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第一章

39.進む道の迷い、後輩の声 ①

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「失礼します」

 授業が終わった放課後、矢神はすぐに校長室を訪ねた。

「ああ、矢神先生、お忙しいところごめんなさいね。どうぞかけてください」
「はい……」

 促されるまま、ソファに座る。少し緊張していた。昼休みに遠野の言っていたことが頭から離れず、不安が付きまとっていたのだ。午後の授業に集中できなかったのも、そのせいだろう。

 あんな男の言うことを気にするなんて――。

 矢神は奥歯をぎりっと噛み締めた。

「さっきね、営業の方からお饅頭を頂いたんだけど、矢神先生、甘い物は大丈夫かしら」
「いえ、私は……」

 矢神は断わろうとしたが、校長は返事を聞かぬまま、お茶と一緒に饅頭が乗った皿を目の前に出してくる。

「ここのお店のすごく美味しいのよ。食べてみて」
「ありがとう、ございます……」

 食べる気分ではなかったが、そう答えるしかなかった。

「新入生も学校にだいぶ慣れてきましたね。少し浮かれてくる頃かしら」

 穏やかな表情のまま、校長は矢神の向いに座った。

「そうですね……」

 背筋を伸ばし、更に姿勢を正した矢神は、何を言われるのかとそのことばかりが気になって、会話が頭に入ってこなかった。

「でも、矢神先生なら、そんな浮かれている生徒にもきっちり接してくれますものね」
「努力しています」

 答えがおかしかったのか、校長はくすっと笑う。

「矢神先生、そんなに緊張なさらないでください。たいしたお話ではないのよ」
「そ、そうですか」

 その言葉を聞いて、肩の力が抜け安堵のため息が漏れた。それと同時に、校長が話し始める。

「二年A組の授業を矢神先生は受け持ってますよね。すごく優秀なクラスだと聞きました」
「成績もいいですし、みんな真面目でいいクラスですね。やはり担任の榊原さかきばら先生のおかげだと思います。話というのは、二年A組のことですか?」

 早く本題に入りたくて、急かすように自分から話を振ってみた。校長は笑顔でゆっくりと頷く。

「ええ、その榊原先生ですが、昨年にお父様が倒れたのはご存じでしょう」
「はい、そう伺いました」

 父親が倒れ、そのために榊原先生は学校を何度も休んでいた。矢神は、代わりにA組のホームルームを受け持ったこともある。

「お父様は元気になられたそうなので安心していたんですけど、榊原先生、教師を辞めてご実家の家業を継がれるそうなの」
「え!? 教師を辞められるんですか?」

 あまりの驚きに、思わず身を乗り出しそうになった。

「せめて担任を受け持っている今の生徒が卒業するまででも、とお願いしたんですが、榊原先生もずっと悩んでいらしたようで……」
「そうなんですか……」

 教師を続けて二十年になる榊原先生には、矢神もいろいろな指導やアドバイスを受けていた。
 生徒だけではなく、一緒に働く教師にもまっすぐで厳しい。しかし、必ず明るくフォローしてくれる。

 そのせいか、厳しく指導するという印象はほとんどなく、みんなから慕われる教師だった。そして榊原先生自身も、教師という仕事に誇りを持っていた。
 だからこそ、そんな榊原先生のことを矢神は目標にしていた。事情があるにしても、とても残念なことだった。
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