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第一章
第11話/桜永美月:5
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2023年6月2日(金) 8:15 朝礼前
「あ、おはよう、美月ちゃん」
朝、美月が教室のドアを開けると、すぐそこに唯がいた。
クラスメイトの女子数人と談笑をしていたようだった。
その場にいたほかの女子も唯に続いて口々に挨拶をするが、その声には喜色がにじんでいる。
クラス内でも比較的落ち着いたタイプの面々ではあるが、和やかに、しかしそれなりに楽しく会話を弾ませていたようだった。
美月もすれ違いざまに軽く手を掲げて挨拶を返す。
「あ……おはよう」
誰に、ということはなく、唯を含む面々へ向けた挨拶だった。
唯の目は、見ることができなかった。
美月は背中に朗らかな調子の談笑を聞きながら自席へと向かう。
荷物を下ろし椅子に座ったところで、談笑を切り上げた唯に話しかけられた。
「美月ちゃん、元気なくない?」
「いや別に……そんなこと、ないけどさ」
HR前だが無駄に1限目の英語の教材の準備をしてしまう。
唯の声を聞くと、昨日の放課後、文芸部部室前で聞いたあの声が誰のものであるかを同定してしまいそうだった。
「昨日放課後」
唯の言葉に美月の心臓がキュッと掴まれる。
「うちのお母さんに会ったんだね」
そっちか、と少し安堵するが、しかしそれは美月が唯の嘘を認識している、ということを唯もまた知っているということでもある。
「うん。帰り道で……見かけて。元気そうで、うん」
教科書とノートを重ね、トントンと立てて揃えてみる。一体この動作に何の意味があるというのだろう。
唯は美月の正面に回り、机の上に肘と頭を乗せる。
「美月ちゃんてね……やさしいよね。ほんと」
嫌味でもなければ、一切の悪意も感じられない、ただ長閑な調子の声だった。
いみじくも遮蔽物となった、無為に立てられた英語教材を机の上に置き直す。
唯と目が合う。
昨日の朝も見た、陶然と蕩けた瞳がそこにあった。
主に後輩陣からこうした視線を浴びることは珍しくない美月だったが、正面からまっすぐと見据えられると、どうにも空恥ずかしさがある。
どころか、ばつの悪さまでも感じてしまうのは、昨日の放課後の一連のあれやこれやのせいだろう。
視線を外しかけると、逃がさないとばかりに唯がひと息のうちに言葉を発する。
「今日一緒に帰ろ。そのままうちに遊びに来て。今日は家開けてもらったから」
「開けてって……?」
家を開けてもらった、の意味が分からず思わず聞き返した美月は、それ以前に唯にしては随分と強引な誘いであることに違和感を覚える。
──今日もし時間があって、もしよかったら、一緒に帰ってくれたりしないかな。
いかにも唯の言いそうな表現を想像してみるが、これでもまだ強い方だろう。
美月から見て唯という幼馴染は、おおよそそういう塩梅にあった。
「だめ?」
机の上の英語教材を飛び越えて熱い視線が美月に注がれる。
seeでなければwatchでもない。これはgazeというやつだ。
美月は意を決して唯にgazeを返す。
「ううん。うん、行く」
確かめなければ。唯に何があったのか。
それに、“そうした方がいい”と思ったのだ。
「ありがとう」
美月の返事に破顔した唯はひと言、礼を述べてすっくと腰を上げる。
自席へ戻ろうとする唯の去り際、美月は耳元に囁き声を聞く。
「絶対、約束だよ」
振り返った美月が見たのは、ヒラヒラと後ろ手を振って見せる唯の後ろ姿だった。
「あ、おはよう、美月ちゃん」
朝、美月が教室のドアを開けると、すぐそこに唯がいた。
クラスメイトの女子数人と談笑をしていたようだった。
その場にいたほかの女子も唯に続いて口々に挨拶をするが、その声には喜色がにじんでいる。
クラス内でも比較的落ち着いたタイプの面々ではあるが、和やかに、しかしそれなりに楽しく会話を弾ませていたようだった。
美月もすれ違いざまに軽く手を掲げて挨拶を返す。
「あ……おはよう」
誰に、ということはなく、唯を含む面々へ向けた挨拶だった。
唯の目は、見ることができなかった。
美月は背中に朗らかな調子の談笑を聞きながら自席へと向かう。
荷物を下ろし椅子に座ったところで、談笑を切り上げた唯に話しかけられた。
「美月ちゃん、元気なくない?」
「いや別に……そんなこと、ないけどさ」
HR前だが無駄に1限目の英語の教材の準備をしてしまう。
唯の声を聞くと、昨日の放課後、文芸部部室前で聞いたあの声が誰のものであるかを同定してしまいそうだった。
「昨日放課後」
唯の言葉に美月の心臓がキュッと掴まれる。
「うちのお母さんに会ったんだね」
そっちか、と少し安堵するが、しかしそれは美月が唯の嘘を認識している、ということを唯もまた知っているということでもある。
「うん。帰り道で……見かけて。元気そうで、うん」
教科書とノートを重ね、トントンと立てて揃えてみる。一体この動作に何の意味があるというのだろう。
唯は美月の正面に回り、机の上に肘と頭を乗せる。
「美月ちゃんてね……やさしいよね。ほんと」
嫌味でもなければ、一切の悪意も感じられない、ただ長閑な調子の声だった。
いみじくも遮蔽物となった、無為に立てられた英語教材を机の上に置き直す。
唯と目が合う。
昨日の朝も見た、陶然と蕩けた瞳がそこにあった。
主に後輩陣からこうした視線を浴びることは珍しくない美月だったが、正面からまっすぐと見据えられると、どうにも空恥ずかしさがある。
どころか、ばつの悪さまでも感じてしまうのは、昨日の放課後の一連のあれやこれやのせいだろう。
視線を外しかけると、逃がさないとばかりに唯がひと息のうちに言葉を発する。
「今日一緒に帰ろ。そのままうちに遊びに来て。今日は家開けてもらったから」
「開けてって……?」
家を開けてもらった、の意味が分からず思わず聞き返した美月は、それ以前に唯にしては随分と強引な誘いであることに違和感を覚える。
──今日もし時間があって、もしよかったら、一緒に帰ってくれたりしないかな。
いかにも唯の言いそうな表現を想像してみるが、これでもまだ強い方だろう。
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「だめ?」
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美月は意を決して唯にgazeを返す。
「ううん。うん、行く」
確かめなければ。唯に何があったのか。
それに、“そうした方がいい”と思ったのだ。
「ありがとう」
美月の返事に破顔した唯はひと言、礼を述べてすっくと腰を上げる。
自席へ戻ろうとする唯の去り際、美月は耳元に囁き声を聞く。
「絶対、約束だよ」
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