パンドラ

猫の手

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一章

【変化-3】

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「どう? 少しは落ち着いた?」

 修一は穏やかに訊いた。

「ええ、少しは楽になったわ。だけど心は晴れないわ……」

 そう言った彩の顔は、修一に助けを求めてるような悲しい表情だった。

「さっきも言ったけど、事情を話してもらえない? 話せる範囲で構わないよ」

 彩は少し間をおいてから言う。

「教えたところで意味無いけど、そんなに知りたいなら教えてあげるわ」

 彩は下を向き、そっと静かに口を開いた。

「私……犯罪者なの……」

 それを聞いた修一は耳を疑った。

「どうして? 悪いことしたの?」

「したから犯罪者なんじゃない」

 修一は恋愛や友人関係、仕事などで悩んでの行動だと思っていたため正直驚いた。

 どんな罪を犯したのかはあえて訊かなかった。

「でも罪を犯しても人生はやり直し出来るし、罪を償ってからなんとか頑張って生きてれば良いことあるよ」

「警察に自首して捕まるのは嫌だもの。それに先のことを考える余裕なんか今の私にはないわ……」

「えっ? 警察は彩のことを知らないの?」

 修一の頭に疑問がよぎった。

「知らないわ。でも、明日になったらわかるの。遺書も書いて私の部屋に置いてあるわ。それを見たら家族にも友達にも知られる。そうしたら本当の意味で私の居場所は無くなるわ。もう嫌なのよ、この廃墟ビルの前を通る度に心が痛むの。それなのに警察に自首して罪を償わない自分も嫌……」

 このビルが関係してることから、修一は彩がなにをしたのか見当がついた。

 修一の考えがまとまると同時に彩は言った。

「私、半年前にこのビルに火を付けたの。それにこのビルの会社で私は働いていたのよ……」

 彩は声を詰まらせたが話を続けた。

「仕事や人間関係とかでストレスが溜まってたのね。なんでもいいからストレスを発散させたかったのよ。悪いことだってわかってても犯罪を犯す人間て恐ろしい生き物よね。ケガ人が出なかったのはホッとしたわ。だけど、会社は当然潰れて従業員もみんな仕事を失って、たくさんの人間に迷惑かけたわ。そんな、罪悪感のズッシリ乗っかったままの生活にもう……」

 彩の目からは涙が流れ落ちる。頬を伝いポツリ、ポツリと。

「彩……」

「今になって考えると、どうしてあんなことをしたのかわからないわ。自分でも未だに信じられない」

「きっと、そんなことをしちゃうだけの原因があるんだよ。ストレスとかさ」

「あの時の私はおかしかったのよ……」

 彩の目からはさらに涙が溢れ、それを見た修一の心から切なさが溢れた。

(彩はきっと今まで後悔していたんだ。そして、過去の過ちの罪悪感から逃げたくなってこんな行動をとったんだ。苦しみの形は違っても僕もあのまま変わらない毎日を送っていたら、もうこの世にはいなかったかもな。あの朝、僕に一件のメールが届かなかったらきっと……)

 修一は込み上げる気持ちのままに声に出し言う。

「ねぇ、僕に彩のスマホのアドレスを教えてくれない? こんな時に話しそらして悪いんだけど」

「いきなりなに? 聞いてどうするのよ?」

 彩は涙を一度拭ってから、意味がわからないといった表情をして言った。

「彩とアドレスを交換したいんだよ。お互いにアドレスを知ってればこれから先お互いに連絡とれるし、彩が罪を償って刑務所から出所した後もメール出来るからね。もし、アドレスを交換してくれたら僕は絶対にアドレスを変えないし、必ず刑務所から出てきた彩にメールを送るよ。約束する!」

 彩は不思議そうに修一を見ながら言う。

「どうして優しくするの? 私、放火犯よ。最低なことをして罪も償わないで現実からあの世に逃げようとしてるのよ。誰かに優しくされる資格なんかないわ」

 そう言って彩はまた泣き出した。

「逃げてなんかないよ。まだ生きてる。そして僕は彩を救ってあげられる。罪を犯した現実は変えられない。でも、彩の心を変えてあげられる。そしたら彩の心はきっと晴れ渡るよ。それに、優しくされるのに資格は必要ないんだよ」

 彩は泣きじゃくっていた。今までの苦しみが溢れだし目から雨のように流れ落ちる。

「僕は犯罪を犯したことは無いけど、彩の苦しみとは違う形の苦しみに毎日さいなまれてた。普通の家庭で育てられたし、一人っ子ってこともあって可愛がられて育てられたとは思う。だけど、僕は小さい頃から人付き合いが苦手でさ。気が弱いし、極度の人見知りで周りの人間と上手くいかなくてね。そのせいで友達も出来なかったよ。ストレスからなのか、みんなが自分を嫌ってるって、周りがすべて敵だとさえ思えてきて。まぁ、被害妄想ってやつだよ」

 彩は泣き続けながら黙って聞いている。

 修一は一拍置いてから続けた。

「でも全部、自分が弱いからだって、そんなことはわかってた。わかってるけど変えられない自分が嫌いで仕方なかった。変えようと行動して頑張れば頑張るほど、変わるために考えれば考えるほど、心は曇り暗闇に包まれてさ。毎日死にたくて、まるで今の彩みたいに現実から逃げたいってずっと思って生きてた」

 修一は少し興奮気味に話す自分に気がついて一息つき、それからさらに続けた。

「だけど、二ヶ月ほど前のあの朝、起きてスマホを見たら『SMS』でのメールが一件来てたんだ。いつもは誰からも一件も来ないのに。何故か送信者が不明だったけど、その一件のメールで僕は変われた」

 彩は泣きやみ、気になったように訊いてきた。

「そのメールの内容はなんだったの? あんたを変えるような内容なの? 人がそんな簡単に変われたら苦労しないわ!」

「彩は変わるってどういうことだと思う? 整形でもして顔を変えること? ダイエットしてスタイルが変わること? 髪形変えてイメチェンすること? 勉強して頭良くなること? 死んで生まれ変わること? 違う、本当の変わるってことは心を変えることさ。僕はその時のメールで変われた」

「だから、そのメールの内容はなんだったのよ?」

 修一は少しの間をとってからメールの内容の通りに話した。

「このアドレスを君に教える。この特殊なアドレスは共有して使うことも出来る。しかし、他の者に教え共有する場合には当然アドレスの一文字を変更すること。そして、君のスマホのアドレスをこのアドレスに変更すれば、スマホは持ち主である君の心に変化を与える」

 彩は意味がわからないといった表情をしている。

「僕は最初くだらないって思った。でも、変化って言葉に僕は反応した。毎日になにも変化を見いだせずに過ごしてきたから、その言葉に興味が湧いて僕はメールの内容通りにしたんだ。人間って人生が嫌でつまらないと信じられないようなことやバカバカしいって思うことにでも興味を持つものさ。くだらないと思えるメールの内容にでも。そして僕はメールの内容通りにした」

 急かすように彩は問いかける。

「それでそのアドレスに変更してどうなったのよ?」

「変わったよ、僕の心は。曇ったままの心に日が射して晴れ渡ったんだ。人生が変わったってやつさ」

 彩は疑わしさと怒りに満ちた目で修一を見据えて言い放った。

「さっきからなにを言ってるの! アドレス? 変化? バカみたいな妄想もいい加減にしてよ! 最初はあんたにも辛い過去があったんだなって、共感して聞いてたのにいきなり嘘話に変わってガッカリしたわ。私をバカにしないでよ!」

「嘘じゃないよ! 本当だよ!」

 彩が信じられないのも無理はなかった。たとえ彩がなにかにすがりたい気持ちだったとしても無理な話だった。

「自分でも信じられないよ。物語の世界じゃあるまいし、ここは現実だって何度も確認したさ。だけど、起きたことは現実で確かな事実。そしてこの心の変化が自分自信に証明してくれた」

 それでも彩は信じないだろうと思ったが修一は続けた。

「不思議なアドレスだよ。まさに摩訶不思議だ。最初はなにも感じなかったけど数秒してから頭に変な感覚があったんだ。頭蓋骨の中で脳がフワフワ浮くような麻薬にも似た感覚が。そしてスマホをずっと見てたら徐々に僕の中でなにかが起きた。まるで僕の心がそのまま反映されたように頭の中で今までの自分の悩み、苦しみが文章のように浮かんできた。僕は自分の心を覗いた気分だったよ。そしたら少しずつ心に日が射して暗闇が消えてったんだ。いつの間にか涙が溢れだしてた。きっと全ての重たい荷が下りたんだと思う」

 修一の目が潤んでるのを見て彩は信じ始めたようだった。

「そんな……」

「最初はこのことを話す気は無かったんだ。きっと耳を疑うだろうと思ったし、こんな話は信じないだろうと思った。けど話さないと彩を説得出来ないから仕方なく話したんだ」

 彩は信じ理解し、その目に疑いの色はなかった。

「私の苦しみはどんな感じに文章になるのかな? こんな私も変われるかな?」

「変われるよ、彩ならきっと! だから下りてきなよ。そんな逃げ道のゴールギリギリにいないでさ!」

 彩は乗り越えた手すりから屋上に戻り、修一に向かって一度微笑んでから階段に向かって歩いて行った。
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