幸福の魔法使い〜ただの転生者が史上最高の魔法使いになるまで〜

霊鬼

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第十二章〜全てを失っても夢想を手に〜

34.怒りを以て

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 荘厳なる大図書館の中でオーディンは眠っていた。死んではいないが、意識を保っていられる程の余裕もなかったらしい。
 多分だけど、傷は完治しても後遺症は残るだろう。心臓は魔法使いの急所だ。例え治す事ができても、その後はいつも通りというわけにはいかない。

「……よし。」

 悩みはもう晴れた。覚悟は決まった。だからもう、ここでじっとしてなんかいられない。
 俺はこれから外に出て、あの魔族と戦う。しかしこれは義務的なものではない。ただ俺がそうしたいからだ。家族を傷つけられた借りは必ず返す。

「行ってくるよ、。」

 俺は静かに眠るオーディンを置いて、図書館の扉を開けた。





 外には大きく花を開いて、その中に佇む一匹の魔物がいた。図書館は依然として蔓と根に覆われ、ここがあの魔物の支配する場所だとそう言われている気がして、更に腹が立った。
 あの魔物の戦い方はさっきので何となく分かった。俺は不思議と、負ける気が少しもしなかった。もしかしたら怒りで冷静さを欠いているのかもしれない。
 だけど、そんな事を思えるぐらいには思考は冷徹だった。

「あれ、戻ってきたワケ。てっきり完全に逃げられたと思ってたんだけど。」

 意外そうな声でそいつはそう言った。あからさまに嬉しそうだ。戻って来るのを待っていたのかもしれない。

「で、オーディンはどこ? お前は殺せって言われてないし、差し出してくれるんだったら見逃してあげてもいいけど。死体でもいいから持ってきて。」

 俺は至って冷静だ。むしろ絶好調とも言える。前にも調子が良い時は、魔力と自分が一体化したような感覚があった。今回はそれよりも更に調子がいい。
 今なら想像できる事は何でもできそうだ。アルドール先生の言っていた魔法の幅というのも今だと分かる。確かに俺の魔法は窮屈だった。

 人を殺したあの時の感覚は未だに手に残っている。だけどその感覚は消しちゃいけないものだ。その感覚を残したまま、俺はもっと強くなる。
 人を殺すのは怖いけど、それほど恐ろしいものを握るのは恐ろしいけど、それを含めて俺なんだ。『悠久の魔女』オーディンの曾孫にして、『天覇』ラウロの息子。俺は偉大な魔法使いの家系の血を継ぐウァクラートの子だ。
 それに誇りを持ってさえしまえば、自然と勇気が湧いてくる。

「……誰だか知らねえけどよ。」

 ジリ、と焦げる音が聞こえる。俺の周囲で音を立てて火が灯る。ただ、燃やすのは蔓や根だけだ。本や本棚は燃やさないように。できるできないじゃなくて、やらなくちゃいけない。
 こいつは手を出しちゃいけないものに手を出した。傷つけてはいけないものに傷をつけた。

「俺は今、気分が悪い。」

 炎が走る。一面が焼け野原になる。新しく生えてくる根すらも片っ端から燃やし尽くして、再生の隙なんて一瞬たりとて与えない。

「はあ? わざわざ私が見逃してやるって言ってるのがわからないの。オーディンならともかく、一介の魔法使い相手に私が――」

 その言葉を遮るように、空から雷が降り注ぐ。空は曇天が覆いつくしていた。室内ではあるけども、そんな奇跡を可能にする者こそが魔法使いだ。
 俺の体を原初の息吹がなぞる。荒ぶる海と嵐の神が俺に味方している。雨、なんて簡単な言葉じゃ済まないぐらいの土砂降りが降る。人を殺してしまうんじゃないかと錯覚する程の降水量だ。それは火のある場所だけは器用に避けて降り注ぐ。

「……何これ。魔力の無駄遣いにも程がある。オーディンが使っていた効率的な魔法とは大違いだ。これをそのまま私にぶつければ、まだ勝機もあっただろうに。」

 そんな魔法使えるものか。俺の魔力制御はオーディンには遠く及ばない。俺が使えるのはこういう、分かりやすい魔法だけだ。

「こんな事をしていれば直ぐに魔力は尽きるでしょ。わざわざ手の込んだ自殺をしに来たわけ?」

 返事はしない。どうせどっちかはここで死ぬんだ。語らう事に意味などあるものか。
 その返事の代わりに、俺は火の勢いを更に強める。そして焼け焦げた道の中を一歩ずつ歩いていって、その魔物の下へと足を進めた。
 あの必殺の一撃も、足元に根があるから出せるものだ。全部燃やせば関係ない。こいつは持久戦が得意なんだろうが、それは奇遇な事に俺も一緒である。

 何本かの蔓が勢いよく俺へと飛んでくる。しかし多重に張った結界はそれを寄せ付けない。俺の結界を三枚壊せるような攻撃でも、四枚展開すれば済む話だ。
 俺の歩みを止めることは叶わない。気付けば、俺はその魔物の前まで辿り着いていた。

「無駄だ。今燃えているのは末端も末端、柔らかくて弱い、端の方だけを火にくべているだけだ。お前じゃ私は――」
「『雷皇戦鎚ミョルニル』」

 魔物を頭の上から一撃で潰す。抵抗もされなかったから、簡単に潰せた。
 直ぐに魔力が集まって、新しい花が開いた。俺はその場所を確認して、そこへとハンマーを片手に歩いていく。

「……話の途中なんだけど。ほんっとうに非常識な奴だ。それとも、この大雨で聞こえていないのか?」

 前より更に数の多い蔓が俺へと迫る。その全てを結界で雑に防ぐ。
 予想通り、あの捕食以外は大した火力はないらしい。速度は中々のものだが、予備動作が分かりやすい。

「まあ、いいか。どうせそろそろ魔力切れ――いや、待て。」

 慣れてきたから、火を加速させた。さっきまでとは比にならない速度で、大量の魔力を伴って火が走る。この図書館の魔力が一時的になくなる程の魔法をたった一匹を殺す為に行使する。

「おかしい、変だ。何で私の根がこんなに簡単に燃えている?」

 こいつは知らないだろうが魔法には大原則がある。込められた魔力より一回り大きい魔力がぶつかれば、物理的な頑丈性だとかそういうのは全て無視して崩壊する。
 相当な魔力差があってできる芸当だし、普通の魔法使いはそういうのを回避する方法を作るものだから、知識としては重要だが実用性のないものだ。
 ただ、相手が魔法使いでないのなら面白いぐらいに嵌まる。

 高位の魔法なんて必要ない。ただ純粋に大量の魔力を込めた火をぶつければ、緻密に作られた根だって燃える。
 やっている事は単純だが、この規模でやるのは難しい。魔力量はクリアしていても、これだけの広範囲で魔法を扱うのは脳神経が焼ききれるぐらいに難しい。

「何をした、アルス・ウァクラート。お前のスキルか?」
「……俺の名前を知ってるのか。」

 驚いて声が漏れた。てっきり知らないと思っていた。
 いや、だがそれなら納得できる事もある。俺はこの場所に誘導されたのだ。オーディンを確実に仕留める為に。それなら余計に腹が立つ。
 相手にとって脅威にすらなり得ぬ自分の弱さに、その通りにさせてしまった自分の浅はかさに、腹が立って仕方ない。

「ああ、ロロスからよくね。お前を利用すればオーディンは容易く殺せる、という風にも聞いた。」

 俺は再び、こいつの目の前に辿り着いた。

「何をやったなんかはどうでもいいけど、長引くと危ないから。ここで終わりにしよう。」

 一瞬の大地の揺れ、その後に根が大きな口を開く。魔法を発現させる暇すらない程の一瞬で、根は空まで伸びて口を閉ざした。根のドームの中にいるのは俺とその魔物だけ。

「……独り言が多いんだな。」
「随分と呑気だね。でもまあ、その通り。私は人を騙し、誑かし、それを喰らい尽くしてきた魔物。この舌までもが、私の武器だから。」

 こいつの顔色は良い。勝ちを確信したという顔をしている。

「永遠にさようなら。きっとお前は美味しいだろうから、楽しみにしているよ。」

 花は枯れて魔物は姿を消す。根は俺を押し潰そうと圧力を増し、数秒にも満たない時間で俺を殺そうと迫り来る。
 正に必殺だ。逃げなければ永遠にこの根に潰され続けるというのに、逃げ出す時間は限りなくゼロに近い。不可避にて強力、今まで同じように数多の人を殺して来たのだろう。

 俺はその必殺の捕食を、真正面から火を使って迎え撃つ。
 今までこんな風な馬鹿みたいな魔力の使い方はしなかった。だって魔法使い同士の勝負は、より多い魔力による魔法ではなく、より洗練された魔法が勝利をするからだ。相手の魔法を出し抜き、敗北を突きつける完全な魔法こそが正義だ。
 だが、よくよく考えれば魔物相手にそんな道理は必要ない。魔物の攻撃というのは基本的に単純な魔力と質量による暴力だ。時には、洗練された武術より純粋な暴力の方が通用する時だってある。

「――燃えろ。」

 正面から炎が喰い破る。その迫りくる木の根を、全て余すことなく炎が飲み込む。炎は俺の心に呼応して更に勢いを増す。

「あり、えない。十年以上かけて育て上げた私の『口』が、こんなに、簡単に。私がそれにどれだけの魔力を注ぎ込んだと思ってる!」
「じゃあ、入れる魔力が足りなかったんだろうよ。」

 魔物は目を見開いた。余裕そうな態度は崩れ、その顔が恐怖に歪む。

「そんな、いや、まさか、魔力をそのままぶつけただけ? そんな子供でもできるような魔法で、私の『口』を燃やしたのか?」

 真実に気付くのが遅過ぎた。こいつは逃げるべきだったのだ、俺と戦わずにな。

「ふざけるな! それにどれだけの魔力が必要だと思ってる! 魔法使い一万人を集めたって足りるものか! 魔王様だってそんな事はできやしない!」

 だろうな。この世のどこに神を魂に宿して戦う奴がいる。自分でも、馬鹿げた事をしていると思う。
 俺の魔力量は師匠、魔法使いの頂点である。無論、他では敵わないだろうが、魔力量という一点において俺に勝る魔法使いは存在しない。

「もう、いいのか。」

 再びこいつの前で立ち止まる。何が、なんて言わない。わざわざ遺言がもう十分かどうか聞くのは野暮だ。

「見逃してくれないか? お前の強さはよく分かった。私じゃ致命的に相性が悪いってことも。」
「……俺に利点がないな。」
「利点はある。私が何でも一つ、言う事を聞いてやる。それでどうだ?」

 言う事を聞く、か。

「それなら――」

 俺の要望が口から出るより前に、背後から蔓が俺の背を貫く。

「――俺に殺されてくれ。」

 しかし神話をその身に宿した俺を殺すには、決定打にはなり得ない。貫いただけじゃ、直ぐに再生できる。
 既に火は全ての根を燃やし尽くした。ここでこいつを殺せばもう新しい花は開かないだろう。

「ば、化け物が! こんな馬鹿みたいな力技で私を殺すなんて有り得ない! 私は、魔王様に選ばれた四天王の一人だぞ! 全ての魔物の頂点に立つ御方に選ばれた者だぞ!」

 雷と炎が戦鎚に走る。それを俺は上に持ち上げる。

「私よりお前の方がよっぽど、魔物みたいじゃないか!」

 魔物の鳴き声には一切、意を介さずに――

「『最後の一撃ラスト・カノン』」

 雷神の一撃は振り下ろされた。大きな石が割れるような、そんな音が最後に聞こえた。
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