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アリスティードの恋人 02
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フラヴィア王国暦五二八年一月――。
爵位の継承手続きが無事完了し、いよいよアリスティードが恋人を連れてくる日がやってきた。
ネージュは恋人を迎えに行った彼が帰ってきたと聞き、使用人達と一緒に玄関ホールで待機する。
「まさか本当に愛人を連れてくるなんて……」
隣に控えるミシェルから怒りのつぶやきが聞こえてきた。
「やめなさい。もう決まった事よ」
エリックやイレーヌ夫人はネージュの気持ちを汲み取ってくれ、不服ながらも恋人を受け入れると決めたようだが、年若い彼女には難しいのだろう。
ネージュはやんわりとミシェルを窘めた。その時である。玄関のドアが開き、アリスティードにエスコートされて一人の女性がホールに入ってきた。
明るい茶色の髪に紫色の瞳の、可愛らしい印象の女性だ。
彼女がアリスティードの恋人の、ジャンヌ・ビゼーに違いない。
「お帰りなさいませ、アリスティード様。そちらがジャンヌさんでいらっしゃいますか?」
「ああ」
声を掛けると、アリスティードは隣の女性に目配せをした。
「初めまして、ネージュ様。ジャンヌ・ビゼーと申します」
ジャンヌは一礼した。
彼女は、首都の衣装店で働くお針子だと聞いている。そのためか、都会的で洗練された雰囲気の持ち主だった。
「アリスが結婚するって聞いた時は目の前が真っ暗になったんですけど……奥様が良い方で良かった! 快く私を迎え入れて下さってありがとうございます」
ジャンヌはアリスティードの顔を甘い視線で見上げてからにっこりと微笑んだ。その態度だけでなく、『アリス』と愛称を呼ぶ姿からもアリスティードとの親密さが伝わって来る。
背後にいるミシェルから怒りの気配が漂ってきた。
後でたしなめなければ、と思いつつ、ネージュはジャンヌに声をかける。
「ジャンヌさんがお傍にいらっしゃればアリスティード様も心強いでしょう。長旅でお疲れでしょうからお部屋にご案内します」
ネージュはジャンヌの為に用意した客室の方向を手で指し示した。
「まずはこちらでおくつろぎ下さい」
客室に案内してそう告げると、ジャンヌは眉をひそめた。
「……あの、ここって客室ですよね。私、ここを使うんですか? アリスの奥さんとして扱って下さるって聞いてるんですけど」
「はい。女主人の為のお部屋にいずれ移って頂こうとは思っておりますが、先日まで私が使っておりましたので……家具や内装がそのままではお嫌ではありませんか?」
「それは……そうですね」
「女主人の部屋の隣は夫婦の寝室となっております。どちらもジャンヌさんのお好きなように整えて下さい。家具は屋敷の中に保管してあるものを使って下さっても構いませんし、新しくご購入頂いても構いません。内装も変えるとなるとお時間がかかります。その間はご不自由をお掛けしますが、どうぞこの部屋を自由にお使い下さい」
「ああ、なるほど、そういう事……。さすが侯爵家! 気前がいいですね」
ジャンヌはぱあっと顔を輝かせた。
◆ ◆ ◆
ジャンヌがやってきた二日後、屋敷を顧問弁護士のナゼールが訪れた。相続手続きの完了報告のためだ。
ネージュは、応接室にて彼と面会する。
「こちらは登記関係。こちらは権利書です。それと、これは爵位継承関係の書類を取りまとめたものです」
机の上に、紙の束が積まれていく。
「これでようやく一段落つきましたね」
「ええ。肩の荷が一つ下りました。ご尽力頂きありがとうございます、ナゼール卿」
「これが私の仕事ですから。……それよりも、ネージュ様は大丈夫ですか? 早速、愛人を屋敷に引き入れたと聞いているんですが……」
「特に何も問題は」
「……そんなはずないでしょう」
「いいえ。本当に何も問題はありませんのでお気遣いなく」
キッパリと言い切ると、ナゼールは肩を落とした。
「仮に何かあったとしても、あなたはそれを外部に漏らすような方ではありませんよね……。わかってはいるんですが、複雑です。もし何か私に相談したい事があったら仰ってください。お力になります」
「……そうですね。その時はお願いします」
ネージュはナゼールに向かって淡い笑みを浮かべた。
実際の所、ネージュに対するジャンヌの当たりはきつい。
『すいませんが、デート中なので遠慮してくれませんか?』
ネージュは昨日、庭を散歩するアリスティードとジャンヌに出くわした時の事を反射的に思い出した。
ジャンヌはアリスティードの腕を両手でしっかりと抱え込み、毛を逆立てた猫のようにネージュを睨みつけてきた。
彼女が屋敷にやって来てから、使用人達はピリピリしている。一番の過激派はミシェルだ。
ネージュはというと、ジャンヌの態度を仕方のないものとして受け入れていた。
特別な男性が形だけとはいえ、別の女と結婚したのだ。彼女の心の中は不安や嫉妬でいっぱいに違いない。
彼女の教育をお願いしたイレーヌ夫人によると、ネージュに対する態度は酷いが、アリスティードを想う気持ちは本物のようで、礼儀作法や女主人の仕事など、彼の隣に立つために必要な知識や所作は何でも身に付けるという意欲に溢れているらしいので心強い。
ジャンヌは間違いなく立派なアリスティードの『妻』になる。
そう確信すると同時に、ネージュは彼女に対する罪悪感を覚えていた。
爵位の継承手続きが無事完了し、いよいよアリスティードが恋人を連れてくる日がやってきた。
ネージュは恋人を迎えに行った彼が帰ってきたと聞き、使用人達と一緒に玄関ホールで待機する。
「まさか本当に愛人を連れてくるなんて……」
隣に控えるミシェルから怒りのつぶやきが聞こえてきた。
「やめなさい。もう決まった事よ」
エリックやイレーヌ夫人はネージュの気持ちを汲み取ってくれ、不服ながらも恋人を受け入れると決めたようだが、年若い彼女には難しいのだろう。
ネージュはやんわりとミシェルを窘めた。その時である。玄関のドアが開き、アリスティードにエスコートされて一人の女性がホールに入ってきた。
明るい茶色の髪に紫色の瞳の、可愛らしい印象の女性だ。
彼女がアリスティードの恋人の、ジャンヌ・ビゼーに違いない。
「お帰りなさいませ、アリスティード様。そちらがジャンヌさんでいらっしゃいますか?」
「ああ」
声を掛けると、アリスティードは隣の女性に目配せをした。
「初めまして、ネージュ様。ジャンヌ・ビゼーと申します」
ジャンヌは一礼した。
彼女は、首都の衣装店で働くお針子だと聞いている。そのためか、都会的で洗練された雰囲気の持ち主だった。
「アリスが結婚するって聞いた時は目の前が真っ暗になったんですけど……奥様が良い方で良かった! 快く私を迎え入れて下さってありがとうございます」
ジャンヌはアリスティードの顔を甘い視線で見上げてからにっこりと微笑んだ。その態度だけでなく、『アリス』と愛称を呼ぶ姿からもアリスティードとの親密さが伝わって来る。
背後にいるミシェルから怒りの気配が漂ってきた。
後でたしなめなければ、と思いつつ、ネージュはジャンヌに声をかける。
「ジャンヌさんがお傍にいらっしゃればアリスティード様も心強いでしょう。長旅でお疲れでしょうからお部屋にご案内します」
ネージュはジャンヌの為に用意した客室の方向を手で指し示した。
「まずはこちらでおくつろぎ下さい」
客室に案内してそう告げると、ジャンヌは眉をひそめた。
「……あの、ここって客室ですよね。私、ここを使うんですか? アリスの奥さんとして扱って下さるって聞いてるんですけど」
「はい。女主人の為のお部屋にいずれ移って頂こうとは思っておりますが、先日まで私が使っておりましたので……家具や内装がそのままではお嫌ではありませんか?」
「それは……そうですね」
「女主人の部屋の隣は夫婦の寝室となっております。どちらもジャンヌさんのお好きなように整えて下さい。家具は屋敷の中に保管してあるものを使って下さっても構いませんし、新しくご購入頂いても構いません。内装も変えるとなるとお時間がかかります。その間はご不自由をお掛けしますが、どうぞこの部屋を自由にお使い下さい」
「ああ、なるほど、そういう事……。さすが侯爵家! 気前がいいですね」
ジャンヌはぱあっと顔を輝かせた。
◆ ◆ ◆
ジャンヌがやってきた二日後、屋敷を顧問弁護士のナゼールが訪れた。相続手続きの完了報告のためだ。
ネージュは、応接室にて彼と面会する。
「こちらは登記関係。こちらは権利書です。それと、これは爵位継承関係の書類を取りまとめたものです」
机の上に、紙の束が積まれていく。
「これでようやく一段落つきましたね」
「ええ。肩の荷が一つ下りました。ご尽力頂きありがとうございます、ナゼール卿」
「これが私の仕事ですから。……それよりも、ネージュ様は大丈夫ですか? 早速、愛人を屋敷に引き入れたと聞いているんですが……」
「特に何も問題は」
「……そんなはずないでしょう」
「いいえ。本当に何も問題はありませんのでお気遣いなく」
キッパリと言い切ると、ナゼールは肩を落とした。
「仮に何かあったとしても、あなたはそれを外部に漏らすような方ではありませんよね……。わかってはいるんですが、複雑です。もし何か私に相談したい事があったら仰ってください。お力になります」
「……そうですね。その時はお願いします」
ネージュはナゼールに向かって淡い笑みを浮かべた。
実際の所、ネージュに対するジャンヌの当たりはきつい。
『すいませんが、デート中なので遠慮してくれませんか?』
ネージュは昨日、庭を散歩するアリスティードとジャンヌに出くわした時の事を反射的に思い出した。
ジャンヌはアリスティードの腕を両手でしっかりと抱え込み、毛を逆立てた猫のようにネージュを睨みつけてきた。
彼女が屋敷にやって来てから、使用人達はピリピリしている。一番の過激派はミシェルだ。
ネージュはというと、ジャンヌの態度を仕方のないものとして受け入れていた。
特別な男性が形だけとはいえ、別の女と結婚したのだ。彼女の心の中は不安や嫉妬でいっぱいに違いない。
彼女の教育をお願いしたイレーヌ夫人によると、ネージュに対する態度は酷いが、アリスティードを想う気持ちは本物のようで、礼儀作法や女主人の仕事など、彼の隣に立つために必要な知識や所作は何でも身に付けるという意欲に溢れているらしいので心強い。
ジャンヌは間違いなく立派なアリスティードの『妻』になる。
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