彼福私鬼 〜あちらが福ならこちらは鬼で〜

日内凛

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第一章

第5話/茜川 唯:5

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  2023年5月31日(水) 18:00 放課後


フロア1階に下りた唯は入り口付近、日焼け止めクリームのコーナーに戻った。

改めて見ると本当に多種多様の商品が展開されている。
価格帯もピンキリではあるものの、ほかのコスメ類ほどではない。
唯が普段使用しているものはリニューアルされ、パッケージも刷新されているようだった。
唯は昨年版のものを季節をまたぎ今も使用している。
本当は年中使用した方がいいのだろう。彼女はきっとそうしているはずだ。

唯は美月が貸してくれたものと同じ商品を探す。
売れ筋のものらしく、目立った場所に陳列されていたそれはすぐ見つかった。
確かに防水を売りにしている。自分はプールに行かないしこの夏も海に行くこともないだろう。
けれど、今日みたいに変な汗をかいても大丈夫かもしれない。ベタつかずスルスルと肌に伸びる感触も気に入った。
それに何よりも、美月にあやかりたかったのだった。

唯は、美月が使用していたものと同じ、大容量タイプを選んだ。
これを今日から季節に関係なく毎日使うようにしよう。
顔を上げて唯は初めてその商品のPOPに気が付く。
『太陽に恋しちゃお』というコピーとともに、水飛沫の向こうでモデルの笑顔が炸裂している。
モデルを美月に置き換えた絵を想像してみたが、完全に成立すると思った。

もし美月がこの夏の全国大会で優勝し、そのまま水泳の世界大会に出る選手になり、世間に見つかり、そしてモデルとしても活躍……。
唯はモデルに続いてコピーの改変をしてみる。
というよりも、勝手に頭の中で変換されてしまう。
太陽ときたら、対するは月でしょうよ。
『美月に恋しちゃお』のコピーとともに笑顔を炸裂させる親友の絵を想像し、唯はひどく後悔した。

リアリティのない存在である美月だが、しかしそれゆえかその類の巨大な広告がターミナル駅に張り出される未来というのは、妙にリアリティがある。
電車の車両が美月の広告にジャックされ、渋谷のファッションビルに垂れ下がる美月の笑顔。
世間を席巻する美しすぎる水泳選手は、日本人大リーガー選手に見初められ……。

かぶりを振った唯が商品を手に回れ右をすると、後ろに人が立っていた。
背後に人の気配を感じていなかった唯はぎょっとして商品を落としそうになった。
コーナーを占有してしまっていために、後ろに人を待たせてしまっていたのだ。
すみません、と謝りその場からはけようとしたところで、その人物が、あるクラスメイトだと気付く。


「……黒葛くん……?」
だと思う。
正直、どんな顔をしていたかさっぱり記憶にないが、この髪の毛と、いかにも重たそうな黒いリュックサックを背負う二重ふたえに折れ曲がるほどの猫背はいずれもユニークだ。
やはり黒葛祐樹に違いなかった。

「あ……き、奇遇、ですね……」
黒葛祐樹から声が聞こえてくる。
喋っているのだろうが、口元が動いているのかどうか、長い前髪に隠れてよく分からない。
唯がコーナーから退いたにも関わらず、黒葛は直立不動のままにそこに立っている。
「そ……そうだね。……ごめんね。邪魔だったよね。じゃ……」
そそくさとその場を立ち去ろうとする唯。
ほかのクラスメイトたちならもっと気の利いた対応をするのだろうが、自分にそんな甲斐性はない。
それに私なんかに話かけられて彼だって困惑しただろう、とその場を去る自分を納得させる。
足早に向かった飲料コーナーにてミネラルウォーターをひとつ、銘柄を見ることなく手に取った唯はそのままレジへ直行した。

会計した商品を通学バッグに押し込み、店を出ようとする唯の歩調が急に緩慢になる。
黒葛が、先ほどと同じ場所に、商品を見るでもなくただ佇んでいる。

不審者すぎる。店員は声をかけないのだろうか?
あるいはこの男の存在に気が付いていないのかもしれない。
唯はなるべく自然な挨拶の文句を頭の中で反芻し、意を決して黒葛の前を通り抜けようとする。

「じゃまた学校で」
「あのせっかくだから」
ほとんど同時だった。
黒葛が何を言ったのか唯には分からなかったが、開いた自動ドアの前で唯はうっかり足を止めてしまった。
仕方なく作った笑みを黒葛に向けつつ店を出る唯だったが、それに黒葛も続く。

え? 何? 今何て? 私に何か用でもあるの?
「く……黒葛くんも、帰りこっちだったんだ」
困惑する唯は場を取り繕おうと頓珍漢なことを口走る。

そんなわけはない。
今、黒葛祐樹という人間を知るものであれば、彼の自宅がこの宝月町のどこに位置しているか分からないということはまずない。
先の超局地的地震があった場所だからだ。
それは今いるこの場所から東に位置する学校、そのさらに先の私鉄の駅を挟んでさらに向こう。
すなわち、町の東端のエリアだ。
ここは宝月町のやや西寄りになる。正反対だ。

「いやあの……、そのたまたま。たまたま用があって」
「そうだったんだ。じゃ、また学校で」
うん。全然普通の対応だよね、今のは。
立ち去ろうとした唯の背中を黒葛の声が追いかける。
「あのせっかくだから」
せっかくだから?
唯はその言葉を今度ははっきり認識してしまう。嫌な予感を秘めた枕詞である。

問い。『せっかくだから』に続く語句を補い作文をしなさい。

今度は唯の足が止まることはなかった。
「せ、せっかくだから、あの」
背中に受ける声がさっきよりも近い。どうやら追って来ているらしい。
唯の困惑は恐怖へと変わっていた。
駐車場を出てしまうと県道沿いの暗い道をしばらく歩かなければならない。
このままついてくるのだろうか。怖い。


煌々と光るドラッグストアの看板の下で立ち止まり振り返った唯の顔に笑みはなかった。
「あの、せっかくだから……、その……えと……」
「何?」
せっかく? 何が一体折角なんだろうか? 
目的も感情も何から何までも窺うことのできない男に苛立ちを覚えた唯が牽制する。
対する黒葛は、能楽もかくやという緩慢な動作で頭を掻く。
「その……ちょっと……お、お話、しませんか……」
残念なことにそれは唯が頭の中で作文した内容にほとんど近いものだった。
しかし唯が採点するとしたら×をつける。
今の状況において一切の“折角”的要素がないからだ。悪問だった。

「話……? 話って?」
何でよりによって自分なんだろう。
自分が絶望的なまでに会話という行為を苦手としていることをこの人は知っているのだろうか。
そしてよりにもよって会話の相手はこの人である。
おそらく、ある意味でクラスの、いや学年最強の“コミュ障”頂上決戦になってしまうことは想像に難くない。

昔、化け物には化け物をぶつけるという文句で売り出していた映画があった。
結末がどうなったか知らないが、まさにそれでは?
「いや、あの……。その、ひ、久しぶりで学校」
曲がった背中をさらに丸めた黒葛が声を出す。
それを聞いた唯は、先刻の美月の言葉の数々を思い出した。


 『でもさ……一番大変なの、彼だと思うしね』

 『自分のできる範囲でやってみようかなって。まぁ、だからその第一歩?』

 『ほら、“昔読んだ大切な本”がさ、今も背中を押してくれるわけですな』


そうだ。美月ちゃんなら、きっと──

通学バッグの持ち手を強く握り、唯はゆっくりと頷いた。
「……私でよければ」
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