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アリスティードの恋人 04
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衣装やアクセサリーを見るために、ネージュの部屋を訪問したジャンヌは、クローゼットの中を楽しげに物色している。
初対面の時から可愛らしい人だったが、上質なドレスをまとい、専属の侍女の手で磨きあげられた彼女は更に綺麗になった。
ジャンヌに付けたのは、侯爵家への忠誠心が高く、公正に彼女に接する事ができそうな使用人を選抜した。
イレーヌ夫人からは、なんとかうまくやっていると報告を受けている。
「こちらをお借りできますか?」
ようやく心が決まったのか、ジャンヌは五着のドレスを選び出していた。
それらはどれも華やかな色味で、マルセルが亡くなってからは、なんとなく憚られて袖を通していないものばかりだった。
「どうぞ。よろしければそちらは差し上げます」
クローゼットの中に埋もれているよりも、活用してくれる人に着てもらう方がいい。
そう思ったのでネージュはドレスをジャンヌに譲る事にした。
「ありがとうございます!」
ジャンヌはぱあっと顔を輝かせた。
溌剌として表情がくるくると変わる彼女は、明るく、愛嬌があってとても魅力的な女性だ。
ギュッとドレスを抱き締めると、まだ言いたい事があるのか、彼女は上目遣いでネージュを見つめてきた。
「えっと、ネージュ様、厚かましいついでにお願いがあるんですが……いつも着けていらっしゃるブローチ、素敵ですよね」
「これですか?」
ネージュは胸元に身に着けたアクアマリンのブローチに触れた。
「はい。このミントグリーンのドレスと合わせると絶対素敵だと思うんです! お借りできませんか……?」
「……!」
嫌だ、と反射的に思ってしまった。
ネージュの名前――古語で『雪』を表す言葉にちなんで作られた、雪の結晶を模した銀の台座のブローチは、マルセルが成人の祝いにとあつらえてくれたものだ。
しかも、中央に埋め込まれたアクアマリンは、ネージュの瞳と同色の石を、かなりの時間をかけて探してくれたと聞いている。
一番思い入れのあるアクセサリーだから、常日頃から身につけていた。
あまり人の気持ちを察するのが得意では無いネージュにもさすがにわかる。ジャンヌは悪意を持ってこのブローチを取り上げようとしているに違いない。
(……でも、侯爵家のものは、全てアリスティード様のものだわ……)
そしてアリスティードの資産を自由にする権利があるのは、彼が選んだ女性であるジャンヌだ。
ネージュは屋敷を出る時には、全ての価値あるものを手放して、最低限の荷物だけ持っていくつもりだった。
(どうして失念していたのかしら……。これも『価値あるもの』だわ……)
きっと無意識に考えないようにしていたのだ。
ネージュは目を閉じて深く呼吸した。
ジャンヌに貸したら、おそらくもう手元に戻ることはないだろう。
(ううん、予定より早く手放すだけ……)
「やっぱりダメですか? 宝石のブローチなんて高価ですもんね……」
葛藤していると、ジャンヌは悲しげにネージュから目を逸らした。
「いえ、大丈夫です。どうぞお持ち下さい」
ネージュはそう告げると、ブローチを外してジャンヌに差し出した。
「ありがとうございます! わあ、綺麗ですねぇ……」
ジャンヌはブローチを窓から差し込む光にかざすと、子供のようにはしゃいだ。
(これでいいのよ)
ネージュは軽くなった胸元に手を当てると、心の中でつぶやいた。
アリスティードの恋人である彼女は、いつか彼の子を産むだろう。
そうすれば、ブローチは彼の――マルセルの血を引く子供に受け継がれていくはずだ。
(私が持つより、その方がずっといいわ)
ネージュは自分の中でそう結論付けると、頑張って口角を上げて笑顔を作った。
「あの、ジャンヌさん、お伝えしたい事があります」
「何ですか?」
ジャンヌはこちらを見ると、きょとんと首を傾げた。
「視察の事です。ご不快かもしれませんが、私の侍女に扮して頂けるならお連れできると思います」
「侍女ですか……? でも、ネージュ様にはミシェルが……。あの使用人も一緒に行かれるんですよね……?」
ジャンヌは顔を曇らせた。ミシェルは彼女への敵意を隠そうとしないから無理もない。
「ご安心ください。ジャンヌさんが同行される場合、彼女は連れていきません」
ちなみに現在もミシェルは不在だ。用を言いつけてこの部屋から引き離した。
きっと戻ってきて、アクアマリンのブローチを貸した事に気付いたら、烈火のごとく怒るに違いない。
「あの人がいないのなら……」
了承してくれたので、ネージュはホッとした。
アリスティードと新婚夫婦のフリをするのは気まずいし、ジャンヌに悪いと思っていたからだ。
初対面の時から可愛らしい人だったが、上質なドレスをまとい、専属の侍女の手で磨きあげられた彼女は更に綺麗になった。
ジャンヌに付けたのは、侯爵家への忠誠心が高く、公正に彼女に接する事ができそうな使用人を選抜した。
イレーヌ夫人からは、なんとかうまくやっていると報告を受けている。
「こちらをお借りできますか?」
ようやく心が決まったのか、ジャンヌは五着のドレスを選び出していた。
それらはどれも華やかな色味で、マルセルが亡くなってからは、なんとなく憚られて袖を通していないものばかりだった。
「どうぞ。よろしければそちらは差し上げます」
クローゼットの中に埋もれているよりも、活用してくれる人に着てもらう方がいい。
そう思ったのでネージュはドレスをジャンヌに譲る事にした。
「ありがとうございます!」
ジャンヌはぱあっと顔を輝かせた。
溌剌として表情がくるくると変わる彼女は、明るく、愛嬌があってとても魅力的な女性だ。
ギュッとドレスを抱き締めると、まだ言いたい事があるのか、彼女は上目遣いでネージュを見つめてきた。
「えっと、ネージュ様、厚かましいついでにお願いがあるんですが……いつも着けていらっしゃるブローチ、素敵ですよね」
「これですか?」
ネージュは胸元に身に着けたアクアマリンのブローチに触れた。
「はい。このミントグリーンのドレスと合わせると絶対素敵だと思うんです! お借りできませんか……?」
「……!」
嫌だ、と反射的に思ってしまった。
ネージュの名前――古語で『雪』を表す言葉にちなんで作られた、雪の結晶を模した銀の台座のブローチは、マルセルが成人の祝いにとあつらえてくれたものだ。
しかも、中央に埋め込まれたアクアマリンは、ネージュの瞳と同色の石を、かなりの時間をかけて探してくれたと聞いている。
一番思い入れのあるアクセサリーだから、常日頃から身につけていた。
あまり人の気持ちを察するのが得意では無いネージュにもさすがにわかる。ジャンヌは悪意を持ってこのブローチを取り上げようとしているに違いない。
(……でも、侯爵家のものは、全てアリスティード様のものだわ……)
そしてアリスティードの資産を自由にする権利があるのは、彼が選んだ女性であるジャンヌだ。
ネージュは屋敷を出る時には、全ての価値あるものを手放して、最低限の荷物だけ持っていくつもりだった。
(どうして失念していたのかしら……。これも『価値あるもの』だわ……)
きっと無意識に考えないようにしていたのだ。
ネージュは目を閉じて深く呼吸した。
ジャンヌに貸したら、おそらくもう手元に戻ることはないだろう。
(ううん、予定より早く手放すだけ……)
「やっぱりダメですか? 宝石のブローチなんて高価ですもんね……」
葛藤していると、ジャンヌは悲しげにネージュから目を逸らした。
「いえ、大丈夫です。どうぞお持ち下さい」
ネージュはそう告げると、ブローチを外してジャンヌに差し出した。
「ありがとうございます! わあ、綺麗ですねぇ……」
ジャンヌはブローチを窓から差し込む光にかざすと、子供のようにはしゃいだ。
(これでいいのよ)
ネージュは軽くなった胸元に手を当てると、心の中でつぶやいた。
アリスティードの恋人である彼女は、いつか彼の子を産むだろう。
そうすれば、ブローチは彼の――マルセルの血を引く子供に受け継がれていくはずだ。
(私が持つより、その方がずっといいわ)
ネージュは自分の中でそう結論付けると、頑張って口角を上げて笑顔を作った。
「あの、ジャンヌさん、お伝えしたい事があります」
「何ですか?」
ジャンヌはこちらを見ると、きょとんと首を傾げた。
「視察の事です。ご不快かもしれませんが、私の侍女に扮して頂けるならお連れできると思います」
「侍女ですか……? でも、ネージュ様にはミシェルが……。あの使用人も一緒に行かれるんですよね……?」
ジャンヌは顔を曇らせた。ミシェルは彼女への敵意を隠そうとしないから無理もない。
「ご安心ください。ジャンヌさんが同行される場合、彼女は連れていきません」
ちなみに現在もミシェルは不在だ。用を言いつけてこの部屋から引き離した。
きっと戻ってきて、アクアマリンのブローチを貸した事に気付いたら、烈火のごとく怒るに違いない。
「あの人がいないのなら……」
了承してくれたので、ネージュはホッとした。
アリスティードと新婚夫婦のフリをするのは気まずいし、ジャンヌに悪いと思っていたからだ。
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