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十三章 真名
しおりを挟む「──仕方がない、簡単に話してやろう。随分昔のことだ」
朱丽は敖暁明と契約した後、彼の舌を解放した。
寝そべったまま濡れた手を差し出し、敖暁明に拭かせる。
気怠げな口調で、仕方なく、といった風に口を開いた。
「まだ王になる前のことだったからな。あの頃は本王も十四ぐらいだっただろう。その日は機嫌が悪くてな。森を抜けて中原近くの山まで散歩に行っていたのだ」
敖暁明は朱丽の手を布巾で拭ったまま、口を開けて、閉じる。
早速突っ込みたいところがあったが、彼はなんとか堪えた。
「どうして機嫌が悪かったの?」
「あの日は確か折檻されていたのでな」
途端、白い手を握る敖暁明の瞳孔が僅かに開いた。
沐浴を手伝った時、彼の背に広がっていた傷痕はまさか──
「先の話とも繋がっているが、一代に王の器は数人存在する。しかし、最終的には一人になるのだ」
察しのいい敖暁明は、すぐにその理由に気づく。
「……篩にかけられるから?」
「それに近しい。岁王は殺戮衝動を飼い慣らす必要がある。その為に、王の器となった一族の者は殺戮衝動にのまれる度、化石と呼ばれる立場の者に折檻された。鎖をかけられ、地下牢に閉じ込められ、鞭で打たれる」
朱丽の瞳は閉じられており、感情を読むことはできない。
彼の怠惰な体制を除けば、その姿はまるで人形のようだった。
もし本当に人形だったのなら、美しすぎるあまり所有権を巡って争いの火種となっていただろう。
そんな人が屈辱に晒されていたなど、敖暁明は思いもしなかった。
彼は黒目がちな杏眼を伏せ、小さな声で呟く。
「そして数人いた筈の王の器は淘汰されていく……」
「ああ。そなたが沐浴中に見た傷痕も、その時のものが多い。本王以外の者は皆、明けぬ暗闇の中で発狂していった」
敖暁明は寝そべる朱丽の背後に回り、肩甲骨の辺りに手を這わせた。
布越しに感じる温もりに安堵して、問いかける。
「……痛くない?」
「もう何ともないさ。まあそういうことで、その日も苛立っていてな。憂さ晴らしをしたかったのだ。すると山中で丁度、山賊に襲われている車があった」
「それが──」
「そなたの親族だった」
敖暁明の呼吸が僅かに深くなり、瞳は暗く沈む。
恐らく今の話からも、朱丽の性格からも予測するに、何人も居た山賊を再起不能な程潰したのだろう。
そして、私の親戚と知り合ってしまった……
中原の皇族は、碌でもないというのに。
「本王はその時、彼をただの裕福な公子だと思っていた。それに、同い年だったからな。愚かだった本王は中原の皇族だと気づかずに、友になったのだ。一つ弁明するとしたら、彼の名が偽名だったことだろう」
だから、朱丽はすぐに神器を取り戻せなかった……
敖暁明は、恥晒しなだけでなく恩人である朱丽にすら不誠実だった男と血が繋がっていることを考え、鬱屈とした気分になった。
本当に碌でもない一族だ。
「まあ気にしたことはない。本王も王となる直前で、真名を明かしていなかった。お互い様……」
その朱丽の言葉はあまりにも衝撃的だった。
ぽかん、とした敖暁明は驚きのあまり感情が抜け落ちてしまう。
無表情になった彼は、朱丽の細腰を掴み顔を覗き込んだ。
「朱丽って、本当の名じゃないの……⁈」
あまりの近さに一瞬驚いた朱丽だったが、気にすることでもないかと口を開く。
朱丽の息が、敖暁明の鼻頭をくすぐった。
「あ?ああ。だから本王にとっては、朱丽と呼ばれることも、王と呼ばれることも大して変わらん。朱丽という名は、王の名だからな」
「王の名……」
「初代の岁王は、女人だったと言われている。彼女の名が、朱丽だったのだ。岁王は、その立場と共に名を継ぐ」
「そう、なんだ」
「それで?そなたはいつまで本王と顔を近づけているつもりだ?これ以上寄っては睫毛が当たる」
新しく知る事実をなんとか飲み込んだ敖暁明は、やっと近過ぎる彼との距離に気づく。
しかし移動するつもりはさらさらなく、鬱陶しそうな朱丽に抱きつき、彼自身も横になった。
敷布に波を描く朱丽の髪と、敖暁明の髪が混ざり合う。
「もう面はつけなくていいの?」
「今更だろう」
そう、今更だ。
朱丽は全く自分のことを話さない。想像以上に秘密主義だ。
まさか名前も真名じゃなかったなんて。
でもそれすらも些細なことだと思ってしまう。既に私は魂を抜かれているから。
彼が言った通りに。
岁王の面の下を見てしまった私の魂は、あの時から囚われている。
「……やっぱり朱丽は綺麗だ」
「本王の素顔を見たのは今日が初めてだろう」
「ううん、ずっと前から知ってるよ」
朱丽は、寝言を言うなと、腰にまとわりつく手を叩いた。
敖暁明はめげずに落とされた手を、今度は朱丽の首元に伸ばす。彼の顎下から鎖骨までは、石がついた装飾品ですっかり覆われていた。
「てっきりこれも、面と一体化していると思ってた。だって、沐浴の時も取らなかったでしょ?」
「ああ……これは形見だからな」
その言葉が赤い部屋に落ちた途端、银义などとは比べ物にならない、肌が粟立つような焦りが敖暁明の心を蝕んだ。
それは、つまり。肌身離さず身につけている程──
「……誰の?」
敖暁明の声音が突然低くなり、潜められた感情を帯びる。
朱丽は彼の変化に首を傾げ、さあな、とはぐらかした。
「言ってもわからぬだろう」
敖暁明はじっと黙り込み、返答を避ける。
すると朱丽は、手を振り彼との距離を物理的に離した。
「まあいい。今日は話し過ぎた。そのついでに答えてやろう」
静寂の中に、呼気だけが残る。
「殺された人の物だ」
血に濡れた告白は、敖暁明の息を止めた。
「本王のこの手で」
──朱丽の美しい手は一体何を求めて、赤く染まっているのか。
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