幸福の魔法使い〜ただの転生者が史上最高の魔法使いになるまで〜

霊鬼

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第十二章〜全てを失っても夢想を手に〜

32.人が故に

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 エダフォスの花が咲く。しかしそれは今までとは違って、オーディンの近くではなく距離を取ってだ。
 逃げるためか? いいや違う。本当に逃げたいのなら目立たないように魔力を眩ませるべきだ。あんな風にここにいると、そう宣言するように花を咲かせる必要はない。
 それなら距離を取って戦うためか? それも違うだろう。だって距離を取って戦いたいのはオーディンの方だ。最強の魔女相手に遠距離戦闘をしたがる奴はいない。
 何故、今になって距離を取ったか、さっきとは違うところとは何か。それを考えれば答えは一瞬で出た。

 空の中でオーディンは加速する、が、元々飛行魔法とは高速での移動を前提としたものではない。ただ空に浮かんで徒歩程度の速度で移動するのが普通だ。
 だからオーディン程の使い手であっても距離を詰めるのには時間がかかる。
 アルスとエダフォスがいる場所まで、どう見積もったって10数秒はかかる。加えて、未だに蔓はオーディンの邪魔をする。これ自体は強い攻撃ではないが、もし焦って防ぎ損ねれば致命傷になりうる程の威力はあるのだ。
 その間、アルスに何をされようがオーディンは止めることができない。

「――ふざ、けるなよ。」

 ああ、合点がいった。どう考えてもオーディンをエダフォスじゃ殺せない。それなら何か切り札があるはずで、それをオーディンはずっと警戒していた。
 しかしそもそも切り札なんかエダフォスは持っていなかったのだ。ただここに切り札が落ちてくるのを待っているだけで良かった。
 それがオーディンの逆鱗に触れるものと知っていたから。

 エダフォスはアルスを狙う。しかしアルスもそこまで派手に登場させられたら気付く。油断なく敵を眺め、全身に魔力を流した。
 未だ人を殺した罪悪感はあれど、敵は明らかな人外で、加えてオーディンの敵のようだ。アルスにとっては倒すのに遠慮をする要素は一つもない。
 本調子でないアルスの魔法でも、その威力は並の魔法使いを凌駕する。

「『巨神炎剣レーヴァテイン』」

 業火がアルスの手から溢れる。それは己に迫る蔓をいとも簡単に切り落とす。白兵戦に慣れない魔法使いにとっては素早いそれも、死線をくぐってきたアルスにとっては予想の範疇に過ぎない。
 アルスはもっと速く、もっと理不尽な攻撃をその身に受けた事があるのだから。
 変幻自在の炎はその刀身を伸ばし、数メートル先にいるエダフォスを逆に両断した。あまりにも呆気なくその植物の体は灼け落ち、灰となってこぼれ落ちる。

 だがアルスは知らないのだ。そのアルラウネの特性を、特異的な不死性を。敵を倒したのだからアルスは少しだけ警戒を解いてしまう。
 それを待っていたかのようにアルスの背後で花が咲く。花の中から這い出るその手は、アルスの首へと伸びていった。

「『陽牢かげろう』」

 ゆらりと大気が歪んで、熱を伴ってエダフォスの手は宙に止まった。
 オーディンを相手に時間をかけ過ぎた。アルスを人質のように扱うのだったら、もっと一瞬で勝負をつける必要があったわけだ。賢神の一人を相手にそれは難しい話だろうが。

「……舐め腐っとるな。この程度で勝てるわけなかろうが。」

 オーディンが地上に降りた次の瞬間には、その体は燃え尽きていた。しかしまだ死んではいないだろう。それにこの魔法は一度見せたから二度目は通用しなくなってしまった。それが嫌でオーディンはため息を吐く。
 更に何よりも嫌だったのが、彼女の目の前に立っていた己の曾孫である。
 その非難するような目つきは意気揚々とここに来たアルスの出鼻をくじいた。役に立てると、そう信じてここに来たからだ。

「阿呆が!」

 どこからともなく現れた杖がアルスの頭を叩いた。

「戦地で気を抜く馬鹿がどこにいる! わしがおらねば死んでおったかもしれぬぞ!」

 反論する余地はない。全くその通りの事だった。アルスはここに来て自分の心配が杞憂となった事を悟っていた。
 アルスの母親とオーディンは違う。どれだけ強くなってもアルスは未だにオーディンの域には達せていない。不調である今なら猶更だ。

「早くここから離れろ、良いな。わしに助けはいらん。」
「……分かった、ごめん。迷惑をかけた。」

 その落ち込みようはかなりのもので、流石のオーディンも毒気を抜かれる。結果的には迷惑となったが、その行い自体は悪と言えるものではない。

「お主の心意気が悪いとまでは言わん。それは違いなくお主の美徳じゃ。しかしこの場はわしに任せておけ、伊達に何百年も生きとらんわい。」

 今度は優しい口調でオーディンはそう言った。今はその優しさがアルスにとっては少し辛かった。

「また直ぐに奴は蘇る。できるだけ早く――」

 違う階層へ向かえ、という言葉は出なかった。ぐらり、と大地が一度揺れたからだ。

 時に、ウヅボカズラという食虫植物を君は知っているだろうか。
 この異世界にそれと全く同じ植物は存在しないが、似たような植物ならいくつもある。アルラウネの原型もその食虫植物に似たようなものだ。
 ウヅボカズラは甘い蜜のにおいを漂わせて、寄ってきた虫を補虫袋に落とす。その捕虫袋の中には消化液があり、それによって虫を溶かして栄養の一部とするのである。

 ではアルラウネはどうだろう。アルラウネの見目麗しい姿は人を寄せ付けて油断を誘う。しかしその女性の姿をしたものは本体ではなく体の一部であり、アルスやオーディンに呆気なく殺されるほどに直接的な戦闘力を持たない。
 それではどこでアルラウネは捕食するのかというと、根の部分を使うのだ。女性の姿に釣られてやってきた人を足元から丸のみにする。
 しかしこのエダフォスはその捕食器官にして本体とも言える根を切り離していつもは行動している。それは戦闘の最中に根を育てるという事だ。一撃必殺の捕食器官を、気付かれないように、丁寧に。

「――まずい、アルス!」

 その危機をいち早く察知したオーディンはアルスの腕を掴んで、魔力を全力で回す。いつものように魔力を無駄にしない丁寧なものではなくて、とりあえず発動させるための無理矢理な魔法だ。
 その時には既に口は開かれていた。
 目で追えない程の一瞬で、足元の根が大きな口のように四方八方から飛び出て二人を覆う。アルスがヤバいとそう感じ取った時には、光は遮られ、口は今にも閉じようとしていた。
 正に最速必殺の技。常に警戒をしていたはずのオーディンを後手に回らせるほどに一瞬の捕食。地面に降り立った時点で、この失敗は決まっていた。

「『短距離転移ショートテレポーテーション』」

 その必殺までのほんの僅かなタイミングで、オーディンは魔法を完成させる。まだ口が閉じ切るより先に転移の魔法は駆け込んだ。
 二人は一瞬の浮遊感の後に、大きな音を立てて閉じた『根の口』を真下に見た。とんでもない剛力でつぶれていき、沈んでいくその大きな口を。

「やっと隙を見せたね。」

 声が聞こえた。嗜虐的な、アルラウネの声が。
 転移の後の隙をついて蔓が一直線に飛んでくる。魔力の薄いそれは不意打ちであった事も味方して、オーディンの足首に絡みついた。
 いくら伝説の魔女であったとしても、魔法使いは魔法使いだ。肉体はどうしても弱い。魔力のほとんどこもっていないそれに引っ張られて、オーディンは地上に引きずられる。
 オーディンは即座に火の魔法でその蔓を燃やし尽くした。その間に、空から落ちるアルスにいくつもの蔓が迫っていた。

 アルスもしっかりと迎撃の態勢を整えている。もはやオーディンに対する心配をアルスはしていない。
 再び現れた炎の剣が、アルスへと襲い来る蔓を焼き尽くさんと魔力をうならせる。生まれなおしたばかりのエダフォスであれば、アルスを殺しうるほどの威力を発揮する事はできない。

 ――そう、理性は理解していた。
 目の前で攻撃を向けられるアルスの姿をオーディンは見た。大丈夫であろう事は確かに分かっていた。それでも、何故だろう。オーディンは余計な魔法を走らせた。
 反射的だった。オーディンはアルスと話すことを避けていて、会った回数もそう多くはない。それでも、彼女はアルスを愛していた。
 自分の愛する子供が、孫が、血を繋いで生まれた子供。どうして愛さずにいられようか。どうして、目の前で命を狙われる子を見て、大丈夫だと冷静に考えられようか。もし万が一があれば、そう考えずにいられないのは間違った事だろうか。

「え?」

 本来の来るはずのない魔法、確実に防げたはずの攻撃が半透明の結界に防がれる様を見てアルスは疑問の声をあげる。
 もうその時には全てが遅いと知らずに。

「あなたが負けるのは、人の弱さ故だ。」

 鋭く、鋭利な蔓が、心臓を穿ち貫いた。その緑色の蔓は血が滴り、落ちる。
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