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第十二章〜全てを失っても夢想を手に〜

20.老魔法使いは語る

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 冠位魔導術式科ロード・オブ・スペルにして賢神第三席たるハデスは、最も人が想像する魔法使い像そのものだ。
 長い髭をたくわえ、つばの広い帽子と黒いローブを身にまとう。老齢で嗄れ声でありながらも、魔法への探究心は未だ尽きぬ研究者。それこそが『術式王』とまで呼ばれるハデスの姿である。
 会うのは難しいと聞いていたからこそ、こうやって会える事になったのは嬉しかった。冠位の中でもハデスならば多くの事を知っているのではないかと、そういう期待があったのもある。

 術式科の本部である第14階層に俺は来ていた。入り口にはビルにあるようなエントランスがあり、その奥には無数の部屋が並んでいた。
 俺が向かうのは、当然ハデスの工房がある部屋だ。エントランスにあった地図を思い出しながら歩いていくと、思ったよりも直ぐにハデスの工房に辿り着いた。
 扉の前に立ち、その扉をノックする。

「……入れ。」

 数秒経った後に、中から声が響いた。俺はドアノブを掴んで、一息に開いて中へと入る。
 中は薄暗く、数本の蝋燭だけが光源である部屋だ。見えにくいが部屋の中は整理整頓されており、来客用の椅子や机もある。恐らくだが実験用の部屋は別にあるのだろう。奥にある扉がきっとその部屋に通じる扉だ。
 暗闇の中から足音が響く。工房の主であるハデスは闇の中から滲み出るように俺の目の前に現れた。

「久しいな、アルス・ウァクラート。まずは座れ。」

 そう言って俺に背を向け、ハデスは長椅子に腰掛ける。俺はその対面の椅子に座った。間にある机の真ん中には蝋燭が一本立っていて、その炎がゆらゆらと揺れている。

「お前の活躍は聞いている。随分と苦労したそうだな。」

 否定はしない。どう考えてもここ最近の忙しさは尋常ではなかった。今も忙しくないわけではないが、王選などと比べると暇な方である。
 それにしても、ハデスが俺の話を知っているというのは少し意外だ。研究にしか興味がないとばかり思っていたからな。新聞とか読むのだろうか。

「そして今、冠位を目指して研究をしている。随分と生き急ぐものだ。」
「……そういうつもりはないけどな。ちゃんと休みは取っているし、無理に研究を進めているわけでもない。」
「ラウロの奴も、同じ事を言っていた。同じように儂に教えを乞い、冠位へと至り、生き急いで死んだ。」

 帽子に隠れるハデスの黒い瞳が俺を射抜く。その目は俺の奥底を見透かしているように感じた。

「お前の夢は、未だに変わっていないか?」
「……ああ、勿論。俺は世界中の人を助けられる魔法使いになる。それはずっと変わってない。」

 そうか、とハデスは頷く。部屋が暗いせいでハデスの表情が俺にはわからない。声色もただ無感情で、生きていないんじゃないかと思ってしまう程に正気を感じない。
 俺は何故こんな事を問われているのだろうか。ハデスは俺から何を知ろうとしているのだろう。

「その夢に冠位は必要あるまい。冠位の称号など何の価値も持たない。何に代わる物でもない。果たしてそれは、お前の時を捧げるに足るものなのか?」

 なんとなく、俺は止められているような気がした。冠位にはなるなと、そう言われているような気がした。
 何故ハデスがそう考えているかは分からない。わざわざ俺を止める理由だってハデスにはないはずた。ハデスの所属するオリュンポスと少し縁がある、その程度の関係性のはずである。
 だがどっちにしろ、俺の答えは決まりきっている。俺の夢は、学園を卒業したあの時から一瞬たりとて変わっていない。

「俺は冠位になって親父を超える。そうやって初めて俺は、夢を叶える資格を手に入れられる。」
「誰も、それを求めていなかったとしてもか?」
「当然だろ。これは他の誰でもない、俺の夢なんだから。」

 ハデスは口を閉じた。部屋の中に不気味なまでの沈黙が響く。

「……妙な質問をしたな、忘れろ。その代わりにお前の質問に答えてやる。」

 そう言われては追及する事などできない。だから大人しく俺は、事前に考えていた質問をハデスへとぶつけた。





 想像していた通り、様々な俺の質問にハデスは答えてくれた。明確な回答ではないが、そのヒントになるような事を色々と教えてくれた。
 これだけでここに来た意味が確かにあった。

「それじゃあこれが質問としては最後なんだけど、異世界に渡る魔法について知らないか?」
「……それを何の代償もなく行えるのは神だけだ。禁忌に触れたいのなら、話は別だが。」

 訝しむような目でハデスは俺を見た。

「いやいや、流石にそんなつもりはない! 人に道に反する事はしねえよ!」

 俺は慌てて否定する。禁忌には禁忌になるだけの理由がある。どうやっても人の犠牲なくしては進歩しない研究こそが禁忌なのだ。
 ヒカリは必ず元の世界に帰らせる。禁忌なんかじゃなく、別の方法で。

「なら良い……他に何かあるか?」
「お願いできるなら、冠位になるための推薦状が欲しい。」
「良いだろう。後でお前の工房に送ってやる。」

 おお、やった。これでやっと推薦状が三つ揃った。後顧の憂いは断てたことになる。後は研究に集中して成果をたげるだけだ。

「ありがとう。俺の用はこれが最後だ。邪魔をしたな。」
「構わん。儂の研究も一段落ついた所だ。」

 ハデスの研究、か。どんな内容か少し気になるが、もう用がないと言ったし聞くのはやめておこう。きっと発表された時に知れるだろう。
 それよりも、今は急いで試してみたい事が沢山ある。早く自分の工房に戻りたい。俺は焦る気持ちを抑えながら椅子から立ち上がり、軽くハデスへと頭を下げる。

「……最後に、儂から一つ忠告をしておこう。」

 俺は足を止めた。

「人の力には限界がある。どれだけ力を手に入れても、どれだけ知識を得ても、どれだけの名声をその身に浴びようと、人は必ず失敗をする。理想のままに願いを叶えれる者など存在しない。」

 その言葉はあまりにもハデスのイメージに似合わない。常に余裕を持ち取り乱さず、知恵を巡らせる者こそがハデスだからだ。そんなハデスの口から、限界だとか失敗だとかそんな言葉を聞くとは思わなかった。

「お前の夢もそうだ。夢が叶う時、必ず何かが犠牲になる。その覚悟をしておけ。本当に夢を叶えたいのであればな。」

 違うと、そう言いたかった。だけど既に目線は外れていて、さっきより遥かにハデスが遠い距離にいるような気がした。
 これを言ったのがハデスでなかったのなら、俺はすぐさまに否定していただろう。だって夢に犠牲が必要だなんて馬鹿らしい話だ。犠牲の上に叶う夢なんて、喜べるようなものじゃない。
 だけど、あんなに思慮深く俺に知恵を授けてくれたハデスが言ったのであれば、一口に否定することはできなかった。それでも――

「……まあ、覚えとくよ。」

 ――肯定しない事が、せめてもの俺の抵抗だった。
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