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第三章

30. 深淵の闇 ③

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 遠野を支えるためには、話を聞くことが必要だと思っていた。悩みを吐き出せば、多少は楽になるのではないかと。
 しかし、遠野が話す姿はとても苦しそうで、辛くて見ていられなくなる。
 遠野を気遣い、今日のところは話を終わらせようと思った。
 
「おまえ、疲れてるだろ。続きは明日にでも――」
「話してしまいたいです」
 
 今にも泣いてしまいそうな表情でこちらを見てきた。
 
「わかった。話聞くよ」
 
 矢神の言葉に表情を緩めたあと、すぐに、ふっと視線を逸らされ顔を俯かせた。
 深い沈黙が広がる。部屋の中で、時計の針だけが静かに動いていた。
 遠野のこういう状態はどうにも落ち着かない。
 話しやすい環境を作ってあげられない自分は、教師としてはまだまだだなと感じた。
 
「実は……」

 そこまで言葉にした遠野は、再び口を閉ざした。
 目をぎゅっと瞑り、握り締めていた両手は微かに震えているようだ。
 本当に泣いてるのかと思った。
 こんな思いまでさせて言わせる必要があるのか。
 聞かなくても彼を支えられる方法はあるはずだ。
 それに矢神自身も、先を聞くのが怖いという思いもあった。
 

 もういいよ――そう伝えようと思ったら、遠野は言いにくそうに口を開いた。


「依田さんと付き合いながらオレは、不特定多数の人と身体の関係を持ってました」
「え……?」
 
 聞き取れなかったわけではなかった。ただ、遠野の口からそんな言葉が出てくるとは思わなかったのだ。
 
「軽蔑しますよね」
 
 にへらと笑うが、それは作っていることがわかるような笑顔。
 
「えっと、あれか、やりたい盛りで、どうしようもなくなって……」
 
 フォローしながらも依田がいるのになぜ、という疑問が浮かび上がる。
 恋人だけどそういうことはしてなかったのか。
 
「……依田さんに、お願いされて」
「は?」
 
 さらに予想だにしない言葉が返ってきて、一瞬呆気にとられた。だが、すぐに怒りが湧いてくる。
 
「依田さんが他の人と関係を持てって言ったのか? だって、恋人だったんだろ?」
「ゲイは相手を探すのが大変だから、紹介する人の相手をしてやって欲しいって」
「そんなの、どう考えてもおかしいだろ!」

 あまりの怒りで声を荒げれば、遠野が一瞬、びくっと怯えるように震えた。

「悪い……」
「いえ、今思えばおかしいってわかるんですけど、ただあの頃は依田さんと恋人になれたことが嬉しくて、一緒にいたいという想いでいっぱいだったんです。だから、嫌われたくなかった」
 
 笑みを浮かべて話すが、どこか悲しげな表情をしていてやりきれない気持ちになる。
 
「……好きでもない相手と、その、嫌じゃ、なかったのか?」
「嫌でしたよ。それでも逆らえなかった」
 

 ――彼が好きだから、か。

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