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第十一章〜王子は誇りを胸へ〜

34.人形

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 ヒカリの聖剣による障壁がフランに斬られ、それを認識してエルディナが結界を張り直す。この時間は約1秒程度の、ほんの一瞬である。
 その一瞬を、ニレアは狙っていた。
 エルディナの腕をこうして掴み、目を合わせた。ニレアの能力が洗脳とわかっているのなら、一体何の為にこんな事をしたかなんて考えなくてもわかる。

「それでは、もう一度。」

 ニレアはエルディナの腕を離して、胸の前で音を鳴らしながら手を合わす。
 こっちに迫ってきていた人々は一斉に足を止める。エルディナはまるで糸に吊られた人形のように力を失い、周囲に張られていた結界は消失する。

「私の仕事は、第一王子を殺すこと。それさえ果たせば無用に命なんて取りたくないの。私はただ愛してほしいだけなの。わかる?」

 何を言っているのか、分からない。そもそもこの女の言う言葉を言語として認識できていない。目の前で親友が洗脳されるのを見るのは、想像の何倍も俺の心を揺さぶっていた。
 だから次の瞬間には、俺は地面を蹴っていた。
 荒ぶる雷雨を白き衣として身にまとい、右手に十束剣を持つ。ここに在りしは大和の大神、三貴子が一人。

「『神話体現ロスト・ファンタジー建速須佐之男命タケハヤスサノヲノミコト』」

 俺とニレアの距離は僅か数メートル。一足で届く距離だ。この距離ならばフランは間に合わないし、並の人なら反応すらできない。
 今しかタイミングはない。こいつを殺すのなら、これ以上の好機などあるものか。俺はこいつをたった今、殺さなくてはならない。
 目の前が真っ赤になる。血液の流れが加速するのを肌で感じる。

 ――刃は、あと数センチというところまで迫った。逆に言えば、それが限界だった。

 風が吹く。薄緑色の光が剣の周りを飛び回る。まるで何か頑丈な石に叩きつけたような感覚で、俺の剣は寸前で止まった。
 エルディナがその青い眼を光らせて、こちらを見ていた。

「……あなたは、私を愛してくれないのね。」

 ニレアはそう呟く。とても悲しそうな目をしていた。俺に殺されそうになった人の反応では決してなかった。
 俺はスキルを解除しながら、アースのいる所まで下がった。

「アース、俺はどうすればいい。一体何をすれば、この状況を脱せる?」

 吐き出すように俺はアースに聞く。俺なら何も思いつかないが、アースならどうにかできるんじゃないかと、そんな縋るような気持ちが俺にそうさせた。

「落ち着け、アルス。」
「だけど――」
「この状況はほとんど詰みだ。だから落ち着けって言ってるんだ。」

 言葉が詰まる。俺は限界まで息を吐いて、強引に頭の熱を引かせた。
 アースは俺と対照的で冷静だった。壊れた馬車の木片に腰掛け、ニレアと目を合わせる。そうこうしている内にフランもここまで戻ってきた。
 確かにアースの言う通りだった。こちらの主な戦力は俺と騎士数名、対して相手はエルディナとフラン、そしてこの街の住民数百以上である。俺だけなら生きて帰れるだろう。だが、アースやヒカリを守りながら逃げれる敵の数じゃない。転移魔法という手もエルディナが洗脳されて封じられた。
 だからといって戦っても勝てる相手じゃない。もし俺一人でフランやエルディナを倒せても、その間にこの街の人々にアースが殺されて終わりだ。ニレアを自由にさせたら騎士たちだって洗脳され放題だろう。
 万事休すとはまさにこの事である。

「俺様に死んでほしいらしーな。感楽欲とかいう奴の命令で。」
「命令ではなくてお願い。私と感楽欲は対等だから、命令なんてしないわ。私もお願いを聞いてもらうことがあるから、こうやってたまには働かないと平等じゃないじゃない?」
「確かにそうだな。」

 アースはニレアの問いかけを適当に返事をしてやり過ごす。

「だが、俺様はお前の言葉にどうしても頷けない理由がある。」
「……それは、どうして?」
「言ってもわからねーだろ。それに殺すのをやめてくれるのか?」

 きょとんとした表情をニレアがした後に、納得したように頷く。

「そう、それもそうね! フラン、その王子の首を刎ねて。早く終わらせちゃいましょう。」

 フランが歩き始めるので、俺はアースの前に立つ。フランはいつのまにかまた、剣を持っていた。ここにいる適当な人から貰ったのだろう。これだけ人がいれば剣士だって何人かいる。
 ニレアは立ちふさがるように俺が移動したのが気に入らなかったのか、俺を睨みつけた。

「なあ、ニレア。俺様は正直、少し後悔している。適当な騎士団長を連れてくれば、こうはならなかっただろうしな。」
「急に何。何の話をしてるの。」
「まさかフランが洗脳されるとは想像していなかった。それが何よりの誤算だ。だが、俺様はどれだけの騎士が死のうとも生きなくてはならない。そして恵まれた事に、その為なら迷わず命をかけられる誇りある騎士がここにはいる。」

 魔力が集まるのを感じた。その魔力は光へと変換され、縦長の簡素な扉という形になって現れる。その扉はひとりでに開いた。

「悪いが、ここで死んでやるわけにはいかねーんだよ!」

 アースはヒカリの手を掴んで、光の扉の中へ走った。扉の位置はアースの直ぐ隣であり、フランであってもそれは止められない。
 この扉を俺は知っていた。一度だけ、見たことがあった。

「全員あの扉の中に入れ! 逃げるぞ!」

 俺は騎士達に向けてそう叫んだ。それぞれ門の方角へと走っていく。

「逃すな!」

 二レアのその声で再び住民は動き始める。門を他の人に潜らせてしまったら意味がない。騎士が全員、扉の中に入るまで俺がこの扉を死守しなければいけない。
 最悪、俺一人なら置いていかれても逃げれる可能性は高い。
 何人かはもう門の近くまで来たが、数名は若干遠い位置にいたり反応が遅れたせいで少し遠い。ほんの数メートルの違いだが、フランを相手にその距離は長い。

「アルス殿、失礼!」
「へ?」

 俺は突然、走ってきた騎士に体を掴まれ、持ち上げられた。

「我らが生き残っても足手まといとなるだけですので!」

 俺は投げられた。その方角は扉の方向で、こんな事を想定していなかったからこそ、急に止まることなんてできなかった。

「殿下をお願いいたします!」

 そんな叫び声と一緒に、何人もの騎士がフランへと飛びかかるのが見えて、そこで、俺は扉の中へ吸い込まれていった。





 光の扉は閉じる。アルスを追おうとしたフランは、騎士に妨げられた。だが、『最速』の称号は伊達じゃない。
 数度の切り合いで体勢を崩され、騎士達は一人、二人、三人とその場に転がっていく。

「逃がした、の?」

 静かになったその大通りで、ニレアは虚空へ呟く。
 騎士は全員、その場に倒れている。しかしアースとヒカリ、そしてアルスには逃げられてしまった。

「……へへ、ざまあみろ。」

 掠れた声で、一人の騎士がそう言った。胴を深く剣で斬られていて、血が止まっていない。間違いなく助からないだろう。

「フラン! そいつを殺して! 今直ぐに!」

 ニレアは顔に青筋を立てながら、フランに命令をした。フランは迷わずに、その騎士の首を刎ねる。

「一体誰が……何で私がこんな目に合わなくちゃいけないの!」

 ニレアは頭を両手で掻きむしる。この場にいる誰も、口を開かない。

「探して! そして殺して! あの三人を、絶対に!」

 まるで人形のように、この場にいる全員が動き始めた。
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