5 / 19
五章 喜罰
しおりを挟む
敖暁明は今となっては見慣れた朱丽の部屋の、見慣れた床を見つめていた。
「言った筈だがなあ。岁族同士で抜剣するのは御法度だと」
「うッん、ごめんなさい……朱丽」
敖暁明は罰として四つん這いになり、椅子にされていた。
朱丽は不安定な椅子の臀部を叩き、卓上の遁甲盤を回す。青年の背に腰掛けたまま日課の占いを始めた。
敖暁明は背に乗る臀部の感触に、歯を食いしばった。
朱丽が足を組む度、押し付けられている臀部が形を変え、不埒な想像が思考を支配する。
敖暁明にとってこれは罰でも何でもなく、寧ろ興奮を煽るものとなっていた。欲情を堪えるという意味では、拷問のようなものだったが。
剣舞を教わった三年前から、私はこの人に懸想している。どうしようもなく──
「殴り合うのは構わん。だがそなたは戦闘民族である我らからすると弱過ぎる。下手にやると死ぬぞ」
敖暁明は反芻していた記憶から引き戻され、顔を上げた。
彼の薄い唇は、楽し気に弧を描いている。
「朱丽が武術を教えてくれてるのに?」
その言葉に、朱丽は遁甲盤から目を離す。這いつくばっている青年に目線を移すと、強く耳を引っ張った。
「口答えするでないわ」
「あたたっ」
耳を引っ張られたにも関わらず、敖暁明は甘い声を出す。
心配されているのだ。嬉しくて堪らない。私の身を案じてくれるのは、この世で朱丽しかいない。
「朱丽、許して」
朱丽は遁甲盤を片付けると、専用の椅子から立ち上がり榻へ移動する。
「これからどうするんだ」
敖暁明の双眸が密かに、形の良い臀部を追う。外衣で隠されてしまったことを少し残念に思いながら、彼も立ち上がった。
「どうって?」
「そなたを拾って三年になる」
榻に寝そべった朱丽は、だらしなく足を投げ出した。頬杖をつき、流れ落ちた長髪が床に波紋を描く。
どこか艶かしい姿に、敖暁明の喉仏が上下した。
「国を奪りに行かなくてよいのか」
「……私は朱丽の犬だ。朱丽の許可なしに何処かへ行ったりしないよ」
──犬でも何でも構わない。側に居れるなら。朱丽の唯一になれるなら。朱丽が、私のものになるなら。
敖暁明の宵のような瞳が、確かな欲を孕んだ。
彼は、身を起こした朱丽にゆっくりと近づく。今や敖暁明の身長は、朱丽よりも僅かに高くなっていた。
敖暁明は成長した長い腕を駆使して、背後から面の男に覆い被さる。細く引き締まっている腰に腕を絡ませ、均等に筋肉がついている背に頬を押し付けた。
「それに、国を奪るつもりはない。全部壊して更地にするから」
──そして、朱丽に捧げたい。
土地も、民も、私も、朱丽の物になる。喜んでくれるだろうか?
敖暁明は緩く口角を上げ、じっと朱丽の様子を窺っていた。すると朱丽は、邪魔だ、と腰に絡む手を叩き落とした。
「であれば少々手を貸してやろう。もうすぐ宮中に潜らせていた男が帰って来る。戻ったら話を聞くといい」
「うん」
敖暁明は、普通の人であれば魅入ってしまうような笑みを浮かべる。目力のある二重が弧を描き、涙袋が強調された。
敖暁明は部屋の銅鏡に映り込んだ己を見つめ、目を細める。
私は死んだ母妃に似て、容姿も悪くない。悪くない、というのは過小評価ですらある。そして朱丽に拾われたお陰で、恵まれた体格に育った。あと二年もすれば一国の将軍にも引けを取らないだろう。そしたら、朱丽も好きになってくれるだろうか?
「占いの結果は?」
「悪くない。三日後は吉日だ」
三日後に、例の男が帰って来るらしい。
敖暁明は一を聞いて十を察し、軽く頷いて見せた。
──別に、占いなんて信じていない。
だけど、朱丽が占ったのなら話は変わって来る。もし朱丽が五日後に人が死ぬと言ったら、私が誰かを殺してみせるし、もし明日皇帝が崩御すると予言したら、私が直ぐにでも殺しに行く。
朱丽の為なら、白を黒にすることなど容易い。
敖暁明は仄暗い情欲を柔らかい笑みと、甘い言葉でひた隠しにした。
「そう。よかったね」
今はまだ、伝える時ではない。
朱丽は彼がそんなことを考えているとは露知らず、榻から立ち上がると新しい衣を取り出した。
「全く、そなたの所為で湯が冷めた」
「……もしかして、沐浴しようとしてた?」
予想外の文句に、敖暁明の杏眼が瞬く。そして、ちらりと衝立を見遣った。
そんな彼を尻目に朱丽は歩き出し、扉に手を伸ばす。
「ああ。だがもう入れ直すのも面倒だからな。外の──」
その言葉が落ちた途端、バンッと凄まじい勢いで扉が押さえられた。朱丽は意味がわからないと立ち止まり、顔を後ろに向ける。
「何だ?」
敖暁明はむっと口を引き結び、一気に捲し立てた。
「っ待って。そしたら、私がもう一度桶を準備するから。朱丽はこのまま待ってて」
そう言って部屋から飛び出て行ってしまった従順な犬を見送り、朱丽は腕を組んだまま首を傾げる。
「今日はやけに元気だな」
長い廊を若い青年が走り抜けた。
敖暁明は本殿を駆け抜けながら、一人なのをいい事に、普段見せることのない苛立った表情を露わにする。
彼の瞳は仄暗く、業火のような独占欲に満ちていた。
──他の男に朱丽の肌が晒されるなど、冗談じゃない。
近い将来、朱丽は私のものになるのだから。
「言った筈だがなあ。岁族同士で抜剣するのは御法度だと」
「うッん、ごめんなさい……朱丽」
敖暁明は罰として四つん這いになり、椅子にされていた。
朱丽は不安定な椅子の臀部を叩き、卓上の遁甲盤を回す。青年の背に腰掛けたまま日課の占いを始めた。
敖暁明は背に乗る臀部の感触に、歯を食いしばった。
朱丽が足を組む度、押し付けられている臀部が形を変え、不埒な想像が思考を支配する。
敖暁明にとってこれは罰でも何でもなく、寧ろ興奮を煽るものとなっていた。欲情を堪えるという意味では、拷問のようなものだったが。
剣舞を教わった三年前から、私はこの人に懸想している。どうしようもなく──
「殴り合うのは構わん。だがそなたは戦闘民族である我らからすると弱過ぎる。下手にやると死ぬぞ」
敖暁明は反芻していた記憶から引き戻され、顔を上げた。
彼の薄い唇は、楽し気に弧を描いている。
「朱丽が武術を教えてくれてるのに?」
その言葉に、朱丽は遁甲盤から目を離す。這いつくばっている青年に目線を移すと、強く耳を引っ張った。
「口答えするでないわ」
「あたたっ」
耳を引っ張られたにも関わらず、敖暁明は甘い声を出す。
心配されているのだ。嬉しくて堪らない。私の身を案じてくれるのは、この世で朱丽しかいない。
「朱丽、許して」
朱丽は遁甲盤を片付けると、専用の椅子から立ち上がり榻へ移動する。
「これからどうするんだ」
敖暁明の双眸が密かに、形の良い臀部を追う。外衣で隠されてしまったことを少し残念に思いながら、彼も立ち上がった。
「どうって?」
「そなたを拾って三年になる」
榻に寝そべった朱丽は、だらしなく足を投げ出した。頬杖をつき、流れ落ちた長髪が床に波紋を描く。
どこか艶かしい姿に、敖暁明の喉仏が上下した。
「国を奪りに行かなくてよいのか」
「……私は朱丽の犬だ。朱丽の許可なしに何処かへ行ったりしないよ」
──犬でも何でも構わない。側に居れるなら。朱丽の唯一になれるなら。朱丽が、私のものになるなら。
敖暁明の宵のような瞳が、確かな欲を孕んだ。
彼は、身を起こした朱丽にゆっくりと近づく。今や敖暁明の身長は、朱丽よりも僅かに高くなっていた。
敖暁明は成長した長い腕を駆使して、背後から面の男に覆い被さる。細く引き締まっている腰に腕を絡ませ、均等に筋肉がついている背に頬を押し付けた。
「それに、国を奪るつもりはない。全部壊して更地にするから」
──そして、朱丽に捧げたい。
土地も、民も、私も、朱丽の物になる。喜んでくれるだろうか?
敖暁明は緩く口角を上げ、じっと朱丽の様子を窺っていた。すると朱丽は、邪魔だ、と腰に絡む手を叩き落とした。
「であれば少々手を貸してやろう。もうすぐ宮中に潜らせていた男が帰って来る。戻ったら話を聞くといい」
「うん」
敖暁明は、普通の人であれば魅入ってしまうような笑みを浮かべる。目力のある二重が弧を描き、涙袋が強調された。
敖暁明は部屋の銅鏡に映り込んだ己を見つめ、目を細める。
私は死んだ母妃に似て、容姿も悪くない。悪くない、というのは過小評価ですらある。そして朱丽に拾われたお陰で、恵まれた体格に育った。あと二年もすれば一国の将軍にも引けを取らないだろう。そしたら、朱丽も好きになってくれるだろうか?
「占いの結果は?」
「悪くない。三日後は吉日だ」
三日後に、例の男が帰って来るらしい。
敖暁明は一を聞いて十を察し、軽く頷いて見せた。
──別に、占いなんて信じていない。
だけど、朱丽が占ったのなら話は変わって来る。もし朱丽が五日後に人が死ぬと言ったら、私が誰かを殺してみせるし、もし明日皇帝が崩御すると予言したら、私が直ぐにでも殺しに行く。
朱丽の為なら、白を黒にすることなど容易い。
敖暁明は仄暗い情欲を柔らかい笑みと、甘い言葉でひた隠しにした。
「そう。よかったね」
今はまだ、伝える時ではない。
朱丽は彼がそんなことを考えているとは露知らず、榻から立ち上がると新しい衣を取り出した。
「全く、そなたの所為で湯が冷めた」
「……もしかして、沐浴しようとしてた?」
予想外の文句に、敖暁明の杏眼が瞬く。そして、ちらりと衝立を見遣った。
そんな彼を尻目に朱丽は歩き出し、扉に手を伸ばす。
「ああ。だがもう入れ直すのも面倒だからな。外の──」
その言葉が落ちた途端、バンッと凄まじい勢いで扉が押さえられた。朱丽は意味がわからないと立ち止まり、顔を後ろに向ける。
「何だ?」
敖暁明はむっと口を引き結び、一気に捲し立てた。
「っ待って。そしたら、私がもう一度桶を準備するから。朱丽はこのまま待ってて」
そう言って部屋から飛び出て行ってしまった従順な犬を見送り、朱丽は腕を組んだまま首を傾げる。
「今日はやけに元気だな」
長い廊を若い青年が走り抜けた。
敖暁明は本殿を駆け抜けながら、一人なのをいい事に、普段見せることのない苛立った表情を露わにする。
彼の瞳は仄暗く、業火のような独占欲に満ちていた。
──他の男に朱丽の肌が晒されるなど、冗談じゃない。
近い将来、朱丽は私のものになるのだから。
1
お気に入りに追加
22
あなたにおすすめの小説
執着攻めと平凡受けの短編集
松本いさ
BL
執着攻めが平凡受けに執着し溺愛する、似たり寄ったりな話ばかり。
疲れたときに、さくっと読める安心安全のハッピーエンド設計です。
基本的に一話完結で、しばらくは毎週金曜の夜または土曜の朝に更新を予定しています(全20作)

有能官吏、料理人になる。〜有能で、皇帝陛下に寵愛されている自分ですが、このたび料理人になりました〜
𦚰阪 リナ
BL
琳国の有能官吏、李 月英は官吏だが食欲のない皇帝、凛秀のため、何かしなくてはならないが、何をしたらいいかさっぱるわからない。
だがある日、美味しい料理を作くれば、少しは気が紛れるのではないかと考え、厨房を見学するという名目で、厨房に来た。
そこで出逢った簫 完陽に料理人を料理を教えてもらうことに。
そのことがきっかけで月英は、料理の腕に目覚めて…?!
料理×BL×官吏のごちゃまぜ中華風お料理物語、ここに開幕!

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

ヤクザと捨て子
幕間ささめ
BL
執着溺愛ヤクザ幹部×箱入り義理息子
ヤクザの事務所前に捨てられた子どもを自分好みに育てるヤクザ幹部とそんな保護者に育てられてる箱入り男子のお話。
ヤクザは頭の切れる爽やかな風貌の腹黒紳士。息子は細身の美男子の空回り全力少年。

あなたと過ごした五年間~欠陥オメガと強すぎるアルファが出会ったら~
華抹茶
BL
子供の時の流行り病の高熱でオメガ性を失ったエリオット。だがその時に前世の記憶が蘇り、自分が異性愛者だったことを思い出す。オメガ性を失ったことを喜び、ベータとして生きていくことに。
もうすぐ学園を卒業するという時に、とある公爵家の嫡男の家庭教師を探しているという話を耳にする。その仕事が出来たらいいと面接に行くと、とんでもなく美しいアルファの子供がいた。
だがそのアルファの子供は、質素な別館で一人でひっそりと生活する孤独なアルファだった。その理由がこの子供のアルファ性が強すぎて誰も近寄れないからというのだ。
だがエリオットだけはそのフェロモンの影響を受けなかった。家庭教師の仕事も決まり、アルファの子供と接するうちに心に抱えた傷を知る。
子供はエリオットに心を開き、懐き、甘えてくれるようになった。だが子供が成長するにつれ少しずつ二人の関係に変化が訪れる。
アルファ性が強すぎて愛情を与えられなかった孤独なアルファ×オメガ性を失いベータと偽っていた欠陥オメガ
●オメガバースの話になります。かなり独自の設定を盛り込んでいます。
●最終話まで執筆済み(全47話)。完結保障。毎日更新。
●Rシーンには※つけてます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる