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第十一章〜王子は誇りを胸へ〜
28.私を愛して
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第二王子であるスカイの一行は、アースとは逆の方向、つまり北の方角へと進んでいた。
全ての領地を回るのだから、時間に余裕はない。時間の都合上、ほとんど素通りするだけであるが、それでもだ。
重要なのはスカイがあらゆる領地に現れ、何か話したという事実である。
元よりスカイは、第一王子とは対照的な心優しい王子とよく言われる愛される人物であった。そんな王子が街を寄れば人は集まるし、何より気にかけてくれたのだと印象が残る。
だからこそスカイはより多くの土地を回る必要があった。休む暇などほとんどない。だが、人である以上、限界がある。
「スカイ、次の街で一度休まないかい?」
ユリウスはそう問いかける。
それは自分が休みたいからではなかった。幼少の頃から剣術を修めるユリウスにとって、この旅は確かに過酷ではあるがスカイより先に音を上げる事はない。
単に、親しい友人としてスカイの体調に気を遣った為だ。
顔には出さないが、明らかに体の動きは鈍くなっていた。それに、恐らくではあるが精神もだ。
「もう五日目だよ。明日で終わるんだから、ここが最後の踏ん張り時さ。休むわけにはいかない。」
「……頑張るのはいい事だけど、ぼかぁ限界を越えてまで活動するのが良いとは思わない。」
「仮眠は馬車の中で十分に取っているじゃないか。どうしてそんなに疲れてると思うんだい?」
ユリウスは少し悩む仕草を見せ、そしてスカイの金の目をよく見た。
「疲れてると見える理由を探す方が簡単だと思うよ。どれだけ回復魔法を使ったりしても、人の稼働時間は決まってる。七日間、ほぼ休みなしで王国を走り回るのは元々無理があった。」
「良いんだよ、別に倒れても。王選が終わった後ならね。」
「終わる前に倒れるって言ってるんだ。これはぼくの忠告だよ。」
ユリウスには、スカイの目が酷く濁って見えていた。
疲労が積み重なっているのはあるだろう。疲れていてはスカイが持つ王子としての風格も薄れていく。しかしそれ以上に、何かがスカイを蝕んでいるように見えたのだ。
そのせいか、彼の口調はいつもより少し激しかった。
「ぼかぁ、スカイに何があろうと、この旅の間はついていくとは決めたさ。それでも、自殺するのを黙って見ている気はない。わかるだろ?」
冗談を言う目ではなかった。それは疲れているスカイであっても、直ぐに分かった。
「……わかったよ。それじゃあ次の街でゆっくりご飯を食べて、それからまた街を出よう。」
ユリウスは頷いて、スカイは少し不服そうになりながらも背もたれに体を預けた。
全ての領地を回る、という目標は現時点ではかなり厳しいと言っても良い状況である。ゴーレムの馬車を最高速で走らせても、どうしても時間が足りない。スカイが焦る気持ちも、ユリウスにはよく分かった。
それでもこれだけの数の領地を回れば十分だろう。ファルクラムの一件を踏まえれば、十分にアースと戦える。それでもスカイは、焦り続けていた。
ローグカーン領という、子爵が統治する小さな領地へとスカイ達は辿り着いた。
最初は他の街と同じように何人かの平民と話し、その後に姿を隠してある酒場へと移動した。スカイは目立つ容姿をしているが、認識阻害の魔道具があれのでそこまで気に留められる事もなかった。
「ぼかぁね、和気藹々と気楽に生きたいわけさ。そんな気を詰めても仕方ないんと思うんだよね、ぼくは。」
「あー……うん。」
「だからスカイにね、力を抜いてもらおうとぼくは酒場に来たわけだよ。それなのに全然飲まないなんて酷くないかい?」
四大公爵が一つ、アグラードル家の当主とは思えないぐらいに彼の呂律は回っていなかった。
その手には酒の入ったグラスが握られている。相当な量の酒を飲んだのか、いつもに増して覇気がなくだらしない。
「ユリウス兄、酔い過ぎだよ。明日も馬車に乗って移動するんだよ。」
「大丈夫だよ。それよりもスカイ、君はねえ……」
何度も同じ話をし続けるユリウスに対して、フランは一言も喋らずに酒をあおっていた。
「……水を取ってこよう。」
「ああ、うん。お願いするよ。」
フランはグラスを置いて立ち上がる。そして適当な店員を呼び止めた。
「水はどこにある?」
「あそこにありますよ。ご自由にとうぞ。」
店員の指差した先にフランは向かう。水差しを手に掴み、そのまま持って行こうとした、その時の事である。
近くのテーブルにいる女に、フランは腕を掴まれた。
「何だ?」
フランはその女の方を見た。
その女はローブを着ていて、目深にフードを被っていた。田舎に分類されるだろうこの村にしては、やけに派手な服をローブの下に着ていることが分かる。その肌の露出量は娼婦と見間違えられてもおかしくない。
だが、酒場で客引きをしていると考えるには、その女は妙だった。フランにはその理由は明確には分からない。ただ、体の全体が警笛を鳴らしていた。
「要件を言え。」
二言目は大きな声で言った。このうるさい酒場でもしっかりと聞こえるぐらいの大きな声で。
ほとんどの酒飲みは気にしないが、ユリウスとスカイがそれに気付いた。それを視線の端で確認して、それからその女を再びフランは見た。
「――私を、愛して欲しいの。」
スカイは酔っ払うユリウスを引っ張り、フランの方へと一緒に向かう。
フランは、剣に手をかけた。
「だってそうでしょう。生まれたからには、必ず誰かに愛されたいじゃない。全ての人が私を愛してくれるのなら、それ以上に喜ばしい事もないじゃない。」
「……俺は、そうは思わん。」
「ええ、わからなくたっていいわ。私は承認してもらわなくたっていいの。私をただ見て、愛し続けてくれれば、それで。」
女の声は微睡むように甘い声で、直ぐに騙されてしまいそうなぐらい優しかった。
だが、フランは警戒を解かない。一挙手一投足を見のがさないように、そしていざとなれば一撃で首をはねられるように身構える。
自分より遥かに弱いであろうその女を、フランは本能的に警戒していた。
「だからね、私を――」
「もういい。」
フランは剣を抜く。これが如何に正当性がない行為であるか、フランは理解している。
それでも、フランは己の直感を信じた。今ここで殺さなくてはならないのだという、己の中での言葉を信じた。
「ちょ、何をしてるんだいフラン!」
だが、そんなフランの心の内をスカイが理解しているはずがない。剣が鞘から完全に出る前に、スカイがその手を掴んで止める。
その一瞬が、命取りだった。
フランの腕を強く掴んで、女は立ち上がり、そしてフードを外してフランの顔を覗き込む。
「――私を愛して。」
綺麗な、まるで鮮血のような紅い目だった。美にも疎いフランでも反射的に、それを美しいと、そう思わずにはいられなかった。
「……なる、ほど。」
フランは右手に持つ剣を無理矢理にスカイへ押し付けた。腰にある剣の留め具を引きちぎってだ。
「フラ、ン?」
「逃げろ。」
フランがそう言った瞬間に、近くの席に座る男がナイフを持ってスカイへ襲いかかる。しかし後ろにいたユリウスが男の頭を掴んで地面に叩きつけて止める。
スカイは唖然として、動けなかった。
「ユリウス、後は頼んだぞ。」
「……了解。」
ユリウスはスカイを右肩に担いで、そして酒場の出口の方へと駆け出す。すると酒場にいる全員が立ち上がり、それを止めようとユリウスに襲いかかる。
「悪いね。」
ユリウスは跳躍し、そこにいる人の頭を足場にして即座に酒場の外に飛び出した。誰もユリウスとスカイを追わない。どこか遠い目で走る二人を眺めるだけだった。
この場でハッキリとした理性を残すのは、フランの腕を掴んだ女ただ一人であった。
フランは既にその目から生気を失っており、まるで人形のように真っ直ぐ立っていた。女はそれを見て、嬉しそうに笑う。
「やっぱりあなたも、私を愛してくれた。」
そしてその横を通り過ぎて、先程、ナイフでスカイに襲いかかった男の前に女は向かった。
「ねえ、あなた。私はあの王子を殺せなんて、言ったかしら。私の言うことを聞いてくれないなんて、私を愛していないって事よね。」
「いえ、そんな事は――」
「そのナイフで首を切って死んで。私を愛してくれないなら、生きてくれなくていいわ。」
男は迷いなく自分の首にナイフを押し当てる。血が、流れる。酒場の床に、ドクドクと大量の血が落ちる。男はその場に倒れるが、誰もそれを気にしない。気に留めない。
「さて、それじゃあ欲しいものも手に入ったし戻ろうかしら。まだ、やる事があるものね。」
女は笑う。たった一人で、この人が多い酒場の中で。
全ての領地を回るのだから、時間に余裕はない。時間の都合上、ほとんど素通りするだけであるが、それでもだ。
重要なのはスカイがあらゆる領地に現れ、何か話したという事実である。
元よりスカイは、第一王子とは対照的な心優しい王子とよく言われる愛される人物であった。そんな王子が街を寄れば人は集まるし、何より気にかけてくれたのだと印象が残る。
だからこそスカイはより多くの土地を回る必要があった。休む暇などほとんどない。だが、人である以上、限界がある。
「スカイ、次の街で一度休まないかい?」
ユリウスはそう問いかける。
それは自分が休みたいからではなかった。幼少の頃から剣術を修めるユリウスにとって、この旅は確かに過酷ではあるがスカイより先に音を上げる事はない。
単に、親しい友人としてスカイの体調に気を遣った為だ。
顔には出さないが、明らかに体の動きは鈍くなっていた。それに、恐らくではあるが精神もだ。
「もう五日目だよ。明日で終わるんだから、ここが最後の踏ん張り時さ。休むわけにはいかない。」
「……頑張るのはいい事だけど、ぼかぁ限界を越えてまで活動するのが良いとは思わない。」
「仮眠は馬車の中で十分に取っているじゃないか。どうしてそんなに疲れてると思うんだい?」
ユリウスは少し悩む仕草を見せ、そしてスカイの金の目をよく見た。
「疲れてると見える理由を探す方が簡単だと思うよ。どれだけ回復魔法を使ったりしても、人の稼働時間は決まってる。七日間、ほぼ休みなしで王国を走り回るのは元々無理があった。」
「良いんだよ、別に倒れても。王選が終わった後ならね。」
「終わる前に倒れるって言ってるんだ。これはぼくの忠告だよ。」
ユリウスには、スカイの目が酷く濁って見えていた。
疲労が積み重なっているのはあるだろう。疲れていてはスカイが持つ王子としての風格も薄れていく。しかしそれ以上に、何かがスカイを蝕んでいるように見えたのだ。
そのせいか、彼の口調はいつもより少し激しかった。
「ぼかぁ、スカイに何があろうと、この旅の間はついていくとは決めたさ。それでも、自殺するのを黙って見ている気はない。わかるだろ?」
冗談を言う目ではなかった。それは疲れているスカイであっても、直ぐに分かった。
「……わかったよ。それじゃあ次の街でゆっくりご飯を食べて、それからまた街を出よう。」
ユリウスは頷いて、スカイは少し不服そうになりながらも背もたれに体を預けた。
全ての領地を回る、という目標は現時点ではかなり厳しいと言っても良い状況である。ゴーレムの馬車を最高速で走らせても、どうしても時間が足りない。スカイが焦る気持ちも、ユリウスにはよく分かった。
それでもこれだけの数の領地を回れば十分だろう。ファルクラムの一件を踏まえれば、十分にアースと戦える。それでもスカイは、焦り続けていた。
ローグカーン領という、子爵が統治する小さな領地へとスカイ達は辿り着いた。
最初は他の街と同じように何人かの平民と話し、その後に姿を隠してある酒場へと移動した。スカイは目立つ容姿をしているが、認識阻害の魔道具があれのでそこまで気に留められる事もなかった。
「ぼかぁね、和気藹々と気楽に生きたいわけさ。そんな気を詰めても仕方ないんと思うんだよね、ぼくは。」
「あー……うん。」
「だからスカイにね、力を抜いてもらおうとぼくは酒場に来たわけだよ。それなのに全然飲まないなんて酷くないかい?」
四大公爵が一つ、アグラードル家の当主とは思えないぐらいに彼の呂律は回っていなかった。
その手には酒の入ったグラスが握られている。相当な量の酒を飲んだのか、いつもに増して覇気がなくだらしない。
「ユリウス兄、酔い過ぎだよ。明日も馬車に乗って移動するんだよ。」
「大丈夫だよ。それよりもスカイ、君はねえ……」
何度も同じ話をし続けるユリウスに対して、フランは一言も喋らずに酒をあおっていた。
「……水を取ってこよう。」
「ああ、うん。お願いするよ。」
フランはグラスを置いて立ち上がる。そして適当な店員を呼び止めた。
「水はどこにある?」
「あそこにありますよ。ご自由にとうぞ。」
店員の指差した先にフランは向かう。水差しを手に掴み、そのまま持って行こうとした、その時の事である。
近くのテーブルにいる女に、フランは腕を掴まれた。
「何だ?」
フランはその女の方を見た。
その女はローブを着ていて、目深にフードを被っていた。田舎に分類されるだろうこの村にしては、やけに派手な服をローブの下に着ていることが分かる。その肌の露出量は娼婦と見間違えられてもおかしくない。
だが、酒場で客引きをしていると考えるには、その女は妙だった。フランにはその理由は明確には分からない。ただ、体の全体が警笛を鳴らしていた。
「要件を言え。」
二言目は大きな声で言った。このうるさい酒場でもしっかりと聞こえるぐらいの大きな声で。
ほとんどの酒飲みは気にしないが、ユリウスとスカイがそれに気付いた。それを視線の端で確認して、それからその女を再びフランは見た。
「――私を、愛して欲しいの。」
スカイは酔っ払うユリウスを引っ張り、フランの方へと一緒に向かう。
フランは、剣に手をかけた。
「だってそうでしょう。生まれたからには、必ず誰かに愛されたいじゃない。全ての人が私を愛してくれるのなら、それ以上に喜ばしい事もないじゃない。」
「……俺は、そうは思わん。」
「ええ、わからなくたっていいわ。私は承認してもらわなくたっていいの。私をただ見て、愛し続けてくれれば、それで。」
女の声は微睡むように甘い声で、直ぐに騙されてしまいそうなぐらい優しかった。
だが、フランは警戒を解かない。一挙手一投足を見のがさないように、そしていざとなれば一撃で首をはねられるように身構える。
自分より遥かに弱いであろうその女を、フランは本能的に警戒していた。
「だからね、私を――」
「もういい。」
フランは剣を抜く。これが如何に正当性がない行為であるか、フランは理解している。
それでも、フランは己の直感を信じた。今ここで殺さなくてはならないのだという、己の中での言葉を信じた。
「ちょ、何をしてるんだいフラン!」
だが、そんなフランの心の内をスカイが理解しているはずがない。剣が鞘から完全に出る前に、スカイがその手を掴んで止める。
その一瞬が、命取りだった。
フランの腕を強く掴んで、女は立ち上がり、そしてフードを外してフランの顔を覗き込む。
「――私を愛して。」
綺麗な、まるで鮮血のような紅い目だった。美にも疎いフランでも反射的に、それを美しいと、そう思わずにはいられなかった。
「……なる、ほど。」
フランは右手に持つ剣を無理矢理にスカイへ押し付けた。腰にある剣の留め具を引きちぎってだ。
「フラ、ン?」
「逃げろ。」
フランがそう言った瞬間に、近くの席に座る男がナイフを持ってスカイへ襲いかかる。しかし後ろにいたユリウスが男の頭を掴んで地面に叩きつけて止める。
スカイは唖然として、動けなかった。
「ユリウス、後は頼んだぞ。」
「……了解。」
ユリウスはスカイを右肩に担いで、そして酒場の出口の方へと駆け出す。すると酒場にいる全員が立ち上がり、それを止めようとユリウスに襲いかかる。
「悪いね。」
ユリウスは跳躍し、そこにいる人の頭を足場にして即座に酒場の外に飛び出した。誰もユリウスとスカイを追わない。どこか遠い目で走る二人を眺めるだけだった。
この場でハッキリとした理性を残すのは、フランの腕を掴んだ女ただ一人であった。
フランは既にその目から生気を失っており、まるで人形のように真っ直ぐ立っていた。女はそれを見て、嬉しそうに笑う。
「やっぱりあなたも、私を愛してくれた。」
そしてその横を通り過ぎて、先程、ナイフでスカイに襲いかかった男の前に女は向かった。
「ねえ、あなた。私はあの王子を殺せなんて、言ったかしら。私の言うことを聞いてくれないなんて、私を愛していないって事よね。」
「いえ、そんな事は――」
「そのナイフで首を切って死んで。私を愛してくれないなら、生きてくれなくていいわ。」
男は迷いなく自分の首にナイフを押し当てる。血が、流れる。酒場の床に、ドクドクと大量の血が落ちる。男はその場に倒れるが、誰もそれを気にしない。気に留めない。
「さて、それじゃあ欲しいものも手に入ったし戻ろうかしら。まだ、やる事があるものね。」
女は笑う。たった一人で、この人が多い酒場の中で。
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