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第一章
第17話/回想:変異
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回想:2023年5月31日(水)放課後
※性描写注意
スマホが唯の指の隙間から滑り落ち、床で跳ねた。
今私、何を考えたの?
美月ちゃんを思い浮かべようとして。
あれ? 何かがおかしい。
私は美月ちゃんのことが好きで、でも、“彼”のことを思い浮かべたとき、何だか──
目を見開く唯だが、その瞳に映っているはずの室内の風景は脳にまで伝達されない。
頭の中では、ある人物のシルエットが朧げに浮かび、やがて鮮明な像として結ばれる。
その瞬間、唯の胸が弾かれたように高鳴り、その衝動の余波が口から漏れ出た。
「黒葛くん」
その音の響きに胸がまた悲鳴を上げる。
黒葛くん。
声ではない心の内の反芻ですら唯の胸を締め付けるが、ただ決して苦しいだけではない。
それを上回って余りある、快感。
すぐに頭を振り、脳内の映像を払おうをする。
散らかった床が一瞬見えたが、また再び頭の中の映像に引き戻される。
そしてまたゆっくりと“彼”が像を結び……唯に微笑みかける。
心臓が口から飛び出しそうになる。
だって、こんなにも私のことを想ってくれる人が、私に笑いかけてくれて──
あれ、なんで私は、彼の気持ちを、私を想う気持ちが分かるんだろう。
告白されたから? 好きだって言ってくれたから? 違う。
ずっと前から知ってたかのように、彼の気持ちが分かる。
ううん、それだけじゃなくて、こうしてる間にもどんどん伝わってくる。……彼の。
「く、黒葛くんの」
胸が躍り、魂が震える。
「気持ち……」
それは降り頻る雪だった。
通常の雪と異なるのは熱を持ち暖かいということ。
熱を持ちながらも肌に触れた途端溶けて唯の中に染み込んでいく。
降りしきる雪はますます勢いを増し、溶けきれないほどに積もった雪に唯の体は埋もれていく。
ホワイトアウトしそうな意識と視界の中、唯は幼馴染の女の子のことを考えようとする。
長くきれいな髪、やさしく微笑む口元……大好きな人の顔をモンタージュしていく。
大好きな人……黒葛くんの顔を……。
不鮮明な幼馴染の顔は一瞬にして黒葛の顔に塗り替えられる。
またもや快感が全身を伝う。
いや最初よりも“気持ちよさ”が強くなっている。
もっと彼のことを考えたいという誘惑を何とかはねのけた唯は、今の自分を自分たらしめている、信仰にも似た心の拠る辺を勢いのまま言葉に吐き出す。
「美月ちゃん! 美月ちゃん! 私は、美月ちゃんが好き!」
すぐに唯の脳内に、笑顔の美月の像がはっきりと結ばれた。
そう、私が大好きなのはこの人。
美月ちゃんのことを想うと胸が熱くなる。勇気がもらえる。だって、これが恋だから。
「美月ちゃん大好き! やだやだ好きになりたくない黒葛くんなんて!」
うっかりその名前を口にした瞬間、再び唯の思考は黒葛に支配される。
唯はあっ……と言いかけたが、代わりに出たのは。
「く……黒葛くん……なんて……」
だめだ、と消えゆく唯の理性が告げる。
それを口に出すともう戻れなくなってしまう。
──もし言っちゃったら?
声が、聞こえた。
──素直に気持ちを認めたら、もっと気持ちよくなるんじゃない?
私の声だ。でも、私はこんな喋り方、したことない。できない。
──だって、彼のことを思うと、胸が熱くなるんでしょ?
こんな、大人っぽくて……いやらしい声。
──ねえ、わかってるんでしょ? それって──
唯は、いつの間にか喉近くにまで溜まっていた唾液を飲み込む。
小さく震えている唇はさっきまでと異なり、ぷっくりと膨れ、充血をしている。
同様に目元も血潮の沸りで蕩け、頬も濡れた紙に赤インクを垂らしたような滲みを纏う。
手鏡を開かずとも、自分の顔の状態が自覚できてしまうほどだった。
そして、いや、それよりも。
崩れている片膝を起こし、スカートの内側に指を伸ばす。
じく、という水気を帯びた、というよりも水が滴るほどに濡れそぼった布地に触れる。
その感触に唯の表情は怯えの色を帯びたものになるが、しかし徐々に口角だけがゆっくりと吊り上がっていく。
──さあ、言っちゃおっか?
「……うん」
虚空に答える。
そして、そのまま虚空に向かって、呪いの言葉を唱えた。
「私は、黒葛くんが……好き」
つま先から頭のてっぺんまでの皮膚が波打ち、全身が総毛立つ。
体内では身体中の細胞という細胞が歓喜の声を上げ、唯を祝福してくれているかのようだ。
それは激しいリズムを刻む脈動に導かれる、痺れる快楽のパレードだった。
止めどなく降り頻り唯を埋もれさせている雪が一瞬で蒸発した、ように見えたが、実際はその全てが唯の体に吸収されたのだった。
激しくなった脈動は絶頂に至り、ひとたび唯の全身を大きく打ち鳴らす。
膝を崩した唯は床に頭から倒れ込み、鈍い音に次いで床の上を眼鏡が跳ねる乾いた音が響く。
その瞳孔は開ききり、半開きになった口からは涎が垂れている。
どころか、顔中の穴という穴から液体が漏れ出ていた。
心臓の鼓動は止まり、ただ死へと向かうだけにある身体。
再び、室内の音は無機質な時計の針の音だけになった。
ほどなくして時計の音にもう一つ、ゆっくりとリズムを刻む別の音が加わる。
その音は大きさに加えテンポもクレッシェンドで、部屋全体に響くほど大きくなったときには時計の針の音より大幅に速いテンポになっていた。
それに同期して跳ねるほどに震える唯の身体。それが音の発信源だった。
正確には、唯の体内にある心臓。一度は停止したその臓器の脈動だった。
脈動のままにその小さな身体を跳ねさせる様は、陸の上に揚げられた魚か、もしくはある種の前衛的な舞踏にも思われた。
いずれにせよ、目には変わらず光が差しておらず、唯の意思とは無関係な付随運動によるものだった。
だんだんと運動は治まり、また部屋に静寂が訪れようとしたそのとき。
倒れていた唯の全身が突然に持ち上がる。
結果だけを見れば、“立ち上がった”のだろうが、崩れた操り人形を引っ張り上げたように、およそ人間の動作としては不自然な“持ち上がり方”だった。
しかし操り人形と違うのは、それがすぐに自律して動き始めたことだった。
「ノド、乾いちゃったな」
部屋の中央に佇立していた唯は足元の眼鏡を拾い上げ、床の上にまばらに落ちているシミを一瞥して呟いた。
汗と涙と鼻水、嘔吐……このわずかな時間で唯は大量の水分を失った。
脱水症状を起こしていないのが不思議なくらいだ。
唯は足元にあった通学バッグの中から飲みかけのペットボトルを取り出し、7割ほど残っていた水をひと息で飲み込んだ。吸い込んだという方が近いだろうか。
そして空になったペットボトルを後方に放る。
ボトルは放物線を描きながら勉強机の脇の屑カゴの中に吸い込まれていった。
唯は再び立ち上がり、軽く伸びをする。
肩を回し、手首をプラプラと揺らす。
3、4回同じ動作を繰り返し、自分の両手首を見る。紫色の痣が両手とも消えていた。
部屋のドアを明け、廊下の先の暗い階段を降りていく。
1階キッチン奥の冷蔵庫からミネラルウォーターの大ボトルを取り出し、手近なコップに水を注ぎ、喉奥に流し込む。
飲み足りないのか、今度はボトルに直接口をつけ、2リットル近くあった中身全てをひと息のままに飲み干した。
空のボトルをシンク上に置き、ふう、と満足そうに笑う。
「姿見、見たいな」
暗いキッチンを後にし、淡々とした足取りで黒葛の部屋へと戻った唯は、室内の電気を落とした。
家の中から明かりが消える。
唯は一度目を閉じ、そして開く。
その瞳孔は大きく開かれていた。
つい今し方仮死状態にあったときの瞳孔よりも広く、瞳のほとんどを覆うほどだった。
それはこの世に存在するどんな闇よりも深く暗く色をしていただろう。
満月に近い月明かりは室内をぼんやり淡く照らしつつ、ベッドの金属フレームには冷たく鋭い光を刺している。
その反射光は眼鏡のレンズを通り唯の目にも入射しているはずだが、瞳孔の闇に完全に吸われ、その目に光が湛えられることはなかった。
暗い床に散乱したモノとモノの間を縫うように足を運んだ唯は、ベッド脇のクローゼットを開ける。
そこに何があるか、以前から知っていたかのように迷いのない動作だった。
果たしてクローゼットの扉裏には姿見鏡が貼られていた。
「待っててね……」
誰に言うでもなく呟いた唯の青白い笑顔が、鏡に映っている。
幼いその顔に似つかわしくない、放蕩で淫靡な笑みだった。
鏡の前で唯はファスナーに指をかけ、スカートを床に落とす。
「こんな濡れてたら、履いててもね」
じっとりとしたショーツも脱ぎ、濡れそぼった秘部が露わになる。
脱いだそばからジクジクと蜜が溢れてくる。
今し方摂取したばかりの水分が、にわかに消費をされている。
「大丈夫……すぐ。すぐだから」
うわ言のように呟いて、唯は秘部に手を伸ばす。
「私が……も……戻して……」
熟れてすっかりと蕩けたそこはどんな微かな刺激でも快楽を伴った情報へ変換し脳に伝える。
唯は秘部を探りながら、思い浮かべる。
大好きな、あの人を。
私の中で、私とひとつになってくれた、優しい彼。
私の全部を作り替えてくれた、大切な彼。
黒葛くん。
黒葛くん黒葛くん黒葛くん黒葛くん黒葛くん。
唯には、もう分かってしまっていた。
黒葛が、どれだけ自分のことを好いてくれていたか。
それは、今自分が黒葛に対して抱く想いそのままのものなのだから。
そして、黒葛が自分を想いながら、何をしていたか、何をしてくれたかも全てが自分の記憶のものとして思い出せる。
思い出せる、というより分かる。思い出すまでもないのだ。
黒葛が妄想していた唯は、清楚で健気で朗らかで純朴で──唯が思う自分自身とはまるで異なる人物像だった。
仕方がない。実際に話したのは、去年の体育祭のただの一度だけなのだから。
そのときの印象──もっとも、彼の誤解によるものだが──を膨らませ、拡大解釈し、また彼にとって都合の良いパーソナリティに整形したのだ。
ついさっきまでの唯であれば、その事実に強い嫌悪感と拒否反応を抱いていただろう。
しかし、今はもう全く嫌なものではなかった。
むしろそれによって自分が、彼と彼を取り巻くクソみたいな世界との間の鎹になれていたのであれば、こんなに嬉しいことはない。
こんな自分を夜な夜な慰み物としながらも、日々を流し、今日まで耐えてくれた黒葛が愛おしくて堪らない。
そんな黒葛の妄想する静淑で善性あふれる自分は、その実、一方でひどく淫らでもあったようだ。
ひと皮剥いたその下にある本性は淫乱な雌そのもので、淫靡な仕草で、言葉で、黒葛を誘惑し、挙句黒葛と放蕩の限りを尽くす。
黒葛にとって、手前勝手でひたすらに都合の良いイメージだった。
大抵、唯の方から黒葛を犯す。
黒葛のことが好きで辛抱たまらなくなった唯が、ふたりきりになった教室で、部室で、黒葛の自室で、扇情的な下着を身に着け、黒葛にまたがる。
繋がったまま、口付けをし、下も上もドロドロに溶け合い、果てる。
避妊も何もない。なぜ? 実は自分が人間じゃなく、吸精鬼だから?
好きな人を魅了して交合の挙句、精液を一滴残らず吸い取り、黒葛を虜にし、己も黒葛の虜になる。
何て都合がいいんだろう。
でも……すごく、ドキドキする。興奮する。
自分も好きな人のことを想って慰める夜もあるが、そのときのイメージとは全く異なる、野生的なケモノのような交わり……交尾だった。
こんなに私のことを想いながらいやらしいオナニーをしてくれてありがとう。
でも、オナニーよりも、もっと気持ちいいこと。したいよ、黒葛くん。
黒葛の妄想の中で、唯と繋がり、その体内を何度も出入りし、そして最終的に欲望を放つ器官。
唯は、その器官でこそ、今己が抱く欲望を叶えることができるという直感を得ていた。
私を雌に変える、黒葛くんの大事なモノ。
それは、確か……こんな感じ。
淫部の上部に露出している、充血し膨らんだ蕾を指でなぞる。
「ん……っは」
敏感な蕾から唯の全身に快楽が波打ち伝う。
これまでの自慰とは質量ともに次元の異なる刺激だった。
それでも腰を砕くことなく立っていられるのは、唯の身体がその人外の快楽を享受できるだけの器になっているということでもあった。
そうだ、自分は生まれ変わったのだから。
彼によって、彼の思う、淫らな私に。
そして同時に私は彼にもなった。彼も私になった。
だから分かる。
彼の、ううん、私の……“あの形”が。
唯は蕾を刺激しながら、本来あるはずのない記憶、というよりも感覚を重ねる。
黒葛が唯を想いながら勃たせ、そしてその手に包み愛撫した肉の棒の感触。
分かる。これで、黒葛くんは妄想の中で私を犯していたんだ。
何度も何度も。これが、私の中に入れたくて仕方がなかった、黒葛くんの……ペニス。
興奮が極まり、大きく震えた唯の全身が弓なりになる。
同時に、陰部あたりから愛液の噴出を伴ってずるりと肉の棒が飛び出る。
それは元は蕾だった。
蕾はしかし花にはならず、太くたくましい茎となった。
茎でありながら機能としては雄蕊に相当する。
黒葛の生殖器官、すなわちペニスだった。
上げられない産声の代わりに鎌首をもたげて喜びを表現する男根に、唯は慈愛の目を向ける。
「でき……た……。黒葛くんの……私の……」
男の欲望の化身であって、それを表現する器官。
黒葛のものと、同じ形状をしているが、より進化した欲望の受け皿として、本来のものよりもひと回り太く、硬く、そして長く見える。
黒葛本人でもなし得なかったであろう屹立は、直立したままの唯の臍を越えて腹に接するほどだった。
唯はつい先ほどまで自分を縛り付けていたベッドに腰を下ろす。
腰回りの肉がペニスの根本を圧迫することで異物の怒張をより感じ、喉を鳴らした。
記憶の中に朧げにある父のそれとは違い大きく膨れ上がった異形は、わずかな刺激でも快楽の信号として増幅変換し唯の脳に伝達するマイクロフォンにもなっていた。
「ん……」
姿勢を変える度に下半身を襲う痺れに翻弄されながらも、唯はそのままベッドに体を横たえる。
ペニスは依然怒張を誇り、それ自体が意志をもって唯の顔に飛び掛かろうとしているかのようだ。
唯はともすれば宇宙生物の幼体にも見えるグロテスクな物体に愛おしさを覚え、その頭部を細い指で優しく撫でようとする。
「はぁっ……!」
触れた瞬間、腰から背中にかけて電撃が走り抜ける。
反射的に退けた指に粘ついた糸が架かる。指を顔に近づけ、それを観察する。
先端から出ている、汁。
精液ではないそれを、唯は“知って”いる。
舌先で舐め取ったそれを口内で転がし、舌の味蕾一面に擦り込みうっとりと目を細める。
「男の子の……『がまんじる』」
これまで唯の辞書にはなかった単語だった。
尿でもなければ精液でもない、性的な興奮に呼応して分泌される、男の愛液。
スン、と鼻を鳴らす。さっきは気付かなかったが、今は分かる。
スンスンと鼻を鳴らしながら、膝立ちで腰を持ち上げた状態のうつ伏せになる。
顔全面がマットレスにうずまり、鼻と口がシーツで塞がれると呼吸は一層深く、荒くなる。
ベッドのシーツに染み込んだ、思春期男子の、それも決して清潔とは言い難い男の体臭。
以前の唯であればひと呼吸もしないうちに顔を背け、吐き気を催していたかもしれないその匂いが唯の肺を満たしていく。
唯にとって最も落ち着き安らげる場所である自宅の自室。
その寝具が醸す、甘く優しい芳香を嗅いだときのような安心感を覚えつつ、また同時にむせ返るほどの雄の匂いに、沸々と湧き起こる劣情に支配されつつあった。
黒葛は枕を使わない。
それゆえ髪の匂い、汗の匂い、皮脂の匂い、涎の匂いをたっぷりと湛えたシーツとマットレス。
荒かった呼吸が、ゆったりとした深い呼吸に変わる。
吸引をしながら鼻腔を刺激する芳香に病みつきになり、息を吐き出すタイミングがなく結果として深呼吸になってしまう。
愛しい人の匂いに反応し、唯の腹の下で張り詰め続けているペニスがさらに怒張を増す。
「あっ……」
声が漏れる。
膨らみ、大きくなったペニスがマットレスと自分の腹の間に潜り込み、柔らかい感触に挟まれつつ圧迫されたのだ。
挟み込まれたペニスは、電気信号をもって唯に教える。
『こうして欲しい』と。『自分はこうされるためにあるのだ』と。
「分かってるよ……」
少し腰を上げ、ペニスとシーツとの間に長い糸が引かれた。
「まだダメ。ふふ……」
あの姿勢のまま少し動いただけで、すぐに絶頂に至るのが、直感的に唯には理解ができた。
ただ、まだ、もう少しだけ。
──ちゃんと私も、黒葛くんを想いながら、イカなきゃ……。
唯は、枕元の匂いを一度大きく吸ってから身体を起こし、膝立ちの体勢になる。
小さな身体の、白く柔らかい肌から突き出たグロテスクな剛直がアンバランスだが、唯自身は何も違和感を覚えていなかった。
今の唯にとってそれは生まれつき持っていた器官であって、好きな人が自分のことを想って愛撫した、いわば黒葛との絆でもあった。
そして、それをどうすれば気持ち良くなるか、唯の身体はすでに知っている。
先端にあるぷくりとした“がまんじる”の露が見るみる膨らんでいく。
とくとくと分泌され、湧き出るそれは唯を急かすサインのようだった。
何せ、本来の持ち主が夢にまで見た想い人の顔がすぐそこにあるのだから。
それは怒張のすぐ下にある、唯の秘壺も同じだった。
想い人の生殖器官が真上にあるというのに、それを受け入れることができないもどかしさ。
亀裂からシクシクと湧き出る愛液は、涙だろうか?
その身体の主の表情から察するに、そうではないのかもしれない。
口角を吊り上げた唯は、陶然とした眼差しの先の怒張茎部を右手で包む。
本来左利きの唯は、日頃手淫にも左手を用いていたが、今は自然と右手を伸ばしている。
いつもとは異なる小さく柔らかな手の感触に、ビクンと脈動するペニス。
太く長い怒張は唯の片手では間に合わないサイズだったが、唯は片手がよかった。
──黒葛くんと、同じやり方がいい。
右手を、上下に動かす。
ゴリ、とした感触とともに、自分の中で何かが走り始めたのが分かる。
目を閉じ、想像する。
自分に向けられる、黒葛の笑み。
唯が知るはずのない顔の造形と笑顔。
いや、その笑顔は当の本人ですら知らないものなのかもしれない。
そして、その笑顔の主はもうこの世には存在しないのだ。
「また、会いたい……会いたいよ……」
往復する唯の手の速度が上がる。
思い浮かべる表情は次第に紅潮し、恥ずかし気な笑みへと変化する。
いつの間にか唯自身もそのイメージの中に加わっており、生まれたままの姿で向かい合った二人は潤んだ視線を交わし合っていた。
視線の距離はだんだんと短くなり、同じように視界が狭まっていく。
二人は目を閉じ、そして唇と唇を重ねた。
互いの胴に絡み付いた腕はどこまでも相手の身体を引き寄せ、自らの身体の内に埋め沈めようとする。
それは逆に自らの身体を相手の中に埋没させたいという願いとも同義だった。
黒葛の引き寄せたい気持ちと、唯の押し寄せたい気持ちが相乗し、黒葛を下にして唯の身体が被さる。
この星の重力が、二人の“ひとつになりたい”という願いを後押ししてくれる。
身体はより密着し、粘液のようなじっとりとした汗が肌と肌の隙間を直ちに埋めていく。
唇と唇は、パズルのピースのように最も繋がり合う正解の形を求めてお互いに探り合う。
お互いのピースの形を呈示し合い貪るように何度も試行した末、偶然マッチした次の瞬間には、ピースの形は崩れてしまう。
ほとんど流体となっている二人の口内では条件が目まぐるしく変化しており、一時として同じ形になることはない。
崩れてはまた探す、崩れてはまた探す。
その行為は決して平凡退屈なものではなく、二人を夢中にさせるコミュニケーションだった。
次第にどちらがどちらのピースか分からなくなる。
自分と相手とが分からなくなる。
インもアウトもない。主体も客体も消える。
最後には、自分も消えていく──
刺激を続ける唯のペニスがますます熱を帯び、そしてじんわりと麻酔をかけられたように感覚が鈍くなっていくのを感じる。
疾走のゴールが近付いているのが分かった。
黒葛くん、一緒に──
ベッドの上で膝立ちになっている唯の全身は上気し、眉間に皺が寄るほどにその目は固く閉じられた。
苦しげな表情に加え、半開きになった口からは絶えず熱く湿った吐息が漏れ出ている。
そして達する直前、その唇が震える。
「きて」
応えるように、握りしめていたペニスの先から真っ黒色の液体が飛び出した。
およそ通常の射精とは比較にならない大量の液体の噴出の勢いと、全身を貫く経験したことのない快感とで身を反らせる唯。
断続的な噴出は数秒続き、床一面に黒い液体──黒い泥水が飛び散った。
ややあって泥水がプルプル震えたかと思うと一斉に部屋の一箇所に集まり、ひとつの大きな黒い水溜りとなる。
「戻ってきて、黒葛くん」
肩で息をする唯が黒い泥水に話しかけた。
すると水溜りの中央が盛り上がり、人の形を成した。
それは紛れもなく黒葛祐樹という人間であり、衣服も含め、唯の体内に入る直前と変わらない姿をしていた。
「……え、……あ……」
片膝立ちのまま言葉にならない音を発し、周囲を見渡す黒葛。
そして薄い闇の中、自分のベッドに座っている人影を認めたが、不思議と驚きはしなかった。
黒葛の混濁した意識においても、それが何か、誰であるかが分かっていた。
カーテンが夜風でそよぎ、差し込んだ月の光がその人物を照らす。
「おかえり。黒葛くん」
黒葛の想い人、茜川唯だった。
唯は同じ姿勢のまま、じっと黒葛を見つめていたようだった。
闇に目が慣れてきた黒葛はその表情に優しい微笑みを見る。
「茜川、さん……何で……」
思考がぐるぐるとマーブル模様のように渦巻き、はっきりとしない。
ついさっきまで見ていた夢の内容と、現実との境目が曖昧になる──ひどく寝起きの悪い朝のように。
いま目の前には、ずっと思いを寄せていた人が、自分の部屋のベッドの上で、自分に笑いかけてくれている。
一体、これは──
記憶を辿る。そして辿ろうとして、分かってしまった。
「……いや、分かる、よ……」
混濁していた思考が瞬時に統合される。
過冷却にある液体がわずかな衝撃をきっかけに一瞬で凍結するのと同じだった。
「僕の中に、茜川さんがいる」
黒葛は思わず口に出してしまったその言葉を自分で疑ってしまう。
しかし、ベッドの上の天使は天使には似つかわしくない淫蕩の笑みを浮かべ応えた。
「私の中にも黒葛くんがいるよ」
※性描写注意
スマホが唯の指の隙間から滑り落ち、床で跳ねた。
今私、何を考えたの?
美月ちゃんを思い浮かべようとして。
あれ? 何かがおかしい。
私は美月ちゃんのことが好きで、でも、“彼”のことを思い浮かべたとき、何だか──
目を見開く唯だが、その瞳に映っているはずの室内の風景は脳にまで伝達されない。
頭の中では、ある人物のシルエットが朧げに浮かび、やがて鮮明な像として結ばれる。
その瞬間、唯の胸が弾かれたように高鳴り、その衝動の余波が口から漏れ出た。
「黒葛くん」
その音の響きに胸がまた悲鳴を上げる。
黒葛くん。
声ではない心の内の反芻ですら唯の胸を締め付けるが、ただ決して苦しいだけではない。
それを上回って余りある、快感。
すぐに頭を振り、脳内の映像を払おうをする。
散らかった床が一瞬見えたが、また再び頭の中の映像に引き戻される。
そしてまたゆっくりと“彼”が像を結び……唯に微笑みかける。
心臓が口から飛び出しそうになる。
だって、こんなにも私のことを想ってくれる人が、私に笑いかけてくれて──
あれ、なんで私は、彼の気持ちを、私を想う気持ちが分かるんだろう。
告白されたから? 好きだって言ってくれたから? 違う。
ずっと前から知ってたかのように、彼の気持ちが分かる。
ううん、それだけじゃなくて、こうしてる間にもどんどん伝わってくる。……彼の。
「く、黒葛くんの」
胸が躍り、魂が震える。
「気持ち……」
それは降り頻る雪だった。
通常の雪と異なるのは熱を持ち暖かいということ。
熱を持ちながらも肌に触れた途端溶けて唯の中に染み込んでいく。
降りしきる雪はますます勢いを増し、溶けきれないほどに積もった雪に唯の体は埋もれていく。
ホワイトアウトしそうな意識と視界の中、唯は幼馴染の女の子のことを考えようとする。
長くきれいな髪、やさしく微笑む口元……大好きな人の顔をモンタージュしていく。
大好きな人……黒葛くんの顔を……。
不鮮明な幼馴染の顔は一瞬にして黒葛の顔に塗り替えられる。
またもや快感が全身を伝う。
いや最初よりも“気持ちよさ”が強くなっている。
もっと彼のことを考えたいという誘惑を何とかはねのけた唯は、今の自分を自分たらしめている、信仰にも似た心の拠る辺を勢いのまま言葉に吐き出す。
「美月ちゃん! 美月ちゃん! 私は、美月ちゃんが好き!」
すぐに唯の脳内に、笑顔の美月の像がはっきりと結ばれた。
そう、私が大好きなのはこの人。
美月ちゃんのことを想うと胸が熱くなる。勇気がもらえる。だって、これが恋だから。
「美月ちゃん大好き! やだやだ好きになりたくない黒葛くんなんて!」
うっかりその名前を口にした瞬間、再び唯の思考は黒葛に支配される。
唯はあっ……と言いかけたが、代わりに出たのは。
「く……黒葛くん……なんて……」
だめだ、と消えゆく唯の理性が告げる。
それを口に出すともう戻れなくなってしまう。
──もし言っちゃったら?
声が、聞こえた。
──素直に気持ちを認めたら、もっと気持ちよくなるんじゃない?
私の声だ。でも、私はこんな喋り方、したことない。できない。
──だって、彼のことを思うと、胸が熱くなるんでしょ?
こんな、大人っぽくて……いやらしい声。
──ねえ、わかってるんでしょ? それって──
唯は、いつの間にか喉近くにまで溜まっていた唾液を飲み込む。
小さく震えている唇はさっきまでと異なり、ぷっくりと膨れ、充血をしている。
同様に目元も血潮の沸りで蕩け、頬も濡れた紙に赤インクを垂らしたような滲みを纏う。
手鏡を開かずとも、自分の顔の状態が自覚できてしまうほどだった。
そして、いや、それよりも。
崩れている片膝を起こし、スカートの内側に指を伸ばす。
じく、という水気を帯びた、というよりも水が滴るほどに濡れそぼった布地に触れる。
その感触に唯の表情は怯えの色を帯びたものになるが、しかし徐々に口角だけがゆっくりと吊り上がっていく。
──さあ、言っちゃおっか?
「……うん」
虚空に答える。
そして、そのまま虚空に向かって、呪いの言葉を唱えた。
「私は、黒葛くんが……好き」
つま先から頭のてっぺんまでの皮膚が波打ち、全身が総毛立つ。
体内では身体中の細胞という細胞が歓喜の声を上げ、唯を祝福してくれているかのようだ。
それは激しいリズムを刻む脈動に導かれる、痺れる快楽のパレードだった。
止めどなく降り頻り唯を埋もれさせている雪が一瞬で蒸発した、ように見えたが、実際はその全てが唯の体に吸収されたのだった。
激しくなった脈動は絶頂に至り、ひとたび唯の全身を大きく打ち鳴らす。
膝を崩した唯は床に頭から倒れ込み、鈍い音に次いで床の上を眼鏡が跳ねる乾いた音が響く。
その瞳孔は開ききり、半開きになった口からは涎が垂れている。
どころか、顔中の穴という穴から液体が漏れ出ていた。
心臓の鼓動は止まり、ただ死へと向かうだけにある身体。
再び、室内の音は無機質な時計の針の音だけになった。
ほどなくして時計の音にもう一つ、ゆっくりとリズムを刻む別の音が加わる。
その音は大きさに加えテンポもクレッシェンドで、部屋全体に響くほど大きくなったときには時計の針の音より大幅に速いテンポになっていた。
それに同期して跳ねるほどに震える唯の身体。それが音の発信源だった。
正確には、唯の体内にある心臓。一度は停止したその臓器の脈動だった。
脈動のままにその小さな身体を跳ねさせる様は、陸の上に揚げられた魚か、もしくはある種の前衛的な舞踏にも思われた。
いずれにせよ、目には変わらず光が差しておらず、唯の意思とは無関係な付随運動によるものだった。
だんだんと運動は治まり、また部屋に静寂が訪れようとしたそのとき。
倒れていた唯の全身が突然に持ち上がる。
結果だけを見れば、“立ち上がった”のだろうが、崩れた操り人形を引っ張り上げたように、およそ人間の動作としては不自然な“持ち上がり方”だった。
しかし操り人形と違うのは、それがすぐに自律して動き始めたことだった。
「ノド、乾いちゃったな」
部屋の中央に佇立していた唯は足元の眼鏡を拾い上げ、床の上にまばらに落ちているシミを一瞥して呟いた。
汗と涙と鼻水、嘔吐……このわずかな時間で唯は大量の水分を失った。
脱水症状を起こしていないのが不思議なくらいだ。
唯は足元にあった通学バッグの中から飲みかけのペットボトルを取り出し、7割ほど残っていた水をひと息で飲み込んだ。吸い込んだという方が近いだろうか。
そして空になったペットボトルを後方に放る。
ボトルは放物線を描きながら勉強机の脇の屑カゴの中に吸い込まれていった。
唯は再び立ち上がり、軽く伸びをする。
肩を回し、手首をプラプラと揺らす。
3、4回同じ動作を繰り返し、自分の両手首を見る。紫色の痣が両手とも消えていた。
部屋のドアを明け、廊下の先の暗い階段を降りていく。
1階キッチン奥の冷蔵庫からミネラルウォーターの大ボトルを取り出し、手近なコップに水を注ぎ、喉奥に流し込む。
飲み足りないのか、今度はボトルに直接口をつけ、2リットル近くあった中身全てをひと息のままに飲み干した。
空のボトルをシンク上に置き、ふう、と満足そうに笑う。
「姿見、見たいな」
暗いキッチンを後にし、淡々とした足取りで黒葛の部屋へと戻った唯は、室内の電気を落とした。
家の中から明かりが消える。
唯は一度目を閉じ、そして開く。
その瞳孔は大きく開かれていた。
つい今し方仮死状態にあったときの瞳孔よりも広く、瞳のほとんどを覆うほどだった。
それはこの世に存在するどんな闇よりも深く暗く色をしていただろう。
満月に近い月明かりは室内をぼんやり淡く照らしつつ、ベッドの金属フレームには冷たく鋭い光を刺している。
その反射光は眼鏡のレンズを通り唯の目にも入射しているはずだが、瞳孔の闇に完全に吸われ、その目に光が湛えられることはなかった。
暗い床に散乱したモノとモノの間を縫うように足を運んだ唯は、ベッド脇のクローゼットを開ける。
そこに何があるか、以前から知っていたかのように迷いのない動作だった。
果たしてクローゼットの扉裏には姿見鏡が貼られていた。
「待っててね……」
誰に言うでもなく呟いた唯の青白い笑顔が、鏡に映っている。
幼いその顔に似つかわしくない、放蕩で淫靡な笑みだった。
鏡の前で唯はファスナーに指をかけ、スカートを床に落とす。
「こんな濡れてたら、履いててもね」
じっとりとしたショーツも脱ぎ、濡れそぼった秘部が露わになる。
脱いだそばからジクジクと蜜が溢れてくる。
今し方摂取したばかりの水分が、にわかに消費をされている。
「大丈夫……すぐ。すぐだから」
うわ言のように呟いて、唯は秘部に手を伸ばす。
「私が……も……戻して……」
熟れてすっかりと蕩けたそこはどんな微かな刺激でも快楽を伴った情報へ変換し脳に伝える。
唯は秘部を探りながら、思い浮かべる。
大好きな、あの人を。
私の中で、私とひとつになってくれた、優しい彼。
私の全部を作り替えてくれた、大切な彼。
黒葛くん。
黒葛くん黒葛くん黒葛くん黒葛くん黒葛くん。
唯には、もう分かってしまっていた。
黒葛が、どれだけ自分のことを好いてくれていたか。
それは、今自分が黒葛に対して抱く想いそのままのものなのだから。
そして、黒葛が自分を想いながら、何をしていたか、何をしてくれたかも全てが自分の記憶のものとして思い出せる。
思い出せる、というより分かる。思い出すまでもないのだ。
黒葛が妄想していた唯は、清楚で健気で朗らかで純朴で──唯が思う自分自身とはまるで異なる人物像だった。
仕方がない。実際に話したのは、去年の体育祭のただの一度だけなのだから。
そのときの印象──もっとも、彼の誤解によるものだが──を膨らませ、拡大解釈し、また彼にとって都合の良いパーソナリティに整形したのだ。
ついさっきまでの唯であれば、その事実に強い嫌悪感と拒否反応を抱いていただろう。
しかし、今はもう全く嫌なものではなかった。
むしろそれによって自分が、彼と彼を取り巻くクソみたいな世界との間の鎹になれていたのであれば、こんなに嬉しいことはない。
こんな自分を夜な夜な慰み物としながらも、日々を流し、今日まで耐えてくれた黒葛が愛おしくて堪らない。
そんな黒葛の妄想する静淑で善性あふれる自分は、その実、一方でひどく淫らでもあったようだ。
ひと皮剥いたその下にある本性は淫乱な雌そのもので、淫靡な仕草で、言葉で、黒葛を誘惑し、挙句黒葛と放蕩の限りを尽くす。
黒葛にとって、手前勝手でひたすらに都合の良いイメージだった。
大抵、唯の方から黒葛を犯す。
黒葛のことが好きで辛抱たまらなくなった唯が、ふたりきりになった教室で、部室で、黒葛の自室で、扇情的な下着を身に着け、黒葛にまたがる。
繋がったまま、口付けをし、下も上もドロドロに溶け合い、果てる。
避妊も何もない。なぜ? 実は自分が人間じゃなく、吸精鬼だから?
好きな人を魅了して交合の挙句、精液を一滴残らず吸い取り、黒葛を虜にし、己も黒葛の虜になる。
何て都合がいいんだろう。
でも……すごく、ドキドキする。興奮する。
自分も好きな人のことを想って慰める夜もあるが、そのときのイメージとは全く異なる、野生的なケモノのような交わり……交尾だった。
こんなに私のことを想いながらいやらしいオナニーをしてくれてありがとう。
でも、オナニーよりも、もっと気持ちいいこと。したいよ、黒葛くん。
黒葛の妄想の中で、唯と繋がり、その体内を何度も出入りし、そして最終的に欲望を放つ器官。
唯は、その器官でこそ、今己が抱く欲望を叶えることができるという直感を得ていた。
私を雌に変える、黒葛くんの大事なモノ。
それは、確か……こんな感じ。
淫部の上部に露出している、充血し膨らんだ蕾を指でなぞる。
「ん……っは」
敏感な蕾から唯の全身に快楽が波打ち伝う。
これまでの自慰とは質量ともに次元の異なる刺激だった。
それでも腰を砕くことなく立っていられるのは、唯の身体がその人外の快楽を享受できるだけの器になっているということでもあった。
そうだ、自分は生まれ変わったのだから。
彼によって、彼の思う、淫らな私に。
そして同時に私は彼にもなった。彼も私になった。
だから分かる。
彼の、ううん、私の……“あの形”が。
唯は蕾を刺激しながら、本来あるはずのない記憶、というよりも感覚を重ねる。
黒葛が唯を想いながら勃たせ、そしてその手に包み愛撫した肉の棒の感触。
分かる。これで、黒葛くんは妄想の中で私を犯していたんだ。
何度も何度も。これが、私の中に入れたくて仕方がなかった、黒葛くんの……ペニス。
興奮が極まり、大きく震えた唯の全身が弓なりになる。
同時に、陰部あたりから愛液の噴出を伴ってずるりと肉の棒が飛び出る。
それは元は蕾だった。
蕾はしかし花にはならず、太くたくましい茎となった。
茎でありながら機能としては雄蕊に相当する。
黒葛の生殖器官、すなわちペニスだった。
上げられない産声の代わりに鎌首をもたげて喜びを表現する男根に、唯は慈愛の目を向ける。
「でき……た……。黒葛くんの……私の……」
男の欲望の化身であって、それを表現する器官。
黒葛のものと、同じ形状をしているが、より進化した欲望の受け皿として、本来のものよりもひと回り太く、硬く、そして長く見える。
黒葛本人でもなし得なかったであろう屹立は、直立したままの唯の臍を越えて腹に接するほどだった。
唯はつい先ほどまで自分を縛り付けていたベッドに腰を下ろす。
腰回りの肉がペニスの根本を圧迫することで異物の怒張をより感じ、喉を鳴らした。
記憶の中に朧げにある父のそれとは違い大きく膨れ上がった異形は、わずかな刺激でも快楽の信号として増幅変換し唯の脳に伝達するマイクロフォンにもなっていた。
「ん……」
姿勢を変える度に下半身を襲う痺れに翻弄されながらも、唯はそのままベッドに体を横たえる。
ペニスは依然怒張を誇り、それ自体が意志をもって唯の顔に飛び掛かろうとしているかのようだ。
唯はともすれば宇宙生物の幼体にも見えるグロテスクな物体に愛おしさを覚え、その頭部を細い指で優しく撫でようとする。
「はぁっ……!」
触れた瞬間、腰から背中にかけて電撃が走り抜ける。
反射的に退けた指に粘ついた糸が架かる。指を顔に近づけ、それを観察する。
先端から出ている、汁。
精液ではないそれを、唯は“知って”いる。
舌先で舐め取ったそれを口内で転がし、舌の味蕾一面に擦り込みうっとりと目を細める。
「男の子の……『がまんじる』」
これまで唯の辞書にはなかった単語だった。
尿でもなければ精液でもない、性的な興奮に呼応して分泌される、男の愛液。
スン、と鼻を鳴らす。さっきは気付かなかったが、今は分かる。
スンスンと鼻を鳴らしながら、膝立ちで腰を持ち上げた状態のうつ伏せになる。
顔全面がマットレスにうずまり、鼻と口がシーツで塞がれると呼吸は一層深く、荒くなる。
ベッドのシーツに染み込んだ、思春期男子の、それも決して清潔とは言い難い男の体臭。
以前の唯であればひと呼吸もしないうちに顔を背け、吐き気を催していたかもしれないその匂いが唯の肺を満たしていく。
唯にとって最も落ち着き安らげる場所である自宅の自室。
その寝具が醸す、甘く優しい芳香を嗅いだときのような安心感を覚えつつ、また同時にむせ返るほどの雄の匂いに、沸々と湧き起こる劣情に支配されつつあった。
黒葛は枕を使わない。
それゆえ髪の匂い、汗の匂い、皮脂の匂い、涎の匂いをたっぷりと湛えたシーツとマットレス。
荒かった呼吸が、ゆったりとした深い呼吸に変わる。
吸引をしながら鼻腔を刺激する芳香に病みつきになり、息を吐き出すタイミングがなく結果として深呼吸になってしまう。
愛しい人の匂いに反応し、唯の腹の下で張り詰め続けているペニスがさらに怒張を増す。
「あっ……」
声が漏れる。
膨らみ、大きくなったペニスがマットレスと自分の腹の間に潜り込み、柔らかい感触に挟まれつつ圧迫されたのだ。
挟み込まれたペニスは、電気信号をもって唯に教える。
『こうして欲しい』と。『自分はこうされるためにあるのだ』と。
「分かってるよ……」
少し腰を上げ、ペニスとシーツとの間に長い糸が引かれた。
「まだダメ。ふふ……」
あの姿勢のまま少し動いただけで、すぐに絶頂に至るのが、直感的に唯には理解ができた。
ただ、まだ、もう少しだけ。
──ちゃんと私も、黒葛くんを想いながら、イカなきゃ……。
唯は、枕元の匂いを一度大きく吸ってから身体を起こし、膝立ちの体勢になる。
小さな身体の、白く柔らかい肌から突き出たグロテスクな剛直がアンバランスだが、唯自身は何も違和感を覚えていなかった。
今の唯にとってそれは生まれつき持っていた器官であって、好きな人が自分のことを想って愛撫した、いわば黒葛との絆でもあった。
そして、それをどうすれば気持ち良くなるか、唯の身体はすでに知っている。
先端にあるぷくりとした“がまんじる”の露が見るみる膨らんでいく。
とくとくと分泌され、湧き出るそれは唯を急かすサインのようだった。
何せ、本来の持ち主が夢にまで見た想い人の顔がすぐそこにあるのだから。
それは怒張のすぐ下にある、唯の秘壺も同じだった。
想い人の生殖器官が真上にあるというのに、それを受け入れることができないもどかしさ。
亀裂からシクシクと湧き出る愛液は、涙だろうか?
その身体の主の表情から察するに、そうではないのかもしれない。
口角を吊り上げた唯は、陶然とした眼差しの先の怒張茎部を右手で包む。
本来左利きの唯は、日頃手淫にも左手を用いていたが、今は自然と右手を伸ばしている。
いつもとは異なる小さく柔らかな手の感触に、ビクンと脈動するペニス。
太く長い怒張は唯の片手では間に合わないサイズだったが、唯は片手がよかった。
──黒葛くんと、同じやり方がいい。
右手を、上下に動かす。
ゴリ、とした感触とともに、自分の中で何かが走り始めたのが分かる。
目を閉じ、想像する。
自分に向けられる、黒葛の笑み。
唯が知るはずのない顔の造形と笑顔。
いや、その笑顔は当の本人ですら知らないものなのかもしれない。
そして、その笑顔の主はもうこの世には存在しないのだ。
「また、会いたい……会いたいよ……」
往復する唯の手の速度が上がる。
思い浮かべる表情は次第に紅潮し、恥ずかし気な笑みへと変化する。
いつの間にか唯自身もそのイメージの中に加わっており、生まれたままの姿で向かい合った二人は潤んだ視線を交わし合っていた。
視線の距離はだんだんと短くなり、同じように視界が狭まっていく。
二人は目を閉じ、そして唇と唇を重ねた。
互いの胴に絡み付いた腕はどこまでも相手の身体を引き寄せ、自らの身体の内に埋め沈めようとする。
それは逆に自らの身体を相手の中に埋没させたいという願いとも同義だった。
黒葛の引き寄せたい気持ちと、唯の押し寄せたい気持ちが相乗し、黒葛を下にして唯の身体が被さる。
この星の重力が、二人の“ひとつになりたい”という願いを後押ししてくれる。
身体はより密着し、粘液のようなじっとりとした汗が肌と肌の隙間を直ちに埋めていく。
唇と唇は、パズルのピースのように最も繋がり合う正解の形を求めてお互いに探り合う。
お互いのピースの形を呈示し合い貪るように何度も試行した末、偶然マッチした次の瞬間には、ピースの形は崩れてしまう。
ほとんど流体となっている二人の口内では条件が目まぐるしく変化しており、一時として同じ形になることはない。
崩れてはまた探す、崩れてはまた探す。
その行為は決して平凡退屈なものではなく、二人を夢中にさせるコミュニケーションだった。
次第にどちらがどちらのピースか分からなくなる。
自分と相手とが分からなくなる。
インもアウトもない。主体も客体も消える。
最後には、自分も消えていく──
刺激を続ける唯のペニスがますます熱を帯び、そしてじんわりと麻酔をかけられたように感覚が鈍くなっていくのを感じる。
疾走のゴールが近付いているのが分かった。
黒葛くん、一緒に──
ベッドの上で膝立ちになっている唯の全身は上気し、眉間に皺が寄るほどにその目は固く閉じられた。
苦しげな表情に加え、半開きになった口からは絶えず熱く湿った吐息が漏れ出ている。
そして達する直前、その唇が震える。
「きて」
応えるように、握りしめていたペニスの先から真っ黒色の液体が飛び出した。
およそ通常の射精とは比較にならない大量の液体の噴出の勢いと、全身を貫く経験したことのない快感とで身を反らせる唯。
断続的な噴出は数秒続き、床一面に黒い液体──黒い泥水が飛び散った。
ややあって泥水がプルプル震えたかと思うと一斉に部屋の一箇所に集まり、ひとつの大きな黒い水溜りとなる。
「戻ってきて、黒葛くん」
肩で息をする唯が黒い泥水に話しかけた。
すると水溜りの中央が盛り上がり、人の形を成した。
それは紛れもなく黒葛祐樹という人間であり、衣服も含め、唯の体内に入る直前と変わらない姿をしていた。
「……え、……あ……」
片膝立ちのまま言葉にならない音を発し、周囲を見渡す黒葛。
そして薄い闇の中、自分のベッドに座っている人影を認めたが、不思議と驚きはしなかった。
黒葛の混濁した意識においても、それが何か、誰であるかが分かっていた。
カーテンが夜風でそよぎ、差し込んだ月の光がその人物を照らす。
「おかえり。黒葛くん」
黒葛の想い人、茜川唯だった。
唯は同じ姿勢のまま、じっと黒葛を見つめていたようだった。
闇に目が慣れてきた黒葛はその表情に優しい微笑みを見る。
「茜川、さん……何で……」
思考がぐるぐるとマーブル模様のように渦巻き、はっきりとしない。
ついさっきまで見ていた夢の内容と、現実との境目が曖昧になる──ひどく寝起きの悪い朝のように。
いま目の前には、ずっと思いを寄せていた人が、自分の部屋のベッドの上で、自分に笑いかけてくれている。
一体、これは──
記憶を辿る。そして辿ろうとして、分かってしまった。
「……いや、分かる、よ……」
混濁していた思考が瞬時に統合される。
過冷却にある液体がわずかな衝撃をきっかけに一瞬で凍結するのと同じだった。
「僕の中に、茜川さんがいる」
黒葛は思わず口に出してしまったその言葉を自分で疑ってしまう。
しかし、ベッドの上の天使は天使には似つかわしくない淫蕩の笑みを浮かべ応えた。
「私の中にも黒葛くんがいるよ」
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