弱気な男爵令嬢は麗しの宰相様の凍った心を溶かしたい

灰兎

文字の大きさ
上 下
5 / 12

5、常に首席だった宰相様の苦手科目が判明しました

しおりを挟む
「私は宰相様のお役に立てますか?」

「私の役に……?」

告白を飛び越えてプロポーズのような事を言ってしまった自分に、シェリルは思い詰めた視線を向ける。

『はい』か『いいえ』しか返ってこないと思っていたヴィンセントは虚を突かれた。

シェリルのおもてはほとんど無表情な程硬いのに、泣いている様に見える。

心細げなシェリルに、彼女が望む事を言ってあげられたら、と強く願った。

けれど、分からない。

彼女の言って欲しい事も、その華奢な両肩にのし掛かっている物も、重さも。

毎日、腹の探り合いや駆け引き、熾烈な選択を迫られる仕事をしているのに。

彼女に嫌われたくない、その気持ちが先走って、冷静な判断が出来ない。

「……『ただ側に居て欲しい、それだけで幸せになれる。』私にとってそう思えるのが、この世界にシェリルさんだけみたいなのです。それは私にとって貴方が『役に立つ』以上の、比べられない程に大切な存在と言う事です」

ヴィンセントは一瞬の逡巡の末、素直な気持ちを伝えた。

彼女の望む言葉を探し当ててあげられないのなら、せめて真摯で在りたかった。

「私は、シェリルさんにとって役に立つ人間になれますか?」

ヴィンセントが尋ねると、シェリルの瞳に再び涙が滲んだ。

「ごめんなさい……私、陛下と賭けをしたのです。陛下は、もし私が一ヶ月以内に宰相様のお心を溶かすことが出来たら、実家の修繕費を出して下さるとおっしゃいました。そしてもしそれが無理でも、良いお見合い相手を紹介して頂けると──」

ヴィンセントはシェリルの話した事に驚かなかった。いつも宰相の自分に色々言いくるめられているアーサーの考えそうな事だ。むしろ今となっては自分を焚き付けてくれた事に感謝してすらしている。

「私は生まれた時から家族のお荷物で、なのでせめて結婚によって実家になにか出来たらと思うようになりました。宰相様のお気持ちが私に向かない事は分かっていましたが、陛下が取り持って下さる結婚なら両親も喜んでくれるだろうと、宰相様のご迷惑も考えず……すみませんでした」

「シェリルさんの御両親のことは存じ上げませんが、貴方は決してお荷物なんかではありません。貴方がお辛い思いで過ごさなければならなかった事は私もとても悲しいですが、貴方がそれ程に御両親や他人を思いやれるのは、御両親が愛情を持ってシェリルさんを育てて下さったからだと思います。勿論、シェリルさん自身の優しさの証でもありますが」

ヴィンセントが言い終える前に、シェリルの瞳からいくつもの涙が音もなく落ちた。

こうやって、この少女は音も立てずに、誰にも悟られる事無く何度も泣いてきたのだろうか。

「みっともなく泣いたりしてすみません……」

ヴィンセントはシェリルの涙を指でそっとぬぐうと包み込む様に抱きしめた。

「貴方が泣いていると私も辛いですが、こうして抱きしめられる理由が出来るのは良いですね」

ヴィンセントはシェリルの後頭部をそっと撫でた。

「シェリルさんがいつも笑顔で居られたら何よりですが、もしまた泣きたくなる様な事があったら真っ先に私の所へ来て下さいますか?」

「宰相様を利用しようとした私を、お許し下さるのですか……?」

「シェリルさんは私を利用しようとしたのではなく、陛下に嵌められたのです」

「いえ、決してそんなことは! 陛下は私に決断を委ねて下さいました」

「相手が自分の意思で決めたと思わせる、そこまで含めてが政治でも詐欺においてもよく使われるやり方なのです」

シェリルの涙は止まったが、納得はしていないのか、「でも」とか「やっぱり」などと自分の腕の中でぶつぶつと呟いている。

その危な気な姿を見て絶対に自分が守り抜きたいと言う庇護欲をかき立てられる。

ヴィンセントが思わず抱きしめる腕に力がこもりそうになった時、キュルルと場違いで頼りない音がする。

「す、すみません、私、散々泣いておきながらお腹が鳴るなんて、信じられない……」

シェリルは真っ赤になって、腕の中で暴れそうな程取り乱した。

「そういえば、そろそろ夕食が出来上がる頃です。行きましょう。私もお腹が空いてきた所です」

手を繋いで温室の出口へ向かう。

シェリルがまだ完全に乾ききっていない潤んだ瞳で自分を見上げている。

「そう言う可愛い顔は他の人に見せないで下さい」

「何のこ──」

シェリルが何か言い掛けていたが、彼女の泣きはらした後のあどけなくて色っぽい様に、思わず唇を奪ってしまう。

しっとりしたその感触はこのままシェリルを味わえるなら夕食なんて未来永劫どうでもいいと思える程に甘美だった。

「ん……」

抵抗しないシェリルに、ついキスが深まりそうになるが、急に夜会でのノア コールリッジの蛮行がフラッシュバックする。

「すみません、軽率でした……」

「何故謝られるのですか? 宰相様は何も悪い事をなさっていません……」

「貴方の許可も得ずにキスをしてしまいました。これではコールリッジと同じです」

「全然違います! あの人にされたことは耐えられない程気持ち悪かったですが、宰相様のキスは──」

「私のキスは?」

「えっと……言わなくてはなりませんか……?」

「私に強制する権利はありませんが、今後の為にもおっしゃって頂けると助かります」

「──宰相様のキスは、全然嫌ではありません……」

「それは、次回はお許しを得たらまたキスをしても良いと言うことでしょうか?」

「そんな……毎回宰相様にキスしても良いかと聞かれて答えなくてはなりませんか? そんなの恥ずかし過ぎます……」

「恥ずかしがる貴方が可愛いので、毎回伺ってからと言うのも捨てがたいですが、そうですね──」

ヴィンセントはシェリルにもう一度、今度はいたずらをするように軽いキスをした。

「たまには不意打ちも良いかもしれないですね」

「──誰にも見られていない時なら、いつでも不意打ちして下さい……」

突然のキスに抗議されるか、赤面して絶句すると思っていたのに、彼女はうつむいているものの、繋いだままのヴィンセントの手をぎゅっと握って言った。

彼女の一挙手一投足が予測不可能で、とてつもなく可愛い。

「はぁ……この年で自分の苦手科目を知る事になるとは……」

「苦手科目?」

「いえ、何でもありません。今晩のデザートはラズベリーのタルトレットにバニラアイスを添えたものだそうです」

「アイスですか!?」

アイスと聞いてシェリルの瞳に宿ったペリドットの輝きは、さっきまでの湿っぽさや甘さを吹き飛ばす程だが、その光はヴィンセントの心をどこまでも柔らかく照らしてくれる。

「アイスが溶けてしまわないよう、急ぎましょう!」

シェリルは幸せそうに目を細めているヴィンセントの様子に気付かぬまま、その手を引いて食堂へと駆け出しそうになったが、急に我に返り淑女らしく粛々と歩きだした。







しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

ケダモノ王子との婚約を強制された令嬢の身代わりにされましたが、彼に溺愛されて私は幸せです。

ぽんぽこ@書籍発売中!!
恋愛
「ミーア=キャッツレイ。そなたを我が息子、シルヴィニアス王子の婚約者とする!」 王城で開かれたパーティに参加していたミーアは、国王によって婚約を一方的に決められてしまう。 その婚約者は神獣の血を引く者、シルヴィニアス。 彼は第二王子にもかかわらず、次期国王となる運命にあった。 一夜にして王妃候補となったミーアは、他の令嬢たちから羨望の眼差しを向けられる。 しかし当のミーアは、王太子との婚約を拒んでしまう。なぜならば、彼女にはすでに別の婚約者がいたのだ。 それでも国王はミーアの恋を許さず、婚約を破棄してしまう。 娘を嫁に出したくない侯爵。 幼馴染に想いを寄せる令嬢。 親に捨てられ、救われた少女。 家族の愛に飢えた、呪われた王子。 そして玉座を狙う者たち……。 それぞれの思いや企みが交錯する中で、神獣の力を持つ王子と身代わりの少女は真実の愛を見つけることができるのか――!? 表紙イラスト/イトノコ(@misokooekaki)様より

女嫌いな騎士団長が味わう、苦くて甘い恋の上書き

待鳥園子
恋愛
「では、言い出したお前が犠牲になれ」 「嫌ですぅ!」 惚れ薬の効果上書きで、女嫌いな騎士団長が一時的に好きになる対象になる事になったローラ。 薬の効果が切れるまで一ヶ月だし、すぐだろうと思っていたけれど、久しぶりに会ったルドルフ団長の様子がどうやらおかしいようで!? ※来栖もよりーぬ先生に「30ぐらいの女性苦手なヒーロー」と誕生日プレゼントリクエストされたので書きました。

【完結】おしどり夫婦と呼ばれる二人

通木遼平
恋愛
 アルディモア王国国王の孫娘、隣国の王女でもあるアルティナはアルディモアの騎士で公爵子息であるギディオンと結婚した。政略結婚の多いアルディモアで、二人は仲睦まじく、おしどり夫婦と呼ばれている。  が、二人の心の内はそうでもなく……。 ※他サイトでも掲載しています

国王陛下は愛する幼馴染との距離をつめられない

迷い人
恋愛
20歳になっても未だ婚約者どころか恋人すらいない国王ダリオ。 「陛下は、同性しか愛せないのでは?」 そんな噂が世間に広がるが、王宮にいる全ての人間、貴族と呼ばれる人間達は真実を知っていた。 ダリオが、幼馴染で、学友で、秘書で、護衛どころか暗殺までしちゃう、自称お姉ちゃんな公爵令嬢ヨナのことが幼い頃から好きだと言うことを。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

コワモテ軍人な旦那様は彼女にゾッコンなのです~新婚若奥様はいきなり大ピンチ~

二階堂まや
恋愛
政治家の令嬢イリーナは社交界の《白薔薇》と称される程の美貌を持ち、不自由無く華やかな生活を送っていた。 彼女は王立陸軍大尉ディートハルトに一目惚れするものの、国内で政治家と軍人は長年対立していた。加えて軍人は質実剛健を良しとしており、彼女の趣味嗜好とはまるで正反対であった。 そのためイリーナは華やかな生活を手放すことを決め、ディートハルトと無事に夫婦として結ばれる。 幸せな結婚生活を謳歌していたものの、ある日彼女は兄と弟から夜会に参加して欲しいと頼まれる。 そして夜会終了後、ディートハルトに華美な装いをしているところを見られてしまって……?

【完結】伯爵の愛は狂い咲く

白雨 音
恋愛
十八歳になったアリシアは、兄の友人男爵子息のエリックに告白され、婚約した。 実家の商家を手伝い、友人にも恵まれ、アリシアの人生は充実し、順風満帆だった。 だが、町のカーニバルの夜、それを脅かす出来事が起こった。 仮面の男が「見つけた、エリーズ!」と、アリシアに熱く口付けたのだ! そこから、アリシアの運命の歯車は狂い始めていく。 両親からエリックとの婚約を解消し、年の離れた伯爵に嫁ぐ様に勧められてしまう。 「結婚は愛した人とします!」と抗うアリシアだが、運命は彼女を嘲笑い、 その渦に巻き込んでいくのだった… アリシアを恋人の生まれ変わりと信じる伯爵の執愛。 異世界恋愛、短編:本編(アリシア視点)前日譚(ユーグ視点) 《完結しました》

処理中です...