彼福私鬼 〜あちらが福ならこちらは鬼で〜

日内凛

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第一章

第43話/黒葛の決意

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  2023年6月4日(日) 14:00 黒葛宅



破損した大物家具、家電類は一旦客間に集められた。2階から黒葛が持って降りた分も合わせると、なかなかな量になる。
最後の大物を押し込み、パンと手を叩き埃を払う美月の額には汗のひとつも見られない。
「よし、次のゴミ回収まではここに置いとくとして……濡れても大丈夫そうなのは庭に出しとこうか」
「うん、これとかいいかな。んしょっ」
小さな体躯の唯が軽々と持ち上げた戸棚は発泡スチロール製かと見紛うようだった。
「唯すっご!」
「へへへ。あ、でもさすがに重い……」
「ああもつもつ。一緒に運ぼ」


適度に粗大ゴミを庭に出した二人は、外に出たついでに軍手のまま手近な雑草を引き抜く。
乾いた土をヒゲ根にわずかに絡めただけの若草は気持ちいいくらい簡単に抜ける。
二人は抜いた雑草をノールックでポイポイと一箇所に投げ集めるが、その山はなかなか大きくはならない。
「雑草、意外と生えてないよね」
腰を下ろしたまま唯がぐるっと庭を見渡してみると、飛び飛びに小さな芽が出ている程度だった。植木もないサッパリとした庭に落ちているものといえば細かな枝と枯葉くらいで、箒で集めたらすぐ終わってしまいそうだ。家の中に比べて拍子抜けするほどやることがなさそうだった。

先週、唯が自宅の庭の草むしりを手伝わされたときはビニール袋いっぱいのドクダミを庭から除去してその臭気に辟易したものだった。かつて自宅ではあの病的に臭い植物をお茶にしていたというのだから信じられないし、今や無駄に繁殖力のある迷惑な雑草でしかない。うちの家族にもこのキレイな庭を見せてやりたいものだ。

「まぁ夏はこれからだし。ほかのおうちもまだ、ね……」
すぐに手持ち無沙汰になった美月も立ち上がり、近隣の庭を見渡すがどこもこざっぱりとしたものだ。掃除をする人がいないからか枯葉程度のものが散らばってたりするようだが、ひと夏を越える頃にはすっかりこの景色も変わっているのだろう。
外で遊び回っていた子どもの頃、更地にされた土地が夏休みの間に背の高い雑草に覆い尽くされてしまう光景をこれまで何度見てきたことか。丸裸の地面から生えた草の上を飛び越える”修行”を行っていた美月は、しかしすぐに飛び越えられなくなるどころか夏が終わる頃には背丈さえも抜かれてしまう。
それに報道か何かで見た映像では、住民が去り無人となった集落は数年のうちに緑の海に沈んでいた。この場所も人が戻らないまま何年か経ったら住宅や庭のクルマも含めて緑に飲み込まれてしまうのだろうか?

美月はふと、庭の外周あたりにいくつか大きめの穴が空いているのを見つけた。
塀の影になっていて気が付かなかったそれはモグラの巣穴にも見えるが、子どもの頃に散々外で遊び散らかした美月にはそうではないと分かる。穴の周囲に掘り返された土が盛られていない。
妙な巣穴に寄った美月はその様態から、あるバカバカしい直観を得る。そして、塀越しに隣家の庭を覗き、同じ穴を見つけて絶句した。

「唯……」
美月はこのエリアに入ったときに感じた違和感の正体に気付いた。
「やっぱり」
唯が顔を上げると、両手で口元を覆った美月が数歩、後ずさんだ。
「どしたの、美月ちゃん」
「この辺、
「えっ」
唯も美月が指す穴を見てその言葉の意味を理解し、慄然とする。
そこは元々、木が植っていた場所なのだ。
何も植えられていないと思っていたプランターの土もよく見れば小さな穴が等間隔で並んでいる。
「唯、ちょっと来てこっち」
今度は向かいの家の前で手招きをする美月の元へ寄る。美月が腰を屈めて覗いていたのは大きな睡蓮鉢だった。
唯も中を覗いてみると、澄んだ水の底では綺麗な石だけが波紋に揺れていた。
睡蓮鉢の隣の木箱にはメダカの餌のパックが置いてある。
「美月ちゃん、これ……ビオトープ、だよね?」
でなければ、魚の影どころか苔のひとかけらもない水瓶を愛でる趣味というのは侘びにも寂びにもほどがあるだろう。
「人、だけじゃなかったんだ……」

美月は黒葛宅の庭に引き返しながら、顎に手を当てて思案する。
当初ここに来るまでは、地震によって地殻が破壊され、強烈なマイクロ波のようなものが発生したことによる被害を疑っていた。
つまりこの一帯が瞬間的に電子レンジ状態になったということだ。しかし、電子機器類に異常がなかったり、水分を含むものが破裂したような形跡もないため、それはなさそうだった。第一、人間だろうと植物だろうと炭化するはずだが、炭も灰も残っていない。何より住宅の建材である木材は揺れ以外のダメージは受けていないようだ。
結論、生命体のみが消えた、としか言いようがない。
何をもって生命とするのかという根本的な問題はある。木化している樹皮も細胞としては死んでいるはずだがそれも消えている一方で、木から離れ、地面に落ちたと思われる枯葉や枯れ枝はそのまま残っている。
そして黒葛の話の通りなら、人間は衣服や服飾品も含めて消滅したという。
あの時間、あの瞬間にここで一体、何が起こったのだろう?


「あの……」
道路からの声に二人が振り返ると、家の前に30代くらいの男女が立っていた。
「黒葛さん……ですか?」
どことなく雰囲気の似た穏やかな印象の二人だった。どちらの左手薬指にもリングが見える。
「あ、私たちは……その、黒葛くんの……友達で、掃除の手伝いを……」
一帯には住人がいないと思っていた美月は不意を突かれたが、会釈をし身元を明かす。
「そうでしたか。あの、私ら近所のものなんですが……黒葛さんはいらっしゃいますか?」
二人のうち男性が問うた。女子ふたりを警戒させまいとする仕草、口ぶりに人のよさが現れているようだった。

美月は家屋の方を振り、「ゆうきー!」と爆音波を放つ。
家の壁がビリビリと震える程の音圧に、唯も道路の二人も驚いて身を退け反らせた。
開け放された窓のカーテンの隙間から黒葛の顔がちらと覗き、追撃の「お客さまー!」という咆哮を回避するようにすぐに引っ込んだ。
「ああ、ごめんなさいね。忙しいのにね……」
女性が申し訳なさそうに頭を下げる。パートナーと思われるが、声の調子や仕草もどことなく男性に似ている。やはり夫婦なのだろう。
「いえ……あのご近所って?」
「美月さんちょっと恥ずかしいって……!」
問いかける美月の後ろから黒葛が転がるように玄関から飛び出して来た。
「黒葛さんですか? 私ら、あっちのアパートに住んでる中村といいます」
そう言って男性が指差した先に、3階建てのレンガ色の建物が見えた。ここから少し離れてはいるが、ギリギリ地震があったエリア内だろう。
「あ……は、初めまして。黒葛、です」
「黒葛さん、ひょっとしてあの、失礼ですが……」
会釈をした男性が言い淀む。この言い淀み方、このひと月の間に何度されたか分からない。
「えと……はい、あのうちは僕だけで」
「ああ……そうでしたか……。早くご家族が戻られることを……戻られるといいのですが」
表現に細心の注意を払っていることが窺える。しかしこの場所に住んでいるというのなら、もう決して戻って来ることがないことは分かっているはずなのだ。黒葛はつるりと禿げている自宅の庭を一瞥する。

「あの、私は彼のクラスメイトの桜永といいます。中村さんは地震には遭われなかったんですか?」
消沈する当事者同士の会話に美月が介入する。快活な口調の第三者の存在は黒葛にとってはもちろん、中村さんにとっても渡りに船だったようだ。
「はい、私たちはふたりでちょうど旅行に出てたもので。まさか帰ってきてこんなことになってるとは思わず」
「ようやくね、先日避難先のホテルから戻って来たんですけど……まわりのお家の人たちがいなくなって……でも夜中、こちらのお宅に電気がついていたからもしかして、と思って」
黒葛が自宅に戻ってきたのは最近のことだったので、ここ数日の話だろう。
もしかしたら唯を監禁していたタイミングかもしれず、もしそうならあのとき唯が絶叫していれば通報なりされていたかもしれない。
黒葛がちらとその本人を見ると下唇を突き出してどうにも微妙そうな表情をしていた。

「ご挨拶しようと思ってたんですけど、なかなか日中でタイミングがなかったもので……今ちょうどご友人をお見かけして、それで」
「あ……ありがとう、ございます。知らなかったです。ご近所さんがまだ……。その……なんか、こう言うの変だけど嬉しいです」
下手に取り繕えない黒葛が述べたのは、素直な思いだった。
これまで近所の人など特別意識などしたことなかった黒葛はいざ自分のいる空間が生命の存在しない虚空だと意識してしまうとその中心にある己の体が、闇に霧散してしまうような妄想をしてしまうのだった。端的に“寂しい”ということなのかもしれないが、直径300メートルの虚空に対して黒葛という存在は、あまりにも裸の特異点だった。

黒葛の反応に中村さんも安堵したのか頬を緩ませる。
「私たちも、嬉しいです。よかった。あの、あそこのアパートの2階に住んでるんで、もし何かあったら頼ってもらえればと思って。大変だと思うけど……」
そう言って中村さんは尻ポケットからメモ帳を取り出し、アパートの名前と部屋番、それと連絡先の電話番号を走り書く。その横で「でもいいお友達もいらっしゃって、よかったよね」とパートナーの女性もそっと微笑んだ。
状況だけ見れば両親を失った黒葛に“よかった”も何もないのだが、美月と唯が黒葛の支えになっている特別な存在だということを感じ取ったのだろう。また黒葛が話の通じる良識的な若者だったという意味も込められた“よかった”なのかもしれなかった。
当然ながら、中村さんにとっても人気ひとけのない区画に共に住んでいる人間が碌でもない者であったらば恐ろしい話である。それを確かめるためのパトロールでもあったのかもしれない。

「中村さんあの、ほかにこのあたりでまだ住んでる方ご存知ですか?」
黒葛はメモ書きを受け取り、周囲を見渡しながら訊ねた。
「うーん、気をつけて見るようにはしてるんですが」
中村さんが苦い顔をし、首を傾げるとも頷くともつかない微妙な仕草をする。
「……もしかしたらご親戚やご友人を頼ってるかもしれないですね……。私たちも、今すぐじゃないけど、もしかしたら引っ越すかもしれないし」
「そうですか……」
当然だった。この住宅地の気味の悪いまでの閑静さを有り難がるモノ好きなどそういないはずだろう。この場所の有様を見たなら、本当に人々が行方不明になったなどと無邪気に信じられる者などいるはずもない。飼っていたペットも、庭の生垣も花壇に咲く花も雑草の一つに至るまでが夜逃げをしたと? 
中村さんの事情は分からないが、諸々の都合さえつけば今すぐにでも引っ越しをしたいはずだ。ましてやアパート住まいということなら、腰は決して重くはないだろう。
「あ、いやでも全然しばらくはいるので、本当、何かあったら頼ってもらえたら。そうだ、今度うちにいらしてください。ごちそうしますよ。……よかったら、お二人も」
そう言って中村さんは美月と唯にも目配せをした。
「あ、ありがとうございます……! でもさすがにわる
「本当ですか! 嬉しいです! あの、ぜひ私たちご一緒させてください」
遠慮しかけた黒葛の言葉を押し退けて美月が快諾をする。
「もちろんです! ああよかった」
パートナーと目を合わせて頷く中村さん。てっきり世辞だと思った黒葛はその反応が意外だった。
「じゃあまた、いつでも連絡してくださいね」
「お忙しいところ、お邪魔しました。ではこちらで……」
二人は角を曲がるまで何度か振り返り、お辞儀をしながら去っていった。

「よかったじゃん」
美月が黒葛の背中を叩き、ポンと小気味よい音が響いた。
「あ、ありがとう美月さん……」
「祐樹が筆頭家主なんだよ。しゃきっとせい」
公共的な場ではともかく、こうしたプライベートな場所で“黒葛くん”ではなく、“黒葛さん”と呼ばれたのは新鮮だった。いつの間にか、意図せず黒葛家というものを背負う人間になっていたのだ。
「美月ちゃんえらいよね……ほんと……尊敬する」
唯の言葉に黒葛は情けなくも深く首肯するしかない。そして庭に出された大型、わずかな雑草の集積を確認する。いくら怪力持ちになったところで、その力をどう順序立てて奮うかというのはまた別の話である。
散らかりが過ぎて超次元パズルのようになっていた1階を片付けのプロたちに任せられたおかげで2階の方に注力できた。協力ってすごい。
「ふたりとも本当にありがとう……。2階も……っていうか僕の部屋もだいたいは」
黒葛が見上げた2階の窓のカーテンが風にたなびいている。
家の中はまだ完全には片付いてはいないが、ここで一度区切ってひと息つくことにした。


見違えて綺麗になったリビングは地震前よりもスッキリとした空間になっていた。
三人は正方形型のテーブルに着き、無事だったグラスを手に喉を潤す。
目立って汗をかいてないとはいえ、現在の身体の謎の代謝系の中で相応に水分を消費しているのだろう。ミネラルウォーターが際限なく喉に身体に染み渡る。

「はー驚異的な仕事量。私さ将来引っ越し屋さんになれるかもね」
「美月ちゃんならスポーツの世界大会で全種目金メダルとれそうだけど……」
そう言った唯だが、美月が天井を見上げて何かに思い耽ているのを見て慌てて別の話題へ切り替える。
「祐樹くん、子どもの頃すごい笑ってるんだね」
サイドテーブルの上で作文コンクールの小さなトロフィーとともに並ぶ写真立てを見やった。
両親の前で幼い黒葛が満面の笑みで何かポーズを取っている。
「え? ああ……恥ずかしいなぁ……。なんか、よくふざけてアニメの真似とかしてたよ。ガンバルのセリフとかさぁ、覚えて」
「なんか……意外」
唯は写真の笑顔に釣られて微笑んでしまう。意外、と言いつつもどこか“今”の黒葛に通じるものがあるような気がした。長い前髪の下にあったのは、実は調子に乗りやすく、そして笑い上戸である彼の人となり。先ほど美月が言ったとおり、これが黒葛の本来の性格なのかもしれない。

「それが、いつの間にか、こんなんになっちゃってたね」
そう自嘲する黒葛とは対照的に無表情なのは美月だった。
「……なんで、引っ越してきたんだっけ」
「父親の転勤。母さんもしばらくリモートで働いてたけど、去年市内の会社に転職して。そこが忙しくてね……正直、病んでた」
黒葛のその口調は、ここに来るときに自らの境遇を語った、あの調子だった。トーンは沈み気味ではありつつも、諦観じみてそして他人事のようだ。
「だからさ、ちょっと……良かったかなって。本当、しんどそうだったから。息子もハズレみたいなもんでさ。ようやく、楽になったかなって」
美月の眉がピクリと動いた。
「だから……祐樹くん、その、最後に……」
いかにも言いづらそうな唯の言葉に黒葛は苦い笑いのまま頷いた。
「僕が死んで、うちの……負債が全てゼロになるって、そう思ったわけさ」
「わけさじゃないわバカ!」
グラスの底を叩きつける音とともに怒号が飛ぶ。
黒葛の正面で、拳を握った美月が肩を震わせていた。
「子がハズレとかさぁ……! あんたこの写真の前でよく……よくもそんなこと言えるよね……!」
写真立てを指差し激昂するその目には大粒の涙が浮かんでいる。
「み、美月ちゃん」
「わかんないよ、わかんないけどさ、祐樹の家のこと……。でもそんな、だったらこんな毎日見える場所に飾るわけないでしょ!」
なだめようとする唯に構わず激昂する美月の一方、正面の黒葛はただ下を向き俯いている。
「毎日遅く帰ってきてここに座って、写真見てたんでしょ、お父さんもお母さんも……。トロフィーだってさ……お、親の気持ちくらい分かれバカ!」
「美月ちゃん言い過ぎだって……!」
消沈する黒葛の様子を見て唯が止めようとすると、黒葛が震えながら声を出した。
「わ……分かってる……分かってるよ……。でも……でもそうでもないと……僕、折り合いが付けられないんだよ……うっうう」
そして顔をテーブルに伏せ、声を上げ咽び泣いた。

それは黒葛が自らを納得させるための“物語ストーリー”だった。

黒葛の両親は一人の息子を授かった。しかし息子は期待してたような成長はせず、何を考えているのか分からない上に友人の一人もいない。それでも両親は家族を養うため、昼夜なく働く。つまり、黒葛という存在は両親にとっての罪であり罰だった。罪を償うために馬車馬のごとく働かなければならない日々は罰以外の何だというのだろう。
自分さえ生まれなければ穏やかな日々を送られていたはずの二人は、しかしある日前触れもなく苦役から解放された。二人同時にだ。互いに老いたときのことや、先立つこと、先立たれることといった苦悩を知らぬままに逝った。これは二人にとって最悪ではないし、ある意味では最善だったのかもしれない。

そういう、“物語ストーリー”だった。
それは、黒葛自身、間違っていると分かっていた。しかし黒葛には己をその物語ストーリーに依拠させるしか術がなかった。
そして最後に残ったのは黒葛という罪。そしてその罪は、黒葛自らが死ぬことによって消える。マイナスは、そうしてようやくゼロになる。

でなければ両親の報われぬ苦しみは、何だったというのか。
だからと言って、一人残された自分が報えるはずもなかった。こんな不肖をここまで育てた甲斐など、どれほどのものか黒葛には想像が及ばない。報うために進むには険しく、しかし退くぶんには楽だ。何しろワンアクションで全てがペイできるのだから。

「……ごめん、祐樹……言い過ぎた……。私なんも知らないのに……」
「ううん、……ありがとう……ありがとう」
涙を拭いながら黒葛は知らず知らず感謝をしていた。文字通り、黒葛にとって、“有り難い”ことだった。
早々のうちに“大人が怒るライン”というものを見極めた黒葛の記憶にある限りでは、人生最大の叱咤だった。
黒葛は、不器用な割にそのラインに敏感だったために大人に叱られるという機会をほとんど得ぬまま今日まで至った。その意味では“いい子”だったのだろう。誰にも迷惑をかけず、間違ったことをしない、いい子だった。何も発信しなければ炎上することはない。何も発言しなければ誰も傷つけることはない。何もしなければ、何かを言われることはない。
いつの間にか、“怒られないこと”それ自体が目的になっていたのかもしれない。

「……全然代わりとかじゃないけどさぁ……、私が……私と唯が祐樹のそばにいるから」
唯も無言だが強く頷く。目には溢れんばかりの涙が湛えられていた。
「うん……ありがとう。でも、そうだ……。僕、納得できてない……全然折り合いが付けられてないんだ」
黒葛は鼻をすすり、顔を上げる。
黒葛の中で折り合いをつける、の意味が変わった瞬間だった。
あたらしい“物語ストーリー”を見つけなければ。
あの地震は何だったのか。なぜ自分だけが生き返ったのか。そこには“物語ストーリー”などないのかもしれない。ありのままのそれにはオチもなければ意味さえもないかもしれないのだ。
天災には意味などない。意味なくやって来ては、意味もなく奪い去っていく。奪うという自覚さえないのだから。そこに物語ストーリーなど、あるはずはない。
それを受け止めた上で、いま一度自分が生きていくための物語ストーリーを自分で作らなければいけない。

そう思えるようになったのは、なぜだろうか。唯や美月と同化したから?
あるいは、ここで今話したことは懺悔だったのかもしれない。そしてそれは美月の一喝により蒸発をしたか、浄化をされたか。

「……僕、ちゃんと調べてみようと、思う。あのとき……何があったのか、何でこんなことになったのか。こんなカラダになったことも含めて」
テーブルの上の黒葛の手に、同じくらいの大きさの、しかし柔らかな感触の手が重なる。
「遅いわ。私一人でも調べようと思ってたくらいだから」
テーブル中央に引っ張っぱられた黒葛の手にもうひとつ、美月よりもひとまわりも小さな手が添えられた。
「私も知りたい……。知りたいし、祐樹くんが前に進めるなら、私も背中押したいと思うよ」
「美月さん、唯ちゃん……ありがとう……」
黒葛は自身のこぶしに重なる、優しく、しかし頼もしい熱をもう片方の手でさらに包み握る。
自分の手の質感とはまるで異なる感触が二つ。もしまた自分が間違ったら、そのときは教えてくれるだろうか。自分と交わりながら、最終的には自分とは異なる二人の存在がそばにいてくれることが、何と有り難いことかと思う。

「とりあえず……掃除して、スッキリしようよ。ね」
美月が潤んだ瞳を細め、微笑んだ。
確かに、これがあたらしい物語ストーリーを作る第一歩かもしれない。二人がいてくれたからずいぶんと助けられた。黒葛は恥ずかしそうに頷く。
「ところで……祐樹くんの部屋、もう入れるの?」
「い、一応は……」
唯のその問いに、黒手汗が湧き上がる予感を覚えて黒葛は重ねた手を直ちに崩した。
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