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第七章~何も盗んだことのない怪盗~

31.何も盗んだことのない怪盗

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 運命という言葉が、イデアは嫌いだ。
 自分如きには何も変えられないと、そう言われているようで昔から気にくわないのだ。

 奇跡という言葉が、イデアは好きだ。
 奇跡は起きるものであるが、起こす事ができるからだ。数え切れない努力と、緻密な計算が届きさえすれば。

「僕は神様が嫌いだけど、ロマンチストな所だけは、大好きだ。」

 神々が与えた祝福、スキル。物理法則を超越し、結果だけを生み出す論理の大敵。
 スキルの取得条件は現在も解明されていないが、一つだけ明確なものがある。それは想いに呼応する事。溢れて止まらない、強過ぎる想いが引き起こすという事だ。
 故に、イデアのスキルは決定した。たった一夜だけ、たった一夜の為に全てを賭け切る覚悟の結晶、オリジナルスキル『一夜限りの怪盗劇オンリー・ザ・ナイト』を。

「止めろ! この先は王女殿下の部屋だぞ!」
「――もう遅い。」

 体は彼らの目には映らない。影だけを残し、瞬きの一瞬にして城の廊下を駆ける。
 繰り出される幻覚魔法に、多種多様な魔道具、思考の裏の裏を読んだような体の動かし方。騎士達はたった一人の青年に翻弄されていた。
 だが、ここまで来れば目的地は察せられている。ならばドアの前で待てば良いだけの事である。

「頼む、どいてくれないかい?」

 ドアの前に立つ騎士の返事は、剣を振られるという結果で返された。

「いくら王国が腐敗したとしても、我らは誇りある近衛騎士。他の全ての命を犠牲にしても、王女殿下を守る義務がある!」
「ああ、そうかい! だけど覚悟してるのはそっちだけだと思わない事だ!」

 イデアは短い黒い杖で、次に放たれる二撃目を受ける。しかし武術の心得がない上、身体能力で騎士に勝てるはずがない。
 体勢を崩されたタイミングで、流れるように三撃目が放たれる。
 当然、イデアも正面戦闘で勝てるとは思っていない。わざわざ正面から受けた以上、何とかできる策があっての事だ。

「『一夜限りの怪盗劇オンリー・ザ・ナイト』」
「なっ!」

 剣は、イデアの体を。幻覚ではなく、実体が一瞬だけ透けたのだ。
 明らかな超常の現象は、それがスキルである事を決定付ける。いくら多種多様な魔法や武術を経験しても、スキルの経験はほとんどないからこそ、必ず一度は意表をつける。

「適当に、ここまで走ってきたわけじゃないんだぜ。僕だって魔道具屋の息子だ。仕込みは完璧にやるさ。」

 素早く地面に、杖で魔法陣を刻む。騎士がこっちへ向き直るまでの一瞬の内に。

「すまないね、僕にもやらなくちゃいけない事があるんだ。」
「させんわ!」
「残念ながらもう僕の勝ちだよ。」

 王城の至る所から魔力が、一瞬にして走る。走りながら王城に刻んだ魔法陣が、互いに干渉し合う事によって、一箇所に強力な結界を展開する。当然、王女の部屋である。
 正確に言うのなら、王女の部屋周辺。騎士とイデアの間にちょうど、結界が展開される。

「クソッ!」

 剣を叩きつけるがその結界は壊せない。
 外部から幅広く、しかも複数箇所から魔力を供給している以上、ちょっとやそっとで壊れる代物ではない。

「多分、悔しがってるんだろうな。防音もつけたから何言ってるか聞こえないけど。」

 イデアは王女の部屋の前で、呼吸を落ち着かせ、そして軽く服をはたいて汚れを落とす。
 そして意を決し、扉は開いた。当然と言えば当然であるが、何の抵抗もなく、一瞬にして扉は開くこととなった。
 そしてその中には――

「久しぶりね、イデア。」
「ああ、久しぶりだね。エイリア。」

 イデアは、ここに到達するまでにおおよそ五年はかけた。互いの顔を見るのも五年ぶりのはずなのに、まるで家族に会ったかのような安心感を、二人は感じていた。

「私を、連れ去りに来たのね。だけどその必要はないわ。」
「どうしてだい。このまま行けば、君は民衆に捕まる事になるだろう。あのストルトスの孫であれば、君だってどうなるか分からない。」
「それでいいのよ。私は最後まで、リクラブリアの王家として生きたいの。お父様が思い描いた、王国の中で終わりたいの。」

 それは半ば、強迫観念に近かった。王家の責任からは決して逃れてはならないという、誇りある父の背中から学んだことだからだ。
 国で起こった事の全てが王の責任であり、全てが王の功績である。そう父は言っていたのだから。

「だから、帰って。私はもう、これでいいから。」
「――怪盗記述、読んでくれたかい?」
「え?」
「やっぱり読んでないんだ。昔っからその本だけは開こうとしないね。」

 イデアが首を動かして部屋の中を見ると、机の上にその本が見えた。イデアはその本を指さす。

「僕は君に、毎日のように話を言って聞かせた。だけど、実は最後の部分だけ、一回も話したことはないんだ。」

 お姫様の前に怪盗が現れて、その後。確かにそのままであれば、物語の終わりとしては不格好な区切りである。
 だが、そんな事を、今までエイリアは考えもしなかった。

「怪盗は、お姫様に拒絶されるんだ。丁度、今の君が言ったように、王家としての責任を口実にね。」
「だから、どうなのよ。そんなの関係ないでしょう?」
「だからこそだ。僕はずっと、この時の答えを考えてきた。その答えを出せるようになるまで、君に話さないと決めていたのさ。」

 イデアはモノクルとシルクハットを外した。杖もそこらに放る。そのどれも、光となって一瞬で消える。
 怪盗としてではなく、イデアとして話すために。

「どれだけ君に拒絶されようと、僕は君が好きだ。どうか、盗まれてくれないかい?」

 イデアはエイリアへ手を伸ばした。
 しかしその手を、エイリアが取ることはない。

「……私も、あなたの事は嫌いじゃない。きっとあなたと一緒にここから逃げれば、幸せなのでしょう。だけど、それはできない。私だけが幸せになることは、許されない。」

 否定の言葉である。しかしイデアにとっては十分な答えでもあった。

「それなら、僕はここで死のう。」
「どうしてそうなるのよ。どうして言うことを聞いてくれないの。あなたは関係ないじゃない!」
「だけど、君のことが好きなんだ!」

 確かにイデアは関係ない。ただ、仲が良いだけで、エイリアが抱える心境など理解しえる事もない。
 だが、そんなもの気にならないほど、彼は恋をしていた、

「君が、自分の責任の為に自分を犠牲にするなら! 僕も君の為に自分を捧げる!」
「そんなこと、私は望んでない!」
「それなら、君がここで犠牲になることを誰が望んでるんだよ!」

 エイリアは言葉に詰まる。

「君の家族の誰が、そんな事を言ったんだよ。全ての責任を君に払ってもらうって。」

 その通りのことだ。結局ここで、エイリアが何もしないというのは、エイリアの我がままに近い。
 それにもし、逃がせるのであれば宰相だってエイリアを逃していただろう。

「それじゃあ、誰が責任を取るのよ! この王族が、生み出した全ての罪の!」

 エイリアもまた、アルスと同じように縛られていたのだ。血族に、一族に、王族に。
 だからこそ無意識下に、ストルトスの悪業を背負おうとする。

「……確かに、罪はあるだろうさ。罪があるからこそ、ここまで人は集まった。」
「なら!」
「それは君の罪じゃない。王族の罪だ。全ての王族関係者全員で負うべき罪だ。君一人で背負っていい罪じゃない。」

 口論の内に、エイリアの目には涙が浮かんでいた。

「それなら、私は一体どうすればいいのよ。私だって自由になりたい。お父様が生きていた頃みたいに、日常を過ごしたい。だけど責任を放り出せば、お祖父様と一緒じゃない!」

 記憶に蓋をして、忘れるのは簡単な事である。だが、それではエイリアは自由になれない。死ぬまでその楔に繋がれてしまう。
 だからこそイデアは、その楔を断ち切らなくてはならなかった。

「それなら、君の今まで苦しんだ分の報酬は?」

 しかもそれは、相手が心の底から納得できる形でなくてはならない。
 頭を巡らせる。怪盗であれば、呼吸をするように言葉が生え出てくるのだろう。しかしそれでは、盗めない。
 万物を盗む怪盗であれば盗めない。何も盗んだことのない怪盗だからこそ、そこに手が届く。

「君は王族として力を持つ代わりに、責任があるのだと言う。だけどその考えが正しいなら、君は親を失い、この部屋に囚われた分だけ幸せになる責任があるはずだ。」

 否定はしない。それは決して、間違った事ではないから。

「でも、だって――」
「これも、君の責任さ。どちらの責任も果たす為なら、一度ここから逃げ出さなくちゃね。」

 そう言って、イデアは不器用に笑う。
 何でも盗めた怪盗は、お姫様だけは盗めなかった。だけど、何も盗んだことのない怪盗は――

「私は、幸せになっていいの?」
「ああ、もちろん。」

 お姫様だけは、盗めたのだ。

「さて、お姫様エイリア。僕は君を盗みにここに来た。どうか、盗まれてくれないかい?」

 返事は、決まっていた。
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