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女王様と犬、時々下克上 1
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アルバイト先から帰宅した私は、一人暮らしをするアパートの、自分の部屋の前に、大きな黒い塊を発見し、眉をひそめた。
(ゴミ……じゃなくて、ひと?)
警戒しながらそろりそろりと近付くと、それが黒いコートを着た男の人だというのがわかった。迷惑な事に、そいつは人の家のドアにもたれかかり、すうすうと寝息を立てている。
(うわー、さいてー。どうしよ……警察呼ぶしかないよねぇ。……って、あれ? こいつ……)
男の顔には見覚えがあった。私は記憶を探る。
綺麗に染められた茶色の髪は、ふんわりとしており、腕から覗くブレスレットやら指輪やらと相俟って、ちゃらちゃらとした印象だ。いかにも人生楽しんでますという容貌で、あまりお近づきになりたくないタイプだ。顔立ちは整っているが、それがまた苦手意識に拍車をかける。どうせ私は地味な喪女だ。だから特別な接点はないはずなのに……。
と考えたところで思い出した。こいつ、隣に住んでたOLの彼氏だ。二人で連れ立って歩いてるところを何回か見たことがある。
そのOLは、服装も髪型も派手な美人で、やっぱり私が苦手とする人種だった。壁が薄いせいで喧嘩やら夜のにゃんにゃんの声が丸聞こえだったので印象は最悪だ。
あれ? でもおかしいな。隣の人はこないだの日曜に引っ越して行ったはずなんだけど……。
引越し業者が出入りするのを見て、ようやく耳栓から開放されるとほっとしたので間違いないはずだ。
首を傾げつつも、私は男に声をかけてみる事にした。
「起きて。こんなところで寝てたら凍死しますよ」
季節は冬、今夜は氷点下に冷えるかもと天気予報で言っていた気がする。知らん振りをして朝になったら家の前に凍死体が、なんて洒落にならない。ゆさゆさと揺すぶると、男は小さく唸った。
(酒くさっ)
白い吐息と共に漂ってきた匂いに私は顔をしかめた。
「起きてくださいってば。警察呼びますよ?」
「んー……、警察ってひどいよユキちゃぁん……」
男はうっすらと目を開けると、私の腕をがしっと掴んだ。
この酔っ払いが! ユキちゃんって誰だよ。隣のOL?
「放してください。私ユキちゃんじゃないです」
「なんでそんな嘘つくの。てか俺と別れるなんて嘘だよね? 俺ユキちゃんいないと生きていけない」
どれだけの量を飲んだのか、男の目はどろりと濁っている。人違いに気付かないまま男はさめざめと泣き出した。
これはだめだ。話にならない。
身の危険を感じた私は、男を振り払うとスマホを出すためにカバンを開けた。するとその手ががしっと掴まれる。
かと思うと男は手をカバンの中に突っ込み、中から部屋の鍵をつまみだした。
「あれー? ユキちゃんキーホルダー変えたの? まぁいいや。早く入ろ? ユキちゃんであったまりたーい」
そんな寝言を口走りながら、男はやけに素早い動きで鍵をガチャリと開けた。
鍵の違いに気付くなら人違いにも気付いて!
いつも巻き髪メイクをきっちりと決めていたOLと私じゃ明らかに髪型も背格好も違うというのに。
ぐいっと家の中に引きずり込まれるにいたって、私の背筋を冷や汗が流れた。
え? これ、ヤバイ。
「ベッドまでまてなーい」
靴のまま玄関に押し倒され、私はさっさと警察を呼ばなかったことを心の底から後悔した。
だめだこれ。やられるかも。
二十年守ってきた初めてが、こんなところでこんな酔っ払いに。
唇を奪われ、酒臭い吐息と共に侵入してきた舌に、吐き気がこみあげる。
いくら相手がイケメンでも嫌だ。こんな無理矢理。好きでもない相手に。
なんで私がこんな目に会わなきゃいけないんだろう。悔しさに涙がこぼれた。
ようやく唇が開放されたと思ったら、男は首に巻いていたマフラーを剥ぎ取って首筋に顔を埋めてきた。
濡れた感触と同時に体をまさぐられ鳥肌が立った。太腿に当たっている何か硬いものは、男の欲望だろうか。
私はもがいた。しかし力の限り抵抗しても男の体はびくともしない。それどころか、より体重をかけて圧し掛かってくる。
まさか潰す気だろうか。
危機感により強く男を押し返そうとした時だった。
すう、と寝息が聞こえてきた。
(は?)
呆気にとられた私は、首元に顔を埋めたままの男の顔を確認する。
男は再び、夢の国へと旅立っていた。
意識のない人間の体というのはありえないほどに重かった。
私は男の下から四苦八苦して抜け出すと、ぜいぜいと荒い息をついた。
助かった。危うくレイプ事件の被害者になるところだった。安堵すると同時に沸きあがってきたのは怒りだ。
ファーストキス、だったのに。それがこんな見知らぬ酔っ払いに奪われるなんて。
どうせ私は彼氏いない暦イコール年齢の喪女だ。自分なりに外見を磨く努力はしているけれど、生まれてこの方彼氏どころか告白すらされた事がない。それでもいつか、私だけの王子様が、なんて夢見てたのに、まさかこんな好みでもない酔っ払いに打ち砕かれるとは。
声なんかかけるんじゃなかった。こんな奴凍死したらよかったんだ。
さっさと放り出そう。
私は出て行っていただくべく男の足を掴むと、外に向かって引きずり出そうとした。しかしあまりの重さに即座に断念する。
これは無理だ。かといってこのまま女子の一人暮らしの家に入れておくには不安すぎる。
どうしよう。縛る?
雑誌を捨てるためのビニール紐はあるけど、暴れても解けないくらい、しっかりと結べるかと言われるとちょっと心もとない。
紐代わりになる何かがないか、部屋の中を見回した私は、梱包用のガムテープがあることを思い出した。
とりあえずこれで拘束だ。
私は玄関に突っ伏している男の手首を、ガムテープで後ろ手にぐるぐる巻きにした。そしてほっと一息つくと、お風呂に入る事にした。
体に付けられた男の痕跡を、一刻も早く洗い流したかった。
(ゴミ……じゃなくて、ひと?)
警戒しながらそろりそろりと近付くと、それが黒いコートを着た男の人だというのがわかった。迷惑な事に、そいつは人の家のドアにもたれかかり、すうすうと寝息を立てている。
(うわー、さいてー。どうしよ……警察呼ぶしかないよねぇ。……って、あれ? こいつ……)
男の顔には見覚えがあった。私は記憶を探る。
綺麗に染められた茶色の髪は、ふんわりとしており、腕から覗くブレスレットやら指輪やらと相俟って、ちゃらちゃらとした印象だ。いかにも人生楽しんでますという容貌で、あまりお近づきになりたくないタイプだ。顔立ちは整っているが、それがまた苦手意識に拍車をかける。どうせ私は地味な喪女だ。だから特別な接点はないはずなのに……。
と考えたところで思い出した。こいつ、隣に住んでたOLの彼氏だ。二人で連れ立って歩いてるところを何回か見たことがある。
そのOLは、服装も髪型も派手な美人で、やっぱり私が苦手とする人種だった。壁が薄いせいで喧嘩やら夜のにゃんにゃんの声が丸聞こえだったので印象は最悪だ。
あれ? でもおかしいな。隣の人はこないだの日曜に引っ越して行ったはずなんだけど……。
引越し業者が出入りするのを見て、ようやく耳栓から開放されるとほっとしたので間違いないはずだ。
首を傾げつつも、私は男に声をかけてみる事にした。
「起きて。こんなところで寝てたら凍死しますよ」
季節は冬、今夜は氷点下に冷えるかもと天気予報で言っていた気がする。知らん振りをして朝になったら家の前に凍死体が、なんて洒落にならない。ゆさゆさと揺すぶると、男は小さく唸った。
(酒くさっ)
白い吐息と共に漂ってきた匂いに私は顔をしかめた。
「起きてくださいってば。警察呼びますよ?」
「んー……、警察ってひどいよユキちゃぁん……」
男はうっすらと目を開けると、私の腕をがしっと掴んだ。
この酔っ払いが! ユキちゃんって誰だよ。隣のOL?
「放してください。私ユキちゃんじゃないです」
「なんでそんな嘘つくの。てか俺と別れるなんて嘘だよね? 俺ユキちゃんいないと生きていけない」
どれだけの量を飲んだのか、男の目はどろりと濁っている。人違いに気付かないまま男はさめざめと泣き出した。
これはだめだ。話にならない。
身の危険を感じた私は、男を振り払うとスマホを出すためにカバンを開けた。するとその手ががしっと掴まれる。
かと思うと男は手をカバンの中に突っ込み、中から部屋の鍵をつまみだした。
「あれー? ユキちゃんキーホルダー変えたの? まぁいいや。早く入ろ? ユキちゃんであったまりたーい」
そんな寝言を口走りながら、男はやけに素早い動きで鍵をガチャリと開けた。
鍵の違いに気付くなら人違いにも気付いて!
いつも巻き髪メイクをきっちりと決めていたOLと私じゃ明らかに髪型も背格好も違うというのに。
ぐいっと家の中に引きずり込まれるにいたって、私の背筋を冷や汗が流れた。
え? これ、ヤバイ。
「ベッドまでまてなーい」
靴のまま玄関に押し倒され、私はさっさと警察を呼ばなかったことを心の底から後悔した。
だめだこれ。やられるかも。
二十年守ってきた初めてが、こんなところでこんな酔っ払いに。
唇を奪われ、酒臭い吐息と共に侵入してきた舌に、吐き気がこみあげる。
いくら相手がイケメンでも嫌だ。こんな無理矢理。好きでもない相手に。
なんで私がこんな目に会わなきゃいけないんだろう。悔しさに涙がこぼれた。
ようやく唇が開放されたと思ったら、男は首に巻いていたマフラーを剥ぎ取って首筋に顔を埋めてきた。
濡れた感触と同時に体をまさぐられ鳥肌が立った。太腿に当たっている何か硬いものは、男の欲望だろうか。
私はもがいた。しかし力の限り抵抗しても男の体はびくともしない。それどころか、より体重をかけて圧し掛かってくる。
まさか潰す気だろうか。
危機感により強く男を押し返そうとした時だった。
すう、と寝息が聞こえてきた。
(は?)
呆気にとられた私は、首元に顔を埋めたままの男の顔を確認する。
男は再び、夢の国へと旅立っていた。
意識のない人間の体というのはありえないほどに重かった。
私は男の下から四苦八苦して抜け出すと、ぜいぜいと荒い息をついた。
助かった。危うくレイプ事件の被害者になるところだった。安堵すると同時に沸きあがってきたのは怒りだ。
ファーストキス、だったのに。それがこんな見知らぬ酔っ払いに奪われるなんて。
どうせ私は彼氏いない暦イコール年齢の喪女だ。自分なりに外見を磨く努力はしているけれど、生まれてこの方彼氏どころか告白すらされた事がない。それでもいつか、私だけの王子様が、なんて夢見てたのに、まさかこんな好みでもない酔っ払いに打ち砕かれるとは。
声なんかかけるんじゃなかった。こんな奴凍死したらよかったんだ。
さっさと放り出そう。
私は出て行っていただくべく男の足を掴むと、外に向かって引きずり出そうとした。しかしあまりの重さに即座に断念する。
これは無理だ。かといってこのまま女子の一人暮らしの家に入れておくには不安すぎる。
どうしよう。縛る?
雑誌を捨てるためのビニール紐はあるけど、暴れても解けないくらい、しっかりと結べるかと言われるとちょっと心もとない。
紐代わりになる何かがないか、部屋の中を見回した私は、梱包用のガムテープがあることを思い出した。
とりあえずこれで拘束だ。
私は玄関に突っ伏している男の手首を、ガムテープで後ろ手にぐるぐる巻きにした。そしてほっと一息つくと、お風呂に入る事にした。
体に付けられた男の痕跡を、一刻も早く洗い流したかった。
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