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第八章〜少女はそれでも手を伸ばす〜
34.少女はそれでも手を伸ばす
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テルムは、見ていた。たった一人、テルムだけが見ていた。
遅れて来たアルスと、倒され気絶していたヴァダーは見ていない。見下し、侮ったインディゴは、視界には映したもののそれを見ていたとは言い難い。
テルムだけなのだ。ヒカリの覚悟を、ヒカリの聖剣を、ヒカリの勇気を見ていたのは、テルムだけであったのだ。
テルムには目標がなかった。夢がなかった。自分が何の為に生まれて、死んでいくのかすらも、分かりはしなかった。
だけどそれは、ないと思っていただけで、実は最初からあったのだ。
それをヒカリが目の前に立って教えてくれた。テルム自身の魔法が教えてくれた。自分が理想とする自分の形を、教えてくれた。
「今まで教えた通りだ。分かるな、テルム。」
アルスの声にテルムは小さく頷く。
スラム街にいた頃から乾きがあった。まるでパズルのピースが一つ足りないみたいに、もどかしく何かが欠けていた。それを最初は、金や食べ物がないせいだと思っていた。
城に行ってから、違うと分かった。その乾きは金や食べ物、怠惰で満たされるものではなく、もっと違うものであると。
テルムは自由が欲しかったのだ。
誰にも縛られず、誰にも影響されず、誰の言うことも聞かない。それでいて自分の我を通す。
ヒカリはそれを体現していた。自分の信念に従い、自分の本能にすら逆らってテルムを助けようとした。テルムはそこに、真の自由を見た。
何故、テルムに浮遊の属性が与えられたのか。そんなもの決まっている。何にも縛られたくなかったからに他ならない。
「準備ができました。いつでもどうぞ。」
「よし、行くぞ。」
アルスの掛け声と共に、アルスとアテナの二人の背中に手を振れ魔力を込める。
イメージはずっと前からできていた。重力からも、風からも、世界からも解き離れ、自由を得る。ただその憧れに形を与えてあげるだけでいい。
「――飛べ。」
テルムの声と共に3人の体が微かに浮かぶ。ただバランスが悪く、未だに重力が残っている感覚があった。
「ちくしょう……!」
当然だ。そう簡単に上手くいくはずもない。テルムは分かりやすく悪態をつく。
そして一度失敗すれば、それを種として不安が発芽する。できないのではないかと、自分は結局、自由にはなれないのではないかと。
ただ、それをアルスは許さない。
「テルム、前を見るな。空を見ろ。お前が進む先は地上じゃない。」
短い一言である。ただ、それだけでテルムには十分だった。
自由の象徴たる大空を見る。闇が広がる、どこまでも暗く広い空と、そこに燦々と輝く星月。
テルムは、その広大で美しき大空を駆ける自分の姿を幻視した。
ああ、それは、なんて自由なのだろうか。
「アテナさん、頼むぞ。ここから先は、止まらない。」
アルスの声はもはや聞こえなかった。どんどん三人は加速していく。
テルムの視界に映るのは自分を縛るものなど何もない、自由な空であった。二人の背中からテルムは手を離す。
イメージはより、鮮明になっていく。テルムはただそこに、手を伸ばすだけでいい。
「来ます。そのまま真っすぐ飛んでください。」
高度を上げていくと、予想より早くにバハムートから狙われた。砲門の一部が、3人の方へ向く。
放たれるのは水の砲撃。攻撃には向かない水属性ではあるが、粘性を少し増して、人の身長以上の直径の水の球を、銃弾よりも速く放てば、その威力は想像を絶する。
「神器シリーズ82『アイギス』」
アテナは空間の歪みから、丸い円形の、白く輝く盾を取り出した。
その盾を構えたその一瞬、盾は輝きを放ち、盾を中心として三人を覆い隠すほどの障壁を展開した。水はその障壁に叩き込まれるが、その水は形を失い下に落ちていくだけであった。
「能力はシンプル。数秒だけ、ありとあらゆる攻撃を無効にする障壁を展開する盾です。今回みたいな強敵相手には重宝します。」
攻撃をその都度、アテナが防ぎながら少しずつバハムートへ距離を詰めていく。
すると近付く度に、最初は一部だった砲門の多くが、こちらへと照準を合わせ始める。
「アルス様、攻撃の数が増えました! 捌ききれない方はお願いします!」
「了解!」
警戒を増したのだろう。物量で押し切ろうといくつもの砲撃を放ってくる。しかもその攻撃は正確で、真っ直ぐに進むアルス達にちゃんとぶつかるように撃たれていた。
アルスは結界を構築して、タイミング的にアイギスで防ぎきれないものを結界で弾く。
テルムの無駄の多い魔力消費と、攻撃を防ぐほどの強力な結界構築。それを同時に受けながらも魔力が保つのは、人の何十倍もの魔力を持つアルスにだけできる事であった。
ただその甲斐あってか、確実に近付いていた。
雲のように漂っていた鯨の姿はどんどんと大きくなり、次第に目の前にそれしか見えないほどまでに接近する。
後数百メートル。後それだけで、アルスの攻撃が届く。そんな、近いながら遠く感じる一瞬。
「あと少しだ、テルム。あともう少しで……ッ!?」
大気が揺れた。大地を揺らした。世界最強の兵器の一つたる、バハムートが大きく鳴いた。
下ですら聞こえるほどの大音量を、この距離で聞いてしまった。鼓膜が破れそうなほどの大音量と、体が揺れるほどの大気を伝わる振動。どれもが魔法への雑味となる。
ガクリ、と体が沈むのを感じた。テルムの魔法が剥がれるのを感じた。その場に吹き荒れる風の鼓動を感じた。
研ぎ澄まされた精神状況にて成されたテルムの魔法は、こんな状況下で発動できるほど安定をしていない。
落ちる、落ちる、落ちる。テルムの手から自由が剥がれ落ちる。覚悟が、勇気が、想いが、剥がれ落ちていく。
(嫌だ、やめろ、やめてくれ!)
「落ち着けテルム! 動揺すれば魔法は発動できないぞ!」
まるで半身をもがれるような感覚であった。
やっと得たものが、やっと手に入れたものが、ずっと求め続けたものが、目の前から奪われる。
目から雫が流れる。悔しかった。認められなかった。諦められるはずがない。
「嫌だッ!」
テルムは手を伸ばす。離れていく、大空へその右手を伸ばす。
ただ悲しきかな、魔法は発動しない。明確なイメージではなく抽象的なイメージでは、魔法は形にならず霧散するだけ。
ただテルムは落ち行くこの空で、もがく事しかできない。
「嫌だッ!!!」
喉が痛いほどの叫び。ただ、それすらも鯨の鳴き声は飲み込む。テルムが求めてやまない空に、あの鯨は悠然と立っていた。
「嫌だッ!!!!!」
嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ――!
「いやだァッ!!!!!!!!!」
子供の癇癪とそう差はない、心と声の叫び。しかし現実とは無情なもので、苦しんだものが強く請い願う者が結果を勝ち取れるとは限らない。
『認定完了。スキルの構築を終了。対象、テルムへスキル名『遥か彼方の大空へ』を付与しました。』
そう、現実は報いはしない。しかし世界は報いた。
その覚悟を、自分を焦がし、燃やし尽くす程の憧憬を! その幼い体に込めた、誰よりも深い自由への想いを!
「届け――!」
少女はそれでも、手を伸ばした。
遅れて来たアルスと、倒され気絶していたヴァダーは見ていない。見下し、侮ったインディゴは、視界には映したもののそれを見ていたとは言い難い。
テルムだけなのだ。ヒカリの覚悟を、ヒカリの聖剣を、ヒカリの勇気を見ていたのは、テルムだけであったのだ。
テルムには目標がなかった。夢がなかった。自分が何の為に生まれて、死んでいくのかすらも、分かりはしなかった。
だけどそれは、ないと思っていただけで、実は最初からあったのだ。
それをヒカリが目の前に立って教えてくれた。テルム自身の魔法が教えてくれた。自分が理想とする自分の形を、教えてくれた。
「今まで教えた通りだ。分かるな、テルム。」
アルスの声にテルムは小さく頷く。
スラム街にいた頃から乾きがあった。まるでパズルのピースが一つ足りないみたいに、もどかしく何かが欠けていた。それを最初は、金や食べ物がないせいだと思っていた。
城に行ってから、違うと分かった。その乾きは金や食べ物、怠惰で満たされるものではなく、もっと違うものであると。
テルムは自由が欲しかったのだ。
誰にも縛られず、誰にも影響されず、誰の言うことも聞かない。それでいて自分の我を通す。
ヒカリはそれを体現していた。自分の信念に従い、自分の本能にすら逆らってテルムを助けようとした。テルムはそこに、真の自由を見た。
何故、テルムに浮遊の属性が与えられたのか。そんなもの決まっている。何にも縛られたくなかったからに他ならない。
「準備ができました。いつでもどうぞ。」
「よし、行くぞ。」
アルスの掛け声と共に、アルスとアテナの二人の背中に手を振れ魔力を込める。
イメージはずっと前からできていた。重力からも、風からも、世界からも解き離れ、自由を得る。ただその憧れに形を与えてあげるだけでいい。
「――飛べ。」
テルムの声と共に3人の体が微かに浮かぶ。ただバランスが悪く、未だに重力が残っている感覚があった。
「ちくしょう……!」
当然だ。そう簡単に上手くいくはずもない。テルムは分かりやすく悪態をつく。
そして一度失敗すれば、それを種として不安が発芽する。できないのではないかと、自分は結局、自由にはなれないのではないかと。
ただ、それをアルスは許さない。
「テルム、前を見るな。空を見ろ。お前が進む先は地上じゃない。」
短い一言である。ただ、それだけでテルムには十分だった。
自由の象徴たる大空を見る。闇が広がる、どこまでも暗く広い空と、そこに燦々と輝く星月。
テルムは、その広大で美しき大空を駆ける自分の姿を幻視した。
ああ、それは、なんて自由なのだろうか。
「アテナさん、頼むぞ。ここから先は、止まらない。」
アルスの声はもはや聞こえなかった。どんどん三人は加速していく。
テルムの視界に映るのは自分を縛るものなど何もない、自由な空であった。二人の背中からテルムは手を離す。
イメージはより、鮮明になっていく。テルムはただそこに、手を伸ばすだけでいい。
「来ます。そのまま真っすぐ飛んでください。」
高度を上げていくと、予想より早くにバハムートから狙われた。砲門の一部が、3人の方へ向く。
放たれるのは水の砲撃。攻撃には向かない水属性ではあるが、粘性を少し増して、人の身長以上の直径の水の球を、銃弾よりも速く放てば、その威力は想像を絶する。
「神器シリーズ82『アイギス』」
アテナは空間の歪みから、丸い円形の、白く輝く盾を取り出した。
その盾を構えたその一瞬、盾は輝きを放ち、盾を中心として三人を覆い隠すほどの障壁を展開した。水はその障壁に叩き込まれるが、その水は形を失い下に落ちていくだけであった。
「能力はシンプル。数秒だけ、ありとあらゆる攻撃を無効にする障壁を展開する盾です。今回みたいな強敵相手には重宝します。」
攻撃をその都度、アテナが防ぎながら少しずつバハムートへ距離を詰めていく。
すると近付く度に、最初は一部だった砲門の多くが、こちらへと照準を合わせ始める。
「アルス様、攻撃の数が増えました! 捌ききれない方はお願いします!」
「了解!」
警戒を増したのだろう。物量で押し切ろうといくつもの砲撃を放ってくる。しかもその攻撃は正確で、真っ直ぐに進むアルス達にちゃんとぶつかるように撃たれていた。
アルスは結界を構築して、タイミング的にアイギスで防ぎきれないものを結界で弾く。
テルムの無駄の多い魔力消費と、攻撃を防ぐほどの強力な結界構築。それを同時に受けながらも魔力が保つのは、人の何十倍もの魔力を持つアルスにだけできる事であった。
ただその甲斐あってか、確実に近付いていた。
雲のように漂っていた鯨の姿はどんどんと大きくなり、次第に目の前にそれしか見えないほどまでに接近する。
後数百メートル。後それだけで、アルスの攻撃が届く。そんな、近いながら遠く感じる一瞬。
「あと少しだ、テルム。あともう少しで……ッ!?」
大気が揺れた。大地を揺らした。世界最強の兵器の一つたる、バハムートが大きく鳴いた。
下ですら聞こえるほどの大音量を、この距離で聞いてしまった。鼓膜が破れそうなほどの大音量と、体が揺れるほどの大気を伝わる振動。どれもが魔法への雑味となる。
ガクリ、と体が沈むのを感じた。テルムの魔法が剥がれるのを感じた。その場に吹き荒れる風の鼓動を感じた。
研ぎ澄まされた精神状況にて成されたテルムの魔法は、こんな状況下で発動できるほど安定をしていない。
落ちる、落ちる、落ちる。テルムの手から自由が剥がれ落ちる。覚悟が、勇気が、想いが、剥がれ落ちていく。
(嫌だ、やめろ、やめてくれ!)
「落ち着けテルム! 動揺すれば魔法は発動できないぞ!」
まるで半身をもがれるような感覚であった。
やっと得たものが、やっと手に入れたものが、ずっと求め続けたものが、目の前から奪われる。
目から雫が流れる。悔しかった。認められなかった。諦められるはずがない。
「嫌だッ!」
テルムは手を伸ばす。離れていく、大空へその右手を伸ばす。
ただ悲しきかな、魔法は発動しない。明確なイメージではなく抽象的なイメージでは、魔法は形にならず霧散するだけ。
ただテルムは落ち行くこの空で、もがく事しかできない。
「嫌だッ!!!」
喉が痛いほどの叫び。ただ、それすらも鯨の鳴き声は飲み込む。テルムが求めてやまない空に、あの鯨は悠然と立っていた。
「嫌だッ!!!!!」
嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ――!
「いやだァッ!!!!!!!!!」
子供の癇癪とそう差はない、心と声の叫び。しかし現実とは無情なもので、苦しんだものが強く請い願う者が結果を勝ち取れるとは限らない。
『認定完了。スキルの構築を終了。対象、テルムへスキル名『遥か彼方の大空へ』を付与しました。』
そう、現実は報いはしない。しかし世界は報いた。
その覚悟を、自分を焦がし、燃やし尽くす程の憧憬を! その幼い体に込めた、誰よりも深い自由への想いを!
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