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1 はじまり
3日目 ぼっちの悪夢
しおりを挟む18時33分
ぼく、アナちゃん、ヨハンナさんの3人は、食事を早々に切り上げて、ビストロを出た。
スーパーで買った食料を手に、アパルトマンの階段を上がるぼくたち。
向かう先は、ぼくの住んでいる屋上。
ぼくは、部屋が散らかっていないか、見られたくないものが置きっぱなしになっていないか、そればかりを考えながら、階段を上がっていた。
スーパーで買物をしているときはそんな事を考えもしなかったのに、階段を上がり始めたタイミングで、そんな事が頭の中を埋め尽くしていた。
思い浮かんだのは、屋上に張り巡らせたロープにかけてある洗濯物のこと。
男物のトランクを履いていることがバレてしまう。
ぼくは、どうしたものかと考えて、2人には扉の前で待っていてもらうことにした。
屋上にたどり着いたぼくは、急いで洗濯物を回収し、箱のようなワンルームに放り込んだ。
手のひらにつむじ風を生み出す。小さな竜巻のようなつむじ風は、ほこりや砂を巻き込みながら屋上を駆け周り、そして、排水口に吸い込まれていった。
ぼくは、屋上を見回した。
まあ、こんなものだろう。
扉を開けて、2人を呼ぶ。「ごめんなさい。待たせてしまって」
「気にするな。見られたくないものを隠していたんだろう?」と、ヨハンナさん。
「……っ、くっ」わかっているのなら言わないで欲しかった。他意も思惑もなく、さらりとした口調でこういうことを言うところが、ヨハンナさんの苦手なところだ。
「良いところね」アナちゃんは言った。
「ありがと」ぼくは、くつろぎスペースの焚き火に火を放り込んだ。A4サイズのトランクを開き、中を見る。中には、ミニチュアサイズの色んなものが収まっている。その中から、ぼくは、折りたたみの椅子を2つつまみ上げた。2つの椅子は、トランクから出てくるなり、本来のサイズを取り戻した。「ごめんなさい、こんなものしかなくて」
2人は、お礼を言ってくれた。ぼくたちは、焚き火を囲むようにして椅子に腰掛けた。
ぼくは、箱のようなワンルームで緑茶を淹れて、2人に渡した。「粗茶ですが」
「ありがとう」と、ヨハンナさん。
「ありがと」と、アナちゃん。
ヨハンナさんは、デニムのポケットから、折りたたみのテーブルを取り出して、料理を始めた。
アナちゃんは、両方の手の平を広げた。手の平が、万能の魔力を表す琥珀色の輝きを放つ。次の瞬間、彼女の手の平に背の高いテーブルとボウルが生まれた。アナちゃんは、テーブルを調理台にして、レタスをちぎり始めた。
ぼくは、トランクからテーブルとフライパンと鍋を取り出した。
人差し指を立て、指先に大気中の水素と酸素だけを抽出する。指先に、小さな水の玉が生まれる。くるくると回りながら大きさを増していく水の玉は、1分ほどでハンドボールサイズにまでなると、指先を離れ、鍋に飛び込んでいく。ぼくは、鍋を焚き火に掛けた。
ヨハンナさんは、いつの間に手にしていたのか、でかい網台を焚き火に掛け、その上にステーキの肉を3枚並べた。
アナちゃんは、筒に入ったポテトチップスをつまんでいた。彼女の周囲では、宙を舞う3本の包丁がそれぞれにんじん、ブロッコリー、トマトを切り分けており、野菜たちはその下にあるボウルに収まっていた。
ぼくは、沸騰したお湯に、タリアテッレのパスタを淹れた。
今回作るソースは、ペストージェノヴェーゼだ。
冷蔵庫にはたらこと明太子もあったので、足りなければそれも作ろう。
料理が完成したところで、ぼくたちは、焚き火を囲み、夕食を摂り始めた。
ちなみにさっきのビストロの食事はおやつだ。
ヨハンナさんは、買い物のすべてを経費で落としてくれるとのことだったので、ぼくはこっそりとカゴにポテトチップスやトルティーヤチップス、ワインやビールなどを入れておいた。
もちろん名探偵である彼女には、ぼくのこそこそとした行動などすべてお見通しだった。
ヨハンナさんは、洗剤やトイレットペーパー、シャンプーやボディソープ、バスタオルなフェイスタオル、他にもいくつかの生活必需品を追加で買っていた。
ぼくたちは結局、ビストロで仕事の話をすることが出来なかった。
ちょうど近くの席に座る人たちが日本人で、「日本語上手ですねぇ」と、ヨハンナさんとアナちゃんに話しかけてきたのだった。
それならスウェーデン語やノルウェー語ではどうかと試してみるも、近くに座っていたアイスランド人男性が、どうやら高校生の頃に隣国の言語を熱心に勉強していたようで、スウェーデン語もノルウェー語も流暢に扱ってみせたのだった。
「あのアイスランド人、ヨハンナに惚れてたね」
ヨハンナさんは、得意げにほくそ笑んだ。「まあ、当然だな。あの日本人は君に惚れていたんじゃないか?」
アナちゃんは顔をしかめたけれど、同時にまんざらでもなさそうだった。「やだ、あれおじさんじゃん」
「人間がきみを見ても15歳だとは思わないさ」
アナちゃんは、得意げにほくそ笑んだ。
ちなみにぼくだって、先週カフェでコーヒーを飲んでいたら、近くを通り過ぎた13歳くらいの男の子からバラをもらったし、1ヶ月くらい前に川沿いで地平線に落ちる夕日を眺めていたら、イケメンの警官から1人でなにをやってるんだい、パパとママはどこだ、と声をかけられたこともある。
ヨハンナさんは、ワインを啜った。「それで、仕事の話だけれど、良いかな?」
アナちゃんはポテトチップスをかじった。
ぼくは、巻き取ったパスタを口に含んだ。
久しぶりに作ったので不安だったけれど、ジェノヴェーゼソースは上手くいった。
ヨハンナさんは、切り分けたステーキを口に含み、味わってから、ワインとともに飲み込んだ。「先月から、この街で魔法使いによる犯行が多発しているんだ。犯人は1人。盗みをしている」
「特定は出来てるの?」
ヨハンナさんは、A4用紙をぼくとアナちゃんに見せた。
紙には、動画が写っていた。
監視カメラのワンシーンだ。
なんてことのないスーパー。
20代の、ゲルマン系の男性。
身長は178、180。
体系はがっしりとしていて、自然な動きで買い物客に紛れている。
映像が切り替わり、男性は野菜のコーナーと果物のコーナーを通り過ぎた。
文房具のコーナーで、ペンを手に取っている。
ペンは、男性の手の平で消えてしまった。
男性は、生鮮食品のコーナーでいくつか肉を取り、レジを通り過ぎて、支払いを終え、チップボックスに5ユーロ紙幣を入れて店を出た。
「ペンを取っただけ?」と、アナちゃん。
ヨハンナさんは頷いた。
「こんな仕事、どうしてわたしたちが?」
ぼくも同じことを考えた。
インターポールの国際魔法犯罪課は、地球上で暮らす魔法使いの犯罪捜査を取り扱う。
中にはこういった犯罪の捜査をすることもあるし、インターンであるぼくにこういう仕事が回ってくることも珍しくはない。
それに、もしかするとこれはテストかなにかかもしれない。
この人口過密都市で、犯罪者のフリをした1人の魔法使いを探すテスト。
「ソラ、きみはどう思う?」
「手慣れてる感じはありますね。この人を捕まえれば良いんですか?」
「その通り。彼を監視して、現行犯で捕まえるのが仕事だ」
「そういえば、こないだの新聞に、窃盗の記事が載ってた」と、アナちゃん。
「ラジオでも言ってた」ぼくは言った。「この人は、どのエリアで動いてるんですか?」
「資料がある」ヨハンナさんは、A4の上が収まったファイルを、ぼくとアナちゃんに渡した。
アナちゃんは、さらりと資料に目を通すと、頷いた。「この人自体は、なんの価値もないわね。周囲に価値があるのかな。良くない人と繋がりがあるとか」
ヨハンナさんは微笑んだ。「どうかな」
「知らない方が良いってこと? その辺の判断が出来るほどの経験はないから、そこは従うわ」
ヨハンナさんは、頷いた。「きみたち2人でやってくれ。くれぐれも接触はしないように」
「証拠を抑えて、尾行をすれば良いの?」
「そうだ」ヨハンナさんは、ぼくとアナちゃんにカードを渡した。「残高300ユーロのプリペイドカードだ。GPSと、わたしの魔力が付いてる。きみたちの居場所と発言がわたしたちにわかるようになっている。自動で毎日入金されるようになっている」
アナちゃんはぼくをちらりと見た。「何日の予定?」
「長くて1ヶ月だ」
つまり、9000ユーロの予算が、ぼくとアナちゃんに与えられたわけだ。
捜査の過程で必要経費が発生することもあるし、18000ユーロといえば大金に思えるが、1日300ユーロと考えると、心許ないと感じる日もあるかもしれない。ただ、なにもない日があれば、日付が変わる直前に生活用品を買わせてもらっても良いかもしれない。カフェのシフトを減らされてからは、脚本家としての、しけた収入が命綱の生きた心地のしない日々を過ごしていた。やっぱり、お財布の心配をしていては、美味しいものも美味しくないし、綺麗な街を歩いていても景色がくすんで見えてしまう。しばらくは、リラックス出来そうだ。
「ただのインターンに9000ユーロも使わせてくれるの? 普通じゃないわね」
「それだけ期待されているんだろう。日付が変わる瞬間に好きなものを買うなりなんなりしても良いんじゃないか? 特にソラは最近厳しいだろう」
アナちゃんはぼくを見た。
「色々あってね」
アナちゃんは頷いた。「捜査中は、この屋上に住んでも良い?」
ぼくは、首を傾げた。
「そっちの方が色々都合が良いでしょ? ここなら落ち着いて勉強に集中出来そうだし、ソラに聞きたい話もあったんだよね」
「あー……」ぼくは、考えるようにして、唸り声を上げた。ぼくは、1人の時間が必要なタイプだ。中には、四六時中人といることを楽しめるタイプがいることは知っているけれど、ぼくは違う。なんと断ったものかと、ぼくは考えた。そういえば、この下の階に、空きの部屋があった気がする。「確か、下の階に空きがあったと思う」
「一緒は嫌?」
「1人の時間が必要なタイプなんだ」
アナちゃんは、うんうんと、頷いた。わかってくれたようだ。
「明日の午後には移れるように手配するよ。ご両親は平気かな」
「大丈夫。わたしがインターンだってこと知ってるし、それに」アナちゃんは、ぼくを見た。
首を傾げていると、暖かくて柔らかいなにかが、ぼくの手に触れた。アナちゃんの手だった。
「あのソラと一緒だって言ったら、むしろ喜んで送り出してくれるはずだわ」その声は、背中の毛が逆立つようで、胃に重たいようで、そして、悪い気がしない一方で、今すぐに逃げなくちゃ! と思わせる、不思議な声だった。
アナちゃんの目を見てみれば、なぜか、少し潤んでいた。
ぼくの顔が熱くなった。「え……、あ、あのってどういう意味?」
アナちゃんは、潤んだ目でぼくを見つめたままに、口を開いた。「ずっと話してみたいと思ってたの」
「な、なずぇ……」ぼくの口からかすれ声が漏れた。喉がベタついている。ぼくは、ごくりとよだれを飲み込んだ。「……なぜだい」
「だって」アナちゃんは、陰キャなぼくを焼き尽くしてしまいそうなほどに真っ直ぐな目で、ぼくを見据えたまま、口を開いた。「魔法の世界を救った英雄の1人ですもの」
ぼくは、息を呑んだ。
脳裏を巡るのは、3年前のこと。魔法の世界を旅していたときのこと。
つばを飲み込み、荒くなった呼吸を整えようと、ぜぇはぁぜぇはぁと、深呼吸をした。「あれは違うんだよ。たまたまその場に居合わせて誰かがやらないといけないことをぼくが出来たってだけで……」早口で言っているうちに、視界がぐるぐると回ってきた。「変なスイッチが入ってただけで……、そういう話はちょっと、あまりしたくないんだ」なんだか気分が悪くなってきた。
「ご謙遜なさらないでください」アナちゃんは、誰だこいつというくらいキャラが変わってしまっていた。いつもは気怠げな様子で、ネコのようなふーんって感じの顔をしているのに、今はまるで夢見る12歳の女の子のような目で、ぼくを見ている。
ぼくは、助けを求めてヨハンナさんを見た。
ヨハンナさんは、楽しげな様子でぼくたちを見ていた。「ちなみにアナは、ソラちゃんを愛でる会フランス支部の名誉会長だぞ。会員は120人」
「なんてこった」こんな頭の湧いている人が120人もいると考えると、めまいがしてきた。待てよ?「ふ、フランス支部ってなんですか」
「世界中にあるんです。今はネットで繋がれる時代なんですよ」いつの間にか、アナちゃんは、ぼくの方に身を乗り出していた。荒い息使いで、熱を持った目でぼくを見ていた。「SNSのフォロワーは144万人を越えていますわ」
144万人の、ストーカー……。
ぼくの視界がぐらりと揺れた。
逃げなきゃ。
アナちゃんは舌舐めずりをした。
く、食われる……。
「あのソラ様と同じ屋根の下で暮らせるなんて夢見たいですわ」
その歓喜を抑えたような艶めかしい声を聞いたぼくの記憶は、そこで途絶えたのだった
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