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11.邂逅

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「当家で行儀見習いの女の子を受け入れることになりました。ルース男爵家のご令嬢で、あなたにははとこに当たります。くれぐれも妙な気など起こさないように」
 母上にそう言われた時、誰が六つも年下の子供に妙な気など起こすものかと思った。
 しかもルース男爵って勇猛果敢で知られる、第一騎士団のあの黒熊だろ?
 熊の娘が可愛いとはとても思えないんだが……。

 だが、そんな感想は、黒熊に連れられてやってきたレスリー本人を見た途端消え去った。

 混じり気のない白金髪プラチナ・ブロンドに、アクアマリンのような透明感のある水色の瞳。
 レスリー・ルースは、寒色系の色彩が、氷の精霊を思わせる硬質な美貌の少女だった。
 一体どうやったら隣の厳つい熊のような大男から、この美少女が生まれるんだ、と言うくらい、二人が並んだ姿はアンバランスだった。

 父方のはとこである彼女には、よく見れば、いまだにご婦人の視線を集める父、セオドアの面影がある。
 父上は、かつては美貌の辺境伯として知られ、今も尚その美形ぶりは健在だ。
 俺は残念ながら祖父に似てしまい、父上の容姿は受け継がなかったが、この地味な顔立ちは、どこにでも溶け込めるためそう悪くないと思っている。
 もし父に似たらどんな人生だっただろうかと考えたことはあるが、無いものねだりをしても仕方がない。

 熊の要素が見当たらないという事は、きっとレスリーは母親似なんだろう。良かったね、と思うと同時に、これなら全然いけるという考えが浮かんできて、俺は即打ち消した。

 母上に妙な気を起こすなと釘を刺されたばかりじゃないか。
 それに彼女は、第一騎士団でも、特に勇猛果敢で知られる黒熊の娘だ。うっかり手を出したりしたらどんな目に合わされるか。

 そもそも俺は人形みたいな女は好みじゃない。
 どうせ抱くならもっと愛嬌があって、素直で、可愛い女の方がいい。

 そう、思っていたのに――

「我が娘、レスリー・ルースです。エルドリッジ辺境伯家の皆様にはどうぞよろしくお願い致します」
「お、お世話になります。よろしくお願いいたしましゅ」
 父親に続いて俺たちに挨拶した彼女は緊張していたのか噛んだ。
 そして、頬を薔薇色にかぁっと染めた。
「申し訳ありません! 緊張してっ」
 精霊が一瞬にして人間になった瞬間だった。
 そして、後から思えば俺の心もこの時彼女に持っていかれたのだ。



 レスリー嬢は母上の預かりになる事が決まっている。
 俺のような可愛げのない息子ではなく、娘が欲しかったと常日頃から言っていた母上は、うきうきとした表情でレスリー嬢を連れて去って行った。

 残された男性陣は、うちが所有する私設兵団の駐屯所へと向かうことになった。

 精鋭として知られる第一騎士団の副団長を長く務め、昨年団長に昇格した、『黒熊』こと、ダグラス・ルースが来ているのなら、是非手合わせ願いたいと、私設兵団のトップ2である騎兵隊長と傭兵隊長がうるさかったからである。

「閣下、手合わせするのは構わないのですが、出来れば娘をこちらには近寄らせないで頂けないでしょうか」
 駐屯所に着いたダグラス卿は、施設を見回して父上にそう告げた。
「おや? レスリー嬢を騎士の妻にするつもりはないんですか? 騎士家系のルース家のご息女なのに」
「妻が嫌がるんですよ。あれは、遺族互助会の幹部も務めているので……」
「なるほど……」
 父上はその言葉でなんとなく察したようだった。

 騎士物語がもてはやされるせいで、一見華やかに見える騎士の世界だが、現実は泥臭く、殉職の危険も多い。
 遺族互助会は、殉職した騎士の残された家族のための組織で、稼ぎ頭を失った騎士の妻たちに職を斡旋したり、生活が立ち行くようになるまでの衣食住の支援を行っている。

 その会の活動に携わり、また騎士の妻として、夫を常に案じる生活を送っている男爵夫人が、同じ苦労をレスリー嬢に味あわせたくないと思う気持ちは、俺にも想像がついた。

 もっとも、それを差し引いても、ここにレスリーを近寄らせないのは俺も賛成だ。
 ここは飢えた男の巣窟だから、あんなに綺麗な子が現れたら、狼の群れの前に羊をぶら下げるようなものである。


 父上は、ダグラス卿を私設兵団の駐屯所に案内したところで、家令からの呼び出しを食らい本邸へと戻っていった。領地の執務関係で、何かがあったようだ。

 残された俺は、私設兵団の連中と一緒にダグラス卿との手合わせを観戦する。

 ダグラス卿の戦いぶりは、まさに黒熊の異名に相応しいものだった。
 丸太のような腕で長めの刀身の両手剣を軽々と扱い、うちの兵を軽々となぎ倒していく。
 国境を守るといううちの性質上、柔な訓練はしていないつもりなのだが、大人と子供ほどの技量差があるように見えた。

 筋骨隆々の大男の癖に、動きも素早いなんて詐欺だ。
 うちの私設兵団の中でどうにかダグラス卿と渡り合えたのは、幹部格の数名だけだった。

「若様! 若様も折角ですから、手合わせされては? 最近うちの若いのじゃ相手にならなくて物足りないって仰ってましたよね?」
 騎兵隊長のトールが余計な事を言い出した。
 勉強にはなるだろうが、こてんぱんに伸される未来しか見えない。実戦でなら奥の手の魔法を使うから負けない自信はあるけど、一対一の剣のみの勝負じゃ絶対無理だ。
「いや、俺はいいよ。ダグラス卿も遠路はるばるここまで来られてお疲れだろうし……」
「私なら構いませんよ。剣を合わせれば人柄が見えると思っております。私としても、娘をお預けする辺境伯家のご子息の剣を是非見ておきたい」
 当人からそう言われては引き下がれない。
 騎士の武器は、一般に槍と両手剣だ。騎上時は槍を使い、馬が駄目になったときに備え、予備の武器として両手剣と短剣を装備する。
 だから、俺も武器として選んだのは両手剣だ。
 自分用に備えてある訓練用の両手剣を手に、俺は、ダグラス卿と対峙した。



 やばいな黒熊。向かい合っただけで感じる圧が半端ない。
 隙なんて当然見あたらないので、とりあえず軽くフェイントを掛けてみることにする。

 軽めに出した一撃は、難なくかわされ、反撃が来る。
 速っ! 重っ!
 自分の剣で受け止めたものの、あまりの重さに剣を握る手に痺れが走った。
 こんなんまともに正面から相手できるか!
 俺は一旦熊から距離を取った。

 辺境伯家に生まれた者の宿命として、有事があれば指揮官として剣を取って戦わなければならない。
 だから鍛錬は怠った事はなかったが、生まれつき筋肉がつきにくい体質なので、こういう重量系の剣は苦手なのだ。
 傍観してても速いなと思ったが、対峙するとその速度に圧倒される。こんなんどうやって攻略するんだよ。

 今度はダグラス卿から攻撃を仕掛けてきた。
 まともに受けては剣が握れなくなってしまうので、回避するか受け流すしかない。速度だけなら負けてないんだけどな。こう一撃が重くては、こちらにはなす術がなかった。

「避けるだけでは勝てませんよ、ナサニエル卿」
 そんな事言われなくてもわかってる。こんな事続けてても体力の限界がきたらそれまでだ。こうなりゃ捨て身で特攻するしかない。

 右、左、続いて左。
 打ち込まれるダグラス卿の攻撃をしのぎながら、隙をひたすら探す。

 ――見えた!

 袈裟懸けの一撃、それをかわした瞬間に、脇腹に至る一瞬の隙が見えた。
 ここで行くしか勝機はない!

「はああああああっ!」
 俺は全身の体力を剣に乗せ、ダグラス卿の脇腹に向けて一閃した。

 キィン!
 乾いた金属音と共に両手に強い痺れが走り、剣が弾き飛ばされた。
 喉元にダグラス卿の剣が突きつけられる。

「参りました」
 勝てるとは思ってなかったけどやっぱり悔しいな。
 俺はダグラス卿に一礼すると、後方に飛んでいった訓練剣を取りに行った。

「流石はエルドリッジ辺境伯家のご子息だ。実践的な剣を学ばれておられる」
「ありがとうございます。王都では田舎者の野蛮な剣などと言われますが……」
「流派の型に添った剣では戦場では役に立ちません。あなたの師はバルドルの傭兵だったのでは?」
「わかりますか?」
「剣筋を見れば。伸びやかで真っ直ぐな剣を使われる。最後の一撃、あれはもう一歩前に踏み込むべきでした。もう少し速度が速ければ、届いていたかもしれない」
「残念ながらあれが俺の全力ですよ。もっと鍛えなければいけませんね」
 俺は肩をすくめると、差し出されたダグラス卿の右手に拳を打ち合わせた。
 これはこの国の騎士同士が手合わせの最後に交わす挨拶だ。

 でかいなぁ。
 ダグラス卿の手は、俺よりも一回り大きかった。
 剣を扱う者として、単純に羨ましくなる恵まれた体躯だ。
「あなたのような方を育てられた辺境伯になら、娘を安心して預けられます。どうぞ閣下にもよろしくお伝え下さい」
 頭を下げられて、俺は目を見張った。
 ダグラス卿は噂通り、勇猛で立派な騎士だ。第一騎士団では団員達から父の如く慕われていると聞く。
 そんな男に認められた事は単純に嬉しかった。しかし、それと同時に、一瞬でもレスリー嬢に邪な思いを抱いた自分が騎士として恥ずかしかった。
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