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第二章

<十四> アイラブユー

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濃密な2日間を終えて……
ぼくにはやってみたいことが二つあった。

まず一つは、本を読んでみたい。川口さんのあの本が気になっているのだ。
そう、山荘の夜の学びで真野まやさんが朗読された、『自然農にいのち宿りて』の本だ。
冬に買った『自然農』という本はすでに手元にあるけれど、あの本を読んでみたい。

というのも、この2日間、驚きのオンパレードだった。そのなかでもびっくりだったのは、自然農での学びは作物の作り方だけではないということだった。どう生きるか、どう考えるかを、昨晩みんなで語り合った。

残念ながら川口さんはご高齢のためにもう赤目自然農塾には来られていないしお会いしたこともない。
ぼくは『自然農』の本を開け、前に見ていた、見開きページの川口さんの写真を改めて見てみた。川口さんの優しそうなまなざし。川口さんがこちらに何かを語りかけようとしているように見える。

川口さんが伝えたいことは農という範疇はんちゅうを越えて、もっと大きなことなんだろうと思う。
それが、あの本『自然農にいのち宿りて』に書かれているのではないか。

そもそも、赤目自然農塾を開かれた川口さんとは、一体どういう方なのか……。その本を読めばわかるかも知れない。


そして、もう一つやってみたいこと――それは、ぼくが温泉でカルチャーショックを受けたあれ――「ふんどし」をいてみたいということだ。

ぼくはそのときユウスケさんに聞いた。どうしてふんどしなのかと。
その答えは意外だった。

『大事なとこをゴムで締め付けられたくないっしょ?』

そして、『一度履いたらやめられへん』とユウスケさんは言った。
そういうものなんやろか? どんな履き心地か、履き心地以上のものがあるのか、想像はできない。

ぼくはまだふんどしを履いたことがない。
でもなんでもまずは試してみないと、何もわからない……。


――――そんなことを考えながら、家に着いたときには息子はもうぐっすりと寝て、すやすやと寝息を立てていた。

「おかえり。赤目はどうやった?」

妻が、疲れきった、それでいてちょっと成長したぼくを、暖かく迎えてくれた。

「トイレの小屋を作ったり、温泉でカルチャーショックを受けたり、山荘の食事がすごくて、それから……」

ぼくは夕飯を食べながら、興奮気味に語った。でも話すことが多すぎてうまくまとまらない……。

「色々充実して良かったやん。楽しかったんやね」

妻のお腹は一段と大きくなった気がする。間もなく臨月だ。
妻と息子はどうしていたんだろうか、聞いてみた。

「そっちはどうやったん? どっか出かけたんやったっけ?」
「そう、今日は買い物に行ったんだけど、息子が面白い言葉を話すようになってさ」
「えっ? どんな言葉?」

そういえば昨日の朝、息子が「行ってらっしゃい」とはっきり言ったのをほめたところだった。今度は何を話したのだろう?

「それがさ、道で歩きながら息子と話してたら、急に『アイラブユー』って言い出して。すごいなあ、ってほめたら、うれしくなったみたいで、すれ違う人みんなに『アイラブユー』って言うようになって。なんかこっちが恥ずかしくなったわ」

「えっ!? すごいやん、それは歩いてる人もびっくりするやろな」

たぶん読み聞かせてた絵本に出てきた「アイラブユー」を覚えたんだろう。
息子の成長をたのもしく感じた。と同時に、道行く人の顔を想像しておかしくなった。歩いてて小さい子どもにいきなり「アイラブユー」って声かけられたら、さぞびっくりするだろう。

「じゃあ疲れたし今日は寝ようかな、おやすみ。アイラブユー」

ぼくも息子にならって言ってみた。でも言い慣れてない言葉だからか、ぎこちなさが伝わったのだろう。

「なんか気のないアイラブユーやなあ」

そう妻が言ったけど、気持ちは伝わったようで、妻も笑いながらアイラブユーと返してくれた。

「ありがとう」や「アイラブユー」、そんな言葉がみんなを笑顔にして、幸せにしてくれる。
もうすぐ家族も一人増える。
これからさらに賑やかになるだろうな……。

「さて」

ぼくはそのあと、寝床で携帯をさわりながら、ネットショップである買い物をした。


――――そして二日後、仕事を終えて家に帰ると、小包が届いていた。

小包の中身は……
そう、あの「ふんどし」だった。

ぼくは二種類のふんどしを買った。
一つは六尺ろくしゃくふんどし、そしてもう一つは越中えっちゅうふんどしだ。

六尺ふんどし……日本に昔からあるふんどしのタイプで、その名の通り、六尺=180センチ前後の長い布だ。実際には二メートル前後のものが販売されていた。履き方が少し難しそうだ。

越中ふんどし……戦国時代にできたと言われるタイプで、腰巻きの紐に1メートルくらいの細長い布がい付けてある。まず紐を腰にまいて前でちょうちょ結びにし、後ろにれ下がる布を前からつかんで紐に通し、前掛けのような形にする。こちらは簡単そうだ。

ぼくはまず簡単そうな越中ふんどしを履いてみた。

「なるほど、これが越中ふんどしか」

れがびろんと伸びて、お相撲さんの化粧けしょう回しのような感じになった。ちょっと前垂れが長すぎたのかちょっと不格好な気もした。
気になる履き心地は……

「うん。ふんわり包まれている感じで気持ちいい」

ユウスケさんの言う『一度履いたらやめられへん』というのがわかる気がした。

今度は六尺ふんどしを取り出した。インターネットの動画で締め方を見ながら、履いてみた。思ったほど難しくはない。

「うーん、不思議な感じ」

ぼくは鏡の前で今まで見たことのない自分のふんどし姿を眺めた。見ていると、この格好も悪くはないかなと思えてきた。

「なんか、気合が入ったような気がする。でもお尻に食い込む感じがちょっと…」

だけどその違和感も、何日か履いてたら慣れるのかな、とも思った。しばらく履いてみようか。そう考えながら、早速、妻に見せてみる。

「じゃじゃーん」
「何それ!? 今度はふんどし!?」

さすがに妻もびっくりした表情を見せた。
そらそうだろう。ぼくだって、自分がふんどしを履く日が来るなんて思ってもみなかったんだから。

「いやぁ、ちょっと、履いてる人がいてさ。試してみようかなと」

「ついにそこまで来たんや。仙人街道まっしぐらやね」
「だから、そういうわけでは……」

妻にはうまく説明できなかったのだが、ぼくには一つふんどしに期待していることがあった。

それはぼくの悩みのひとつ。足の付け根のあたりがいつもれてかゆくなるのだ。
ボクサーブリーフでも、トランクスでも、どうしても足とれる部分が汗疹あせものようになる。ふんどしだとそれが少しはマシになるんじゃないだろうか、そんな期待があった。

その夜ぼくは、履き心地が気持ち良かった方の、越中ふんどしを履いて寝ることにした。


そして翌朝――ぼくの身体にある変化が起こっていた。

「うん? これってもしかして……?」

いや、もしかしたら、これはたまたま起こった変化かも知れない。
今はまだ読者の皆さんのご想像にお任せすることにして、ちょっと様子を見ることにしよう……


――――そして次の日、六尺ふんどしを締めて、ちょっぴり気合を入れてぼくが向かった先は、大きな本屋だった。お目当ては、川口さんの本『自然農にいのち宿りて』(創森社)。ぼくはその本を買って、近くのカフェに入った。カフェの店内には耳に心地よいジャズが流れていた。

早速、目次を見開いてみる。

地の巻、天の巻、じんの巻、悟の巻、環の巻、の五部構成になっており、「いのち」や「宇宙」、「美」など、多種多様な言葉が目次の項目にならんでいた。

「なかなか読みごたえがありそうやな。どこから読み進めていこうか……」

ぼくはパラパラと本をめくったあと、まずは一番最初の地の巻「はじめに」から読んでみることにした。


<はじめにーいのちが織りなす自然農の田畑の豊かな恵み>

――そーっと静かに静かに、音なく躊躇ためらいながら無言に戸惑とまどいながらも、絶対の営みは確かな春へと移りゆきます。気がつけば納得の梅が、花ポツポツと開かせ深き香り静かに放ち、なんとなく懐かしくもある清々すがすがしい新鮮な春の訪れです。(中略)

――赤に黄に白に紫に、それぞれの色を染めて草花が春を色鮮やかに咲かせ、可憐かれんで美しい。幼く鳴きはじめたウグイスもやがて絶妙に春のさかりを告げます。地球はまさしく、花咲き、蝶舞い、人々が生きる宇宙の楽園であり、この楽園を決してそこね壊してはなりません。(後略)

「すごい文章やな。情景が目に浮かぶようや……」

詩的で格調高い文章の中に、力強いメッセージが込められているのが感じられた。

ぼくは読みながら、赤目自然農塾での花々や、ウグイスの鳴き声を思い出していた。

川口さんは言う。「人々が生きる宇宙の楽園を、決して損ね壊してはならない」と。
ぼくは目を閉じながら、その言葉の意味を噛みしめた。
そして、いつか川口さんに会ってみたいと、しみじみと思った。

「でも今はまず、川口さんがどういう方なのか、知りたい」

そう思ってまた目次の項目を見ると、「川口由一の歩み」という見出しが目に止まった。そのページは巻末にあり、年表形式で紹介されていた。

「そういえば、あの本にも同じようなページがあったな……」

ぼくはカバンに入れて持ってきていた『自然農』の本の最後の章を見開いた。その章の名は――「自然農へ至る道―川口由一の歩み―」だった。あとで大事に読もうと思ってとっておいた部分だ。

そこには、年表にはあらわれない、川口さんの壮絶な人生のドラマが書かれていた。


□次話公開予定…11/19(火)
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