シャルロット姫の食卓外交〜おかん姫と騎士息子の詰め所ごはん

ムギ・オブ・アレキサンドリア

文字の大きさ
上 下
72 / 262
獣人の国・オーギュスト国からの使節団〜ニャンコ王配殿下の焼きたて手作りパン

アルハンゲルの傍白

しおりを挟む

 アルハンゲルは公爵家の一人息子として生を受けた。
 物心つく前にはもう年上の従姉妹・オーギュスト国の次期女王フリーシアとの婚約が決まっていた。

 王配として女王とともに国を治めるための厳しい教育も小さい頃から沢山受けて育った。
 その分 何不自由ない贅沢な暮らしもさせてもらっていたし、婚約者のフリーシアは快活で姉御肌な少女で幼い頃から姉弟のように仲が良かった。
 だから、自分の境遇に不満などあまりなかった。

 “彼”と出会うまではーー。

 あれはとある雨の昼下がり。

 “彼”はアルハンゲルの実家の屋敷の前に落ちていた。
 年は二十代後半くらいだろうか。白い変な柄のTシャツにダメージジーンズにサンダル。アルハンゲルには見たこともないような奇抜な格好。無精ひげ、ボサボサ頭、それに酷い体臭、浮浪者か?アルハンゲルは眉をしかめた。
 彼は“ヒラタ”と名乗った。
 異世界からこの国に迷い込んできたと言っていた。

 アルハンゲルは彼を自分の屋敷で使用人として雇うことにした。
 彼は“ニッポン”という異世界でパン職人として働いていたらしい。料理の腕に長けていた。
 特にパン作りにおいてはきっとこの大陸で右に出る者はないだろう。
 この国で古来より“薬”の原材料として栽培していたカカオを“チョコレート”という菓子に利用したのも彼のアイディアだった。

 それから彼はオーギュスト国で大昔より飲まれていた竜舌蘭という植物の樹液でできた発酵酒を、外国から取り寄せた蒸留器で複数回蒸留して造った“テキーラ酒”を発明した。

 これが周辺の国々の貴族たちの間で大評判となり、国で本格的に製造・外国への輸出を積極的に始め、貿易で大きな利を得た。

 当時のオーギュスト国は大陸の片隅にある、獣人の数多の少数民族が集う排他的な発展途上国だったが、彼の二大発明により国は大きな発展をした。

 やがて国にふらりと訪れた白竜の加護により干ばつ等の問題も解決し、今では小さいながら豊かな国になった。

 アルハンゲルは勉強の合間、彼がいつもいる屋敷の離れに作られたパン工房に入り浸っていた。
 ヒラタはアルハンゲルにとって兄のような存在で、彼が作るパンが大好きだった。

 最初はヒラタが作ったパンを食べるだけだったが、いつからか彼の仕事を手伝うようになった。

 ヒラタはアルハンゲルにパンの作り方を丁寧に教えてくれた。
 それは屋敷の家庭教師が教える王配になるための厳しい勉強よりも充実していて、楽しかった。
 王配になるよりもヒラタのようなパン職人になりたいと、何度か婚約者のフリーシアに語ったこともある。

 アルハンゲルが十三歳になった時、国は国家に大きく貢献したヒラタに爵位を授けた。
   叙爵し、領地を授けた。また、男爵家の若い娘を輿入れさせた。

 アルハンゲルの住む領地からは遠い領地で、ヒラタとの別れがやってきた。


 ーー彼が去ってからのアルハンゲルの生活は一変した。

 彼がいなくなった後もアルハンゲルはパンを作り続けていたが、父はそれを許さなかった。
離れの小さなパン工房はアルハンゲルが知らぬ間に撤去された。

 パン作りなどつまらないものに現を抜かすな、将来お前は女王の隣に立つのだ!女王に子を産ませるのだ!それがお前の役目だ!

 何百回も強く言われた。

 物心つく前から散々言われ続けた文言ではあったが、ヒラタと出会った後 自我が芽生えた彼には苦い言葉だった。

 初めの頃は反抗もしたが、その度に罰と称して屋敷の檻にも入れられ軟禁された。その内、ヒラタと会う事も手紙のやり取りも禁じられた。厨房に立つ事さえ禁じられた。
 地獄のような日々にやがて心はすり減り、苦痛から逃れるために自我を押し殺し、捨て鉢になっていた。

 オーギュスト国の男子の成人年齢は十六歳だ。
 十六歳になったアルハンゲルは既に女王に君臨していたフリーシアと結婚した。
 だが彼女の隣にはいつも恋人の白竜がいた。

 真っ白な鱗に赤い目をした大きな竜は、宮殿の中では人間の姿をしていた。
 真っ白な長い髪に赤い瞳の美しい男で、聖獣は番に執着する生き物らしい。
 嫉妬心からかフリーシアの夫であるアルハンゲルをやたらと目の敵にしていた。

 国を加護する重要な聖獣だーー女王と不実な関係にいながらも、官僚たちも黙認していた。
 だが、人間である女王と聖獣同士では子は成せない。伝統的に近親婚をする王族。女王の年の離れた弟がいるものの、王家分家は昔から男系で今はフリーシア以外には女児がいない。

 女王と結婚して五年が過ぎても子は産まれない。

 それもそのはずだ、女王に指一本触れていないのだから…。
 臣下たちも流石に国の長である女王は正面切って責められない、いつも責められるのは専ら王配のアルハンゲルだ。

 フリーシア女王は明るくて優しい女性だったが、宮殿で蝶よ花よと育てられた影響か頭の中がどこか夢見がちでお花畑のような人だった。

 世継ぎの問題で何度も二人で口論をした。

 アルハンゲルは「王族としての自覚を持って欲しい、現実を見て欲しい」と諭したが、彼女は感情的になって「好きでもない人と子は作れない、産めない」と泣くばかりで話にならない。

 白竜についても「子供を望めない相手と愛し合ってはいけないの?」と明後日な事を言う。
 怒り任せに「あなたの事なんか愛していない」とも言われた。

 遣る瀬無い思いでいっぱいだった。

 ーーそれから数年後、フリーシア女王は重い病に罹り亡くなった。
 葬儀で恋人を亡くした白竜が取り乱して泣いているのをアルハンゲルは無表情で見つめていた。

 また季節は巡り、白竜はフリーシアの幼い弟ヴェルを庇護するように寄り添い穏やかに離宮で暮らしていた。
 フリーシア女王 亡き後白竜がこの国を去る事を危惧した臣下たちは、またアルハンゲルに詰め寄った。

 だからアルハンゲルは白竜に提案した。

「亡き女王の代わりにオーギュスト国の貴族の令嬢を複数人あなたに献上しよう、望むのであればあなたのために豪華な宮殿も建てよう。だから、どうかこの国にこのまま留まってくれないか」

 交渉のつもりだった。

 だが、その言葉に白竜は激昂した。
 彼の怒りを顕現するように地響きが起きる。

「フリーシアの代わりになる人間なんてこの世のどこにもいない!私ほどの魔力を持っても死んだ彼女を蘇らせることはできないのだ!この虚しさを埋めるものなどない!そんなこともお前は分からないのか!」

 白竜は怒り任せに宮殿を飛び出し、帰ってこなかった。

 白竜が宮殿を去って数ヶ月 今のところ国に加護は続いている。だが、国を守る白竜が消えたと国民が知れば不安にさせる。

 行方を追っていたオーギュスト国の密使が、クライシア大国内で白竜の気配を感知した。
 それと共に、“ドラジェの精霊に祝福されし乙女”の存在も偶然知れたのだ。

 “オーギュスト国”にとってはどちらの存在も有益なものだ。
 由緒正しい王家の血を引くアルハンゲルもまた 跡継ぎを産むための種として、扱いやすい執政者として有益なのだ。

 臣下はまたアルハンゲルに詰め寄った。
 “ドラジェの精霊に祝福されし乙女”に接触し、彼女との間に王家の血を引く世継ぎを成せと。

 だから“偶然”を装い、偶々オーギュスト国を忍びで訪れたグレース皇子に接触した。
 彼らが来ることはコハンから聞いていた。

 そしてシャルロット姫に接触したーー。

『私は子供を産む道具ではありません、ちゃんと心も意志もありますわ。あなたなんか大嫌いです!嫌いな人の子供は産めません!以上です!』

 彼女の言葉が頭の中でリフレインする。

 それに久しぶりに捏ねたパンの生地の触感を手のひらに思い出していた。

「俺にも心や意志はある」

 ずっと押し殺していた本音が口をついて出る。
 枯れていた木が芽吹いていくように、感情が湧いてくる。
 頭の中にかかっていた霧が晴れたようなスッキリとした気分だった。

 それから、回廊を立ち去った。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

寵愛のいる旦那様との結婚生活が終わる。もし、次があるのなら緩やかに、優しい人と恋がしたい。

にのまえ
恋愛
リルガルド国。公爵令嬢リイーヤ・ロイアルは令嬢ながら、剣に明け暮れていた。 父に頼まれて参加をした王女のデビュタントの舞踏会で、伯爵家コール・デトロイトと知り合い恋に落ちる。 恋に浮かれて、剣を捨た。 コールと結婚をして初夜を迎えた。 リイーヤはナイトドレスを身に付け、鼓動を高鳴らせて旦那様を待っていた。しかし寝室に訪れた旦那から出た言葉は「私は君を抱くことはない」「私には心から愛する人がいる」だった。 ショックを受けて、旦那には愛してもられないと知る。しかし離縁したくてもリルガルド国では離縁は許されない。しかしリイーヤは二年待ち子供がいなければ離縁できると知る。 結婚二周年の食事の席で、旦那は義理両親にリイーヤに子供ができたと言い出した。それに反論して自分は生娘だと医師の診断書を見せる。 混乱した食堂を後にして、リイーヤは馬に乗り伯爵家から出て行き国境を越え違う国へと向かう。 もし、次があるのなら優しい人と恋がしたいと…… お読みいただき、ありがとうございます。 エブリスタで四月に『完結』した話に差し替えいたいと思っております。内容はさほど、変わっておりません。 それにあたり、栞を挟んでいただいている方、すみません。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

断腸の思いで王家に差し出した孫娘が婚約破棄されて帰ってきた

兎屋亀吉
恋愛
ある日王家主催のパーティに行くといって出かけた孫娘のエリカが泣きながら帰ってきた。買ったばかりのドレスは真っ赤なワインで汚され、左頬は腫れていた。話を聞くと王子に婚約を破棄され、取り巻きたちに酷いことをされたという。許せん。戦じゃ。この命燃え尽きようとも、必ずや王家を滅ぼしてみせようぞ。

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

婚約破棄の後始末 ~息子よ、貴様何をしてくれってんだ! 

タヌキ汁
ファンタジー
 国一番の権勢を誇る公爵家の令嬢と政略結婚が決められていた王子。だが政略結婚を嫌がり、自分の好き相手と結婚する為に取り巻き達と共に、公爵令嬢に冤罪をかけ婚約破棄をしてしまう、それが国を揺るがすことになるとも思わずに。  これは馬鹿なことをやらかした息子を持つ父親達の嘆きの物語である。

処理中です...