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3 出張
15日目 イネスのお菓子作り
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14時10分
7人の中で、お菓子作りに興味があるのは、イネスちゃんだった。
黒いショートカットに、脂肪のない薄いまぶた、くりくりとした琥珀色の瞳、豊かな黒まつ毛。
イネスちゃんは、ぼくが作ってあげたデニムと黒のTシャツ、黒のローファを着て、その格好のまま、キッチンに立った。
今作っているのは、イタリア菓子のカンノーリと、ただのクッキーだ。
スペインからやってきた彼女は、ほんのりと灰色っぽい肌をしていて、一見するとポルトガル人っぽかった。
ぼくを見る彼女の目は、どこか冷めているようで、たまに9歳の子どものようにキラキラと光ったりとして、いまいち掴みどころがなかった。
ちなみに、イネスちゃんが目をキラキラさせるのがどういうときかと言うと、ぼくが片手で卵を割って、中身をボウルに落とした時とか、アナちゃんがトランプでマジックを披露したり、投げたトランプでスイカを切り裂いたりしたときのことだった。
なんとなくだけれど、イネスちゃんはどこか男の子っぽいところがある。
ぼくは、好奇心で探りを入れてみることにした。「イネスちゃんって、お化け屋敷好き?」
「うん」
「ぼくも。怖くない?」
「怖くないよ」イネスちゃんは、少し強がるような声色で言った。
この反応……。
「彼氏と彼女どっちが欲しい?」
「彼女」
「女の子なのに?」
イネスちゃんは、少しムッとした感じで、ぼくを見た。「別に良いじゃん」
ぼくは頷いた。「ぼくも女が好き」
イネスちゃんは、きょとんとした目でぼくを見た。「なんで」
「変な話なんだけど、ぼくって自分が女って気がしないんだ」
イネスちゃんは、手元に視線を落とした。小さな手でクッキーの生地をこねこねしながら、チラチラとぼくを見ている。「わたしもなの」
「生まれたときから、なんでぼくには生えてないのかな、大きくなったら生えてくるかなって思ってた」
イネスちゃんは、楽しそうに笑った。「きもちわるい」
「んね」ぼくも笑った。ぼくは、ワインを啜った。「なんか、イネスちゃんも一緒かなって気がして」
「でも、ムキムキになるのはやだ」
「わかる」
「スラッとしてかっこいい感じの人になりたい」
「カーラ・デルヴィーニュとかどう?」
「どんな人?」
ぼくは、ブラックベリーで検索をかけて、写真を見せた。
「おぉー」イネスちゃんは、声を上げて、キラキラとした目でぼくを見た。「こんな感じ」
「良いよね」
「わたしね、大人になったら結婚しなくちゃいけない人がいるの」
「許嫁だね」
イネスちゃんは頷いた。「同い年でね、パパの友達の子」
「イケメン?」
「気持ち悪い。なんかね、ベタベタ触ってくるし、バラとかプレゼントしてくるし、やなんだよね」
「触られるのはやだよね。ぼくは花は好きだけど、男からもらうのはなんか気持ち悪い」
「だよね。やだって言ったら、パパ頭おかしい感じで怒るの」
「パパなにしてる人?」
「わかんない。でもお金持ち」
「偉い人が家に来たりする? 市長さんとか」
「うん」
「家に帰ったら、勉強とかする? ピアノとかヴァイオリンとか」
「なんでわかったの?」
「なんとなく。でも、どうしてここでホームレスしてるの?」
「家出したの」
ぼくは頷いた。イネスちゃんの意思は尊重したいけれど、そうなると、学園にイネスちゃんを預けるときは、どうしたら良いだろう。たぶん、イネスちゃんは良いところのお嬢様だ。家出したのなら、当然失踪届も出ているだろう。学園に入れば、当然、イネスちゃんの境遇についても調査が入る。ぼくは正直イネスちゃんとイネスちゃんのご両親なら、イネスちゃん派なのだけれど、それでも、イネスちゃんのご両親にだって家出した9歳の娘の安否を知る権利はある。ぼくは、少し考えて、学園の先輩のフランス人が、フランスで教師をやっていることを思い出した。彼にその辺のことを相談しても良いかも知れない。
「今のほうが楽しい。毎日お風呂に入れないのはやだけど」
「そっか。ぼくキャンプ好き」
「わたしも。いつもね、あのアパートで、焚き火して、寒いときはみんなで集まって毛布に包まったりして、拾った新聞とか読んだりしてた」イネスちゃんは、楽しそうな様子で、そう言った。
「そういうの楽しいよね」
「うん。いつも釣りしてるおじさんが魚とパスタとトマトくれたりして、焚き火で焼いて食べたりするの」
「優しい人?」
「うん。お古の釣り竿と、ポケットナイフくれて、釣り教えてくれたの」
この子達にも、この子達の繋がりがあるようだ。
ぼくは、ぼくの考えだけで、イネスちゃんたちを保護しようとしているけれど、それには色々な別れも伴うことになるのか。
お世話になった人たちにはご挨拶をして周ったほうが良いだろう。
学園で一心地ついたら、休みの日にベネチアに来たりすることも出来るだろうし。「学園に行くのどう?」
イネスちゃんは、考えるように首を傾げて、宙を見た。「スペインの学園にいたんだけど、学校は楽しかった」
「そっか」
「ずっと学園に住みたいって思ってたよ。シャワーもあるし、談話室のソファで寝るの好きだし」
クッキーを焼き終えたぼくたちは、屋上でおやつタイムに入った。
お日様の下でクッキーとカンノーリ、コーヒーと紅茶とホットチョコレートを味わいながら、ぼくは、iPod classicの中に入れてある、ローマの休日を、イネスちゃんに見せてあげた。
7人の中で、お菓子作りに興味があるのは、イネスちゃんだった。
黒いショートカットに、脂肪のない薄いまぶた、くりくりとした琥珀色の瞳、豊かな黒まつ毛。
イネスちゃんは、ぼくが作ってあげたデニムと黒のTシャツ、黒のローファを着て、その格好のまま、キッチンに立った。
今作っているのは、イタリア菓子のカンノーリと、ただのクッキーだ。
スペインからやってきた彼女は、ほんのりと灰色っぽい肌をしていて、一見するとポルトガル人っぽかった。
ぼくを見る彼女の目は、どこか冷めているようで、たまに9歳の子どものようにキラキラと光ったりとして、いまいち掴みどころがなかった。
ちなみに、イネスちゃんが目をキラキラさせるのがどういうときかと言うと、ぼくが片手で卵を割って、中身をボウルに落とした時とか、アナちゃんがトランプでマジックを披露したり、投げたトランプでスイカを切り裂いたりしたときのことだった。
なんとなくだけれど、イネスちゃんはどこか男の子っぽいところがある。
ぼくは、好奇心で探りを入れてみることにした。「イネスちゃんって、お化け屋敷好き?」
「うん」
「ぼくも。怖くない?」
「怖くないよ」イネスちゃんは、少し強がるような声色で言った。
この反応……。
「彼氏と彼女どっちが欲しい?」
「彼女」
「女の子なのに?」
イネスちゃんは、少しムッとした感じで、ぼくを見た。「別に良いじゃん」
ぼくは頷いた。「ぼくも女が好き」
イネスちゃんは、きょとんとした目でぼくを見た。「なんで」
「変な話なんだけど、ぼくって自分が女って気がしないんだ」
イネスちゃんは、手元に視線を落とした。小さな手でクッキーの生地をこねこねしながら、チラチラとぼくを見ている。「わたしもなの」
「生まれたときから、なんでぼくには生えてないのかな、大きくなったら生えてくるかなって思ってた」
イネスちゃんは、楽しそうに笑った。「きもちわるい」
「んね」ぼくも笑った。ぼくは、ワインを啜った。「なんか、イネスちゃんも一緒かなって気がして」
「でも、ムキムキになるのはやだ」
「わかる」
「スラッとしてかっこいい感じの人になりたい」
「カーラ・デルヴィーニュとかどう?」
「どんな人?」
ぼくは、ブラックベリーで検索をかけて、写真を見せた。
「おぉー」イネスちゃんは、声を上げて、キラキラとした目でぼくを見た。「こんな感じ」
「良いよね」
「わたしね、大人になったら結婚しなくちゃいけない人がいるの」
「許嫁だね」
イネスちゃんは頷いた。「同い年でね、パパの友達の子」
「イケメン?」
「気持ち悪い。なんかね、ベタベタ触ってくるし、バラとかプレゼントしてくるし、やなんだよね」
「触られるのはやだよね。ぼくは花は好きだけど、男からもらうのはなんか気持ち悪い」
「だよね。やだって言ったら、パパ頭おかしい感じで怒るの」
「パパなにしてる人?」
「わかんない。でもお金持ち」
「偉い人が家に来たりする? 市長さんとか」
「うん」
「家に帰ったら、勉強とかする? ピアノとかヴァイオリンとか」
「なんでわかったの?」
「なんとなく。でも、どうしてここでホームレスしてるの?」
「家出したの」
ぼくは頷いた。イネスちゃんの意思は尊重したいけれど、そうなると、学園にイネスちゃんを預けるときは、どうしたら良いだろう。たぶん、イネスちゃんは良いところのお嬢様だ。家出したのなら、当然失踪届も出ているだろう。学園に入れば、当然、イネスちゃんの境遇についても調査が入る。ぼくは正直イネスちゃんとイネスちゃんのご両親なら、イネスちゃん派なのだけれど、それでも、イネスちゃんのご両親にだって家出した9歳の娘の安否を知る権利はある。ぼくは、少し考えて、学園の先輩のフランス人が、フランスで教師をやっていることを思い出した。彼にその辺のことを相談しても良いかも知れない。
「今のほうが楽しい。毎日お風呂に入れないのはやだけど」
「そっか。ぼくキャンプ好き」
「わたしも。いつもね、あのアパートで、焚き火して、寒いときはみんなで集まって毛布に包まったりして、拾った新聞とか読んだりしてた」イネスちゃんは、楽しそうな様子で、そう言った。
「そういうの楽しいよね」
「うん。いつも釣りしてるおじさんが魚とパスタとトマトくれたりして、焚き火で焼いて食べたりするの」
「優しい人?」
「うん。お古の釣り竿と、ポケットナイフくれて、釣り教えてくれたの」
この子達にも、この子達の繋がりがあるようだ。
ぼくは、ぼくの考えだけで、イネスちゃんたちを保護しようとしているけれど、それには色々な別れも伴うことになるのか。
お世話になった人たちにはご挨拶をして周ったほうが良いだろう。
学園で一心地ついたら、休みの日にベネチアに来たりすることも出来るだろうし。「学園に行くのどう?」
イネスちゃんは、考えるように首を傾げて、宙を見た。「スペインの学園にいたんだけど、学校は楽しかった」
「そっか」
「ずっと学園に住みたいって思ってたよ。シャワーもあるし、談話室のソファで寝るの好きだし」
クッキーを焼き終えたぼくたちは、屋上でおやつタイムに入った。
お日様の下でクッキーとカンノーリ、コーヒーと紅茶とホットチョコレートを味わいながら、ぼくは、iPod classicの中に入れてある、ローマの休日を、イネスちゃんに見せてあげた。
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