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08.離縁と慰め

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「恥知らずな!」
 リディア様が寵姫になった。
 その噂を聞いた時、チェルシー様は激昂した。

 本当は、私が婚姻可能な年齢になる十八歳になると同時に、私の婚約者を決める小舞踏会が開かれるはずだったのだが、エルドリッジ辺境伯家はリディア様の事でそれどころではなかった。

「正妃を迎える前に家臣の妻に手を付け、寵姫として奪うなど! 王室の品位はそこまで落ちたか!」
「落ち着きなさい、チェルシー。一番辛いのはネイトなのだから」
 チェルシー様をなだめるセオドア様の瞳にも、静かな怒りが見えた。

 この二人が怒るのも当然だ。エルドリッジ辺境伯家が愚弄されたのに等しいのだから。
 私は何も言えなくて、ただ沈黙するしか無かった。

 ネイト様の幸せを考えれば、新婚生活が上手くいっていない噂を聞いた時点で、何らかの形で警告くらいはすべきだったのかもしれない。
 しかし私は何もしなかった。
 私が喉から手が出るほど欲しいネイト様を、いとも簡単に手にしておきながら、ぞんざいに扱うリディア様が許せなかったからだ。

 今、ネイト様は、王都だ。
 年越しの夜会から帰ってきた後は、リディア様とは別居状態となり、こちらで辺境伯としての執務をされていたのだが、リディア様が寵姫に迎えられたとの噂を耳にし、その真偽を確かめるために向かわれたのだ。

 私の背筋を冷たいものが走った。
 もしかして、前世の愚兄が熱く語っていた、寝取りイベントが起こっているのでは……
 クズ皇太子アスランが、ネイト様から寝とったリディアとのセックスを、ネイト様に見せつけるという、想像するだけでもおぞましいイベントだ。
 リディア様に敬称なんてつける価値ないから、ここからは呼び捨てにすることにする。

 ネイト様の精神状態は大丈夫だろうか。
 私は祈るような気持ちでネイト様の帰還を待つのだった。



 果たして――
 王都からエルドリッジに戻られたネイト様は、予想通り憔悴しきった様子で帰ってきた。
 とても心配だったが、どう声をかけていいかわからなくて、私は遠巻きにネイト様を見つめるのが精一杯だった。





 三月と言えば、日本では春めいてくる季節なのに、エルドリッジ辺境伯領では白い雪景色が広がっている。寒さは幾分か穏やかになってきたとは言え、長い冬はまだ明けない。この地方で雪解けが訪れるまで、まだ一月はかかるだろう。

 さすがに雪に閉ざされる時期は日課の散歩もお休みだ。足元が悪すぎる。
 窓の外には灰色の雲が立ち込め、邸の中のように陰鬱な雰囲気だった。

 私は、ネイト様がいらっしゃる本邸の城館を訪れていた。
 気落ちしたネイト様は、食事も摂らず、日がな一日この部屋でぼんやりと過ごされているそうで、セオドア様やチェルシー様が声をかけても何も召し上がらないそうだ。
 それで、試しに私からも声をかけてもらえないかと、ネイト様の従者からお願いされたのだ。

 私は、使用人から食事の乗ったカートを受け取ると、ネイト様が篭っているという私室のドアをノックした。
「ネイト様、お食事です。少しは召し上がらないと倒れてしまいます」

 予想はしていたけど、ネイト様からの応答はなかった。
 応答がなくても、ネイト様の従者からは強引に中に入ってもいいと言われている。
 私は意を決してドアを開けると、カートを引いて客間の中に入った。

 ネイト様は、窓際に置かれたロッキングチェアに座り、ぼんやりと外を眺めていた。
 いつも整えられている髪はぼさぼさだし、無精ひげが伸びている。身なりを整えている余裕もないくらい荒んでいるのだと思うと、心が締め付けられた。

「ネイト様」
 声をかけると、ネイト様の顔がこちらに向いた。
「あの、食事を……」
「いらない」
 すげなく断られたが、ここで引き下がるわけにはいかない。
「一口でいいので召し上がってください。ほんの一口でいいですから」
「……本当に、食欲がないんだ」
 困った。私はため息をつくと、カートを部屋の中央にあるソファーセットの傍まで運んだ。
「では、ここに置いておきますから、食べられそうだったら食べてください」
 声をかけてから、ソファの上に置かれていたひざ掛けを手に、ネイト様に近付く。

「やっぱりここ、寒いじゃないですか。ちゃんと温かくしないと風邪を引きますよ」
 窓際は、暖炉から距離がある為、温度が部屋の中央よりも随分と低かった。
 私は、ひざ掛けをネイト様にかけてあげる。
 すると、手首がネイト様に掴まれた。

 冷たい。ネイト様の手は氷のように冷え切っており、肌が粟立った。

「レスリーは温かいね」
「ネイト様は冷えすぎです。暖炉の傍に行きましょう」
「それだけじゃ、ダメなんだ」
「えっ……?」
 ネイト様は、すがるようなまなざしを私に向けてきた。
「暖炉の傍に行ったところで、寒いんだ。ねえレスリー、俺を暖めてよ」
「な……にを仰っているんでしょうか。いみが、わかりません……」
 腕が引っ張られた。バランスを崩した私は、ネイト様のほうに倒れ込み、そして――
 きつく、抱きしめられていた。

「慰めて欲しい。君の、この体で」

 耳元で囁かれ、私は目を見開いた。
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