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第三章

12.誤解と関係の継続 ③

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「こんにちは」

 優しく笑う彼女に、矢神はすぐに挨拶を返せず、無言のままでいた。

「あのね、パン焼いてきたの。お昼まだだったら3人で食べない?」

 突然の訪問は毎度のことだったが、休みの日に来たのは初めてだった。
 料理らしいことは、ほとんどしなかった眞由美は、パンを焼くのは得意で、矢神はそのパンが好きだということを彼女は覚えていたのだろう。

 追い返すのも気が引ける。パンだけ食べて帰ってもらうおうか。それとも遠野に相談してから。
 ぐるぐると頭の中で考えていれば、眞由美の表情が変わる。

「あーや、話があるの」

 笑みが消え、真剣な眼差しの彼女を見て、話の内容が想像できた。

「矢神さん、荷物じゃなかったですか?」

 玄関に顔を出してきた遠野が眞由美の姿を見て「こんにちは」と挨拶をした。さらに、にこやかな笑顔で話しかける。

「すごくいい匂いしますね。眞由美さん、何か持ってきてくれたんですか?」
「パン焼いてきたんです。3人で食べようと思って……」
「わあ、いいですね」

 遠野が今にも眞由美を家の中に入れそうだったから、矢神は眞由美に声をかけた。

「話ってなに?」

 眞由美は、チラッと遠野の方を見た。それに気づいた遠野が気を利かせる。

「オレ、向こうに行ってますね」
「いいよ、すぐ終わるから」

 その場を立ち去ろうとする遠野を止めた。
 眞由美は遠野がいることで話しにくいのか、しばらく黙っていたが、次第にぽつりと話し始める。

「……この間ね、私、酔ってたの」
「ああ、オレも酔ってた」

 答えながら、お酒のせいにするのは最も都合のいい言い訳だなと感じた。

「ごめんね。あーやに釣り合うような女になるって言ったのに。これからは――」

 眞由美の話を遮断するように矢神は言葉にする。

「悪い。もうここには来ないでくれないか」
「え?」
「はっきり言わなかったオレが悪い。なあなあになってたけど、眞由美とまた付き合っていくとか考えられないんだ」
「待って、そんなすぐに結論出さなくていいから」
「考えは変わらない。一度の浮気なら許そうと思ったよ。だけど、嘉村のこと本気だって言ってオレと別れたのは眞由美だろ。あの時にもう終わったんだ」
「いやだよ、あーや」

 そう言って眞由美は、しくしくと泣き出した。隣にいた遠野が、オロオロし始める。

 被害者は矢神の方なのに、これではどちらが悪者なのかわからなくなりそうだ。だが、矢神は怯まなかった。ここで気を許せば、振り出しに戻るだけ。

「頼むから、これ以上眞由美のことを嫌いにさせないでくれ」

 矢神は眞由美の細い腕を掴んで、玄関の扉を開けた。

「今まで、ありがとう」
「やだ、やだよ!」

 涙をボロボロと流しながら、眞由美は縋ってくる。一度は本気で好きになった人だ。その姿は見るに堪えがたかった。
 腕を引っ張る力をなるべく抑えながら、外に追いやる。

「さよなら」

 最後は彼女の方を見ることができず、強引に扉を閉めた。

 胸がぎゅっと締め付けられるように苦しくなる。自分が傷つくのは嫌だが、人を傷つけるのはもっと嫌だった。
 それでも期待を持たせているよりは、この方がずっといいはずだ。そう自分に言い聞かせるしかなかった。
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