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14.計画の始まりと冬の一時

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 一方で、俺は密偵スカウトがリストアップしてきた、金に困った名家の令嬢達のうち、一人目に接触し、契約結婚を持ちかけた結果手酷く断られた。

「契約? いくら当家が困窮しているからと言って、馬鹿になさらないで!」
 そう言って俺にお茶をぶっ掛けてきた、グレヴィル伯爵令嬢の怒る顔は美しく、その気の強さは嫌いじゃないと思った。
 もっとも、俺の心は既にレスリーに奪われているので、そこが動かされる事はなかったが。
 交渉が決裂した以上長居は無用だ。俺は早々にグレヴィル伯爵家を辞去したのだった。

「なかなか派手にやられましたねぇ。お怪我は?」
 グレヴィル伯爵家を出た後に声をかけてきたのは、俺が一番信頼する従者のアレンだった。
 俺がレスリーを手に入れたいと思っているのを知っているのは、今のところこいつと父上の二人だけだ。
「冷めてたから。大丈夫だ」
「着替えた方がよろしいのでは? 調達してきましょうか?」
「馬に乗ってればそのうち乾くだろ。まだそんなに寒くないし」
 アレンに答えると、俺は愛馬プリシラの手綱を引いた。

 季節は晩夏。夏を過ぎると、すぐに冬の足音が聞こえてくる。
 南方のこの辺りとは違い、エルドリッジ辺境伯領では夏は短く、冬は長い。

 雪と氷に閉ざされる陰鬱な季節がやってくるのかと思うと、気持ちは重くなった。



 フレイア王国北限の辺境伯領において、冬は試練の季節である。
 強い寒波は時に領民に牙を剥き、冬の女王は無慈悲に命を刈り取っていくこともある。
 前年の実りと備蓄、その二つが尽きれば、まさに命に関わるのだ。

 幸い今年は豊作で、その点での心配はないのが救いだった。
 庶民も領主も、秋から初雪がちらつき始めるまでの間に行う事は同じである。家畜を含めた家族が、一冬過ごせるだけの冬支度をする、これに尽きる。

 うちは大所帯だ。家族だけでなく、使用人に私設兵団、それに加え、大きな雪害が起こった際には、その地域の領民への救援の為の物資もいる。
 誰もが冬を迎える準備に大忙しだった。
 レスリーもまた、母上に付いて、家政の勉強の為との名目でこき使われているようだ。

「あー、ついに降ってきましたね」
 自分の執務室で、大量の書類と向き合っていたところ、手伝いをしていた従者のアレンが、ふと窓の外を見て言った。
 釣られてそちらを見ると、確かに白いものがちらついている。

「あ、レスリー様だ」
 アレンの言葉に、俺は窓際に移動した。
 日課の散歩だろうか。デイドレスの上からコートをしっかりと着込んだレスリーが歩いているのが見えた。
 氷の精霊だ。
 白い雪が舞い散る中、白金の髪と精緻な美貌を持つレスリーが歩く姿に、初めて出会ったときの第一印象を思い出した。
 いや、精霊と言うよりは妖精か。
 頬を薔薇色に染め、白い息を吐きながら、雪に触れようと手を伸ばす姿は、瑞々しい生命力に溢れていて、とても眩しい。

「若様、ホントにレスリー様が好きですよね……八歳差って結構危ういですよ?」
「レスリー以外の十五歳には目が行かないから俺はロリコンじゃない」
「まぁ、レスリー様は大人びてますよね。……旦那様も認めてくださればいいのにね。いい方じゃないですか。レスリー様。美人だしここの事気に入ってくれてるし、性格も一生懸命で可愛らしいし」
「俺もそう思うよ」
 契約結婚の相手探しは冬の間は休むしかない。冬支度に忙しいのと、年末から年始にかけては父上が慣例で王都に行くので、その留守を守らなければいけないからだ。

 冬の間は社交の季節だ。その間にまとまる縁談も多いから、雪が解けたら、再度密偵スカウトに調べさせなければ。
 そう思うととても気が重くなった。





「リドナ湖がついに凍ったそうです。ネイト様、連れて行ってください」
 晩餐の席で突然言い出したレスリーに、俺は面食らった。

 季節は本格的な冬へと移ろい、領地は既に白い雪景色へと変わっている。湖が凍結し、海岸沿いには流氷が流れ着いたと言うことは、既に報告を受けていたが、まさかレスリーが凍った湖に行きたいと言い出すとは思わなかった。

「凍結した湖が見たいの?」
「それもありますが、スケートがしたいです!」
 母上の質問に、レスリーは元気よく答えた。俺と母上は思わず顔を見合わせる。
 ちなみに、父上は年越しの夜会のため既に王都に向かっており不在である。
「えーっと、レスリー、体動かすのは苦手って言ってたよね? 滑れるのかな……? スケートなんて滑ったことないだろ? 王都じゃ水辺が凍結するほど寒くならないし……」
「スケートに必要なのはバランス感覚だと思うんです。運動神経とは別物なのできっと大丈夫です!」
「いや、でも、スケート靴とか、持ってないだろ?」
「雪が降る前にお父様に手紙を書いて送って貰ってます! だからあります!」
 なんと用意周到な……。
 と言うかなんでダグラス卿はスケート靴なんて送ってきたんだ。娘の運動神経の悪さは承知してるだろうに……。

 レスリーは期待の眼差しでこちらを見ている。
 連れて行かないとは言い出し辛い雰囲気だ。

「スケートなら私も行きたいわ」
 母上までそんなことを言い出した。

 母上は、おっとりとした見た目の割に意外に活発だ。
 乗馬が得意で、若い頃は父上と一緒に野山を駆け回っていた時期もあったとか。
 最近でもたまに夫婦で遠乗りに出かけていたりする。

 もちろんスケートも大好きだ。
 スケートは、二百年ほど前に隣国オーディンから入ってきた冬の遊びで、今では北部地域では、貴賎を問わず楽しまれている。
 オーディンではスピードを出す事が流行ったのに対して、この国では、いかに美しい模様を氷の上に描くかを競う方向で進化している。

「レスリーの運動能力についてはセオドア様から聞いてますけど、もし上手く滑れなくても、私とネイトで支えればどうにかなるでしょう。天気のいい日を狙って行きましょう」
 母上のその発言が決め手となって、俺は二人をリドナ湖に連れて行くことになったのだった。



 厳冬期は吹雪が続くと外出が出来なくなるため、人々は家にこもり、室内で出来る手仕事をする。
 トウヒやモミと言った硬い木材を使った家具作りであったり、編み物であったり。
 そんな引きこもりがちな人々にとって、スケートは数少ない外で出来る娯楽だ。

 俺達がリドナ湖に着いた時には、既に何組かの領民が湖で滑っていた。

「あれ? 若様! 若様達も滑りに来たんですか?」

 母上とレスリーが一緒なので、使用人に私設兵団の護衛も付けた大所帯だ。
 暖かいお茶や軽食が出せるよう、天幕を張り、簡単な煮炊き出来る炉を作り、総出で設営を行っていると、目立つためすぐに領民達に気付かれた。

「ああ、氷の厚さはどんなもんだ?」
「中央はまだちょっと心許ないですね。あんまり真ん中の方には行かない方がいいですよ!」
「ありがとう。気を付けるよ」

 ここ数代まともな統治をする領主が続いていたからか、うちは有難いことに領民達には慕われている。
 俺は声を掛けてきた領民の男に軽く手を上げると、天幕の設営の手伝いに向かった。

 レスリーは、母上と話をしながら待っている。
 貴族の女は労働はしない。また、させないのが男の甲斐性というものだ。

 家庭で女が家事に携わらなくていい、最低限の使用人の人数は三人と言われている。
 三人以上の使用人を雇えて中流、上流階級であれば、複数人の男の使用人を抱え、使用人の分業化をさせるものなのである。

 設営を終え、いざ滑るぞ、という段階になって、レスリーが声を掛けてきた。
「凄いです、ネイト様、何でも出来るんですね!」
「ん?」
「天幕建てたり、火を起こしたり……乗馬も剣もとってもお上手だって聞きました。次の辺境伯としてのお勉強も頑張られてて。凄いです!」
「うーん、そうなのかな? 領主としては当然だと思うけど……」
 何しろ北の国境を守る立場だ。何かあれば軍の先頭に立たなければいけないので、子供の頃から色々と仕込まれてきただけだ。
 何でもそれなりには出来るけど、それぞれそれを専門とする者にはとても叶わないからな……自分が特別優れていると考えた事は無かったが、好きな女の子から褒められると嬉しいし、くすぐったかった。

「ほら、とりあえず滑ろうか、レスリー。おいで」
 手を差し伸べると、もこもこの手袋に包まれた小さな手が重ねられた。
 寒すぎて手袋越しなのが残念だが、それでも手を繋ぐという行為自体に心が高鳴る。

 レスリーは、意外にも、氷上で危なっかしかったのは最初だけで、三十分もする頃には普通に滑れるようになっていた。
 彼女はドレスでは動きにくいということで、冬用の乗馬服をより暖かくなるよう手を加えたものを着ている。なので尻のラインが普段よりよく見えて、ついついそちらに視線をやってしまい、慌てて俺は目線を逸らした。

「スケート、やった事あるの? ここに来るまで王都からは出たことないって言ってたよね」
「えっ? な、ないですけど、なんとなく滑れる気がしました」
 ん? 今口ごもった?
「それよりネイト様、チェルシー様が呼んでますよ!」
 言われてレスリーが指さす先を見ると、ドレス姿で器用にも滑りまくっている母上が、こちらに向かって手を振っているのが見えた。

 中央には行くなって言ったのに。母上ときたら世話がやける。

「あまりそちらには行かない方がいいですよ! まだ氷が薄いようなので!」
 俺は大声を張り上げると、母上に向かって滑って行った。



 疲れたら天幕に戻り、軽食とお茶をして休んで、疲れが取れたらまた滑りに行く。
 同行の使用人達にも交互で遊んでいいと許しを出したので、皆にとって楽しい冬の思い出になったのではないかと思う。
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