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第十章~魔法使いと幸せの群島~

20.侵入者

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 アルス・ウァクラートは目を閉じ、意識を手放していた。その体は横にさせられ、端の方へ寄せられている。

「アルス・ウァクラートの予想勝率は約5%、死亡確率も同様の値である。」

 天使王は何でもないようにそう言った。

「それは、危なくなったら助けていただける、という事でよろしいのかしら?」
「肯定する。」

 フィルラーナの質問に天使王はそう答えるが、フィルラーナの表情は少し険しい。
 天使王が割って入るというのに、死亡する確率が5%もあるのだ。アルスの戦いが厳しいものであるのは明らかだった。

「当機は魂に干渉する権能を保持する。危険な状態と判断すれば引っ張り出すのは容易である。即死さえしなければ、問題はない。」

 それを嘘と疑うものは誰もいない。この世のどこに、神の使いにして最も神に近い天使王を疑うものがいようか。
 だからこそ、それ以上に何かを聞くことはなかった。

「フィルラーナ・フォン・リラーティナ、最後に貴方の要望を聞く。」

 となれば、天使王は先の言葉に違わぬようにするだけだ。
 フィルラーナは天使王に用があるとして同行した。内容に悩む事は決してないだろう。しかし何故か、フィルラーナは口を開こうとはしなかった。
 数秒なら兎も角、数十秒も黙り込めばヘルメスは気になってくる。

「どうしたんだい、リラーティナ嬢。何か気がかりでもあるのかい?」
「……いえ、大した事ではありません。想像の何倍も順調だった事が、とても気になるのです。」

 ヘルメスは疑問符を浮かべる。
 順調なのは良い事であり、計画を練ったのだからそうであるべきだろう。ヘルメスはそう考えていたし、事実、フィルラーナの言い方では順調にいく事がおかしいみたいだった。

「私が名も無き組織を運営する立場なら、必ず私の動向を監視しているはず。むしろそうさせる為に、分かりやすく計画を先んじて潰してきた。しかもカコトピアは名も無き組織が関わっている可能性が高いのだから、私に気付かないなんてありえません。」
「……考え過ぎじゃないかい?」
「それほど容易い相手なら、私はもう名も無き組織を潰していますわ。」

 フィルラーナはそう言い切った。
 それは驕りなどでは決してなく、確たる自信である。事実、フィルラーナは名も無き組織の計画をいくつも潰してきた実績があった。

「未来予知に近い予測と、完璧な計画を出すのが名も無き組織のやり方です。だからこそ『神域』のオルグラーがいるにもかかわらず、グレゼリオン王国は防戦に回らざるをえない。」

 根城さえ分かれば、名も無き組織なんてオルグラーたった一人でほぼ壊滅に追い込める。『神域』の二つ名は伊達じゃない。
 それを相手も分かっているからこそ、徹底的にオルグラーとの戦闘を避け、それ以外を執拗に攻撃する。
 逆にそれを利用した罠をかけようとしても、それに限って必ず現れない。
 これは決して偶然ではないだろう。策略に長けた参謀がいるのは違いなかった。

「だから私は恐らく、罠にかけられている。」
「罠って、何が?」
「分かっていたら、こんなに悩んでいません。」

 ヘルメスは余計に怪訝そうな顔をして、フィルラーナを見た。
 そもそも天界につき、天使王に会えた時点で目的は達成されている。フィルラーナの妨害が目的なら失敗だし、殺害が目的ならディーテの光の門で即座に離脱可能である。
 ここから不利益になる事なんて、頭の回るヘルメスであっても予想がつかなかった。

「――フィルラーナ・フォン・リラーティナ、貴方の要望を遅らせる許可を求める。」

 黙っていた天使王は突然、そう言った。

「天界に侵入者が出現した事を知覚した。許可を――」

 言葉は最後まで続かなかった。代わりに、地面を人が転がる音がなったら。
 祭壇の入り口部分に、腹が切り裂かれた天使の死体が倒れていた。そしてそれを投げ飛ばしたのだろう男が、その後ろから祭壇に入る。

「……謝罪する。貴方の要望は遅れる。」
「いえ、構いませんよ。こんな状況で無茶は言えません。」

 その男の青い髪は肩ほどまで乱雑に伸びており、両手にはククリナイフが一本ずつ握られている。
 男は天使の返り血をモロに被っており、服も武器も血だらけである。それは真っ青な髪が目立たないほど、あまりにも紅い。

「名も無き組織の幹部、『承認欲』のクリムゾンを相手にしては。」

 組織の中でも最も有名にして、最も凶悪な幹部。幹部の中でもクリムゾンの顔は特に周知されており、フィルラーナが知らぬわけがなかった。

「ああ、分かるぜ。何で俺がここにいるか気になるんだろ。」

 何も聞かずとも、クリムゾンはそう言いながら一歩ずつ前へ歩く。
 それに合わせてヘルメスはフィルラーナを庇うように前へ出て、身を低くして短剣を取り出した。逆にディーテは全く動かない。状況を俯瞰して見るのみだ。

「分かるが……それは教えられねえな。オーガズムにも言うなって言われてる。悪いな、だからお前らを殺してやる事しかできない。」
「警告する。武器を捨て、投降せよ。そうすれば命は取らない。」

 天使王がクリムゾンへそう言った。しかし当然ながらクリムゾンは止まらない。

「ああ、分かるぜ。魂と機械を接続させて動かす超技術、確かに便利で強力だ。だが生憎と、こっちはもう二度目だ。」

 クリムゾンは地面を蹴り、一足でその距離を詰める。天使王は六の翼を広げ、正面からクリムゾンへと相対する。
 両手の武器をクリムゾンは振り下ろすが、それは天使王の手に防がれる。傷一つ入る気配もない。

「対策は、終わってる。」

 クリムゾンは自らその武器を手放し、素早く懐から拳銃を取り出した。
 天使王は避けない。自らの装甲にその程度の武装で傷が入らない事を理解しているし、何だったらぶつかる前に破壊する事だってできるはずという計算があった。
 避ける必要がなかった。それこそが、天使王最大のミスだった。

「……ああ、分かるぜ。オーガズムの言った通りだ。確かに天使王の戦闘能力は最強級、だが多重にコーティングされた銃弾をこの近距離で、自分に被害が出ないように破壊するのは困難だ。そうであっても、天使王が作った肉体に傷なんてつくはずがない。だから避ける事もない。」

 天使王はその場に落下し、倒れ込む。

「悪いな、お前が知らない間に人の魔法は進歩したんだ。体内の魔力を惑わせる魔道具が作れるぐらいにはな。」

 傷はつけない。銃弾は着弾と同時に接着し、そこから体内の魔力を惑わす魔力波を放つ。
 普通の肉体ならば問題はないが、全てが魔力で動作する機械の体を使う天使王にとってそれは致命的だった。

「さて、後は三人だけだな。」

 倒れる天使王の横を、クリムゾンはククリナイフを拾い直しながら通り過ぎる。

「嘘、だろ。天使王があんなに呆気なく。」

 ヘルメスが言葉を漏らす。
 組織の幹部を前にしても冷静でいられたのは天使王がいたからだ。異次元の力を持つ天使王がいれば安全である確証があったからだ。
 それが、数秒足らずで地に伏すなど予想できる者はいない。それ程までに天使王の力は絶対的なものである。

「……ディーテ、あいつを倒せますか?」
「確実に勝てる保証はないな。何せ底が知れん。両手の武器は人器だろうし、何らかのスキルは保有しているはずだ。私だけでは厳しいだろうよ。」

 頼みの綱であるディーテも、あれを倒せる確証はないと知り、フィルラーナは目を細くして頭を回す。
 諦める事はしなかった。この状況を切り抜ける策を、必死に頭の中でフィルラーナは巡らせた。

「だが、何故そんな話を今する。」
「――え?」

 その思考をぶった斬るように、ディーテは言った。

「おい、クリムゾンと言ったか。天界の主を、ただの機械人形と一緒にするな。天使王は神に最も近い存在にして、天使を統べる王だ。人の道具でどうこうできるものじゃない。」

 ディーテの言葉に反応して、既に通り過ぎた後ろをクリムゾンが振り返ろうとした瞬間――

「『質量増加グラビティ』」

 クリムゾンを想像を絶する程の重力が襲った。組織の幹部であり、何百、何千という人を殺してきたクリムゾンが膝をつくほどの。

「異物の切除完了。異物による影響により、使用可能魔力91%減少、身体能力98%減少。解析を開始、抗体を獲得。体内の魔力の乱れの解消……失敗。一時間は必要と推測。」

 間違いなく弱体化している。しかしそれでも、人の身では決して届かない存在である事に違いはない。

「継戦、可能。」

 天使王は決して落ちない。
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