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十八章 星巫
しおりを挟む思い切り頭を殴打された男が後ろに倒れ込む。
彼の前に立っているのは、鉄のような拳を叩き込んだ銀髪の美丈夫だ。
白昼堂々人を殴り倒した银义は、皇城内の物置小屋に男を引き摺り込む。そして、彼の隊服を引き剥がした。
ものの数秒で禁軍兵になりすました彼は、持ち込んだ染料で念入りに髪を黒く染める。
特定されない程度に見目を変えた银义は、庭に出て堂々と警備中のように歩き出した。
永月楼へ行った日から五日──今日、朱丽様が敖暁明と共に皇城に入る。
謀が上手くいくよう、俺が誘導しなければならない。
その為に、朱丽様よりも先に皇城へ入り込んだ。
银义は暫くの間歩き、辿り着いた太子府の裏側に周ると、門を足場に高い屋根へ飛び乗った。
普通であれば有り得ない、岁族らしい身体能力を持つ彼は、軽々と屋根瓦に着地する。
そのまま身を屈め中庭の方へ向かうと、廊下に面している部屋から男が退室したのが見えた。
それは、第二皇子の敖煜光だ。
银义は野生的な嗅覚で何かを感じ取り、より人の気配がする方へ走り出した。
筋肉質な肉体に反し足音一つ立てない彼は、走り出してから三つ目の屋根で足を止める。
そこから少し先の廊下には、男が二人立っていた。
一人は悪名高き太子、敖化阳。そしてもう一人は、目隠しをしている見知らぬ男だった。
艶やかな白と黒の髪が、壁に押し付けられている。
その男は背が高いが線は細く、恐らく武官ではない。服装から察するに、身分は六省どころではないだろう。
银义は軽く推測をしながら二人を盗み見ていると、敖化阳の声が響いた。
「──まあいい。遅かれ早かれ、お前は孤の物になる」
敖化阳の指が細い顎を荒々しく掴み、無理矢理引き寄せた。
しかし目隠しをした男は少しも動揺せず、感情のない声で冷たく答える。
「相変わらず太子殿下は好色であられる。私の為すべきことは、そのようなことではありません」
「いや、美しい物を愛でるのは天子の務めだ。孤が継いだ暁には、お前を剝いで龍牀に縛りつけてやろう」
不遜に鼻を鳴らし、投げるように男の顎を離した敖化阳が去って行く。
银义は冷めた目でその背中を見送り、屋根から外庭の方へ飛び降りた。
が、突然掛けられた声に琥珀の瞳孔が開いた。
「そこの……禁軍の方」
どうして気づいて──殺すか?
いや、まだ駄目だ。
银义は、咄嗟に頭の中に浮かんだ案を否定して、己を諌める。
文臣を処理するなど一瞬のことだが、ここで殺すと足がつく可能性が高い。
まだ禁軍と思われているのであれば、殺さずに済む場合もある。
兎に角、朱丽様のご予定を狂わせてはいけない。これが一番、やってはいけぬことだからだ。
瞬時に結論を出した银义は門を通り、中庭を抜けると目隠しをしている男の足元に跪き、叩頭した。
「申し訳ありません。盗み聞きをするつもりは──」
しかし、欄干を超えた白い指が银义の額を軽く抑え、顔を上げさせる。
驚いた彼はつい、されるがままになってしまった。
「いえ。寧ろ人目のつくところであのような話をする方が間違いです。それよりも、少し私を助けてくれませんか」
予想外の言葉に、危うく鸚鵡返しをしそうだ。
银义はなんとか、声を絞り出した。
「……も、ちろんです」
「私の黒猫が逃げてしまったのです。御花園の側にある井戸の近くに居ますから、捕まえてください」
──なぜ場所までわかっているのに、すぐに行かなかったのか。
そんな疑問を感じ取ったのか、目隠しをしている男は表情を変えぬまま答えた。
「私はこのような目ですから。もし捕まえることができたら、猫を帝師府までお送りください。お礼をさせていただきます」
それでは、と敖化阳とは反対の方へ歩いて行った男を見送り、银义は溢れそうになる思考を抑え込んだ。
まさか、あれがこの国の帝師──胡星!
彼は今まで一度も公の場に姿を現していない。
現していないというより、彼の容姿を窺い知ることは三年間で一度も叶わなかったのだ。
勿論、帝師である彼が上朝する時はあった。
しかし、胡星は人前では常に頭から足首までをすっかり布で覆っていて、目元すら出ていなかった。
それがまさかあのような男だったとは。
……このことは一度、朱丽様に報告するべきだろう。
早く為すべきことを終わらせ、合流しなければ。
・・・
「──帝師は何を話していたのだ」
長い廊下の中心で。敖煜光は向かいから歩いて来た胡星に話しかけた。
彼は敖煜光を一瞥もせずに、口を開く。
「……私の猫が逃げ出してしまいましたので、その捕獲を」
「そのようなことか。言ってくれれば、代わりの猫などいくらでも贈るというのに」
胡星がその言葉に何も返答せずにいると、敖煜光の指が伸ばされる。
しゅるりと解けた布が、引き抜かれた。
胡星が身をかわすよりも先に、目隠しが敖煜光によって奪われてしまう。
突然明るくなった視界に、胡星は顔を顰めずにいられなかった。
そして顕になったのは、星が描かれたような乳白色の瞳──星巫の一族の、証。
敖煜光は歪な笑みを浮かべ、美しい男の耳元で囁いた。
「私は貴方が望むなら、何でも贈ろう。貴方に星巫の力がある限り」
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