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第一章
43.新たな苦悩 ②
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「矢神先生、今時間ありますか? 資料室の整理を手伝ってもらいたいんですけど」
放課後、久しぶりに嘉村が声をかけてきた。
「ああ、いいよ」
「じゃあ、お願いします」
嘉村と何を話したらいいのかわからないと思っていた矢神は、自分から声をかけることは、ほとんどなかった。
しばらく嘉村とは、業務のこと以外、会話らしい会話をしていない。
こんな普通の会話を交わすだけでも、身構えてしまうくらいだ。
資料室の整理とは、資料室にあるファイルに、前年度分の書類を部門別に綴っていくという簡単なもの。だが、これが意外に面倒で、けっこうな量があるから一人では無理な仕事だった。
毎年、担当になった人が手の空いている誰かに声をかける。そして仕事の合間を見て、何日もかけて終わらせていく。
今回担当だった嘉村が、たまたま居合わせた矢神を選んだ。ただそれだけで、仕事をしてくれるなら誰でも良かったのだろう。先ほどから会話はほとんどなく、もくもくと作業をこなすだけだった。
作業が進むのだからいいことなのはわかっていた。だが、そんなにも広くないこの資料室で二人、沈黙が続くのは耐え難かった。
「そ、そういえば、嘉村先生のクラスの市川、最近成績が上がってますね」
頭の中を巡らし、やっと浮かんだ話題を言葉にすれば、矢神の声が上擦った。
しかし会話が弾むどころか、嘉村は何も答えてくれず、勇気を出した意味がなくなる。
小さな溜め息が出た。
なぜこんなにも気を遣わないといけないのか。
少し苛立ちも沸いた。
矢神自身は何も悪いことをしていないのだから、堂々としていればいい。それなのに、性格の問題なのだろう。どちらかと言うと、嘉村の方が堂々としていた。
矢神は嘉村を怨んではいない。彼女が選んだということは、自分にないものを嘉村が持っていたということ。だから仕方がないのだ。
だが、一度わだかまりができると修復するのに時間がかかる。
こんな状態のままでは良くないことはわかっているのに、解決方法が見つからなかった。
「市川は――」
「え?」
「あいつは、矢神先生の授業がわかりやすいって言ってました」
会話が返ってきたことに嬉しくなり、頬が少し緩んだ。
「そっか、前は数学なんて嫌いだって言ってたのになあ」
「一年の時、希望の生徒に個人授業をしてましたよね。そのおかげで授業についていけるようになったと聞いています」
「個人授業ね……」
「最近は、個人授業してませんね。もうしないんですか?」
「うん、担任によっては、良く思わない先生もいてさ……」
「じゃあ、オレのクラスだけやってください。生徒の成績が上がれば問題ないんで」
矢神は嘉村らしいと感じた。
自分の利益になることなら、どんなことでもするタイプだ。だから反対に、自分に不利益になることには手を出さないし、関わろうとはしない。
そのせいで、他からは冷たいと見られることも多かった。
「嘉村先生も、クラスの生徒に個人授業したらいいんじゃないですか?」
「そうですね。考えてみます」
そこで会話が途切れ、再び沈黙が訪れた。
会話が続かないことなんてよくあることだから、気にしなければいいのだが、やはりどうにも居心地が悪かった。
自分ではなく、違う人を手伝いに選んでくれたら良かったのに。
そんなことを思っていたが、断わらなかったのは矢神なのだから諦めるしかないのだ。
ある程度作業を進ませてさっさと帰ろう。
そう思って作業のペースを速めれば、ボソリと呟くように嘉村が口を開いた。
「矢神先生は、遠野先生と仲いいですね」
唐突だった。
思わず、手を止めて嘉村の方を見てしまった。
放課後、久しぶりに嘉村が声をかけてきた。
「ああ、いいよ」
「じゃあ、お願いします」
嘉村と何を話したらいいのかわからないと思っていた矢神は、自分から声をかけることは、ほとんどなかった。
しばらく嘉村とは、業務のこと以外、会話らしい会話をしていない。
こんな普通の会話を交わすだけでも、身構えてしまうくらいだ。
資料室の整理とは、資料室にあるファイルに、前年度分の書類を部門別に綴っていくという簡単なもの。だが、これが意外に面倒で、けっこうな量があるから一人では無理な仕事だった。
毎年、担当になった人が手の空いている誰かに声をかける。そして仕事の合間を見て、何日もかけて終わらせていく。
今回担当だった嘉村が、たまたま居合わせた矢神を選んだ。ただそれだけで、仕事をしてくれるなら誰でも良かったのだろう。先ほどから会話はほとんどなく、もくもくと作業をこなすだけだった。
作業が進むのだからいいことなのはわかっていた。だが、そんなにも広くないこの資料室で二人、沈黙が続くのは耐え難かった。
「そ、そういえば、嘉村先生のクラスの市川、最近成績が上がってますね」
頭の中を巡らし、やっと浮かんだ話題を言葉にすれば、矢神の声が上擦った。
しかし会話が弾むどころか、嘉村は何も答えてくれず、勇気を出した意味がなくなる。
小さな溜め息が出た。
なぜこんなにも気を遣わないといけないのか。
少し苛立ちも沸いた。
矢神自身は何も悪いことをしていないのだから、堂々としていればいい。それなのに、性格の問題なのだろう。どちらかと言うと、嘉村の方が堂々としていた。
矢神は嘉村を怨んではいない。彼女が選んだということは、自分にないものを嘉村が持っていたということ。だから仕方がないのだ。
だが、一度わだかまりができると修復するのに時間がかかる。
こんな状態のままでは良くないことはわかっているのに、解決方法が見つからなかった。
「市川は――」
「え?」
「あいつは、矢神先生の授業がわかりやすいって言ってました」
会話が返ってきたことに嬉しくなり、頬が少し緩んだ。
「そっか、前は数学なんて嫌いだって言ってたのになあ」
「一年の時、希望の生徒に個人授業をしてましたよね。そのおかげで授業についていけるようになったと聞いています」
「個人授業ね……」
「最近は、個人授業してませんね。もうしないんですか?」
「うん、担任によっては、良く思わない先生もいてさ……」
「じゃあ、オレのクラスだけやってください。生徒の成績が上がれば問題ないんで」
矢神は嘉村らしいと感じた。
自分の利益になることなら、どんなことでもするタイプだ。だから反対に、自分に不利益になることには手を出さないし、関わろうとはしない。
そのせいで、他からは冷たいと見られることも多かった。
「嘉村先生も、クラスの生徒に個人授業したらいいんじゃないですか?」
「そうですね。考えてみます」
そこで会話が途切れ、再び沈黙が訪れた。
会話が続かないことなんてよくあることだから、気にしなければいいのだが、やはりどうにも居心地が悪かった。
自分ではなく、違う人を手伝いに選んでくれたら良かったのに。
そんなことを思っていたが、断わらなかったのは矢神なのだから諦めるしかないのだ。
ある程度作業を進ませてさっさと帰ろう。
そう思って作業のペースを速めれば、ボソリと呟くように嘉村が口を開いた。
「矢神先生は、遠野先生と仲いいですね」
唐突だった。
思わず、手を止めて嘉村の方を見てしまった。
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