Wish Upon A Star

アオ

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夜風

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 広い広い社長室の中で、慧はパソコンの画面に向っていた。

 外は、すっかり暗くなり会社に残っている人間もこのビルには数名しかおらず、

 慧付きの秘書ももう退社させていた。

 今日も夕食を摂る時間もなく、昼に会食をしたっきり秘書が持ってきた軽食でさえ、

 口にする時間すらなかった。

 する時間を作らなかったといった方が、正しいのかもしれない。

 今は、食事をする時間よりも仕事に打ち込んでいたほうが、余計なことを考えないですむと

 どこかで思っていたからだった。

 時計を見るといつの間にか日付が変わっており、慧は溜息を吐きながら両手で目頭を押さえた。

 そして首を軽く回しながら、手元にあった資料を手にして、

 数枚めくりながら、すっかり冷め切ったコーヒーを飲んだ。

 視線の先には、先日あった女性の写真とその女性に関する調査をまとめたものが細々と書かれている。

 



 紙面上の彼女は、とても質素なものだった。

 毎日毎日、パン屋と子供のために働いているようなもので、ここ数年は誰かと付き合った形跡もない。

 収入はほんのわずかなもので、立ち退きの費用の方がはるかに大きいが、

 それを断ってまでパン屋を続けたい何かがあることまではさすがに調査したものにもわからないらしい。

 それに「健太」の存在。

 彼女は、自分の子供とも他人の子供とも言わなかった。

 あえて言わなかったのだろう。

 しかし、全く血のつながりもない子供をどうして面倒を見ているのか。書面には詳しくは書かれていないが、

 ただ、友人の子と書かれている。

 自分の生活も苦しいほどなのになぜ友人の子供を預かるのか。

 しかもその子供には血のつながっている叔母や、叔父がいるというのに。

 慧には到底理解しがたいものだった。

 彼女という人間に関わると、どんどん謎が深まるばかりで、答えが全く見えない。

 慧にとって答えがわからないというのが、彼女が気になる理由であると思っていた。

 自分とあまりにもかけ離れた存在であり、理解できないことばかりで、

 今まで周りにはいないタイプ。

 それが、慧の中での「大塚 ちひろ」の評価であった。






 今のプロジェクトを完成させるには彼女の土地が必要不可欠で、

 一日も早く彼女を説得しなければならない。

 そのためには、なぜ土地を売りたくないのか理由を知るためにも彼女のことをもっと

 探りを入れなければならない。

 だから、彼女のことを知らなければならないのだ。

 なのに自分ときたら、意味もなく彼女のところへ行ったり、

 食事を楽しんでしまったり・・・・・。

 



 こんなことをやっていたら、いつになってもプロジェクトが終わらない。

 


 慧は、目の前の資料をバサリと音を立てて机の上に投げると、
 
 深い溜息を吐き自分が何をすべきか考え直し、明日のスケジュールを見直していた。







 翌日。


 ちひろはいつものように早起きをし、パンを焼き上げたあとシャッターを上げる。

 



 今日も彼は来ないのだろうか。

 


 数日前に、一緒に食事をしてからと家まで送ってもらいその後に

 「こんなに楽しく食事をしたのははじめてだよ。

 また一緒に行こう」

 と言った男性が、それきり姿を見せていない。

 ちひろは社交辞令だと自分に言い聞かせていても、やはり姿が見えないと

 落ち込んでいた。

 3人で食事した時間はほんの数時間だったが、

 ちひろにとって夢のような時間だった。

 自分が、怖い思いをしているときに、まるで騎士か何かのように颯爽と現れて

 守ってくれた。もう、夢見る十台ではないが、女性であればあんなシチュエーションは

 弱いに決まっていると自分に言い訳していた。

 そしてそのことばかり考えている自分にいい加減現実を見るようにとも言い聞かせている。

 ちひろは何度も何度も考えては手を止めて深い溜息を吐いた。

 そうしてまた数日がたった夜、慧は急にちひろの前に姿を現した。

 


 「お久しぶり」

 シャッターを下ろしている時、突然大きな影とともに現れたためちひろは飛び上がるほど驚いた。

 「こんばんは。お仕事、今終わりですか?」

 何とか動揺を表情に出さないように離すことが精一杯だった。

 「いや、まだまだ仕事は残っててね。でも夕食ぐらいは食べようかと車を出したら
 
 君の姿が見えて。よかったら一緒に食べないか?」

 ちひろはこれ以上社交辞令を受け入れても自分が悲しくなるだけだと自分にブレーキをかけながらも

 どうしても慧に惹かれている自分も止めることはできなかった。

 「もちろん健太君も一緒にね」

 黙って葛藤している千尋に、笑顔で誘惑してくる。この男の笑顔の誘惑に勝てる人間はいるはずがないと

 ちひろは思った。

 「わかりました。でも今度は私に払わせて下さい。先日のお礼もしてないですし」

 その言葉に慧は大きく驚いた。
 
 今まで女性にこのように言われたこともなければお礼すら言われたことがない。

 出してもらって当たり前のような態度ばかりだった。

 ましてちひろの家計の状況を慧は十分わかっている。
 
 とても自分が行くような店で払う事は出来ないはず。

 「誘っているのは自分だから気にする事はない。それに一人で食べるよりも

 数人で食べる方が楽しいって君たちのおかげで知ることができたんだ。

 だからオレを助けると思って一緒に気軽に食べてほしい」

 慧の言葉にちひろは少し驚いた。
 
 今まで常に誰かと楽しく食事することが多くそれが当たり前だった。

 ちひろにとって食事を楽しむということを慧が知らなかったことがあまりにも

 自分と世界が違うように感じさびしく感じた。

 「そこまで言ってくださるなら・・・・・。じゃあ急いで準備しますので少し待っていただけますか?」

 慧は車で待つことにし、急いでちひろは健太に声をかけ準備を始めた。

 「またあのおじさんとご飯?ふ~ん」

 健太はにやけながらちひろを見上げた。
 
 「なによ。じゃあ、連れて行かないからね」

 「冗談だよ。ほら、早く準備しなよ」
 
 そういって背中をぐいぐいと押されちひろは自分の部屋に篭った。



 準備を終えてちひろたちが車に到着すると慧は電話中だった。

 眉間にしわを寄せ真剣で険しい表情で話している。
 
 仕事の話だろうかとちひろが見つめていると慧は気付き表情が明るくなる。

 そして電話の相手に二言三言はなすと電話を切りちひろ達の助手席側へと周り車のドアを開けた。

 「すまない。待たせたみたいだね」

 そういって健太の頭を撫でる。

 ちひろは自然なその動きに呆然と眺めていた。エスコートなど普通の生活をしていたら

 まずされることはない。

 小説や映画の世界で見る事はあっても体験する事はあまりない。

 前回、食事に行ったときもそうだが、慧の行動がとても現実離れしているようでどう受け入れればいいのか

 わからなくなってしまうちひろであった。

 「どうした?乗らないのか?」

 慧の言葉に我に帰り慌てて助手席に乗り込む。すでに後ろのシートに乗っていた健太は

 ニコニコ顔で声をかけてきた。

 「ねえ、今日は何を食べるの?」
 
 「そうだな、中華はどうだ?」

 「中華!麻婆豆腐!!」

 中華イコール麻婆豆腐という子供の発想が今のちひろにとって救われた。

 自然と笑みが出て会話も弾む。
 
 食事中も三人とも笑顔と会話が途切れることがなかった。

 慧も三人の食事を楽しんでいたが、胸の奥に何かつかえるものがあることを忘れてはいなかった。

 




 「ご馳走様でした」

 健太はそういって速攻自分の部屋に戻った。

 「もう、健太ったら・・・」

 「はは、気を使ったんじゃないのかな」

 気を使ったなど言われるほどそんな近い関係じゃないと心の中で否定しても

 それを言葉に出せるわけでもなく、ちひろはただ困った顔をするばかりであった。
 
 「でもおかげで君と二人きりで話せる時間が出来た。感謝しないと」
 
 「え?」

 「なかなか二人きりでゆっくり話しってできないから」
 
 そういってにっこりと笑った慧を見上げ、まじまじと見つめる。

 「どうしても分刻みの仕事をしているとゆっくりと誰かと話す時間がなくてね。

 君たちと過ごす時間が唯一人間にもどった感じがするよ」

 忙しい時間の合間をとってまで自分達と過ごしたいという意思が慧から感じ取られた。
 
 

 こんなこと言われたら期待してしまう・・・・。



 「じゃあ、今度は私の家で食事をしませんか?

 たいした料理は出来ませんけど、移動の時間も省けるし何より気兼ねなくゆっくり出来ますよ」



 それに今まのお礼もしたいし。

 

 ちひろは、自分のこの家に誰かを招待するということは友人以外あまりいなかったが、

 どうしても慧に来てほしいと思っていた。

 「いいのか?」

 「もちろんこんな我が家でよければ」

 「いや、すごくうれしいよ」

 慧が心からの笑顔を見てちひろは安心した。

 「じゃあ、来週時間を作るから。

 よければ連絡先を教えてもらえるかな」

 ちひろは携帯を取り出し慧に自分の連絡先を送った。
 
 それを確認すると慧はメモリーに登録し、

 「ありがとう。これで君に連絡しやすくなったよ」

 と言った。





 二人の間に夜風が心地よく吹き流れた。

 
 
 
 
 いつもは一つにまとめていたちひろの髪がふわりと風を含み、一束が口の中に入った。

 それを慧がやさしく人差し指でそっとはらうとちひろは慧を見上げ、見つめた。

 慧が自分を見つめる瞳があたたかいがすごくさびしげな色をしていることに気がついたちひろは、

 この人には深い闇がある、何か力になれればと思っていた。

 自然と慧の頬を優しくなでてじっと見つめ、そしてにっこりと笑う。

 まるで子供に向って笑いかけるように。

 慧は、一瞬驚いた表情になったが、自分の頬にある手の上から自分の手を重ね、

 そっとちひろに唇を重ねた。





 

 

  

 
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