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獣人の国・オーギュスト国からの使節団〜ニャンコ王配殿下の焼きたて手作りパン
アルハンゲルの傍白
しおりを挟むアルハンゲルは公爵家の一人息子として生を受けた。
物心つく前にはもう年上の従姉妹・オーギュスト国の次期女王フリーシアとの婚約が決まっていた。
王配として女王とともに国を治めるための厳しい教育も小さい頃から沢山受けて育った。
その分 何不自由ない贅沢な暮らしもさせてもらっていたし、婚約者のフリーシアは快活で姉御肌な少女で幼い頃から姉弟のように仲が良かった。
だから、自分の境遇に不満などあまりなかった。
“彼”と出会うまではーー。
あれはとある雨の昼下がり。
“彼”はアルハンゲルの実家の屋敷の前に落ちていた。
年は二十代後半くらいだろうか。白い変な柄のTシャツにダメージジーンズにサンダル。アルハンゲルには見たこともないような奇抜な格好。無精ひげ、ボサボサ頭、それに酷い体臭、浮浪者か?アルハンゲルは眉をしかめた。
彼は“ヒラタ”と名乗った。
異世界からこの国に迷い込んできたと言っていた。
アルハンゲルは彼を自分の屋敷で使用人として雇うことにした。
彼は“ニッポン”という異世界でパン職人として働いていたらしい。料理の腕に長けていた。
特にパン作りにおいてはきっとこの大陸で右に出る者はないだろう。
この国で古来より“薬”の原材料として栽培していたカカオを“チョコレート”という菓子に利用したのも彼のアイディアだった。
それから彼はオーギュスト国で大昔より飲まれていた竜舌蘭という植物の樹液でできた発酵酒を、外国から取り寄せた蒸留器で複数回蒸留して造った“テキーラ酒”を発明した。
これが周辺の国々の貴族たちの間で大評判となり、国で本格的に製造・外国への輸出を積極的に始め、貿易で大きな利を得た。
当時のオーギュスト国は大陸の片隅にある、獣人の数多の少数民族が集う排他的な発展途上国だったが、彼の二大発明により国は大きな発展をした。
やがて国にふらりと訪れた白竜の加護により干ばつ等の問題も解決し、今では小さいながら豊かな国になった。
アルハンゲルは勉強の合間、彼がいつもいる屋敷の離れに作られたパン工房に入り浸っていた。
ヒラタはアルハンゲルにとって兄のような存在で、彼が作るパンが大好きだった。
最初はヒラタが作ったパンを食べるだけだったが、いつからか彼の仕事を手伝うようになった。
ヒラタはアルハンゲルにパンの作り方を丁寧に教えてくれた。
それは屋敷の家庭教師が教える王配になるための厳しい勉強よりも充実していて、楽しかった。
王配になるよりもヒラタのようなパン職人になりたいと、何度か婚約者のフリーシアに語ったこともある。
アルハンゲルが十三歳になった時、国は国家に大きく貢献したヒラタに爵位を授けた。
叙爵し、領地を授けた。また、男爵家の若い娘を輿入れさせた。
アルハンゲルの住む領地からは遠い領地で、ヒラタとの別れがやってきた。
ーー彼が去ってからのアルハンゲルの生活は一変した。
彼がいなくなった後もアルハンゲルはパンを作り続けていたが、父はそれを許さなかった。
離れの小さなパン工房はアルハンゲルが知らぬ間に撤去された。
パン作りなどつまらないものに現を抜かすな、将来お前は女王の隣に立つのだ!女王に子を産ませるのだ!それがお前の役目だ!
何百回も強く言われた。
物心つく前から散々言われ続けた文言ではあったが、ヒラタと出会った後 自我が芽生えた彼には苦い言葉だった。
初めの頃は反抗もしたが、その度に罰と称して屋敷の檻にも入れられ軟禁された。その内、ヒラタと会う事も手紙のやり取りも禁じられた。厨房に立つ事さえ禁じられた。
地獄のような日々にやがて心はすり減り、苦痛から逃れるために自我を押し殺し、捨て鉢になっていた。
オーギュスト国の男子の成人年齢は十六歳だ。
十六歳になったアルハンゲルは既に女王に君臨していたフリーシアと結婚した。
だが彼女の隣にはいつも恋人の白竜がいた。
真っ白な鱗に赤い目をした大きな竜は、宮殿の中では人間の姿をしていた。
真っ白な長い髪に赤い瞳の美しい男で、聖獣は番に執着する生き物らしい。
嫉妬心からかフリーシアの夫であるアルハンゲルをやたらと目の敵にしていた。
国を加護する重要な聖獣だーー女王と不実な関係にいながらも、官僚たちも黙認していた。
だが、人間である女王と聖獣同士では子は成せない。伝統的に近親婚をする王族。女王の年の離れた弟がいるものの、王家分家は昔から男系で今はフリーシア以外には女児がいない。
女王と結婚して五年が過ぎても子は産まれない。
それもそのはずだ、女王に指一本触れていないのだから…。
臣下たちも流石に国の長である女王は正面切って責められない、いつも責められるのは専ら王配のアルハンゲルだ。
フリーシア女王は明るくて優しい女性だったが、宮殿で蝶よ花よと育てられた影響か頭の中がどこか夢見がちでお花畑のような人だった。
世継ぎの問題で何度も二人で口論をした。
アルハンゲルは「王族としての自覚を持って欲しい、現実を見て欲しい」と諭したが、彼女は感情的になって「好きでもない人と子は作れない、産めない」と泣くばかりで話にならない。
白竜についても「子供を望めない相手と愛し合ってはいけないの?」と明後日な事を言う。
怒り任せに「あなたの事なんか愛していない」とも言われた。
遣る瀬無い思いでいっぱいだった。
ーーそれから数年後、フリーシア女王は重い病に罹り亡くなった。
葬儀で恋人を亡くした白竜が取り乱して泣いているのをアルハンゲルは無表情で見つめていた。
また季節は巡り、白竜はフリーシアの幼い弟ヴェルを庇護するように寄り添い穏やかに離宮で暮らしていた。
フリーシア女王 亡き後白竜がこの国を去る事を危惧した臣下たちは、またアルハンゲルに詰め寄った。
だからアルハンゲルは白竜に提案した。
「亡き女王の代わりにオーギュスト国の貴族の令嬢を複数人あなたに献上しよう、望むのであればあなたのために豪華な宮殿も建てよう。だから、どうかこの国にこのまま留まってくれないか」
交渉のつもりだった。
だが、その言葉に白竜は激昂した。
彼の怒りを顕現するように地響きが起きる。
「フリーシアの代わりになる人間なんてこの世のどこにもいない!私ほどの魔力を持っても死んだ彼女を蘇らせることはできないのだ!この虚しさを埋めるものなどない!そんなこともお前は分からないのか!」
白竜は怒り任せに宮殿を飛び出し、帰ってこなかった。
白竜が宮殿を去って数ヶ月 今のところ国に加護は続いている。だが、国を守る白竜が消えたと国民が知れば不安にさせる。
行方を追っていたオーギュスト国の密使が、クライシア大国内で白竜の気配を感知した。
それと共に、“ドラジェの精霊に祝福されし乙女”の存在も偶然知れたのだ。
“オーギュスト国”にとってはどちらの存在も有益なものだ。
由緒正しい王家の血を引くアルハンゲルもまた 跡継ぎを産むための種として、扱いやすい執政者として有益なのだ。
臣下はまたアルハンゲルに詰め寄った。
“ドラジェの精霊に祝福されし乙女”に接触し、彼女との間に王家の血を引く世継ぎを成せと。
だから“偶然”を装い、偶々オーギュスト国を忍びで訪れたグレース皇子に接触した。
彼らが来ることはコハンから聞いていた。
そしてシャルロット姫に接触したーー。
『私は子供を産む道具ではありません、ちゃんと心も意志もありますわ。あなたなんか大嫌いです!嫌いな人の子供は産めません!以上です!』
彼女の言葉が頭の中でリフレインする。
それに久しぶりに捏ねたパンの生地の触感を手のひらに思い出していた。
「俺にも心や意志はある」
ずっと押し殺していた本音が口をついて出る。
枯れていた木が芽吹いていくように、感情が湧いてくる。
頭の中にかかっていた霧が晴れたようなスッキリとした気分だった。
それから、回廊を立ち去った。
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