パンドラ

猫の手

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三章

【プログラム-4】

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 ――夕方の五時。

「お疲れ様でした。お先に失礼します……」

 修一が言った。

「お疲れ様、修一君」

「お疲れ様、白井君」

 福井と店長が返す。

 そして修一はコンビニを出た。バイトが終わり、昼間よりも重い足取りで歩く。仕事疲れも相まって気分が重くなる。

(さて、図書館に行くか……)

 修一は帰っても特にすることも無いので、バイトが終わったら帰って読書をしようと考えていた。図書館はバイト先からそんなに遠くなく幸草町にある。

 修一は消え入りそうな秋の終わりの夕焼けの空を見上げながら軽く吹く西風に背中を押され歩いていく。



 大月市の公道を一人の男と二人のオカマを乗せた車が走っている。

「村野さん、見て見てこんなに買い物したわ」

「ピアスとネックレスと洋服も買ったわぁ。あと、新発売の髭剃りもよぉ」

 オカマ達はトランクに入りきらなかった買い物袋を車内で村野に見せていた。

「お前らちょっと運転の邪魔だぜ! お前らの買った物に興味ねぇよ!」

 そう言って村野はハンドルを切りながら緩やかなカーブを曲がっていく。

「ヒッドーイ! 高い買い物だったのよ!」

「そうよぉ! そうよぉ!」

「わかったから大人しくしてろよ!」

 村野はヤレヤレといった顔で運転を続ける。

(たく、参るぜ……)

 そうした中で車は福原市に入り、辺りがひらけた道に出た。そのまま車は走り続ける。村野は夕焼けが照らす中でフロントガラス越しに遠くを見ていた。

(修一は本当にどうしちまったんだろう?)

 遠くを見ている村野にオカマ達は言う。

「どうしたの村野さん? なにか考えごとかしら?」

「なにか寂しそうな顔してるわぁ」

「ああ、修一はどうしちまったんだろうってな」

「そうよねぇ。修一さんはあの日にいきなり変わっちゃったし」

「辛いことがあって変わったんだったにしても変わり方がおかしかったわよねぇ」

「まぁ、なにが原因かはわかんないけどよ、辛いことはあったんだろうな」

 車内には暗い空気が漂った。そこでオカマ達が思い出したように村野に尋ねる。

「そういえば前から村野さんに訊こうと思ってたんだけど、村野さんと修一さんはまだ知り合ってからそんなに長くないわよね?」

「そうだわぁ、どうやって知り合ったのぉ? 修一ちゃんの話も聞きたいわぁ」

 村野は少し考えてからオカマ達に言った。

「まぁ、あんまり知られたくねぇ俺の話も絡んでくるからな、過去の話とかよ。でも、知りたいなら教えてやるけどよ」

 アクセルを少し緩めスピードを落としてから村野は話を始めた。

 村野と修一の出会いは今から二ヶ月ほど前、修一がアドレスを手に入れた時期。

 建築業をしている村野はその日の仕事を終え、明日の段取りをしながら額の汗を首に掛けたタオルで拭いていた。

 トラックの荷台に添え木とブルーシート、そして小型クレーン車で資材を吊り上げるために使う帯や番線、ロープなども積み込み荷台のあおりを閉め明日の準備を終えた。

「よし、終わりだ」

「おう、お疲れさん!」

 職場の先輩が村野に声を掛けた。

「お疲れ様です! それじゃ、お先に失礼します!」

 村野は挨拶を済ませ自分の車に乗り会社をあとにした。仕事終わりは自宅に帰る途中にあるコンビニに立ち寄り夕飯を買って帰るのがいつもの流れだ。少しして今日もそのコンビニに着き村野は店内に入った。

「いらっしゃいませ!」

 店内からは元気の良い挨拶が聞こえる。村野はまず雑誌を立ち読みし、酒と弁当を持ちレジに向かった。

「ありがとうございます!」

 店員は慣れたように商品をスキャンし弁当をレンジで温める。村野はその店員を見ながら少し違和感を感じていた。コンビニを出る時に村野は振り返り店員を見て思った。

(あの店員ってあんな感じだったか……?)

 村野はレジで次の客の商品をレジ打ちする修一を見て頭の中で呟いた。

 次の日もいつも通りコンビニに立ち寄った。

 村野が漫画雑誌を立ち読みしていると、そこに修一が商品の整理をしに来た。

「失礼します!」

 そう言い修一は雑誌を整理し始める。

 村野は昨日に感じた違和感がまた頭に浮かんできた。それは修一の姿勢と表情が今までと違うからだった。村野は修一がこのコンビニで働く前からの常連で、店員としての修一を前から知っていた。覇気も無く無愛想で友達なんかいない頃の修一だ。しかし、今自分の横で仕事をこなしている修一はだいぶ違う。

(コイツはなんか良いことでもあったのか?)

 村野は読んでいた雑誌を棚に戻して酒と弁当を買いコンビニを出た。

 そして次の日もコンビニに立ち寄る。店内では修一が床掃除をしている。村野はモップで床を拭く修一の横を通り、また雑誌を立ち読みし始める。村野は時々、修一を見ては観察していた。男に興味があるわけでは決してないが、修一の変わりようを意識してしまう。

 数分後、立ち読みを止め、いつもの酒と弁当を持ちレジに行く。

「ありがとうございます!」

 修一が愛想の良い表情でレジを打つ。それを見て村野は三日目にして遂に修一に話し掛けた。

「あんたさ、最近なんか元気が良いよな」

「え、そうですか?」

 修一は話し掛けられレジでの作業を止め言った。

「ああ、変わったよな。良いことでもあったのかよ?」

「いや、まぁ、ハハ」

「俺この店の常連だからよ、一応あんたのことを知ってるから気付いたってだけだけどな」

「前の僕は自分でもちょっとなって思いますけどね」

 修一は頭を掻きながら言った。

「ハハハ。なんだそりゃ、自分のことだろ」

 村野は笑う。

「とりあえず色々と変わる出来事があったんですよ」

「へえ、良い女でも出来たか?」

「違いますよ。とりあえず色々と。ん?」

 修一は村野の後ろで客が並んでいるのに気付きレジ打ちを再開した。

「おっと悪い」

 それに気付き村野は修一に言った。

「ありがとうございました!」

 レジを素早く終え修一は村野に元気良く言った。レジが終わり村野はコンビニの外に出てから思った。

(結構おもしろい奴だな。案外、仲良くなれそうだぜ)

 車を走らせ村野は帰った。

 再び修一にあったのはコンビニではなかった。県外に出張に行っていた村野は数日間、修一の働くコンビニには行っていなかった。
 
 その日は出張帰りで仕事は昼間に終わり、暇なので七瀬川沿いを歩いていた。雲を見ながらアクビをして歩いていた村野は顔を下げ視線を川沿いに向ける。その時、村野の目に十数メートル先からコチラに向かって歩いてくる男が目に入る。その男はイヤホンで音楽を聴きながら音の世界に入り込み歩いている。村野はその男に声を掛けた。

「おい! コンビニの店員!」

 修一はハッとして顔を向ける。

「あれ、いつものお客さん」

「おう。お前こんなところでなにしてんだ?」

「今日はバイト休みだから散歩かな」

「散歩かよ……」

「はい」

「お前、いくつだよ?」

「二十一です」

「なんだ。俺と同じじゃねぇか。俺と同じ若者が散歩って……」

「ハハハ」

「でも、てっきり僕はだいぶ上だと」

「どういう意味だ!」

 修一を睨む。

「いやいや、冗談です」

「まぁ、なんでもいいけどよ」

「そういえばお客さんこそ、ここでなにしてるんですか?」

「俺は暇だったから外をブラブラだ」

「それって僕と同じで暇だから散歩してたんじゃ?」

「まぁな。ところでお前の名前なんて言うんだよ? 俺は村野琢磨ってんだ」

「僕は白井です。白井修一です」

 二人は自己紹介を会話の流れの中で済ませた。

 それから二人は男同士の会話で盛り上がっていた。

「なに! お前って童貞なのか?」

 村野は驚き声を上げた。

「声がデカイよ!」

 修一は焦りながら言った。

「ハハハ! マジかよ! 二十歳越えてんのによ」
「笑うなよ」

「ハハハ、悪い」

 村野は笑い続ける。

「まったく……」

 修一は項垂れた。

 自己紹介を済ませた二人は仲良くなり、客と店員の間は埋まっていた。

 先程から村野は修一に色々と質問をしていた。

「お前さ、なんか趣味あんの?」

「趣味か……一応、読書かな」

「これまた暗い! だから彼女が出来ないんだぜ!」

 村野はハッキリと言ってのけた。

「好きなんだから仕方ないよ。村野はなにか趣味あるの?」

「無いな」

「なんだよそれ」

「俺は仕事が趣味みたいなもんだな」

「仕事はなにやってるの?」

「建築業だぜ」

「そうなんだ。でも良いよね。仕事にやりがいを持てるなんて」

「羨ましいだろ」

 村野は自慢気に言った。

「うん。僕は読書以外に趣味ってなにもないし、仕事もあまり好きじゃないな」

「でも、最近のお前は仕事頑張ってるじゃねぇか」

「仕事だから一応ね」

「まぁ、大抵はみんなそんなもんだよな」

 村野は頷いた。

 二人がそんな会話を続けている中で村野はずっと気になっていたことを修一に訊いた。

「そういや前も訊いたけどよ、お前ってなんか変わったよな」

「そうだね。確かに変わったよ」

「前にお前が言ってたけど、変われる出来事があったってなにがあったんだ?」

「言ってもこればかりは耳を疑うかも」

「なんだそりゃ?」

「でも、本当に話しても信じられないと思うから」

 修一は村野の目を見ながら言った。

「まぁ、いいけどよ。とりあえず嬉しいことがあったんだな。心が変わるようなことがよ」

「うん。その通りだよ」

 修一は目を開き言った。

「いいよな……」

 村野は呟いた。

「え?」

「心が変わるような出来事があって羨ましいぜ」

「うん、まぁね……」

「俺も変わって楽になりたいよ。まぁ、今さら心が変わっても過去からは逃げられないけどよ」

 そう言って村野は哀しい顔で遠くを見る。

「村野も過去の自分になにか抱えてるんだ?」

「まぁな……」

「僕もだよ。過去の自分に嫌気がさすよ」

「まぁ、俺の場合は過去に起きた出来事に嫌気がさすな。そしてそんなことをした自分にもな」

 そう言って村野は深いため息を吐いた。

「なにがあったの? でも話したくないなら無理に話さなくていいから」

「聞きたいなら話してやるよ。どうせ仲良くなって短時間の仲だしな。話を聞いてどう思われても俺は気にしないぜ」

 村野は修一を見て言った。

「うん……」

 修一は少し寂しい気持ちになった。

「さっき趣味が無いって言ったけどよ、昔は趣味があったんだ。仕事じゃなくてな」

「なに、趣味って?」

「ケンカだよ」

「――そうなんだ」

「それが原因で過去に許されねぇことをしちまったんだ」

 二人は近くにあったベンチに座った。そして修一に顔を向け自分の過去を話し始めた。

「今から三年前の話なんだけどよ。十八の俺は毎日ケンカばっかしてて結構ヤンチャでな」

「そんな感じするかも」

「お前はハッキリしてるな」

「ごめん、ごめん」

「それでよ……」

 村野は一息ついた。そして続けた。

「俺はあの日学校をサボって橋の下で昼寝してたんだよ。そしたら他の高校の不良どもが二人来て、まぁ、絡まれてからなんやかんやでケンカが始まってやりあったよ」

「災難だね」

「いや、本当に災難だったのは奴らの方だった」

「そうなの?」

「ああ、二人でも俺の相手になんなかったからな」

「確かに村野は強そうだよね」

 修一は村野のガタイの良い体を見て言った。

「でも一人をダウンさせて、もう一人とやりあってる時に悲劇が起きてよ」

「悲劇……?」

「相手が突進してきたんで俺は本気で蹴りを入れたんだ。そしたらそいつは後ろにぶっ飛んでさ……」

 修一は村野がその先を言うのが辛いのだと悟った。

 村野は下を向いたまま言った。

「地面に後頭部を思いっきりぶつけて動かなくなったんだ……」

 それを聞いた修一は驚きを隠せなかった。

 長い沈黙があり、修一が先に口を開いた。

「それでどうしたの?」

「救急車呼んで病院に連れてったさ」

「どうなったの? 死んだの?」

 修一は唐突に訊いた。

「いや、生きてるよ」

「なんだ、僕はてっきり村野が……」

 修一はそこで言葉を切った。

「殺したと思ったか?」

「うん。ごめん」

「さすがに殺人者じゃねぇよ。でも、人殺しには変わりねぇのかもしれねぇな」

 そう言って村野は目をつぶり首を横に振った。罪悪感から胸が押し潰されそうな気持ちを振り払うかのように。

「人殺しには変わりがない?」

「ああ、そいつは今も意識を取り戻してないんだ。三年が経った今でもよ」

「それって……」

「植物人間になっちまった。医者の話じゃ、もう意識を取り戻すことはないみたいだ。全て俺のせいだ」

 村野は消え入りそうな声で言った。

 なにも言えず修一は黙っていた。

 また長い沈黙があり修一は道行く通行人の足音や鳥の鳴き声に耳を傾けて重い空気をまぎらわしていた。少ししてから次は先に村野が口を開いた。

「不幸な事故ってことで処理されて俺は刑務所送りにはならなかった。相手にも原因はあったし」

「うん……」

「そして、そいつの家族に会ったんだ」

 村野は少し間を置いてから続けた。

「物凄く責められた。当たり前だ俺の責任なんだからな。でもそれは耐えられたけどよ、そいつの母親が息子の寝ているベッドの横で泣き崩れてるのを見たら俺はもう……」

「村野、もういいよ……もう話さなくて」

 修一は村野の肩に手を置く。村野は立ち上がった。

「まぁ、それで俺は変わろうと思ったよ。あんなことをした自分を許せねぇからな」

「でも事故だったんだし、そんなに自分を責めることないよ。気持ちは察するけどさ」

「いいんだ。それでも償って生きていくんだ。だからまずはケンカを趣味にしてた自分を変えてケンカはやめたんだ」

「そっか」

「だけど、大切な人間を守るためなら俺は闘うぜ。ケンカはやめたけど友達とかがやられてんのを黙って見てらんねぇからな」

 村野は拳を握り締め言った。

 修一は村野に対して一切の嫌悪感は抱いていなかった。村野は過去に許されないことをしたかもしれないが、修一は目の前にいる村野を見て純粋にこんな友達が欲しいと思っていた。

「そんな過去があったんだね」

「ああ、だからお前みたいに変わって過去の苦しみから解放されたいぜ。でもそれは被害者達にとっては許せねぇから俺はずっと償って生きていく。苦しむのは俺の義務だからな」

 過去を受け止め自分と向き合っている村野に修一は自分の情けなさを感じた。アドレスの変化が無かったら自分はこれからも過去の自分と現在の自分、そして将来の自分と向き合うことも無く、ずっと自分自身に嫌気がさしながら生きていくんだなと思った。

「村野は偉いね」

「そんなことはねぇよ」

 村野は首を振った。

「いや偉いよ。自分の力だけで前向きに頑張って生きてる」

「お前も最近は前向きに見えるけどな」

「僕の方こそそんなことないよ。誰かの助けがあったから変われたんだから」

「だから変わった理由ってなんなんだよ? 気になるぜ」

「さっきも言ったけど……」

「ヘイヘイ、言っても耳を疑うだけだっけ? わかったよ、無理には訊かないぜ」

「うん。あと村野は僕と違ってそれは必要ないみたいだしね」

「よくわかんね」

 村野は不満げに言った。そして村野は少し考えてから言う。

「お前も過去になにかあったのか? 話は聞くぜ」
「僕も確かに過去に後悔はあるけど、村野みたいな事情とは違うんだ。僕は過去の自分の心と人生に後悔してる。色々と無駄にして生きてきたなって」

 修一の表情には後悔の念が浮き出ていた。

「とりあえず話してみろよ」

 修一の心の内を察した村野は言った。そして修一は話を始めた。

 今までの自分自身のこと。毎日の苦しみ。青春を楽しく過ごせなかったことに対する悔やみ。友達など一人も居なかったこと。今までの人生を昔話のように修一は語った。

 話を聞き終わり村野は口を開く。

「そうか……そんな人生だったんだな」

 修一は頷いた。

「苦しみの形は違うけど、みんな色々あるんだな」

「そうだね」

「お前、今まで友達が一人も居なかったって言ったよな?」

「まぁ……ね」

「だったら、俺とお前は友達でいいな」

 それを聞いて修一は村野を見る。

「本当に? それなら喜んでよろしくだよ」

「よし決まりだ」

 村野はそう言って修一の前に手を差し出した。

 修一は高まる感情のままに村野の手を握り握手を交わす。友達が出来た瞬間だった。

「そんじゃ、どっかに飯でも食いに行こうぜ修一」

 それを聞いて修一はなにも答えなかった。空を見上げるその瞳が滲み景色がぼやけた。修一の目からは涙が流れ落ちていた。
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