彼福私鬼 〜あちらが福ならこちらは鬼で〜

日内凛

文字の大きさ
上 下
56 / 75
第二章

第49話/地蔵公園とおいこさん

しおりを挟む
  2023年6月10日(土) 14:30 宝月平和の森公園



青い芝の上にいくつかパラソルが立ち、その下では側で走り回る子どもを見守る家族が寛いでいる。
よくある土曜日の午後の風景だろう。
木陰のベンチでは若そうな恋人が憩い、家族連れで賑わう芝エリアを遠巻きに眺めている。
屋外の球技場からは少年たちの声とボールの跳ねる音が聞こえてくる。その横に併設されているドッグランコーナーは大型犬と小型犬のコーナーに分けられおり、どちらもが盛況だった。

『宝月平和の森公園』という名にこれ以上なくふさわしい光景を横目に通り過ぎる。
ありふれた名前だと黒葛は思う。
地名を除けば同じ名前の公園は全国にいくらでもあるというのは容易に想像がついた。
凄惨な歴史をその地面の下に秘めた土地には、その歴史を忘れないため、その歴史を繰り返さないという願いを込めて“平和”をその名に冠することは珍しくない。この場所もそうなのだろうか?
公募で決まったのか、誰か偉い人のひと声で決まったのか分からないが、この公園における“平和”という名は、この場所で起きたであろう恐ろしい事件を白アスファルトで漂白しマスキングする──つまり、土地の歴史を更地に帰す意図があったのではないかと穿ってしまう。あるいは、何も知らずただ無邪気に。おそらくは後者なのだろう。
ガラガラ公園が『光さす緑の丘公園』という実に当たり障りのない名前であるように、『宝月文化香る運動公園』でも何でも良さそうだ。

しかし、あの記述通りであれば。
300年前のある日の夜、鬼灯村のこの場所に住んでいた人々は、一瞬にして泥と化して溶けて死んだのだ。
地震で倒れた家屋に圧殺された人の方が多かったかもしれないが、とにかく生き残った人も“ひっくり返った巨大な黒いお椀”のようなものに飲み込まれ、たちまちのうちに死んだ。
そこに生えていた木々も草花も、たまたまそこにいた動物も虫も消えてしまった。
そういうことがあったのだという確信が黒葛にはあった。あの記述こそが、あの時自分が一度消滅したときの記憶──状況が状況であるだけにあまりにも頼りなく朧げな記憶の答え合わせだったからだ。
今この場所で長閑に憩う人々や日々働く職員の人たちはかつてこの場所で起きた凄惨な事件を知っているのだろうか?
いや、当然知っている人もいるのだろう。何しろつい先日同じ現象が起きた場所で長閑にも毎日寝起きしている人間がいるのだ。黒葛は我が身を振り返り自嘲する。


白アスファルトで舗装された道を抜け、三人は『地蔵公園』へ差し掛かる。
その名前から連想されるものとは異なり、ずいぶんと洒脱な印象の緑地帯だった。地蔵公園というのは美月と唯が勝手に呼んでいるものなので当然と言えば当然である。

かつての雑木林がこの部分だけそっくりそのまま残されているかと思ったが、木々を適度に間引くなどして公園らしく整備されているようだった。
三日月型のこの緑地は平和の森公園の敷地内を流れる小川によって舗装されているエリアと区別されていた。もっとも、コンクリートで固められたそれは小さな子どもも危なげなく遊べる人工の水路だ。
同じくコンクリート造りの小さな橋を渡り、黒褐色っぽい土がむき出しの緑地へと足を踏み入れた。
体感温度が2度ほど下がったような気がした。
涼やかなそよ風が吹き、新緑の葉を揺らしては足元の木漏れ日も揺れている。
覆い繁る木々の枝葉は日差しを遮る天然のアーチを形成していた。
そのアーチの列はゆったりとしたアールを描いて公園の奥までトンネル状に続いている。
すなわち、この三日月型の公園というのは、弓なりの一本道の両脇に木々が並ぶ構造をしているようだった。趣としては大きな神社の参道のそれに近いものがある。

黒葛は地肌露わな地蔵公園に足を踏み入れたらば、平和の森公園全体が雑木林だった往時の姿を思い出せるかと思ったが、そうでもなかった。記憶は、やはり白アスファルトで舗装され地面深くに抑え込まれているようだ。
「ここ、昔は雑木林だったんだよね、ほんとに」
「うん。さっきのプールも運動場も体育館も、図書館も全部ね」
美月はオーバーオールのポケットに両手を突っ込んだまま、片足を上げてその場でクルっと回ってみせた。
「美月さん、秘密基地ってどのへんに作ったの?」
「えと……こっからもっと石搗いしづきさんのほうだったと思うよ」
美月は周囲を見渡し、南東にあるという石搗神社の方を指す。そこは地蔵公園の外側であり、白アスファルトで舗装されている場所だった。
図書館でも気になったが、神社に“さん”を付けるというのは黒葛にとって少なからずカルチャーショックだった。土地のやしろに対する距離感というものが黒葛とはまるで異なる。
「うん、確かにそっち側だったかな。私はここね、ちょっと周りの土地より盛り上がってたから……古墳とかそういうのかと勝手に思ってたの」
バチ当たりな美月に手を引かれ秘密基地へ連行される唯の泣きそうな顔が浮かぶようだった。
唯が言う通り、残っている木の根本は今歩いている整備され均された道よりいくらか高い位置にあった。きっとこの場所を残して周囲の土地を整備した結果、周囲の嵩が下がったという方が実情なのかもしれない。

地蔵公園内では舗装された芝エリアと同等かそれ以上の何組もの家族連れが見られた。
整備された水場で遊ぶ子どもたちや、手を繋ぎ牛歩の歩みで進むデート中らしき男女、それを次々追い越していく老若男女のジョギング勢で賑わっている。
確かに、この幅広の一本道はランニングコースに最適だった。それもそのはず、よく見れば道の脇に一定間隔で距離を示す看板が立っている。この地蔵公園自体、緑地面積の担保ないし市民の健康増進という目的で設計されたことが窺える。
何より風の抜ける木々のトンネルの中、夏は日差しを避けながら走ることができるのだ。秋にはきっと紅葉もきれいなのだろう。バイクや自動車も気にしなくていい。そりゃ皆走るわけだ。
「美月さんはここ、走ってないの?」
「私は昔から家の近くの川沿いを走るって決めてんの。でも確かにここもいいかもね」
美月はそう言ってスニーカーの底で土の感触を確かめるように擦る。

そうして歩いているうちに黒葛たちは次々ジョガーに追い抜かれていく。
彼ら彼女らは抜き際にしばしば三人を振り返り一瞥してはそのまま走り去っていった。
主には美月のせいだろう、と黒葛は思う。オーバーオールを着てここまで足が長く見える人間は珍しいはずだ。それか、女子二人が知らず知らずとんでもなくいい香りをその軌跡に残している可能性はある。アリのフェロモンかな?

唯は地面に落ちる木々の影と、その合間にときどき現れる三人の影を見ながら呟く。
「なんか……こうやって歩いてたら、私たち家族に見えたりして」
「カッカゾクゥッ!?」
驚いた黒葛はそれをまるで初めて聞く言葉であるかのように復唱する。
「ほら、美月ちゃんと祐樹くんの子どもが私」
三人は一段背の低い唯を挟む形で美月と祐樹が並び歩いている。
確かに子連れの陣形ではあるが、いくら身長が離れているとはいえさすがにそれはないだろう。例のコアラモードとやらをしているわけではあるまいし。
「そ、そんなことないんじゃない? ね」
慌てた黒葛が美月に同意を求めると、唇をギュッと噛む美月の頬に朱が差しているのが見えてしまった。


距離にして500メートルほど歩いたところでランニングコースが折り返し地点となる。
ここが公園の北側入り口からの最深部、つまり三日月の先っちょ部分だ。
ランニングコースの突き当たりの植え込みからさらに奥の広場にそれはあった。
「あれね。“おいこさん”」
先導する美月が指した先を見て黒葛は驚愕する。
「え……こんなにあるの?」
キンモクセイの影から現れたのは“おいこさん”の群体だった。
一箇所に固められている石の像は一見して100基は下らないように思えた。
基本的には一個の黒っぽい火成岩的な石材から削り出しているものが多いが、大きさも一様ではなく、材質や意匠も少しずつ異なっていたりと不揃いだ。
概ね共通する造りとしては、上部を丸く整えられた岩の塊から等身の小さな顔と胴体らしき像が半立体的に浮き出ている。中にはより簡素なレリーフ状のものもある。さらには、それこそどこぞの“お地蔵さま”を転用したと思われるものもあった。
それがまるで学習発表会のクラス合唱のごとく雛壇状に密に並び、そのいずれもが北東、すなわち町の中心部を向いている。

「宝月も5、6個くらいの地区に分かれてるからね。ひとつの地区で……20弱くらいの割り当てなのかな」
そう言いながら唯は自分にとって馴染みのあった近所のおいこさんを探しているようだった。
これだけの量のものがおおよそ均等して分布していたというのは、何か目的を持って配置していたのだろう。四国のあの八十八箇所を巡るスタンプラリーめいたものが流行ったとか? 町内全てのおいこさんを巡ると足腰がよくなるとか、彼女ができるとか宝くじが当たるとか。
いや、この像と同じ名称をした例の行事に関係があるのだろうが、そこで歌われる囃子歌のどうにも要領を得ない抽象的な歌詞もあって全く想像が及ばない。

「意外と、綺麗なんだね。お花も供えてあってさ」
おいこさん合唱団の前には造花ではない、生花が供られていた。
この初夏の陽気にそれほどやられていない。供えられてから間もないのだろう。
「お世話している人がいるんだ……」
唯も美月もこれは意外だった。
町の開発の折、おいこさんを道路脇から引っぺがしたはいいが、モノがモノだけに処分することもできなかったのだろう。さりとて行く場なき石像たちはこの公園の片隅に打ち棄てられたように放置されている。それを甲斐甲斐しく世話をし、花を供え手を合わせる人の姿を想像してみる。手押し車を押す、この近所に住むであろう老婆。
しかしながら供花はいかにもな仏花の類ではなく、どこか今っぽさがあるセンスだった。
今どき、奇特な人がいるものだと思う。一体どこの誰だろうか。
黒葛は名前も顔も知らない、今後も知ることはないであろうこの町に住む誰かに思いを馳せる。そしてモチベーションの不明な感謝の念が沸くのを覚えつつ、その全くの赤の他人と自分とがどこかで繋がった気がした。
それは、近所に住む中村さんという存在を認知したときの感覚かもしれないし、あるいは先日ガラガラ公園で感じた、宝月という土地に帰属する感覚と同様の種類のものかもしれなかった。

唯は意識せず地面にしゃがみ、手を合わせた。
これまでおいこさんの前で手を合わせるなどした覚えはなかった。きっとこの丁寧にお世話をした人がそうしたであろう、というのが何となく分かる気がしたからかもしれない。
しかし、手を合わせて何と念じるべきだろう?
「ね、こういうのって何かお祈りするといいのかな?」
そう訊ねられても黒葛は困る。こっちが訊きたいくらいだが、きっとこういう“歴史っぽい”方面に明るいと思われてるのかもしれない。
仮に自分がおいこさんならば例の踊りを数年ぶりに催してくれるとフィーバーするに違いないと思うが、今この場で例の囃子歌と踊りを奉納するわけにはいくまい。今日び、白昼堂々と不審な集会を開く若人がいるとして通報されてもおかしくはない。

「なんかお願いとかしとけば? 宝くじ当たりますようにとかさ」
そう言って美月も唯の隣に腰を下ろす。宝くじ云々は心にもない適当なことだろうが、美月が神仏的なるものに願うというのは黒葛にとって少し意外に思えた。
「ふたりの場合、ひさしぶり~とかでいいんじゃないの?」
適当なことを言いながら黒葛は自分で感動する。碌に人と喋れなかった自分がこんな適当なことを言えるようになったのは、ほかならぬ唯と美月のおかげなのだ。
「じゃ、祐樹くんの場合ははじめましてとか、以後よろしくって感じ?」
「確かに。それがいいのかも」
黒葛も二人に並んで腰を下ろし、手を合わせる。
挨拶が遅れましたが、引っ越してきた黒葛です。よろしくお願いします。
そしてつい欲張った。
唯ちゃんと美月さんといつまでも一緒にいられますように。

目を開くと、先に祈り終えた唯が顔を覗き込んでいた。かわいいけど、恥ずかしい。
「祐樹くん何かお願いしたの?」
「いや、うんまぁ。よろしくお願いしますって感じで。唯ちゃんは?」
「え~、うんまぁ。ひさしぶり~って感じ? 美月ちゃんは?」
「んー、まぁ、ずっと見守っててくださいって感じ? ほら、なんか守り神ぽいじゃん」
歯切れの悪いリレーのバトンを最後に受け取った美月は何かを誤魔化すように立ち上がった。
「守り神かぁ。まぁ、確かにね」
黒葛にはこの像の群れを前にして恐ろしいだとか、気味が悪いといったネガティブな感情は沸いてこなかった。唯や美月と同化しているから当然とも言えるが、黒葛がこの町に引っ越してきたときからこの場所でずっと百以上の様々な表情でもって宝月を眼差していたのだ。それを思うとどこか拙い造形も相まってか愛らしく思えてくる。

「あとはほら……もうすぐ期末試験だから、勉強に集中できますようにって感じ?」
現金な内容が恥ずかしいのか美月はおどけた口調で言った。
「はぁ……期末かぁ」
黒葛が口に出そうとした言葉がコンマ数秒早く唯の口から吐き出された。
試験自体まではあとひと月ほどあるが、試験2週間前からは試験準備期間となる。授業は普段より早めに終わるが、だからといって遊び呆けていると後で痛い目を見てしまう。
「いったん、試験終わるまで調べ物はストップかな」
黒葛は供花の青色の花弁をぼんやりと見ながら呟いた。カキツバタだかアヤメだかそういう花だったと思うが区別がつかない。“いずれアヤメかカキツバタ”という慣用句があるくらいなのだ。
「いいの? 祐樹」
「色々……整理もしたいし」
発覚した事実をさらに深掘りしたい気持ちはあった。しかし、今後どう調べていくか作戦を練り直す必要がある。根本から腰を据えて取り組むべき問題なのだと改めて実感したのだ。それを試験勉強の片手間にできるほどのキャパシティは自分にはない。
「いいけど……ひとりで抱えこまないでよ」
美月の言葉に唯も力強い視線を黒葛に向けながら何度も首肯する。
「うん、ありがとう……」
黒葛はそう言って立ち上がる。美月は後ろのベンチに下ろした荷物をまた背に負おうとしていた。

美月は、ひとりで抱えたりはしないのだろうか。
彼女が何かどうしようもない悩みに遭遇したときどうするのだろうかと考えたときに、自力で何とか活路を見出すイメージしかないが、実際はどうなんだろう。実咲やなぎさといった友人らに吐き出すなり相談するなりするのだろうか。
胸の内にひとり抱えたものを誰かに渡すというのも、それはそれで難しく技術のいることだ。
黒葛はそれが分かる。これまでその方法を知らなかったから自爆しては内に籠り、何ものにも何ごとにもコミットできなくなってしまった。“ユウキBrave”という名前が聞いて呆れる。

「よーし。ね唯、帰りちょっと走ってみる?」
「えー私今日ぺたんこ靴~」
言葉とは裏腹にその場ですさまじい速度でもも上げをする唯。
その唯が悩まぬよう、後悔しないよう自ら重荷を背負った美月は、逆に自分たちに荷を分けてくれたりはするのだろうか。
元来た道を仲良く駆けていく二人を見ながら、黒葛はあの二人の間には自分の踏み込めない領域があるのだろうと思う。自分が案じるまでもなく唯という存在は今の美月にとって特別なものなのだ。

遠くで雷鳴が聞こえた。地面からは木漏れ日が消え、空には西から灰色の雲が伸びている。
そうなのだ。関東は2日前に梅雨入りをしている。
黒葛もリュックのベルトを握り、二人の後を追いかけた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

田舎に帰ったら従妹が驚くほど積極的になってた話

神谷 愛
恋愛
 久しぶりに帰った田舎には暫くあっていない従妹がいるはずだった。数年ぶりに帰るとそこにいたのは驚くほど可愛く、そして積極的に成長した従妹の姿だった。昔の従妹では考えられないほどの色気で迫ってくる従妹との数日の話。 二話毎六話完結。だいたい10時か22時更新、たぶん。

ナースコール

wawabubu
青春
腹膜炎で緊急手術になったおれ。若い看護師さんに剃毛されるが…

研修医と指導医「SМ的恋愛小説」

浅野浩二
恋愛
研修医と指導医「SМ的恋愛小説」

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

とある高校の淫らで背徳的な日常

神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。 クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。 後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。 ノクターンとかにもある お気に入りをしてくれると喜ぶ。 感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。 してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

処理中です...