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悪女との結婚式 01
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アリスティードとネージュの結婚式は、予定通り十一月の、天気のいい日に執り行われた。
婚約も結婚式も、前レーネ侯爵、マルセル・ラ・レーネの死を受けて急遽決まったものである。
このフラヴィア王国で広く信仰されているアルクス教の教えでは、服喪期間は三か月と定められている。
忌明けと同時に結婚式となったのは、一刻も早くアリスティードに爵位を継承させるためだ。
急いだせいで準備も招待客も最低限となったが、アリスティードの隣を歩くネージュは、正視するのがためらわれるほどに美しかった。
初めて出会った時は、氷の精霊かと思った。同時に、これは周りの男達が誑かされても仕方ないとも。
ネージュ・ラ・レーネという人物は、一目見ただけで男の目を惹き付ける美貌と雰囲気の持ち主だった。
繊細な銀糸の髪に、烟るような同色の長い睫毛。その下にある水色の瞳は、常に潤んだような光を宿し、ほっそりとした、だが出るべき所はしっかりと出た肢体とあいまって、こちらの庇護欲をくすぐってくる。
漆黒の喪服に身を包んでいる姿は禁欲的かつ儚げで、危うい魅力を放っていた。
今身に着けている純白の花嫁衣装は、冬の入口の結婚式という事で露出が少なく、喪服とは別の意味でこちらを誘惑してくるので性質が悪い。
数少ない招待客の視線を集めているのがまた腹立たしかった。
アリスティードもまた例外ではなく、(見惚れるな)と自分に言い聞かせる。
(こいつはマルセル爺さんを誑かした悪女だ)
マルセルもマルセルである。孫とそう変わらない年齢の若い女に入れあげて、挙句ヒソヒソと噂されるなんて恥ずかしくなかったのだろうか。
面会する前に亡くなったマルセルについて考えると、相反する二つの感情が湧き上がる。
愛人に入れあげていた事への嫌悪と、母方の祖父母や自身に行ってくれた支援への感謝だ。
マルセルの存在も、陰ながら援助してくれていた事を知ったのはごく最近、彼の死と遺言を、顧問弁護士のナゼールが伝えに来た時だった。
その時にアリスティードは、自分が中等学校まで行けたのはこの援助のおかげだったと知った。
また、二年前に亡くなった母方の祖母が、死の直前まで手厚い治療を受けられたのも、マルセルがいい医者を紹介し、費用も負担してくれたからだったらしい。
もしネージュという存在がいなければ、マルセルを純粋に慕えたかもしれない。
そう思うと腹立たしくて、アリスティードは彼女への憎しみを改めて募らせた。
「あんたみたいな穢らわしい女には触りたくない」
そう告げて、誓いの口付けはフリで誤魔化した。
そんな酷い言葉にもネージュは無表情で、それがまたアリスティードの怒りを煽った。
この一か月、こちらがどんなに酷い言葉を投げかけても彼女は取り澄ました顔をしていた。
まるで誘惑されない男に用はないと言われているみたいだ。
一方で彼女はエリック達、籠絡済みの使用人達とは親しく会話を交わす。
そして、今も。
儀式が終わると、招待客が祝福の言葉をかけに来た。
礼儀作法が覚束無いアリスティードは、最低限の受け答えだけをするよう言われており、応対するのは主にネージュである。
アリスティードとしても、上流階級の連中の相手をする自信はないから致し方ないのだが、紳士達に淡い笑みを浮かべて相手をするネージュの姿を見ると、苛立ちが湧き上がった。
現在目の前にいるのは、この国の第三王子、フェリクスである。
レーネ侯爵家は、この国の貴族の中でも五本の指に入る名門らしい。
そのためか、急に決まった結婚式だというのに、招待客の中には王族である彼もいた。
それ自体は名誉な事なので別にいい。気に食わないのは、王子がネージュに向ける態度である。
フェリクスは、王家に多い深紅の髪に、金色の瞳を持つ美形だ。
彼の肉食獣を思わせる鋭い視線は、一心にネージュに注がれていた。
「まさかこんなに早くネージュ嬢の結婚が決まるとはね。求婚者の一人としてはとても残念だ」
「殿下のお気持ちは嬉しかったのですが……。私のような身分の女には恐れ多くて」
ネージュが応答すると、フェリクスの視線はこちらを向いた。
「君は幸運だね、アリスティード卿。私生児の身でありながらこんなに美しい花嫁と財産をものにしたんだから」
「……恐れ入ります」
学のないアリスティードにも、生まれを馬鹿にされているのは理解できた。
出自をとやかく言われているのは慣れている。子供の頃は父親がどこの誰かわからないせいで散々にからかわれた。
町の子供は実力行使で黙らせたが、王子相手に仕返しはできないので、適当に受け流すしかない。
「実に惜しいな。国中を探してもネージュ嬢のように見事な銀の髪の持ち主はなかなかいない。まるで伝承の中のゲール族みたいだよね」
ゲール族――遥か昔、この大陸にいたという先住民族だ。あまりにも美しい容姿を持っていたと言われる彼らは、長い歴史の中で他部族に侵略され、やがて飲み込まれて行ったと言われている。
「お戯れを。幸運にも養女として迎えられたとはいえ、私は元は出自のよくわからない孤児です。フェリクス殿下とは到底釣り合いません」
未練がましいフェリクスに向かって、ネージュは目を伏せて首を振った。
「……こうなった以上は何を言っても負け犬の遠吠えですよね。もし軍人上がりの粗野な男に嫌気が差したら相談して下さい。ネージュ嬢からのお声がけはいつでも歓迎です」
これが新婚夫婦にかける言葉だろうか。
軍役に就いていた時、遠目にフェリクスを見た事があったが、こんな嫌味野郎とは知らなかった。
「お気遣いに感謝いたします」
ネージュの応答を聞くと、フェリクスは優雅に一礼し去って行った。
「お気になさらないで下さい」
次の招待客が来る前に、小さな声がネージュから聞こえた。
アリスティードは驚き、隣を見る。
だが、その時には彼女は次の客の相手を始めていた。
◆ ◆ ◆
レーネ侯爵家に巣食う悪女は氷の傾国。冷たい美貌を溶かそうと、様々な男が列を成す――。
『傾国』の異名は、『笑わない妃』というおとぎ話になぞられたものだろう。
絶世の美女でありながら笑わない妃を笑わせるために、愚かな王は世界中の財宝を集めて国を滅ぼしたと言われている。
世間での噂通り、ネージュに秋波を送るのはフェリクスだけではなかった。
貴族の紳士やら、どこぞの商会の主人やら、色々な男がネージュに媚びた視線を向けてくる。
この女は危険だ。一刻も早く追い出さなければ。
アリスティードは心の中で決意を新たにすると、つい視線を向けてしまいそうになる自分を叱咤した。
本当は結婚式と爵位継承の手続きが終わったら、ネージュを屋敷から叩き出すつもりだった。しかし、それは侯爵家の使用人が集団で押し寄せ、直談判をしてきたせいでできなくなった。
彼女が急に居なくなると侯爵家の執務が立ち行かなくなる。せめて最低限の引継ぎが終わってからにして貰わなければ侯爵家に関わる者が大量に路頭に迷う。ネージュ様を追い出すのなら自分達も出ていく――。
少なくない数の使用人から宣告され、従わざるを得なかったのである。
また、連中は、ネージュを追い出した後も、離婚はできないのだから、侯爵家の体面を保つためにも最低限の品位は保てるようにしろと要求してきた。
この家の主人は自分のはずなのに、思い通りにできなかったのが腹立たしい。
毒婦は使用人を籠絡している。事前に仕入れていた情報通りだ。ならば、こちらはそれを突き崩さなくてはいけない。
アリスティードは心の中で盛大に舌打ちをした。
婚約も結婚式も、前レーネ侯爵、マルセル・ラ・レーネの死を受けて急遽決まったものである。
このフラヴィア王国で広く信仰されているアルクス教の教えでは、服喪期間は三か月と定められている。
忌明けと同時に結婚式となったのは、一刻も早くアリスティードに爵位を継承させるためだ。
急いだせいで準備も招待客も最低限となったが、アリスティードの隣を歩くネージュは、正視するのがためらわれるほどに美しかった。
初めて出会った時は、氷の精霊かと思った。同時に、これは周りの男達が誑かされても仕方ないとも。
ネージュ・ラ・レーネという人物は、一目見ただけで男の目を惹き付ける美貌と雰囲気の持ち主だった。
繊細な銀糸の髪に、烟るような同色の長い睫毛。その下にある水色の瞳は、常に潤んだような光を宿し、ほっそりとした、だが出るべき所はしっかりと出た肢体とあいまって、こちらの庇護欲をくすぐってくる。
漆黒の喪服に身を包んでいる姿は禁欲的かつ儚げで、危うい魅力を放っていた。
今身に着けている純白の花嫁衣装は、冬の入口の結婚式という事で露出が少なく、喪服とは別の意味でこちらを誘惑してくるので性質が悪い。
数少ない招待客の視線を集めているのがまた腹立たしかった。
アリスティードもまた例外ではなく、(見惚れるな)と自分に言い聞かせる。
(こいつはマルセル爺さんを誑かした悪女だ)
マルセルもマルセルである。孫とそう変わらない年齢の若い女に入れあげて、挙句ヒソヒソと噂されるなんて恥ずかしくなかったのだろうか。
面会する前に亡くなったマルセルについて考えると、相反する二つの感情が湧き上がる。
愛人に入れあげていた事への嫌悪と、母方の祖父母や自身に行ってくれた支援への感謝だ。
マルセルの存在も、陰ながら援助してくれていた事を知ったのはごく最近、彼の死と遺言を、顧問弁護士のナゼールが伝えに来た時だった。
その時にアリスティードは、自分が中等学校まで行けたのはこの援助のおかげだったと知った。
また、二年前に亡くなった母方の祖母が、死の直前まで手厚い治療を受けられたのも、マルセルがいい医者を紹介し、費用も負担してくれたからだったらしい。
もしネージュという存在がいなければ、マルセルを純粋に慕えたかもしれない。
そう思うと腹立たしくて、アリスティードは彼女への憎しみを改めて募らせた。
「あんたみたいな穢らわしい女には触りたくない」
そう告げて、誓いの口付けはフリで誤魔化した。
そんな酷い言葉にもネージュは無表情で、それがまたアリスティードの怒りを煽った。
この一か月、こちらがどんなに酷い言葉を投げかけても彼女は取り澄ました顔をしていた。
まるで誘惑されない男に用はないと言われているみたいだ。
一方で彼女はエリック達、籠絡済みの使用人達とは親しく会話を交わす。
そして、今も。
儀式が終わると、招待客が祝福の言葉をかけに来た。
礼儀作法が覚束無いアリスティードは、最低限の受け答えだけをするよう言われており、応対するのは主にネージュである。
アリスティードとしても、上流階級の連中の相手をする自信はないから致し方ないのだが、紳士達に淡い笑みを浮かべて相手をするネージュの姿を見ると、苛立ちが湧き上がった。
現在目の前にいるのは、この国の第三王子、フェリクスである。
レーネ侯爵家は、この国の貴族の中でも五本の指に入る名門らしい。
そのためか、急に決まった結婚式だというのに、招待客の中には王族である彼もいた。
それ自体は名誉な事なので別にいい。気に食わないのは、王子がネージュに向ける態度である。
フェリクスは、王家に多い深紅の髪に、金色の瞳を持つ美形だ。
彼の肉食獣を思わせる鋭い視線は、一心にネージュに注がれていた。
「まさかこんなに早くネージュ嬢の結婚が決まるとはね。求婚者の一人としてはとても残念だ」
「殿下のお気持ちは嬉しかったのですが……。私のような身分の女には恐れ多くて」
ネージュが応答すると、フェリクスの視線はこちらを向いた。
「君は幸運だね、アリスティード卿。私生児の身でありながらこんなに美しい花嫁と財産をものにしたんだから」
「……恐れ入ります」
学のないアリスティードにも、生まれを馬鹿にされているのは理解できた。
出自をとやかく言われているのは慣れている。子供の頃は父親がどこの誰かわからないせいで散々にからかわれた。
町の子供は実力行使で黙らせたが、王子相手に仕返しはできないので、適当に受け流すしかない。
「実に惜しいな。国中を探してもネージュ嬢のように見事な銀の髪の持ち主はなかなかいない。まるで伝承の中のゲール族みたいだよね」
ゲール族――遥か昔、この大陸にいたという先住民族だ。あまりにも美しい容姿を持っていたと言われる彼らは、長い歴史の中で他部族に侵略され、やがて飲み込まれて行ったと言われている。
「お戯れを。幸運にも養女として迎えられたとはいえ、私は元は出自のよくわからない孤児です。フェリクス殿下とは到底釣り合いません」
未練がましいフェリクスに向かって、ネージュは目を伏せて首を振った。
「……こうなった以上は何を言っても負け犬の遠吠えですよね。もし軍人上がりの粗野な男に嫌気が差したら相談して下さい。ネージュ嬢からのお声がけはいつでも歓迎です」
これが新婚夫婦にかける言葉だろうか。
軍役に就いていた時、遠目にフェリクスを見た事があったが、こんな嫌味野郎とは知らなかった。
「お気遣いに感謝いたします」
ネージュの応答を聞くと、フェリクスは優雅に一礼し去って行った。
「お気になさらないで下さい」
次の招待客が来る前に、小さな声がネージュから聞こえた。
アリスティードは驚き、隣を見る。
だが、その時には彼女は次の客の相手を始めていた。
◆ ◆ ◆
レーネ侯爵家に巣食う悪女は氷の傾国。冷たい美貌を溶かそうと、様々な男が列を成す――。
『傾国』の異名は、『笑わない妃』というおとぎ話になぞられたものだろう。
絶世の美女でありながら笑わない妃を笑わせるために、愚かな王は世界中の財宝を集めて国を滅ぼしたと言われている。
世間での噂通り、ネージュに秋波を送るのはフェリクスだけではなかった。
貴族の紳士やら、どこぞの商会の主人やら、色々な男がネージュに媚びた視線を向けてくる。
この女は危険だ。一刻も早く追い出さなければ。
アリスティードは心の中で決意を新たにすると、つい視線を向けてしまいそうになる自分を叱咤した。
本当は結婚式と爵位継承の手続きが終わったら、ネージュを屋敷から叩き出すつもりだった。しかし、それは侯爵家の使用人が集団で押し寄せ、直談判をしてきたせいでできなくなった。
彼女が急に居なくなると侯爵家の執務が立ち行かなくなる。せめて最低限の引継ぎが終わってからにして貰わなければ侯爵家に関わる者が大量に路頭に迷う。ネージュ様を追い出すのなら自分達も出ていく――。
少なくない数の使用人から宣告され、従わざるを得なかったのである。
また、連中は、ネージュを追い出した後も、離婚はできないのだから、侯爵家の体面を保つためにも最低限の品位は保てるようにしろと要求してきた。
この家の主人は自分のはずなのに、思い通りにできなかったのが腹立たしい。
毒婦は使用人を籠絡している。事前に仕入れていた情報通りだ。ならば、こちらはそれを突き崩さなくてはいけない。
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