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第一章

53.過去との対面 ⑤

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 あんなにも思い悩んでいたのは、いったい何だったのか。日向と同じく、ほっとしていた。
 もっと早く向き合っていれば、こんなに悩むこともなかったのだろうか。
 生徒の方から会いに来てもらうなんて、自分の未熟さを痛感する。

 だが今は、日向が元気でいてくれたことがただ嬉しかった。心から良かったと思えて、自然と口元が緩む。

「矢神先生」

 玄関に戻ったところで、遠野が廊下の角から顔を出して声をかけてきたから、矢神は表情を引き締めた。

「……おまえ、職員室に戻ってろよ」
「良かったですね」

 何も言っていないのに、全てがわかっているかの物言いだった。優しく微笑む遠野に睨みを利かせる。

「余計なことをするな」
「余計な、ことでしたか?」

 少し躊躇いがちに遠野が言葉にした。

「余計なことだろ。日向のことはオレの問題で遠野先生には関係ないことだ」
「実は、そうでもないんですよね」

 苦笑いを浮かべ、頭を掻いた。

「どうしてだよ」
「……オレ、日向くんが本当は音楽をやりたいのを知ってたから」
「ああ、日向が在学中、いろいろ話してたって? オレよりも遠野先生の方が話しやすかったんだろ」

 少し嫉妬のようなものが含まれた言い方になってしまって、咳払いでごまかす。

「だからって、遠野先生には関係ない」
「関係なくありません。音楽をやりたいことを知っていたのに、話を聞くだけで何もできなかった。矢神先生に相談した方がいいって言ったんですけど、矢神先生を失望させたくないって……」
「日向は遠野先生に話を聞いてもらえるだけで良かったんじゃないか?」
「いいえ、話を聞くだけではダメです。オレ、こんな感じだから、生徒は気軽にいろんなことを話してくれます。だけど、それは友達に話すのと同じ感覚で。前に、矢神先生言ってましたよね? 教師が生徒を導くんだって。それがオレにはできていないんです」

 普段お気楽な遠野がそんな真面目なことを思っているなんて知らなかったから、言葉を失った。

「オレもずっと、日向くんのことが気になってたんです。でも、矢神先生と話している日向くんが笑顔だったから、少し気持ちが楽になりました」

 何て言葉をかければいいのか、わからなかった。自分だけが、日向のことを心配し、悩んでいたと思っていた。
 だけど、遠野も同じく日向のことで悩み、苦しんでいたのだろう。生徒を思う気持ちは一緒だということだ。

「……それより、おまえ、しつこく日向に会いに行ってたんだって? 少し考えて行動しろ」
「すみません。日向くんに会えたと思ったら、いてもたってもいられなくなって。今夜からはきちんと夕食作りますね」
「え? あっ! おまえの帰りが遅かったのってそれが原因か! 何だ、避けてたんじゃなかったんだ」

 ほっと胸をなで下ろせば、遠野がぼんやりと矢神の顔を見つめた。

「避ける?」
「いや、何でもない。ほら、さっさと残りの仕事片付けて帰るぞ」

 話をそらすため遠野の二の腕を軽く叩き、職員室へ向かった。
 悩みと不安が一気に解消され、足取りが軽かった。

 残るは先延ばしにしている例の問題だけ。
 矢神は、すぐに答えを出せそうな気がしていた。
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