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七章
しおりを挟む「雑種がどう頑張っても、その下賎な血は消せないぜ」
あはは、と子供達の無邪気な声が何重にも重なって、まだ十になったばかりの豪与华を取り囲む。
彼は何も言わず、良家の子息達を無視して将軍府の中に入って行く。
地面には、点々と赤い液体がついていた。
毎日、毎日。剣を握り鍛錬を重ねていた豪与华の小さな手は、いつも血を流している。
この将軍府でも、私のことを心配する人間など居ない。
数日前──庇ってくれた颜家の公子に余計なことを、と言ってから彼すら顔を見せなくなった。
豪与华は疲労で重い体を引き摺って牀に転がり、傷を手当てすることなく睡魔に身を任せた。
「う……」
明るい鳥の囀りと反対に、暗く沈んだ瞳が開かれる。
豪与华は幾度か瞬きをして、ゆっくりと身を起こした。
そして、彼の瞳が僅かに見開かれる。
傷だらけの筈だった手は、綺麗に手当てされ清潔な布巾で包まれていた。
豪与华は呆然として、手を表裏にひっくり返す。鼻を布巾に近づけると、ふわりと柑橘の匂いが香った。
──この匂いは、颜家の……
そう気づき家を飛び出た豪与华だったが、突如足を止める。
颜の公子は由緒正しい血筋だ。果たして庶子の自分が会いに行ったとて、会えるのだろうか? と冷静になる。
彼がぼんやりと道端で立っていると、目の前に軒車が止まった。
「豪公子?」
そう言って中から降りて来たのは、気品漂う美しい少年だ。彼は豪与华が『手当て』に気づいたことを察し、頭を下げた。
「すまない、余計なことだっただろう。断られたにも関わらず、どうしても気になってしまった」
真っ直ぐに豪与华を見つめる颜睿の瑠璃の瞳は、凪いでいた。
──この人に嘘や偽りはないのだろう。人を嘲る心も。
豪与华は己の擦れた心に呆れながら、首を振り初めて人前で笑みを見せた。
「颜公子……ありがとう」
豪与华の翡翠のような瞳は正に宝玉そのもので、颜睿は彼の美しさに驚く。しかし、すぐに穏やかな笑みを浮かべた。
「同い年だ。私のことはもっと気軽に呼んでくれていい」
「うん。私も与华と──」
──夜の匂いに、目が覚める。
懐かしい夢を見た。
あの時、私は初めて人を信頼することを知った……
ふっと目を開けた豪与华は暫くの間ぼんやりと星々を見つめていたが、頭の下に枕があることに気づいた。高過ぎる枕を寄せようと、手を上げる。やけに筋肉質な枕の触り心地に、一瞬で眠気が吹き飛んだ。
なんと彼は、颜睿に膝枕をさせていた。
豪与华は驚きと羞恥に飛び上がり、勢いよく身を起こす。
兵法書を読んでいた颜睿も彼が起きたことに気づき、書を閉じた。
「起きたか」
「あっ、睿?どうして」
「あなたが寝てしまったから、起きるまでは居ようと思った」
颜睿は、時折見せる柔らかい笑みを浮かべる。
豪与华には青の外衣がかけられ、柑橘の爽やかな匂いが漂っていた。
「疲れているんだろう。まだ私の膝を使えばいい」
颜睿の大きな手が、豪与华の腰を抱き寄せる。自然と彼の膝に乗り上げ、懐に潜り込んでしまった豪与华は、じわりと耳を染め上げた。
しかし彼の顔に感情が出ることはない。
側から見ると冷静な豪与华は、普段通りの声音で話した。
「阿睿、私は娘ではない。だからそんなに、丁寧に扱わなくていい」
「誰かを大切にすることに、性別は関係ないだろう」
──そういうところが、酷く罪作りなのだ。
その顔で、その言葉で。一体どれだけの人間をたらし込んできたのか。
そう理不尽にも思ってしまうのは、自分が捻くれている所為だとわかっている。わかってはいるが……その優しさが苦しいのだ。嬉しくて、辛い。
豪与华は密かに胸元を握り締め、感情を抑え込んだ。
「──浚副将は一緒ではないのか」
そして突然の質問に、彼は反応が遅れた。
豪与华は予想外のことに、少しの間考えてしまう。
「え?ああ……置いてきたが、何か用か?それなら呼ぶが……」
「いや、用があるわけではない。ただ」
「ただ?」
「……浚副将とは仲が良いのか」
やや逡巡して。
そんな聞き方をするなんて、本当に上品な男だ。袖を斬り合う仲なのか、と聞けば良いものを。
豪与华は苦笑して、それなりに本当のことを話した。
「今朝の朝政のことか?別に深い意味はない。私は男が好きなわけでないから」
「口実か」
「ああやって言っておけば、大臣共の粘着さを回避できる。颜公子にも勧めておこう」
下品な冗談に颜睿が口を開きかけたところで、突然茂みがガサッと揺れる。
豪与华は咄嗟に袖から短剣を抜くが、現れたのは、噂をすればなんとやらだ。
「おい浚龙、驚かすな」
眉を顰めた彼に、浚龙は困ったように眉を下げる。
「申し訳ありません。お帰りが遅いのでお迎えに参り……」
そして視界に入った光景に、彼は言葉を詰まらせた。
浚龙の反応に、颜睿の膝の上に座っていた豪与华は我に返る。慌てて立ち上がり、肩から青い外衣が滑り落ちた。
浚龙も表情を変えずに近寄り、落ちた外衣を丁寧に畳む。そして颜睿の方へ振り向くと、彼も浚龙の方を見ていたらしく、思い切り目が合った。
浚龙は貼り付けたような笑みで外衣を彼に手渡し、代わりに豪与华に自分の外衣を羽織らせる。
「与华様、既に夕食の準備はできています」
豪与华は頷き、颜睿の方を振り向いた。何を言おうか逡巡し、結局当たり障りないことを口にする。
「颜将軍……今日はありがとう」
「ああ。また」
艶やかな黒髪が風に舞う。
浚龙と共に去って行く美しい男を見送り、颜睿も立ち上がった。そして畳まれた外衣に顔を寄せ、元来無臭な彼のことを少し残念に思った。
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本当に面白くて、夢中で読んでしまいました。豪与华と颜睿の二人の関係がどうなっていくのかとても楽しみです。
どのキャラクターも本当に魅力的です!!