で変電所を取り囲め。おそらく主要は埼玉だ。そこに人員を割くんだ。すべてを予備電源に切り替えて、すぐに電車を復旧させるようにしろ。――いいか、これは東京と京都の戦争だ!」
京都の奴め、首都奪回のために、せこい作戦をつぎつぎと繰り出して来やがって。
前回までは情けをかけて見逃してやったが、今度は逃がさん。
一網打尽にして、世間にさらしてやる。
首都奪回などとは、二度と口にできないように追い込んでやるわ!
渋谷知事がまた吠えた。二メートルを越える大きな体は怒りで震えていた。
渋谷の遠吠えを聞いて、小笠原はそっと受話器を置いた。
昨日の深夜、全身黒ずくめの男たちが数台の車に分乗し、東京都周辺の変電所に現れた。関西を拠点とするミヤコ電力の社員である。彼らは知事の特命を受けて集結したものである。当然、今回の行動については箝口令が敷かれており、他人にこのことを漏洩することは固く禁じられていた。
電気のプロによって停電を引き起こし、東京にダメージを与えるという泣く子も黙る恐ろしい大作戦を決行するためである。
首都奪回のために行われた“買い占めウハウハ大作戦”、“風船ビラぷかぷか大作戦”、“生ゴミ放置クサクサ大作戦”に続く第四の大作戦である。
その名も“停電まっくらくら大作戦”である。名前を聞いただけで、あまりの恐ろしさに気を失いそうになるが、発案者は黒門であり、名付け親は大原知事であった。
当初は東京都内の電気をすべて停止して、首都機能を麻痺させようとしたが、プロとはいえ、少人数でこなすには無理があると判断し、東京周辺だけを停電させて、東京都を隔離してしまうという身の毛もよだつ恐ろしい大作戦に変更していた。
その作業は深夜から早朝までかかった。そして予定通り、上りの電車はすべて東京の手前で止まり、渋滞を引き起こした。手前の各駅ではエレベーターやエスカレーターが止まり、駅構内の蛍光灯や便所の電気も消え、人々は混乱した。
暗闇の中、便所に入ろうとした男性があやうく便壺に落ちそうになり、慌てたショックで足を骨折して病院に救急搬送された。
また、高齢の女性が便所の中で用を足しているとき、突然停電したため、パニックとなり、心臓発作を起こして、お尻を拭かないまま、救急車で運ばれるという事態にもなっていた。
あいにくと、お尻は救急隊員が拭いてあげて、命には別状はなかったようだ。
埼玉変電所を数十人の男たちが取り囲んだ。東西南北に人を配置して、ネコの子一匹逃げられないようにした。警察車両と救急車も待機させている。
神奈川と茨城の各変電所にも多くの人員を向かわせているが、都知事の指示で埼玉に最も多くの人員を割いていた。この停電で、東京に一番影響を与えるのは埼玉だと直感が知らせたからである。
「これも京都の連中の仕業に違いない。陰険な京都人の考えそうなことだ。そして、おそらく犯人はまだ埼玉変電所内にいる。パニックをさらに大きくするために、テレビやラジオから情報を得ながら、ギリギリまで残って作業を続けているはずだ」
渋谷知事はそう読んだ。
「作業員を白日の下にさらして、指示を出している知事ともども大恥をかかせてやるわ」
現場の指揮を執るのは小笠原東京都副知事である。警察や消防の関係者には一歩下がってもらっている。この手柄を東京の知事室で待つ渋谷知事のものにするため、最前線に立ち、自らが何者かに立ち向かって行くのである。
小笠原副知事は知事に忠誠心を見せつけようとしていた。
副知事の合図であずま電力の社員と都職員の連合隊が埼玉変電所に突入した。先頭は隊長である副知事自らが務める。もちろん、手柄を自分のものにするためだ。
つまり、この作戦の全体の手柄を知事に、現場の手柄は副知事がいただくというわけだ。そういう段取りである。ここに到着するまでに、小笠原が緊急車両の中で顔をニヤニヤさせながら考えたものである。
仕事はあらかじめの段取りで、成功するか否かが決まるものだと信じている。その段取りは完璧に整った。
「世間が注目するこんな大捕り物を知事だけの手柄にしてなるものか。副知事の存在感も大いに見せつけてやる」
小笠原はそう思って、またニヤニヤと笑った。
変電所に入ってすぐ右の休憩室に二人の男性が倒れていた。“あずま電力”と胸にネームが入った作業着を着ている。小笠原がわざとらしく、真っ先に駆け寄る。
「私は言わずと知れた東京都副知事の小笠原である! 副知事が自ら危険を顧みず助けに来たぞ!」
二人の社員は口と鼻から血を流していたが意識はあるようだ。
一人の社員が苦しそうに言う。
「ああ、副知事さんですか。すいません。いきなり覆面をした二人組が入ってきて襲われました。強盗かと思ったのですが、金品を要求されることなく、目的が何だか分かりませんでした」
「犯人は変電所に細工をして、都内の電車を止めやがったんだ」
「ええっ!? 私たちはどうすれば……」社員は絶句する。
これから自分たちは責任を追及されるのかと危惧したようだ。
もう一人の社員が引き継ぐ。
「犯人は終始無言で、二人とも黒い覆面をしていて、顔は見えなかったです」
「見えなかったら、仕方がないな」副知事は良い人を演じるために同情してあげる。
「しかし、ついさっきまで犯人がいました。まだ所内にいると思います」
「分かった。詳しい話は警察ですればよい。後はこの副知事に任せておけ」小笠原は自分の胸を叩き、「ここに四人残って、ケガ人を搬出せよ。救急車は入口で待機してもらえ。後の者は奥へ向かえ!」大声を張り上げた。
変電所内はともかく、外で待機している警官や消防士たちにも聞こえるように、わざと大きな声を出す。もちろん、小笠原自身の存在と働きぶりを知らせるためである。
いくらがんばっても、誰も見てなければ評価はされない。PRは大事である。陰でこそこそする努力を小笠原は嫌っている。
しかし……。
「ちゃんと外まで聞こえたかなあ」少し心配している。「やっぱり、腹の底から声を出さないとダメかな」少し反省している。
四人の職員が二台の担架を持って、休憩室に戻って来た。二人のケガ人を慎重に担架へ乗せる。一人の社員が、奥に向かおうとする副知事を呼び止めた。
「副知事、お待ちください。罠に気をつけてください。犯人は何かゴチャゴチャと仕掛けていたようですから」口元の血を拭いながら警告してくれる。
その声を聞いた副知事が奥に向かって叫んだ。
「みんな気をつけろよー! あずま電力さんによると、犯人が何か仕掛けたらしいぞー!」
今度は腹の底から声を出せた。小笠原は満足げな表情を浮かべた。
よしっ、いいぞ。これだけデカい声だと外にも聞こえただろう。
しかし、同時に悲鳴が上がった。
「どうした!?」
「ドアの取っ手で感電して、一名倒れました!」
「何だと!?」表情が一変した。「奴らの罠だ。他にもあるかもしれん。どこも触るな。じっとしてろ。あずま電力の人たちを前に行かせるんだ」
さっきまで意気揚々と前方を歩いていた小笠原だったが、ケガをしたら元も子もない。手柄なんて言ってられない。そっと後方へ移動する。――ここは専門家に任せよう。
感電して倒れた職員がフラフラと立ち上がったところで、電力会社の社員を先に行かせた。指名された二人のベテラン社員が周りを見渡しながら、ゆっくり進む。
「キミたちの方が電気に慣れてるし、この建物の構造にも詳しいだろう。ドアの取っ手の次に罠を仕掛けるとしたらどこだ?」
とんでもないところに来たと思った小笠原だったが、冷静さを装って訊く。
こんなところで弱みを見せて、知事に報告でもされたら大変だ。
「確かに電気には詳しいですが、仕掛けはどこかと聞かれましても……」
電気仕掛けの罠の場所なんか、専門家でも分からない。マニュアルに載ってないからだ。
ケガ人を乗せた救急車がサイレンを鳴らして遠ざかって行く。
二人のベテラン社員はキョロキョロとあたりを伺いながら、中腰になって進む。その後ろを小笠原が恐る恐るへっぴり腰で付いて来る。罠の先に犯人が待ち構えているのではないかと不安を感じながら。
「あるとしたら、足元ですかねえ。――あっ、ありました!」社員が叫ぶ。
廊下に電線が渡してあった。床下から三十センチくらい、ちょうど足の脛に当たるところに、むき出しの電線が張ってあった。
「おお、怖いな。感電するじゃないか」小笠原が後ろから顔だけ覗かせる。「さっきの社員に仕掛けのことを教えてもらってよかったな。まんまと引っかかるところだった」
社員がペンチで電線を切断して奥へと進む。
後で調べてみると、電線は壁に釘打ちされていただけで、電気は通ってなかったという。
逃げ出すための時間稼ぎなのか?
仕掛けを仕上げる時間がなかったのか?
そもそも電気の知識なんか持ち合わせていないのか?
誰もが疑心暗鬼に陥りながらも、変電所の奥へと進んで行く。
やがて、第一エリア室と呼ばれる部屋に到着した。ここにも二人の作業着姿の男が倒れていた。二人ともケガはないようだが、ビニールのロープで後ろ手に縛られ、タオルで目隠しと猿ぐつわをされている。真っ先に部屋へ入った電力会社の社員が急いでロープとタオルを外す。
「どうもすいません。警察の方ですか?」
「いいえ、あずま電力の者です。あなた方の同僚ですよ」胸の名札を指差して安心させる。
目隠しをされていたためか、男の目の焦点が合わず、作業着もよく見えてなかったようで、同僚の社員が警察と間違われる。あずま電力ほどの大会社になると、お互い顔を知らないこともあるのだろう。
「私は東京都の副知事の小笠原である」後から恐々やって来たが、ここでも威張っている。「副知事が自ら危険を顧みず助けに来たぞ。――大丈夫か?」
「あっ、これは副知事!」男は驚いて体を起こそうとする。「わざわざ申し訳ないです。私たちは縛られてただけですから大丈夫です」
「そのままでいい。犯人はどこへ行った?」
「ついさっきまでいましたから、まだ近くにいると思います」もう一人の男が答える。
「外では警察と消防が変電所を取り囲んでおるぞ」
「だったら、逃げられませんね。ではまだ所内にいるはずです」
「分かった。みんな捜索を続けてくれ。――どこか隠れるような場所はあるのか?」
「その辺にいないとしたら、機械室とかボイラー室といったバックヤードがありますが」
「みんな、バックヤードを重点的に頼む!」大声を出す。「くれぐれも罠には気を付けろ!」
小笠原は腹の底から声が出ている自分に満足する。
取り囲んでる連中にも、この的確な指示は丸聞こえだろう。副知事のお株も上がったと言うものだ。もちろん罠が仕掛けられていると分かってからは、先頭を歩くことをやめている。
しかし、バックヤードはおろか、変電所の屋根裏まで捜索をしたが、犯人は見つからない。
副知事は大股を開いて立ち、腕を組んで考えている。こうやって知恵を絞っている姿も他の連中に見せつけておく。先頭を歩く肉体労働から、頭を使う頭脳労働に変わった姿をだ。
変電所の四方には人を配置してあるので、逃げることはできないはずだ。他に裏口はない。地下室も存在しない。屋根裏もない。屋上も捜索した。
電気を遮断して、停電を起こして、罠を仕掛けた。
となると、京都の連中はそれからどこへ行きやがった?
やがて、最初の二人のケガ人を病院まで搬送していた救急車が戻って来た。
副知事が縛られていた二人に声をかける。
「君たち、ケガはないようだが、医者に診てもらった方がいいだろ。後遺症が残ってはいけない。今、救急車が帰って来たから、ちょうどいい。病院に連れて行ってもらいなさい」
「いや、副知事。大丈夫ですよ。お気遣いはありがたいですが」
二人はすでに立ち上がっている。
「まあ、そう遠慮するな。二人の同僚も病院に搬送したばかりだ」
「えっ、我々の同僚がですか……?」
「そうだ。殴られたようだが、大したことはない。安心したまえ」
「いや、そういうことではなく、我々に同僚なんかいませんよ」
「何!」副知事の目がカッと見開いた。「埼玉変電所にはあずま電力の社員が何人いるんだ!?」
「私たち二人だけですけど……」
「何だと!? ――やられたか。あの二人が犯人だ。あいつらが京都からの回し者だったんだ」
「しかし、あの二人はケガをしてましたが」都職員が言う。
「お互い殴り合うかして、ケガの跡を作ったのだろう」
「罠が仕掛けてあると、わざわざ親切に教えてくれましたが」都職員が重ねて言う。
「わざわざ親切に教えてくれたからこそ、あいつらを信じてしまったんだ。あの言葉こそが罠だったんだ。どうせ、予備の社名入り作業着がどこかに常備してあったのだろう。奴らはそれを着て、自分たちの服は便所にでも捨てたんだろう」
「いったい、どうなってるのですか?」
「京都の二人がこの変電所に無断で入り込み、本物の二人の社員を縛って、転がした。その間に電気を止めて停電を起こし、電車を止めた。さらに多くの電車を止めようと作業をしていたところへ、我々が来て変電所を取り囲んだ。脱出ができなくなったので、あずま電力の社員のフリをして、襲われたことにした。自分で仕掛けた罠を自分で教えて、我々を信用させた。自作自演で危機を脱出したということだ。おそらく、そういうことに違いない」
二人を搬送して戻って来た救急隊員によると、病院に着いたとたん、ケガは大したことはないからと言い残して、二人とも元気にどこかへ行ってしまったという。
また、小笠原が言った通り、便壺から二人の物と思われる私服が見つかったが、
「ウンコまみれの服なんか捨てておけ! どうせポケットには、財布とか定期券とか、犯人に結び付く物なんか入ってないだろ」
小笠原に、腹の底から出した声で叫ばれて、衣類は焼却処分とされた。
停車していた電車はすぐに予備電源のお陰で復旧して動き出したが、多くの人の足に影響を及ぼした。暗い駅のホームで人と人がぶつかったり、エスカレーターが急停止してケガをしたり、エレベーターに閉じ込められて気分が悪くなったりした人も多数いて、駅の中とその周辺は大混乱した。
その結果、鉄道会社と電力会社と東京都庁にはクレームが殺到した。
「今回は我々東京の負けだな」
都知事室の真ん中で仁王立ちしている身長二メートル越えの渋谷知事は天井を仰ぎ見る。手には葉巻を持ったままだ。葉巻から煙がゆらりと立ち上る。
特別に西洋人によって設計されたこの部屋の天井は高く、採光窓から入り込む光線は柔らかい。
それとは反対に横で立つ小笠原副知事の表情は硬い。
せっかく現場の手柄を独り占めしようと目論んでいたのに、京都にまんまと騙されてしまったからだ。
二人の犯人を目の前にして取り逃がしてしまった。その犯人とは会話さえもしている。いいところを見せようと、二人のケガを気遣い、教えてもらった罠については感謝の念さえも覚えていた。それがまるっきりのウソだったとは。
あの二人の顔は思い出せない。あえて印象の少ない人物を選んだに違いない。背が高いとか低いとか太ってるとか痩せてるとか男前とかブサイクとかなどではなく、何の特徴もない中肉中背の男たちだった。もし、犯人だと分かっていれば、もっと注意して観察をしていたのだが、自分の手柄を立てることを優先してしまった。結果、渋谷知事の手柄も吹き飛んだ。
このことについて、知事からは何も言って来ない。何も言って来ないからこそ不気味だ。普段から、何を考えているのか分からず、心の中が読めない人なのだが。
渋谷知事は葉巻を灰皿に捻じ込むと、ニヤニヤしながらつぶやいた。
「京都よ、借りは返す。何倍にしてでもな」
知事の怒りは京都に向いている。
風船に生ゴミと、京都が立て続けに繰り出して来た作戦に連勝していたのだが、ここに来て敗北を喫してしまったのだから無理もない。
今回ばかりは負けず嫌いの知事の心の内が読めるようだ。
この分だと、どうやら私が叱責を受けることはなさそうだ。
副知事は内心ホッとして、硬かった表情もやっと和らいだ。しかし……。
「副知事よ」
「はい。何でしょうか?」また表情がこわばる。
「以前、書店の店頭から東京のガイドブックが消えたのを覚えているか?」
「はい。書籍のみならず、レコードなど東京と名の付く商品が品薄になりました」
「私はあれも京都の仕業だと疑っている」
「しかし、それでは莫大な費用がかかると思いますが」
「だから、短期間で終わった」
「確かに、品薄になったことで、東京関連本も東京とタイトルの付くレコードもベストセラーになりましたが、その後はすぐに正常な品揃えに戻りましたな」
「おそらく資金が続かなかったのではないか」
「なるほど。知事はそう考えておられますか。知事の勘は鋭く、よく適中しますから、おそらく、そうでしょうな」副知事として、知事を持ち上げておく。
「東京に関する商品を買い占め、品薄にして、打撃を与えようとしたのだろう」
「京都も首都奪回とはいえ、奇妙なことを思い付いたものですな」
「つまりだ。我々東京は買い占め作戦と風船作戦と生ゴミ作戦に勝利したが、今回の停電作戦には負けた。三勝一敗ということよ」
「そうなりますな」
「今後、京都は何を仕掛けてくるか分からんが、これからの東京は全戦全勝と行こうや」
「はっ、かしこまりました。微力ながらお役に立てるように頑張ります」
「副知事よ。バスケットボールの試合があるとする」いきなり話題が変わる。「相手が強豪チームだったら、どう思うか?」
「私はバスケットボールをいたしませんが、そういう場合は大変だなとか、気合を入れていこうとか……」
「私はうれしくてしょうがない」きっぱりと言う。
渋谷知事はバスケットボール元日本代表だ。実際、そういう経験もあったのだろう。
「自分が強くなるためには、強い相手と戦うことだ。だから強い相手と出会ったときはうれしくてしょうがない。これでまた自分が強くなれるからだ」
突然、バスケットボールの話が出てきて、小笠原は戸惑ったが、やっと意味が分かった。
強豪チームとは京都のことだ。
今まで三連勝していたときは、京都が弱小チームだと思い、こんな相手ならこちらは強くなれないと、手ごたえの無さを感じていたのだろう。
ところが、今回の停電作戦で京都が勝ってしまったことで、強豪と見做すようになった。
京都をライバルと認知するように変わった。
おそらく、知事は京都の強さに喜んだことだろう。
京都もなかなかやるな、くらいは思ったことだろう。
強い京都を目の当たりにしたことで、東京にチャンスが巡って来た。
つまり、強豪の京都を叩きつぶすことで、東京はより強くなれるということだ。
全戦全勝で、東京は他の道府県が太刀打ちできないような揺るぎない不動の地位を築く。
京都とのこれからの戦いは、そういった意味で進めて行くのだろう。
知事がそんなことまで考えていたことを知った小笠原副知事は、まだまだ渋谷知事の時代が続くだろうと思った。
しかし、それでいいのか? 自分は副知事のままでいいのか? ――と自問自答した。
京都府庁の首都奪回特別室ではメンバー八名と招待客二名が宇治茶で乾杯をしていた。伏見の銘酒といきたいところだが勤務時間中である。おつまみは京都の銘菓である生八ッ橋と有名なお漬物の千枚漬けである。タコ焼きも欲しいところだが、これで我慢している。
埼玉変電所に潜り込み、所員を縛り上げ、まんまと停電を起こして戻って来たミヤコ電力の二人の社員を全員でねぎらっていた。この二人が招待客である。
逃げようとしたところに東京の連中がやってきて、変電所を取り囲まれた時にはどうなるかと思ったそうだ。特に小笠原副知事の鼻息は荒かったという。
ミヤコ電力の二人がそのときに状況をメンバーに説明する。
「偽装するために鼻血を出したのですが、こいつは本気で殴ってくるのですよ」
「何を言うか。お前こそ、力が入り過ぎてたぞ」
「鼻から少しだけ血を流そうとしたのですが、口の中まで切ってしまい、駆けつけた小笠原副知事がギョッとしてましたよ」
メンバーから笑いが漏れる。
「その後は二人で仕掛けた罠をわざと教えてやりました」
「一つはドアノブを触ると静電気が走る仕掛けです」
「ちょっと強めの静電気だったのですが、引っかかった奴が大げさで、その場に倒れてしまったのですよ」
またもや、笑いが漏れる。
「あのときは焦ったなあ。静電気の加減を間違えたのかと思って、もしかして感電死かもしれないと思いました」
「すぐに立ち上がりましたけどね。静電気に敏感な体質だったのでしょう」
「もう一つの罠はただの電線を廊下に渡しておきました。まったく安全なものです。この二つの罠を教えてやったから、我々は逆に信用してもらい、変電所を救急車に乗って、楽々と脱出することができました」
「帰りの電車賃が浮いてよかったです」
「いやあ、バレなくてよかったな」
「ホントだよ。東京なんか大したことないな」
「副知事がアレだもんな」
「今頃、悔しがってるだろうな」
「ノッポの知事もな」
二人のニセ社員は笑いながら、お互いに検討をたたえ合っている。
「いや、ご苦労であった。二人のおかげで東京に一矢報いることができました」
大原知事もホッとしている。
二人には首都奪回という大きなミッションは教えていない。ただ、東京が協調性もなく、生意気なので、ギャフンと言わせたい、反省を促したいので協力してくださいと言っただけである。
日頃から東京をよく思っていなかった二人はすぐに承諾をして、この危険な任務を難なくこなし、東京を大混乱へと導いてくれた。
それは、翌日の朝刊にも大きく報道されたのだが、犯人は巧妙な手口を使い、いまだに捕まっておらず、まるで怪人二十面相のようだと書かれていたため、二人は英雄になった気分になり、鼻高々であった。
簡単な宴会が終わると、口止め料を含んだかなりの金額の謝礼金を二人に渡し、勤務先であるミヤコ電力へ戻ってもらった。
この作戦を遂行するために、二人は自分たちの私服を便所に投げ捨てていたが、新しい服を何着も買えるくらいの謝礼金を受け取った。
西のミヤコ電力と東のあずま電力は、エリアこそ違えど、ライバル関係にあり、日頃から相手を出し抜いてやろうと考えていたという。それが、今回の任務を引き受ける要因の一つにもなっていた。
席に着いた大原知事はニコニコしていた。
先日、大声で吠えていたときとは対照的だ。
「今、東京では停電の件で緊急の都議会が開かれているそうだ」
それを聞いてみんなも笑いを隠せない。肩を叩き合っている者たちもいる。
「“停電まっくらくら大作戦”は大成功を収めました。今までの三つの作戦は思うように行かなかったのですが、四つ目にして、予定通りの成果を上げることができました。これも作戦の発案者である黒門くんを始めとする皆さんのお陰です。だからといってすぐに首都移転が始まるわけではありません。すぐに国が動くわけではありません。焦らず、じっくりと、しかし途切れることはなく、取り組んでいきたいと思います。何よりも世論を動かすことが大切です。都民とその周辺の県民の心も動かさなければなりません。いや、日本国民の心を動かさなければなりません。“停電まっくらくら大作戦”の成果として、都庁にはかなりの抗議電話や手紙が入っていると聞いています。ほとんどは手っ取り早い電話です。手紙はそれほど多くありません。ここはチャンスです。抗議を電話だけで終わらせるのはもったいない。間髪入れずに次の作戦を実行したいと思います」
そう言って、大原知事は助役に目を向けた。
「もしかしたら……」京都市の姉小路洋子助役が発言する。「私が提案した作戦ですか?」
「ご名答です。抗議の電話はたくさんかかっているようですが、手紙が少ないみたいなので、我々がその穴を埋めていきたいと思います。つまり、活字からも大いに攻めて行くということです。東京都とその周辺の県の新聞社や出版社に東京を批判する投書を行います。それが掲載されることで、世論を動かし、東京への反発を広め、京都へ遷都するためのきっかけとしていきたいと考えております。これが姉小路助役の考えた“投書カキカキ大作戦”の内容です。名付け親はいつものように私です」
「では、さっそく文面を考えましょうか?」高辻副知事が身を乗り出す。
「いえ、もう手は打ってあります」姉小路洋子助役が力強く言う。「私があらかじめいくつかの見本を作成しておきました」
「それは素晴らしい。さすが助役ですね」副知事の赤眼鏡の奥の目が輝く。
「ありがとうございます」姉小路が軽くひっつめ髪の頭を下げる。「見本をみんなで手分けし、清書してから投稿しましょう。筆跡が同じにならないように八名全員で行います。各自の筆跡もうまく書いたり、わざとヘタに書いたり、左手で書いたりと、バレないように工夫をしていただきたいと思います。むろん、他に何らかの文章を書き加えていただいても結構です。筆記用具は各種取り揃えております。ボールペン、サインペン、万年筆、鉛筆などです。用紙もいろいろと準備してます。便箋に、わら半紙に、色紙に、チラシの裏もあります」
「ほう、さすが助役ですね。万事抜かり無い」大原知事も感心する。
「書き上がった手紙の投稿も皆さんの協力が必要です。消印が同じにならないように、日にちと時間と投函するポストを変えなければなりません。全員で京都府下をくまなく回って、投函いたしましょう。――そこで、大原知事。投稿する期間はいつまでがよろしいでしょうか?」
「今日を含めて、三日以内にすべての手紙を投函し終わりましょうか」
「かしこまりました」姉小路洋子助役がまた頭を下げた。
新たな作戦が決まるたびに京都には活気が戻る。
今度の“投書カキカキ大作戦”は知事も含めた八名全員が力を合わせて行うものだ。首都奪回特別室に活気がみなぎるのも当然だった。
姉小路洋子助役が作成した投書の見本は以下の通りである。
見本1:主婦の場合。
私は専業主婦です。日頃から感じていることを投稿したいと思います。それは東京についてです。東京が日本の中心であることは分かります。人口も多いですし、国会議事堂もあります。だからといって、威張り過ぎではないでしょうか。国民はみんな平等だと思います。東京都民だからといって、私たち地方の人間を下に見るのはいかがなものでしょうか。子供の教育にも悪いと思います。そんな卑しい考えを持つ東京都に首都は任せられません。PTAの人たちもみんなそう言ってます。
見本2:受験生の場合。
僕は受験生です。地元の大学を目指して日夜頑張ってます。けれども、クラスメイトの中には東大を目指し、東大じゃなければ大学じゃないと言う人もいます。僕は大学に入ることよりも、大学に入ってからどれだけ学ぶのか、そして卒業してから、どれだけ社会の役に立てるのかが大事だと思います。東大至上主義はいかがなものでしょうか。東大の他にもいい大学はたくさんあります。そんな東大がある東京を日本の首都にしたままでいいのでしょうか。
見本3:老人の場合。
私は定年退職後、隠居生活をしておる者です。年金をもらっておりますが、現役時代よりかなり金額は少ないものであります。毎日、困窮しております。アルバイトを始めたのですが、年寄りということで賃金がかなり安くなっております。ところが、東京はどうでしょうか。年寄りと言えども高給取りらしいではありませんか。もちろん、物価が高いのは承知しております。しかし、それを考慮いたしましても高すぎると考えます。そんな差別をするような東京を首都にしていてもよろしいのでしょうか。
見本4:失業者の場合。
俺は仕事をクビになったばかりの人間だ。今まで一生懸命やってきたつもりだ。だが、不景気だと言われて、失業してしまった。ところがだ。東京ではたくさん仕事があるというではないか。東京に住んでいる俺のツレは忙しくてしょうがないと言っている。この違いは何だ。確かに俺は中卒だから、すぐに仕事に就くのは難しいかもしれん。だがな、東京だけいい思いをしちゃいないかい? 同じ日本だぞ。国民は平等であるべきじゃないのかい。東京だけが仕事に溢れてるとはなんだ。そんな所が日本の首都でいいのかい?
見本5:外国人の場合。
ハロー。ボクはアメリカから日本に来て、中学で英語教師をしてます。こちらで働けるのは学校か英会話教室くらいです。聞くところによると、東京には英語を使った仕事がたくさんあると聞いてます。商社とか貿易とか通訳とか翻訳なんかです。なぜ、東京にしかないのでしょうか。これは差別ではないのでしょうか。首都だけにそんな仕事を集めていいのですか。ボクが住んでるような地方にはありませんよ。東京一極集中はやめてください。首都を置くのもやめてください。いずれ国際問題に発展しますよ。グッバイ。
見本6:小学生の場合。
わたしは小学四年の女の子です。将来はお菓子屋さんになりたいという夢を持ってます。
お豆腐屋さんでもいいです。でも、わたしの街にはお店が少ないです。お母さんに聞いた話ですが、東京にはたくさんお店があるそうです。なぜ、東京にあって、わたしの街にはないのでしょうか。東京だけたくさんお店があるのはおかしいです。日本の首都だからでしょうか。だったら、わたしの街を首都にしてください。わたしの街は京都です。昔は首都だったそうです。首都を京都に返してください。
その頃、東京都では緊急都議会が開催されていた。議題は停電による東京都の混乱である。
京都が仕掛けてきたことは明確だった。電気系統を麻痺させたのだから、専門家であるミヤコ電力の社員も関わっていたと思われる。しかし、変電所から犯人はまんまと逃げてしまい、物的証拠である犯人の私服はウンコまみれになって使い物にならなかった。状況証拠だけで訴えたとしても、裁判に勝てるかどうかは分からない。
ここは犯人を追及するというよりも、今後同じことが起きた時の対応策を話し合うことになった。
宿敵である京都の目的は一つ、首都の奪回である。
そのために世論を動かそうとしているに違いない。東京と名の付く商品を買い漁り、風船で東京を糾弾するビラをまき、異臭で東京のイメージダウンを図ろうとして失敗したが、今回の停電では東京の弱さと危険さを浮き彫りにさせた。電話や手紙のクレームはいまだに続いている。
東京都議会は京都からの度重なる仕打ちに対して、今までは静観をしていた。余裕もあったからだ。チマチマ攻めてきたところで、大した影響はないと判断して、ある程度放置していた。
しかし、我慢にも限度がある。都知事の借りは何倍にしてでも返すという言葉は各議員にも届いており、もはや静観している段階ではないことが分かっていた。
こういった議員たちの発奮を知事はうまく利用しようと企んでいた。
渋谷知事は全員を見渡せる端の席に座り、静かに目を閉じている。しかし、座っていても長身だと分かる体型からは、滲み出る恐ろしさが感じられる。
議員たちは知事が何を言い出すか、戦々恐々としている。それでも会議の中断は許されない。話し合いは続けなければならない。京都への対抗策が次々に発案されたが、どれもうまく行きそうになかった。
やがて、意見も出尽くしたところで、渋谷知事が立ち上がった。
みんなが一斉に黙り込み、知事の言葉を待つ。
「京都からの嫌がらせが止まらないが、こんなことで国や近隣の県の世話になるわけにはいかない。すべて東京都だけで対応する。次にどういうことをやってくるかは分からない。しかし、気を緩めずに向かって行く。すべて蹴散らす。コテンパンにだ。そうすることで東京は強くなる。日本の首都に相応しい確固たる地位を築き上げる。そのため、ここに“首都死守特別室”を設立することにする。メンバーは十人程度だ。室長は小笠原副知事に任せるが、具体的な活動内容や誰をメンバーにするかは追って連絡する。――私からは以上だ」
こうして東京都緊急議会は京都とは対照的に、重い空気のまま閉会した。
ただ、渋谷知事だけは体中から沸き上げて来る力を感じて、内心ほくそ笑んでいた。
京都の首都奪回特別室と東京の首都死守特別室の戦いが始まろうとしていた。
姉小路助役が作成したクレーム投書の見本1から見本6を元に、大原知事を含めた首都奪回担当メンバー八名が首都奪回特別室に籠って、出版社や新聞社に向けての手紙を書いている。
こんなところを、何も知らない府庁の職員に見られてはいけない。念のため、特別室の入口に見張りを立たせた上での作業だ。もちろん、この間は電話も取り次がない。
“買い占めウハウハ大作戦”、 “風船ビラぷかぷか大作戦”、“生ゴミ放置クサクサ大作戦”、
“停電まっくらくら大作戦”に続く第五の大作戦。
口にするのもおぞましい“投書カキカキ大作戦”が始まっていた。
この作戦の発案者である姉小路助役は、小学生の女の子に成り切って二通目を書いている。
私は小学四年の女の子です――。
ああ、私にもこんな時代があったなあ。見本に書いた、お菓子屋さんになりたいというのは私の本当の夢だった。パン屋さんでもよかった。お惣菜屋さんでも乾物屋さんでもよかった。何かをお腹いっぱいに食べられたらよかった。
おかっぱ頭で夢を抱いて走り回っていた頃だ。なのに、なぜかひっつめ髪の地味な地方公務員になってしまった。京都を住みよい街にしたいという大きな志を持っていたのに、配属された京都府庁では、なぜか東京と戦っている。他の職員には内緒の、表には出ない仕事だから、やはり地味だ。
この先はどうなるかは分からない。今ここでせっせと手紙を書いている人たちは知事も含めて、誰もが分からないのだろう。しかし、戦いつづけなければならない。
それにしても投稿先が多い。隣で書いている寺町市長に話しかける。
「都内の新聞社や出版社は随分とあるものですね」カキカキ、カキカキ……。
三通目を書いている上司の寺町市長は見本の老人に成り切って書いている。
わしは引退して隠居暮らしをしております……。
ああ、老人か。私にとってはまだ先のことだがな。年金暮らしの祖父に成り切って書くとするか。
祖父は小柄だ。私もだ。どうやら、私は祖父の血を引いているようだ。
えーと、私の趣味は盆栽です。好きな食べ物は湯豆腐です。嫌いなのは牛乳です。
ああ、私が祖父の年齢になった頃、日本は、京都はどうなっているのか?
まだ東京が首都であることは避けたい。いや、絶対に変えなければならない。すでに退職していった先輩の皆さんが成し遂げられなかった悲願を、我々が代わりに叶えてあげなければいけない。私の代で決着をつけるのだ。京都に首都を取り戻す。ふたたび煌びやかで、活気あふれる京都をよみがえらせる。そのためにこんな地道で面倒な作業を行っているのだ。
話しかけてきた姉小路助役に返事をする。
「投書を受け付けているかどうかは分からないがね。とりあえず、すべての会社に送り付けよう。助役が作成してくれたこの見本は助かるよ。私は見本3を元にして、祖父のつもりで書いてますよ」
カキカキ、カキカキ……。
新聞社は常々投書を募集しているが、雑誌を出している出版社はどうか分からない。しかし、掲載されるかは別として、東京都に対して不満を持っている人間がたくさんいるということを知ってもらうために送り付けようというわけである。
掲載されてもされなくても、同じ考えを持っている人々の目に留まり、何らかのアクションが起きることを期待している。大きく表現すれば“革命”と呼ばれるものであった。
メンバーたちは首都を京都へ戻すという機運が、全国で高まってほしいという気持ちを込めて、投稿することにしていた。
白川は外国人のフリをして三通目を書いている。
アメリカ人か。会ったことないな。ふーん、英語教師か。妻は日本人ということにしよう。ハロー。新婚旅行で東京と京都に行きましたが、京都の方がベリーグッドでした。江戸城より金閣寺の方がゴージャスでした。雷おこしより八ッ橋の方がデリーシャスでした。ゴチャゴチャした東京と違って、京都の道路は碁盤の目のようになっているので、シンプルアンドコンビーニエンスでした。
うーん、東京と京都か。新婚旅行で遠く離れた二か所を回るかね。熱海だけとか宮崎だけとか、普通、一か所だよなあ。まあ、アメリカ人だからな、これでいいとするか。アメリカは領土がデッカイから、こういうこともあるだろ。どうせ出版社の人もアメリカ人になんか会ったことないだろ。
PS.雑誌に載せないと日米間での国際問題に発展しますよ。グッドバイ。
少しだけ脅しておく。どうせ架空の外国人の名前も住所もデタラメだ。バレることはない。
「どうか、掲載されますように。たくさんの人の目に触れますように」
カキカキ、カキカキ……。
知事自らもペンを取っている。助役に話しかける。
「原案をお願いした姉小路助役の熱き思いが、この文章から感じられるね。東京には相当の不満を持っていたのでしょうね」カキカキ、カキカキ……。
「もちろん、そういうことです」助役は手を休めずに答える。カキカキ、カキカキ……。
「この機会に積年の恨みを晴らそうというのではないでしょうか」カキカキ、カキカキ……。
「なんだか大げさですね」助役はフッと笑みをこぼす。カキカキ、カキカキ……。
「この思いが新聞社や雑誌社に届けばいいですねえ」カキカキ、カキカキ……。
「それはもう、ここにいるみんなが思っていることです」カキカキ、カキカキ……。
「掲載する側、つまり新聞社や雑誌社なども、同じ思いを持った人がきっといるに違いありませんよ」ここで知事は筆記用具をボールペンから万年筆へ持ち替える。カキカキ、カキカキ……。
「京都を首都にという要望の渦が巻き起こってほしいですね」助役は万年筆からサインペンに替える。カキカキ、カキカキ……。
「その渦が大きくなって、日本列島を包み込んでほしいですな」カキカキ、カキカキ……。
周りで会話を聞いていたメンバーたちが知事と助役に同調する。
次々に投稿する原稿が仕上がっていく。
首都奪回特別室にはカキカキ音が夜遅くまで響いていた。
東京都緊急議会の閉会後、大池貞子議員は帰りに晩御飯のおかずを買って帰ろうと、都議会議事堂を出たところで、見知らぬ男性から声をかけられた。
「大池貞子議員ですね、あちらにお車をご用意しておりますので」
大池議員はこの若くて背の高い男性を見上げた。
「あら、お車なんて頼んでおりませんわよ」
男性は小柄な議員を見下ろした。
「いいえ。渋谷知事から指示がございました。最近は何かと物騒なので、大池議員を自宅までお送りしなさいということです」
「あら、そうなの。私はそんなことを聞いておりませんが、知事からの指示では仕方がないわね」
大池議員はおかしいと思ったのだが、本当に知事からの指示ならば、無下に断って知事の怒りを買ってはいけないし、この男性が実にハンサムで感じが良かったため、つい簡単に承諾をしてしまったのである。
それに、年齢が四十を越えると、若い頃のようにチヤホヤされることもなく、寂しい思いをしていたということもあったのである。
「玄関を出て、右手にお車を止めておりますので、どうぞ」
男性は大池議員が持っていた大きめのバッグをさりげなく受け取ると、魅力的な長い足でスタスタと歩き出した。
そして、玄関を出るときに振り向いて満面の笑顔で言った。
「大池議員、今日は良い天気でよかったですね」
「あら、そうだわねえ。昨日まで雨でしたのにねえ」
大池議員は若い男性にエスコートされてメロメロになっている。周りの人からもチラチラと見られて気分が良い。
あらら、こんな感情は何年ぶりかしら。議員になってからお仕事一筋だったから、覚えてないわねえ。うふふ。
「はい、お車はあちらでございます」
男性は一台の車を指差した。高級車が停車していた。
「あら、こんな立派なお車でよろしいですの?」
「はい。これも知事の指示です。この車種でお迎えするようにと指定されました」
「あら、そこまで細かい指示が出てますの?」
「はい。これはとても頑丈に作られている車ですから、万が一、ぶつけられても大丈夫です。逆に相手の車が破損するくらいです」
「あらそうなの。知事の指示では仕方がないわね。では、遠慮なく乗せてもらうわね」
私が積極的について行くのではない。知事の指示だから仕方なく乗り込むんだという姿勢を見せておく。ハンサム氏にずうずうしいと思われてはいけないからだ。
男がすかさずエスコートをして、後部座席に議員を乗せると、重厚な音を立ててドアが閉じられ、高級車らしくゆっくりと静かに走り出した。
「あら、私の家の方向はこちらじゃありませんわよ」しばらく走ったところで議員が言い出す。
「これも知事の指示なのですが、おいしいお汁粉屋さんがございますので、そちらにお連れして、その後にお買い物に付き合えと言われております。もちろん、その後はまっすぐご自宅に向かいますので、ご安心くださいませ」
「あらあら、そうですの」
大池議員は渋谷知事の心遣いと、ハンサム氏の優しさに頭がクラクラしてきた。
その後、大池議員はハンサム氏に連れられて、最近開店したばかりのおいしいとウワサのお汁粉屋さんの入口に立った。中を覗くと……、
「あら、お若いお嬢さんばかりじゃないですの」
「いいえ。大池議員も負けず劣らずに若くて、お綺麗ですから、さあどうぞ、遠慮せず、一緒に入りましょう」
あらら、お綺麗だなんて、長年生きて来て、言われたことないわ。
二人は、若い女性だらけの店の奥に入って行く。そこには“予約席”と書かれたプレートが乗せられた二人掛けの席が用意されていた。窓から日本庭園がよく見える。昨日の雨で草花はまだしっとりと濡れている。
「この見晴らしのいい席も渋谷知事の指示で予約したものです」
大池議員は感激のあまり、しばらく声が出ない。
「さあ。どうぞおかけください」男は椅子を引いてあげる。
「あらら、こんなことじゃもっといいお洋服を着てくればよかったわ。こんな地味なスーツで来るところじゃないわね」
「いえいえ。十分、お似合いですよ。――お汁粉のセットでよろしいですか?」
「もちろんですわ」顔を赤らめながら答える。
その後、周りを気にしながらも、二人で甘味を堪能した。
「大池議員、これだけでよろしいですか?」
「あら、まだいただいてもかまいませんの?」
「もちろんですとも。お腹が一杯になるまで召し上がっていただきなさいという指示も知事から受けておりますから、遠慮されると私が困ってしまいます」
「あらら、あなたに困られると私も困りますわ。――ではお代わりを頼みましょうかね」
結局、お汁粉を三杯も食べた大池議員はデパートでいつもより豪華な食材を買い揃えて、家の前まで送ってもらうという楽しいひと時を過ごした。
男はお汁粉代も食材費も渋谷知事の名前で領収書を切ってもらっていた。
「いくらなんでも、お夕食のおかず代まではいただけませんわ」議員は遠慮をしたが、
「いいえ。これも知事の指示ですから、こうしないと私が怒られます」
ハンサム氏はそう言って、受け取った領収書を高級そうなスーツの内ポケットに滑り込ませた。
「あら、そうですか。お戻りになったら、渋谷知事によろしくお伝えくださいね」
見えを張って豪華な食材を買ってよかったわ。タダですものねえ。特にマツタケの詰め合わせは楽しみだわ。どんなお味がするのかしらね。
大池議員は自宅に戻っても、うれしくて仕方がなく、胸が幸せで一杯だった。
大池貞子議員が男性と連れ立って都議会議事堂を出た直後、山之内美代子議員が議事堂を出ようとした。
「山之内美代子議員、お待ちしておりました」
見知らぬスーツ姿の男性が声をかけてきた。
「はい、何でしょうか?」警戒して睨み付けた。
「渋谷知事の指示で議員を家までお送りしなさいということです。最近物騒ですので車を使うようにということです」
「あら、そうですか」知事の名前が出て、たちまち警戒が解かれる。「渋谷知事の指示でしたら、お言葉に甘えて乗せてもらおうかしらね。私の家はお分かりかしら?」
「はい、もちろんです。知事から承っております」
議員は住所を知っていると言われて警戒を解いた。
男性は山之内美代子議員の手からさっとバッグを受け取ると、玄関に向かって歩き出した。外に出てみると、高級車が止めてあった。
「へえ、こんないい車を用意していただいているの?」
「はい、これも知事の指示ですから、遠慮なくご乗車ください」
男性はすかさず後部座席のドアを開け、議員の手を取ってエスコートする。
「自宅にお送りする前に、ちょっとお寄りするところがございます」
「それはどこですの?」山之内議員の声に再び不信感が現れた。
「これも知事からの指示なのですが、最近山之内議員はたいへん熱心にお仕事をなさっている。きっとお疲れに違いない。そんなときには糖分が必要だ。ぜひ、おいしいケーキをご馳走して差し上げなさいということで、ケーキ屋さんに向かいます」
「へえ、そうなの!」山之内議員は不信感を払拭するとともに、たちまち喜んだ。
渋谷知事が仕事ぶりをよくご覧になっていたことに喜び、大好きなケーキが食べられることに喜んだ。
「それはうれしいわ。ケーキなんてハレの日でないと食べられませんものねえ」
「はい。おっしゃる通りでございます」
山之内議員は自宅に帰る途中、男性に誘われるまま、洋菓子店に寄った。そこは最近オープンしたばかりの店で、フランス帰りのケーキ職人がおいしいケーキを作っていると評判の店だったが、地方公務員の給料では到底入れる店ではなかった。
「どうぞ、遠慮なさらないでください。この店にお連れするようにと、知事からの指示を受けておりますから」
「では遠慮なく、この一番お高いケーキセットをいただこうかしら」
「私も同じ物をいただきましょう」
店にいるお客のほとんどがこちらをチラチラと見ている。議員だと気づいて見てくれているのか、一緒にいる男前氏が素敵なので見ているのか、私たち二人が羨ましくて見ているのか。
どれでもうれしいと山之内議員は思った。
それは、高級なケーキの味が分からないくらいのうれしさだった。
山之内議員は談笑しながら、男前氏と何種類ものケーキを食べるという至福のひとときを過ごしたあと、こんな時間がいつまでも続けばいいのにと、名残惜しく惜しく思いながら、自宅まで送ってもらった。
店を出るとき、お土産はいかがですかと訊かれた。
「いいえ、お土産までは遠慮しておきますわ」
そう言いながら、議員はおいしそうなケーキが並んだショーケースをチラチラ見ている。
「お土産をもたせてあげるようにと、知事から仰せつかっておりますから、どうぞお選びください。そうしていただかないと、私が困ってしまいます。きっと知事から叱責を受けるに違いありません」
「そうですの! それは大変。――では遠慮なくいただくわね。これと、これと、それと、それと、あれと、あれと、あっちとそっちとこっちのケーキを二個ずつ、お願いしますわ」
男前氏はお土産代を含めた高級ケーキ代を支払った後、大原知事宛ての領収書をもらうのを忘れなかった。領収書を受け取る男の姿を山之内議員は名残惜しそうに、うっとりと見つめていた。
大池貞子議員と山之内美代子議員につづいて、広山敏子議員が議事堂を出ようとしたところで、カッコイイ男性に呼び止められた。
「広山敏子議員ですね。私がご自宅までお車でお送りいたします。お車はあちらに停めてございますのでどうぞ。お荷物は私がお持ちいたします」
男性は細くてきれいな指で高級車を指さした。
戸惑う議員に男は畳みかけるように言った。
「これらはすべて渋谷知事の指示でございます。大池貞子議員と山之内美代子議員は先に別の者がお連れ致しております。さあ、ご遠慮なさらずにどうぞ」
「もちろん、知事の指示ならお受けいたしますわ。二人の議員も行ったのでしたら、断る理由はございませんわ」
男は女性議員同士のやっかみをうまく利用する。
「それと、フルーツパフェはお好きでしょうか?」
「ええ、もちろん。高級車もフルーツパフェも大好きですわ」
広山議員は満面の笑みを返した。
京都の知事室の黒電話が鳴った。大原知事が受話器を取る。
「大原知事、黒門です」
「おお、黒門くん、首尾はどうですか?」
「うまくいきました。三人の女性議員の懐柔に成功いたしました」
「そうかね、ありがとう。議員たちは男性と二人で店に行ったのかな?」
「はい、甘味処とケーキ屋さんとデパートの食堂に連れて行きまして、それぞれ、お汁粉と高級ケーキとフルーツパフェをご馳走してきました。その代金は渋谷知事持ちだから遠慮しないようにと伝えましたら、まるっきり信じてバクバクと食べ、お汁粉は三杯お代わりして、高級ケーキは大量のお土産をねだり、フルーツパフェは大盛りにされたそうです。――まったく、東京のオバサン議員はずうずうしいですね」
「おお、それはよかった。――写真はどうですか?」
「車に乗り込むところから、店を出るところまで数枚の写真をバッチリ撮りました。二人で一緒にいるところが、ちゃんと写っているはずです」
「ほう、そうですか。現像が楽しみだね」
「議会では見られない、三人の議員のニヤけた顔が写ってますよ」
東京都議会の女性議員のスキャンダル写真をばらまいて、東京の信用を失墜させるという作戦を考えたのは、今、電話をかけてきている黒門である。
首都奪回のための特別予算を使ってハンサムな俳優を一時雇用し、高級レンタカーを借りて、それぞれの店の予約を渋谷知事の名前で取り、二人きりのデートを仕掛けたのである。
これが泣く子も笑う“女性議員イチャイチャ大作戦”である。もちろん、名付け親は大原知事である。
“買い占めウハウハ大作戦”、 “風船ビラぷかぷか大作戦”、“生ゴミ放置クサクサ大作戦”、
“停電まっくらくら大作戦”、“投書カキカキ大作戦”に続く第六の大作戦である。
どうやら、女性議員たちは用意された車を見ても、レンタカーとは気づかなかったようだ。
報告を受けた大原知事は満足そうである。何も疑うことなく、三人の女性議員がまんまと引っかかるとは思ってなかったからである。一人くらい騙されてくれないかと思っていたのだが、まさか全員が罠に落ちるとは、プロの俳優さんにお願いしていたとはいえ、驚きである。
いい男と高級車と甘いデザート。これで参らない女性はいないだろう。結構なお年の女性議員も交じっていたが年齢には関係なく、ハンサム男性を前にして、デレデレになっていたに違いない。
東京都の議員名簿を手に入れて、女性独身議員を探し出し、三人をターゲットに決めたのである。この場合、若い女性議員はダメである。交際している男性がいるかもしれないからだ。気の毒なことだが、どう見ても、相手がいそうにない年増の女性議員を選んだのである。
オバちゃん議員のデレデレした顔を想像するだけでこちらもニヤケてくる。
早く写真を見たいものだ。
年齢も性別も関係なく、基本的に人類というものはスケベなものである。
悲しき人類の性をうまく突いた絶妙な作戦であった。
今のところ、この作戦は成功だ。そして、この後は……。
「黒門くん、ご苦労様でした。写真が出来上がり次第、匿名で新聞社と雑誌社と都議会と渋谷知事に送り付けてやりましょう!」
「各店舗からいただいた渋谷知事宛ての領収書はどうしましょうか?」
「それも一緒に同封して、渋谷知事宛てに送り付けてやりましょう!」
大原知事も黒門も一分間ほど、笑いが止まらなかった。
三日後の朝刊には、東京都の三人の女性議員が男性とうれしそうに車に乗り込んでデートを楽しむという記事が、大きな写真とともに掲載された。
そこには以下の三枚の写真も添付されていた。
・大池貞子議員がお汁粉を三杯お代わりしてニヤけている写真。
・山之内美代子議員が高級ケーキのお土産を手にニヤけている写真。
・広山敏子議員が大盛りのフルーツパフェを食べてニヤけている写真。
相手の男性は仕事の関係者ではなく、友人知人でもなく、ましてや兄弟や親戚でもなかったため、大きなスキャンダルとなった。
三人の議員は男性と甘い物を食べて、家まで送ってもらっただけである。それ以上の関係はない。しかし、記事というものは読者の気を引き、売り上げ部数を上げようとするため、思わせぶりなことを書くものである。
この記事もそうだ。
“甘い物を食べた後、二人を乗せた車はいずこへか走り去った。おそらく、その後は甘いひと時を過ごしたのであろう。”と書かれていた。
このとき、記者が見ているわけない。この写真を撮ったのは、発案者の黒門、白川、醒ヶ井という京都府庁の男性職員だからだ。車で走り去ったのは確かだが、その後は寄り道もせずに、ちゃんと家に送り届けたとエスコートをした三人の俳優から聞いているし、そもそも、普段から若い女性にモテている若い俳優が、オバちゃん議員を誘うはずがない。
だが、この記事を読んだ読者はどう思うか?
二人きりでどこか怪しい所へ行ったのではないかと想像するのである。これがスキャンダル記事の恐ろしいところである。想像というものは、面白おかしい方向へ向かうものである。こんな仕組みによって、新聞社や雑誌社の売り上げが伸びるのである。
三人のオバちゃん都議会議員には相当の打撃を与えたことになる。
三人の京都府職員はわざわざ東京にまで出張して作戦を決行した甲斐があったとして、大いに喜んだ。これまでの鬱憤を晴らしたことにもなった。
また、同じ日のいくつかの新聞に東京を批判する投書が多数掲載され、日を置かずに、いくつかの雑誌にも東京の批判記事が載り、東京都はまたしても、電話や手紙によるクレームの嵐に見舞われ、大きなダメージを受けた。
京都の首都奪回メンバーによる“女性議員イチャイチャ大作戦”と“投書カキカキ大作戦”のダブル攻撃がうまく功を奏したのである。
新聞に載るスキャンダル記事と批判投稿が同時に掲載されるように、投函する日程も調整していた結果、うまくいったのである。これも作戦のうちであった。
この後、数日の間、いくつもの週刊誌や月刊誌にも、東京を批判する投書が掲載され続けて、東京都庁にはさらなるクレームの電話が殺到し、回線がパンクして、仕事に支障が出た。
また、数人が知事を非難するプラカードを掲げて都庁前でシュプレヒコールをあげ、それは通行人を巻き込んだデモ行進にまで発展した。
首都奪回メンバーは、全員でせっせと書いた投書がボツになることもなく、こんなにたくさんの媒体に掲載されるとは思ってもいなかった。
口にするのもおぞましいと言われてた“投書カキカキ大作戦”の影響は凄まじいものとなった。夜遅くまで腱鞘炎になりそうな勢いで書き続けたメンバーの苦労が報われた形となった。
一方、ダブル攻撃による被害報告を受けた渋谷都知事の血管はブチ切れそうになった。京都をライバルと考え、戦うことに喜びさえも感じていたのだが、それは京都が真正面から大掛かりな作戦を仕掛けて来たからである。
だが、今回の作戦は何だ?
あまりにもセコいではないか。
これでライバルと呼べるのだろうか。
いや、ライバル視していた自分が恥ずかしくなってくる。
こんな小さな連中が相手なら、自分は強くなれない。
こんな小さな京都なら、東京は強くなれない。
以前と違って、大した経費もかかっていないボンクラで小手先だけのような二つの作戦にまんまと引っかかってしまい、東京都のイメージが悪くなってしまった。
中身がなく、品もなく、東京の批判をしているだけの投稿を新聞社や雑誌社、出版社はまるで、そうすることが義務であるかのように、片っ端から掲載した。
それだけでも腹が立つというのに、まさか、いい年したオバちゃん議員が色仕掛けに惑わされたとは情けない。
本人たちは軽くお茶をして、家まで送ってもらっただけですと説明し、あくまでもプライベートな時間での行動なので、政治家としての仕事とは何ら関係はないと言い張ったのだが、議員の行動としては軽率であり、新聞に掲載された写真はあまりにもマヌケな面だということは認めざるを得なかった。
しかも、何だ、都知事宛ての四枚の領収書は。嫌がらせで送ってきやがって!
お汁粉三杯にデパートで買ったマツタケの詰め合わせ。高級ケーキにたくさんのお土産。お大盛りフルーツパフェ。――こんなものを私が食べるわけがなかろう!
渋谷知事は三人の女性議員を呼んで訓戒処分と減給処分を与えた。自分自身の処分は当然、行わない。
三人は甘んじて処分を受けることにした。当然、議員辞職なんかしない。女性としてかなりのダメージを受けたが、政治家としての仕事はまだまだやり残したことがあるからだ。クビにならなかっただけマシと考えた。これからの仕事で結果を出して、信用を回復していくしかない。
しかし、こんなことになるのなら、もっと食べておけばよかったと、三人全員が後悔し
た。いい男を前にして、遠慮していたのである。舞い上がっていたのである。しかし、デザートは別腹である。もう一度連れて行ってくれたら、あの日の三倍は食べることができる。自信満々である。
オバちゃんはいつの時代であってもずうずうしい。
そして、ふたたび東京都の緊急議会が開催された。渋谷知事は首都死守特別室を設立するにあたって各方面から集められた精鋭メンバーを各議員に紹介した。
また、その日のうちに、渋谷都知事から大原知事宛てに、新設されたという首都死守特別室のメンバー表が嫌がらせのように、速達で送り付けられてきた。
大原知事を始めとして、一同はそのメンバーを見て驚愕した。掲載されていた十人全員が日本の最高峰である東京エリート大学の教授たちだったからである。
・熊山唯人法学部教授。
・杉木剛次政治学部教授。
・恵比須利助歴史学部教授。
・神足享人経済学部教授。
・矢代由梨人建築学部教授。
・若菜晶工学部教授。
・宮島博史交通通信学部教授。
・花房聞多都市計画学部教授。
・河和中司デザイン学部教授。
・橋戸和男産業学部教授。
首都奪回特別室では大原知事が腕を組んで、眉間にシワを寄せながら唸っている。
「うーん。法律の専門家も入っていますねえ。まさか今までの六つの大作戦に法的処置を取ってくることはないと思うがね。ああ、政治の専門家もいますか。この連中が束になってかかって来たら、京都はひとたまりもありませんな。渋谷知事一人だけでも手ごわいというのに、さらにこんなエリート集団をブレーンに付けられたらたまりませんね」
寺町市長も腕を組んで、同じようなポーズで考え込んでいる。
「京都が完全に包囲されたような感じですね。こんな名簿を送って来たということは、ジタバタしても無駄だから、負けを認めて大人しくしていろということでしょう」
「戦わずして勝つというのが理想の勝利ですからね。――寺町市長、このまま大作戦を続けますか?」
知事が市長に問うが、気落ちしていることは声の大きさで分かる。せっかく二つの同時作戦が成功したというのに、水を差されたようなものだ。
「六つの大作戦によって、東京を少しずつ追い詰めていることは確かですが、致命傷は与えていないでしょうね。ここぞとばかりに反撃をしてきましたから」
市長もはっきりせず、弱気になってきている。もともと色白で小柄な市長なのだが、いつもより弱々しく見える。普段から小さい声も、今はさらに消え入るほど小さい。
知事が悔しそうに続ける。
「一番の問題点は何かというと、東京を追い詰めてはいるが、それが首都奪回に直接結びついてないということです。嫌がらせのレベルで終わってしまってます。しかし、あと一歩です。東京にトドメを刺しさえすれば、首都奪回へと舵を切ることができると思うのです」
市長も困惑気味に続ける。
「私もそう思います。肝心なのはいかにしてトドメを刺すかということですね」
それを聞いて、姉小路洋子助役が助言する。
「今まではこちらからの作戦を東京はさらっと流していたようですが、立て続けに繰り出した二つの作戦によって打撃を与えられた結果、本気を出したということでしょう。首都死守特別室のメンバー表を見れば、そう読み取れます。しかし、チャンスは今です。打撃によって開いた小さな穴を大きくするのは今です。さらに新たな作戦を実行することで、致命的な大きな穴を開けることができるのではないでしょうか」
助役は何とか奮起を促そうと声を張り上げるが、問題提起をしただけで、具体的にはどうすればいいのかまで、提案することはできなかった。
「ううむ。新たな作戦か……」知事は組んでいた腕をほどく。
「ううむ。それしかないでしょうな」市長も同じ動作をする。
今まで、新たな作戦が決まるたびに、首都奪回特別室には活気が戻って来た。それは、失敗した作戦を忘れるくらいの熱き活気であった。そして、それがメンバーのモチベーションへと繋がっていた。
今回もそうして、この難関を乗り切って行こう。みんなが一丸となるにはそれしかない。
大原知事はそう考えた。
だが、今までメンバーから提案された六つの作戦はすでに実行されていた。
作戦のストックはもうない。
メンバーの英知を集めて、これから新しく考えるしかない。
首都奪回特別室では静かに時間だけが経過して行く。
姉小路助役の提案で新しい作戦が練られることになった。過去に実行された六つの作戦を再度行うことも検討された。過去に提案されてボツになった作戦も再考された。
だが、どれも今一つで、今までの大作戦を上回るアイデアはいくら考えても出てこない。
全員が考えているのか、諦めているのか分からないが、無言のまま、下を向いている。
「しかも……」白川が顔を上げて小さな声で発言する。「予算が尽きかけてますし……」
「そうなのです」五条も弱気だ。「おそらく東京には資金が贅沢なくらいあるのでしょう。人の数が違うのですから、入って来る税金の額も違います。それに加えて、この首都死守特別室のメンバーが存在します。この十人の頭脳にも少なくない賃金が支払われているはずです」
醒ヶ井も意気消沈している。
「だが、京都にはそういった資金や、日本を代表するような頭脳どころか、攻撃する手段さえも思い付きません。――もはや、何も残っていないのです」
各メンバーの頭に“新たな作戦”という文字が浮かぶが、浮かぶだけで実を結ばない。
首都奪回特別室内に重くて長い時間と、よどんで暗い空気だけが流れる。
しばらく沈黙が続いたところで、高辻副知事が明るく大きな声で、
「何もないと言われますが、京都にはお寺があるじゃないですか!」
そう叫ぶと、トレードマークの赤い眼鏡を右手でグイッと引き上げた。
「確かに……」知事が不思議そうな顔をして副知事に訊く。「お寺はたくさんありますが、それをどのように活用するというのかな?」
「とりあえず、私を金閣寺に行かせてください!」
高辻は立ち上がると、鋭い目つきで全員を睨みつけた。
何をしようとするのか分からない。
なぜ、金閣寺なのかも分からない。
しかし、誰も文句が言えないような一大決心をした顔であった。
大原知事は高辻副知事のそんな表情を見て、何を訊かずとも、すべてを任せることにした。他のメンバー全員も頷いて、副知事にこれからの京都の運命を託すことにした。しかし、お寺を使って何をするというのか。それは新しい大作戦なのか、それとも他に何かを仕掛けるのか、副知事以外には誰も分からなかった。
~後編につづく~
右京之介
“首都奪回特別室”と呼ばれている部屋に八人が集まっていた。
「只今から第六回首都奪回会議を行います」
議長役である京都府副知事の高辻知子があえてマイクを使わず、小さな声で宣言をした。
これは京都府庁の中でもごく一部の人間しか知らされていない極秘会議であり、部外者に
は一言も聞かれてはならないからである。廊下を行き来している職員にも聞かれてはいけ
ないため、開催に当たっては毎回細心の注意が払われていた。
ここは知事室の奥にひっそりと存在する小さな特別室である。この部屋の存在も一部の
人間しか知らされていない。ほとんど人が寄り付かないような倉庫スペースだったのだが、会議ができるように机と椅子が運び込まれていた。
部屋に入るためのドアには、ただの壁に見えるような細工を施し、一見しただけでは分からないように隠されていた。
それでも念を入れて、廊下に出るためのドアと特別室に通じるドア付近にはさり気なく人を立たせ、会議中に人が来たときには、追い返すことになっている。さらに知事の机の上にある黒電話のそばにも人を待機させていた。もし極秘会議の途中に電話がかかってきても、重要な会議の最中だとして、知事には取り次がないように決められていた。
出席者は京都府知事の大原幸三。議長役も兼ねている副知事の高辻知子。京都市長の寺町徳人。助役の姉小路洋子という幹部職員の四人に加え、京都府庁の中から選抜された五条、白川、醒ヶ井、黒門という男性職員が四人。――合計八人である。
知事以外の七人は普段それぞれの仕事を持っているのだが、その仕事とは別に知事から直接の特命を帯びていた。
彼らを選抜したのは大原知事自身である。極秘に身辺調査を進め、面接を繰り返し、決定したのである。ゆえに知事にも任命責任がある。もしも計画が失敗したならば、彼らとともに知事も何らかの責任を負うつもりであり、各人にもそのように伝えてあった。
任命されたメンバーも知事のこの捨て身の決意をしっかりと受け止め、七名全員が一蓮托生の覚悟で任務を引き受けることにした。
知事からの特命の内容は、家族にさえも決して漏らしてはいけない極秘事項であり、七名は任務へ就くにあたり、誓約書を書かされた。誓約を反故した場合には、解雇処分を受けるとともに、家族も親戚一族も全員が京都府外へ追放されるという恐ろしい掟になっていた。
彼らこそは、東京から京都へと首都を奪回するために選ばれた特別メンバーであった。
高辻副知事が赤い眼鏡を右手でグイッと引き上げながら報告を行う。
「まず、先月から決行しております“買い占めウハウハ大作戦”ですが、経過はあまりよろしくありません。相当な経費をかけた割には、目に見える結果が出てないということです。残りの予算も少なくなっており、これ以上の作戦継続は難しいのではないかと判断いたします」
「高辻副知事の報告の通りです」大原知事が話を引き継ぐ。「残念ですが、本日付けをもって、“買い占めウハウハ大作戦”はいったん中止といたします。秘密裏に捻り出した予算も底を突きかけております。来期の予算編成まで、何とか工夫を重ねて、残金を持たせなければなりません。状況はそこまで逼迫してます。ただし、あくまでもいったん中止であり、また再開するという可能性は残しておきます。こんなことで、我々の長年の悲願を諦めるわけにはいきません」
知事は鋭い目で七名の精鋭メンバーを見渡した。
“買い占めウハウハ大作戦”とは、日本から「東京」と名の付く商品を片端から買い占め、国民の目に留まらないようにして、東京の存在そのものを薄れさせるという広大な作戦であった。
メンバーたちは、東京の人間が聞けば、その作戦の恐ろしさに身を凍らせるに違いない、そして、その恐怖は関東全域にも及んで行くと確信していた。
具体的には「東京」と名の付くレコード、書籍、貴金属、化粧品、衣料品、食べ物、贈答品、お土産などを京都府の特別予算で買い占めるという気の遠くなるような作戦である。
レコード店の店頭から「東京音頭」や「東京ナイト・クラブ」「東京ブギウギ」「東京ラプソディー」といった歌謡曲が消えたのはそのせいであり、書店から東京のガイドブックが消えて、他の地域のものと差し替えられたのも、その作戦の成果である。
また、東京ダイヤモンド、東京香水、東京スカート、東京佃煮、東京ハム、東京名物ひよ子饅頭も店頭で見かけなくなったのは、京都府の予算で買い占めたからである。
さらに、テレビやラジオから東京と名の付く番組や音楽が流れ出したら、すぐにチャンネルを変えるか、スイッチを切るよう京都府下の各家庭には回覧板で通告がなされていた。
京都府民から東京への憧れや親しみを排除するための戦略であった。
しかし、この通告の発信元が京都府庁だということは伏せられていた。知事をリーダーとする首都奪回特別メンバーが陰で暗躍していることを、敵である東京に知られてはいけないからである。あくまでも、京都府民の間から自然発生的に首都奪回の運動が沸き上がって来たように見せかけていた。これも作戦に含まれていることである。
そのため、後に編纂される京都府史のこの時期の事柄を見ても、たった一行、「この頃、京都府下において、首都奪回の機運が高まった」としか書かれていない。
“買い占めウハウハ大作戦”には莫大な資金を必要としたため、残念ながら志半ばで潰えてしまい、京都府庁の地下倉庫には、レコードや書籍など大量の東京関連の物品が残された。
だが、皮肉なことに、品不足が逆に話題となり、タイトルに「東京」と名の付く歌謡曲がヒットチャートの上位を占め、東京のガイドブックや東京を舞台とした小説がベストセラーになるという珍妙な現象が起き、全国の音楽ファンや読書家には不思議がられ、結局は東京が注目されることになってしまった。
国民から東京の存在を薄れさせて、首都を京都へ取り戻そうとした“買い占めウハウハ大作戦”であったが、京都にとっては逆効果になり、弊害でしかなかったのである。
これでは知事の眼光が鋭くなるのも仕方あるまい。
しかし、東京はいずれ、京都の不穏な空気を察し、首都奪回特別メンバーの存在に気付
くに違いないと知事は読んでいる。そこで、東京が気付いたときには、国民の気持ちがすでに首都遷都に傾いて、もはや取り返しがつかないという状況にまで持って行っておきたい。
そのためには、失敗した“買い占めウハウハ大作戦”に続く第二の矢、第三の矢を放
つ必要があった。そして、その準備はメンバーの間で着々と進められていた。
「続いて次の議題に移ります」高辻副知事が冷静に続ける。「前回の会議で日本の首都移転について、若い人の話が聞きたいという意見が出ました。そこで今回は学生さんをお二人お呼びしております」
ドアに向かって歩いて行くと、顔だけ外へ出して、二人を呼び入れる。
「どうぞお入りくださいませ」
二人の女子中学生がおずおずと部屋に入って来た。二人ともおさげ髪のセーラー服姿で、手にはカバンを持っている。学校帰りのようだ。背格好が似ているが姉妹ではないらしい。
「そちらにお座りくださいませ」高辻副知事が空いている二つの席をすすめる。「まずは簡単な自己紹介からお願いいたします。その後は忌憚のない意見を述べてくださいませ」
二人とも緊張した面持ちを向ける。
高辻副知事は幼い女学生相手に言い方が少し堅すぎたかと思い、
「狭い部屋でごめんなさいね。座ったままでいいから、何でも自由に言ってくださいね。今日はそのために来てもらったのですからね。誰も怒りはしませんから安心してね」とニコニコしながら付け足した。赤い眼鏡の奥の目がやさしくなった。
他のメンバーも女学生をリラックスさせてあげようと、笑顔でウンウン頷いてあげた。
二人は顔を見合わせてから、順番を決めたらしく、言われた通り、座ったまま発言を始めた。
「大宮恵子と申します。清水寺中学三年生でございます。今回はお招きいただきましてありがとうございます」丁寧に頭を下げる。出席者も自分の娘のような学生に頭を下げる。
「では、私の忌憚のない意見を述べさせていただきます。日本の首都ですが、私も京都がよろしいかと存じます。と言いますのも、もともと京都が都だったわけですから、それを幕末のドサクサに紛れて東京に移してしまったのはおかしいと思います。天皇様がお引越しをされる際に、京都の人たちは猛反対をされたと伺っております。すぐに帰って来られると言われて、当時の人たちは納得されたそうですが、いつになっても戻って来られません。天皇様のお住まいであります京都御所は、いつ戻って来られてもよろしいように、いつもちゃんときれいに整備されております。私は先祖代々、京都御所のそばに住んでおります。緑溢れる、静かで、品のある、それはそれは、天皇様のお住まいにふさわしい魅力的な所でございます。他にも金閣寺、銀閣寺、清水寺、二条城と歴史的建造物が京都には多数ございます」
メンバーはそれぞれの名所旧跡を頭に思い浮かべる。
「一方、東京の名所と言いましたら何処でございましょうか。皇居となっております江戸城でしょうか。東京タワーでしょうか。他には……? すぐには思いつきませんわ。それだけ、魅力に欠けるということではないでしょうか。魅力のない都市が首都になっては世界の恥ですわ。各国首脳も訪れる機会がたくさんあるわけですから、魅力乏しき東京ではなく、魅力溢れる京都であるべきだと思います。ですので、ぜひ皆様のお力で首都を東京から京都へ返していただきたいと、私は心より願っております。――私からは以上でございます」
年端も行かないかわいい中学生に皆様のお力と言われて、知事を始め、全員が満更でもないという顔をする。若い人の期待がひしひしと伝わって来たからである。
“買い占めウハウハ大作戦”がうまくいってないだけに、嬉しさもひとしおであった。
大宮恵子はぺこりと頭を下げて、もう一人の女学生と交代した。
「川端美代子と申します」こちらも座ったまま、丁寧に頭を下げる。「大宮さんと同じく清水寺中学三年生でございます。今回はお招きいただきましてありがとうございます。私も大宮さんと同じ意見で、日本の首都は京都がよろしいかと存じます。私が生まれ育ったということもありますが、地理的条件にしても京都が良いと思います。と申しますのも、京都は大都市大阪と隣接しており、近くに港町神戸もございます。何かと便利です。その点、東京の周辺と申しますと、埼玉、栃木、茨城という魅力に欠ける田舎の地方県ばかりです。それに京都の方がずいぶんと歴史がございます。急に開拓が始められて、あわてて埋め立てられた安普請の東京とは一味も、二味も違います。やはり、首都には歴史の重みも必要と考えております。それは外国の方々にも興味をお持ちいただくほどの素晴らしい歴史であるべきだと思います。歴史に加えて、食文化はいかがでしょうか。京都にはお茶やお漬物や和菓子をはじめとして、たくさんの名物がございます。伏見のお酒も有名です。と言いましても、私は未成年でまだ飲めませんが」
メンバーから笑いが漏れる。
「一方、東京はどうでしょうか。すぐに思いつく名物はございますか? 私はございません。いったい、東京都民は毎日、何をお召し上がりになっているのでしょうか? 私の好物と言いますと和食です。京都と言えば和食ではないでしょうか。江戸時代からございます聖護院かぶらの千枚漬けなどはとてもおいしゅうございます。そのまま食べてもよし。お茶漬けにしてもよし。私はお漬物があれば、ご飯は何杯でもいただけますわ。他にも京都にはおいしいものが……」
大宮恵子は、食いしん坊で食べ物の話を始めたら止まらなくなる川端美代子の袖を隣からこっそりと引っ張る。美代子も引っ張られた意味に気づく。
「あらあら、ごめんあそばせ」我に返る美代子。さっと顔を赤らめ、すぐに食べ物から話題を変えた。「今回、この極秘会議に招かれるにあたりまして、私はそれとなく、同級生に聞いて参りました。すると、全員が首都は京都が良いと申しておりました。聞くまでもないことでございました。ですので、私も京都が首都であることを願います。おそらく、東京以外に住む若い方々は皆様、そう思われているのではないでしょうか。私からは以上でございます」
そう締めくくると川端美代子は一同に向かって一礼した。大宮恵子ももう一度頭を下げた。中学生にしては随分と礼儀正しい二人に、出席者たちは恐縮して深々と頭を下げた。
「川端さん、大宮さん、お二人とも貴重なご意見をありがとうございました」高辻副知事はお礼を述べた後、特別室を見渡して言った。「皆様、せっかくの機会ですから、お二人に何か質問がございましたら、ご遠慮なくどうぞ」
一人の女性が挙手をした。京都市助役の姉小路洋子である。髪をひっつめにしている。
「若い人の中にも首都待望論があると分かり、安心いたしました。京都が首都になりますと、教科書の記述変更などが行われます。お勉強に支障が出ることはございませんか?」
川端美代子がすかさず答えた。
「私たち京都の学生にとっては、まったく心配ございません。京都が首都になることで、ますます地元愛が溢れ出し、ますます京都が好きになると思います。つまり、勉強もはかどるということです。むしろ、教科書や地図を作っている会社が大変だと思いますわ。それと、国会議員の皆様は国会が召集されるたびに、京都へ来なければなりませんから、大変ではないでしょうか?」
女学生から逆にやり返されて、メンバーの間から笑い声が漏れる。
つづいて、京都府職員の五条が質問した。
「京都が日本の首都になったとして、お二人は何かやりたいことがありますか?」
この質問には大宮恵子、川端美代子の順で答えてくれた。
「私は京都の伝統ある文化を日本中はおろか、世界の人々にまで発信していきたいと思っております。たとえば、着物、西陣織、京扇子、京仏具、清水焼、祇園祭などでございます」
「私は京都の食文化を発信していきたいと思います。たとえば、宇治茶、たけのこ、栗、まつたけ。それに、ナス、ゴボウ、カブ、などの京野菜。特に九条ネギは甘くて風味がございますわ。それと、京都といえば、私も大好きなパンですわ。京都はパンの消費が多いのですが、地元民以外にはあまり知られておりません。私がぜひ全国の人々に知らせてあげたいと思っております。他にもタコ焼きにお好み焼きなどの粉物。あっ、そうですわ。私は餡子が大好物でして、大判焼きに今川焼――ああ、同じでしたわね。つぶあんでもこしあんでもおまんじゅうには目がございません。おまんじゅうとお茶は最高の組み合わせと思っておりますわ。それに……」
食べ物の話が止まらなくなり、またもや、途中で大宮恵子に袖をこっそりと引っ張られて、川端は赤面しながら話を終えた。
つづいて、京都府職員の醒ヶ井が質問した。
「東京から京都へ首都を変えようと、我々は日夜、粉骨砕身しているところですが、あなた方自身は何か変わりたいことがありますか?」
「はい」大宮恵子が挙手する。「日本の首都としてこれまで以上に外国人の方が来られると思います。そのために今からしっかり英語の勉強をしておきたいと思っております。将来は英語を使ったお仕事に就きたいとも考えております」
「ほう、そうですか。それは素晴らしい」
川端美代子もつづけて発言する。
「私も英語には興味を持っております。これから国際化された社会が来ると言われているからです。コンピューターが発達し、世界各国の垣根が低くなり、交流が深まると考えられております」
「ほう、そんな世の中になりますか?」
「はい。そのために、私も今からしっかり英語を身につけておきたいと思っております」
「いやあ、これは頼もしい。あなたたちのような若者がたくさんいれば京都はずっと安泰ですな。いや、京都どころか日本が安泰ですなあ」
醒ヶ井は満足げに頷いた。他のメンバーもうれしそうな顔をした。
二人の女学生は恥ずかしそうにうつむいた。
質問がいったん途切れたところで、和服姿の年配の男が挙手をした。細身で黒い眼鏡をかけ、髪を七三に分けている。色白でお公家さんのように上品な顔立ちだ。
「京都府知事の大原幸三です。お若いお二人の意見を聞きまして、さらなる力が沸いてきました。京都への首都奪回は必ず達成いたしますよ。それは京都の人間の間で、代々引き継がれていた長年の夢ですからね。そのために、ご覧の通りの京都府庁の精鋭を集めておりますから、どうぞ期待してお待ちください」
大原知事は実際にお公家さんの血を引いている由緒ある人物であり、代々京都府知事を務めているという家系の出である。京都の大原一族といえば、日本史の教科書にも出てくる有名な家柄なので、全国的にも知られているだろう。
「それはいつ頃までにできそうでしょうか?」大宮恵子が逆に知事へ質問をする。
「具体的な日にちまでは申し上げられませんが、早急に叶えたいと願ってます」知事は真っすぐに二人を見つめながら答える。「その日が来るまで、京都の学生さんたちにはしっかりと勉学に勤しんでいただきいと思っております。本日は貴重なお時間をありがとうございました」
最後に突然、鋭い目を二人へ向けて来た。
「本日ここで見聞きした事柄はくれぐれも内密でお願いしたい」
たとえ中学生であっても、この首都奪回メンバー及び首都奪回特別室の存在を第三者に漏洩してもらったら困る。家族にも言わないように釘を刺しておく。そのために、二人には少なくない謝礼を支払うことになっていた。当然、そのお金は家の人に見つからないようにと言ってある。
「こんな貴重な場に呼んでいただきまして、誠にありがとうございました。お約束通り、秘密は厳守いたします」大宮が約束をすると、
「私たちも京都に首都が戻る日が来るのを楽しみに待っております。それまで勉強を怠らないように致します」川端も誓いを新たにした。
二人は丁寧に最後の挨拶をすると、無事に大変な役目を果たせたと安堵したのか、ほっとした表情を浮かべて、足取りも軽やかに特別室を出て行った。
外で待機していた職員が二人に現金で謝礼を渡して、受領のサインを受け取ると、京都府庁の出入口まで送って行った。
そして、廊下を歩きながら、最後にもう一度、しつこいようですが、この会議のことは極秘にするようにと言い含めておいた。
日本の首都が京都から東京へ遷都されたのは、一八六八年九月のことである。それ以降、何とか首都を奪回できないものかという熱い思いが、京都府民の間には今日に至るまでくすぶり続けている。
その思いを最も重く受け止めていたのは、言うまでもなく政治家の面々であった。東京に気を使って、表立っての公約には掲げていないが、京都府民からの陳情は後を絶たない。そんな思いを受け止めて、京都府知事の肝いりで極秘に組織されたのが首都奪回特別室であった。
東京の考えを探るために、他の府庁職員には内緒で首都奪回担当メンバーは出張を繰り返し、首都移転の報告書を取りまとめた。
その結果分かったことは、東京の人間は首都を京都へ戻すことなど、これっぽっちも考えていないということであった。それゆえに、上京して、それとなく首都についての話を持ち出した担当メンバーは、政治家や財界人をはじめとする関係者に、ことごとく鼻で笑われて帰って来た。
予想されていたこととはいえ、京都府大原知事はあまりにも非情な仕打ちに対して、怒り心頭に発し、これ以上、かたくなな東京人とは話し合う余地はないと判断して、首都を取り戻す作戦に打って出る決心をしたのである。
ただし、これには膨大な時間と費用を必要とする。また、東京サイドに作戦が漏れてはいけない。そのため、知事に忠誠が誓える人材と、裏帳簿で予算をやりくりできる人材を選抜していた。
大原知事が全員を見渡した。
「みなさん、若い人たちの意見を聞いたでありましょう。京都府下在住の老若男女の世論はわれわれの味方です。もはや、東京に何も遠慮をすることはありません。前回の会議で寺町市長から提案があった“風船ビラぷかぷか大作戦”を許可しようと思います」
首都奪回特別室がどよめいた。
「ありがとうございます」寺町徳人市長が深々と頭を下げる。
大原知事と同じくらい色白だが、かなり小柄である。
“風船ビラぷかぷか大作戦”とは、水素ガスで膨らませたビニール製の風船に、東京を糾弾するビラを吊るして飛ばすという、思わず顔面も引き攣るとても恐ろしい作戦だ。太平洋戦争末期に日本陸軍がアメリカ本土に向けて飛ばした風船爆弾にヒントを得ている。
“買い占めウハウハ大作戦”が失敗したため、つづけて放たれる第二の矢である。
“買い占めウハウハ大作戦”にはゴールが見えないという欠陥があった。東京関連商品をどこまで買い占めれば成果が出るのか、いつになれば東京の存在そのものが薄れるのか、やってみないと分からなかったのだ。そのために注ぎ込む費用もいくらかかるのか、予想もつかず、予算のやり繰りに苦労しながら、ただ漠然と突き進んだだけに終わってしまった。
しかし、今度の“風船ビラぷかぷか大作戦”は風船を飛ばし、後は結果を待てばいいというものだ。予算も風船代と水素ガス代くらいで済む。“ウハウハ”に比べれば格安だ。
発案者の寺町市長も他のメンバーたちも揃って、期待が膨らむのも無理はない。
そして今、大原知事から決行許可が下りたのだ。特別室は歓喜に沸いた。
「放球する日時は三日後の午後十一時。場所は西京極球場であります」
いつもは穏やかな知事の目がカッと見開いた。
メンバーたちは知事の並々ならぬ決意を目の当たりにして、興奮が隠し切れなかった。
冬季になると日本の上空一万m付近を時速二百から三百kmで偏西風が吹いている。その風に乗せて、ビラを吊り下げた風船を東京へ向けて飛ばすという大作戦である。
直接東京に着かなくても周辺の県に落下してもかまわない。それを読んだ人々が、東京は首都に相応しくない。やはり、首都は京都へ移転すべきだと思ってくれればいいのである。
そして、その世論は大きくなり、やがて日本中に広がると期待されていた。
西京極球場では冬だというのに熱心な野球ファンによる草野球大会が行われていた。だが、午後十一時となると昼間の喧騒は消え、薄い闇に包まれている。あたりに人影はない。
ときどきプロ野球の試合も行われる球場であったが、周りにある民家はまばらで、夜になると近くを歩いてる人も少ない。作戦を決行するには絶好の場所であった。この場所に決めたのも作戦の発案者の寺町市長である。
わずかな月明りが数人の人影を浮かび上がらせている。“風船ビラぷかぷか大作戦”を担当する五条、白川、醒ヶ井、黒門の四人の職員がすでに集まっていて、水素ガスを注入する業者も二人来ている。もちろん、業者にはかん口令が敷かれていて、通常の代金の他に口止め料としてかなりの金額を上乗せして渡してある。もし、情報を漏らしたら、今後は京都府の仕事をいっさい回さないと伝えてあった。
職員たちは手分けをして、軽自動車から風船が入った箱を下していく。業者も重いガスボンベをゆっくりと地面に下す。
五条、白川の二人は見張り役として球場の入り口周辺へと向かった。夜になると人通りも少ない地域だが、誰が見ているか分からない。知事の許可を得ているとはいえ、ここに来て面倒は起こしたくないからだ。
天気予報通り、強い風が東へと吹いていて、グラウンドの上を数枚の枯葉が絡みつきながら舞っている。この風に期待して、知事はこの日を選んだ。何らかのハプニングが起きて延長することは想定していない。相手は自然現象だ。次の機会はいつやって来るか分からない。
「では、お願いします」
醒ヶ井が業者に合図を送った。業者が水素ガスボンベを解錠する。
ガスを注入した風船の口を醒ヶ井が手際よく結び、黒門がビラを素早く結び付けて、次々と空に放していく。
赤、青、黄、白、いろいろな色の風船が暗い空に舞い上がる。しばらく飛び上がると、空にはたくさんのカラフルな点々が出現した。昼間ならかなり目立ち、近所の人たちもやってくるだろうが、この時間には見渡す限り、誰も歩いていない。
ビラを付けた直径約三十センチの風船を六百個放球する予定だ。
水素ガスとともに首都奪回特別室の期待が詰まった六百個だ。
いったん上昇した風船の大群は偏西風に乗り、東へと進路を変えた。
東には日本の首都東京が待っている。
ビラの文面は以下の通りであった。
日本の首都は京都です。断じて東京ではありません。東京は首都という地位を京都から無理やり奪い取ったのです。そもそも東京都を首都と定める法令はありません。また、天皇による遷都の詔書は発行されていません。歴史があるのは京都です。文化があるのは京都です。芸術があるのは京都です。品があるのは京都です。今こそ日本の首都を京都へ戻しましょう!
筆跡が判別できないように、一文字ずつ定規を使って書いたという苦労の塊のような作品であり、これを六百枚、せっせと複写したのである。
二時間かけて六百個のビラ付き風船を放球した。業者は近所の人たちに見つからないようにそっと帰り、見張りに行っていた五条、白川もこっそり戻って来た。
五人の職員はもはや風船が見えなくなっていた空を感慨深げに見上げた。
「無事に飛んで行ってや」
「偏西風さんよ、いつまでも吹いててや」
「俺たちの希望を乗せた六百個の風船よ、しっかり頼むでェ!」
希望を乗せた風船が夜空を流れて行く。
上空には心地良い風が吹いていた。ビラをぶら下げた六百個の風船の大群が西から東へと向かっている。深夜に遥か上空を飛んでいるため、まだ誰にも気づかれていない。
赤色の風船が黄色い風船に言った。
赤「今からどこ行くねん?」
黄「東に向かって飛んでるけどな。どこやろ?」
他の色の風船も会話に割り込んできた。
青「なんや、東京らしいで」
白「えっ、東京!? いっぺん行きたかったんや」
赤「あんたはミーハーやなあ」
白「ええやんか。東京タワー見たいねん」
ピンク「うちは上野動物園に行きたいなあ」
赤「キミもミーハーやな」
ピンク「南極ペンギンが見たいねん」
緑「ところで、ボクらの下には何がぶら下がってんねん?」
黄「なんか、檄文らしいで」
緑「えらい、物騒やな」
白「ボクらは文字通り、檄を飛ばしてるわけか」
黄「そういうこっちゃ! プカプカとな。首都を京都に戻せと書いてあるらしいわ」
紫「首都か……。そんなもん、どこでもエエわ」
オレンジ「ボクはきれいな空気があったらエエな」
赤「東京の空気はどうなんやろ、キレイかな?」
緑「京都よりも緑は少なそうやな」
白「ボクは京都がいいな」
ピンク「うちも京都がいいわ。周山の方は空気がキレイやし」
黄「やっぱり風船にとっては、おいしい空気が一番や!」
六百個の風船が東へ東へと飛んで行く。幸いなことに、萎んだり割れたりした風船はない。飛行機に絡むこともなく、鳥に突っつかれることもなく、電線に引っ掛かることもなく、今のところは無事に任務を果たしている。
赤「ここはどの辺り? なんだか早くない?」
赤風船が心配したのも無理はない。夜が明ける頃になって、前方を飛ぶたくさんの風船が萎みだし、次々と降下を始めたからだ。
青「確かに、東京へ着くにしては早すぎるね」
白「東京タワーは見えないね」
ピンク「上野動物園も見えないね」
紫「あっ、あそこに茶畑が見える」
黄「ミカン畑も見えるで」
白「ウナギの養殖場もあるよ」
緑「あっ、富士山だ!」
ピンク「あらら、ここはどう見ても静岡だわ」
風船一同「かんべんしてよー」
早朝、知事室の内線電話が鳴った。大原知事が電話に出る。
「おはようございます。寺町です」
「おはよう、寺町市長。こんな早くからどうしたのかね?」
「それが、静岡の大井川知事から電話が入ってまして、要件を伺うと申したのですが、直接知事と話がしたいということです。――今、そちらに回します」
なに、静岡県知事!?
なんだか、市長の声も沈んでるな。相手の機嫌が悪いのかもしれないな。
大原知事は少し嫌な予感がした。
「大原知事、おはようございます。静岡の大井川です」
「おはようございます、大井川知事。ご無沙汰しております。こんな朝早くから何か?」
「実はですね。うちの県の茶畑に妙なものが舞い降りてまして…」
――と聞いた瞬間、大原知事は“風船ビラぷかぷか大作戦”が失敗したことを悟った。
鳥の大群に突っつかれたのか? それとも風船が小さ過ぎて萎んだのか?
「大切な茶畑に多数の風船が落ちておるのですよ」
これは困った。ここはとぼけて、ごまかす作戦に出るしかない。
「はて、何でしょうか? 風船を新しいお茶の栽培方法にでも使用するのかな?」
「それが、茶畑だけでなく、ミカン畑にも落ちておるのですよ」
「ほう、ミカンの栽培にも必要ですか」
「ウナギの養殖場にも浮いておるんですよ」
「ウナギのエサにしては妙ですなあ」
「いいえ。どう考えても風船は栽培や養殖とは無関係だと思いますが」
「メリー・ポピンズが団体で静岡へ飛んで来ましたか?」
「メリー・ポピンズは風船じゃなくて傘だと思いますが」
「そうでしたかな。では、風船のセールスマンが売れなくて放置したのではないかな? ほら、配達が面倒だと言って、郵便物を畑に投棄する不届きな郵便配達人もおりますからな」
言い訳にしてはちょっと苦しいが、これくらいしか思いつかない。
「それが、妙なビラが付いておるのですよ」核心をついて来た。
「ほう。それはどのような?」動揺するわけにはいかない。
「日本の首都を東京から京都へ戻せといった内容なんですがね」
ここまでくると開き直るしかない。
「ほう、誰が考えたのか、私はまったく初耳ですが、それはいいアイデアですなあ。――大井川知事はどう思われますかな?」逆に質問をしてごまかす。
「えっ? まあ、それは私も以前から感じておったことでして。何分、東京は威張りくさっておりますからな。私たち静岡なんかは田舎者扱いされて、完全に下に見ておりますよ。そのくせ、浜名湖のウナギは大好物ときている。調子のいい連中ですよ。その点、京都は大原知事を始めとして、上品なお方が多いですからな。日本の首都は京都がいいのではないかと、私も常々思っておりました」
「いやいや、私もその意見には大いに賛成ですなあ。首都を京都に戻せという議論が巻き起こりましたときには、ぜひ静岡にもお力添えをいただきたいものです」
その後も、わざとグダグダ話しかけているうちに、大井川知事は忙しいからと電話を切ってしまった。知事の朝が忙しいことは身をもって知っている。だから、わざと話を長引かせていたのである。あまりの長電話に嫌気が差してしまったのだろう。
こうやって、向こうから電話を切らすように仕向けたのである。こちらからあわてて切ってしまうと、犯人であることがバレるかもしれないからだ。
“風船ビラぷかぷか大作戦”は失敗したが、電話ごまかし作戦は成功であった。
大原知事は静岡の大井川知事に電話を切られて安堵した。
受話器を置いて、天井を見上げる。
いやあ、よかった。何とかウヤムヤにできた。静岡といえば京都と東京の間だ。今の話からすると、静岡は京都側に付いてくれそうだ。
それにしても、風船が東京まで飛んで行かなくて、静岡に落ちてしまうとはな。風が緩かったのか、水素ガスが少なかったのか、風船の耐性が弱かったのか、検証してみないといけないなあ。
しかし、あの風船からこの首都奪回特別室までたどり着くのは無理だろう。風船はどこでも手に入る市販の物だし、檄文は定規を使って書かれているため、人物の特定は不可能だからだ。
まあ、静岡県知事にはこの作戦がバレなかったようなので、良しとするか。
ホッとしていたところに、ふたたび寺町市長から内線が入った。
「今度は神奈川の川崎知事から電話が入っております」
市長の緊張した声からして、昨夜の作戦がうまくいかなかったことが分かったのだろう。
それにしても、川崎知事からも探りの電話が来るとはな。
神奈川県内にも落下したのかもれんなあ。昨夜の風の読みを間違えたのかもしれん。後
ほど、メンバーで反省会を開くとするかな。
「大原知事、おはようございます、神奈川の川崎です」
「おはようございます、大原です。こんな早くからどうされたかな?」
風船の件だと分かっていたが、またもや、とぼけて、電話ごまかし作戦を決行する。
「実は相模湾に妙な物が浮遊しておりましてな」
「妙な物? ほう、それは一体どのような?」
「手繰り寄せてみますと、これが風船なんですな。しかも、何百とある」
「ほほう、メリー・ポピンズが飛んできたのではないかな?」
「メリー? ――何ですかそれは?」
「いや、こちらの話……」
川崎知事はメリー・ポピンズを知らんらしい。
「新しく考え出された漁法に使うのではないかな?」
「風船をウキの代わりに使うとでもおっしゃる?」
「ブイの代わりとか、救命具の代わりにも使えそうですが」
「それがですな。妙なビラが付いとるんですな」
やはり、バレてるようだ。
「妙なビラとな? ほう、それはどんな?」それでもとぼける。
「なんでも、首都を東京から京都へ戻せと書いてありますな」
「ほうほう、川崎知事はどうお考えかな?」
「そりゃ、東京のままでいいでしょうな。うちからも近いですからな」
うーん、こいつは東京派か。
「京都となるとかなり遠いですからな。ご存じの通り、私ももう年ですし、あまり遠出したくないんですわ。それよりも、このビラは京都から飛ばしたんじゃないですか?」
うわっ、ズバリ来たか。ここは強気で行こう。
「ほう、京都から飛ばしたという証拠でもございますかな?」
「風船が西から飛んできたという目撃情報が多数ございます」
「西と言いましても、大阪かもしれませんぞ」
ええい、大阪のせいにしてやれ!
「大阪人はえげつないでっせ。銭さえ払えば何でもやりよる。風船くらいなんぼでも飛ばしよりまっせ」
「それならば、ビラには首都を大阪へと書くでしょう。これには日本の首都を京都へ戻しましょうと書いてありますよ」
「そうですか……」
あかん、バレてしもたわ。そやけど、認めるわけにはいかへん。とことんとぼけたるわ。
「何という不届き者か!」わざと声を荒げる。「我々の京都に責任を転嫁し、愚弄すると
は! そんなことを許すことはできません! 絶対に犯人を見つけ出しますよ! ビラと
やらの現物をこの目で確かめるために、今からそちらへ行きますよ!」
「いやいや大原知事、落ち着いてください!」川崎知事は悲鳴のような声をあげる。「とりあえず、現物は郵便でお送りしますよ」
普段は温厚な大原知事が怒り出したから驚いたに違いない。
「ああ、そうですか」うまく引っかかったわい。「犯人を捕まえられないのは残念ですが、川崎知事のお言葉に甘えることといたしましょうか」
「それがいいでしょうな」
よかった。納得してくれた。
ああ、危ない、危ない。
では、今から神奈川県までお越しくださいと言われたらどうしようかと思ったわ。これで行かなくてもよくなった。
京都から神奈川の交通費もバカにならない。首都奪回のための予算は内密に組んであるが限りがある。今後の作戦のためにも、お金の節約はしなければならない。たとえそれが、京都と神奈川の往復の交通費であってもだ。
まさか、こんな小学生の学芸会のような臭い芝居が通用するとは、今度の知事会で川崎知事の顔を見た瞬間、吹き出しそうだ。そのときは自分の太ももをツネって耐えるしかないな。
静岡県知事を味方に付けたとはいえ、“風船ビラぷかぷか大作戦”は成功しなかった。
しかし、ここで立ち止まってはいけない。京都人は簡単にあきらめない。京都をここまで大きく育てた政治家の間で、代々受け継がれてきた、首都奪回という長年の夢をあきらめてはいけない。
こんなときのために、まだまだいくつもの大作戦が用意してあるのだ。
すぐに第七回首都奪回会議が開催された。
議長役はいつもの通り、高辻知子副知事である。
「大原知事からの報告によりますと、ビラ付き風船は東京まで到達しませんでした。原因は今のところ不明です。大半は静岡県内に落下してしまいましたが、一部は神奈川県にまで届いてました。両県知事の元には落下した風船の情報が入っております。静岡の大井川知事は好意的でしたが、神奈川の川崎知事は疑っていたようです。しかし、テレビで報道されたこともあって、両県の多くの県民があのビラを目にしたようです。京都府民の首都移転への情熱と、首都としての東京の不適合さが、他の都道府県民の間に少しずつでも浸透していけばいいと考えております。つまり、“風船ビラぷかぷか大作戦”は大成功とまでは申し上げられませんが、ある一定の成果は上がったものと、大原知事も含めて認識しているしだいでございます」ここで高辻は赤い眼鏡を右手でグイッと引き上げて、気合を入れた。「大原知事から次なる作戦の許可が下りました。決定した作戦は“生ゴミ放置クサクサ大作戦”です。名付け親は知事ご自身です。――絶対に成功させましょう!」
“買い占めウハウハ大作戦”と“風船ビラぷかぷか大作戦”、二つの大作戦は続けて成功しなかったが、新たな大作戦の決定を受けて、首都奪回特別室には、ふたたび活気が戻って来た。
一方、東京都知事室では……。
フロリダ産マホガニーの机の上に二本の長い足が投げ出されている。机の隅には高級寿司店の大きな鮨桶が置かれている。出前で知事室に届いたものだ。おそらく五十貫は入っていたと思われる寿司は食べ尽されていて、少しだけガリが残っているだけである。
出前は高級寿司か高級ウナギと決めている。
黒色の高級そうなスーツを身に付けた長身の男が座っていた。欧米人のように顔の彫りは深く、整髪料でテカテカに光った髪をオールバックにしている。
渋谷卓男東京都知事である。
寿司を平らげたのはこの男である。右手にガリを持って齧りながら、左手には赤い風船に付いていたビラを持っている。
“今こそ首都を京都へ戻しましょう”
赤い風船は神奈川県の職員が先ほど都庁まで届けてくれたものだ。相模湾に漂っていたという。川崎知事とは普段から懇意にしているため、こういった事態にはすぐに対応してくれる。
「ふん。笑わせてくれるぜ。日本の首都は東京に決まっておろう。今さらなにを……」
男はそうつぶやくと、風船からビラを外すと、クシャクシャに丸めて、傍らのゴミ箱に向け、手首のスナップを利かせて放った。
ビラは見事に入った。当然である。この男、昔はバスケットボール元日本代表のキャプテンであり、野球も得意としていたからだ。
五メートル離れていてもゴミ箱に入れることができる。身長は二メートルを越す大男だが、横幅はそんなにはない。電信柱のような体型である。
ガリまですべて食べ終えた男は両足を机から下すと、ガリの味が少し残っている指をペロリと舐め、引き出しから葉巻を取り出して口にくわえた。
目の前には赤い風船が浮いている。水素ガスが抜けかかっているため、天井高くまで上がらないで、中途半端に知事室内でプカプカ浮いているのである。
神奈川の職員はよくこんなものを手に持ってやって来たものだ。現状維持を心掛けたため、空気は抜かずに持参したと言った。いい年をした男がスーツを着て、赤い風船を手にしながら、都庁の廊下を歩いていたら変に思われただろうに。
渋谷都知事は赤い風船を処分しようと、胸のポケットから18金の高級万年筆を取り出して、キャップを口でくわえて外した。風船をペン先で突き刺して割ってから、丸めてゴミ箱へ投げてやろうと考えたからである。
だが、渋谷が風船を掴んでペン先を向けたとき、
「へえ、ここが東京か……」
赤い風船から声がした。
「――何!?」
滅多なことで動じない渋谷が思わず中腰になり、驚愕して顔色を変える。
「風船がしゃべりやがった!」
驚きはしたが、手から赤い風船を話さなかったのはさすがだ。
何か声が出る仕組みがしてあると思い、くまなく調べてみたが、ただのゴム風船である。
「大原知事の野郎、変な小細工をしやがって」
渋谷は窓際に行くと、あわてて窓を開けて、汚物を投げ捨てるように、空へ向けて風船を放った。風船に、何か呪いでもかけられていたら気味が悪いと考えたからだ。
「千年の都とは言ったもので、京都は何をやってくるか分からないところがある。あいつらは呪術や怨霊や式神や鬼までも使いやがる」
怖いもの知らずの渋谷でも鬼神は恐ろしい。
赤い風船はヨタヨタとしながらも、ゆっくりと東京の空へと昇って行く。
萎みかけていた風船がしだいに膨らみ始めたからだ。
「何と!」それを見た渋谷は絶句する。「夢か幻か……」
やがて、元の大きさに戻った風船は都庁からどんどん遠ざかって行く。
「さてさて、これからどこへ飛んで行こうかな」
赤い風船はうれしそうに独り言をしゃべったが、もはや渋谷の耳には届いてなかった。
「さっきの風船は何だったんだ。気味が悪い」
もう一度窓から外を眺めてみるが、風船は見当たらない。
「どこかに落ちたのだろう」無理に自分を納得させる。
世の中は時として、計り知れないことも起きる。そういうことだ。
赤い風船はいまだ都内上空を自由に飛び続けていることも知らず、都知事は気を取り直すと、ドカッと机に腰かけて、ふたたび二本の長い足を投げ出し、沈思にふけった。
風船にビラを付けて飛ばすとは、戦時中の風船爆弾を参考にしやがったのだろうが、そんなにうまくいくわけないだろ。どうせ、京都が飛ばして来た物だろう。こんな陰湿なことをするのは京都しかいない。東京にまで到達せず、失速して静岡と神奈川に落ちるとは情けない限りだ。
大原知事の青白いバカ顔が思い浮かんでくるわ。
せっせと準備する赤眼鏡をかけた高辻副知事の不細工な顔もな。
それにしても、風船を偏西風に乗せるとは、安上がりでよいわ。ケチな京都人らしい。
――ふん、偏西風か……。
渋谷知事はしばらく虚空を見上げていた。高い天井に偏西風が吹いているかの如く、ずっと睨みつけている。しかし、吐き出された煙は真っすぐ上って行く。室内は無風状態だ。
細い指に挟まれた葉巻がチリチリと燃えていくが、今度は手に持ったまま、吸い込もうとしない。静かに沈思黙考がつづく。
やがて、都知事は内線電話を手に取った。
「小笠原副知事か。渋谷だ。関東ウナギ組合の組合長と東京撮影所の所長に連絡を取ってくれ」
“生ゴミ放置クサクサ大作戦”とは“買い占めウハウハ大作戦”、“風船ビラぷかぷか大作戦”に続く第三の矢として採用された大作戦である。
京都府庁周辺の百軒の家に生ゴミを捨てずに保管しておくようにと、回覧板が回されたのは一週間前のことであった。今日はその期限であり、首都奪回メンバーが各家庭を訪問して生ゴミの回収を進めている。名目上は、京都府による生ゴミの内訳の調査である。
「どの家庭も野菜の切れ端が多いですね」とか、
「魚の骨は食べられませんからね」とか、
「肉の脂身は体によくありませんからね」とか、
いい加減なことを言いながら五条、白川、醒ヶ井、黒門の四人の男性職員が生ゴミを集めて回る。そのため、何かを疑う者はなく、逆に処分する手間が省けたと言って、有り難がってくれている。
百軒の家すべてから回収を終えた四人は生ゴミを、この日のために用意した普段は使われていない会議室に持ち寄った。
たちまち、あたりに悪臭が漂う。大量の生ゴミを一週間ほど放置すると、たとえ冬でもこうなる。あわてて換気扇を回してみたが、ニオイは抜けず、しばらくこの会議室には入れないだろう。
大原知事がニオイに顔をしかめながら、
「みなさん、ご苦労様でした。さっそくですが、生ゴミ放置クサクサ大作戦は今夜決行します」と宣言すると、五条、白川、醒ヶ井、黒門の四人を見渡し、大変だが頼みましたよと順番に肩を叩いて回った。
生ゴミの回収は彼らが行ったが、作戦の決行も彼らの担当であった。
その日の夕方。生ゴミを搭載した四台の軽トラが京都府庁の裏口に並んだ。荷台には生ゴミが山のように積まれているが、ニオイが漏れないようにビニールがかぶせてあり、さらに、中身が見えないようにブルーシートがかけてあった。
行先は神奈川と東京の境を流れる多摩川である。
神奈川県側の川の土手に大量の生ゴミを放棄し、そのニオイを偏西風に乗せて東京に流して、都内を悪臭で満たし、首都としてのイメージダウンを図るという血も凍るような恐るべき大作戦であった。
高辻副知事が火打石をカチッカチッと鳴らしながら声をかけた。
「では、行ってらっしゃいませ。四人の皆様の成功を祈っております」
火花が高辻の赤眼鏡のレンズに映る。
時代劇でよく見かけるシーンであり、芝居がかったようにも見えるが、火打石から飛び出るいくつもの火花が四人には頼もしく思え、新たなる闘志がみなぎって来た。
四台の軽トラは、知事を筆頭とする府庁の四人の幹部に見送られながら、他の職員に見つからないように、こっそりと裏口から出て行った。
京都からは一般道をひたすら走り、現地に到着するのは夜中の予定だった。
午前三時。多摩川の土手に約五十メートルの間隔をおいて四台の軽トラが並んだ。エンジンはかけたままだが、ライトは消してある。周りには街灯などがなく、闇に包まれているため、この時間に近くを歩いている人がいたとしても、見つかることはないだろう。
それぞれ車の後部は川に向けてある。
周りには何も遮蔽物がないため、かなり強い風が吹いている。予定通りである。
白川が車を降りて、合図の懐中電灯を振り回した。他の三人も車から降りて、荷台のブルーシートを外し、ニオイ避けのビニールを剥がす。
たちまちあたりに悪臭が漂い始めた。密閉されていた生ゴミが運搬中、さらに熟成されたようだ。未舗装のデコボコ道を走ったため、中身が程よくかき混ぜられて、程よく粘着も出てきたことも要因だろう。
次に白川は懐中電灯を三回点滅させた。生ゴミを投棄するようにという合図だ。
四人は運転席に戻り、生ゴミ満載の荷台を川の方へ傾け始めた。
ズルズル、ズルズル、ネトネト、ネトネト、グチャグチャ、ベチョベチョ。
百軒の家から集めた大量の生ゴミが土手の上を多摩川へと滑り落ちていく。岸はかなりの幅があるため、ゴミが川の中に入って行くことはない。すべて川岸にモッコリと留まってくれる。これも作戦のうちだ。こうなるように下見をして、ゴミの量も計算してあったのだ。
どこでカラスが鳴いた。夜中だというのに、ニオイを嗅ぎつけて、さっそく飛んできたのかもしれない。
予想通り、風は東に向かって吹いてくれている。思わず吐きそうになる生ゴミのニオイが風に乗って多摩川を越え、しだいに東京方面へ流れて行く。
「よしっ、うまくいった!」
白川はこぶしを握り締めた。他の三人も喜んでいることだろう。
荷台を元の位置に戻すと窓を開けて、後ろを向くと、悪臭に顔をしかめながら、しばらく様子をうかがっていた。
先ほど声だけが聞こえたカラスの姿が薄っすらと見えた。
一羽のカラスが悪臭を追って、東京方面へと飛んで行く。それを見つけた白川は上機嫌だ。
「闇夜にカラスというが、月の明かりがあれば、意外と見えるものだな。――だが、キミが追ってるのはニオイだけだぞ。生ゴミの本体は向こうじゃなくて、こっちの土手にあるよ、カラスちゃん」
カラスが東へ向かって飛んでいることでも、作戦が成功したことが確信できたので、懐中電灯をもう一度振って、撤退するという合図を三人に送ることにした。
だが、そのとき白川は異変に気づいた。
窓から顔を突き出し、鼻をクンクンさせて確認する。
東京方面に流れているはずのニオイがさっきより強烈になっている。
さらに、飛んで行ったはずのカラスが戻って来た。
空気が流れていないのか? 滞留しているのか?
「おかしい。東京へ風が吹いているはずなのに、なぜニオイが濃くなるのか?」
白川は車を降りた。他の三人も遠くからその姿を見て下車した。
同じく悪臭を感じて、異変に気づいた三人が白川の元へ駆け寄ってくる。
「これはどうなってるんだ?」黒門が白川を問い詰める。
「俺たちは手筈通りにやったぞ」五条も続く。
「おい、あれを見ろ!」醒ヶ井が川向うを指さした。
向こう岸で何か白い物がヒラヒラと動いている。それは左右数百メートルに及ぶ。月明かりの元、四人は目を凝らして対岸を見つめた。
――たくさんの人間が並んで何かを振っていた。
「うちわだ……」白川がつぶやく。
「――なんと。偏西風に乗せた生ゴミのニオイをうちわで仰いで、こちらに送り返しているというのか!?」黒門が東京のあまりの奇抜な戦法に呆れ返る。
しかし、ニオイはあたりに充満し始めている。効果が表れているということだ。
「そんなことが可能なのか?」五条が驚いて白川に訊く。「この川幅だぞ」
多摩川の川幅は四百から五百メートルはある。
「いや、待て。あのうちわをよく見てみろ。何と書かれているかだ」
白川に言われて、三人はたくさんの人が振り続けているうちわを一つずつ確かめた。そこには、“うなよし”とか“うな丸”とか“うな松”などと書かれていた。
「あのうちわを振っているのは、ウナギ屋の職人たちだ」
「なるほど」五条が感心する。「うちわの使い方がうまいわけだ」
職人は日頃からウナギを焼く際にうちわを使っている。渋谷都知事はうちわを使うことに手慣れた数百人のウナギ職人を都内から掻き集めて、多摩川の土手に集結させた。そして、偏西風に乗って川を越えてきた生ゴミのニオイを、みんなで仰いで送り返しているのである。京都の四人が驚くのも無理はない、恐ろしい作戦であった。
「ということは……」黒門がつぶやく。「東京はこちらの作戦を読んでいたのか!?」
「おそらくな」白川が言う。「渋谷知事の野郎、やるじゃないか」
白川は強がるが、顔は引き攣り、心は敗北感に覆われて、折れそうになっていた。
対岸をウナギ職人が埋め尽くしている。その中に旗を掲げる者が現れた。大きな旗が風にバサバサと揺れている。
月明りに照らされた旗に描かれているのは、中心にある太陽から六方向に光を発している様子を表した東京都の紋章である。
その旗の元にひときわ大きな人影が現れた。黒っぽいロングコートを羽織っている。身長が二メートルを越える渋谷知事である。傍らには遠目で見ても屈強だと分かる人物が二人従っている。ボディガード役の神田と神保である。しかし、渋谷はボディガードが必要なのかと思うほど、大きく、そして強そうだ。
「野郎、出てきやがったな!」醒ヶ井が叫ぶ。
遠くからも見ても、その影は都知事だと分かった。
渋谷知事は用意された大型パイプ椅子にどっかりと腰をかけて、腕を組んだ。
「渋谷の奴、旗本を従えた戦国武将を気取りやがって。あそこで高みの見物というわけか」
黒門が吐き捨てるように言う。
「まあ、そう言うな。ノッポ野郎にはやらせておけばいい」白川が取りなす。「それよりも、みんなよく聞け。確かにウナギ職人はうちわで仰ぐことに慣れている。しかしな、あいつらも人間だ。いずれ手が疲れてくるはずだ。そもそも手練れた職人の中に若者はいない。見てみろ。みんなベテランの年配者ばかりだろう。それに、どうやら偏西風は止みそうにない。今は押されてはいるが、生ごみのニオイは再び東京に向かうはずだ。年老いた人間が大自然に勝てるわけがない。時間の問題だ。――まあ、見ていろ」
白川が言ったように、いったん濃くなった生ゴミのニオイがしだいに薄れていく。
「どうだ。また偏西風が押しはじめただろ」
対岸のうちわ部隊はしだいに疲れだした。右手で仰いでいたのに左手に持ち替える職人、両手で仰ぐ職人、中には手がだるくなって仰ぐことを止めてしまった職人もいる。
「渋谷知事、まだやりますか?」「腕が持ちません!」「勘弁してください!」
あちこちからウナギ職人の叫びが聞こえる。
「小さいウナギを仰ぐのと、大きな多摩川を仰ぐのとでは、疲労度が違いすぎます」
冬だというのに、職人が頭に巻いた鉢巻や手拭いに汗が滲みだしている。
「明日からの仕事に支障が出てしまいます」「もう限界です!」
ウナギ職人の悲鳴は対岸にも届く。
「ざまあみろ!」四人の首都奪回メンバーは大喜びである。
そのとき、こちらへ戻って来て上空を旋回していたカラスがまた東京方面へ飛んで行く。
「おお、カラスちゃんもニオイに釣られて、向こうへ飛んで行くぞ」
「あっちへ行ったり、こっちへ行ったり、カラスちゃんも大変な夜だな」
喜んだ白川は軽トラのクラクションをブォンブォンと連打している。
その痛がらせの音は都知事の耳にも届いていた。
しかし、その表情には余裕が感じられた。
ふたたび押し返した生ゴミの強烈なニオイは、神奈川県との都県境にある多摩川上空から偏西風に乗って、都の中心部へと流れ込んでいくだろう。悪臭が漂う日本の首都東京。これで東京のイメージダウンは免れない。喜ぶのはご馳走がやってきたと勘違いするカラスと野良猫くらいのものである。
「勝負あったな。みんなご苦労さん」白川がねぎらいの言葉をかける。
そのとき、対岸では渋谷知事が組んでいた腕をほどき、ゆっくりと立ち上がった。両脇に立つボディガードよりも頭一つ大きい姿が闇に映える。
その姿は対岸からも十分に確認できた。
「やっこさん、いよいよ撤収かね」五条がうれしそうに言う。
「俺が鳴らしたクラクションも聞こえて、頭に来ていることだろうよ」白川も喜んでいる。
暗闇の中にすくっと立った大きな影が右手を上げた。
渋谷知事の合図を受けて、三台の大きな照明器具が設置された。
スイッチが入り、対岸を照らす。白川たち四人と軽トラ四台が闇に浮かび上がる。
さらに、土手の上に数人の人影が現れたかと思うと、巨大な黒い装置を川岸へガラガラと下し始めた。全部で四台あるようだ。
「――何だ、あれは?」
ライトを当てられた四人は眩しそうに手をかざしながら、奇妙な四台の装置を見つめる。
やがて、四台のそれは等間隔に並べられて、エンジンが始動した。
ブウウーーン。ブウウーーン。ブウウーーン。
川岸にまでエンジン音が鳴り響く。
「巨大な扇風機だ……」四人は愕然とする。
大型照明器具によって浮かび上がった四台の軽トラと、河原に放棄された生ゴミの山に向けて、四台の扇風機によって人工的に作られた強風が容赦なく襲い掛かる。
さらに、まだ動けるウナギ職人がうちわで仰ぎ続けている。
機械と人力でのダブルの攻撃だ。
押し返したはずの生ゴミのニオイがまた押し返されてきた。
「ウソだろ」白川が凍り付く。
四人の体をふたたび生ゴミの悪臭が包み込む。
自分たちが放ったブーメランが戻って来て、胸にグサッと突き刺さったようなものだ。
ふたたび大型パイプ椅子に腰を下ろして、腕を組んだ渋谷知事は笑いが止まらない。自分の勘を元に立てた作戦がズバリ適中したからだ。二人のボディガードも仕事を忘れてニタニタしている。
「古びた軽トラのクラクションを鳴らして喜んでいたようだが、今頃は後悔しているだろうよ」知事は対岸を指差す。「見てみろ、突っ立ったまま動けないらしい」照明に浮かぶ四人の姿をあざ笑う。
京都は偏西風に乗せてビラ付き風船を飛ばして来た。
次に来るのは何かと渋谷は考えた。
まだ偏西風は吹いている。京都がこれを活用しない手はない。京都から東京までの輸送料がタダになるのだからな。しみったれの京都人はまた風を使って仕掛けて来る。
では、風に乗るものとは何か?
たとえば、ガスのようなものではないかと睨んだ。ただし、体に大きな害を与えるものであってはならない。死者や重傷者が出ようものなら、逆に非難されるからである。最悪の場合は刑務所行きである。
ならば、ちょっとした損害を与えるものか? 風評被害をもたらすものか?
浮遊してくる物質は何でもかまわない。何が飛んできたとしても、送り返すだけだ。具体的に何かは分からないが、送り返すことができるほどの軽い物に違いない。
そこで、関東ウナギ組合の組合長と東京撮影所の所長に連絡をして、うちわの扱いに慣れているウナギ職人を百人ほど借り受け、映画やドラマの撮影に使う大型照明を三台と巨大扇風機を四台用意してもらったのである。
ガスではなく、生ゴミが発する悪臭だったとは思いもよらなかった。京都にしてはよく考えたものだ。あれだけの生ゴミをどうやって集めたのかは分からんが、深夜にはるばる多摩川までゴミを運搬して来たとはご苦労なことだ。
知事のニヤニヤは止まらない。
「渋谷知事、奴らが逃げるようですが、追いかけましょうか?」ボディガードの神田が尋ねる。
「なんでしたら、捕まえてきますが」神保もお伺いを立てる。
「いや、そこまでは無用だ。京都の人間だとは分かっておる。逃げて行く背中に向けて石でも投げておけ。こんなこともあろうかと、東京撮影所の所長にはカタパルトも用意してもらっておる」
カタパルトとは投石機のことである。かつて映画の撮影で使用したものを持って来てもらったのだが、ちゃんと使える。射程は数百メートルあり、多摩川の対岸にも届く。これもすでに実験済みである。
京都の敗因は渋谷都知事の直感力と、怠らない万全の準備にあったと言えよう。
京都の四人は作戦が失敗したことが分かると、生ゴミを放置したまま、あわてて軽トラのエンジンをかけて逃げ出した。幸いなことに追いかけてくる者はいなかったが、対岸からビュンビュンと石が飛んできて、何発かは車を直撃した。
なぜ、川を越えて石が飛ばせるのか不思議に思ったが、車を止めて対岸を確かめている余裕はない。
四台の軽トラは、それでも後ろを気にしながら、未舗装のデコボコ道を疾走した。生ゴミを下した分、車体は軽くなっている。
途中で電話ボックスを見つけて、白川は大原知事に“生ゴミ放置クサクサ大作戦”が失敗に終わったことを報告した。
軽トラが逃げる様子を、立ち上がった渋谷知事がロングコートの裾をひるがえしながら見つめていた。横に従っているボディガードの神田が訊いた。
「放置された生ゴミはどうしましょう? 持ち帰って焼却いたしますか?」
「そのままでよい。どうせ、川向うは神奈川県だ」
「それにしても、逃げ足の速い連中でしたな」神保が言う。
「ああ、小物は逃げ足が速い。あれでよく首都奪還なんぞを企むものだ」
「身の程知らずとはこのことでしょうな」
渋谷は小さくなっていく四台の軽トラに向かって吠えた。
「京都よ、首都が欲しければ、力づくでも奪い取ればよかろう。東京は逃げも隠れせぬ。いかなる道府県に妨害されようと、これからも永遠に日本の首都であり続けてやるわ」
渋谷知事はふたたび右手を上げた。全員撤収の合図だった。関東ウナギ組合の組合長と東京撮影所の所長には、ねぎらいの意味を込めて、個別に手を振ってやった。この二人にはかなりの謝礼金が渡ることになっている。当然、原資は都民の税金だった。
やがて、夜が明け、対岸に残された生ゴミに陽がさして来た。
やっと生ゴミの在りかを見つけたカラスがゴミ袋を突っつき、それを見た仲間のカラスも舞い降りて、さらにたくさんのハエもやって来た。離れたところからは野良猫の親子も様子をうかがっていた。
多摩川の神奈川県側の川岸は彼らのモーニング・タイムで大混雑していた。
京都府庁で第八回首都奪回会議が開催された。会議はいつもの特別室で行われ、出席者はいつもの八名のメンバーである。“生ゴミ放置クサクサ大作戦”の失敗はすでに全員が共有していた。
京都市助役の姉小路洋子が大原知事に訊いた。
「東京都からクレームの電話は入っておりませんか?」
「いや、何も入ってません。しかし、“買い占めウハウハ大作戦”も“風船ビラぷかぷか大作戦”も“生ゴミ放置クサクサ大作戦”も京都の仕業だと気づいているでしょうね」
「それでも何も言ってこないという真意は何でしょうか?」
「余裕があるところを見せたいのでしょう。どうやら、渋谷知事が生ゴミ放置クサクサ大作戦を見破っていた形跡もあるからね」
「それはいかなる方法で見破ったとお考えですか?」
「偏西風を利用して、ビラ風船を飛ばしたからね。ならば、次に何を飛ばしてくるかと考えたのでしょう。そこで、東京と神奈川の都県境で準備をして、我々が来るのを待ち構えていたというわけだね。もしかしたら、四台の軽トラは東京に尾行されていたのかもしれないね」
高辻知子副知事がつづけて訊いた。
「見破られているのなら、もう偏西風は使えませんね。いったん、作戦はいったん休止いたしますか?」
「いや、休まずに続けて行きましょう。こうなると、どちらかが倒れるまでの持久戦です」
「――となりますと、次の作戦はいかがいたしましょうか?」
大原知事は黒門に目を止めた。
「黒門くんが提案した作戦はどうかな?」
「はい、さっそく準備をいたします」黒門が不気味な笑顔を浮かべながら答える。
「準備期間はどのくらいかかるかな?」
「一週間もいただければよろしいかと」
「やはり、それくらいはかかるのか……」
「はい、“風船ビラぷかぷか大作戦”や“生ゴミ放置クサクサ大作戦”とはスケールが違いますから、それくらいはかかります」
「いいでしょう。では、黒門くん、頼みましたよ。みんなも十分に協力するように」
作戦の失敗を受けて、暗い雰囲気で始まった首都奪回会議だったが、新たな作戦が決まり、活気を取り戻した。数ある作戦はまだ始まったばかりだ。
一方、東京の渋谷知事は知事室で小笠原副知事と話していた。
知事はいつものようにだらしなく、マホガニーの机の上に二本の長い足を投げ出しているが、副知事は目の前に直立不動で立ったままだ。
しかし、京都が仕掛けて来た“生ゴミ放置クサクサ大作戦”に完全勝利したため、二人とも機嫌がいい。苦労して準備を整えた甲斐があったというものだ。
「京都はこれからどう出ると思うかね?」知事が葉巻を片手に訊く。
「もう、偏西風は使わないでしょうな」副知事が答える。
「二度続けて失敗したため、懲りたというのか?」
「おそらく、そうでしょう。それに知事が生ゴミ作戦を予想していたことにショックを受けていることでしょうな。続けて偏西風を利用しようと企んでも、知事に見破られると考えていると思います」知事の勘は冴えている。「それに、偏西風がうまい具合に吹くとは限りませんから」
「いつまでも自然を利用するというのは難しいだろうな。――ウナギ職人と撮影所長には?」
「はい。謝礼金はたんまりと渡しておきました。深夜割増が含まれておりますので、かなりの金額です。もちろん、口止め料という意味も含まれております。我々が京都と首都をめぐって対立をしていることは、まだ都民には伏せておきたいですから」
「分かった。それでいい」
「それと神奈川の川崎知事から生ゴミ放置の件でクレームの電話がありました。どうやら、夜が明けてからですが、何人かの目撃者がいたようです」
「何と答えたのか?」
「文句は京都に言うようにと答えました。我々東京も神奈川と同じく、被害者だと説明しておきました」
「よかろう。実際、そうだからな。ニオイは追い返したが完全ではなかった。都内にはかすかに悪臭が漂っておった。確かに被害者だ。――さて、風じゃないとしたら、次は何で来るかだな」
「それはまだ分かりかねますが、私としては知事の身が心配です。念のため、ボディガードの人数を増やしましょうか?」
「いや、それには及ばん。ボディガードは神田と神保の二人で十分だ。京都に私を直接襲うような度胸はないだろう。暗殺が横行していた幕末じゃあるまいし。もし、やってきたとしても、私がこの手で返り討ちにしてやるまでのことよ」
渋谷知事は葉巻を灰皿に置くと、両手の骨をポキポキと鳴らした。
副知事も渋谷の強さと怖さを知っているため、これ以上の気遣いはやめることにした。
その後、神奈川から京都へ莫大な金額の損害賠償金の請求がなされた。それは、多摩川の川岸に放置されたままになってる生ゴミの撤去である。どうやら、雑食のカラスも食べないような生ゴミも多数混入していたようだ。
さらに、ゴミの焼却代と、ニオイがいつまでもなくならないと難癖を付けられての消臭代金と、東京の川岸から多摩川を越えて飛んで来た多数の石ころの撤去。おまけに、ドサクサに紛れて、川岸補修工事代金まで巻き上げられた。石ころがぶつかって、少し傷が付いただけで、他にはどこも損壊した部分はないにもかかわらずだ。
あらためて偵察に行った白川によると、多摩川沿いにはたくさんの大型重機が集結していて、大規模な工事が行われていたという。京都府民が納めた税金でだ。
これには常に温厚な大原知事も怒りを露わにした。
「調子に乗りやがったヤクザ者めが」川崎知事のズル賢そうな顔が思い浮かぶ。「難癖を付けて、必要以上の賠償金をせしめやがったか。神奈川なんぞ、所詮は東京にくっついている太鼓持ちか腰巾着に過ぎぬ。いや、そんないいものではない。寄生虫だ。ウニョウニョと動き回る寄生虫がお似合いだ。首都を奪還した暁には、東京もろとも、神奈川にも目にモノ見せてやるわ!」
黒い眼鏡を外して、知事は叫んだ。その声は知事室中に響き渡った。
お公家さんのような上品な顔立ちが大きく歪んだ。
二週間後、多摩川沿いの工事が終わった。全長138キロの川岸のうちで、その部分だけが真新しく、なんと白い大理石でできていた。神奈川県民はそれを見て不思議がり、ちょっとした名所になっていた。
中にはなぜ貴重な税金をこんな贅沢なことに使うのかと、知事宛てにクレームを入れてくる県民もいたが、川崎知事はこれらが京都府民の税金により作られたとは言えず、はぐらかすのに苦労をしていた。
結局、台風シーズンに備えて、多摩川の氾濫防止のため、国から臨時の予算が交付されたとか何とかと言って誤魔化した。クレームを入れて来た人物も国が動いたんじゃしょうがない、散歩コースがピカピカになったからいいかと諦めてくれたようだ。
“生ゴミ放置クサクサ大作戦”をまんまと見破り、京都を退散させてから一週間後の早朝。東京都知事室の内線が鳴った。
「小笠原です。早朝から失礼します。緊急です」緊迫した声が聞こえてきた。
「どうした副知事」知事は冷静に答える。
「東京に向かっていたはずの数本の特急列車が手前の駅で止まって、都内に入れなくなっているという報告が届いております」
「どういうことだ?」
「東京行の上り列車が、それぞれ横浜、大宮、土浦で止まっています」
「ケガ人はいるのか?」
「いいえ。ケガ人や病人の報告はありませんし、事故の報告もありません。しかし、かなりの乗客に影響を及ぼすと思われます」
「原因は何だ?」
「駅のホームの蛍光灯が消えて、エスカレーターも停止していることからして、広範囲に渡って、停電していると思われます」
「停電? また、京都が仕掛けてきやがったのか?」
「どうでしょうか。まだ、はっきりとした証拠は掴んでませんが」
「いや、その可能性は高い。偏西風の次は電気を利用したのだろう。神奈川、埼玉、茨城の各変電所にあずま電力の社員を行かせろ」都知事の判断は素早い。「それと、他に都庁から職員を選抜して、なるべく大人数で変電所を取り囲め。おそらく主要は埼玉だ。そこに人員を割くんだ。すべてを予備電源に切り替えて、すぐに電車を復旧させるようにしろ。――いいか、これは東京と京都の戦争だ!」
京都の奴め、首都奪回のために、せこい作戦をつぎつぎと繰り出して来やがって。
前回までは情けをかけて見逃してやったが、今度は逃がさん。
一網打尽にして、世間にさらしてやる。
首都奪回などとは、二度と口にできないように追い込んでやるわ!
渋谷知事がまた吠えた。二メートルを越える大きな体は怒りで震えていた。
渋谷の遠吠えを聞いて、小笠原はそっと受話器を置いた。
昨日の深夜、全身黒ずくめの男たちが数台の車に分乗し、東京都周辺の変電所に現れた。関西を拠点とするミヤコ電力の社員である。彼らは知事の特命を受けて集結したものである。当然、今回の行動については箝口令が敷かれており、他人にこのことを漏洩することは固く禁じられていた。
電気のプロによって停電を引き起こし、東京にダメージを与えるという泣く子も黙る恐ろしい大作戦を決行するためである。
首都奪回のために行われた“買い占めウハウハ大作戦”、“風船ビラぷかぷか大作戦”、“生ゴミ放置クサクサ大作戦”に続く第四の大作戦である。
その名も“停電まっくらくら大作戦”である。名前を聞いただけで、あまりの恐ろしさに気を失いそうになるが、発案者は黒門であり、名付け親は大原知事であった。
当初は東京都内の電気をすべて停止して、首都機能を麻痺させようとしたが、プロとはいえ、少人数でこなすには無理があると判断し、東京周辺だけを停電させて、東京都を隔離してしまうという身の毛もよだつ恐ろしい大作戦に変更していた。
その作業は深夜から早朝までかかった。そして予定通り、上りの電車はすべて東京の手前で止まり、渋滞を引き起こした。手前の各駅ではエレベーターやエスカレーターが止まり、駅構内の蛍光灯や便所の電気も消え、人々は混乱した。
暗闇の中、便所に入ろうとした男性があやうく便壺に落ちそうになり、慌てたショックで足を骨折して病院に救急搬送された。
また、高齢の女性が便所の中で用を足しているとき、突然停電したため、パニックとなり、心臓発作を起こして、お尻を拭かないまま、救急車で運ばれるという事態にもなっていた。
あいにくと、お尻は救急隊員が拭いてあげて、命には別状はなかったようだ。
埼玉変電所を数十人の男たちが取り囲んだ。東西南北に人を配置して、ネコの子一匹逃げられないようにした。警察車両と救急車も待機させている。
神奈川と茨城の各変電所にも多くの人員を向かわせているが、都知事の指示で埼玉に最も多くの人員を割いていた。この停電で、東京に一番影響を与えるのは埼玉だと直感が知らせたからである。
「これも京都の連中の仕業に違いない。陰険な京都人の考えそうなことだ。そして、おそらく犯人はまだ埼玉変電所内にいる。パニックをさらに大きくするために、テレビやラジオから情報を得ながら、ギリギリまで残って作業を続けているはずだ」
渋谷知事はそう読んだ。
「作業員を白日の下にさらして、指示を出している知事ともども大恥をかかせてやるわ」
現場の指揮を執るのは小笠原東京都副知事である。警察や消防の関係者には一歩下がってもらっている。この手柄を東京の知事室で待つ渋谷知事のものにするため、最前線に立ち、自らが何者かに立ち向かって行くのである。
小笠原副知事は知事に忠誠心を見せつけようとしていた。
副知事の合図であずま電力の社員と都職員の連合隊が埼玉変電所に突入した。先頭は隊長である副知事自らが務める。もちろん、手柄を自分のものにするためだ。
つまり、この作戦の全体の手柄を知事に、現場の手柄は副知事がいただくというわけだ。そういう段取りである。ここに到着するまでに、小笠原が緊急車両の中で顔をニヤニヤさせながら考えたものである。
仕事はあらかじめの段取りで、成功するか否かが決まるものだと信じている。その段取りは完璧に整った。
「世間が注目するこんな大捕り物を知事だけの手柄にしてなるものか。副知事の存在感も大いに見せつけてやる」
小笠原はそう思って、またニヤニヤと笑った。
変電所に入ってすぐ右の休憩室に二人の男性が倒れていた。“あずま電力”と胸にネームが入った作業着を着ている。小笠原がわざとらしく、真っ先に駆け寄る。
「私は言わずと知れた東京都副知事の小笠原である! 副知事が自ら危険を顧みず助けに来たぞ!」
二人の社員は口と鼻から血を流していたが意識はあるようだ。
一人の社員が苦しそうに言う。
「ああ、副知事さんですか。すいません。いきなり覆面をした二人組が入ってきて襲われました。強盗かと思ったのですが、金品を要求されることなく、目的が何だか分かりませんでした」
「犯人は変電所に細工をして、都内の電車を止めやがったんだ」
「ええっ!? 私たちはどうすれば……」社員は絶句する。
これから自分たちは責任を追及されるのかと危惧したようだ。
もう一人の社員が引き継ぐ。
「犯人は終始無言で、二人とも黒い覆面をしていて、顔は見えなかったです」
「見えなかったら、仕方がないな」副知事は良い人を演じるために同情してあげる。
「しかし、ついさっきまで犯人がいました。まだ所内にいると思います」
「分かった。詳しい話は警察ですればよい。後はこの副知事に任せておけ」小笠原は自分の胸を叩き、「ここに四人残って、ケガ人を搬出せよ。救急車は入口で待機してもらえ。後の者は奥へ向かえ!」大声を張り上げた。
変電所内はともかく、外で待機している警官や消防士たちにも聞こえるように、わざと大きな声を出す。もちろん、小笠原自身の存在と働きぶりを知らせるためである。
いくらがんばっても、誰も見てなければ評価はされない。PRは大事である。陰でこそこそする努力を小笠原は嫌っている。
しかし……。
「ちゃんと外まで聞こえたかなあ」少し心配している。「やっぱり、腹の底から声を出さないとダメかな」少し反省している。
四人の職員が二台の担架を持って、休憩室に戻って来た。二人のケガ人を慎重に担架へ乗せる。一人の社員が、奥に向かおうとする副知事を呼び止めた。
「副知事、お待ちください。罠に気をつけてください。犯人は何かゴチャゴチャと仕掛けていたようですから」口元の血を拭いながら警告してくれる。
その声を聞いた副知事が奥に向かって叫んだ。
「みんな気をつけろよー! あずま電力さんによると、犯人が何か仕掛けたらしいぞー!」
今度は腹の底から声を出せた。小笠原は満足げな表情を浮かべた。
よしっ、いいぞ。これだけデカい声だと外にも聞こえただろう。
しかし、同時に悲鳴が上がった。
「どうした!?」
「ドアの取っ手で感電して、一名倒れました!」
「何だと!?」表情が一変した。「奴らの罠だ。他にもあるかもしれん。どこも触るな。じっとしてろ。あずま電力の人たちを前に行かせるんだ」
さっきまで意気揚々と前方を歩いていた小笠原だったが、ケガをしたら元も子もない。手柄なんて言ってられない。そっと後方へ移動する。――ここは専門家に任せよう。
感電して倒れた職員がフラフラと立ち上がったところで、電力会社の社員を先に行かせた。指名された二人のベテラン社員が周りを見渡しながら、ゆっくり進む。
「キミたちの方が電気に慣れてるし、この建物の構造にも詳しいだろう。ドアの取っ手の次に罠を仕掛けるとしたらどこだ?」
とんでもないところに来たと思った小笠原だったが、冷静さを装って訊く。
こんなところで弱みを見せて、知事に報告でもされたら大変だ。
「確かに電気には詳しいですが、仕掛けはどこかと聞かれましても……」
電気仕掛けの罠の場所なんか、専門家でも分からない。マニュアルに載ってないからだ。
ケガ人を乗せた救急車がサイレンを鳴らして遠ざかって行く。
二人のベテラン社員はキョロキョロとあたりを伺いながら、中腰になって進む。その後ろを小笠原が恐る恐るへっぴり腰で付いて来る。罠の先に犯人が待ち構えているのではないかと不安を感じながら。
「あるとしたら、足元ですかねえ。――あっ、ありました!」社員が叫ぶ。
廊下に電線が渡してあった。床下から三十センチくらい、ちょうど足の脛に当たるところに、むき出しの電線が張ってあった。
「おお、怖いな。感電するじゃないか」小笠原が後ろから顔だけ覗かせる。「さっきの社員に仕掛けのことを教えてもらってよかったな。まんまと引っかかるところだった」
社員がペンチで電線を切断して奥へと進む。
後で調べてみると、電線は壁に釘打ちされていただけで、電気は通ってなかったという。
逃げ出すための時間稼ぎなのか?
仕掛けを仕上げる時間がなかったのか?
そもそも電気の知識なんか持ち合わせていないのか?
誰もが疑心暗鬼に陥りながらも、変電所の奥へと進んで行く。
やがて、第一エリア室と呼ばれる部屋に到着した。ここにも二人の作業着姿の男が倒れていた。二人ともケガはないようだが、ビニールのロープで後ろ手に縛られ、タオルで目隠しと猿ぐつわをされている。真っ先に部屋へ入った電力会社の社員が急いでロープとタオルを外す。
「どうもすいません。警察の方ですか?」
「いいえ、あずま電力の者です。あなた方の同僚ですよ」胸の名札を指差して安心させる。
目隠しをされていたためか、男の目の焦点が合わず、作業着もよく見えてなかったようで、同僚の社員が警察と間違われる。あずま電力ほどの大会社になると、お互い顔を知らないこともあるのだろう。
「私は東京都の副知事の小笠原である」後から恐々やって来たが、ここでも威張っている。「副知事が自ら危険を顧みず助けに来たぞ。――大丈夫か?」
「あっ、これは副知事!」男は驚いて体を起こそうとする。「わざわざ申し訳ないです。私たちは縛られてただけですから大丈夫です」
「そのままでいい。犯人はどこへ行った?」
「ついさっきまでいましたから、まだ近くにいると思います」もう一人の男が答える。
「外では警察と消防が変電所を取り囲んでおるぞ」
「だったら、逃げられませんね。ではまだ所内にいるはずです」
「分かった。みんな捜索を続けてくれ。――どこか隠れるような場所はあるのか?」
「その辺にいないとしたら、機械室とかボイラー室といったバックヤードがありますが」
「みんな、バックヤードを重点的に頼む!」大声を出す。「くれぐれも罠には気を付けろ!」
小笠原は腹の底から声が出ている自分に満足する。
取り囲んでる連中にも、この的確な指示は丸聞こえだろう。副知事のお株も上がったと言うものだ。もちろん罠が仕掛けられていると分かってからは、先頭を歩くことをやめている。
しかし、バックヤードはおろか、変電所の屋根裏まで捜索をしたが、犯人は見つからない。
副知事は大股を開いて立ち、腕を組んで考えている。こうやって知恵を絞っている姿も他の連中に見せつけておく。先頭を歩く肉体労働から、頭を使う頭脳労働に変わった姿をだ。
変電所の四方には人を配置してあるので、逃げることはできないはずだ。他に裏口はない。地下室も存在しない。屋根裏もない。屋上も捜索した。
電気を遮断して、停電を起こして、罠を仕掛けた。
となると、京都の連中はそれからどこへ行きやがった?
やがて、最初の二人のケガ人を病院まで搬送していた救急車が戻って来た。
副知事が縛られていた二人に声をかける。
「君たち、ケガはないようだが、医者に診てもらった方がいいだろ。後遺症が残ってはいけない。今、救急車が帰って来たから、ちょうどいい。病院に連れて行ってもらいなさい」
「いや、副知事。大丈夫ですよ。お気遣いはありがたいですが」
二人はすでに立ち上がっている。
「まあ、そう遠慮するな。二人の同僚も病院に搬送したばかりだ」
「えっ、我々の同僚がですか……?」
「そうだ。殴られたようだが、大したことはない。安心したまえ」
「いや、そういうことではなく、我々に同僚なんかいませんよ」
「何!」副知事の目がカッと見開いた。「埼玉変電所にはあずま電力の社員が何人いるんだ!?」
「私たち二人だけですけど……」
「何だと!? ――やられたか。あの二人が犯人だ。あいつらが京都からの回し者だったんだ」
「しかし、あの二人はケガをしてましたが」都職員が言う。
「お互い殴り合うかして、ケガの跡を作ったのだろう」
「罠が仕掛けてあると、わざわざ親切に教えてくれましたが」都職員が重ねて言う。
「わざわざ親切に教えてくれたからこそ、あいつらを信じてしまったんだ。あの言葉こそが罠だったんだ。どうせ、予備の社名入り作業着がどこかに常備してあったのだろう。奴らはそれを着て、自分たちの服は便所にでも捨てたんだろう」
「いったい、どうなってるのですか?」
「京都の二人がこの変電所に無断で入り込み、本物の二人の社員を縛って、転がした。その間に電気を止めて停電を起こし、電車を止めた。さらに多くの電車を止めようと作業をしていたところへ、我々が来て変電所を取り囲んだ。脱出ができなくなったので、あずま電力の社員のフリをして、襲われたことにした。自分で仕掛けた罠を自分で教えて、我々を信用させた。自作自演で危機を脱出したということだ。おそらく、そういうことに違いない」
二人を搬送して戻って来た救急隊員によると、病院に着いたとたん、ケガは大したことはないからと言い残して、二人とも元気にどこかへ行ってしまったという。
また、小笠原が言った通り、便壺から二人の物と思われる私服が見つかったが、
「ウンコまみれの服なんか捨てておけ! どうせポケットには、財布とか定期券とか、犯人に結び付く物なんか入ってないだろ」
小笠原に、腹の底から出した声で叫ばれて、衣類は焼却処分とされた。
停車していた電車はすぐに予備電源のお陰で復旧して動き出したが、多くの人の足に影響を及ぼした。暗い駅のホームで人と人がぶつかったり、エスカレーターが急停止してケガをしたり、エレベーターに閉じ込められて気分が悪くなったりした人も多数いて、駅の中とその周辺は大混乱した。
その結果、鉄道会社と電力会社と東京都庁にはクレームが殺到した。
「今回は我々東京の負けだな」
都知事室の真ん中で仁王立ちしている身長二メートル越えの渋谷知事は天井を仰ぎ見る。手には葉巻を持ったままだ。葉巻から煙がゆらりと立ち上る。
特別に西洋人によって設計されたこの部屋の天井は高く、採光窓から入り込む光線は柔らかい。
それとは反対に横で立つ小笠原副知事の表情は硬い。
せっかく現場の手柄を独り占めしようと目論んでいたのに、京都にまんまと騙されてしまったからだ。
二人の犯人を目の前にして取り逃がしてしまった。その犯人とは会話さえもしている。いいところを見せようと、二人のケガを気遣い、教えてもらった罠については感謝の念さえも覚えていた。それがまるっきりのウソだったとは。
あの二人の顔は思い出せない。あえて印象の少ない人物を選んだに違いない。背が高いとか低いとか太ってるとか痩せてるとか男前とかブサイクとかなどではなく、何の特徴もない中肉中背の男たちだった。もし、犯人だと分かっていれば、もっと注意して観察をしていたのだが、自分の手柄を立てることを優先してしまった。結果、渋谷知事の手柄も吹き飛んだ。
このことについて、知事からは何も言って来ない。何も言って来ないからこそ不気味だ。普段から、何を考えているのか分からず、心の中が読めない人なのだが。
渋谷知事は葉巻を灰皿に捻じ込むと、ニヤニヤしながらつぶやいた。
「京都よ、借りは返す。何倍にしてでもな」
知事の怒りは京都に向いている。
風船に生ゴミと、京都が立て続けに繰り出して来た作戦に連勝していたのだが、ここに来て敗北を喫してしまったのだから無理もない。
今回ばかりは負けず嫌いの知事の心の内が読めるようだ。
この分だと、どうやら私が叱責を受けることはなさそうだ。
副知事は内心ホッとして、硬かった表情もやっと和らいだ。しかし……。
「副知事よ」
「はい。何でしょうか?」また表情がこわばる。
「以前、書店の店頭から東京のガイドブックが消えたのを覚えているか?」
「はい。書籍のみならず、レコードなど東京と名の付く商品が品薄になりました」
「私はあれも京都の仕業だと疑っている」
「しかし、それでは莫大な費用がかかると思いますが」
「だから、短期間で終わった」
「確かに、品薄になったことで、東京関連本も東京とタイトルの付くレコードもベストセラーになりましたが、その後はすぐに正常な品揃えに戻りましたな」
「おそらく資金が続かなかったのではないか」
「なるほど。知事はそう考えておられますか。知事の勘は鋭く、よく適中しますから、おそらく、そうでしょうな」副知事として、知事を持ち上げておく。
「東京に関する商品を買い占め、品薄にして、打撃を与えようとしたのだろう」
「京都も首都奪回とはいえ、奇妙なことを思い付いたものですな」
「つまりだ。我々東京は買い占め作戦と風船作戦と生ゴミ作戦に勝利したが、今回の停電作戦には負けた。三勝一敗ということよ」
「そうなりますな」
「今後、京都は何を仕掛けてくるか分からんが、これからの東京は全戦全勝と行こうや」
「はっ、かしこまりました。微力ながらお役に立てるように頑張ります」
「副知事よ。バスケットボールの試合があるとする」いきなり話題が変わる。「相手が強豪チームだったら、どう思うか?」
「私はバスケットボールをいたしませんが、そういう場合は大変だなとか、気合を入れていこうとか……」
「私はうれしくてしょうがない」きっぱりと言う。
渋谷知事はバスケットボール元日本代表だ。実際、そういう経験もあったのだろう。
「自分が強くなるためには、強い相手と戦うことだ。だから強い相手と出会ったときはうれしくてしょうがない。これでまた自分が強くなれるからだ」
突然、バスケットボールの話が出てきて、小笠原は戸惑ったが、やっと意味が分かった。
強豪チームとは京都のことだ。
今まで三連勝していたときは、京都が弱小チームだと思い、こんな相手ならこちらは強くなれないと、手ごたえの無さを感じていたのだろう。
ところが、今回の停電作戦で京都が勝ってしまったことで、強豪と見做すようになった。
京都をライバルと認知するように変わった。
おそらく、知事は京都の強さに喜んだことだろう。
京都もなかなかやるな、くらいは思ったことだろう。
強い京都を目の当たりにしたことで、東京にチャンスが巡って来た。
つまり、強豪の京都を叩きつぶすことで、東京はより強くなれるということだ。
全戦全勝で、東京は他の道府県が太刀打ちできないような揺るぎない不動の地位を築く。
京都とのこれからの戦いは、そういった意味で進めて行くのだろう。
知事がそんなことまで考えていたことを知った小笠原副知事は、まだまだ渋谷知事の時代が続くだろうと思った。
しかし、それでいいのか? 自分は副知事のままでいいのか? ――と自問自答した。
京都府庁の首都奪回特別室ではメンバー八名と招待客二名が宇治茶で乾杯をしていた。伏見の銘酒といきたいところだが勤務時間中である。おつまみは京都の銘菓である生八ッ橋と有名なお漬物の千枚漬けである。タコ焼きも欲しいところだが、これで我慢している。
埼玉変電所に潜り込み、所員を縛り上げ、まんまと停電を起こして戻って来たミヤコ電力の二人の社員を全員でねぎらっていた。この二人が招待客である。
逃げようとしたところに東京の連中がやってきて、変電所を取り囲まれた時にはどうなるかと思ったそうだ。特に小笠原副知事の鼻息は荒かったという。
ミヤコ電力の二人がそのときに状況をメンバーに説明する。
「偽装するために鼻血を出したのですが、こいつは本気で殴ってくるのですよ」
「何を言うか。お前こそ、力が入り過ぎてたぞ」
「鼻から少しだけ血を流そうとしたのですが、口の中まで切ってしまい、駆けつけた小笠原副知事がギョッとしてましたよ」
メンバーから笑いが漏れる。
「その後は二人で仕掛けた罠をわざと教えてやりました」
「一つはドアノブを触ると静電気が走る仕掛けです」
「ちょっと強めの静電気だったのですが、引っかかった奴が大げさで、その場に倒れてしまったのですよ」
またもや、笑いが漏れる。
「あのときは焦ったなあ。静電気の加減を間違えたのかと思って、もしかして感電死かもしれないと思いました」
「すぐに立ち上がりましたけどね。静電気に敏感な体質だったのでしょう」
「もう一つの罠はただの電線を廊下に渡しておきました。まったく安全なものです。この二つの罠を教えてやったから、我々は逆に信用してもらい、変電所を救急車に乗って、楽々と脱出することができました」
「帰りの電車賃が浮いてよかったです」
「いやあ、バレなくてよかったな」
「ホントだよ。東京なんか大したことないな」
「副知事がアレだもんな」
「今頃、悔しがってるだろうな」
「ノッポの知事もな」
二人のニセ社員は笑いながら、お互いに検討をたたえ合っている。
「いや、ご苦労であった。二人のおかげで東京に一矢報いることができました」
大原知事もホッとしている。
二人には首都奪回という大きなミッションは教えていない。ただ、東京が協調性もなく、生意気なので、ギャフンと言わせたい、反省を促したいので協力してくださいと言っただけである。
日頃から東京をよく思っていなかった二人はすぐに承諾をして、この危険な任務を難なくこなし、東京を大混乱へと導いてくれた。
それは、翌日の朝刊にも大きく報道されたのだが、犯人は巧妙な手口を使い、いまだに捕まっておらず、まるで怪人二十面相のようだと書かれていたため、二人は英雄になった気分になり、鼻高々であった。
簡単な宴会が終わると、口止め料を含んだかなりの金額の謝礼金を二人に渡し、勤務先であるミヤコ電力へ戻ってもらった。
この作戦を遂行するために、二人は自分たちの私服を便所に投げ捨てていたが、新しい服を何着も買えるくらいの謝礼金を受け取った。
西のミヤコ電力と東のあずま電力は、エリアこそ違えど、ライバル関係にあり、日頃から相手を出し抜いてやろうと考えていたという。それが、今回の任務を引き受ける要因の一つにもなっていた。
席に着いた大原知事はニコニコしていた。
先日、大声で吠えていたときとは対照的だ。
「今、東京では停電の件で緊急の都議会が開かれているそうだ」
それを聞いてみんなも笑いを隠せない。肩を叩き合っている者たちもいる。
「“停電まっくらくら大作戦”は大成功を収めました。今までの三つの作戦は思うように行かなかったのですが、四つ目にして、予定通りの成果を上げることができました。これも作戦の発案者である黒門くんを始めとする皆さんのお陰です。だからといってすぐに首都移転が始まるわけではありません。すぐに国が動くわけではありません。焦らず、じっくりと、しかし途切れることはなく、取り組んでいきたいと思います。何よりも世論を動かすことが大切です。都民とその周辺の県民の心も動かさなければなりません。いや、日本国民の心を動かさなければなりません。“停電まっくらくら大作戦”の成果として、都庁にはかなりの抗議電話や手紙が入っていると聞いています。ほとんどは手っ取り早い電話です。手紙はそれほど多くありません。ここはチャンスです。抗議を電話だけで終わらせるのはもったいない。間髪入れずに次の作戦を実行したいと思います」
そう言って、大原知事は助役に目を向けた。
「もしかしたら……」京都市の姉小路洋子助役が発言する。「私が提案した作戦ですか?」
「ご名答です。抗議の電話はたくさんかかっているようですが、手紙が少ないみたいなので、我々がその穴を埋めていきたいと思います。つまり、活字からも大いに攻めて行くということです。東京都とその周辺の県の新聞社や出版社に東京を批判する投書を行います。それが掲載されることで、世論を動かし、東京への反発を広め、京都へ遷都するためのきっかけとしていきたいと考えております。これが姉小路助役の考えた“投書カキカキ大作戦”の内容です。名付け親はいつものように私です」
「では、さっそく文面を考えましょうか?」高辻副知事が身を乗り出す。
「いえ、もう手は打ってあります」姉小路洋子助役が力強く言う。「私があらかじめいくつかの見本を作成しておきました」
「それは素晴らしい。さすが助役ですね」副知事の赤眼鏡の奥の目が輝く。
「ありがとうございます」姉小路が軽くひっつめ髪の頭を下げる。「見本をみんなで手分けし、清書してから投稿しましょう。筆跡が同じにならないように八名全員で行います。各自の筆跡もうまく書いたり、わざとヘタに書いたり、左手で書いたりと、バレないように工夫をしていただきたいと思います。むろん、他に何らかの文章を書き加えていただいても結構です。筆記用具は各種取り揃えております。ボールペン、サインペン、万年筆、鉛筆などです。用紙もいろいろと準備してます。便箋に、わら半紙に、色紙に、チラシの裏もあります」
「ほう、さすが助役ですね。万事抜かり無い」大原知事も感心する。
「書き上がった手紙の投稿も皆さんの協力が必要です。消印が同じにならないように、日にちと時間と投函するポストを変えなければなりません。全員で京都府下をくまなく回って、投函いたしましょう。――そこで、大原知事。投稿する期間はいつまでがよろしいでしょうか?」
「今日を含めて、三日以内にすべての手紙を投函し終わりましょうか」
「かしこまりました」姉小路洋子助役がまた頭を下げた。
新たな作戦が決まるたびに京都には活気が戻る。
今度の“投書カキカキ大作戦”は知事も含めた八名全員が力を合わせて行うものだ。首都奪回特別室に活気がみなぎるのも当然だった。
姉小路洋子助役が作成した投書の見本は以下の通りである。
見本1:主婦の場合。
私は専業主婦です。日頃から感じていることを投稿したいと思います。それは東京についてです。東京が日本の中心であることは分かります。人口も多いですし、国会議事堂もあります。だからといって、威張り過ぎではないでしょうか。国民はみんな平等だと思います。東京都民だからといって、私たち地方の人間を下に見るのはいかがなものでしょうか。子供の教育にも悪いと思います。そんな卑しい考えを持つ東京都に首都は任せられません。PTAの人たちもみんなそう言ってます。
見本2:受験生の場合。
僕は受験生です。地元の大学を目指して日夜頑張ってます。けれども、クラスメイトの中には東大を目指し、東大じゃなければ大学じゃないと言う人もいます。僕は大学に入ることよりも、大学に入ってからどれだけ学ぶのか、そして卒業してから、どれだけ社会の役に立てるのかが大事だと思います。東大至上主義はいかがなものでしょうか。東大の他にもいい大学はたくさんあります。そんな東大がある東京を日本の首都にしたままでいいのでしょうか。
見本3:老人の場合。
私は定年退職後、隠居生活をしておる者です。年金をもらっておりますが、現役時代よりかなり金額は少ないものであります。毎日、困窮しております。アルバイトを始めたのですが、年寄りということで賃金がかなり安くなっております。ところが、東京はどうでしょうか。年寄りと言えども高給取りらしいではありませんか。もちろん、物価が高いのは承知しております。しかし、それを考慮いたしましても高すぎると考えます。そんな差別をするような東京を首都にしていてもよろしいのでしょうか。
見本4:失業者の場合。
俺は仕事をクビになったばかりの人間だ。今まで一生懸命やってきたつもりだ。だが、不景気だと言われて、失業してしまった。ところがだ。東京ではたくさん仕事があるというではないか。東京に住んでいる俺のツレは忙しくてしょうがないと言っている。この違いは何だ。確かに俺は中卒だから、すぐに仕事に就くのは難しいかもしれん。だがな、東京だけいい思いをしちゃいないかい? 同じ日本だぞ。国民は平等であるべきじゃないのかい。東京だけが仕事に溢れてるとはなんだ。そんな所が日本の首都でいいのかい?
見本5:外国人の場合。
ハロー。ボクはアメリカから日本に来て、中学で英語教師をしてます。こちらで働けるのは学校か英会話教室くらいです。聞くところによると、東京には英語を使った仕事がたくさんあると聞いてます。商社とか貿易とか通訳とか翻訳なんかです。なぜ、東京にしかないのでしょうか。これは差別ではないのでしょうか。首都だけにそんな仕事を集めていいのですか。ボクが住んでるような地方にはありませんよ。東京一極集中はやめてください。首都を置くのもやめてください。いずれ国際問題に発展しますよ。グッバイ。
見本6:小学生の場合。
わたしは小学四年の女の子です。将来はお菓子屋さんになりたいという夢を持ってます。
お豆腐屋さんでもいいです。でも、わたしの街にはお店が少ないです。お母さんに聞いた話ですが、東京にはたくさんお店があるそうです。なぜ、東京にあって、わたしの街にはないのでしょうか。東京だけたくさんお店があるのはおかしいです。日本の首都だからでしょうか。だったら、わたしの街を首都にしてください。わたしの街は京都です。昔は首都だったそうです。首都を京都に返してください。
その頃、東京都では緊急都議会が開催されていた。議題は停電による東京都の混乱である。
京都が仕掛けてきたことは明確だった。電気系統を麻痺させたのだから、専門家であるミヤコ電力の社員も関わっていたと思われる。しかし、変電所から犯人はまんまと逃げてしまい、物的証拠である犯人の私服はウンコまみれになって使い物にならなかった。状況証拠だけで訴えたとしても、裁判に勝てるかどうかは分からない。
ここは犯人を追及するというよりも、今後同じことが起きた時の対応策を話し合うことになった。
宿敵である京都の目的は一つ、首都の奪回である。
そのために世論を動かそうとしているに違いない。東京と名の付く商品を買い漁り、風船で東京を糾弾するビラをまき、異臭で東京のイメージダウンを図ろうとして失敗したが、今回の停電では東京の弱さと危険さを浮き彫りにさせた。電話や手紙のクレームはいまだに続いている。
東京都議会は京都からの度重なる仕打ちに対して、今までは静観をしていた。余裕もあったからだ。チマチマ攻めてきたところで、大した影響はないと判断して、ある程度放置していた。
しかし、我慢にも限度がある。都知事の借りは何倍にしてでも返すという言葉は各議員にも届いており、もはや静観している段階ではないことが分かっていた。
こういった議員たちの発奮を知事はうまく利用しようと企んでいた。
渋谷知事は全員を見渡せる端の席に座り、静かに目を閉じている。しかし、座っていても長身だと分かる体型からは、滲み出る恐ろしさが感じられる。
議員たちは知事が何を言い出すか、戦々恐々としている。それでも会議の中断は許されない。話し合いは続けなければならない。京都への対抗策が次々に発案されたが、どれもうまく行きそうになかった。
やがて、意見も出尽くしたところで、渋谷知事が立ち上がった。
みんなが一斉に黙り込み、知事の言葉を待つ。
「京都からの嫌がらせが止まらないが、こんなことで国や近隣の県の世話になるわけにはいかない。すべて東京都だけで対応する。次にどういうことをやってくるかは分からない。しかし、気を緩めずに向かって行く。すべて蹴散らす。コテンパンにだ。そうすることで東京は強くなる。日本の首都に相応しい確固たる地位を築き上げる。そのため、ここに“首都死守特別室”を設立することにする。メンバーは十人程度だ。室長は小笠原副知事に任せるが、具体的な活動内容や誰をメンバーにするかは追って連絡する。――私からは以上だ」
こうして東京都緊急議会は京都とは対照的に、重い空気のまま閉会した。
ただ、渋谷知事だけは体中から沸き上げて来る力を感じて、内心ほくそ笑んでいた。
京都の首都奪回特別室と東京の首都死守特別室の戦いが始まろうとしていた。
姉小路助役が作成したクレーム投書の見本1から見本6を元に、大原知事を含めた首都奪回担当メンバー八名が首都奪回特別室に籠って、出版社や新聞社に向けての手紙を書いている。
こんなところを、何も知らない府庁の職員に見られてはいけない。念のため、特別室の入口に見張りを立たせた上での作業だ。もちろん、この間は電話も取り次がない。
“買い占めウハウハ大作戦”、 “風船ビラぷかぷか大作戦”、“生ゴミ放置クサクサ大作戦”、
“停電まっくらくら大作戦”に続く第五の大作戦。
口にするのもおぞましい“投書カキカキ大作戦”が始まっていた。
この作戦の発案者である姉小路助役は、小学生の女の子に成り切って二通目を書いている。
私は小学四年の女の子です――。
ああ、私にもこんな時代があったなあ。見本に書いた、お菓子屋さんになりたいというのは私の本当の夢だった。パン屋さんでもよかった。お惣菜屋さんでも乾物屋さんでもよかった。何かをお腹いっぱいに食べられたらよかった。
おかっぱ頭で夢を抱いて走り回っていた頃だ。なのに、なぜかひっつめ髪の地味な地方公務員になってしまった。京都を住みよい街にしたいという大きな志を持っていたのに、配属された京都府庁では、なぜか東京と戦っている。他の職員には内緒の、表には出ない仕事だから、やはり地味だ。
この先はどうなるかは分からない。今ここでせっせと手紙を書いている人たちは知事も含めて、誰もが分からないのだろう。しかし、戦いつづけなければならない。
それにしても投稿先が多い。隣で書いている寺町市長に話しかける。
「都内の新聞社や出版社は随分とあるものですね」カキカキ、カキカキ……。
三通目を書いている上司の寺町市長は見本の老人に成り切って書いている。
わしは引退して隠居暮らしをしております……。
ああ、老人か。私にとってはまだ先のことだがな。年金暮らしの祖父に成り切って書くとするか。
祖父は小柄だ。私もだ。どうやら、私は祖父の血を引いているようだ。
えーと、私の趣味は盆栽です。好きな食べ物は湯豆腐です。嫌いなのは牛乳です。
ああ、私が祖父の年齢になった頃、日本は、京都はどうなっているのか?
まだ東京が首都であることは避けたい。いや、絶対に変えなければならない。すでに退職していった先輩の皆さんが成し遂げられなかった悲願を、我々が代わりに叶えてあげなければいけない。私の代で決着をつけるのだ。京都に首都を取り戻す。ふたたび煌びやかで、活気あふれる京都をよみがえらせる。そのためにこんな地道で面倒な作業を行っているのだ。
話しかけてきた姉小路助役に返事をする。
「投書を受け付けているかどうかは分からないがね。とりあえず、すべての会社に送り付けよう。助役が作成してくれたこの見本は助かるよ。私は見本3を元にして、祖父のつもりで書いてますよ」
カキカキ、カキカキ……。
新聞社は常々投書を募集しているが、雑誌を出している出版社はどうか分からない。しかし、掲載されるかは別として、東京都に対して不満を持っている人間がたくさんいるということを知ってもらうために送り付けようというわけである。
掲載されてもされなくても、同じ考えを持っている人々の目に留まり、何らかのアクションが起きることを期待している。大きく表現すれば“革命”と呼ばれるものであった。
メンバーたちは首都を京都へ戻すという機運が、全国で高まってほしいという気持ちを込めて、投稿することにしていた。
白川は外国人のフリをして三通目を書いている。
アメリカ人か。会ったことないな。ふーん、英語教師か。妻は日本人ということにしよう。ハロー。新婚旅行で東京と京都に行きましたが、京都の方がベリーグッドでした。江戸城より金閣寺の方がゴージャスでした。雷おこしより八ッ橋の方がデリーシャスでした。ゴチャゴチャした東京と違って、京都の道路は碁盤の目のようになっているので、シンプルアンドコンビーニエンスでした。
うーん、東京と京都か。新婚旅行で遠く離れた二か所を回るかね。熱海だけとか宮崎だけとか、普通、一か所だよなあ。まあ、アメリカ人だからな、これでいいとするか。アメリカは領土がデッカイから、こういうこともあるだろ。どうせ出版社の人もアメリカ人になんか会ったことないだろ。
PS.雑誌に載せないと日米間での国際問題に発展しますよ。グッドバイ。
少しだけ脅しておく。どうせ架空の外国人の名前も住所もデタラメだ。バレることはない。
「どうか、掲載されますように。たくさんの人の目に触れますように」
カキカキ、カキカキ……。
知事自らもペンを取っている。助役に話しかける。
「原案をお願いした姉小路助役の熱き思いが、この文章から感じられるね。東京には相当の不満を持っていたのでしょうね」カキカキ、カキカキ……。
「もちろん、そういうことです」助役は手を休めずに答える。カキカキ、カキカキ……。
「この機会に積年の恨みを晴らそうというのではないでしょうか」カキカキ、カキカキ……。
「なんだか大げさですね」助役はフッと笑みをこぼす。カキカキ、カキカキ……。
「この思いが新聞社や雑誌社に届けばいいですねえ」カキカキ、カキカキ……。
「それはもう、ここにいるみんなが思っていることです」カキカキ、カキカキ……。
「掲載する側、つまり新聞社や雑誌社なども、同じ思いを持った人がきっといるに違いありませんよ」ここで知事は筆記用具をボールペンから万年筆へ持ち替える。カキカキ、カキカキ……。
「京都を首都にという要望の渦が巻き起こってほしいですね」助役は万年筆からサインペンに替える。カキカキ、カキカキ……。
「その渦が大きくなって、日本列島を包み込んでほしいですな」カキカキ、カキカキ……。
周りで会話を聞いていたメンバーたちが知事と助役に同調する。
次々に投稿する原稿が仕上がっていく。
首都奪回特別室にはカキカキ音が夜遅くまで響いていた。
東京都緊急議会の閉会後、大池貞子議員は帰りに晩御飯のおかずを買って帰ろうと、都議会議事堂を出たところで、見知らぬ男性から声をかけられた。
「大池貞子議員ですね、あちらにお車をご用意しておりますので」
大池議員はこの若くて背の高い男性を見上げた。
「あら、お車なんて頼んでおりませんわよ」
男性は小柄な議員を見下ろした。
「いいえ。渋谷知事から指示がございました。最近は何かと物騒なので、大池議員を自宅までお送りしなさいということです」
「あら、そうなの。私はそんなことを聞いておりませんが、知事からの指示では仕方がないわね」
大池議員はおかしいと思ったのだが、本当に知事からの指示ならば、無下に断って知事の怒りを買ってはいけないし、この男性が実にハンサムで感じが良かったため、つい簡単に承諾をしてしまったのである。
それに、年齢が四十を越えると、若い頃のようにチヤホヤされることもなく、寂しい思いをしていたということもあったのである。
「玄関を出て、右手にお車を止めておりますので、どうぞ」
男性は大池議員が持っていた大きめのバッグをさりげなく受け取ると、魅力的な長い足でスタスタと歩き出した。
そして、玄関を出るときに振り向いて満面の笑顔で言った。
「大池議員、今日は良い天気でよかったですね」
「あら、そうだわねえ。昨日まで雨でしたのにねえ」
大池議員は若い男性にエスコートされてメロメロになっている。周りの人からもチラチラと見られて気分が良い。
あらら、こんな感情は何年ぶりかしら。議員になってからお仕事一筋だったから、覚えてないわねえ。うふふ。
「はい、お車はあちらでございます」
男性は一台の車を指差した。高級車が停車していた。
「あら、こんな立派なお車でよろしいですの?」
「はい。これも知事の指示です。この車種でお迎えするようにと指定されました」
「あら、そこまで細かい指示が出てますの?」
「はい。これはとても頑丈に作られている車ですから、万が一、ぶつけられても大丈夫です。逆に相手の車が破損するくらいです」
「あらそうなの。知事の指示では仕方がないわね。では、遠慮なく乗せてもらうわね」
私が積極的について行くのではない。知事の指示だから仕方なく乗り込むんだという姿勢を見せておく。ハンサム氏にずうずうしいと思われてはいけないからだ。
男がすかさずエスコートをして、後部座席に議員を乗せると、重厚な音を立ててドアが閉じられ、高級車らしくゆっくりと静かに走り出した。
「あら、私の家の方向はこちらじゃありませんわよ」しばらく走ったところで議員が言い出す。
「これも知事の指示なのですが、おいしいお汁粉屋さんがございますので、そちらにお連れして、その後にお買い物に付き合えと言われております。もちろん、その後はまっすぐご自宅に向かいますので、ご安心くださいませ」
「あらあら、そうですの」
大池議員は渋谷知事の心遣いと、ハンサム氏の優しさに頭がクラクラしてきた。
その後、大池議員はハンサム氏に連れられて、最近開店したばかりのおいしいとウワサのお汁粉屋さんの入口に立った。中を覗くと……、
「あら、お若いお嬢さんばかりじゃないですの」
「いいえ。大池議員も負けず劣らずに若くて、お綺麗ですから、さあどうぞ、遠慮せず、一緒に入りましょう」
あらら、お綺麗だなんて、長年生きて来て、言われたことないわ。
二人は、若い女性だらけの店の奥に入って行く。そこには“予約席”と書かれたプレートが乗せられた二人掛けの席が用意されていた。窓から日本庭園がよく見える。昨日の雨で草花はまだしっとりと濡れている。
「この見晴らしのいい席も渋谷知事の指示で予約したものです」
大池議員は感激のあまり、しばらく声が出ない。
「さあ。どうぞおかけください」男は椅子を引いてあげる。
「あらら、こんなことじゃもっといいお洋服を着てくればよかったわ。こんな地味なスーツで来るところじゃないわね」
「いえいえ。十分、お似合いですよ。――お汁粉のセットでよろしいですか?」
「もちろんですわ」顔を赤らめながら答える。
その後、周りを気にしながらも、二人で甘味を堪能した。
「大池議員、これだけでよろしいですか?」
「あら、まだいただいてもかまいませんの?」
「もちろんですとも。お腹が一杯になるまで召し上がっていただきなさいという指示も知事から受けておりますから、遠慮されると私が困ってしまいます」
「あらら、あなたに困られると私も困りますわ。――ではお代わりを頼みましょうかね」
結局、お汁粉を三杯も食べた大池議員はデパートでいつもより豪華な食材を買い揃えて、家の前まで送ってもらうという楽しいひと時を過ごした。
男はお汁粉代も食材費も渋谷知事の名前で領収書を切ってもらっていた。
「いくらなんでも、お夕食のおかず代まではいただけませんわ」議員は遠慮をしたが、
「いいえ。これも知事の指示ですから、こうしないと私が怒られます」
ハンサム氏はそう言って、受け取った領収書を高級そうなスーツの内ポケットに滑り込ませた。
「あら、そうですか。お戻りになったら、渋谷知事によろしくお伝えくださいね」
見えを張って豪華な食材を買ってよかったわ。タダですものねえ。特にマツタケの詰め合わせは楽しみだわ。どんなお味がするのかしらね。
大池議員は自宅に戻っても、うれしくて仕方がなく、胸が幸せで一杯だった。
大池貞子議員が男性と連れ立って都議会議事堂を出た直後、山之内美代子議員が議事堂を出ようとした。
「山之内美代子議員、お待ちしておりました」
見知らぬスーツ姿の男性が声をかけてきた。
「はい、何でしょうか?」警戒して睨み付けた。
「渋谷知事の指示で議員を家までお送りしなさいということです。最近物騒ですので車を使うようにということです」
「あら、そうですか」知事の名前が出て、たちまち警戒が解かれる。「渋谷知事の指示でしたら、お言葉に甘えて乗せてもらおうかしらね。私の家はお分かりかしら?」
「はい、もちろんです。知事から承っております」
議員は住所を知っていると言われて警戒を解いた。
男性は山之内美代子議員の手からさっとバッグを受け取ると、玄関に向かって歩き出した。外に出てみると、高級車が止めてあった。
「へえ、こんないい車を用意していただいているの?」
「はい、これも知事の指示ですから、遠慮なくご乗車ください」
男性はすかさず後部座席のドアを開け、議員の手を取ってエスコートする。
「自宅にお送りする前に、ちょっとお寄りするところがございます」
「それはどこですの?」山之内議員の声に再び不信感が現れた。
「これも知事からの指示なのですが、最近山之内議員はたいへん熱心にお仕事をなさっている。きっとお疲れに違いない。そんなときには糖分が必要だ。ぜひ、おいしいケーキをご馳走して差し上げなさいということで、ケーキ屋さんに向かいます」
「へえ、そうなの!」山之内議員は不信感を払拭するとともに、たちまち喜んだ。
渋谷知事が仕事ぶりをよくご覧になっていたことに喜び、大好きなケーキが食べられることに喜んだ。
「それはうれしいわ。ケーキなんてハレの日でないと食べられませんものねえ」
「はい。おっしゃる通りでございます」
山之内議員は自宅に帰る途中、男性に誘われるまま、洋菓子店に寄った。そこは最近オープンしたばかりの店で、フランス帰りのケーキ職人がおいしいケーキを作っていると評判の店だったが、地方公務員の給料では到底入れる店ではなかった。
「どうぞ、遠慮なさらないでください。この店にお連れするようにと、知事からの指示を受けておりますから」
「では遠慮なく、この一番お高いケーキセットをいただこうかしら」
「私も同じ物をいただきましょう」
店にいるお客のほとんどがこちらをチラチラと見ている。議員だと気づいて見てくれているのか、一緒にいる男前氏が素敵なので見ているのか、私たち二人が羨ましくて見ているのか。
どれでもうれしいと山之内議員は思った。
それは、高級なケーキの味が分からないくらいのうれしさだった。
山之内議員は談笑しながら、男前氏と何種類ものケーキを食べるという至福のひとときを過ごしたあと、こんな時間がいつまでも続けばいいのにと、名残惜しく惜しく思いながら、自宅まで送ってもらった。
店を出るとき、お土産はいかがですかと訊かれた。
「いいえ、お土産までは遠慮しておきますわ」
そう言いながら、議員はおいしそうなケーキが並んだショーケースをチラチラ見ている。
「お土産をもたせてあげるようにと、知事から仰せつかっておりますから、どうぞお選びください。そうしていただかないと、私が困ってしまいます。きっと知事から叱責を受けるに違いありません」
「そうですの! それは大変。――では遠慮なくいただくわね。これと、これと、それと、それと、あれと、あれと、あっちとそっちとこっちのケーキを二個ずつ、お願いしますわ」
男前氏はお土産代を含めた高級ケーキ代を支払った後、大原知事宛ての領収書をもらうのを忘れなかった。領収書を受け取る男の姿を山之内議員は名残惜しそうに、うっとりと見つめていた。
大池貞子議員と山之内美代子議員につづいて、広山敏子議員が議事堂を出ようとしたところで、カッコイイ男性に呼び止められた。
「広山敏子議員ですね。私がご自宅までお車でお送りいたします。お車はあちらに停めてございますのでどうぞ。お荷物は私がお持ちいたします」
男性は細くてきれいな指で高級車を指さした。
戸惑う議員に男は畳みかけるように言った。
「これらはすべて渋谷知事の指示でございます。大池貞子議員と山之内美代子議員は先に別の者がお連れ致しております。さあ、ご遠慮なさらずにどうぞ」
「もちろん、知事の指示ならお受けいたしますわ。二人の議員も行ったのでしたら、断る理由はございませんわ」
男は女性議員同士のやっかみをうまく利用する。
「それと、フルーツパフェはお好きでしょうか?」
「ええ、もちろん。高級車もフルーツパフェも大好きですわ」
広山議員は満面の笑みを返した。
京都の知事室の黒電話が鳴った。大原知事が受話器を取る。
「大原知事、黒門です」
「おお、黒門くん、首尾はどうですか?」
「うまくいきました。三人の女性議員の懐柔に成功いたしました」
「そうかね、ありがとう。議員たちは男性と二人で店に行ったのかな?」
「はい、甘味処とケーキ屋さんとデパートの食堂に連れて行きまして、それぞれ、お汁粉と高級ケーキとフルーツパフェをご馳走してきました。その代金は渋谷知事持ちだから遠慮しないようにと伝えましたら、まるっきり信じてバクバクと食べ、お汁粉は三杯お代わりして、高級ケーキは大量のお土産をねだり、フルーツパフェは大盛りにされたそうです。――まったく、東京のオバサン議員はずうずうしいですね」
「おお、それはよかった。――写真はどうですか?」
「車に乗り込むところから、店を出るところまで数枚の写真をバッチリ撮りました。二人で一緒にいるところが、ちゃんと写っているはずです」
「ほう、そうですか。現像が楽しみだね」
「議会では見られない、三人の議員のニヤけた顔が写ってますよ」
東京都議会の女性議員のスキャンダル写真をばらまいて、東京の信用を失墜させるという作戦を考えたのは、今、電話をかけてきている黒門である。
首都奪回のための特別予算を使ってハンサムな俳優を一時雇用し、高級レンタカーを借りて、それぞれの店の予約を渋谷知事の名前で取り、二人きりのデートを仕掛けたのである。
これが泣く子も笑う“女性議員イチャイチャ大作戦”である。もちろん、名付け親は大原知事である。
“買い占めウハウハ大作戦”、 “風船ビラぷかぷか大作戦”、“生ゴミ放置クサクサ大作戦”、
“停電まっくらくら大作戦”、“投書カキカキ大作戦”に続く第六の大作戦である。
どうやら、女性議員たちは用意された車を見ても、レンタカーとは気づかなかったようだ。
報告を受けた大原知事は満足そうである。何も疑うことなく、三人の女性議員がまんまと引っかかるとは思ってなかったからである。一人くらい騙されてくれないかと思っていたのだが、まさか全員が罠に落ちるとは、プロの俳優さんにお願いしていたとはいえ、驚きである。
いい男と高級車と甘いデザート。これで参らない女性はいないだろう。結構なお年の女性議員も交じっていたが年齢には関係なく、ハンサム男性を前にして、デレデレになっていたに違いない。
東京都の議員名簿を手に入れて、女性独身議員を探し出し、三人をターゲットに決めたのである。この場合、若い女性議員はダメである。交際している男性がいるかもしれないからだ。気の毒なことだが、どう見ても、相手がいそうにない年増の女性議員を選んだのである。
オバちゃん議員のデレデレした顔を想像するだけでこちらもニヤケてくる。
早く写真を見たいものだ。
年齢も性別も関係なく、基本的に人類というものはスケベなものである。
悲しき人類の性をうまく突いた絶妙な作戦であった。
今のところ、この作戦は成功だ。そして、この後は……。
「黒門くん、ご苦労様でした。写真が出来上がり次第、匿名で新聞社と雑誌社と都議会と渋谷知事に送り付けてやりましょう!」
「各店舗からいただいた渋谷知事宛ての領収書はどうしましょうか?」
「それも一緒に同封して、渋谷知事宛てに送り付けてやりましょう!」
大原知事も黒門も一分間ほど、笑いが止まらなかった。
三日後の朝刊には、東京都の三人の女性議員が男性とうれしそうに車に乗り込んでデートを楽しむという記事が、大きな写真とともに掲載された。
そこには以下の三枚の写真も添付されていた。
・大池貞子議員がお汁粉を三杯お代わりしてニヤけている写真。
・山之内美代子議員が高級ケーキのお土産を手にニヤけている写真。
・広山敏子議員が大盛りのフルーツパフェを食べてニヤけている写真。
相手の男性は仕事の関係者ではなく、友人知人でもなく、ましてや兄弟や親戚でもなかったため、大きなスキャンダルとなった。
三人の議員は男性と甘い物を食べて、家まで送ってもらっただけである。それ以上の関係はない。しかし、記事というものは読者の気を引き、売り上げ部数を上げようとするため、思わせぶりなことを書くものである。
この記事もそうだ。
“甘い物を食べた後、二人を乗せた車はいずこへか走り去った。おそらく、その後は甘いひと時を過ごしたのであろう。”と書かれていた。
このとき、記者が見ているわけない。この写真を撮ったのは、発案者の黒門、白川、醒ヶ井という京都府庁の男性職員だからだ。車で走り去ったのは確かだが、その後は寄り道もせずに、ちゃんと家に送り届けたとエスコートをした三人の俳優から聞いているし、そもそも、普段から若い女性にモテている若い俳優が、オバちゃん議員を誘うはずがない。
だが、この記事を読んだ読者はどう思うか?
二人きりでどこか怪しい所へ行ったのではないかと想像するのである。これがスキャンダル記事の恐ろしいところである。想像というものは、面白おかしい方向へ向かうものである。こんな仕組みによって、新聞社や雑誌社の売り上げが伸びるのである。
三人のオバちゃん都議会議員には相当の打撃を与えたことになる。
三人の京都府職員はわざわざ東京にまで出張して作戦を決行した甲斐があったとして、大いに喜んだ。これまでの鬱憤を晴らしたことにもなった。
また、同じ日のいくつかの新聞に東京を批判する投書が多数掲載され、日を置かずに、いくつかの雑誌にも東京の批判記事が載り、東京都はまたしても、電話や手紙によるクレームの嵐に見舞われ、大きなダメージを受けた。
京都の首都奪回メンバーによる“女性議員イチャイチャ大作戦”と“投書カキカキ大作戦”のダブル攻撃がうまく功を奏したのである。
新聞に載るスキャンダル記事と批判投稿が同時に掲載されるように、投函する日程も調整していた結果、うまくいったのである。これも作戦のうちであった。
この後、数日の間、いくつもの週刊誌や月刊誌にも、東京を批判する投書が掲載され続けて、東京都庁にはさらなるクレームの電話が殺到し、回線がパンクして、仕事に支障が出た。
また、数人が知事を非難するプラカードを掲げて都庁前でシュプレヒコールをあげ、それは通行人を巻き込んだデモ行進にまで発展した。
首都奪回メンバーは、全員でせっせと書いた投書がボツになることもなく、こんなにたくさんの媒体に掲載されるとは思ってもいなかった。
口にするのもおぞましいと言われてた“投書カキカキ大作戦”の影響は凄まじいものとなった。夜遅くまで腱鞘炎になりそうな勢いで書き続けたメンバーの苦労が報われた形となった。
一方、ダブル攻撃による被害報告を受けた渋谷都知事の血管はブチ切れそうになった。京都をライバルと考え、戦うことに喜びさえも感じていたのだが、それは京都が真正面から大掛かりな作戦を仕掛けて来たからである。
だが、今回の作戦は何だ?
あまりにもセコいではないか。
これでライバルと呼べるのだろうか。
いや、ライバル視していた自分が恥ずかしくなってくる。
こんな小さな連中が相手なら、自分は強くなれない。
こんな小さな京都なら、東京は強くなれない。
以前と違って、大した経費もかかっていないボンクラで小手先だけのような二つの作戦にまんまと引っかかってしまい、東京都のイメージが悪くなってしまった。
中身がなく、品もなく、東京の批判をしているだけの投稿を新聞社や雑誌社、出版社はまるで、そうすることが義務であるかのように、片っ端から掲載した。
それだけでも腹が立つというのに、まさか、いい年したオバちゃん議員が色仕掛けに惑わされたとは情けない。
本人たちは軽くお茶をして、家まで送ってもらっただけですと説明し、あくまでもプライベートな時間での行動なので、政治家としての仕事とは何ら関係はないと言い張ったのだが、議員の行動としては軽率であり、新聞に掲載された写真はあまりにもマヌケな面だということは認めざるを得なかった。
しかも、何だ、都知事宛ての四枚の領収書は。嫌がらせで送ってきやがって!
お汁粉三杯にデパートで買ったマツタケの詰め合わせ。高級ケーキにたくさんのお土産。お大盛りフルーツパフェ。――こんなものを私が食べるわけがなかろう!
渋谷知事は三人の女性議員を呼んで訓戒処分と減給処分を与えた。自分自身の処分は当然、行わない。
三人は甘んじて処分を受けることにした。当然、議員辞職なんかしない。女性としてかなりのダメージを受けたが、政治家としての仕事はまだまだやり残したことがあるからだ。クビにならなかっただけマシと考えた。これからの仕事で結果を出して、信用を回復していくしかない。
しかし、こんなことになるのなら、もっと食べておけばよかったと、三人全員が後悔し
た。いい男を前にして、遠慮していたのである。舞い上がっていたのである。しかし、デザートは別腹である。もう一度連れて行ってくれたら、あの日の三倍は食べることができる。自信満々である。
オバちゃんはいつの時代であってもずうずうしい。
そして、ふたたび東京都の緊急議会が開催された。渋谷知事は首都死守特別室を設立するにあたって各方面から集められた精鋭メンバーを各議員に紹介した。
また、その日のうちに、渋谷都知事から大原知事宛てに、新設されたという首都死守特別室のメンバー表が嫌がらせのように、速達で送り付けられてきた。
大原知事を始めとして、一同はそのメンバーを見て驚愕した。掲載されていた十人全員が日本の最高峰である東京エリート大学の教授たちだったからである。
・熊山唯人法学部教授。
・杉木剛次政治学部教授。
・恵比須利助歴史学部教授。
・神足享人経済学部教授。
・矢代由梨人建築学部教授。
・若菜晶工学部教授。
・宮島博史交通通信学部教授。
・花房聞多都市計画学部教授。
・河和中司デザイン学部教授。
・橋戸和男産業学部教授。
首都奪回特別室では大原知事が腕を組んで、眉間にシワを寄せながら唸っている。
「うーん。法律の専門家も入っていますねえ。まさか今までの六つの大作戦に法的処置を取ってくることはないと思うがね。ああ、政治の専門家もいますか。この連中が束になってかかって来たら、京都はひとたまりもありませんな。渋谷知事一人だけでも手ごわいというのに、さらにこんなエリート集団をブレーンに付けられたらたまりませんね」
寺町市長も腕を組んで、同じようなポーズで考え込んでいる。
「京都が完全に包囲されたような感じですね。こんな名簿を送って来たということは、ジタバタしても無駄だから、負けを認めて大人しくしていろということでしょう」
「戦わずして勝つというのが理想の勝利ですからね。――寺町市長、このまま大作戦を続けますか?」
知事が市長に問うが、気落ちしていることは声の大きさで分かる。せっかく二つの同時作戦が成功したというのに、水を差されたようなものだ。
「六つの大作戦によって、東京を少しずつ追い詰めていることは確かですが、致命傷は与えていないでしょうね。ここぞとばかりに反撃をしてきましたから」
市長もはっきりせず、弱気になってきている。もともと色白で小柄な市長なのだが、いつもより弱々しく見える。普段から小さい声も、今はさらに消え入るほど小さい。
知事が悔しそうに続ける。
「一番の問題点は何かというと、東京を追い詰めてはいるが、それが首都奪回に直接結びついてないということです。嫌がらせのレベルで終わってしまってます。しかし、あと一歩です。東京にトドメを刺しさえすれば、首都奪回へと舵を切ることができると思うのです」
市長も困惑気味に続ける。
「私もそう思います。肝心なのはいかにしてトドメを刺すかということですね」
それを聞いて、姉小路洋子助役が助言する。
「今まではこちらからの作戦を東京はさらっと流していたようですが、立て続けに繰り出した二つの作戦によって打撃を与えられた結果、本気を出したということでしょう。首都死守特別室のメンバー表を見れば、そう読み取れます。しかし、チャンスは今です。打撃によって開いた小さな穴を大きくするのは今です。さらに新たな作戦を実行することで、致命的な大きな穴を開けることができるのではないでしょうか」
助役は何とか奮起を促そうと声を張り上げるが、問題提起をしただけで、具体的にはどうすればいいのかまで、提案することはできなかった。
「ううむ。新たな作戦か……」知事は組んでいた腕をほどく。
「ううむ。それしかないでしょうな」市長も同じ動作をする。
今まで、新たな作戦が決まるたびに、首都奪回特別室には活気が戻って来た。それは、失敗した作戦を忘れるくらいの熱き活気であった。そして、それがメンバーのモチベーションへと繋がっていた。
今回もそうして、この難関を乗り切って行こう。みんなが一丸となるにはそれしかない。
大原知事はそう考えた。
だが、今までメンバーから提案された六つの作戦はすでに実行されていた。
作戦のストックはもうない。
メンバーの英知を集めて、これから新しく考えるしかない。
首都奪回特別室では静かに時間だけが経過して行く。
姉小路助役の提案で新しい作戦が練られることになった。過去に実行された六つの作戦を再度行うことも検討された。過去に提案されてボツになった作戦も再考された。
だが、どれも今一つで、今までの大作戦を上回るアイデアはいくら考えても出てこない。
全員が考えているのか、諦めているのか分からないが、無言のまま、下を向いている。
「しかも……」白川が顔を上げて小さな声で発言する。「予算が尽きかけてますし……」
「そうなのです」五条も弱気だ。「おそらく東京には資金が贅沢なくらいあるのでしょう。人の数が違うのですから、入って来る税金の額も違います。それに加えて、この首都死守特別室のメンバーが存在します。この十人の頭脳にも少なくない賃金が支払われているはずです」
醒ヶ井も意気消沈している。
「だが、京都にはそういった資金や、日本を代表するような頭脳どころか、攻撃する手段さえも思い付きません。――もはや、何も残っていないのです」
各メンバーの頭に“新たな作戦”という文字が浮かぶが、浮かぶだけで実を結ばない。
首都奪回特別室内に重くて長い時間と、よどんで暗い空気だけが流れる。
しばらく沈黙が続いたところで、高辻副知事が明るく大きな声で、
「何もないと言われますが、京都にはお寺があるじゃないですか!」
そう叫ぶと、トレードマークの赤い眼鏡を右手でグイッと引き上げた。
「確かに……」知事が不思議そうな顔をして副知事に訊く。「お寺はたくさんありますが、それをどのように活用するというのかな?」
「とりあえず、私を金閣寺に行かせてください!」
高辻は立ち上がると、鋭い目つきで全員を睨みつけた。
何をしようとするのか分からない。
なぜ、金閣寺なのかも分からない。
しかし、誰も文句が言えないような一大決心をした顔であった。
大原知事は高辻副知事のそんな表情を見て、何を訊かずとも、すべてを任せることにした。他のメンバー全員も頷いて、副知事にこれからの京都の運命を託すことにした。しかし、お寺を使って何をするというのか。それは新しい大作戦なのか、それとも他に何かを仕掛けるのか、副知事以外には誰も分からなかった。
~後編につづく~
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