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06 事件の顛末
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だれがこまどり しぬのをみたの
わたし とはえがいいました
わたしがこのめで しぬのをみた
(中略)
かわいそうな こまどりのため
なりわたるかねを きいたとき
そらのことりは いちわのこらず
ためいきついて すすりないた
(引用 『マザー・グース 4』 講談社文庫 谷川俊太郎訳)
ロイヤル・アスコットから一夜明け、一階の食堂室に降り立った私は、そこに置かれていた新聞の見出しに目を止めた。
――ロイヤル・アスコットの悲劇
――死亡者二名、そのうちの一人はノーランド侯爵
――若く美しい侯爵夫人の行く末は?!
我がリグニエット侯爵家では、財務大臣を務めるお父様が世情を知るために、三つの高級紙と、二つの大衆紙を購入している。
そのどれもが、前日のロイヤル・アスコットで起こった事件を大々的に取り扱っていた。
どの紙面も、一面を大きく割いて、あの時何が起こったのかを細かく報じている。
第五レースで落馬した馬の名前、騎乗していた騎手、そして死傷者。
死者二名、怪我人十名。死者のうち一人の名前はステファン・ノーランド……ノーランド侯爵で、夫人も軽い怪我を負ったそうだ。
淡々と事実だけを伝える高級紙に対し、大衆紙は、まだ若く美しいエヴァンジェリン様を襲った悲劇について、センセーショナルに書き立てていた。
どちらの大衆紙も、彼女のドレスアップした美しい写真と共に、夫の血を浴びて取り乱す姿を並べて掲載しており、胸が悪くなる。
まだぎりぎり二十代で、子もいないまま未亡人となった彼女の今後に対する下衆な勘ぐりが書かれている。
求婚者が殺到するだろうとか、修道院に入ってしまうのだろうか、とか。
大衆紙は淑女の見るものではないとされている。しかし、ついつい記事を目で追ってしまい、私は慌てて目を逸らした。
ゴシップを、時に嘘や捏造を織り込んで、扇情的に報道するのが大衆紙と分かっているけれど、夫を亡くしたご婦人にする仕打ちとしてはあんまりだ。
だけど、私の心には、ほんの少し、ほっとする気持ちも湧き上がっていた。
お可哀想なエヴァンジェリン様。
あんなにも仲睦まじかった旦那様を亡くされるだなんて。
だけど、もうこれで、寡婦となったあの方を、しばらくの間は社交界で見かけることは無いのね。
最低だ。私。他人の不幸を喜ぶだなんて。
自己嫌悪に陥ると同時に、あの方と比べられる事でとても傷付いていたのだと自覚した。
「メル、やはりお前も見てしまったのか。忘れておしまいなさい。あれは不幸な事故だったんだ」
新聞の傍で青ざめる私にお父様が声をかけてきた。
ロイヤル・アスコットには、席こそ別だったが両親も参加していたのだ。
「あ……決定的な現場を見た訳では無いのです。殿下が私に見せないように目隠ししてくださったので……」
「そうか。殿下はお前を大事にしてくださっているんだね」
お父様はそう言って柔らかく微笑んだ。
その後ろで、弟のクリスがなんとも言えない複雑な表情をしているのが見えた。
アーサー殿下は対外的には理想的な婚約者として振舞ってくださるから、お父様の心証は非常に良いのだ。
そんなところもあって、私が婚約者を辞めたいと弱音を吐いても、諭されるだけという現状がある。
私は詰んでいる。
チェスに例えれば、王手をかけられている状態だ。
恐らくこのまま流されて、来年には不満や鬱屈を抱えながらも王太子妃になっている未来しか見えない。
私はため息をつくと、新聞から視線を外した。
二日後――
アルビオン国教会の総本山たるローザリア大聖堂の鐘が、王都中に響き渡った。
ステファン・ノーランド侯爵の葬儀がしめやかに行われたのである。
ノーランド侯爵のご遺体は、サラブレッドの重量に押し潰され、見るも無惨な状態だったそうだ。
あの時、アーサー殿下が目隠ししてくださらなかったら、私は、侯爵が亡くなられた様子をまともに目にしていたかもしれない。そう思うと、今更ながらに体が震えた。
王室主催のロイヤル・アスコットで起こった事故の為、葬儀には、アーサー殿下が国王陛下の名代として参列されたらしい。
また、空馬となって大暴走をしたサラブレッドの方も、足の骨を折っており、予後不良と診断されて安楽死処分となったそうだ。
馬主は大変な金額の損害賠償を請求される見込みというから、誰もが不幸になった事件だった。
後日談として、侯爵家の爵位は、ステファン卿の弟が継承することになり、前侯爵夫人――エヴァンジェリン様は、ステファン卿との間に子供がいなかったため、ご実家であるハーシェス伯爵家に戻られたと聞いた。
彼女の更にその後について私が耳にしたのは、友人であるマイアのお茶会に招かれた時だった。
わたし とはえがいいました
わたしがこのめで しぬのをみた
(中略)
かわいそうな こまどりのため
なりわたるかねを きいたとき
そらのことりは いちわのこらず
ためいきついて すすりないた
(引用 『マザー・グース 4』 講談社文庫 谷川俊太郎訳)
ロイヤル・アスコットから一夜明け、一階の食堂室に降り立った私は、そこに置かれていた新聞の見出しに目を止めた。
――ロイヤル・アスコットの悲劇
――死亡者二名、そのうちの一人はノーランド侯爵
――若く美しい侯爵夫人の行く末は?!
我がリグニエット侯爵家では、財務大臣を務めるお父様が世情を知るために、三つの高級紙と、二つの大衆紙を購入している。
そのどれもが、前日のロイヤル・アスコットで起こった事件を大々的に取り扱っていた。
どの紙面も、一面を大きく割いて、あの時何が起こったのかを細かく報じている。
第五レースで落馬した馬の名前、騎乗していた騎手、そして死傷者。
死者二名、怪我人十名。死者のうち一人の名前はステファン・ノーランド……ノーランド侯爵で、夫人も軽い怪我を負ったそうだ。
淡々と事実だけを伝える高級紙に対し、大衆紙は、まだ若く美しいエヴァンジェリン様を襲った悲劇について、センセーショナルに書き立てていた。
どちらの大衆紙も、彼女のドレスアップした美しい写真と共に、夫の血を浴びて取り乱す姿を並べて掲載しており、胸が悪くなる。
まだぎりぎり二十代で、子もいないまま未亡人となった彼女の今後に対する下衆な勘ぐりが書かれている。
求婚者が殺到するだろうとか、修道院に入ってしまうのだろうか、とか。
大衆紙は淑女の見るものではないとされている。しかし、ついつい記事を目で追ってしまい、私は慌てて目を逸らした。
ゴシップを、時に嘘や捏造を織り込んで、扇情的に報道するのが大衆紙と分かっているけれど、夫を亡くしたご婦人にする仕打ちとしてはあんまりだ。
だけど、私の心には、ほんの少し、ほっとする気持ちも湧き上がっていた。
お可哀想なエヴァンジェリン様。
あんなにも仲睦まじかった旦那様を亡くされるだなんて。
だけど、もうこれで、寡婦となったあの方を、しばらくの間は社交界で見かけることは無いのね。
最低だ。私。他人の不幸を喜ぶだなんて。
自己嫌悪に陥ると同時に、あの方と比べられる事でとても傷付いていたのだと自覚した。
「メル、やはりお前も見てしまったのか。忘れておしまいなさい。あれは不幸な事故だったんだ」
新聞の傍で青ざめる私にお父様が声をかけてきた。
ロイヤル・アスコットには、席こそ別だったが両親も参加していたのだ。
「あ……決定的な現場を見た訳では無いのです。殿下が私に見せないように目隠ししてくださったので……」
「そうか。殿下はお前を大事にしてくださっているんだね」
お父様はそう言って柔らかく微笑んだ。
その後ろで、弟のクリスがなんとも言えない複雑な表情をしているのが見えた。
アーサー殿下は対外的には理想的な婚約者として振舞ってくださるから、お父様の心証は非常に良いのだ。
そんなところもあって、私が婚約者を辞めたいと弱音を吐いても、諭されるだけという現状がある。
私は詰んでいる。
チェスに例えれば、王手をかけられている状態だ。
恐らくこのまま流されて、来年には不満や鬱屈を抱えながらも王太子妃になっている未来しか見えない。
私はため息をつくと、新聞から視線を外した。
二日後――
アルビオン国教会の総本山たるローザリア大聖堂の鐘が、王都中に響き渡った。
ステファン・ノーランド侯爵の葬儀がしめやかに行われたのである。
ノーランド侯爵のご遺体は、サラブレッドの重量に押し潰され、見るも無惨な状態だったそうだ。
あの時、アーサー殿下が目隠ししてくださらなかったら、私は、侯爵が亡くなられた様子をまともに目にしていたかもしれない。そう思うと、今更ながらに体が震えた。
王室主催のロイヤル・アスコットで起こった事故の為、葬儀には、アーサー殿下が国王陛下の名代として参列されたらしい。
また、空馬となって大暴走をしたサラブレッドの方も、足の骨を折っており、予後不良と診断されて安楽死処分となったそうだ。
馬主は大変な金額の損害賠償を請求される見込みというから、誰もが不幸になった事件だった。
後日談として、侯爵家の爵位は、ステファン卿の弟が継承することになり、前侯爵夫人――エヴァンジェリン様は、ステファン卿との間に子供がいなかったため、ご実家であるハーシェス伯爵家に戻られたと聞いた。
彼女の更にその後について私が耳にしたのは、友人であるマイアのお茶会に招かれた時だった。
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