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第十一章〜王子は誇りを胸へ〜

24.信じられず、されど疑わず

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 「疑う」という言葉の対義を探すなら、きっと真っ先に「信じる」という言葉が出てくるだろう。
 ならば人にとって、無条件で信じるに値する人はどんな人であるか。生まれた時から一緒の家族だろうか、それとも苦楽を苦楽を共にした親友だろうか、もしくは愛する恋人であろうか。
 きっと人にとって条件は違う。これにそうあるべき概念などないのだ。

 ただ、人を疑わない時には二種類のパターンがある。これぐらいは言えるだろう。
 一つは疑わなくても良いぐらい、その人の人格や知識への保証が自分の中に存在する時だ。親友の言葉や教師の言葉がこれに当たる。嘘をつくはずもなく、信じても良いというラインにいるパターン。
 二つ目は騙されても良いと、当人が疑う事を諦めた時だ。その人が言うことが全て信用に値するか否か分からないというのに、それに対する思考を放棄してしまうパターンである。
 前者は相手を信じているのに対し、後者は相手を信じていないのに疑わない。人は度々、稀ではあるがこのように矛盾した感情を抱くことがある。

 アースは、スカイを疑わないと言った。
 スカイは、アースと目を合わせる事はしなかった。

「それでは、私の方から二つ質問をさせてもらおう。」

 アルドールがまず口を開く。その有無を言わせぬ迫力は、穏やかそうな気風であるウォーロイドには決して出せないものだ。

「まずは、今回の一件に君は関与していない。それは正しいかね?」
「……ああ、それだけは誓える。僕は絶対に、この国に害をもたらす事は行わない。」

 その言葉には嘘があるようには見えない。アルドールもそう思ったのか、頷いて次の質問に移る。

「次だ。今日の行動を一通り話してくれ。」

 スカイがこの街に来たのは演説の終わり間際、大体昼過ぎぐらいのことである。それ以前の行動をここにいる他の三人は知らなかった。

「知っての通り、僕らは南側から街に入った。リラーティナ領を昨日出発して、それから付近にある全ての街を通りながら真っ直ぐここに来た。」
「……ふむ。その割には早かったようだが、領主には会わなかったのかね?」
「今回の旅は、民と触れ合うことを目的としている。顔を出さないことは申し訳ないと思っているけど、そうじゃないと全ての領を回り切ることはできない。」

 それならば時間的にも違和感は大きくない。ゴーレムの馬車であれば不可能ではないだろう。
 それに証言であればスカイを見た民衆がしてくれるだろう。この言葉を疑う余地はない。

「それなら、私の質問は終わりだ。元より君の行動は称賛に値するものであり、このように疑われる事がおかしいのだ。これ以上、問い詰めることはないとも。」

 アルドールは立ち上がる。

「父上、どこへ?」
「後始末だ。私の知りたいことはこれだけだったからな。」

 アルドールは部屋を出た。ウォーロイドは少し困ったように頭をかく。ここまでアルドールが直ぐに出ていくとは思っていなかったからだ。
 だが、一度父が切り上げたというのに自分が詳しく聞くのも変であるし、実際、これ以上に知りたいことも特にはないのもまた事実である。

「……スカイ殿下は、今日はこの街に滞在するのかい?」

 ウォーロイドはそう尋ねる。

「いや、これが終わったらもう街を出るつもりだ。王選はまだ続くからね。」
「そうか、それならその行く先が良いものである事を祈っているよ。」

 そう言って、やっと力が抜けたように穏やかにウォーロイドは笑った。
 逆に訝しげにそれをスカイは見ていた。

「もっと、問い詰めないのか?」
「いや、そのつもりだったんだけどね。父上も早めに切り上げたし、よくよく考えれば殿下がこんな事をやるわけがないのは事実だ。」

 ウォーロイドはスカイと話した回数なんて数える程度でしかない。それでも、その人格が高潔なものであるという事は耳に届いていた。
 何より王の血族が、自らの血肉に等しい王国を汚すわけがないのだ。そういう発想でウォーロイドも追及をやめた。
 そうなると、スカイの視線はアースへと向かう。

「何だ、スカイ。まるで叱られるのを待つ子供みてーな顔をして。」
「い、いや、そうじゃないよ。だけど順番を考えるなら、次に質問をするのは兄上だろう?」

 スカイは怯えていた。ただ、アースには自分に怯えているわけではないと分かった。
 それはスカイと兄弟として長い付き合いをしている彼だからこそ分かった事である。流石に完全に心を読めるわけではないのだから、一体何に怯えているかまでは分からないけれども、それだけでアースには十分だった。
 元々、兄弟であっても全てを理解し合える事はない。互いにしか分からぬ苦悩や喜びがあるものだ。

「俺様は特に質問はねーよ。いや、気になることはあるぜ。だけど実の弟をそんな風に問い質しても仕方ねーだろ。」

 アースが真に優れるのは、人の心を読み取る能力である。生まれながらに王子という強者に生まれ、生まれながらに無能と蔑まれた弱者でもあるアースは両方の気持ちを痛いほど理解できた。
 何を考えているかは分からない。しかしそれでも、どのような感情を抱いてそこにスカイが座っているかぐらいは分かる。

「それに、一番お前を理解しているのはお前だ。一番お前を責め立てているのは、いつでもお前自身だ。俺様じゃねーんだよ。」

 また、スカイはアースから目を逸らす。まるで太陽をずっと見ていられないように、反射的にだ。
 アースはずっと、一瞬たりともスカイから視線を逸らさない。

「……僕はもう行くよ。また王城で会おう、兄上。」
「死なねーように気をつけろよ。フランがいるから大丈夫だとは思うがな。」

 スカイはアースに背を向け、部屋の扉へと足を進める。

「あ、待て。聞き忘れた事があった。」

 その言葉に、スカイは足を止める。

「俺はお前を、信じてもいいのか?」

 アースはスカイを決して疑わない。事実、この話し合いで一切口を挟まずに、心理的に揺さぶろうともしなかった。
 その言葉を信じてはいない。真実が何であれ、アースは肯定すると決めただけだ。アルスにそうするように、フィルラーナにそうするようにだ。

「――信じないでくれ。」

 そう言ってスカイは部屋の外へ消えていった。部屋に残ったのはウォーロイドとアースの二人だけである。
 アースはスカイを決して疑わない。その行動の何一つを信用できなくなったとしても。

「……つらいな。誰よりも信じてた奴が、信じられなくなるのはよ。」

 小さな声で、アースは呟いた。
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