本当に神様がいるのなら

猫の手

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【消したい記憶-3】

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 部活終わりの下校中、自転車通学の望美は「新さくら通り」を自転車に乗りながら走っていた。

そのまま進んでいけば、内環状線の通りに入ることが出来る。そこから自宅のある富田町へと向かうのが望美のいつもの下校コースである。

 途中、望美の視界に開成山公園内の照明の光が入り込んできた。

 ふと思いたった望美は、自転車をそのまま走らせて開成山公園の敷地内へと入っていった。辺りを照らす照明の光の間をくぐり抜けていき、噴水のある場所へと到着した。

 二段、三段と段差のある造りの場所で階段もあり、中央には噴水、周りには三つほどのベンチと大きな記念碑がある。

 望美は近くに自転車を駐輪してから階段を上がっていき、そっとベンチに腰を下ろした。

(なんか、今日は特に疲れた。帰って寝たい……)

 ため息を吐きながら頭の中で呟きながらも、望美は真っ直ぐ家に帰らずに自分がこの場所に来た理由を理解していた。

(静かで落ち着くなぁ)

 噴水の心安らぐ水の音。夜空に浮かんだ月。小さく鳴く虫のさえずり。肌に触れる夏の夜の涼しい風。それらが望美の心の疲れを癒してくれる。

(頑張って私は花を咲かすわ)

 小さな両手を握りしめ、そう固く誓う。

 今日の部活で望美は確かな手応えを感じていた。休み時間に嫌な出来事はあったが、その悔しさと怒りが望美に力を与えてくれていた。鬱憤を部活での特訓にぶつけたことでいつも以上の演技が出来たのだ。

(華やかな舞台で私は輝くわ)

 疲れている望美ではあるが、自信を高め、さらなる意欲を持ち、改めて固く心に誓う。

(嫌なことは忘れよ。頑張っていれば幸せになれるわ)

 過ぎた出来事は忘れ、先にある心を晴らしてくれる出来事に望美は願いを込めた。

 それから十分ほど静かな開成山公園内を見回したり、夜空の月を眺めたり、噴水の水の音に耳を傾けたりと、癒しの空間の中を過ごした。

 しかしその後、自宅に帰ろうと考えながら開成山公園の入り口付近を見ていた望美の目に数台のバイクが映る。

マフラーを改造しているからか、バイクからは不協和な音を出し、ステレオからはトランス系の音楽が流れている。バイクは紫色やピンク色に塗装されており、ところどころが派手にドレスアップされているビッグスクーター。乗っているみんなは二人乗りをしており、服装は赤や白や黒といった色のジャージで、横にラインの入った今時の若者にウケのあるタイプだ。昔で例えるならばレディースのような風貌である。

 望美は身の危険を感じてスグに自転車に駆け寄り、早速この場を離れようとした。だが輩はバイクのスピードを上げて走り去ろうとしている望美の前方へ割り込むように突っ込んできた。

 望美は思わず自転車のブレーキを掛けて止まった。その時、前に立ちはだかるバイクのボディに貼り付けられているステッカーが望美の目に映る。ステッカーには「咲乱華」と書かれており、望美は蛇に睨まれた蛙のような心境にさせられた。

 もう一台のバイクが望美の後方にやって来て、ちょうど挟まれる形になり逃げ道は失われてしまった。メンバー達がなにかを言っているが望美の耳には恐怖のあまり声が届かず、無言で立ち尽くしながら危機が去るのを待った。

 二台、三台、四台と「咲乱華」のステッカーを貼ったバイクが望美を囲む。

 目をつぶり軽く身じろぎしながら怯えている望美の耳に、聞き覚えのある声があとから一台遅く到着したバイクから聞こえてきた。

「あれぇ望美じゃない?」

 望美は目を見開き、声のする方に顔を向けた。

「やっぱり望美じゃないの。ここでなにをしてんのかしら?」

 美那子がバイクの後ろに乗りながらニヤニヤとした表情で言った。

「た、高崎さん」

「は?」

「――じゃなかった。美那子さん」

「だーかーらー。『さん』で呼ぶなって言ったわよね?」

「あ、ごめんなさい」

「本当にバカなんだから」

「ごめんなさい……」

「まぁいいわ。で? 望美はここでなにをしてんのよ?」

「いや、特になにも」

「私はなにをしてたのかって訊いてんのよ」

 美那子の悪い性格が出始めた。

「た、ただ一人で考えごとをしてただけ」

「あら、暇なのね。それとも一人で考えごとをしたくなるほどの嫌な出来事でもあったのかしら?」

 そう言って、美那子を含め「咲乱華」のメンバー達がせせら笑った。

「それは……」

「どうなのよ?」

「――なにもないよ」

「なぁんだ! そうなんだぁ! 少しだけ心配したわぁ!」

 美那子は小馬鹿にしたように言った。

「そ、それじゃ、私はこれで」

 望美は怯えながらそう言って、自転車のペダルに足を掛ける。

 直後、メンバーの一人がバイクのスロットルを勢いよく回した。大きなエンジン音が望美の耳をつんざいた。

「望美、これでなに?」

 美那子は機嫌の悪さを顔に出しながら言った。

「だって、もう家に帰らないと」

「門限なんかないんじゃないの? こんな時間に外で暇してんだから。嘘ついてんじゃないわよ」

「でも、もう九時になるし。そろそろ帰りたいから」

「あら。『帰らないと』じゃなくて『帰りたい』なのね」

「そんなのどっちでも別に」

「望美。あんたの気持ちしだいってことよね? 帰らないといけない理由なんかないんだから」

「でも、今日は疲れて。部活も頑張ったから」

「死ぬわけじゃないんじゃない?」

「そんな……」

 美那子はタバコを取り出し、慣れた感じにライターで火をつけて煙を吹かした。

「いや、実はね望美。私達も今は暇なのよ。さっきまでは他のメンバーとワイワイしてたんだけど、なんか彼氏と会わないとって抜けちゃってさ」

「う、うん」

 美那子の強引な会話に望美は乗っかるしかなかった。

「まだまだ私達の夜は長いのよね。で、どうせだったら人数は多ければ多いほど楽しいじゃない? だから望美も一緒にさ」

 付き合いなど無いに等しい関係であるが、返答によって美那子はある意味、臨機応変で一触即発な人間だと望美は理解していた。

 美那子の顔色をうかがいながら言葉を選び言う。

「明日、私は学校があるからちょっと……」

 直後、美那子の口にくわえていたタバコが望美の頭を目掛けて飛んできた。

「きゃ、熱い! な、なにを?」

「あんたさぁ。マジでイラつかせないでよね!」

「そんな私はなにも」

「明日学校? 私達も学校あんだけど! 舐めてんの?」

「違う、違うよ」

「どうせ私達はたまにしか行かないけどさ!」

「そんな意味で言ったんじゃない」

「確かに毎日サボってるけどさ!」

「ごめんなさい。本当にごめんなさい」

「あら? まぁ、謝ったんなら許すわ」

 美那子の気性はいきなり穏やかになった。

「ごめんなさい……本当にそんな意味じゃ」

 望美は今にも泣き出しそうだった。

「もういいわ。特別に許してあげる」

「本当に?」

「もちろんよ。集会に来なかったことも許すわ。まぁ、昼間に痛い目にあわせてチャラにしたってところがあるけど」

「う、うん」

「なんにしても終わったことは許したわ。だから私のお願い叶えてくれるかしら?」

「え?」

「だ、か、ら、許してあげたんだから私のお願いを叶えてよ」

「なんでそうなるの?」

 筋の通らない美那子のメチャクチャな話に望美は呆れた。

「ハッキリ言うと、望美にうちのグループに入ってほしいのよ」

「また」といった感じに望美はウンザリした。

「だからそれは……その」

「私は本当にメンバーになってほしいからお願いしてるのよ」

「でも、だけど、やっぱり」

「命令じゃないんだから強制はしないわ」

 再びタバコに火をつけながら言った美那子の顔色が曇るのを望美は感じとっていた。

 返答によって、どうなるかは容易に予想がついた。

「少しだけ考えさせて」

「もちろんいいわよ」

 考えると言ったものの答えは出ている。

 不良グループ「咲乱華」のメンバーになれば、華やかに輝かせる予定である青春の舞台の幕が下りてしまう。そして、自分自身の性格をよく理解しているのか、望美はもし自分が「咲乱華」のメンバーになったとして、自分の立ち位置がどうなるのかの予想がついていた。いいように利用されて終わるだけだと理解していた。

 望美が「咲乱華」に絡まれることになった原因は、臆病さや内向的な面がおもてに出ていたから。パシリを必要とする輩からすれば望美はかっこうの標的だった。もはや、そんなことは全てわかっている望美に残されている返答の選択肢は一つだけ。

「私はやっぱり不良グループには入りたくない」

 そう言った直後に望美の顔を目掛けてタバコが飛んできた。

「熱い! や、やめて!」

「ハッキリ言ってんじゃないよ!」

「だって」

「望美、もう一度だけ訊くわ。どうするの? メンバーになるの? ならないの?」

「なにをされても私は」

 そう言った望美から決意を感じとったのか、美那子は一度ウンザリ気味に深いため息を吐き出した。

「せっかく仲良くしたいと思ってたのにね……」

「ごめんなさい」

「クラスは違うけど、同じ学校の同級生だから仲間にしたいなってね」

「ごめんなさい」

「楽しいと思ったのにね」

「ごめんなさい」

「友達になれると思ったのにね」

「ごめんなさい……」

「親友にまでなれるのかなって」

「それは……うん」

「本当に望美ったら……」

 嫁をいびる小姑のような言い回しの美那子の言葉に、望美のウンザリした気持ちは限界だった。

「本当にごめんなさい」

「もうわかったわ。もう諦めるわ」

「うん……」

「これで私の立ち位置も変わるから」

「え? 立ち位置って」

「扱いを変えるって意味よ。まぁ、色々とね」

「扱いを変えるって一体なにを」

「多分、近いうちにわかるんじゃない?」

「ヒドイことはやめて。部活を頑張らないといけないの。今が一番大事な時なのよ」

「部活ねぇ。なんの部活だっけ?」

「演劇部よ。夏のコンクールに向けて頑張ってるの。来週には披露する劇の配役を決めるオーディションが部活であるのよ」

「あら、そうなんだ。色々と忙しいのね」

「だから私に絡まないで。お願いよ」

「フフフ、そうねぇ」

 美那子のその笑いが明らかな不安感を望美に植えつけた。

「わ、私は青春って舞台で華やかに輝きたいの」

「ダサカッコイイこと言うじゃない。でも、悲劇の舞台になるかもね」

「そんなこと……ない」

「とりあえず頑張ったらいいんじゃない? それじゃ、私達はこれで消えるわ」

 そう言って、美那子は「咲乱華」のメンバー全員に合図を出し、女性とは思えないように脚を広げた感じの乗車姿勢でバイクの後部座席に座り直した。

「望美、所詮あんたは役無しよ」

 そんな捨て台詞を吐き、「咲乱華」はウルサイ騒音をたてながらバイクで走り去った。

(今日は本当に疲れたな……)

 バイクの姿が消えるのを見届けてから、望美は自転車を走らせ照明の光の中を進んでいった。

(役無し……そんなことない)

 重い心身の疲労感を乗せながら、望美は「新さくら通り」を進み、自宅への帰路を急いだ。
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