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豊穣祈念祭 02
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少し時は遡る――。
神子を務めるネージュに代わり、祭礼を運営する裏方に回ったアリスティードは、雑務に忙殺されていた。
神殿長や、領都の有力者への挨拶に始まり、祭礼が円滑に進むよう祭具の運搬を手伝ったり、警邏隊との調整を行ったり、思ったよりやる事が多く、また初めての事ばかりなので、周囲の助言を聞きながらどうにか目の前の仕事を片付ける、という状況だった。
だが、周囲、特に領都の役人の態度は、アリスティードが侯爵家に来たばかりの頃とは大きく変わった。
どうやら口の軽い使用人が、ネージュとの関係が改善した事を外に漏らしたのが原因らしい。
全員が全員アリスティードに好意的に変わった訳ではないが、おかげで随分と仕事がやりやすかった。
とはいえ、人が大勢集まる場所ではトラブルがつきものだ。
重要な祭礼用具が見当たらなかったり、群衆事故を防ぐための通行制限を行う必要が出てきたり、次から次へと問題が発生する。
「去年のネージュは、これを神子をやりながら捌いたのか……」
昨年の今頃は、既にマルセルは病に伏せり、外出できる状態ではなかったと聞いている。
思わずつぶやくと、「いいえ」という答えが近くにいたエリックから返ってきた。
「さすがに神子を務めながらは無理です。現場に指揮監督権を委ねて、必要な時だけ介入されていましたね。ただ、誰にどこまでの権限を移すか、という采配は見事でした」
ネージュには人を使う才能がある。
知ってはいたが、それを改めて聞かされると、心の中に焦りが湧き上がった。
見た目も性格も良く、更に優秀な彼女に自分が勝っているのは血筋しかない。
どこか憂鬱な気持ちになりながらも、アリスティードは黙々と目の前の仕事を片付けていった。
やがて日が落ち、神殿から竪琴による聖譚曲が聴こえてきた。奉納舞が始まったのだ。
その時、アリスティードは神殿内に設けられた警邏隊の詰所にて、祭礼が終わった後の群衆の誘導をどうするのか、隊長から説明を受けていた。
「奥様の様子が気になりますか?」
隊長からの質問に、アリスティードは固まった。
「……気にならないと言えば嘘になりますが、練習の時に十分に見ていますから」
どうにか取り繕ったものの、アリスティードは反射的にネージュの姿を思い浮かべていた。
昨日は、この神殿で祭礼の予行演習が行われたのだが、その時に見た、神子装束を身に着けて奉納舞を舞うネージュの姿が頭の中に焼き付いている。
「少しだけ見に行きませんか? といっても既に舞台前は人だらけで、かなり遠くからになると思いますが……」
隊長がそう発言した直後だった。
ボン!
そんな音が外から聞こえた。
詰所にいた全員が眉をひそめる。
ややあって、外からバタバタという大きな足音が聞こえてきたかと思ったら――。
「大変です! 市街地で火事が! 食べ物を売る屋台が突然炎上したとかで……」
警邏隊員が飛び込んできて、早口でまくし立てた。
◆ ◆ ◆
市街地で火事が起こり、死傷者が出ているとネージュが知らされたのは、奉納舞とそれに続く儀式を終え、神殿の控え室に戻った時だった。
「火災が起こったのは大通りで、人が密集していた場所だったので……」
ミシェルの報告にネージュは息を呑んだ。
「状況は?」
「申し訳ありません、わかりかねます……。旦那様やエリックさんが警邏隊と一緒に対応にあたられていますが……」
神殿内部からもかなりの人数が対応の為に出払っているとかで、控え室の周辺は人気がなくがらんとしていた。
「急いで着替えるわ。ミシェルは詳しい状況を確認してきてくれる?」
「はい!」
ミシェルは元気よく頷くと、控え室を退出した。
それを見送ってから、ネージュは室内に置かれた大きな鏡の前に移動すると、神子装束の帯に手を掛けた。
その時である。背後からドアが開く音が聞こえた。
ミシェルが戻って来たにしては変だ。彼女がノックをせずにドアを開けるなんてありえない。
ネージュは不審に思いながら振り返った。すると、一人の男性神官が侵入し、無遠慮にもこちらに向かって来るのが見えた。
「何なんですか、あな……」
ネージュは言葉を最後まで言い切る事ができなかった。
男性神官の手には拳銃があったからだ。
「お久し振りです。ネージュ様。どうか大人しく私に付いてきて頂けませんか?」
息を呑んだネージュに向かって男は銃口をこちらに向け、近付きながら声をかけてくる。
その声に聞き覚えがあったので、ネージュは男の顔をまじまじと見つめた。
「ナゼール……?」
明るい茶色の髪は黒に、髪型も変わっていたからすぐには気付かなかったが、声も、顔立ちも、特徴的で珍しいオレンジ色の瞳も間違いない。
「ああ、やっとお会いできた」
そう告げたナゼールの瞳は奇妙な熱を帯びていた。
「何しに来たの……」
「あなたを攫いに」
そう告げると、ナゼールは空いている左手でネージュの腕を掴んだ。
その瞬間、ゾクリと鳥肌が立った。
怖い。気持ち悪い。だけどそれ以上に、堪えきれない怒りがネージュの中に湧き上がる。
――力で従えようとする人間に屈するなんて、矜持が許さない。
ネージュは神子装束の帯に挟んでいた扇を抜くと、大きく一歩踏み出し、ナゼールの首元を狙って突き出した。
神子を務めるネージュに代わり、祭礼を運営する裏方に回ったアリスティードは、雑務に忙殺されていた。
神殿長や、領都の有力者への挨拶に始まり、祭礼が円滑に進むよう祭具の運搬を手伝ったり、警邏隊との調整を行ったり、思ったよりやる事が多く、また初めての事ばかりなので、周囲の助言を聞きながらどうにか目の前の仕事を片付ける、という状況だった。
だが、周囲、特に領都の役人の態度は、アリスティードが侯爵家に来たばかりの頃とは大きく変わった。
どうやら口の軽い使用人が、ネージュとの関係が改善した事を外に漏らしたのが原因らしい。
全員が全員アリスティードに好意的に変わった訳ではないが、おかげで随分と仕事がやりやすかった。
とはいえ、人が大勢集まる場所ではトラブルがつきものだ。
重要な祭礼用具が見当たらなかったり、群衆事故を防ぐための通行制限を行う必要が出てきたり、次から次へと問題が発生する。
「去年のネージュは、これを神子をやりながら捌いたのか……」
昨年の今頃は、既にマルセルは病に伏せり、外出できる状態ではなかったと聞いている。
思わずつぶやくと、「いいえ」という答えが近くにいたエリックから返ってきた。
「さすがに神子を務めながらは無理です。現場に指揮監督権を委ねて、必要な時だけ介入されていましたね。ただ、誰にどこまでの権限を移すか、という采配は見事でした」
ネージュには人を使う才能がある。
知ってはいたが、それを改めて聞かされると、心の中に焦りが湧き上がった。
見た目も性格も良く、更に優秀な彼女に自分が勝っているのは血筋しかない。
どこか憂鬱な気持ちになりながらも、アリスティードは黙々と目の前の仕事を片付けていった。
やがて日が落ち、神殿から竪琴による聖譚曲が聴こえてきた。奉納舞が始まったのだ。
その時、アリスティードは神殿内に設けられた警邏隊の詰所にて、祭礼が終わった後の群衆の誘導をどうするのか、隊長から説明を受けていた。
「奥様の様子が気になりますか?」
隊長からの質問に、アリスティードは固まった。
「……気にならないと言えば嘘になりますが、練習の時に十分に見ていますから」
どうにか取り繕ったものの、アリスティードは反射的にネージュの姿を思い浮かべていた。
昨日は、この神殿で祭礼の予行演習が行われたのだが、その時に見た、神子装束を身に着けて奉納舞を舞うネージュの姿が頭の中に焼き付いている。
「少しだけ見に行きませんか? といっても既に舞台前は人だらけで、かなり遠くからになると思いますが……」
隊長がそう発言した直後だった。
ボン!
そんな音が外から聞こえた。
詰所にいた全員が眉をひそめる。
ややあって、外からバタバタという大きな足音が聞こえてきたかと思ったら――。
「大変です! 市街地で火事が! 食べ物を売る屋台が突然炎上したとかで……」
警邏隊員が飛び込んできて、早口でまくし立てた。
◆ ◆ ◆
市街地で火事が起こり、死傷者が出ているとネージュが知らされたのは、奉納舞とそれに続く儀式を終え、神殿の控え室に戻った時だった。
「火災が起こったのは大通りで、人が密集していた場所だったので……」
ミシェルの報告にネージュは息を呑んだ。
「状況は?」
「申し訳ありません、わかりかねます……。旦那様やエリックさんが警邏隊と一緒に対応にあたられていますが……」
神殿内部からもかなりの人数が対応の為に出払っているとかで、控え室の周辺は人気がなくがらんとしていた。
「急いで着替えるわ。ミシェルは詳しい状況を確認してきてくれる?」
「はい!」
ミシェルは元気よく頷くと、控え室を退出した。
それを見送ってから、ネージュは室内に置かれた大きな鏡の前に移動すると、神子装束の帯に手を掛けた。
その時である。背後からドアが開く音が聞こえた。
ミシェルが戻って来たにしては変だ。彼女がノックをせずにドアを開けるなんてありえない。
ネージュは不審に思いながら振り返った。すると、一人の男性神官が侵入し、無遠慮にもこちらに向かって来るのが見えた。
「何なんですか、あな……」
ネージュは言葉を最後まで言い切る事ができなかった。
男性神官の手には拳銃があったからだ。
「お久し振りです。ネージュ様。どうか大人しく私に付いてきて頂けませんか?」
息を呑んだネージュに向かって男は銃口をこちらに向け、近付きながら声をかけてくる。
その声に聞き覚えがあったので、ネージュは男の顔をまじまじと見つめた。
「ナゼール……?」
明るい茶色の髪は黒に、髪型も変わっていたからすぐには気付かなかったが、声も、顔立ちも、特徴的で珍しいオレンジ色の瞳も間違いない。
「ああ、やっとお会いできた」
そう告げたナゼールの瞳は奇妙な熱を帯びていた。
「何しに来たの……」
「あなたを攫いに」
そう告げると、ナゼールは空いている左手でネージュの腕を掴んだ。
その瞬間、ゾクリと鳥肌が立った。
怖い。気持ち悪い。だけどそれ以上に、堪えきれない怒りがネージュの中に湧き上がる。
――力で従えようとする人間に屈するなんて、矜持が許さない。
ネージュは神子装束の帯に挟んでいた扇を抜くと、大きく一歩踏み出し、ナゼールの首元を狙って突き出した。
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