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12.契約結婚の計画

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 母上から釘を刺されている以上に、ダグラス卿の信頼を裏切る訳にはいかないと思ったので、俺はなるべくレスリー嬢には接触しないようにしていた。

 しかし、同じ屋根の下で暮らしている以上、完全に没交渉とはいかない。

 日課の鍛錬の為、私設兵団の施設に向かおうとしていた俺は、城館近くのモミの木の枝を、モップの柄で突っついているレスリーに行き会った。

「レスリー嬢、何をやってるのかな?」

 声をかけると、レスリー嬢はびくりと身をすくませた。
 そして、こちらを見ると恥ずかしそうに頬を染める。
「ナサニエル様」
「ネイトでいいよ。皆ネイトって呼ぶし」
「じゃあ、私もただのレスリーでいいです。チェルシー様やセオドア様にはそう呼んでいただいてますから」
「わかった。レスリー」
 敬称を省くことで、彼女との距離が少し縮まったような気がした。
「で、何をしてたの?」
「えっと……窓を開けて刺繍をしてたんですが、突然強い風が吹いてきて……作品が飛ばされてしまったんです」
 そう言われてモミの木を見上げると、確かに木の枝にハンカチらしき白い布が引っかかっていた。
「自分で取ろうとせずに下男にでもやらせれば良かったのに」
「あれくらいなら自分で取れるかなって。まさか、ネイト様に見られるとは思いませんでした」
 恥ずかしそうに目を逸らす姿は実に愛らしくて、俺は正視する事が出来なかった。
 黙っていると氷の精霊なのに、口を開くと途端に人間味が出てくるんだよな……なんなんだこの可愛い生き物は。

「ネイトって呼び捨てでもいいよ?」
「それはダメです。あの……ネイト様と私では、身分が違いますから」

 身分。そうだ。領主貴族である辺境伯家と宮廷貴族の彼女の家では、大きな身分の隔たりがある。
 本来なら俺の側からも、一線を引いて接しないといけない女の子だ。
 それを残念に思いながら、俺はレスリーの手からモップを取り上げた。
「あ」
「貸して。取ってあげる」
 身長差があるからか、モップの柄で、少し枝を払うだけで、簡単に白い布は落ちてきた。
 少し風があったが、どうにか地面に落とすことなくキャッチして、俺はレスリーに布を手渡した。
「ありがとうございます」
 布には、青紫の糸を巧みに使い、アイリスの花の刺繍が施されていた。刺繍の善し悪しについて詳しくわかる訳では無いが、とてもよく出来ていると思う。
「好きなの? アイリス?」
「そういう訳じゃないんですけど、誕生花なので」
 レスリーの答えに、彼女が二月生まれである事を知る。
 心のメモに書きとめようとして、慌ててその考えを打ち消した。
「鈴蘭です」
「ん?」
「私の一番好きな花。毒があるのは知ってるんですけど、見た目はすごく可愛いから」
「そうだね。贈れないのは残念だ」
 鈴蘭の花や茎には毒がある。植え付けにも気を使う花だから、切り花として贈るのには向かない。
「あ、贈って欲しくて教えたんじゃないですから!」
「わかってるよ。じゃあ、俺は行くね」
 俺は苦笑すると、当初の目的地に向かうことにした。
「はい。あの、ありがとうございました、ネイト様」
 ふわりと笑う彼女に背を向け、俺は私設兵団の施設へと進む。
 名残惜しいと思う気持ちに必死に蓋をして。





「ネイト、レスリーは駄目だぞ。大切な預かりものだし、次期辺境伯の初婚のカードを切るには家柄が足りない」
 父上の執務を手伝っていたところ、ぽつりと釘を刺され、俺はため息をついた。
「わかっていますよ。だからあまり近付かないようにしています」

 我がエルドリッジ辺境伯家は、フレイア王国建国以来の名門だ。
 北の大国オーディンから国境を守る北の番人であり、有事には、所有する私設兵団と北の防衛を司る国軍の第三騎士団と共に戦う事が義務付けられている。

 エルドリッジ辺境伯家の長男、ナサニエル・エルドリッジとして生まれ落ちた瞬間から、俺には、領地の為になる婚姻が義務付けられている。
 しかも、父上と母上の間には俺しか子が出来なかったため、なるべく早く妻を決め、後継者を作ることが望まれている。
 今まで婚約者を決めていなかったのは、たくさんの売り込みがあり、こちらが選ぶ立場だったからだ。
 レスリーと出会ってなければ、適当にその中から良さそうな女を選ぶつもりだった。



 ――領地内の町や村から上がってくる数字と睨めっこをしていたら、目が随分と疲れてきた。
 俺はふと執務室の窓から外を眺める。
 すると、散歩中らしいレスリーの姿が視界に入ってきてどきりとした。

「初婚でなければ許されるんでしょうか」
 ぽつりと呟くと、父上が器用にも片眉を上げた。
「不誠実な話をするのはやめなさい」
「冗談ですよ、冗談。仮定の話をしただけです」
「…………」
 父上は沈黙すると、はぁっと長いため息をついた。

「初婚でなければ長老勢も煩くは言わんだろうな」
 俺はわずかに目を見張った。
「お前は顔も中身も亡くなった先代にそっくりだからなぁ。あの子を手に入れるために画策するのは構わんが、辺境伯家うちに泥を塗る真似だけは許さんぞ。それだけは承知しておきなさい」
 俺に生き写しと言われる祖父は、目的の為には手段を選ばない性格だったらしい。それと似ていると言われるのは複雑な気分だった。
「そうですね……金に困ってて、契約結婚でもしてくれる相手を探すとしますよ。見つからなかったら諦めます」
「うちの利益も考えなさい。でなければうるさ方は納得しない」
「探すのは止めないと? 密偵スカウトをお借りしてもいいですか?」
 改めて聞くと、父上は深いため息をついた。
「……止めた所で使うつもりの癖に。好きにしなさい。いずれお前が掌握する連中だ」
「積極的に反対はなさらないんですね」
「……レスリーは可愛いからな。チェルシーも気に入っているし……。ただ、あれに話すのは時期を見なさい。契約結婚の話などしたら確実に面倒な事になる」
 確かに母上は潔癖な所があるからな。
 ただ、父上が容認してくれるとなれば段違いにやりやすくなる。
 俺は、頭の中でレスリーを手に入れるための現実的な手段についての計算を始めた。

「借金を精算しても利益になるって条件、ちょっと厳しいですね。大きな損害にならなければそれで良しとしませんか?」
「……程度による」
「じゃあそれで、何件か探すことにします。見つかったらまたご相談しますね」
 俺がそう言うと、父上は苦虫を噛み潰したような顔をした。



 適齢期の娘がいる領主貴族で、金に困っていて、かつ、借金をうちで精算しても、大きな損害にはならない者。

 我が家の密偵スカウトは優秀なので、すぐに何件かピックアップをしてきた。
 そちらにはおいおい接触して行くとして、それとは別に、レスリーとの交流も深めておきたい。
 母上に咎められない程度にさりげなく、だが、出来れば俺を異性として意識してもらえると嬉しいんだが……。
 俺の顔では難しいかもしれないな。いいお兄さんで止まる気がする。
 くそ、どうして俺は平凡顔の祖父に似てしまったんだ。父上も母上も美形なのに。
 顔について何か思ったのはこれが初めてかもしれない。領内では辺境伯の若様と呼ばれ、外に出ても辺境伯家の跡取りとして特に不自由を感じた事がなかったからだ。
 俺はため息をつきながらも、レスリーを探すことにした。
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