彼福私鬼 〜あちらが福ならこちらは鬼で〜

日内凛

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第二章

第56話/朱華エリー

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  2023年7月10日(月) 8:45



クラスメイト一同、息を呑んだ。
柔らかに波打つ、赤みがかったブラウンの髪の毛。そしておよそ太陽を知らぬと思われるほどに白く透き通った肌は瑞々しくもあり、切りたての白桃の断面を連想させた。
見るからに糊の匂いそうな下ろしたてのシャツの襟元までネクタイがきっちりと詰まり、やはり折り目がしっかりと付いたスラックスは腰高の位置でベルトを巻いている。

転校生は、男子生徒だった。

それでも身長はクラス男子の平均かやや低いくらいで、体格も華奢な部類に入る。肌の白さもあって、不用意に扱えば砕けて粉々になる繊細な工芸品を思わせた。

教壇に上がった転校生は教師に促されるまま一歩前へ出る。
そしてやや伏目がちだった顔を上げるとヘーゼルカラーの虹彩に光が差し、女子の誰かが反射的にしゃっくりにも似た悲鳴を上げた。

「わたしのなまえは…… El ……シュカ、エリーです。わたしは Canada からきました。どう、ぞ……よろしく、おねがいします」
何度も練習をしたであろうその挨拶は実に丁寧なもので、続く深々としたお辞儀も同様だった。美貌に加えて、昭和の映画でしか見ることがないようなその所作に教室中が呑まれていたところ、教師が拍手をして思い出したように教室内が拍手で包まれる。
黒板には教師の字で「朱華しゅかエリー君」と縦書きに書かれていた。

転校生は拍手を受ける間、一刻も早くこの場から降りたそうに肩を小さくさせており、それを見た黒葛は一気に彼へのシンパシーを覚えた。
しかし教師は彼をそのまま席へ案内しようとはせず、ウンウンと感慨深げに頷きながら自己紹介の続きを待っているようだった。黒葛と、そして後ろの席の唯も心の中で教師を激しく罵倒し、なぜか自分たちが勝手に居た堪れない気持ちになってしまう。

転校生──朱華エリーは、拙いながらも丁寧な日本語でゆっくりと自己紹介をした。
曰く、彼の母親は日本人で、カナダ人の父親との間に生まれたミックスということだった。
両親の離婚を機にこのたび母親の故郷である宝月に帰ってきたらしく、生まれも育ちもカナダである彼は日本に来るのも今回が初めてとなる。
日本語もほとんど話せないし聞き取れないというが、以上の内容を喋れたのなら少なくとも数ヶ月前の自分より日本語うまいだろうと黒葛は若干のシンパシーを引っ込めた。

一応はクラス全員が英語という言語を学習している身ではあるので遠慮せず母語で喋ればいいものを辿々しくも日本語で説明し切ったのは変に真面目なところがあるのかもしれない。
彼の不器用な人の良さを見てとった唯は、そこに黒葛の人となりを重ねてみる。

「朱華さん……朱華君はフロムカナダの……プリンセス……えー、ホワットアイランドネームイズユア?」
国語教師の繰り出した高度な英語を受けて数秒後。

「Prince Edward Island」

小ぶりな唇から滑り出たその発音に教室の各所からまた溜息が上がる。
「……というアイランドからやって来てくれました。生の英語をしっかり体で感じて、えー、我々もね、この、日本というね。言葉の、ね、国語の重みをね。しっかりと──」



午前の授業のあと、帰りのHRが終わると同時に朱華エリーの席の周りに人だかりができた。
隣のクラスからも続々と人が押し寄せ同心円状に囲みが形成される絵は、教室の中に一輪不気味な花が咲いたようであった。その花のしべにあたる箇所に朱華エリーがいるのだろうが、外からは完全に見えなくなっている。
そして花弁にあたる部分から矢継ぎ早に聞こえて来たのはクラスメイトたちの発音する玉石混合の英語だった。

黒葛はそれを遠巻きに眺めながら聖徳太子でもあれを捌き切るのは無理だろうと思う。傍目には力試しのサンドバックにされているようにしか見えない。
気の毒ではあるが、しかしそのおかげで黒葛たち三人は誰の気にも留められることなく教室を出ることができた。
そして唯が調べてくれたバスに乗り込み、石搗神社へと向かっているところである。


「僕が復帰したときとはえらい違いだ」
黒葛は吊り革を持つ肩をすくめた。
「祐樹くんは全身全霊でみんなを拒否ってたでしょ。まぁ……海外からの転校生で、あのルックスだしズルいよね」
唯はピンと伸ばした腕でぶら下がるように吊り革を掴んでいる。
「顔だけ見たら女の子かと思ったよ。北米とかのティーンエイジャーってあんな感じなの?」
半分モンゴロイドが入っているからだろうか? 黒葛がイメージする同年代のコーカソイド系の男性はもっと“オトナっぽい”顔つき、体つきをしてると思ったが、自分の方が背が高ければ筋肉量さえもありそうだった。

「美月ちゃん、あの子さ……」
そう言って唯は美月に目配せをする。
「うん、女の子だったね。多分私と唯しか気付いてないと思うけど」
美月は吊り革に掴まることなく、両手でスマホをタップしながら答えた。
「えっ、やっぱそうなの? なんで?」
驚いた黒葛が特に驚く様子のない美月に訊ねる。
高速でタップしているその画面をチラと見ると、恐竜の着ぐるみを着た人間が徒競走するだけの世にもつまらなさそうなゲームが映っていた。
「さぁ? なんか事情があるんじゃない? 単にスカート履きたくないだけかもだし」
カーブに差し掛かっても美月の身体は揺れることなくその足は床にピタリと張り付いたままだ。恐ろしい体幹とバランス感覚である。

唯はふと思い出し、生徒手帳を取り出して校則のページをめくった。
服装の規定の箇所に、『女子は学校指定のスカートかスラックスを着用のこと』とあった。
「規定……ないんだ。ほんとだ。タイはリボンとネクタイで選べるのは知ってたけど、女子もズボン履いていいんだね。ほら、ここ」
唯に手帳を見せてもらう黒葛も知らなかった。この頃たまにニュースで見るようになったが、我が校も公立ながらそのような先進的な取り組みをしていたとは。
しかし客観的に。スカートというのは謎のファッションではあるなと男の黒葛は思う。
100年後どころか50年も経てば学生制服にスカートを履いていたなんて、なんと恐ろしいことだ、と言われるようになるのかもしれない。フリフリ揺れて見るぶんにはかわいいけど。

「でもさ、先生はなんか朱華“君”って強調してたし、男子扱いってことなのかなぁ」
黒葛はそう言って美月の大きな胸の上に垂れるではなく、もはや半分鎮座している状態にある赤いネクタイを見る。
タイも選択制ではあるが、唯もそうであるように女子の9割以上はリボンタイを着用している。ネクタイをしているのはほぼ例外なく彼氏持ちのいわゆる一軍女子で、しかもそのネクタイは彼氏と交換したものだったりする。しかし他者に興味のなかった黒葛はそのような事情など知る由もない。

「美月さんは女子でネクタイって珍しいけど、なんで?」
「へ? えっと、オトナになったらあんまリボンタイ結ぶことなさそうだし最初からネクタイでいいやって。楽だし」
サラリ事もなげに答える美月の横で、唯は黒葛に冷え切った視線を投げる。
そうだった。この男は女子と会話する第一声が『今薬局で何買ったんすかぁ~』というとんでもないスットコドッコイなのだ。美月と同化してなおこのデリカシーのなさに唯は戦慄をする。
「祐樹くん……そのノリで朱華くんに『なんでズボンなんすかぁ~』とか言わないでよほんと」
「う、うん……言わないけど……さすがに……。まず英語で話しかける自信ないし」
黒葛は唯からのじっとりした視線に何かやっちまったことに気が付くもあまりピンときていないようだった。

美月は恐竜徒競走のキリがいいところでスマホをしまい、吊り革に掴まって唯の顔を覗き込む。
「彼さ、日本語はやっぱまだ自由に喋れる感じゃないぽいし、唯が先生したげたらいいじゃん」
「無理無理むりむり私、英語得意じゃないし……美月ちゃんのが全然成績いいでしょ?」
唯は左右の二人が涼しさを感じるほどの勢いで手を振って否定し、即座に美月にボールを投げ返した。すると美月は笑って、
「リスニングはともかく喋るとなるとテキトーだかんね~。あれ、ほら『地球の裏まで行くんだZ』みたいなもんでさ」と、あるテレビ番組の名前を出した。外国語がほとんど話せないある芸能人をどこか外国に置き去りにし、何らかのミッションを課すという理不尽極まりないコーナーが人気の番組だ。その芸能人の身振り手振りと無茶苦茶な文法の外国語という体当たりなコミュニケーションで活路を開く瞬間というのは感動的ですらある。
「まぁ美月ちゃんなら身振り手振りだけで宇宙人ともコミュニケーションできそうだし」
唯のその冗談に黒葛も深く首肯するしかなかった。

その黒葛は、一瞬ではあるがシンパシーを覚えた転校生の姿を反芻してみる。
少し俯き気味の彼は、顔を上げても視線のやり場を教室内のどこに定めるでもなくふわふわと漂わせ、逆に教室中から一身に浴びる視線の槍になすすべもなく黒板に磔にされてしまいそうだった。見知らぬ土地で馴染みのない人種を目の前にして当然といえば当然だが、基本的にシャイで、気が弱いのだろう。
性別を抜きにしても黒葛が勝手に思う欧米人のステロタイプから外れているようだった。もっと豪快で、感情豊かで身振り手振りが激しくて──そう、唯を挟んで隣に立っている長身の美女の方が余程“らしい”。
それに、黒葛が知るアニメに出てくる欧米系のキャラクターというのは大抵は。

「髪の色さ、キンパツってわけじゃないんだね」
「祐樹くん。朱華くんの近くで口開かない方がいいよ」
唯が即座にボットのような口調で答える。
また何か変なことを言ってしまったかと横目で見た唯は東大寺の大仏のような目で虚無の地平を見つめていた。
「そうなの? うん……わかった……?」
全く分かっていない黒葛を尻目に、美月は自分の髪の毛の短冊一輪を摘み上げ、光にかざし見る。艶やかな黒髪は光の具合で締まりのあるブルーにも見えた。
「ああいうのを、赤毛っていうんだね。日本人が半分とはいえ」
そうそう、こう言うんだよと唯はホッとし、そしてどこか遠くを見るように目を細めた。
「プリンスエドワード島か……私も一度行ってみたいと思ってる場所なんだよね」
「唯知ってるの?」
「『赤毛のアン』の舞台だよ。聖地。日本語訳でも描写がきれいでね……季節ごとに色とりどりの花が咲く、自然豊かなところなんだって」
美月も黒葛も当然その作品は知っている。二人とも書籍として読んだことはないが、美月は朧げながら幼い頃にアニメで見た記憶があった。

バスは地蔵公園、つまり宝月平和の森公園の外周をぐるりと周るルートに差し掛かる。
ゆったりとしたGに身体を引かれながら黒葛は、ちょうどひと月前に訪れた公園の景色がを眺め見る。正午の強い日差しと、それによってできる濃い影とで車窓から見える世界のコントラストはバキバキだった。
梅雨明けにはまだ早いが、夏の日差しをひと月も浴びたのだ。園内の木々は一層繁茂しているようだった。ただここ数日雨が降っていないこともあってか、どこか葉の先が垂れ気味な木々も目立つ。

「しんどいだろうね~、日本の夏は……今年もうすでにおかしくない?」
「祐樹うっかりすると蒸発しそうだもんね。私と唯はある程度平気だけどさ。まぁ……きついよね絶対」
美月の言う通りだと思った。今あの白アスファルトの上を歩いたら目が眩むどころでは済まないだろう。上から下からの容赦ない太陽光線で黒い泥は黒い煤と化して空に彼方に消えていきかねない。

一方で唯は、例のお気に入りの漢詩──せんの『南樓望なんろうのぼう』を思い出していた。
故国を離れた客人は、日本を、この季節を、そしてこの町に何を見るのだろうか。
彼の国の小説に描かれていたあの美しい島の情景は、今車窓から見えている容赦なき過酷な夏の風景とは似ても似つかない。

三人の会話が途切れたちょうどその時、車内アナウンスが流れる。
〈次は石搗神社前。石搗神社前。石をも砕く元気な歯。西南矯正歯科クリニックはこちらが便利です〉
「あっ」
美月の指が降車ボタンに伸びる。
〈次、停まります〉
「あぶな~」
「ナイス美月ちゃん」
神社名にかこつけた明らかな誇大広告に三人とも気を取られ、反応が遅れてしまった。
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