パンドラ

猫の手

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三章

【プログラム-9】

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「白井さんは脳内麻薬を知っていますか?」

「脳内麻薬? いえ、知りません」

「脳内麻薬は人間の脳の脳内や交感神経系に含まれている神経伝達物質です」

「はあ……」

「そして脳内麻薬は現在約二十種類が知られています」

「はあ……そんなにあるんですか?」

「ええ。そして、その脳内麻薬が分泌されると人間には麻薬を吸引した時と同じような効果が発生します」

「麻薬を吸引した時と同じような効果? そんな危ない物が体内で作られてるんですか?」

「いえ、脳内麻薬は本来人間の脳内で普段からある程度は分泌されている物なんです。それに脳内麻薬が分泌される事例は珍しくないんですよ」

「そうなんですか?」

「ええ。例えばスポーツ選手が走り続けている時、肉体的にも精神的にも恍惚感などが生まれたりするらしいです。これは『ランナーズハイ』とか言われていて、走行中に脳内麻薬が多量に分泌されているからだと言われています」

「そんなことがあるんですね。知りませんでした」

「人間の脳にはその時々の状態や出来事に応じて脳内麻薬の分泌がプログラムされているんです。辛い時や苦しい時はそれらの気持ちを軽減するように、楽しい時や嬉しい時はそれらの気持ちを増加させるように。必ずしもそうだとは限りませんが簡単に言えばそうなんです」

「あの、それで……つまりは?」

「つまり、白井さんの脳にも似たように脳内麻薬の作用が働いているんですよ」

「まさか、僕はそんな感覚はありませんよ」

「自分で自覚出来てないだけです。それに白井さんの場合は『ランナーズハイ』などの時とは分泌される脳内麻薬も違いますから状態が違いますし、脳内麻薬にも約二十種類あります。それに分泌される過程も違いますし、人為的にプログラムの力により分泌されていますから。まぁ、今の話はあくまでもわかりやすく説明するための例えです」

「はあ、なるほど」

「人を好きになって異性にドキドキする感覚も脳内麻薬によるものなんです。他には友達と一緒にいる時には脳内麻薬の一つであるエンドルフィンなどが分泌されていて、そのエンドルフィンが不安感の軽減や幸福感を持たらしているんです」

「ところでそれが僕の変化になんの関係が?」

「脳内麻薬の分泌を促進させることが変化の力です。人間は脳内麻薬の分泌で苦しいストレスに耐える力などが生まれて、心が快適になったり、幸福感が生まれたりするんです。その働きで辛い出来事に耐えたり心に希望を持てるようになるんです」

「だから僕は過去の自分を受け入れられた。だから僕は将来に希望を持てた」

「私は白井さんの過去などは知りませんが、そういうことです」

「なら、本来のプログラムの力による災いはその変化の逆なんですね?」

「ええ。災いは脳内麻薬の分泌を無くしたり、分泌を狂わせます。人間が孤独感などを感じたり不快感を覚えたり、嫌悪感、間接的な原因もあったりしますが絶望を感じたりするのは脳が脳内麻薬の分泌を停止したりするのも原因の一つです」

「そんなように人間は出来てるんですか」

「ええ。そして、災いにより人間はストレスなどを増加させられて、それにより人々は理性が狂いストレスが爆発してしまいます」

「それで悩み苦しみが増長させられた人々は大量自殺をしたり、犯罪を犯したり、絶望や悪意により社会の秩序、人間は狂い、世の中は破滅すると」

「ええ、先ほど説明した通りです」

「とんでもないな……」

「そうですね。そして今言ったことが脳に与えるプログラムの力の特殊な作用です」

「難しい話しだったし、信じ難い内容でしたけど、自分なりの解釈で受け入れました」

「そうですか。確かに脳内麻薬や電波なんかは、自分の目で見て確認出来る物ではありませんからね」
「そういえば、『パンドラ』をインストールした通信機器から発する電波で周りの人達は力の影響を受けないんですか?」

「というと?」

「いえ、僕のケータイからは変化とはいえ、プログラムの力が働いた電波が発せられていますよね。その電波は自分の周りの人達に影響を与えないのかなと思ったので」

「ああ、なるほど。もちろん少なからず影響はあります。ですが心配することはありません。直接的にプログラムの力の働いた電波の影響を受けるのは通信機器の持ち主のような、つまりはケータイなどのようにその通信機器を常に携帯しているか、パソコンなどの場合はその通信機器の近くにいる人間だけにしか影響を与えません」

「はあ、そうなんですか。つまり、常にその通信機器の身近にいて、常に電波を浴びているような状態の人間が直接プログラムの力を受けると?」

「その通りです。まぁ、わかりやすく言うと、電波の範囲の問題です。白井さんの場合はケータイを常に持っていますから、完全に電波の範囲内ですけど」

「それでも周りの人達は少なからず電波を受け、プログラムの力が働くんじゃないですか?」

「そうですね。しかし、ほとんど影響は受けません。例え影響を受けていても微弱です。先ほど言った通りプログラムの力の働いた電波の影響を直接的に受けるのは、その通信機器の持ち主などのように通信機器を常に携帯している人や、その通信機器の近くにいる人間ですから。その状態の人とそうじゃない人との差は大きいんです。シッカリと影響を受けるのは白井さんのように常にケータイを持っていたりする場合です」

「だから僕には常に変化が起きているわけか」

「そうです。それに変化の力なら例え周りの人間に影響を与えても問題ないですし」

「言われてみればそうですね」

 修一は納得して頷いた。

「それに根っからの悪党には変化の力は働かないでしょうね」

「そうなんですか? 何故?」

「悪党に変化の力が働いても白井さんのように心は変わらないと思います。やはり根本的な性格がありますから。変化の力を受けてもなにも影響はないでしょう」

「それはそれでまた嫌な感じですね」

「仕方ありません、世の中には様々な人間が居ますから。だからこそ変化の力がどの程度働くかも人それぞれなんです。白井さんと如月彩には性格上、変化の力がベストに働いたんです」

「なるほど。確かに僕と同じで彩もそうでした」

 そのあと、修一の頭に疑問が浮かんだ。

「ん? でも、そういえば電波の範囲が狭いんなら、何故パイストス社の人間は僕のスマホから発する電波をキャッチ出来たんですか?」

「それは白井さんと如月彩がアドレスを交換するためにメールをしたからだと思います。メールをすることにより電波の範囲は一時的にでも広がるので、それでパイストス社は電波をキャッチ出来たんだと思います」

「そういうことだったのか……」

「運が悪かったのですね。多分ですがパイストス社は偶然に電波をキャッチしたんだと思いますから。そして次の日の新聞でその日その時間その場所での出来事を知って白井さんのことも知り得たってところですね」

「そうですか。なら、それまでの友達に対するメールとかは運良く出来てたんですね」

「白井さんの話を聞く限りあの場合は仕方ないですよ」

「そうですね」

「でも今は心配ありません。パイストス社の探知機で電波をキャッチ出来ないように私がプログラムをさらに改変し、電波の発する範囲が縮まるようにしましたから。だから、白井さんに新たに送った変化の力のあるアドレスをインストールした白井さんのスマホでメールをしても大丈夫です」

「はい」

 そう言ってから修一はハッとした。

「あっ、でも、刑務所にいる彩は今も電波の影響で変化の力を受けてるんですか? スマホは手元には無いわけだから、今の彩はどうなってるんだろう?」

「それは私にはわかりません。しかし手元にケータイが無くても刑務所の敷地内にはあるわけですから、もしかしたら電波は届いているかもしれません」

「もし電波が届いてなかったら……」

 修一は心配で堪らなくなった。

「もし電波が届いているのなら、電波の届くギリギリの範囲でしょう。やはり刑務所はどこも敷地が広いですから。受刑者の私物保管所と如月彩の距離が近ければ大丈夫かもしれません。それでも本当にギリギリ電波が届く範囲内ですが」

「そうですか。罪を償うのに変化の力がどうとか本当は彩のためにはならないのかも。でも今はまだ彩の気持ちが落ち着くまで変化の力を受けていて欲しい」

「そうですね、刑務所の生活は外で普通に暮らすのとはだいぶ違いますから、色々と精神面で大変でしょうしね」

「はい」

 修一は心から彩を想っている。シンドラーの話を聞いて不安になった。

「話はそれますが、白井さんがパイストス社の社員にアドレスを削除されて昔の自分に戻ったのは、アドレスを削除されたことでスマホからプログラムの力が消えたからです」

「そういうことですか」

「ええ。セキュリティソフト『パンドラ』をインストールする通信機器は特にメインとしてパソコンなどですが、そのパソコンの持ち主は大抵は常にパソコンを使用しているハズですから、その間は電波を常時受けています。どれくらいの時間パソコンを使用しているかは人それぞれですけど、プログラムの力により脳内麻薬の分泌に影響は出ます」

「僕の場合は心に変化、でも災いが心に起きたら」
 修一は目を閉じて深く深く考えた。自分の脳を頭の中でイメージし、脳内に働いているプログラムの力を考えた。しかし、常識の理解の範囲を越えたプログラムの力にもう疑いは無かった。そして修一は目を開けてから電話口で修一の言葉を待っているシンドラーに言う。

「全てを理解しました。プログラムの謎もパイストス社の計画も」

「話をわかってくれて良かったです」

「それで僕がやるべきことは計画を阻止すること」

「つまり、協力してくれるんですね?」

「はい。話を聞いてしまっては、さすがに黙っていられない」

「助かります。私一人ではとても計画を阻止出来ませんから」

「それで僕は具体的にコレからなにをすれば?」

「――そうですね」

 シンドラーは少しばかり案を巡らすために黙り込む。

「パイストス社の開発部のメインコンピューター内にある『パンドラ』のプログラムの全データを削除して、それとは別にデータディスクも破壊するとなると、やり方は限られてますよね?」

 修一が不安げに言った。

「ええ、やり方は限られてますね。その中でより効率的で直接的な方法がベストです」

「うーん……」

「それにパイストス社にはハッキングがバレているでしょうからコンピューターに侵入しプログラムを削除するのは難しいです」

「セキュリティを強化してるんですね?」

「ええ。それにハッキングに成功してコンピューター内のプログラムを削除出来たとしても、パイストス社にはデータディスクもありますから」

「そうなると、やっぱり……」

「やはりパイストス社に侵入する以外に方法は」

「危険は覚悟……ですね」

「そうですね。リスクは大きいですが、成功すれば確実に計画を阻止できます」

「やらないわけにはいかないですよね?」

 そこで修一は黙った。さっきは計画阻止のためにシンドラーに協力すると言ったが、話を聞いている中で恐怖感や不安感が生まれていた。

「白井さんの気持ちはわかります。しかし、今の話を聞いてなにもせずにいられますか? ただ黙って計画が実行される日まで大人しくしていられますか? 計画が実行されたあとに後悔せずにコレからの人生を生きて行けますか?」

「いえ、それは……」

 修一は内心戸惑っている。パイストス社の恐ろしい計画に対して心が濁っていた。

 それは濁り気のない池に石を投げ入れた時に、池の底に沈む泥が投げ入れられた石によって泥が散乱して水を濁すのと似ている感じだった。

「白井さん」

 シンドラーの切なる声が修一の耳から頭に伝った。

(自分を救ってくれたのはこのシンドラーと言うハッカー。もともと僕をパイストス社の計画を阻止するための仲間にするために僕にアドレスを送ったとはいえ、僕は救われた。感謝している。そして自分に起きた変化の逆である災いが起きたら、世の中は……)

 そこまで考えて修一の心に正義感が溢れだした。

「パイストス社の計画をなんとしても阻止しましょう!」

「助かります。私の目に狂いは無かった」

「それで、いつパイストス社に侵入するんですか?」

「スグには行動に移しません。計画実行までは、あと約三週間あります。余裕はありませんけど、焦りは禁物です」

「確かにそうですね」

「それにコチラのメンバーはまだ私と白井さんの二人だけ、とても現段階では失敗に終わるでしょう」

「言われてみればそうですね。ならどうしたら?」

「白井さんの周りにこの話を信じ、メンバーに加わってくれそうな人はいますか?」

 それを聞いて修一は戸惑う。

「いや……はぁ……」

 修一は友達を巻き込みたくはなかった。廃墟ビル跡の件から無事にことは運ばないのはわかる。それに今回はコチラからパイストス社と対峙するうえ、計画の阻止が目的とわかれば容赦はないだろう。

「出来るなら友達は巻き込みたくないんです」

「気持ちはわかります。しかし、計画が実行されれば白井さんの友達も被害に合う可能性は大きい」

 修一の頭の中での葛藤は今まで以上に強かった。

 正義、友情、それらは本来は良い言葉だが、今は修一を苦しめた。しかし選ぶべき選択肢の答えはためらいながらも決まった。

「そうですね。個人個人を救うのも大事ですけど、時には全体を救わないといけない場面もありますね」

「ええ。私も同じ考えです」

「ですが、僕は友達に無理に頼みません。あくまでも話をするだけです」

「まずはメンバー集めです。そこから始めましょう」

「はい」

「あと出来ればパソコンなどコンピューターに詳しい人が居れば助かるんですが」

「それはシンドラーさんがいるじゃないですか?」

「いえ、私以外にもう一人居てくれれば戦力として助かるんです」

「確かにそうですね。わかりました。友達ではないんですけど一人心当たりがあるので話しだけでもしてみます」

「是非とも、お願いします」

「ところでメンバーが集まってもそのあとはどうするんですか?」

「それは今は考え中です。ですが、先ほども言いましたが計画を阻止するための方法はパイストス社に侵入しかありません」

「わかりました」

「パイストス社に侵入する方法とコンピューター内のプログラムの削除、データディスクの破壊のための手順は私が考えておきます」

「侵入するのは大体いつ頃になるんですか?」

「それも今は考え中です。まずはメンバーが集まらなくてはならないので今はなんとも言えませんから」

「そうですね。なら僕が今出来ることはメンバー集めのためにこの話を友達にすることだけですね」

「ええ。白井さんの友達を巻き込みたくない気持ちは察しますがお願いします」

「はい」

「助かり……」

 そう言ってシンドラーは言葉を切った。

「ん? どうしたんですか?」

「いえ、チラッと時計を見たらこんな時間だなと思ったもので」

 それを聞いて修一も時計を見た。時刻は深夜二時になっていた。

「結構話してたんですね」

「ええ、大事かつ重要な内容でしたから、時間も忘れます」

 時間を知った途端に眠気が襲ってきて、修一はアクビをした。

「寝る時間ですね。今日は白井さんにこの話を信じ、理解してもらえて良かったです」

「ああ、いえいえ。こちらこそ知りたかったプログラムの謎を知れて良かった。恐ろしい計画も知ってしまいましたけど、知らなくても大丈夫なことじゃ決してありませんから」

「ええ、白井さんの言う通りです。それではまた私の方から連絡します。その時に計画阻止のための全容を説明しますから」

「はい、わかりました」

「それでは」

「あっ、ちょっと待ってください!」

「はい、なんですか?」

「メンバーが集まったらどうやってシンドラーさんに伝えたら?」

「ああ、すいません。そのことを忘れていました。それではメンバーが集まったら『チャネラー』と言うサイトの掲示板に書き込みをお願いします」

「書き込みですか? なんて書けば?」

「そうですね。それでは『駒は揃った』と書き込んで下さい。それを見て確認しますから」

「わかりました」

「それでは」

「あっ、ちょっと訊きたいんですけど!」

 電話を切ろうとしたシンドラーにまた修一は言った。

「はい、なんですか?」

「あの、シンドラーさんはハッカーだからプログラムのことは詳しいのはわかるんですけど、脳内麻薬とかの知識とかも長けてるんですね」

「ええ。私はある程度は人並みには読書をしたりするので人間の脳の構造や脳内麻薬関連の本を読んだことがあるんですよ。その知識があったからこそプログラムを読み解いて、どんな力があるのかが理解出来たんです」

「なるほど。そうだったんですか」

「ええ。それでは」

「はい」

 そして電話は切れ、それから修一はベッドに仰向けになった。

 目を閉じる中でさっきのシンドラーとの会話を思い出しながら眠りにつこうとしたが、不安や戸惑いは残っていて気分は落ち着かなかった。

 しかし、修一の心はもう決まっている。

(やるしかないな)



 電話を終えたシンドラーはコーヒーをすすりながら考えていた。

(さて、これからどうするか……)

 それから思案を巡らし、コーヒーを一気に飲み干してからパソコンの電源を入れた。
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